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1.はじめに |
日本は平均寿命107歳という世界一の長寿国になる?! |
近年日本の長寿が改めて世界の話題になり、その道の専門家・人口学者たちが盛んに |
研究を進めているとのことであるが、2016年に一先ずその中間報告が発表され、 |
「2007年に生まれた日本人の子供の半数は107歳まで生きると予想され、世界の国々の |
中で断然トップで抜きん出ることになる」と、予測された。2位は米国、イタリア、 |
フランス、カナダの4ヶ国で104歳、次の6位はイギリスの103歳、7位はドイツの |
102歳と続いている。 |
この報告を基に、ロンドン・ビジネススクールの教授であるリンダ・グラットン |
(Lynda Gratton)、アンドリュウ―・スコット(Andrew Scott)の両氏が同年 |
(2016)に著した“THE100ーYear Life〜Living and Working in an Age of Longsv |
ity(邦訳「ライフ・シフトーー100年時代の人生戦略」、東洋経済新報社2016年11月 |
3日第1刷刊、池村千秋訳、399頁)”は、筆者もじっくり読んでみて、その時期に |
備えて、世界一幸せな国日本のこれからに必要な対応策を提案されていて面白く、示 |
唆に富んだ名著だと思った。 |
俗に言う、あの人は「若い」とか「老けている」とかいう概念も変わるだろうし、 |
就職や引退の常識が大きく変わらざるを得なくなり、否応なしに、要求される対応策 |
のために、今迄に問題であった年金や人口減少の弊害についての悩みも自然に解明さ |
れるだろうとするのも嬉しい予見である。 |
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2.雇用なき未来 |
人類の歴史は、テクノロジーの進歩の歴史であった。新しいテクノロジーが登場す |
れば、古い職場が消滅し、新しい仕事や役割が生まれる。今日の人々は、失われ行く |
雇用のことは、良く見えているが、残念ながら、まだ生まれていないそれに代わる雇 |
用のことは分からない。過去にも何回も、将来オートメーションが雇用なき未来をも |
たらすのではないかと叫ばれたが、懸念はその都度変革された制度や組織によって雇 |
用が無くなることはなかった。但し、また同様の不安が高まっている。特にロボット |
工学と人工知能(AI)の分野で顕著なイノベーションが実現しようとしていることを考 |
えると、例えば60歳定年として、現在抱えている従業員をそれまでの雇用期間を維持 |
し、保全し続けられる企業や組織の働き口が充足した形で提供可能であろうか。小売 |
りや製造といった伝統的な労働集約型の産業では、新しいテクノロジーやその派生産 |
業によって、新しく誕生する企業や産業は想像するに従来のような形や量での人の雇 |
用は行わないであろうし、コンピュータや人工知能やIT等のデジタル技術の進歩が人 |
間の知的能力を奪い、或いは奪わないまでも非常に大きな影響を与えるであろうこと |
は、疑うまでもないことであろう。 |
テクノロジーは、中スキルの労働者を「代替」するだけでなく、高スキルの労働者 |
を「補完」してきた。ソフトウエアやコンピュータは、高教育・高技能の働き手を補 |
完する役割を果たせる。その結果、テクノロジーは、中スキルの働き手の職を奪う一 |
方で、高スキルの働き手の生産性を高め、所得を引き上げてきた。また、所得が上昇 |
した高スキル層のニーズに後押しされて、サービス産業で需要が高まり、この種の産 |
業で働く低スキル層の雇用も増えた。このような要因が相俟って、労働市場で中程度 |
の雇用の空洞化が進んでいる。 |
コンピュータの処理能力が高まれば高まるほど、雇用の空洞化は加速する。高スキ |
ルの労働者も、テクノロジーに補完されるのではなく、代替され始める。この兆しは |
すでに現れている。長期的に増加傾向にあった高スキル労働者への需要が、2000年を |
境に減少に転じている。既に向こう10〜20年の間に米国の雇用の47%が消失する恐れ |
があるといい、約6,000万人が職を失うことになると警告する英国オックスフォード |
大学の学者もいる。 |
このような予測が見えてくると、人間にしかできないことに主力を移して考えるこ |
とが求められるだろう。そこで、人間にしかできない固有の能力にはどういうものが |
あるか、前述の英国オックスフォード大学の教授は人間固有の能力には大きく分けて |
2種類あり、一つは複雑な問題解決に関わる能力で、そこでは専門知識、帰納的推論 |
を導く能力とコミュニケーション・スキルが必要だと説き、二つ目には対人関係と状 |
況適応能力で、これらは主に人間の身体を使う仕事が必要とされる。 |
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3.テクノロジーが人間の雇用を奪うかの議論だけでなく、 |
