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故人・小田 茂様を偲んで |
2023年11月27日(月)に東京計器OBの小田 茂様が亡くなられました。享年87歳 |
でした。故人は、東京計器一筋に、しかも人事・労務部門のプロマネージャーとして |
会社に多大な貢献をされた人だと思います。私が1979年に人事部に異動となってから |
16年間、同じ部署の大先輩としてまた偉大な上司の下で働かせていただきました。特 |
に部下への動機づけ、的確な指示、決断の速さ、面倒見の良さが際立っていました。 |
難しい労務問題に直面しても堂々とひるむことなく、真摯に取り組んでいました。ま |
た直属の部下でないときにも声かけていただき、飲み会にも誘っていただきました。 |
私が60才で東京計器を退社してからも、数回にわたって、7月下旬には自宅に数家族 |
を招待し、屋上で楽しい納涼会を開催していただいたのを思い出します。コロナ禍で |
好きな散策や種々の碑巡り等ができなくなったことが、生命力を縮めたのではないか |
と拝察いたします。優しい奥様と最後まで自宅で過ごされた故人は、体調が急変して |
洗面所で倒れた時も眠るように息を引き取られたと奥様からお伺いしました。奥様に |
最後まで看取られて旅立たれました。幸せな人生に献杯です。いつまでも安らかにお |
眠りください。 |
合 掌 |
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ここに、奥様からの会葬の礼のご挨拶文を掲載させていただきます。 |
いつかまた会いましょう |
現役時代の夫は、一途といえるほど仕事に打ち込んでおりました。面倒見の良さと |
決断力、そして何でも率先して行う姿勢を発揮しながら朝早くから夜遅くまで働いた |
日々。忙しかったものの、家族のためにという一心で頑張ってくれたのでしょう。親 |
子で過ごす時間も大切にし、毎年キャンプや旅行に連れて行ってくれました。子供三 |
人に恵まれて嬉しかったと話しておりましたが、その気持ちは私も同じです。夫婦で |
家庭を築き、子供たちに囲まれ、今年一緒にダイヤモンド婚を迎えられたことはこの |
上ない幸せでした。これまでの楽しい人生を支えに、また会える日まで前を向いて歩 |
んでまいります。 |
皆様から、生前賜りましたご厚情に深く感謝申し上げます。 |
小田 節子 |
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小田さん一家との海外旅行の思い出 |
(1993年12月30日〜1994年1月4日) |
1993年の暮れに、労働組合の配布パンフレットで「年末年始をパリで過ごすツアー」 |
を知った小田さんからお誘いを受けこの企画に参加することになりました。小田家4 |
人(ご夫婦、長男、次女)、鈴木家4人(夫婦、麻子(14才)、健也(13才))の8 |
人です。出発間際になって、この企画がダブルブッキングであることがわかり、更に |
パリへの直行便ではなくシカゴ経由になったとの突然の知らせがありました。旅行代 |
理店からは、旅行代金の全額返金の申し入れもありましたが、小田さんの奥様から |
「世界一周できるなんて、ラッキーだよ、皆で行きましょう」との前向きな発言があ |
ったのと、我が家の子供達も世界一周への興味があったので、皆で参加することにな |
りました。この時の旅行記録が残されていましたのでご紹介させていただきます。 |
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・12月30日(木) 成田の第2空港にツアー御一行様が集合 |
12時10分にJAL便でシカゴに向かいました。シカゴオ |
シカゴ・ミシガン湖畔 |
ヘア国際空港に9時に到着しましたが、日中の最高気 |
温がマイナス2度と寒かったです。何でも最低気温はマ |
