話 題 『 旅 行 記 』最新 | 2009年8月〜2009年12月 |
話 題 一 覧 |
2009.12.20 | マウイよいとこ一度はおいで!(9-6) 投稿;三橋春夫 |
2009.12.13 | ドイツ旅行−1(桜の記念植樹) 投稿;稲垣 貢 |
2009.12. 6 | マウイよいとこ一度はおいで!(9-5) 投稿;三橋春夫 |
2009.11.22 | マウイよいとこ一度はおいで!(9-4) 投稿;三橋春夫 |
2009.11.12 | 「旅行友の会(東京計器OB有志)」の旅行記 投稿;野村一信 |
2009.11. 8 | マウイよいとこ一度はおいで!(9-3) 投稿;三橋春夫 |
2009.10.25 | マウイよいとこ一度はおいで!(9-2) 投稿;三橋春夫 |
2009.10.11 | マウイよいとこ一度はおいで!(9-1) 投稿;三橋春夫 |
2009.10. 6 | プレ金婚旅行記 投稿;森内秀樹 |
2009. 9.27 | マウイよいとこ一度はおいで!(8) 投稿;三橋春夫 |
2009. 9.13 | マウイよいとこ一度はおいで!(7) 投稿;三橋春夫 |
2009. 8.23 | マウイよいとこ一度はおいで!(6) 投稿;三橋春夫 |
話 題 『 旅 行 記 』 |
2009.12.20 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで! (9−6) |
マウイよいとこ一度はおいで! | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
9話 マウイ島の観光スポット |
その6・クラ周辺とアップカントリー地区(ワカワオ地区) | |||
カフルイ空港近くで36号線ハナ・ハイウエーと分かれて、ハレアカラ・ハイウエー | |||
37号線に入り、山の麓に向かって左右の砂糖キビ畑を見ながら昇る。途中、マカワオ | |||
で37号線クラ・ハイウエーと377号線ハレアカラ・ハイウエーに分かれるが、このハイ | |||
ウエー沿いの地帯がアップカントリーと言われる地域である。 | |||
更に、当地は果物や花の栽培にも火山性土壌が適しており、パイナップル、りんご、 | |||
桃、梨、柿、葡萄の産地でもある。また、カーネーションとプロテアは他の島やアメ | |||
リカ本土に多く出荷されている。 | |||
特産・プロテアを19年間、マウイ島の花と思っていたが、一昨年、南アフリカ旅行 | |||
をしたとき、原産地が南アフリカだと初めて知った。プロテア属の8割を超える各種 | |||
のプロテアがここクラで栽培されている。プロテアは丈夫な花であるので、切花とし | |||
てホテルやレストランで活花として必ず飾られている。 | |||
キングプロテア |
長閑なクラから西マウイ山とキヘイ・タウンを眺める |
マウイ島に行くと毎回必 | |
ず表敬訪問する所がある。 | |||
クラにある武田さんご夫妻 | |||
が経営する「エンチャンテ | |||
ィング・フローラル・ガー | |||
デン」である。2回目に来 | |||
たとき、近くの日本の企業 | |||
が買収したプカラニ・カン | |||
トリー・クラブへゴルフをし、時間があったのでエンチャンティング・フローラル・ | |||
ガーデンを訪ねた。 | |||
ご夫婦とも千葉大学ご出身で、ご主人は日本で有名な園芸会社に勤務されておられ | |||
た技師で花に関する著書も多く著名な方であるが、世界の花を育てたいという希望で | |||
8エーカーの土地をご夫婦で世界の花々を400種以上も育てている。奥様は旧農林省に | |||
お勤め後、ご主人の良き理解者として、同ガーデンの作業や管理を分担されて多忙な | |||
日々を送られておられる。 |
エンチャンティング・フローラル・ガーデンの入口と結婚式を挙げるための祭壇 |
エンチャンティング・フローラル・ガーデンの入口 |
|
7、8年前に茅ヶ崎市の | |||
ボランティア・グループの | |||
会員6名を連れて、ここを | |||
訪れたとき、偶然にも以前 | |||
ご夫妻が茅ヶ崎市美住町に | |||
住んでおられたという話で、 | |||
見学もそっちのけで茅ヶ崎 | |||
の思い出話しに時間を費やしたことがあった。更に、奥様が学校で故平本四郎さんの | |||
お嬢様と友人で、東京計器のことはいろいろとご存知であった他、お友だちという1、 | |||
2名の社員の名前を挙げられたのには驚いた。それからは毎年、プカラニ・カントリ | |||
ー・クラブへゴルフのついでに激励のために必ず訪れている。 | |||
日系人プレーヤーが多いプカラニ・カントリー・クラブ、お気に入りのゴルフ場の一つである |
テデスキー・ワイナリーの入口 |
クラの集落から車で15分 | |
余り進むと、ハレアカラの | |||
麓の道が段々と狭くなり、 | |||
見通しの悪い急カーブとア | |||
ップダウンも多く、運転し | |||
ていると少々心細くなって | |||
くる。ウルパラクア牧場を | |||
過ぎたところに一軒の店に | |||
着く。その前がテデスキー・ワイナリーである。1947年から葡萄栽培からワイン醸造 | |||
を一貫して取り組んでいるワイナリーであるが、ワインが試飲でき、各種ワインが販 | |||
売されている。石造りの建物は昔牢屋として使用されていた所と説明があった。 | |||
ここに別れを告げて、再び今来た道を戻り、クラの集 |
カウボーイとロデオ |
||
落を過ぎて、先に中央マウイ(北部)の中で紹介したサ | |||
ーファーの町・パイアに向って下る途中に、地元ではパ | |||
ニオロ(カウボーイ)タウンと親しまれているマカワオ | |||
の町がある。 | |||
町の周辺は牧場が広がりカウボーイが働いている町で | |||
ある。メーン・ストリートは100m少々歩けば終ってしま | |||
いそうな小さな町であるが、道の左右は昔の西部劇のセ | |||
ットのような店舗が並ぶ。ここが島内で有名なのは、7月に開催されるロデオ大会の | |||
開催地であるからである。常夏の島とロデオ大会とはちょっと違和感があるが、本土 | |||
に渡らなくても雰囲気が味わえるのはこれも嬉しいことである。 |
2009.12.13 | 稲垣 | ドイツ旅行−1(桜の記念植樹) |
ドイツ旅行−1(桜の記念植樹) | 鎌倉市 稲垣 貢 |
『桜の記念植樹に参加して』 | |||
毎年、『国技館5000人の「第九」コンサート』が行われています。今年は25年目の | |||
節目の年の記念のため、日本の桜の木をドイツのボン市へ植えることになりました。 | |||
本年8月24日から4日間、同コンサートの関係者と一部のコーラス・メンバー約20名 | |||
が参加しました。 | |||
<注>『国技館5000人の「第九」コンサート』とは | |||
1984年4月24日、翌年に竣工する両国国技館の歓迎祝賀行事メインイベントと | |||
して、L.v.ベートーヴェンの第九を大合唱するために「国技館すみだ第九を | |||
歌う会」が発足しました。以後「国技館5000人の第九コンサート」の感動と喜 | |||
びをより多くの人々に伝え、ベートーヴェンが「第九」に託した自由、平等、 | |||
平和を世界に広めるために歌い続けています。 | |||
8月25日ボン市のライナウエ公園に「第九」に因んだ |
桜植樹記念碑 |
||
9本の桜の植樹と記念碑除幕セレモニーに出席しました。 | |||
会場はライナウエ公園の桜と石碑の場所で、式典が行 | |||
なわれました。主催者挨拶が始まった頃には、昨夜来の | |||
雨も止み太陽が顔を出しました。公園は予想以上に広々 | |||
としており、想像していたボンの街の大きさから見て、 | |||
我々日本人には羨ましい程のスペースでした。 | |||
公園には9本の桜の木が植えられ、それに並んで25周 |
年「墨堤の桜」移植募金協力者の名前を書いたプレート |
桜植樹祭除幕セレモニー参加者一同 |
||
が建てられていました。皆さんは自分の名前を探して歓 | |||
声をあげ、カメラを向けていました。これは永遠の思い | |||
出になることと思います。これから1年後、2年後には | |||
9本の桜に花が爛漫と咲き誇ることを皆さんは心から願 | |||
ったことと思います。 | |||
セレモニーは、主催者挨拶に始まり来賓挨拶、続いて | |||
ツアーを代表して私、稲垣 貢が挨拶をしました。 |
<挨拶概略> 日本では毎年必ず「国技館5000人の第九」 |
桜植樹記念碑の前で(筆者) |
||
があり、私も20年前から参加しています。今では、 | |||
「第九」は無くてはならない大事な行事となってお | |||
ります。ボン市は私達が敬愛しているベートーヴェ | |||
ンが生まれた街であることを日本人は皆知っており | |||
ます。ベートーヴェンは日本人にとって特別な存在 | |||
なのです。例えば日本の小学校の音楽室には、例外 | |||