テクノロジーは労働力を供給できるかという議論も進めよう |
何故かなれば、多くの先進国では、高齢化と出生率の低下により人口が減り、働き |
手世代の人口も縮小している。世界の中でこの傾向の最も顕著に見られるのが、わが |
国、日本である。最大約1億3,000万人に達していた日本の総人口は2060年には |
8,700万人にまで減少するとする予測も言われている。この中で65歳以上の人口が何 |
と40%を占めるのだとされる。現在この傾向を如実に辿っているのが、極めて人口の |
多い世代、即ち、ベビーブーム世代の労働市場からの後退で、既に早くもその前兆は |
低スキルの職場、人間の生活に不可欠の職場や職業、例えば、公共交通機関や物流運 |
搬業の運転士、他の従事者、道路・公園・公共サービス建造物の管理・星霜従事者、 |
保育園・養護児童・学校の先生、病院等の看護士・保健士等の従事者不足に見られ、 |
大きな社会問題になっている。 |
従って、ロボットに雇用が奪われることを心配することよりも、並行して或いは率 |
先して、先にロボットが労働力人口の縮小を補い、経済活動、中でも生産性と生活水 |
準維持を保てるよう役立つ方途を積極的に歓迎し、期待する策を講じよう。 |
現在までのところ、無形の資産の価値を測る方法はない。近い将来に答えを出すこと |
も難しいだろう。何故かなれば、無形の資産は値段を付けての売買が出ないからであ |
る。 |
無形資産は例えば次のように分別できようが、 |
(1)友情を含む人間関係:これ等は周囲の他人の評価・判断により決まるであろう。 |
(2)健康や活力レベル:これ等(2)〜(4)までの三つの無形資産は、全く主観 |
的なもので、他人にはその価値は必ずしも評価・判断は出来ないだろう。 |
(3)教育レベル: |
(4)幸福レベル: |
無形資産はまた、別の見方からの区分もできるだろう。例えば、 |
(1)生産性資産:人間のスキルと知識が主力になるだろう。 |
(2)活力資産:肉体的・精神的な健康と幸福、友人関係、パートナーや家族。 |
(3)変身資産:100年ライフを生きるための、大きな変化を経験し、変身を遂げた |
か否か、多様性に富んだ人的ネットワークを持っているか否か。 |
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ところで、今の世の中で最も注目を集めているのは、機械学習と人工知能の進歩で |
ある。進歩したときにも価値を失わないスキルや知識は何だろうか。 |
テクノロジーが進歩したときに、教育と学習と研修がキャリアを後押しする方法に |
は次の三つがある。 |
一つは、新しいアイデアと創造性を育むものを助けること、 もう一つは、人間な |
らではのスキルと共感能力を発揮できるようにすること、 最後の一つは、思考の柔 |
軟性と機敏性など、あらゆる分野で適用する重要な汎用スキルを育むことである。 |
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5.おわりに |
「出て行きたい」、「進みたい」、の気持ちと、「ちょっと待ってよ!」、「大丈 |
夫だろうか?」、「行けるだろうか?」、「問題になることは本当に無いか?」、こ |
のように、決断と躊躇の狭間で、一時思案することが毎日の仕事を進める上で、必ず |
通らねばならないチェック・ポイントになってしまった。情けないかな加齢を重ねた |
結果、必然的に遭遇することになった老いの事実の確認なのであろう。ただ、仕方な |
いという諦めでもなければ、何で自分だけがこんなに不便を強いられるのかという意 |
味のない癇癪を起こしたり、不満に苛まれることもなくなった。そのような反応をす |
る時期もどうやら経過してしまったようである。それでも些細なことで、日々何回と |
なく一喜一憂することは起きている。改めて筆者もご多分に漏れず未だ間違いのない |
人間、悩める老化した子羊であるとの自覚を再確認した次第である。 |
了 |
2024年6月24日(金) 川端康成の命日に記す |
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2.楽しい人生が遅れたことを率直に認め、さらに前向きに進もう! |
あれもしたい、これもしたいと思っていたのに出来ずに終えてしまった、と後悔し |
ても、取り越し苦労ばかりで、現実問題の処理には聊かの支えにもならない。それよ |
りは、いろいろ難しいことがあったが、それらを乗り越えてよく頑張ってきた。「し |
っかり報いられるよ、きっと!」と、信じて疑わない姿勢が要求されよう。「何がな |
んでも老後は衰えに通じるのみだ」と悟ったように考えることはダメで、青春時代に |
感じていた歳をとることは、喜びに通じていたことを思い、新たな楽しみ、喜び、美 |
しさを求める人生を最徐行でも良いから、始めた方が勝ちと言うか、得であろう。別 |
に「老後を生きる」などという特別な枠や関門を設営することはナンセンスで、むし |