イナス19度とかで我が故郷、北見市より寒いです。 |
シカゴ市内の観光巡りは、科学産業博物館、マイケル・ |
ジョーダン経営のレストランで昼食、当時、世界一高い |
シアーズタワーを見学しました。シカゴは人口300万人、 |
全米3位の都市。商工業を柱とした経済の中心地であり |
ながら、冬とはいえ、こんなに寒さの厳しい街にそんなエネルギーがどこから生まれ |
てくるのかと疑いをもったほどでした。バスの中から見たシカゴは、街には人の姿が |
なく、じっと春までエネルギーを蓄えているようでありました。この日の17時にオヘ |
ア国際空港を出発しパリへ向かいました。 |
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・12月31日(金) 小雨 |
ノートルダム寺院 |
8時40分に憧れのパリ(オルリー空港)に到着しました。 |
天候は小雨でしたが、観光バスで市内名所巡りがスタート |
しました。ノートルダム寺院を観てから、バスの中からオ |
ルセー美術館、コンコルド広場、シャンゼリーゼ通り、凱 |
旋門、エッフェル塔を見ました。午後は自由時間となった |
ので、オルセー美術館に向かいました。待ち時間1時間あ |
りましたが、有名なモネ、ゴッホ、セザンヌ、ルノワール |
の絵を鑑賞して少しは絵画通になった気分になりました。 |
その後、シャンゼリーゼ通りの素晴らしいイルミネーションを見ながら歩いて凱旋門 |
に到着しました。凱旋門は夜景の美しさが際立っていました。肝心のナポレオンは生 |
存中にこの凱旋門を通ることができなかったとのことです。皮肉な出来事です。 |
地下鉄を利用してホテル「プルマン-サンジャック」に到着しました。夕食はホテル |
の隣にある日本料理店「じゅん」で食べましたが、天ぷらそばが90フラン(1800円相 |
当)には驚きました。 |
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・1月2日(日) 晴れ |
ベルサイユ宮殿 |
朝食のため食堂に行くと、東京計器社員の万名 和義 |
さんに会いました。別の団体で昨日パリに到着したとの |
ことでした。まさか、パリで出会うとはお互いに思いも |
せず、本当にびっくりしました。 |
この日、小田さんの息子さんが別行動となり、残され |
た7名は不安な気持ちでベルサイユ宮殿を目指しました。 |
高速地下鉄を利用するのですが、誰も切符の買い方がわ |
かりません。そこに現れたのがパリの親切な若者でした。 |
見るに見かねてでしょうか、私たちに対して懇切丁寧に |
カフェ・レストラン |
買い方を教えてくれました。やっとの思いで辿り着いた |
ベルサイユ宮殿は物凄い迫力がありました。こんなにも |
豪華で贅沢な建物をよく築いたものだと変な感動をして |
いました。その後、昼食はエッフェル塔近くのカフェ・ |
レストランでホットドックとサンドイッチを食べました |
が、いずれも大きく、硬くて食べるのに苦労しました。 |
その後、ルーブル美術館に向かいミロのビーナス、モナ・ |
リザを観てきました。かの有名はモナ・リザの前には多くの観客がいました。意外に |
も、実物は思っていたより小さな絵でした。 |
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・1月3日(月) 小雨 |
凱旋門の屋上から |
パリ滞在の最後の日です。午後2時までフリー行動と |
あって、凱旋門の屋上に上がってきました。あいにくの |
雨でしたが、凱旋門からは12の道路が放射線状に出てい |
るのが良く分かりました。エッフェル塔が雨の中に霞ん |
で見えたのが印象的でした。その後はデパート、ギャラ |
リ・ラファイエットを訪ねて、特に女性陣は最後のショ |
ッピングを楽しんでいました。 |
いよいよ、パリとのお別れです。14時40分にホテルロ |