なくベートーヴェンの額が飾られています。それは、 | |||
バッハでもヘンデルでもモーツァルトでもなく、必ずベートーヴェンなのです。 | |||
<中略> 私は、このボンの地に根付いた桜が、いつの日か爛漫と花を咲かせ、 | |||
その花の下で皆様達と再会することを希望してやみません。 | |||
“第九よ永遠なれ” ダンケ・シェーン! |
このあと、記念碑除幕式・乾杯・記念昼食会・交流コンサートが行われました。 | |||
交流コンサートで、我々日本人は、両国国歌と日本の歌「花・他」を合唱しました。 | |||
8月27日、ボン市での桜の記念植樹セレモニーは、盛大に行われ無事終了しました。 | |||
その後、私は団体組と別れ、4泊5日の一人旅に出ました。 | |||
そのときの旅行記を、次回にご紹介したいと思います。 |
2009.12. 6 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで! (9−5) |
マウイよいとこ一度はおいで! | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
9話 マウイ島の観光スポット | |||
その5・ハレアカラ火山 | |||
アップカントリーと言われる地域はハレアカラ火山とその西側の高原地帯に広がる | |||
牧場と集落である。ここは何と言ってもハレアカラ国立公園を見逃すことはできない。 | |||
「ハレアカラ」は、ハワイ語で「太陽の家」という意味だそうだ。私たちは、マウ | |||
イ島を2回目に訪れたとき、ハレアカラでサンライズ・ウオッチングツアーに参加す | |||
る機会を得た。 | |||
早朝4時前、日本から着てきたセーターとズボン、そ |
ビジター・センター |
||
れにホテルの部屋にあった毛布2枚をかぶりツアーに参 | |||
加した。約9,800フィート地点にあるビジター・センター | |||
の駐車場に着いたときには、ツアー客やレンタ・カー、 | |||
バスでいっぱいであった。ツアー会社からオレンジ色の | |||
防寒用アノラックを借りたが夜明け前の山頂は実に寒か | |||
った。余りの寒さにビジター・センターに逃げ込む始末。 | |||
狭い部屋はツアー客で身動きできないあり様であった。 | |||
やがて、東の空が明るくなり、雲海がピンクから淡い赤色に染まり始めた。水平線 | |||
に黄金の帯が走り、太陽が顔を出し始める。観光客から歓声と拍手が沸きあがる。感 | |||
動の瞬間である。写真を撮ろうと思ってもジビター・センターの観覧場所は人・人・ | |||
人で頭ばかり入る始末である。 | |||
美しい日の出風景 |
|||
太陽が昇り、すがすがしい朝を迎えると目の前に広がる噴火口の景観に圧倒される。 | |||
説明書によると、ハレアカラ噴火口は円周33.8km、東西12km、南北4km、火口 | |||
壁の高さ200m、火口の深さ910m、面積は49.2kuでニューヨークのマンハッタンが | |||
すっぽり収納されてしまう広さと言われる。火口は独特の茶と紫色をした土砂である | |||
が、よく見ると部分的に植物が生えているのが見える。そして、遥か下には火口の自 | |||
然を観察するトレッキング・ツアーに参加している人影が蟻のように見える。 | |||
月世界のような美しい火口 |
|||
この火口内では、かつて、スタンリー・キューブリックの名作「2001年宇宙の旅」 | |||
の撮影や宇宙飛行士の月面着陸訓練も行われたところで有名である。 | |||
ハレアカラの最高地点はレッド・ヒルという丘で標高10,023フィートであるが、ビ | |||
ジター・センターの反対側にはドーム型の建物やパラボラ・アンテナが見える。こ | |||
こはサイエンス・シティという天文台である。噂では、アメリカの著名大学、天文の | |||
研究機関の他、アメリカ空軍などの研究機関が宇宙観測、人口衛星やミサイル追跡ス | |||
テーションの仕事も行われているというが定かではない。 | |||
サイエンス シティという天文台 |
貴重な高山植物「銀剣草」 |
サンライズ・ウオッチン | |
グ・ツアーとは別に、ハレ | |||
アカラの頂上でサンセット | |||
&スターゲイジング(星空 | |||
観測)・ツアーも評判であ | |||
る。ただ、経験上、ハレア | |||
カラが雲一つない姿を見せ | |||
ることは非常に少ない。私 | |||
はその後、3回レンタ・カーでハレアカラに昇ったが、2回は天候に恵まれたものの、 | |||
火口の右端上に見えるとされるハワイ島のマウナケア(標高13,796フィート)を見る | |||
ことができないでいる。ツアーの日に雲がかからなければ大変ラッキーなことであり、 | |||
ツアー終了後、参加者で大いに乾杯する価値がある。 | |||
防寒着を来て! |
|||
2009.11.22 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで! (9−4) |
マウイよいとこ一度はおいで! | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
9話 マウイ島の観光スポット | |||
その4・中央マウイ南部地区(マアラエア、キヘイ、ワイレア、マケナ地区) | |||
カフルイ、ワイルクから南下すると女性の喉の部分に、スノーケル・クルーズやホ | |||
エール・ウオッチングの船が出入りするマアラエア・ハーバーと500種以上、約2,000 | |||
匹以上の各種の魚を強化プラスチック製の水槽トンネル「アンダーウオーター・ジャ | |||
ーニー」より観察できる人気のマウイ・オーシャン・センターがある。 | |||
マウイ・オーシャン・センター前景 |
早朝のマアラエア・ハーバー |
風力発電用プロペラ群 |
|
更に右手、ホノルルからの便がカフルイ空港へ着陸するため、上記マアラエア・ハ | |||
ーバーの上を通過する前、左機窓から見える西マウイ山の稜線に巨大な20基の風力発 | |||
電のプロペラ・タワーが、自然の景観が豊かなマウイ島には一見異様な風景として目 | |||
に入るが、不思議にドライブしているとこの辺りでは気にならない。 | |||
そこから6マイルにも及ぶ白砂の美しいビーチが続くコンドミニアムの街・キヘイ | |||
から、女性の胸の部分に相当する場所・マウイ島でも屈指の高級リゾート地として開 | |||
発・発展中のワイレアとマケナ・リゾート地区がある。 | |||
キヘイには長期滞在型の比較的手ごろな値段のコンドミニアムが、今では80〜90軒 | |||
ほど並んでいる。ビーチの傍なのでサンセットを特に楽しむアメリカ人には人気のエ | |||
リアである。最近はレストランやショッピング・センターが以前より増えてきたので | |||
便利になった。 | |||
このキヘイ・タウンを過ぎて、海岸に並行して車を進めると、いよいよワイレア・ | |||
リゾート地区に入る。明らかに街の雰囲気が異なり、高級感を感じさせる住宅、7〜 | |||
15億円の相場とされる別荘が今も建設されている。そして、高級リゾート・ホテルも | |||
集中している。 | |||
私たちが利用しているリゾート・ホテルのシェフの話では、毎年1月にマウイ島の | |||
カアナパリ・ゴルフ・クラブのプランテーション・コースで開催のPGA初戦に参加、 | |||
するために、当所から600mほど下った海の傍、マケナ寄りに、タイガー・ウッズの別 | |||
荘があると聞かされた。事実は定かではないが一度覗いてみたいと思っている。PG | |||
A初戦、練習ラウンドと本戦4日とその前後くらいを含めて、10日ほどの日程のため | |||
に豪勢な別荘を準備しているとは、さすがタイガー・ウッズであると思った。 | |||
ワイレアの中心部に3年前にリニューアルした高級ブランド品ショップから大衆的 | |||
なABCストア、ギャラリー、レストラン、ファッション関係の店などが集る「ショ | |||
ップス・アット・ワイレア」は、この地、唯一の大型ショップである。各ホテル間を | |||
回りながら「ショップス・アット・ワイレア」に観光客を送り込むシャトルバスは、 | |||
$1で利用できるので大変便利である。この「ショップス・アット・ワイレア」やホ | |||
テル群と、高級別荘群の間にはマウイ島でも最も美しく、LPGA開催コースでもあ | |||
るワイレア・ゴルフ・クラブのオールド・ブルー・コースがあり、美しいコースとプ | |||
レーしている人たちを運転しながら見ることができる。 | |||
ダイヤモンド・リゾートの全景 |
サンセットと海の見える大浴場 |
私たちが宿泊しているリ | |
ゾート・ホテルはハレアカ | |||
ラ火山の麓であるが、部屋 | |||
のテラスからは眼下に広が | |||
る海、潮を吹く鯨、ジャン | |||
プする鯨を見渡せる最高の | |||
立地条件にある。更にワイ | |||
レア・ゴルフ・クラブの3 | |||