ろ心の問題として、無制限の同じ道の進み方、観察の仕方が変わるだけと決心するこ |
とが大切ではなかろうか。 |
人生を振り返るのも良いが、失ったモノ、失敗したコトに何時までも執着している |
と、「前向き」の気持ちには絶対になれない。変化がないと成長はない。老いること |
も成長の一過程であり、老いの程度に応じた生活の仕方を踏み出す策を考えたいもの |
だ。 |
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4.人生いろいろな力を信じて成り行きに任そう |
人生はいろいろな力を持っているというか、努力し、訓練して幾つでも違った力を |
身に着けることができる。健康も大きな力であるし、歩行も勿論力であり、読解も話 |
術も然りである。因みに、これら全てに力を付けなければ、立派な共通の日本語の言 |
葉として世代を超えて理解し合えないのではないか。 |
力の反対は不要ではなかろうか。著者も今までに、よく友人から「老後が不安だ!」 |
という言葉を聴かされた。だが、不安は自らが求めるものではなく、周囲の人々から |
ある時は全くの興味本位から、或いは故意に与えられるものではなかろうか。違った |
境遇や優越感から間違っていても容赦なく与えてしまうことが多いのではなかろうか。 |
要は本人の気持ちの持ち方一つで、あらゆる雑音や雑念に惑わされず、自分の決めた |
筋を通すことが肝要であろう。 |
人生の時計の針は、決して戻せない。蓋し立派な教訓である。 |
了 |
2024年6月12日(水) 盛夏を思わせる酷暑の日に記す |
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2.連濁のルールについての再考 |
筆者は旅好きで、副業として旅行案内人・添乗員をしていたこともあり、日本の東 |
西南北広く地方の方言にも詳しいと思っていますが、方言で難しいことの一つは、連 |
濁するのかしないのか、その基準は何処にあるのか、地域により違ってくるのなら、 |
何処からその変化が生まれてくるのか、その境界は実際に存在するのか。筆者には難 |
し過ぎて、答えは出せません。 |
そこで、今回は日本語の連濁についてのルールについて少し考えてみたいと思いま |
す。連濁とはご承知の通り、二つの語がくっついて一語になるとき、後の語の語頭が |
濁音化する現象のことを言いますが、地域によっては後の語の語頭ではなく、二番目 |
の語が濁音化することが多いのです。例として、「舌鼓を打つ」は“したつづみ”か |
“したづつみ”か、どちらだろうか? 似た話では、東京都内の地名の「秋葉原」と |
「江古田」が議論になったことがあります。筆者も小学校6年生の時に疎開先の福井 |
県から東京の大田区に戻ったのですが、ある日、用事があり当時の国電で秋葉原に向 |
かうときに、切符を「アキバハラまで」と言ったら駅員から笑われ、「ぼく!アキハ |
バラといったほうがいいよ!」と教えられた。江古田も“エゴタ”か、“エコダ”か |
“エゴダ”か訳が分からない。後で分かったことでしたが、先の語の語尾が清音化す |
ると、二語目は濁音となるルールに従っているのだそうであす。これまた甚だややこ |
しいことです。勿論正解は「エコダ」です。 |
「本箱」は通常連濁を認めて、“ホンバコ”と発音するが、「合羽」を“カッパ” |
と読む人と、“ガッパ”と読む人に別れるのではないでしょうか。「雨合羽」とした |
らどうなるだろうか。“アマガッパ”と読む人が普通でしょう。同様に、「節句」は |
“セック”で、「初節句」は“ハツゼック”とするのが普通でしょう。 |
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3.現在の日本の小説作家たち |
直木賞作家の伊集院静が昨年(2023)11月に73歳で没し、村上春樹が書かなくなっ |
てから、男性作家の存在が薄れ、逆に女性作家、特に外国で勉強し、海外で活躍する、 |
或いは日本と海外の間を行き来する女性作家、例えばイタリア在住の内田洋子、英国 |
在住のプレイディみかこ、日本と外国を出たり入ったりのヤマザキマリ、ドイツ在住 |
の多和田葉子等。日本在住の作家では、サスペンスの女王宮部みゆき、アート小説の |
女神原田マハ、辻村深月、川上未映子、小川洋子、桐野夏生、柚木麻子、柚月裕子、 |
今年の本屋大賞の宮島未奈、佐々涼子等々。一方、男性作家を強いて挙げようとする |
と、どういう訳か国立や官立の大学や大学院卒業の理科系の作家ばかりが浮かんでき |
ます。星 新一、田内 学、東野圭吾、伊予原 新、森 博嗣、片岡龍峰等々です。 |
筆者の今年に入ってからの小説の読書経過を調べてみても、この傾向は如実に感じら |
れます。今年も今日(6月10日、月曜日 時の日、無糖のコーヒーを飲む日、蛍の飛 |
び交う灯りを楽しむため戸外の街灯をすべて消そうの日)現在、27冊の小説を読んで |
いますが、その内訳は以下の通りです。 |