ビーに集合し、ドゴール空港に向かいました。そして、17時45分発のカンタス航空で |
フランクフルトに向けて出発しました。このフランクフルト空港は世界一広い空港で |
あり、山手線の内側と同じ広さがあるとのことでした。スケールが違うと思いました。 |
20時50分発のJAL便でフランクフルト空港を出発して日本に向かいました。 |
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昨年に続いて三斗小屋温泉を目指しての登山愛好家7人が黒磯駅に集合した。今回 |
の東京組は、永野隊員(健保組合)が加わって3人となり、横浜から3時間半かけて |
9時50分に到着した。待っていた地元の常連組4名と合流し、10時には黒磯駅を車2 |
台で出発した。 |
早速、昼食と夜のアルコールと摘まみを仕入れに地元スーパーのダイユー那須高原 |
店に向かう。手持ちのリュックが購入物の分担で重くなるが、夜の宴会の為と思えば |
我慢できる。次に、峠の茶屋駐車場に向かう。ここでは村田隊員(福島から参加)が |
先着して2台分の駐車場を確保して出迎えてくれた。何でも2時間前から待機してい |
たとのこと。元気な長老に感謝する。昼食を食べながら今後の予定や雑談を交わし、 |
登山スタイルに整える。各人が7s〜12sのリュックを背負って登山の開始である。 |
時は11時50分を刻んでいた。 |
出発地点 |
中の茶屋跡 |
未だ、歩き慣れない段階で |
の急坂登りはきつい。この |
先が思いやられるが、最初 |
から必死になって着いてい |
く。唯一の救いは、この地 |
点が1000mの高地で下界とは |
5度近く気温が低く、さわ |
やかな風が心地よい。途中、中の茶屋跡で休憩し、12時には峰の茶屋に到着する。こ |
の地からみる周囲の眺望は、素晴らしいパノラマを見せてくれる。途中の辛さを忘れ |
延命水 |
大黒屋本館 |
て癒される。夏休みに入っ |
たこともあり、登山客が多 |
く、家族連れ、友達同士、 |
観光バス利用の登山客等が |
目立った。目的地の三斗小 |
屋温泉は、この峰の茶屋か |
ら約3km下山したところ |
にある。下山の途中には有 |
名な「延命水」が流れていて、登山者は休憩を兼ねて、至福の冷水をいただくのであ |
る。付近にはトリカブトという怖い草も生えていて注意を要した。森林の山道を歩く |
こと2時間半、やっと三斗小屋温泉に到着した。時は午後2時45分。この三斗小屋温 |
泉は1142年に発見されたとのことで、その後旅館が増えて1869年(明治2年)までは |
5軒あったが大正時代には煙草屋と大黒屋の2軒になっている。前回は煙草屋に泊ま |
り、今回は大黒屋に泊まることになった。大黒屋の別館は大部屋がいくつかあって、 |
8名の団体も20畳部屋で余裕をもって利用することができた。隣の本館には岩風呂と |
大風呂があり、男女交互に1時間毎に入れ替えとなる。大風呂の湯温度は44度あり驚 |
くほど熱くて湯船に入ったら、じっとして動かない人が多い。 |
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さて、旅館に到着して直 |
ウッドデッキ |
大部屋 |
ぐに懇親会が始まった。険 |
しい山道を背負いながら持 |
参したアルコールと摘まみ |
を取り出して、中庭のウッ |
ドデッキで酒盛の開始とな |
った。時は午後3時半であ |
った。飲みっぷりがよく、 |
次々と運んできた缶ビールが消えていく。購入してきた摘まみに加えて、磯隊長の広 |
大な農地で取れたきゅうりの朝漬けと枝豆が最高にうまかった。また、田代隊員が登 |
山用のコンロを持参して作った「ジャーマンポテト」も大胆な味付けが好評でその場 |
でなくなった。未だ、缶ビール、日本酒、ワイン等の在庫はたっぷりあった。途中で |
お風呂に入る者もいたが一次会は6時半の夕食まで続いた。夕食は各人のお膳が大部 |