コースの内、2コースの中に建てられており、特に、同クラブのオールド・ブルー・ | |||
コースのクラブハウスまでは車で1分とかからないところである。 | |||
●最後のリゾート地・マケナ地区 | |||
ワイレアの先は人家も道路から海岸沿いに建つ、静かな地区になり、ゴルフ場と美 | |||
しいビーチ、スノーケルが楽しめるマケナ地区に入る。 | |||
この地区には私たちが行 |
マウイ・プリンス・ホテル |
マケナ・ゴルフ・コース(美しい#10ホール) |
|
く前に、西武グループがハ | |||
レアカラの麓で海岸に面し | |||
た広大な敷地にX字型をし | |||
た豪華な白亜のマウイ・プ | |||
リンス・ホテルを建設した。 | |||
そして、マケナ・ゴルフ・ | |||
コース/サウスとノース・ | |||
コースをオープンさせた。 | |||
当時は、ワイレア地区から先は31号線沿いの閑静な住宅や別荘、雑木林と大きなサ | |||
ボテンの他、美しいビーチがあるだけで、何も楽しむところもなく、どうしてこんな | |||
ところに・・?と思ったものである。何年前か滞在中に、当時、西武ライオンズの野 | |||
球キャンプ地にマウイが選ばれ、カフルイ地区にあるマウイ球場でキャンプをはった | |||
ことがあった。 | |||
家内の母が大の野球好きで、セ・リーグはジャイアンツ、パ・リーグはライオンズ | |||
をひいきにしていた関係で母を乗せてキャンプ地を訪ねたことがあった。しかし、ラ | |||
イオンズの選手の宿舎であった、このマウイ・プリンス・ホテルは数年前に米国企業 | |||
に売却されたことは新聞などで報道され、ご存知の方も多いと思う。 | |||
当時の西武ライオンズのキャンプ風景 |
当時の清原選手 |
溶岩風景 |
|
このマケナ地区に今年3月に行って見て驚いた。個性的な別荘が次々に建てられて | |||
いた。この地区は、ある場所から先に行くと火山が流出した黒っぽい色の溶岩だらけ | |||
の景色に変わる。浅間山の鬼押し出し以上に溶岩ばかりの風景に一変し、その先は通 | |||
行禁止となり、この溶岩ばかりの景色に変わる。この少し手前に、先に記したスノー | |||
ケルの最高のポイント、アヒヒ・キナウがある。 | |||
以前、モロキニのスノーケルの帰り、マケナ地区の海岸近くにボートを係留し、海 | |||
の生物を実際に採集して見せてくれたが、海岸近くでスタッフが言ったことがある。 | |||
マケナの美しいビーチ |
「この前のビーチは、ヌーディストが集るビーチです」 | ||
と説明してくれた。日本人乗客は英語での説明であった | |||
ので理解できた人とそうでなかった人がおられたようで | |||
あるが、アメリカ人の男女のほとんどは、声を出して喜 | |||
び、望遠鏡で海岸をのぞいて大騒ぎとなった。私も望遠 | |||
鏡でのぞいたが人影はなかった。 | |||
5月に行われたOB会バス旅行で同室のKさんは、以 | |||
前同ホテルに宿泊され、散歩中に、そのビーチで女性の | |||
ヌーディストと会ったとの証言があった。Kさんは本当にラッキナーな人だと思う。 |
2009.11.12 | 野村 | 「旅行友の会(東京計器OB有志)」の旅行記 |
「旅行友の会(東京計器OB有志)」の旅行記 | 横浜市 野村一信 |
白浜・勝浦二大名湯と世界遺産熊野三山・熊野古道を巡るたび | |||
10月22日(木)、昨年のオーストラリア世界遺産巡りに続き、待ちに待った旅行日 | |||
になった。TVの天気予報に一喜一憂していたが、参加者の心がけがよいとみえ、予 | |||
定の3日間は雨の心配はなさそうだ。(それでも、ビニールの合羽をリックに | |||
往路は羽田→伊丹空港。(私は伊丹空港に着陸するときに揺れるので余り好きでは | |||
ないですが、やはり、今回も揺れましたね。眼下に市街地が迫る中、ドッドンと揺れ | |||
るのは気持ち悪いです) | |||
空港ではバス・ガイドの萩原さんが出迎えてくれた。「今回の、南紀白浜・勝浦と | |||
熊野古道のガイドは任せなさい!」の雰囲気の方だった。 | |||
ガイドの出迎え |
大阪空港 |
大阪市内 |
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バスは空港を出て、環状線に入り、堂島川、中之島、同中央公会堂、さらに、通天 | |||
閣など、大阪のビル街を次々に説明しながら一路、阪和自動車道を白浜に向けて走り | |||
始めた。 | |||
堺、岸和田、貝塚を通過し、泉佐野JCTの左手に、わずかに関空の施設が展望で | |||
きる所を通過した。「そこから左手の道は、高野山に繋がる道です!・・・」 | |||
休みなしに何にもない所を、よく説明するな〜と感心していると、やっと、SAで | |||
トイレ休憩を兼ねての昼食時間となった。少し早めであるが、申し込んでおいた弁当 | |||
を三々五々のグループに分かれて食べたら、「ハ〜イ!出発で〜す!」 | |||
間もなく、最初の目的地である安珍・清姫伝説の道成寺に到着した。私たちは、費 | |||
用節減のため、“語り部”の案内申し込みをしていないので、直接、寺を参拝した。 | |||
掲載物・展示品がとてもよく揃っていて十分に楽しめた。 | |||
参拝を終えて、寺通りに並ぶ小さな土産店の一軒で地元和歌山のみかんを買った。 | |||
小振りで余り体裁はよくないが、一袋100円で15個ぐらい入っていた。私にはとても | |||
素朴で酸味があり美味しかった。幹事さんも、地元和歌山のお酒を買ってくれたので、 | |||
早速、バスの中でこっそりと味見をした。 | |||
道成寺山門前 |
道成寺 |
安珍塚前の田村さん、寺岡さん、三橋夫妻、夏目さん |
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阪和自動車道終点、みなべICで名産・梅干し屋でのショッピングをし、いよいよ、 | |||
今日の宿泊先・白浜である。 | |||
周りの景色は、温暖な所に相応しい雰囲気が出ていて、草木は心持ち、何となく柔 | |||
らかい表情で我々を迎えてくれているように思えた。今日は、全てが順調に進んだの | |||
で、予定を繰り上げて白浜・三段壁と洞窟を見学することになった。 | |||
天候に恵まれていたが、海辺の岩場は風がやや強いようで、海は白波が立っていた。 | |||
便利なエレベーターを使い洞窟内部に入ると、様子は一変し、そこは怒涛の勢い、打 | |||
ち寄せる波の凄さ、思わず足がすくみそうだ。しぶきを避けながら自然の猛威を堪能 | |||
した。 | |||
こんな所に、昔の水軍はよく舟ごと隠れていられたな〜、と感心しながら、今夜の | |||
宿「ホテル・グリーンヒル白浜」に到着した。ロビーから見る眼下の景観が素晴らし | |||
い。とてもよい気分で各人割り当てられた部屋に入る。 | |||
部屋も眼下に海が見える素晴らしい景観にみんな満足の様子。特に単身者用に割り | |||
当てられた部屋は、どう見てもスイート・ルームだ。大きさと設備が全然違う!夫婦 | |||
部屋を割り当てられたことを忘れて、自分たちも一夜の単身者になりたい!と思った。 | |||
早速、今夜の二次会は、この部屋でやることになった。温泉も気持ちよいし、屋上 | |||
の露天風呂から見下ろす町中と海の景色は最高であった。夜のアルコールもほどほど | |||
を通り越して、二次会が深夜まで繰り広げられた。 | |||
白浜三段壁 |
白浜三段壁の記念写真 |
荒れる洞窟内 |
ホテルからの夕日 |
お楽しみ宴会 |
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10月23日(金)、天気は快晴である。今日は熊野古道を散策するので、皆さん昨夜 | |||
のアルコールが残っていないか?少々心配であった。 | |||
千畳敷の景色 |
千畳敷記念写真 |
円月島 |
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途中、白浜温泉の千畳敷を散策後、自然の波風でできたとされる大きな丸い穴が見 | |||
事な円月島をバスの車窓より眺め、目の保養だけが目的の真珠店に立ち寄った後、海 | |||
岸線を離れて山に向かった。(ガイドさんは気合を入れて、しゃべりまくっています) | |||
少し走ると山道に入り、深山幽谷の雰囲気となってきた。いよいよ、熊野古道・中 | |||
辺路を“語り部”の案内での散策である。 | |||
”語り部“は菅笠とブルーの法被姿で先頭にたち、ゆっくり歩きだし、観光ポイン | |||
トでガイドをしてくれた。 | |||
大樹で鬱蒼とした散策路を、昔、熊野三山への参詣を願う上皇は、大勢の部下を従 | |||
えて、幾日もかけての参詣の旅であったため体力も消耗され、急な山道を登る様子は、 | |||
遅々、延々「アリの行列」のようだったと言われた・・・、など、「紀伊山地の霊場 | |||