*女性作家 |
辻村深月:「この夏の星を見る」(角川書店)、「傲慢と善良」(朝日文庫) |
町田そのこ:「52ヘルツのクジラたち」(中公文庫) |
葉山博子:「時の睡蓮を摘みに」(早川書房) |
吉川英梨:「悪女」(朝日文庫) |
小川洋子:「最果てアーケード」(講談社文庫) |
有吉佐和子:「青い壺」(文春文庫) |
内田洋子:「イタリア暮らし」(集英社)「見知らぬイタリアを探して」(小学館) |
原田マハ:「板上に咲く」(幻冬舎)、「異邦人」(PHP文芸文庫) |
小池真理子:「月夜の森の梟」(朝日文庫) |
川上未映子:「黄色い家」(中央公論新社) |
宇佐美まこと:「羊は安らかに草を食み」(祥伝社文庫) |
宮部みゆき:「曼殊沙華」(角川文庫) |
宮島未奈:「成瀬は天下を取りにいく」、「成瀬は信じた道をいく」(共に新潮社) |
桐野夏生;「燕は戻ってこない」(集英社文庫) |
柚月裕子:「チョウセンアサガオの咲く夏」(角川文庫) |
*男性作家 |
知念実希人:「ヨモツイクサ」(双葉社) |
喜多川 泰:「きみが来た場所」(ディスカヴァー) |
京極夏彦:「姑獲鳥の夏」(講談社文庫) |
星 新一:「きまぐれロボット」(角川文庫) |
村上雅郁:「きみの話を聞かせてくれよ」(フレーベル館) |
今野 敏:「隠蔽捜査10 一夜」(新潮社) |
凪良 ゆう:「汝、星のごとく」(講談社) |
東野圭吾:「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」(光文社文庫) |
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4.おわりに |
さて、次のことを綴るのは全くの偶然のことなのです。現在読み進めている北國浩 |
二の「嘘」という小説が痴呆症の父親の面倒を見ている娘の物語なのですが、これが、 |
筆者の歯科医で筆者と同年配の先生が痴呆に大変興味があるというか、メッチャ関心 |
を持っておられ、偶々6月10日の月一回の治療日で訪れた際、脳科学者恩藏絢子著 |
「脳科学者の母が、認知症になる」(河出文庫刊)を貸与され、またその著者が戦場 |
カメラマン渡辺陽一氏との対談がNHKの「ラジオ深夜便」(6月号に掲載されたP.72〜 |
81の記事のリコピー)を渡され、一気に話が盛り上がり、医者と患者の関係から外れ |
た激論の時間となってしまい、結果二人とも大層疲れて一巻の終わりとなったのでし |
たが、筆者はこういう医者も必要だと思うと同時に、友人として持てる喜びに改めて |
大変感激したのでした。余談までに書き添えました。 |
了 |
2024年6月10日(月) 記 |
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1.はじめに |
筆者が極最近知った言葉の中に「テクノ・リバタリアン」があります。起業家でス |
ペースX、テスラ、オープンAIなどの共同設立者であるイーロン・マスク(Elon Reeve |
Musk,1971年南アフリカ生まれ、53歳)、ベンチャー投資家でフェイス・ブックの最初 |
期の投資家、ペイパル、バライティアなどの共同設立者で2016年の米大統領選でトラ |
ンプ氏の強力な支援者となったことで名を知られるピーター・ティール(Peter And |
reas Thiel,1967年ドイツ生まれ、57歳)、プログラマーで、大学在学中に汎用プラッ |
トフォームである「イーサリアム」を考案したヴィタリック・ブテリン(Vitalik Bu |
terin,1994年ロシア生まれ、30歳)等の米国シリコンバレーの天才人技術者達を総称 |
して呼ぶ言葉のようです。 リバタリアンは英語で“libertarian”と綴り、「思想や |
行動の自由を殊の外極端に主張する自由意志論者」を言う言葉です。背景にはテクノ |
ロジー社会の頂点に立ち、政治的にも影響力の強くなった上記の人たちの思想を知る |
ことが、今後の世界を理解し、指導的立場に立ちたい人には大切であると言われます。 |
特に主要国のリーダーには欠くことのできない必須要求事項であると考えているよう |
です。 |
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1.はじめに |
今回のタイトル「私の好きな言葉」として以前にも何回か書いた覚えがありますが、 |
今回も使わせてもらいます。今回はアイルランド生まれの詩人であり作家・劇作家で |
あるオスカー・フィンガレ・オハラハティ・ウイルス・ワイルド |
(Oscar Fingal O’Flanhertie Wills Wilde 1854年10月16日〜 |
1900年11月30日)の言葉を引用したいと思います。同氏は耽美的・退廃的・懐疑的な |
19世紀末文学の旗手の代表のように言われ、事実男色を咎(とが)められて入獄生活 |
を送ったあと、余りの失意に健康を回復できないまま未だ盛りの歳に没したのでした。 |