屋に運ばれてきてご馳走になる。品数も多く美味しくいただいた。その後、二次会が |
再開し、飲みながらの談笑が続いていた。中でも村田隊員が語る人生訓話は、よくし |
ゃべれるなと感心して聞いていたが、「人生は年齢による老いよりも心の老いの方が |
恐い。何でもいいから新しいことにチャレンジしてみよう」という含蓄ある言葉に頷 |
いた。消灯の時刻9時を迎え、名残り惜しみながらも大部屋に全員が枕を並べて就寝 |
となった。その後は覚えていない。皆さん、眠りに着くのが早かったようだ。 |
朝 食 |
牛ヶ首方面 |
翌朝は、外から聞こえる声 |
で目を覚ました。5時半ごろ |
に起きて中庭にでたら、既に |
磯隊長がモーニングコーヒー |
を沸かして隊員に振舞ってい |
た。実に爽快な気分で山中の |
朝を迎えた。何という、隊員 |
思いの優しい隊長であろうか。 |
朝食は6時半に料理御膳を部屋に運んでくれた。7時半に大黒屋を出発し、峰の茶屋 |
を目指す。登りはきつく、しかも長いとあって苦労した。9時頃に峰の茶屋に到着し |
た時には、反対側から続々と登ってくる登山者の姿があった。間違いなく昨年より登 |
山客が増えていた。峰の茶屋から牛ヶ首方面に少し寄り道して眺望の良い景色を観て、 |
村田隊員とお別れし出発地の駐車場に向かう。初参加の永野隊員は、心配していた足 |
痛もなく無事下山できたことを喜んでいた。9時40分に出発地点の登山指導センター |
に到着した。 |
2日間の「楽しい三斗小屋温泉の登山旅」が終わった。 次回も元気であれば参加 |
したいと思う。 |
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3月:謎の老人「継続は医術なり」 |
大楠山の国際湘南村コースから山頂経由で反対側の芦 |
謎の老人 |
名口コースを下山中に、丁度登ってくる老人に出会った。 |
通りすがりに声をかけてみた。曰く、大楠山には20年前 |
から毎日登っているという。訳を尋ねると、昔、肺気腫 |
に罹り、医者からこのままでは酸素ボンベを引きずって |
歩くようになると言われ、それが嫌で、山登りを始めた |
とのこと。そのご利益もあってか、酸素ボンベの世話に |
ならずに健康で過ごしているとのこと。年明けて1月12 |
日に登っていると偶然にも再会した。御年82才の老人は、この日も日課として大楠山 |
を元気に歩いていた。「継続は医術なり」を実践していた。山の神様のご加護もある |
ようだ。名前を尋ねると「熱海の先だよ!!」とのジョーク交じりの返事があった。 |
伊東さん、これからもお元気で!! |
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8月: 吾輩は猫である |
山の主:猫 |
しばらく雨が続いた後での登頂である。心配された登山 |
道のぬかるみも、ぎりぎりで滑ることなく登ることができ |
た。頂上手前の芦名口コースの分岐路で、昼寝をしている |
猫と出会った。私の姿や足音を聞いても逃げることなく、 |
じーと私を凝視し、私の目指す道をふさいでいるのだ。私 |
も平静を装って行く手を阻む猫のそばを緊張しながら歩み |
を進めた。猫との睨み合いは10秒程度であったが長く感じ |
た。何事もなくすれ違うことができたのだが、山中にいる |
あの猫の正体が気になった。かわいそうな捨て猫とは思えぬ図太さからは、吾輩は猫 |
であるが、「人類よ、ウクライナ問題を早期に解決しなさい」と叱咤しているように |
感じた。 |
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7月23日〜24日の日程で、那須岳の山登りに参加してきました。参加のきっかけは、 |
5月下旬に、友人の竿田史郎さんから、那須岳登山に参加するけど、一緒にどうです |
かとの誘いを受けました。偶然にも、年初に今年は山歩きに注力して足腰を鍛えなお |