と参詣道」の歴史、日本の宗教・文化の歴史など興味深い説明があった。 | |||
今、私たちが散策しているこの山道を歩いて熊野本宮大社に参拝されていたことを | |||
考えると、「時間」という観念を超越して何か不思議な思いがするとともに、世界遺 | |||
産の素晴らしさ、有難さを感じた。そんな思いの中、私たちはわずか2.4kmを1時間 | |||
20分くらい歩いたようであるが、もう十分と思った。 | |||
近露王子に到着し、バスで熊野本宮大社に移動する。時間の都合により、バス車中 | |||
で昼食の弁当を食べたが、下りの急カーブの多い山道が続くので、食べ物がなかなか | |||
口に入らないで苦労しているうちに、熊野本宮大社に到着した。(バスの移動は便利 | |||
だね〜) | |||
熊野古道ガイド |
熊野古道を歩く |
熊野古道内道標 |
|
熊野本宮大社は、茅葺屋根の社で寺領もゆったり、ゆっくりと石段を登り、本宮に | |||
参拝した。旅の無事を祈願して下りてきた。 | |||
現在の社殿は明治22年に熊野川が氾濫して、大斎原の旧社殿が流されてから高台に | |||
建て替えられたとの説明であった。そのために階段をかなり上っての参拝であった。 | |||
下のバスを降りた所の世界遺産センターで、熊野古道について、ちょっと勉強と休 | |||
息をしてから、明日の予定だった大門坂と那智の滝を繰り上げて観光した。 | |||
近露王子碑 |
無事に歩き終えて満足 |
熊野本宮大社山門 |
熊野本宮大社 |
熊野本宮大社旧地大鳥居 |
熊野本宮大社旧地の石碑前 |
大門坂の小田さん、瀧川さん |
熊野古道大門坂付近 |
那智の瀧 |
那智の瀧参道 |
大門坂の鬱蒼とした杉並木と石段の景色は、観光案内 | ||
に出てくる「見返り美人」の撮影現場と聞いた。ここも | |||
熊野古道中辺路の一部であるが、昔の雰囲気がよく残っ | |||
ている散策路であった。 | |||
そこから日本三名瀑(袋田の滝、華厳の滝、那智の滝) | |||
の一つである那智の滝を見物した。私ごとであるが、実に | |||
35年ぶりくらいの滝との再会であったが、昔より周りが | |||
観光化されているように感じた。 | |||
今夜の宿は、渡し舟で渡った舟着き場前の勝浦温泉の「ホテル浦島」である。TV | |||
や旅行ガイドでおなじみであるが、ここの最大の売りものの洞窟風呂(忘帰洞)に早 | |||
速入る。 | |||
昔と違った雰囲気に気がつき、どうしたのかと思って海側に行ったら、そこで洞窟 | |||
が遮断され、遥か向こうまで海が見えていたのに、今は、5mくらいの高さで、風呂 | |||
から外に出られないように仕切りが高くなっていた。 | |||
このホテルは、忘帰洞のほかに玄武洞、滝の湯(女性はハマユウの湯)、磯の湯、 | |||
狼煙の湯(女性は天女の湯)、なぎさ元湯があり、所定の用紙に温泉巡り記念スタン | |||
プを押してホテルのフロントに見せると、粗品がもらえるとのことで、岬の突端に位 | |||
置し、本館、山上館、なぎさ館、日昇館からなる大規模ホテルの中を、地図を頼りに | |||
他の風呂を探して入った。 | |||
初日に単身者が割り当てられたスイート・ルーム風の豪華な部屋と違って、今回は | |||
ホテル側が、修学旅行の生徒が泊まる雰囲気の部屋が割り当てられて、該当者を吃驚 | |||
させた。 | |||
早速、クレームをつけて部屋換えをしてもらった。前回のオーストラリアでも部屋 | |||
のトラブルがあったが、旅行には、この種のトラブルは付きもののようだ。 | |||
左手の白い建物がホテル浦島 |
船着場 |
ホテル浦島通い舟 |
|
10月24日(土)、天気予報では3日間とも天気のはずであったが、朝起きたら意外 | |||
なことに雨が降っていた。 | |||
雨具を用意して、まずは、那智大社・西国1番札所青岸渡寺に参拝。ここは朱塗り | |||
の寺院である。樹齢何百年の巨木が注連縄で飾られて荘厳な雰囲気が漂っていた。こ | |||
こから、少し前方に那智の滝が見える。遠くから見る滝もなかなかの風景であった。 | |||
帰りは、雨傘と杖を持っているので、滑ったり踏み外さないように慎重に階段を下り | |||
た。 | |||
次は、熊野三山の一つ、全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮であり、熊野速玉大 | |||
神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の | |||
神々を祀り上げ、新宮十二社大権現として有名な速玉大社を参拝した。社殿はやはり | |||
艶やかな朱塗りで美しく、非常に印象的であった。 | |||
境内には、注連縄で飾った神木・梛(なぎ)の大樹が目につく。説明によると、梛 | |||
はマキ科の常緑高木樹で、葉は手で簡単にちぎれないことから、家内安全・夫婦円満 | |||
などにご利益があるとのこと、雨の中、落葉を拾ってくれた人がいたので大切に家に | |||
持ち帰った。 | |||
那智山青岸渡寺西国一番札所 |
那智熊野権現山門 |
那智大社に参拝の皆さん |
速玉大社 |
速玉大社の梛(なぎ) |
速玉大社の梛(なぎ)の葉 |
|
紀伊半島の東側は志摩半島付近までしか高速道路が入っていないので、ここ、速玉 | |||
大社からはひたすら在来道路を走る。 | |||
次の目的地は鬼が城。唯一の店で昼食をとり、ビールで乾杯をする。時間がなかっ | |||
たので鬼が城由来の海岸線にある岩場を駆け足で散策しバスに戻ったが、私たち以外 | |||
にバスは1台くらいしかなく、寂れた観光地であった。 | |||
鬼が城 |
鬼が城の奇岩 |
関宿石碑 |
関宿高札どころを見入る三橋さん |
関宿街並み1 |
最後は東海道47番目の宿 | |
場・関の宿に向かった。案 | |||
内された当時の民家や旅館 | |||
の中を見て、私の子どもの | |||
ころ(戦中)を思い出した。 | |||
(うう〜ん、そうです。こ | |||
んな景色、こんな道具もあ | |||
ったよね。ボランティア・ |
ガイドのおじさんが熱心に |
関宿街並み2 |
関宿街並み3 |
|
説明してくれました) | |||
宿場は、街並みを昔風に | |||
残しながら住人が生活をし | |||
ている。狭い街並み・家屋 | |||
を保存しながら、ふだんの | |||
生活との両立は大変そうだ。 | |||
観光バスの駐車場も確保で | |||
きない所に、観光バスが無理々々駐車している感じで、文化遺産を守りながらの地域 | |||
振興は難しいな〜と思いながら、昔を振り返っている自分がいた。 | |||
雨もひどく降らずに、東名阪自動車道で亀山、鈴鹿、四日市、桑名、蟹江を経て、 | |||
順調に名古屋駅に到着した。ツアーはここで解散となった。我々は、駅構内のレスト | |||
ランで旅の無事に感謝するため、小宴の後、新幹線に乗った。 | |||
OB会有志の旅行会の幹事は、2年間が任期である。近年、ベトナムとカンボジャ、 | |||
中国・桂林、オーストラリアの海外を含めて、世界遺産巡りが主流となっているが、 | |||
国内外を問わず、旅は楽しく素晴らしい。また、来年も是非参加したいと思っている。 |
2009.11. 8 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで! (9−3) |
マウイよいとこ一度はおいで! | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
9話 マウイ島の観光スポット |
その3・中央マウイ中部地区(ワイカプ、プウネネ地区) | |||
ワイルクから30号線で砂糖キビ畑の間を南下した右側にマウイ・トロピカル・プラ | |||
ンテーションがある。ここもマウイ島観光の折りに必ず立ち寄る場所である。 | |||
120エーカーの広大な農園には砂糖キビ、パイナップル、バナナ、マカダミアナッ | |||
ツ、コーヒー、マンゴー、パパイヤなどの果実やハワイの植物・花を6両編成のトロ | |||
ピカル・エクスプレスで観賞できる。 | |||
トロピカル・プランテーション入口 |
この風車が目印 |
女性のドライバー兼ガイ | |
ドが早口の英語で説明する | |||
ので日本人にはなかなか理 | |||
解できないが、ココナッツ | |||
割りの実演やパイナップル | |||
の試食サービスもあり興味 | |||
深いスポットの一つである。 | |||
パイナップルを試食する観光客 |
パイナップルの実 |
砂糖キビ畑 |
バナナの木 |
マカダミアナッツの実 |
コーヒーの実 |
マンゴーの木 |
パパイヤの実 |
6両編成のトロピカル・エクスプレス |
砂糖キビ畑の中の製糖工場 |
もう一箇所、カフルイから南下して、途中、左側380号 | ||
線から311号線を右折してすぐ、プウネネに大きな煙突が | |||