その言葉は、“We are all in the gutter,but some of us are looking at the |
stars.”(和訳文:われわれはみんな汚らしいところに住んでいるけれども、その中 |
でも何人かは星を見上げている。 筆者注:“gutter”という単語は通常「下水溝」 |
を指す言葉ですが、同氏はむしろ下層階級ということを誇張したくて選んで使用して |
いるように思われます)。本来なら腐った気分で理性も感覚も沈み、いじけていても |
当然なのに、それでも、中には心豊かに星を見上げて考えを巡らせている者がいるの |
だから、人間は強いなぁと感心しているのでしょう。筆者はそう解釈して好きな言葉 |
の一つとして時々思い浮かべるのです。 |
この言葉は、脳科学者の茂木健一郎先生の著書「「「書く」」習慣で脳は本気にな |
るーなぜ言葉にすると夢は実現するのか」(廣済堂新書 2019年4月10日 第1版第 |
1刷刊行)を読んだとき、その本の136頁 第5章“言葉という鏡を磨いていく”に引 |
用されていたものが気に入って、憶えて置きたく思ったのでした。 |
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2.“言葉の「五段階活用」で脳を鍛える” |
同時に、茂木先生がその本の中で説いておられる次のフレーズが筆者の心を捉えた |
のでした。即ち、 「ある言葉に出会ってからそれを自分のものとしていくには、 |
それ相応の時間がかかります。言葉を本当の意味で自分のものにしていくには、次 |
の五つのステップを経る必要があるように思います。 |
(1)言葉を使いこなす。 |
(2)言葉を磨く。 |
(3)言葉を発信する。 |
(4)言葉と一体化する。 |
(5)言葉で自分を語る。 |
本を読んでいてある言葉に出会って、「ああ、これだ」と思っているだけでは、なか |
なか 自分の言葉になりません。本を読んで知ってはいても、一度も自分では使った |
ことがない言葉はたくさんあります。 夏目漱石の小説は、時代が100年も前なので、 |
現代では使われなくなった表現も多いですが、その語彙の豊富さにはいつもうならさ |
れます。まったくもって、自分のボキャブラリーとは比較になりません。言葉を多く |
使いこなせるということは、それだけ多くの鏡を自分の周りに置いているということ |
です。使いこなす言葉が多いほど、自分をよりよく映し出す鏡をたくさん持つことに |
なります」。 |
本当に含蓄のある言葉の数々に正にその通りと合点するだけではなく、その何分の |
幾つかでも実践し、自分が公平に俎板(まないた)の上に乗れるようになりたいもの |
と思っています。「その齢を背負って未だそのようなことを臆面もなくほざいている |
ことよ、身の程知らずが・・・」という声が周りから聞こえて来るようですが・・。 |
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3.“屁でもない”と“くだらんもの” |
ここでちょっと寄り道をして、日本語の言葉の中で意味があって使われている特殊 |
なものとして、これらサブタイトルの二つについて触れてみましょう。その前に、筆 |
者が日本語ならでは、と感じている以下の三つの言い回しについて、少し書かせてく |
ださい。 |
まず最初は、“わりない仲”です。字で書けば「理(わり)ない仲」ですが、道理 |
に外れた、とか筋が通らない、どうしようもない仲を指す言葉です。傍からも仲良し |
に見える仲の一人が謙虚にへりくだって言う言葉です。 |
二つ目は、「お膝送りをお願いします」です。たくさんの人が座っているとき、 |
「もう少し詰めて下さい」と言いたいときに、会場の幹事やら係りの人が発する言葉 |
でした。なるほど、立ち上がらずに膝をずらすことで、透き間を作って徐々に詰めて |
いくのだなぁと情景も感じられます。生きた言葉だと感じ入った覚えがあります。 |
三つ目は、「いただき立ちで失礼ですが、・・・」として、手土産に持参したもの |
を皆の前に出す時などに使う言葉ですね。 |
さて、「屁でもない」に移りましょう。この言葉の源は、人間の屁が臭くても肥料 |
にもならず、当人がすっきりする以外何の役にも立たない。そのために、取るに足ら |
ない、全く価値のないものという意味で、慣用的に「屁でもない」とか「屁とも思わ |
ない」などと使われるようになったのでしょう。 |
次の「下(くだ)らんもの」は、政治の中心が京都から江戸(東京)に移っても、 |
暫くの間は上等な日本酒は京都を中心とする上方(かみがた)から江戸(東京)に送 |
られていて、それを「下り酒」と呼んでいました。質的に下り酒に及ばないというか、 |
その域に達していない酒は、「下らんもの」と区別され、そのことから何にでも範囲 |
を広げて、駄目なものを全て「下らんもの」と言うようになったのだそうです。 |
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4.おわりに |