すことを目標に掲げていて、月に2回〜3回程度、三浦半島で一番高い大楠山〈242m〉 |
に登っていたところでした。百名山の一つである那須岳(茶臼岳)は、標高1915mと |
初心者の私にとっては脚力以上の高山であり、不安がありましたが、「こちらこそ宜 |
しくお願いします」ということで仲間に加えていただきました。 |
この登山仲間は、元々、40年近く前から、潟gーテックの登山仲間でスタートした |
という歴史のあるチーム(団体)と聞いております。 |
参加メンバー |
今回参加されたメンバーは、磯秀夫隊長以下、隊員とし |
て村田秀行、竿田史郎、海老根嘉男、小林一則、 |
田代勝広、中里弘之、鈴木富雄の8名でした。 |
当日〈23日〉は、JR黒磯駅に午前10時に7名が集合し、 |
途中、ヨークベニマルで昼食弁当と夜の飲料水 |
(アルコール)を買い出しして、出発地の近くの県営の |
駐車場に向かいました。ここでは、長老〈74歳〉の村田 |
隊員が白河(福島県)から既に到着し、満車に近い駐車場で後続車2台の駐車スペー |
スを確保して待っていました。本当に優しい方です。皆で昼食を済ませていよいよ目 |
指すは那須岳です。見渡す限りの山々が並んでいます。那須岳といえば、茶臼岳のこ |
とをさすようですが、茶臼岳、朝日岳、三本槍岳のことであり、さらに南月山、黒尾 |
谷岳を含めて那須五岳というそうです。 |
絶 景 |
磯隊長が隊員の登山者カードを提出し午前11時40分に |
出発しました。心配された雨の不安もなく、目指すは |
「峰の茶屋跡」でした。各隊員は約7kg〜10s超の荷物 |
を背負って、しかも驚くほどの急斜面の連続で、初参加 |
の鈴木隊員は皆さんに遅れをとらないようにと必死でし |
た。途中、休憩を取り、12時45分に「峰の茶屋跡」に着 |
きました。気温が18度と涼しく、山々と青空の景色が素 |
晴らしく、最高の気持ちでいると俄かに、強風が吹き激 |
しい雨が降ってきました。山の天気の移り変わりの速さを実感しました。急遽、ポン |
チョを取り出して、宿泊先の三斗小屋温泉を目指して歩き始めました。雨は15分程度 |
でやみました。今度は下りです。足場を探して降りるのが難しく、且つ地滑りに注意 |
をしながらで、登りより気 |
延命水 |
煙草屋旅館 |
を使っての歩行となりまし |
た。途中、山道脇にある岩 |
の間から流れる岩清水は |
「延命水」と呼ばれ、ひん |
やりとして自然の恵みを感 |
じさせてくれました。元気 |
で長寿になればとの思いを |
込めて延命水をいただきました。三斗小屋温泉にある宿泊先の「煙草屋旅館」には |
午後2時半頃に到着しました。この温泉は1142年に発見され、未だに続いているとの |
ことです。自然に恵まれた静かなる秘境で、野天風呂や共同風呂に浸りながら、癒さ |
れる一時がリピート客を呼んでいるのでしょう。 |
祝 宴 |
旅館に着くや否や、持込のアルコールで祝宴の開始で |
す。下界から苦労して持ち運んだ飲み物は、苦労と愛情 |
が混ざりあって格別の味でした。あっという間にビール |
がなくなりました。途中、野天風呂や共同風呂に入れ替 |
わり入って、夕食を終えてからも談笑が絶えず、特に、 |
長老の村田隊員は元気で、その語り口は、時を忘れて、 |
独演場と化し、お開きの21時の消灯があっという間にき |
た感じでした。飲み過ぎて、野天風呂には入りそびれた |
人もいたとか。 |
翌朝は6時半に朝食をとり、7時半に旅館を出発しました。前日の登山の後遺症を |
心配しましたが、思っていたよりも足取りが軽く感じられ隊列の中程に位置取りして |
上りの山道を歩きました。途中で前日に寄った岩清水の延命水を飲んで、いざ出発と |
いう時に、某隊員がこの草は「トリカブト」だよと言って皆を驚かせ、延命水ならト |
リカブトを食べても大丈夫かなと言いながら険しい登り坂を、杖を頼りに踏ん張り続 |