立つアレキサンダー&ボールドウイン製糖工場があり、 | |||
その前に、同製糖工場の砂糖博物館がある。 | |||
この博物館には、日本から移住し、砂糖キビ農場や工 |
砂糖博物館 |
||
場で働いていた日本人移民の当時の写真や日本人女性の | |||
着ていた和服、日本から持参した行李や生活用具、小さ | |||
な仏壇、茶碗、そして、日本人移民が宿舎としていた家 | |||
の模型などが展示されており、当時の日々厳しい重労働 | |||
に耐えていた移民者をしのぶことができる大変貴重な博 | |||
物館である。 | |||
ゴルフ愛好者には嬉しいことに、この狭い地域にマウイで唯一、メンバー同伴か、 | |||
メンバーの紹介でしかプレーできない「ザ・キング・カメハメハGC」と、だれでも | |||
プレーできる「カヒリ・ゴルフ・コース」「マウイ・ラニ」の3つのゴルフ場がある。 | |||
マウイ・ラニのクラブハウスを背に |
前者2コースは同じ経営で地続き。「マウイ・ラニ」 | ||
はどちらかというと、カフルイに近く、新興住宅地の中 | |||
にあるゴルフ場で驚くほど自然と人工的にレイアウトさ | |||
れたコースである。クラブハウス内のレストランの前が | |||
スタートホールで広く、綺麗な池があるため、ハレアカ | |||
ラ火山から戻った日本人観光客の昼食の場となっている。 | |||
2009.10.25 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで! (9−2) |
マウイよいとこ一度はおいで! | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
9話 マウイ島の観光スポット | |||
その2・中央マウイ北部地区(カフルイ、ワイルク、パイア、ホオキパ地区) | |||
マウイ島の玄関口・カフルイ空港へは、ホノルルから乗り継ぎの他、アメリカ本土 | |||
からの直行便がある。冬の寒い時期、常夏の島で逃避してくるアメリカ人でいつも賑 | |||
わう。 | |||
カフルイ地区はマウイ島で唯一の平地であり、空港とカフルイ港がある関係で商業 | |||
の中心地である。港が見える一角に比較的安いホテルが数軒ある。マウイ島へ初めて | |||
来たときは、まだ会員となったリゾート・ホテルが完成していなかったので、この内 | |||
の一軒、マウイ・シーサイドというこじんまりした庶民的なホテルに宿泊したが、子 | |||
ども連れや年寄りの利用者が多かった。このホテルの前にマウイ島のアラモアナ(オ | |||
アフ島ホノルル)と言われる大型ショッピング・センターがある。マウイ・モール、 | |||
カフルイ・ショッピング・センター、カメハメハ大王の王妃・カアフマヌの名前を冠 | |||
にしたクイーン・カアフマヌ・センターはいつも地元の人や観光客で賑わっている。 | |||
隣接する街・ワイルクはモロカイ、ラナイ、カホオラウエの周辺の島を管轄するマ | |||
ウイ郡庁のあるところで行政の中心地である。郡庁の辺りから坂が目立ち始め、ウエ | |||
スト・マウイ山の裏側に入ると、作家マーク・トウエインが「太平洋のヨセミテ」と | |||
言わせたイアオ渓谷州立公園がある。 | |||
イアオ渓谷の伝説は当地では有名である。先に、マウイ島の歴史で簡単に述べたが、 | |||
当時のマウイ軍の王カヘキリはオアフ島に滞在していたため、息子のカラニクプレが | |||
カメハメハ軍との戦いの指揮をとった。結果、マウイ軍はイアオ渓谷に追い詰められ | |||
て、ここが最後の戦場となり双方に多数の死傷者がでた。 | |||
奇岩クカエモク(通称イアオ・ニードル、標高671m) |
かつて戦場で血に染まったイアオ川の清流 |
マウイ島へ移住し砂糖キビ作業に従事した日系一世夫婦の銅像 |
|
話が脱線するが、以前滞在中、観光用の日本語マガジンを見ていたら、当ワイルク | |||
の宍戸饅頭という広告があった。家内と車で地図を頼りに店を訪ねて大福を買ったが、 | |||
戦後早々に開業した宍戸太吉さんの時代が移り、2代目、3代目で日本語は話せたが | |||
想像していた大福の味と少し違い、餡子はアメリカ人の甘さだったことを思い出した。 | |||
ワイルクから女性の首筋にあたるワイエフ付近には日系人が多く住居していると聞く。 | |||
ワイエフには、島で一番安くプレーができるパブリック・コース「ワイエフ市営ゴ | |||
ルフ・コース」がある。ここで、プレーすると、ほとんどの同伴競技者は日系人であ | |||
る。日本からの友人たちに、格段に安くプレーできるコースとしてお連れすると、前 | |||
ワイエフ市営ゴルフ・コース |
半9ホールが海辺でのプレーのためか、皆さん大変満足 | ||
されるゴルフ場の一つである。 | |||
資料によっては、後述のアップカントリー地区に含め | |||
ているケースもあるが、カフルイからハナ・ハイウエー | |||
を東に「天国のようなハナ」と言われるハナ方向にしば | |||
らく進むと、9ホールのメンバー制のマウイ・カントリ | |||
ー・クラブを左に見て、まもなくして簡素な木造の小さ | |||
な店が並ぶパイヤの町に着く。 | |||
パイアは元々マウイ島で最初の砂糖キビ工場が建設され砂糖キビ産業で栄えたとこ | |||
ろであるが、このハワイ最大の製糖会社ハワイアン・コマーシャル&シュガー・カン | |||
パニーは、2000年9月末をもってパイア製糖工場を閉鎖した。このため町はゴースト | |||
タウン化していたが、1960〜1970年にかけてヒッピーたちが移り住み、装飾品などの | |||
小さな店をオープンさせた。異色の町に相応しく、現在は、サーファーの集る若者の | |||
町でもあり、ここを訪れると不思議な雰囲気を感じさせる町である。 | |||
サーフィング |
ウインド・サーフィン |
ウインド・サーフィン |
|
更に、パイアを過ぎて3km ほど行くと、マウイ島が世界一を誇るホオキパ「ウイ | |||
ンド・サーフィンの町」に着く。世界各国からサーファーが集るところで有名である。 | |||
よく国際大会が開催される地でもある。 | |||
湘南海岸で見るような1m 程度の波でなく、数m の巨大な波が押し寄せて、今にも | |||
サーファーを巻き込むような光景は見ていても恐ろしい。もちろん、ここでサーフィ | |||
ングできる人はこの道のエキスパートに限られている。 |
2009.10.11 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで!(9−1) |
マウイよいとこ一度はおいで! | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
9話 マウイ島の観光スポット |
その1・西マウイ地区(カパルア、カアナパリ、ラハイナ地区) | |||
マウイ島の地図で女性の頭のおでこに位置し、ゴルフをやられる方ならご存知、毎 | |||
年1月はじめに開催されるPGAトーナメント「メルセデス・チャンピオンシップ」 | |||
の開催場所、カパルア・ゴルフクラブのプランテーション・コースの他、ビレッジ・ | |||
コース、ベイ・コースのあるカパルア、同じく額の部分に位置し、いつも雲に覆われ | |||
ている西マウイの山の麓と砂糖キビ畑、海岸沿いは 5km に及ぶ美しい砂浜と高級ホ | |||
テルが立ち並ぶカアナパリに代表される地区である。 | |||
その前にはたくさんのゴルフ・コースやテニス・コート、ショッピング・センター、 | |||
レストラン、各種のお店はいつも観光客で賑わっている。高級ホテル、コンドミニア | |||
ム、レストランや各種のお店が立ち並ぶ割に、空間がたっぷりあり、ホノルルのワイ | |||
キキと異なり、リゾート地としての条件としては最高の環境下にあるため、アメリカ | |||
本国をはじめ、ヨーロッパや東南アジア、そして日本人の観光客もこの地を利用する | |||
率が高いところでも有名である。 |
カパルア・ゴルフクラブ プランテーション・コース |
||
その理由のひとつは、高級ホテルやコンドミニアムが | |||
多く、ショッピング・センターやレストランも多く、そ | |||
れらの前にある公園風の広々としたゴルフ・コース(カ | |||
アナパリのノース・コース、サウス・コース)の存在な | |||
どがある。マウイ島を訪れた方は必ず乗車するシュガー・ | |||
ケイン・トレインの左右に見えるゴルフ場である。 | |||
ホエラーズ・ビレッジ・ショッピング・センター |
このリゾート・エリアにあるホエラーズ・ビレッジ・ | ||
ショッピング・センターには、レストラン、ギャラリー、 | |||
高級ブランド・ショップが数多くあり、退屈することが | |||
ない。また中には、ホエラーズ・ビレッジ博物館があり、 | |||
捕鯨が盛んであった1825〜1860年の歴史を見ることがで | |||
き、一見の価値がある。 | |||