余計なことまで書き連ねてしまいましたが、幾つか他国の言葉を齧(かじ)ってみ |
ましたが、到底真髄を窮めるまで学習が及びませんので、言葉の由来や成り立ちにつ |
いて、しっかりした知識を持つまでにはなれませんでした。どうしても母国語である |
日本語の上述したような特殊な来歴を背負った言葉に一際惹かれ、憧れにも似た気持 |
ちで、これ等の言葉を大切にしたい、自分でもできるだけ使ってみたいと思ってしま |
うのです。 |
その様な訳で、棺桶に片足を突っ込んでいながら、未だに新しい言葉や意義深い言 |
葉に出会うと直ぐにメモ帳に書き留め、時々頁を捲りながら使える工夫を考えてしま |
うのでした。その意味では、上述した茂木先生の言葉の五段階の活用では、未だ第一 |
番目の“言葉を使いこなす”の段階を歩んいるに過ぎないのですが…、焦(あせ)っ |
てもできないことですので、ゆっくり腰を据えて続けていこうと思います。 |
了 |
2024年5月4日(土) 連休でも外に出られず、書きものをしている合間に記す |
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3.英語に取り入れられてそのまま残ったラテン語の単語や表現 |
上記したように、ラテン語は、特にヨーロッパにおいては、知識人の公用語であり、 |
上流階級に必要な教養でした。そのため、英語にもそのままラテン語の単語や表現が |
取り入れられており、現在でもそのまま残り、使われています。数えれば切りがない |
ほどありますが、ビジネスで使われたり、日常の会話に登場したり、新聞や雑誌の紙 |
面でよく見掛けたりする陳腐な言葉を幾つか紹介してみましょう。 |
日本語読み ラテン語綴り 意味、参考事項 |
*アド ホック ad hoc 特別の、専門の |
*アド リブ ad lib 即興の、その場で考えた、アドリブ |
*アド リビツム ad libitum 自由に、元は音楽用語の略語でした |
*アフィダヴィット affidavit 宣誓供述書 |
*アリバイ alibi 不在証明、アリバイ |
*アトリウム atrium 中庭、日本では現在は吹き抜け空間 |
*コンペア cf. 比較、参照 (=compare) |
*デ ファクト de facto 事実上の (=in fact) |
*ディットー ditto 同上、同前 |
*エゴ ego 自我、エゴ |
*アイ イー i.e. すなわち (=that is) |
*ナンバー no. 〜番、第〜 (=number) |
*プロ フォーマ proforma 見積もりの、仮の |
*ステータス クオ status quo 現状 |
*ヴァイス ヴァ―サ vice versa 反対に、逆のまた同じ |
*ヴァーサス vs. ?対、〜に対する |
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2)「教養としてのラテン語の授業ー古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流」 |
原題 “LATIN LESSONS” バチカン裁判所・弁護士 ハン・ドンイル |
(Han Tong Ill)著 木村凌二 東大名誉教授(古代ローマ史)監訳、岡崎 |
陽子訳、 ダイヤモンド社 2022年9月27日 第1刷発行、275頁 |
韓国人の著者は、長期のイタリア留学経験があり、熱心なキリスト教徒であ |
る著者は、豊富な人生経験を交えながら、人間味あふれる韓国の大学での授 |
業も評判に評判を呼び寄せ聴講生も増える一方で、本著書も韓国で35万部を |
売り上げていると言われます。日本の1%にも満たないキリスト教徒の割合 |
に比較すれば、朝鮮戦争後、韓国の教徒は全人口の30%にもなりますので、 |
ラテン語への熱の入れ方にも比べ物にならない差のあることは想像されます |
が、それにしても韓国においてもラテン語がそれほど毎日の生活に身近なも |
のとなっているとは筆者にも認識できません。新しい研究課題です。 |
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5.おわりに、二つのラテン名句を |
折角教養としてのラテン語の道を教えてくれたことへの確証にもなる以下の二つの |
思想を取り上げて、今回の稿を締め括ることとしましょう。「人は何故この世に存在 |
するのか?」という基本的な考え方を説いた二人の哲人のラテン語の諺と言っても良 |
い有名な句を紹介しましょう。二つとも余りにも陳腐過ぎて、今更説明するまでもあ |
りませんが、お付き合い下さい。 |
その一つ目は、“デジデロ・エルゴ・スム(Desidero ergo sum.)”「私は欲望す |
る。ゆえに存在する。」 |
ご存じ17世紀の哲学者スピノザ(Baruch de Spinoza, 1632〜1677)の言葉です。 |