けました。「峰の茶屋跡」には午前9時頃に到着し、後は下りが待っているだけです。 |
この日は日曜日とあって、 |
こんにちは |
登山歩道案内図 |
登山口から沢山の人達が昇 |
ってきました。高校生集団、 |
老夫婦、若い親子連れ等々 |
でいかに多くの人から親し |
まれ、愛されている山々で |
あることを感じ取りました。 |
登山道ですれ違いに交わす |
言葉「こんにちは」も下山者の声が大きいようでした。もう直ぐ、終着点であり、自 |
然と元気がでてくるのでしょうか。登山口には午前10時に、磯隊長以下8名の隊員は |
誰一人として怪我をおうことなく無事に下山し、一泊2日の山行を終えました。来年 |
も山行の話があれば参加したいと思っています。 |
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2016年から始めた日本100名城訪問スタンプ押印を2021年11月に完了したので旅の |
途中立ち寄り、ご紹介したい風景や温泉の感想を含めて旅行記風に纏めてみました。 |
「日本100名城」とは交易財団法人日本城郭協会が |
写真1:日本100名城へ行こう |
(1) 優れた文化財・史跡であること (2) 著名な歴史の |
舞台であること (3) 時代・地域の代表であること を |
基準に平成18年に選定されました。各都道府県に一か |
所以上あります。尚、その後選定された「続日本100名 |
城」もあります。立ち寄った温泉については多分に私の |
好みで選びました。一部の温泉は城巡り以外の旅行の時 |
もあります。 |
日本100名城は各都道府県に散らばっており、地方ごとのバスツアーもあるようで |
すがそれではただの城から城への移動で折角の旅行もスタンプ集めに終わります。 |
また個人で公共交通機関の利用と一般宿泊施設の利用では私の年金の収入ではとても |
廻り切れません。そこで定年退職と同時期に購入したコンパクトなキャンピングカー |
で車中泊をしながら巡ることにしました。キャンピングカーの購入動機は城巡りを思 |
いつく前で、ただテントキャンプ後のテント干しなどのかたづけの面倒からの逃げで |
した。 |
写真2:私のキャンピングカー |
写真3:キャンピングカー内部(1) |
写真4:キャンピングカー内部(2) |
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第一部 北海道、東北編 |
キャンピングカーの旅目的の一つに北海道の雄大な所の走破があり、毎年6、7月 |
に予定していました。2016年、2017年、2018年と3年連続で実行、そのルート上にあ |
る100名城を巡りました。宿泊は温泉施設併設の道の駅に、温泉施設が無い場合は近く |
の日帰り温泉で入浴後に道の駅に戻り車中泊です。100名城訪問日は下表のとおりで |
すが2016年の北海道は100名城訪問計画以前で100名城に絡んだ旅行は2017年、2018年 |
です。 |
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巡りきれなかった残り3城は2019年の北海道旅行の時を予定していましたが2019年夏 |
は私の体調の為、2020年は新型コロナウィルス感染の為、断念しました。2021年新型 |
コロナウィルス感染が落ち着いていた時期に東北一周しました。寄ったところを全て |
紹介すると紙面がとても多くなりますので目ぼしい所を私の記憶にから印象に残って |
いるのみ記載しました。 |
日本100名城の番号は北から振られています。写真5、6はスタンプ帳押印状況です。 |
No.1は根室半島チャシ跡群です。(写真7)根室岬へ向かう国道沿いにあり、観光施 |
設は全くない所で、注意深く走行しないと通り過ぎます。見た目はただの草原(くさ |
っぱら)です。周りのくぼ地が空堀と説明が無ければ判りません。 |
写真5:スタンプ押印状況(1) |