ここから少し下ったところに、かつての捕鯨時代の基 |
数多いアート・ギャラリーの一つ、クリスチャン・リース・ラッセンの画廊 |
||
地であった古都ラハイナの街がある。目抜き通りには木 | |||
造の店やレストラン、鯨やイルカなどを中心に海中の景 | |||
色を幻想的に描くクリスチャン・リース・ラッセンなど | |||
の著名なアーチストたちのギャラリーが軒を並べるアー | |||
ト・ギャラリー、土産物店が軒を並べている。 | |||
1962年に、ラハイナが国立歴史保護地区の指定を受けた関係で、点在する歴史的な | |||
建築物や史跡の見学に散策する観光客が多く、いつもメーン・ストリートは賑わって | |||
いる。日本から移住した日本人に関係するスポットとして、ラハイナ本願寺、真言宗 | |||
法光寺、ラハイナ浄土寺などが近くにある。 | |||
バニアン・ツリー |
この歴史的な建築物や史跡が、最も集中しているとこ | ||
ろがラハイナの中心部である。ここにはラハイナでのキ | |||
リスト教布教50周年を記念して、1873年に植樹されたバ | |||
ニアン・ツリーが今ではハワイで最大の木に成長してい | |||
る。高さ約18m、茂みの広さは2千700平方メートル。土 | |||
日にはこの茂みの下で、アーチストの街に相応しく作品 | |||
展示・販売やいろいろな土産店で賑わう。 | |||
ラハイナの街 |
パイオニア・イン |
カルタゴ人2世号 |
バニアン・ツリーの横には、1901年に開業した2階建 |
各種クルージングで賑わうラハイナ港 |
||
てのホテル「パイオニア・イン」がある。 | |||
その前の岸壁には、19世紀ニューイングランドから宣 | |||
教師を各地に送り出した2本マストの帆船を復元したカ | |||
ルタゴ人2世号が係留されているが、船内は当時捕鯨に | |||
使用された道具類が展示されている小規模なクジラ博物 | |||
館となっている。更に隣にはラナイ島への高速船やホエー | |||
ル・ウオッチング、海中探索サブマリンなどクルージン | |||
グのラハイナ港はいつも観光客でいっぱいである。 | |||
砂糖キビ列車 |
バニアン・ツリーのあるところから歩いて10数分のと | ||
ころに、カアナパリのプウコリ駅まで往復する砂糖キビ | |||
列車のラハイナ駅がある。元は砂糖キビの輸送用であっ | |||
たが現在は観光に大いに一役かっている。駅を出発し、 | |||
庶民的な住宅地を横切り、しばらくしてゴルフ場を突っ | |||
切り、海からの心地よい風に当たりながら周りの景色を | |||
堪能しているとハワイアン・ソングのライブが始まる。 | |||
日本人観光客がいると、日本語で「上を向いて歩こう」 |
ゴルフ場を左右に見ながら列車は進む |
||
などの懐かしい歌が飛び出す。この砂糖キビ列車は全長 | |||
約6マイル。正式にはラハイナ-カアナパリ太平洋鉄道 | |||
という立派な会社なのである。ここラハイナは今でもマ | |||
ウイ島の観光の中心地である。 | |||
2009.10. 6 | 森内 | プレ金婚旅行記 |
プ レ 金 婚 旅 行 記 | 横浜市 森内秀樹 |
平成22年4月27日は、私事でありますが、結婚50周年の金婚を迎える年となる。 | |||
この年まで元気に迎えられそうで、家内に感謝を込めて、プレ金婚旅行の計画を立て、 | |||
平成21年6月17日〜19日上高地に行くことにした。 | |||
上高地を選んだのは、新婚旅行の初日が上高地であり、当時、上高地で温泉設備を | |||
持っていたのは、「上高地温泉ホテル」のみであり、このホテルに泊まったのは言う | |||
までもない。なお、現在は河童橋の前の五千尺ホテルにも温泉が用意されている。 | |||
この五千尺ホテルと帝国ホテルに宿泊する計画をたて、ネットで各ホテルに予約した。 | |||
夜明けの梓川 |
明神橋 |
乗鞍コロナ観測所遠望 |
|
6月17日松本電鉄新島々駅より、上高地行きのバスに乗車し、大正池で下車し梓川 | |||
沿いを歩いて河童橋に向かった。 | |||
この道は、昔と違い木道が整備され歩きやすかった。大正池は焼岳の噴火によって | |||
生じた、火災泥流が梓川を堰き止めわずか1日で出来た池で、池中に立ち枯れた木々 | |||
が観光写真に紹介されているが、この枯れ木も上流よりの土砂で埋まり僅か一本と変 | |||
り果てていた。 | |||
木道上には猿が群れをなしてわが世を謳歌していた。最初に目にしたときは怖い感 | |||
じがしたが、観光客に猿の群れには餌をやらないようにと看板等で指示があり、観光 | |||
客がマナーを守っている為か、どちらもわれ関せず、歩けたのは幸いであった。 | |||
夕刻になって河童橋(つり橋)のワイヤーに数匹がたむろしていたが、6時過ぎに | |||
は、ねぐらに戻り静寂の河童橋となった。 | |||
6月18日ネイチャーガイドに明神池まで案内をお願いし、穂高神社まで1時間コー | |||
ス3時間かけて案内してもらった。 | |||
梓川左岸道(上流に向って右側)沿いに歩くと、梓川の支流の清水川に出合った。 | |||
この清水川は、河童橋より、約300m上流の湧水川で、川底より湧き出ていることが | |||
見られた。ガイドによれば、この湧き水は上高地の住人、観光客の飲み水に使用され | |||
ているとの事であった。 | |||
梓川の流れは透きとおり飲み水として使用可能と思っていたが、ミクロ的には飲料 | |||
水としては使用できないとのこと。 | |||
この説明を受けると上流には、明神館、徳沢園等に住人、観光客等多くの人が生活 | |||
しでいるからと納得した。 | |||
小梨平付近も、親子連れの猿がたむろしていた。上高地には2グループの群れがい | |||
るとの説明があった。唐松林を抜けると、下白沢の上流から土砂が押し出され、木や | |||
草を押し倒し堆積した荒涼たる風景みられ、自然の凄まじさを感じた。 明神橋を渡 | |||
り明神館の休憩所で、ガイドさんより抹茶のプレンゼントがあり、参加者全員で、始 | |||
めての抹茶をおいしく味わった。 | |||
穂高神社脇の休憩所で、上高地ネイチャーガイドより、全員(5名)に参加証No. | |||
2315が配布された。 | |||
ガイドさんと別れ、穂高神社参拝後、明神池の水面には、池の周囲の木々の緑が鮮 | |||
やかに写しこみに感激し疲れも吹き飛んでしまった。 | |||
嘉門次小屋で食べた岩魚の丸焼きは褒めるには忍びない味であった。 | |||
梓川右岸道(上流に向って左側)は、木道のアップダウンの繰り返しで、河童橋ま | |||
で続いているが、景色は対岸に六百山が木々の間から眺められ、二人で歩ける健康に | |||
感謝の乾杯をビールで喉を潤した。 | |||
岳沢の残雪 |
ホテルより明神岳 |
森の中の帝国ホテル |
|
上高地帝国ホテルには、午後3時予定時刻にチエックインした。 | |||
玄関の正面には、今まで見たことない大きなマントルピース(約2,5m)が天井から | |||
吊り下げられていた、薪を燃やして暖めるが大きなマントルピースで暖かくなるには | |||
時間を要したが、冬の時期であれば1日中薪を焚くので、やわらかい暖かさで、周囲 | |||
に熱を配ることになる省エネで先人の知恵に感服した。明治23年11月開業したホテル | |||
の為、暖房は各部屋備え付けのバルブの開閉により、蒸気量を制御するもので現代の | |||
暖房装置と異なり、温度設定などできない不便さもあるが、騒音がないのが有難かっ | |||
た。 | |||
6月19日天気予報では晴天の確立が高いので、乗鞍の畳平まで定期バスで約1時間、 | |||
海抜1500m から2500m 一気に足を延ばした。畳平は予想通りの快晴に恵まれ、北アル | |||
プスを一望できる幸運に恵まれた。畳平周辺には雪は無かったが、北面や窪地の鶴ケ | |||
池周辺には残雪が多く高山植物は、まだ開花時期ではなかった。 | |||
畳平から簡単に登れる魔王岳(2761m)に登り乗鞍周辺の山々を見て下山した。 | |||
乗鞍のコロナ観測所は今年で観測を停止するとのことで、所員は最後の観測にいそし | |||
んでいた。 | |||
(注、本文の原稿を書き上げた、平成21年9月19日、乗鞍畳平で熊が出没し観光客9 | |||
人が怪我をしたとTVで報告された。出没箇所は魔王岳の上り口の箇所であることが | |||
分った。こんなところにと思うが、熊の餌がないのが原因か?畳平は食堂等があり、 | |||
餌には不自由しない場所と分ると今後も出没する可能性もある。) (完) |
2009. 9.27 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで!(8) |
マウイよいとこ一度はおいで! (8) | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