彼は「欲望というものを理解すべき」と主張したのでした。欲望とは単なる心理現象 |
でもなければ、宗教的・道徳的次元で断罪されるものでもない」と断言したのです。 |
スピノザにとっては欲望とは、それ自体が善や悪でもなく、天地万物全てに共通する |
自然法則から生まれた本質に過ぎなかったのです。精神と身体は互いに支配を受ける |
ことなく、全て自然の法則に従うものなのです。むしろ欲望を通じ、創造的で、能動 |
的な人間を見詰めようとしたのでした。 |
その二つ目は、“コジト(コギト)・エルゴ・スム(Cogito、ergo sum)”「我思う、 |
ゆえに我あり。」 デカルト(Rene Descartes,1596〜1650)が著書「方法序説」に |
残した言葉で、西欧哲学の基本要素として考えられています。もっともその本の中で |
は、フランス語で「ジェ・パンス・ドンク・ジュ・スィ(Je pense done je suis)」 |
と書かれていましたが、デカルト哲学の核心でもあり、原文から逆にラテン語に書き |
直され、その表現の方が現在では有名になっています。デカルトの唱えた「考える人 |
間」には、人間は精神が存在の規準となり、感覚や情緒、欲望は、すべて精神の支配 |
下にあるとしたのです。 |
現在の十人十色の考え方の時代にあってどう解釈したらよいでしょうか?!! |
了 |
2024年4月18日(木) 記 |
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1.絶望か哀惜か、孤独か不安・愛惜か |
事が起こってからある程度月日が経つと、良くも悪くも一定の距離ができるからで |
あろうか、緊迫感も喪失感も迫力が失せて、当たり前に近い感じのものに様変わりし、 |
脳裏に浮かぶ像も輪郭がぼやけて虚(うつ)ろなものが微かに見えるだけになる。 |
時々夢に見る父母の顔もそんな次第で殆どはっきりした形のあるものではなく、や |
たらに声だけが鮮やかに似て聴こえ、手紙も今この時に手渡されたように封書や葉書 |
の表裏の筆やインクの字が浮かび上がるようにしっかり光って見えるように映し出さ |
れている。現実の筆者の心は絶望か哀惜か、孤独か不安愛惜か、複雑すぎて簡単な言 |
葉にはできないように思われる。不肖の息子だったか、自分がないほど従順過ぎてい |
たか、懐古の情に咽(むせ)ぶ方に引っ張られるのか、その都度のテーマによって大 |
きく変わってくるようだ。筆者本人の希望から言うなら、理由はどうあろうとも嫌な |
ことは笑顔で躱(かわ)したい思いでいっぱいである。父母のことを夢に見るのは冥 |
土から筆者に早く来るよう催促されているのかも知れない。 |
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2.次々に指摘される身体の不具合 |
病気の兆候どころか、少なくとも体の表面にはその翳(かげ)りもなかったのに、 |
毎年秋に定期的に受けている横浜市の老人検診の際の検便に潜血が見られたので、然 |
るべき専門病院で精密検査を受けるよう掛かり付け医から言われたのは昨年暮れであ |
った。2023年9月に厚生労働省から横浜市東部地区の“紹介受診重点医療機関”に指 |
定された横浜市鶴見区在の済生会横浜市東部病院が偶々筆者の心臓病の治療でお世話 |
になっていることもあり、同病院の消化器内科で内視鏡検査を受けたところ、大腸の |
奥に大きなポリープの塊と小さな個別のポリープが二つ、計三つがあることが判り、 |
1月末に入院して先ず大きな塊を剥離摘出する手術を受け、大腸癌等の悪性な物とは |
無縁であることが確定されたので、引き続き残りの小さな二つも3月の中旬に今度は |
日帰りで手術してもらいようやく一段落したところですが、並行して、国民学校(今 |
の小学校です)入学前に入院して中耳炎の手術を受けた左耳が急に全く聴こえなくな |
り、すわ老人に特有の急性難聴症に見舞われたかと心配になり、近くの耳鼻咽喉科医 |
院を訪ねてみれば、手術を受けて以来手術のために鼓膜から外耳に繋がる外耳道が、 |
曲がっているところへ80年以上に亘る耳垢が堆積して詰り、コンクリートのように固 |
く凝固してしまっており、毎日徐々に軟化させる点耳薬を数滴たらし柔らかくし、少 |
しづつ吸い取って取り去る方法しかないとの処方で、約一月罹って完全に聞こえるよ |
うになった。後はこのところ5年くらい不便を忍んでいる左目の網膜近くの静脈の梗 |
塞による画像の極端な歪みと白内障の進行と長年の山歩きの後遺症なのだろうか、腰 |
痛と頸椎の痛みに悩まされている事は改まって |
いない。 |
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3.再々の中断に先に進まない終活作業 |
毎日終活の作業、特に整理・整頓をしていると、傍で見ている妻は些細なことにも |
神経を尖(とん)がらせて、嫌味な言葉を吐く。応える筆者の言葉尻を捉えては自ら |
の苛立ちをぶつけてくる。これ等の応酬は結果として双方が余計な心労が増すのを感 |