写真6:スタンプ押印状況(2) |
写真7:根室半島チャシ跡群 |
函館市にある五稜郭(写真8)は有名ですので行かれた方も多いかと思います。 |
有料ですが五稜郭タワーの展望室から眺めれば洋式星形城郭の全貌が見られます。 |
松前城(写真9)江戸時代末期に築城された日本式の最後の城です。天守は昭和24年 |
6月5日に類焼により焼失し、現在はコンクリートで再建されています。弘前城 |
(写真10)は北海道東北地方の唯一の現存天守です。内堀に面した石垣上にありまし |
たが、今は石垣修復の為天守をコロにより100m程移動中でした。中は見学ができまし |
た。例年5月のゴールデンウイークが桜の季節で有名ですが私の旅行期間ではないの |
で見たことは有りません。 |
写真8:五稜郭 |
写真9:松前城 |
写真9:松前城 |
根城(写真11)は八戸市にある戦国末期までの南部氏の城で本丸主殿や鍛冶工房な |
どが復元されています。盛岡城(写真12)の主要建造物は残っていませんが花崗岩の |
石垣は見事です。多賀城(写真13)は平安時代以前の国府で大和朝廷の力がここまで |
及んでいたことが実感できる所でした。中央の階段状の道は南へ延びる大路です。ネ |
ットによると南大門を令和6年の公開に向けて再建中だそうです。 |
写真11:根 城 |
写真12:盛岡城 |
写真13:多賀城 |
仙台城は伊達政宗が築城した城で別名青葉城です。本丸の石垣は見応えがあります。 |
残念なことに写真を撮り忘れました。久保田城は関ケ原の戦い以降水戸から秋田へ転 |
封された佐竹義宣が徳川家へ遠慮しての築城で高い石垣はありません。現存建屋は御 |
物頭御番所(写真14)のみです。本丸正門が木造で復元されています。山形城(写真15) |
は二ノ丸東大手門などが復元されています。よく映画のロケ地になるようです。 |
二本松城(写真16)は山上に中世山城、山麓に近世城郭の二つの顔を持っている城 |
です。戊辰戦争の戦地の一つです。 |
写真14:久保田城_御物頭御番所 |
写真15:山形城 |
写真16:二本松城 |
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以上で北海道・東北の100名城の訪問記ですが道中の観光名所、温泉にも立ち寄って |
いますのでポピュラーでないところを紹介します。 |
写真19:オロロンラインオトンルイ風力発電所 |
写真20:サクラの滝 |
写真21:開陽台 |
最初の北海道車旅のときの感激写真道から、(写真19)北日本海側オロロンライン |
オトンルイ風力発電所です。この先のサロベツ原野に向けてさすが北海道と感じる広 |
さです。海を眺めれば遠くに利尻岳が見えました。写真の人物の見苦しい所はご容赦 |
下さい。(写真20)一般の北海道旅行でまず行かない所で清里町にある「サクラの滝」 |
サクラマスの滝登り(遡上)が見られます。失敗しても失敗しても子孫繁栄のため滝 |
を越えなければならない、その生きざま感動です。(写真21)北海道の雄大な景色が |
見られる所(開陽台)、根釧台地の格子状防風林が見られます。 |
北海道の道は、いたるところで直線道路があり、渋滞 |
写真22:天に続く道 |
もなく気持ちよく運転できます。 |
(写真22)は「天に続く道」28.1kmの直線です。訪問 |
時は、曇り空で残念でした。 |
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東北地方の100名城巡りは北海道へ渡るフェリーの関係 |
で仙台までと青森までの通り道で中央部から太平洋側の |
100名城の訪問は都合よく行けましたが日本海側は、結局 |
残り3城のみの車旅となり、城巡りより観光と温泉が主となってしまいました。車旅 |
でよい所は、辺鄙な所でも寄る事ができる。まして一人旅ですので私の気分次第で寄 |
り道できます。2021年の東北一周は新潟から北上です。Google Mapで名所マークは寄 |