8話「イベントとフェスティバル好きなハワイアン」 | |||
マウイ島の主なイベントは以下のものである。小さなものは割愛したが、マウイ島 | |||
はもとより、ハワイ全体がいつも楽しいイベントとフェスティバルでいっぱいである。 |
1月上旬・・「メルセデス・チャンピオンシップ」 |
カパルア・ゴルフ・クラブのプランテーション・コース |
||
賞金総額3億円ともいわれ、世界のトップ | |||
・プロがマウイに集まり、7,000ヤードを | |||
越す難コースを競うPGAツアーは有名で | |||
ある。 <カパルア・ゴルフ・プランテ− | |||
ション・コースで開催> | |||
1月中旬・・「フェスティバル・オブ・フラ」 | |||
マウイ島のフラ同好会グループなどが一堂 | |||
に会し、フラの妙技を競うフェスティバル。 <ラハイナで開催> | |||
1月下旬・・「フラ・ボウル」 | |||
全米の大学のオールスター選手によるアメリカン・フットボール、伝統 | |||
のスポーツ・イベント。 <ワイルクで開催> | |||
2月上旬・・「チャンピオンシップ・スキン・ゲーム・アット・ワイレア」 | |||
ジャック・ニクラウス、アーノルド・パー |
スキン・ゲーム(2007年ジャック・ニクラウスとトム・ワトソン選手) |
||
マーなど往年の名選手が高級リゾート地・ | |||
ワイレアに集結し、技を競い合う伝統のゴ | |||
ルフ選手権。 <ワイレア・ゴルフ・クラ | |||
ブ、ゴールドコースで開催> | |||
2月上旬・・「チャイニーズ・ニュー・イヤー」 | |||
中国暦の旧正月を祝うお祭、獅子舞や中国 | |||
伝統武道の演舞披露や多くの露店で賑わう。 | |||
<ラハイナで開催> | |||
2月中旬・・「マウイズ・ホエール・デー・セレブレーション」 | |||
鯨、海、マウイの自然環境をテーマにしたイベントやパレードなど。 | |||
<キヘイで開催> | |||
3月中旬・・「オーシャン・アーツ・フェス・イン・ラハイナ」 | |||
海をテーマとした芸術祭でマウイ出身のア |
観光スポットから下を見れば鯨の遊泳 |
||
ーティストの絵画展をはじめ、フラダンス、 | |||
ミニコンサート。 <ラハイナで開催> | |||
同 ・・「クイーン・カアフマヌ・フェスティバル」 | |||
カアフマヌ女王の業績をたたえ、同王妃の | |||
名前が付けられているショッピング・セン | |||
ターでフラダンス・ショーやコンサート、 | |||
レイつくり教室で賑わう。 | |||
<カフルイで開催> | |||
4月中旬・・「バニアン・ツリー・バースディ・パーティ」 | |||
ラハイナの名所、バニアンの大樹を祝うお |
会場となる巨木バニアン・ツリー |
||
祭。パーティ、アート・ワークの展示、ラ | |||
イブなどで賑わう。 <ラハイナで開催> | |||
5月1日・・「レイ・デー」 | |||
家族や愛する人に感謝の心を込めてレイを | |||
贈るハワイ全島のお祭り。レイ作りコンテ | |||
スト、レイ・クイーンコンテスト、ハワイ | |||
アン・ミュージックのコンサートなど各種 | |||
のイベントが開催される。 <ハワイ全島/マウイではワイレアで開催> | |||
6月上旬・・「カメハメハ・セレブレーション」 | |||
カメハメハ大王の功績をたたえるフェスティバルで大王像にレイをかけ | |||
て、マーチングバンドとフローラル・パレードが行われる。 | |||
<ラハイナで開催> | |||
6月中旬・・「マウイ映画祭」 | |||
野外に特設されたステージで、ハリウッド・セレブたちも訪れるという | |||
恒例の映画祭も今年で第9回を迎える。 <ワイレアで開催> | |||
同 ・・「ウインドサーフィン・スラローム・チャンピオンシップ」 | |||
毎年、貿易風が吹くベストシーズンに行われるスラロームレースのビッ | |||
グ・イベント。 <カフルイで開催> | |||
7月4日・・「インデペンデンス・デー・フェスティバル」 | |||
ご存知、アメリカの独立記念日に合わせて、 |
マウイ・オニオンの早食いコンテスト |
||
ラハイナで花火が 打ち上げられる。 | |||
<ラハイナ他で開催> | |||
8月上旬・・「マウイ・オニオン・フェスティバル」 | |||
特産品の玉葱に因み、料理コンテストや生 | |||
の玉葱早食いコンテストなどのエンターテ | |||
インメントなどで賑わう。 | |||
<カアナパリのホエラーズ・ビレッジ> | |||
9月中旬・・「アロハ・フェスティバル」 | |||
ハワイ州最大のイベント。ハワイアン・ミュージックとフラを中心に、 | |||
ハワイ文化に関する展示やイベントやパレードも盛大に開催される。 | |||
<ハワイ全島で開催> | |||
同 ・・「マウイ・マラソン」 |
完走して喜ぶランナー |
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現在はホノルル・マラソンの方が有名であ | |||
るが、ハワイで一番古いマラソン大会で、 | |||
カフルイからカアナパリまでのフル・コー | |||
スで開催される。 | |||
(ゴール地点では楽しいイベントも開催) | |||
<カアナパリ> | |||
10月下旬・・「ニッサン・エクステラ・ワールド・チャンピオンシップ」 | |||
優勝賞金10万ドルといわれる世界屈指のトライアスロン・レース。南マ | |||
ケナを舞台にハレアカラ火山の裾野まで走破するオフロードレースで、 | |||
世界のトライアスロン・アスリートが競うビッグなスポーツ・イベント。 | |||
<マケナで開催> |
ラハイナでのハロウイン・イベント風景 |
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10月下旬・・「ハロウイン・イン・ラハイナ」 | |||
ハワイでも最も有名なハロウイン・イベン | |||
トの一つで、仮装パレードが盛大に行われ | |||
<ラハイナで開催> | |||
11月上旬・・「アロハ・クラシック・ウインドサーフィン・チャンピオンシップ」 | |||
世界中から一流の参加者を集めての世界で |
ウインド・サーフィン |
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最大級のウインド・サーフィン大会。 | |||
<ホオキパ・ビーチ> | |||
12月上旬・・「クリスマス・ライティング・オブ・ザ・バニアン・ツリー」 | |||
バニアン・ツリーがクリスマス・イルミネーションでライトアップされ | |||
最高の賑わいとなる。南国のクリスマスを迎えるムードがいっぱい。 | |||
<ラハイナで開催> |
2009. 9.13 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで!(7) |
マウイよいとこ一度はおいで! (7) | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
7話「マウイ島で楽しむスポーツとアクティビティ」 | |||
マウイ島・カフルイ空港(OGG)に到着し、荷物受取場やレンタカー事務所で、当 | |||
地の「Drive Guide」、「Maui Island Guide & DRIVING Magazine」、「MAUIVISIT | |||
OR」「Maui Driving MAP」などの冊子や資料を集める。島内の道路マップの他、観光 | |||
ガイドやスポーツ・アクティビティの広告と割引クーポン券がついている。レストラ | |||
ン、ショッピング、ルアウ・ショーや各種アドベンチャー・ツアーの割引クーポン券 | |||
はよくチェックすると結構得をすることが多い。 | |||
「Maui Island Guide & DRIVING Magazine」を例にページを開くと、スノーケル | |||
の名所・モロキニ・スノーケル・クルーズ、サンセット・ディナー・クルーズ、ヘリ | |||
コプター・ツアー、ホエール・ウオッチング(季節により海亀やイルカ)、森林と渓 | |||
谷をロープと滑車でスリルと冒険を楽しむハレアカラ・スカイライン・ツアー、ハレ | |||
アカラの火口散策、ハレアカラの頂上で日の出を見た後、頂上から麓まで一気に下る | |||
自転車ツアー、マウイでは一箇所しかないスポーツ・クレー射撃、スポーツ・フィッ | |||
シング、ルアウ・ショー、サーフィング、乗馬によるエコ・アドベンチャー、カヤッ | |||
ク、バギー・カーによるオフロード・ツアー、パラ・グライディング、パラセーリン | |||
グ、サブマリン“アトランティス号”による海中探索、ジェット・スキー、パラセー | |||
リング、ゴルフ等々、盛りたくさんのスポーツとアクティビティが紹介されている。 | |||
オアフ島は別にして、マウイ島は少し長めに滞在し、ゴルフやいろいろなアクティビ | |||