じるだけである。如何に意思の疎通の難しい夫婦でも、一緒になって半世紀以上にも |
なれば、諍(いさか)いはあっても殆どのことは共有しているので、彼女の苛立ちは |
その分だけでも大なり小なり筆者の苛立ちでもあり、力を込めての諍いは続かず、力 |
は見事に抜けてしまうのである。無意識で眠りこけている妻は、葉を落としている落 |
葉樹のように無防備で、飾りのない姿で、これ以上の無駄な時間を掛けて争いを続け |
ることの馬鹿さ加減を感じて勝負は一巻の終わりとなってしまう。 |
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4.何かに縋りたいためにする読書や書き物? |
何が原因か、いくら考えても良く分からないし、これと言って道理に適った答えを |
導き出すことが出来ないのだが、多分忙しく、消化しなければならない事柄が沢山あ |
って、どれから、どのように、処理をして、何時迄に結論を出さねばならないかの計 |
画を立て、持ちすぎるくらいの案件を持っていることが性に合っているのであろう。 |
そう、元来貧乏性なのだ。余りにゆとりのある生活に浸ってしまうと、返って気持ち |
が落ち着かず、何か身を置くもの、心を満たすもの、あるいは浸れるものを手っ取り |
早く見付けなければならないのだ。そして、それが目下のところ、昔幼児のときに母 |
親のオルガンで教わった文部省唱歌であり、女学生の愛唱歌集を声を出して歌うこと |
と、本を読むこと、エッセイや旅行記を書き連ねること、俳句や短歌を詠むことだっ |
たのだろう。 |
未だ身体が自由に動かせるときには、登り残した名山の登樊計画を創り、年間の実 |
現件数を予定して着実にこなしていた。その合間に未だ訪ねていない島々や半島、他 |
の景勝地や温泉への旅も愉しみであった。普段は庭の園芸作業を、四季毎に咲かせる |
花や飼育する蝶・蛾に合わせて食草になる草木を植え込み、飼育の経過を日誌と写真 |
に残し、害虫や鳥や小動物の監視と退治にまで神経を注いでいた。 |
その当時に比べれば、実に楽な一日に変わってしまったことは偽らざる本当の事で |
ある。人生の大きな変わり目に応じた日々の生活のパターンは健康管理と共に基本的 |
な要件としてすでに織り込み済みであるが、こじんまりとしたものに縮んで行くのは |
止むを得ないとしても一抹の寂しさを禁じ得ない。来年は米寿を迎えるというのだか |
ら、月日の進むのは本当に早いと認めざるを得ない。もう幾つ頑張ればよいのだろう |
か。先が思いやられますね!? |
了 |
2024年4月3日(水) 記 |
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3.“Thanks God, it’s Friday!” |
そして二つ目の文は、“Thanks God, it’s Friday!”です。 これは、今は普通 |
になりましたが、月曜日から金曜日までの5日間を働けば良いことに変わったいわゆ |
る週5日制になって、やっと金曜日を迎えて嬉しくて自然に口にする“花金”の思い |
を綴ったものですが、5日制になって労働密度が濃くなり、心の重荷が表面に現れた |
表現でもあったのでした。ですから、「やれやれ、金曜日になったんですね!嬉しい |
な、花金だよ!」という今流の感慨の表現になるのでしょう。この表現は実際に英国 |
の学校の先生の生活から生まれた言葉だと言われています。略して各単語の頭文字を |
採って“TGIF”とも使われるようです。 |
余談になりますが、簡略化された言葉でよく知れらているものに“UFO”があり |
ますが、意外と元の単語の綴りまで言える人は少ない言葉の一つです。 |
UFO=Unidentified Flying Object. で、日本語では |
「未確認飛行物体」となります。 |
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最後に取り扱うのは、虚数単位iである。このiを任意 |
図1 |
の複素数に掛けると、大きさ(絶対値)は変化せず、偏 |
角のみが90°増加する。したがって、iを4回掛けると |
元に戻り、何も変化しないことになる。(図1参照) |
故に、複素乗除算に於ける「不変」に宿る定数は、 |
iまたはi^4である。 |
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以上取り上げた5つの定数 0,1,π,e,i は、それぞれ無関係で独立した場面に登 |
場する役者であるが、「不変」を合言葉に裏で手をつないでいるらしく、なんと次式: |
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が成立するのである。この式を発見したのは、かの大天才L.Euler である。 |
前回、彼の仕事にケチをつけるハメになってしまったので、この埋め合せに彼の等 |
式(3)を紹介した。 |