り道探しに便利です。(写真23)「笹川流れ」は新潟県村上市にある海岸景勝地で日 |
本100景に選ばれています。(写真24)はユネスコ世界遺産に登録「白神山地」12湖 |
の内の「青池」です。底まで透き通り底の枯れ枝が良く見えます。(写真25)は津軽 |
半島竜飛崎にある珍しい道で国道339号線の終端部は階段です(階段国道)車旅の人 |
には有名なところです。 |
写真23:笹川流れ |
写真24:青 池 |
写真25:階段国道 |
(写真26)は下北半島北端「大間」です。ここは本州から北海道へ渡るフェリーの |
最短ルートです。また「大間まぐろ」が有名ですが私のけちけち金なし旅には無縁で |
す。(写真27)は下北半島の北限の日本猿が道端にいました。(写真28)は下北半島 |
西側にある浸食海岸「仏が浦」です。当初の予定では観光船で写真下の堤防へ行く予 |
定でしたが、費用、車中泊予定地への時間の関係から断念しました。道路沿いの展望 |
台からの眺めです。 |
写真26:大 間 |
写真27:北限のサル |
写真28:仏が浦 |
(写真29)は下北半島東端「尻屋崎」寒立馬 Cameraを向けていたら睨まれました。 |
(写真30)は青森市内にある「三内丸山遺跡」です。竪穴式住居の復元がありますが |
私は他の縄文式復元住居と変わらないように見えました。(写真31)角館「武家屋敷」 |
の石黒家で現在も住まわれています。角館は江戸時代佐竹北家の所領で現在の秋田県 |
知事の佐竹敬久氏は21代当主だそうです。 |
写真29:寒立馬 |
写真30:三内丸山遺跡 |
写真31:角館の武家屋敷 |
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北海道、東北の車旅ではほぼ全日、温泉に入りましたがその中で私が好感を持てた |
温泉を紹介します。 |
(写真32)は「相泊温泉」です。知床半島太平洋側羅臼の先にあります。私が入浴 |
した時の写真ですが、その後周りに囲いが出来たようです。道のすぐ下で脱衣所もあ |
りませんでした。しかし知床半島の南側先端に近く、道の通行量も殆どありませんの |
で構わず裸に・・・当然無料です。底からお湯が沸き出て、山からの湧き水で薄めて |
いました。一人入浴でした。(写真33)「臼別温泉」渡島半島日本海側にある「せた |
な町」が管理している温泉です。(清掃料100円)無人です。男女別内湯、露天湯があ |
ります。加水、加温、循環が一切されていない天然温泉です。舗装されていない山道 |
を通ります。帰りにヒグマに遭遇しました。(写真34)「黄金崎不老不死温泉」青森 |
県日本海側五能線沿いにある温泉です。一般の温泉旅館の為、入浴料がかかります。 |
写真のように海に面して海抜1.2mの露天風呂です。男女別です。 |
写真32:相泊温泉 |
写真33:臼別温泉 |
写真34:黄金崎不老不死温泉 |
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車旅中は温泉施設併合の道の駅や日帰り温泉が近くにあることで宿泊場所を決めま |
す。北海道、東北地方へ何度も行くこととなると関東地方を抜け出すまでに高速道路 |
を使いませんので途中一泊することになり、複数回利用の道の駅が決まってきます。 |
栃木県「道の駅湯西川温泉」地元鎌倉から9時ごろ出発すると今市で夕食材、朝食材 |
を購入して湯西川に向かうと18時ごろには到着です。すでに4回は利用しています。 |
群馬県「道の駅白沢」(沼田市)。ここの良い所は駐車場脇に流しの付いた東屋が |
ある事です。車中泊で車内調理(レトルト湯煎程度)器具、食器の洗浄が可能です。 |
取り壊されない事を祈ります。3回利用しています。その他にも書き切れないところ |
がまだまだありますが紙面の関係から省略させて頂き第一部 北海道、東北編は終了 |
させて頂きます。 |