ティを楽しむところである。 | |||
(写真注)パロット・フィッシュ=マウイ島マケナ地区 | |||
アヒヒ・キナウ湾で見られる緑色のパロット・フィッシュ | |||
スノーケルを楽しむ |
パロット・フィッシュ(雄) |
パロット・フィッシュ(雌) |
ホエール・ウオッチング |
ワイレア・ゴルフ・クラブ |
マウイ島のサンセット |
お薦めはスノーケル、ホ |
ハレアカラの日の出 |
ハレアカラ山頂上から一気に降りるバイク・クルージング |
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エール・ウオッチング、そ | |||
れに島内15ゴルフ・コース | |||
で楽しめるゴルフである。 | |||
マウンテン・バイクに自信 | |||
のある方はハレアカラ頂上 | |||
からのスリルを味わうのも | |||
一生の思い出となるだろう。 | |||
ただし、技術的に問題があると判断されると事故防止のため、伴走車に無理矢理にピ | |||
ックアップされてしまうことを知っておかなければならない。 |
2009. 8.23 | 三橋 | マウイよいとこ一度はおいで! (6) |
マウイよいとこ一度はおいで! (6) | 茅ヶ崎市 三橋春夫 |
6話 マウイ島の魚 | |||
マウイ島で生活してゴルフは別として、夫婦ではまったことはスノーケルと食卓を | |||
飾るマグロ(赤身)の刺身である。 | |||
友人を同行したときは、宿泊先のロング・ステイ用のホテルの部屋で私が料理をし | |||
食事に招待するが、和食の場合、必ずマグロの刺身を一品添える。 | |||
友人は口を揃えて、「ハワイの刺身って美味しいの?」と言う。しかし、皆さん食 | |||
べてみて、びっくりする。実に美味しいのである。理由は、冷凍でないことである。 | |||
釣れたてのマグロがそのままスーパーの魚屋に並ぶからである。 | |||
残念なことに、普通のアメリカ人で寿司を食べたことのある人でも、赤身は食べる | |||
がトロの部分は余り食べないのでスーパーの魚屋では買うことができない。ある人が、 | |||
こんなことを言っていた。「食べないトロの部分は日本料理店が安く買い、寿司とし | |||
て日本人相手に高い料金で食わしていると・・」、はて?はて? 本当であろうか? | |||
マグロの刺身の話しはこれで終りとして、マウイ島のキヘイからワイレア地区の沖 | |||
に三日月型をした岩(モロキニ島)がある。ここはマウイ島で最も人気のあるスノー | |||
ケルが楽しめる最高のスポットである。 | |||
スノーケルで人気のモロキニ |
停泊中のスノーケル・ツアーのボート |
早朝、マウイ島・女王様 | |
の顎の部分にあたるマアラ | |||
エア港から多数のモロキニ・ | |||
スノーケリング・ツアーの | |||
船が出港する。小1時間程 | |||
度で到着するが、三日月型 | |||
の停泊地は30〜40隻ほどの | |||
大小のクルーズで一杯とな | |||
る。 |
海中は魚でいっぱい!1 |
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停泊場所から岩場まで40〜50mは水深10mくらいあろ | |||
うか? 自信のない人は、浮き袋をつけて岩場近くに向 | |||
う。スノーケルのスポットは溶岩噴火の火口跡で、海底 | |||
はサンゴ礁のため透明度は最高である。ウミガメや色と | |||
りどりの魚、エビ、ウツボまで種類が豊富である。岩場 | |||
からの距離、深さによりいろいろな種類の魚を観賞でき | |||
る。 | |||
海中は魚でいっぱい!2 |
今までモロキニ島を除いて5箇所でスノーケルを楽し | ||
んできたが、中でも私たちが宿泊するワイレア地区から | |||
二番目に近いマケナ地区の先、アヒヒ・キナウという小 | |||
さな湾はどちらかというとビギナー向けであるが最高の | |||
スノーケルの場所である。直径80m くらいの湾状になっ | |||
ており、岩が無数にあるため、その範囲内では、どこも | |||
足が届く深さである。そのほぼ中央は腰の深さ程度であ | |||
るが、生息する魚の種類は非常に多く、お気に入りのス | |||
ノーケル場である。そこには70cmくらいのパロット・ |
大きなウミガメ |
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フィッシュの雄雌がおり、毎回会うことを楽しみに訪れ | |||
る。 | |||
ここでの思い出は、3年前、100mくらい外に出た岩場 | |||
で、甲羅が1m 以上の大きなウミガメ二匹を見たときは | |||
本当に感激した。 | |||
スノーケルを楽しめるアヒヒ・キナウの入江 | |||
スノーケルの楽園アヒヒ・キナウ |
アヒヒ・キナウは魚の禁猟区であり、餌を与えること | ||
も禁止されている。日曜日にはボランティアの人がスノ | |||
ーケルについての注意事項を説明して回っている他、州 | |||
のレンジャー・スタッフが常時パトロールしながら安全 | |||
と環境保護に努めている。 | |||
日本人はほとんどお目にかからないが、たまに来るら | |||
しく、ボランティアの男性が私たちに寄ってきてスノー | |||
ケルについての注意事項を話した後、私たちが日本人と | |||
知り、持っていた国別の説明書の内、日本語の説明書(空白であった)を取り出し、 | |||
英語の説明書を訳して、日本人用にローマ字で書いてくれと言われて家内と書いたこ | |||
とがある。その彼は、日曜日にアヒヒ・キナウへ行くと熱心にボランティア活動を行 | |||
っている。たまに訪れてくる日本人に対して、私たちが書いた日本語説明書が役立っ | |||
ているかも知れない。 | |||
環境保護に力を注いでいるマウイ島で一度こんなことがあった。ホエール・ウオッ | |||
チング・クルーズに参加したとき、当時、風が強く、参加した乗客がビニールの袋を | |||
飛ばしてしまった。それを見たクルーズのスタッフが船を停船させ、海に飛び込み海 | |||
面に浮いているビニール袋を回収した。スタッフ曰く、「鯨やイルカがこれらを飲み | |||
込み死ぬ恐れがあるので回収したのだ」という。「そこまでやるの・・?」と改めて | |||
感心した次第である。 | |||
話は反れるが、アメリカ人の鯨に対する思い入れは、我々日本人には理解できない。 | |||
哺乳動物であり、12月から4月はじめころまで、マウイ島付近にいる鯨は子育て中の | |||
ファミリーでいっぱいである。確かに船上から見る子どもの鯨が、母親にぴったり寄 | |||
り添いながら泳いでいる姿は微笑ましい。泳ぎ方、息の仕方、餌の取り方などを教わ | |||
っているようだ。 | |||
そのころ、マウイ島を訪れるアメリカ本土の観光客は、アメリカ東部や西部でもシ | |||
アトルとか寒さを逃れてくる人がほとんどである。ときには、初めて海を見たという | |||
中央部の州の観光客も多い。それら観光客は、鯨を見て、「ベリー キュート!」とい | |||
う。海中音響で聞く鯨の声は図体の大きい割りに、かわいい声を発している。子ども | |||
を親鯨の潮吹きで上空に跳ね上げる姿を見たのなら、キュートの意味が理解できる。 | |||
しかし、あのグロテスクな顔を見て本当にかわいいと思うのだろうか?これ以上、批 | |||
判を書くとバッシングを受けるのでやめておきたい。 | |||
話しを戻して、いつものようにスノーケルを楽しみ岩場で体を温めていると、太っ | |||
た男性がダイビング・ショップかABCストアで買ったと思われる下敷き大のハワイ | |||
の魚の写真と名前が描かれた写真を見せながら、誰かまわずに、「こんな大きな、こ | |||
の魚を見た!」と興奮して話しているのを見て、家内と大笑いしたことがある。そこ | |||
は、私たちと同じ!両手で示す魚の大きさが段々大きくなっていくのである。 | |||
アヒヒ・キナウでよく見る魚をご紹介しよう。 | |||
BUTTERFLY・FISH |
悠々と泳ぐGRAY・CHUB |
Bullethead・Parrotfishの雄 |
CONVICT・TANG(シマハギ) |
ウツボ |
Bullethead・Parrotfishの雌 |
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パロット・フィッシュの雄はグリーン色、雌はくすんだ赤茶色で、名前のとおり、 | |||
口はオウムのような形をしているので、この名前がついたのであろう。岩場の付着物 | |||
を食べるのであろうか?岩に口をぶっつけている姿を見かける。一方、ハワイ語でネ | |||
ムエ(英語名:GRAY CHUB)と呼ばれる40cm 前後の魚は、他の魚は熱帯特有 | |||
の色をした魚の中では、見るからにまともな立派な魚である。刺身にしたら美味しそ | |||
うな魚である。 |