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4.21世紀に入っての国際機関の対応にも触れてみましょう |
2016年に、「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラット |
フォーム(The Intergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and |
Ecosystem Services= IPBES)」という長い名の付いた機関が、3,000篇以上の科学 |
論文をもとに、送粉者に関する初めての世界的な評価を行い、その結果、幾つかの |
重要な数字が導き出されました。 受粉の影響を直接受ける食糧生産の価値は毎年 |
5,770億ドルにも及ぶことが判りました。 報告書では、農作物の受粉を行っている |
野生のハナバチは約2万種にも達すると推測され、他にも蝶、蛾、カリバチ、甲虫、 |
様々な脊椎動物が受粉に関与していると指摘しています。 |
「国連食糧農業機関(Food and Agriculture Organization of the United Nati |
ons=FAO)」は、集約農業、生息地の喪失、化学物質の使用、気候変動などにより、 |
ハナバチや他の送粉者が世界中で減少しているため、作物の収穫量と栄養状態の双 |
方が低下することになると警告しました。対策を講じなければ、果物やナッツ、多 |
くの野菜を大規模に栽培することが事実上不可能になる場所が出てくるため、ビタ |
ミンA、ビタミンC、マグネシウム、亜鉛、葉酸などの重要なビタミンやミネラルの |
入手が困難になると発表したのです。 |
2019年の冬の終わりに南ドイツではミツバチの恰好をした、黄色と黒に塗り分け |
た顔をしかめ、縫いぐるみに太鼓腹を抱えたヨチヨチ歩きの人間の行列が見られた。 |
バイエルン州の市民が英語とドイツ語のプラカードを振り回していました。そのプ |
ラカードには“Bee a hero!(英雄になろう! BeをBeeと表記してミツバチにかけ |
ていたのです)”、 また、“Nur mit uns bjummt die wirtschaft!(経済は私た |
ちと共にあってこそ羽音を立てる、羽音と経済の活況とをかけているのです)”と、 |
書かれていたのでした。ドイツで初めて公式に自然保護団体と経済団体が連合で生 |
物の多様性に関する国民投票を提案し、昆虫の命を救おうと立ち上がったのです。 |
そこで第一番目にパレードに参加した人々が請願したことは、農地の少なくとも30 |
%を有機栽培にして殺虫剤を止めて昆虫に優しいものにし、更に湿地や生け垣を復 |
元し、農薬の使用量を減らし、光害(明るい照明を規制すること)を含む公害を抑 |
制するよう求めたのでした。このいわば昆虫再生を謳うための憲章とも言えるセイ |
ヴ・ザ・ビーズ (Save the Bees)運動は、大胆で革新的なものでしたので、誰も |
が全く実現するとは正直思ってもいなかったのでしたが、今では国民の圧倒的な支 |
持を得ているのです。 |
この運動を実現するためには、ただ特定のことを辞めればよいだけではなく、何 |
もしないで、少し放置するだけでも良いのです。 |
実際に、現在では英国を始めとする欧州各国は農地さえも返上して、昆虫が自由 |
に生活できるように人の手が一切入らない土地までも創り出しているのです。この |
ようにして、植物の受粉を助けるミツバチを初めとする昆虫の数が増えることによ |
り、農家の野菜や果物の収穫量は目に見える形で増えることが結果され、昆虫の存 |
在価値が改めて認識されたのでした。とは言ってももともと植物が少なかったり、 |
土壌が痩せていて植物の育ちが悪く、昆虫も寄り付けなかった地域も勿論あります |
から、これらの地域では国連の機関が仲介して、現在では土壌の改良や動植物の大 |
掛かりな移動や移植まで行われつつあるのです。 |
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2.切羽詰まる様を表現した日本語の文章の素晴らしい例 |
上記の「何としても手に入れたい」という切羽詰まったさまは、「頼むよ!貸して |
よ!言うこと聞いてくれなきゃ取っちゃうよ!」が一番よく状況説明の余地なく理解 |
できますが、わが国の作家の文章の中にも切羽詰まった様子を上手く捉えていると筆 |
者が感じ入った以下の文例をわざわざ自分のメモ帳に書き写していましたので列記し |
てみましょう。 |
*くだらない議論を繰り返している間に、生まれたであろう多くの作品が、失われ |
たことをその声は嘆いていた。 |
*何かひどく張り詰めたものがあったのか、私の声は異常に切羽詰まってしまった。 |
*その僅かな、掛け替えのない時間のあいだ、行動は思考に道を譲ることになるだ |
ろう。 |
*「私はこれが苦手だ」、「そんなことは出来ない」の代わりに、「まだ上手では |
ないけれど」という言葉にしてみる。(相手を傷つけずに柔軟に説得・懐柔する |
場面での表現でした。) |
*「ここで気を緩めたら自分がバラバラになってしまいます。」と居たたまれずに |
力を込めて叫んでいた。 |
*驚きのあまりその瞬間に出来たことは、仕事に復帰するまでの時間を埋める無害 |
な用事を探していただけだった。 |
*朽ちるまで放置されていた至宝のように、彼の画像からは純粋性が失われていた。 |
*彼の身のこなしは、あまりに誇りに満ちていて、偉容にさえ見えるのであった。 |
*小さなときの欲が、なんと大人になって湧き出てしまったのだからびっくりだ。 |
*彼は好奇心のまま、赴くままに行動し、「これだ」と感じたものを見付けたら集 |
中するのが性分だが、心は人並みに好きだというだけの話だったのである。 |
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3.いま、流行の言葉の「トリガー」、「バイソシエ―ション」と |
「インキュベーション」の暴力的な使われ方 |
これ等三つの言葉の入った以下の文章を理解できますでしょうか? |
「トリガーからバイソシエ―ションまでには長いインキュベーション期間があり、そ |
れから最終的な機会が出現するまでにもう一度インキュベーション期間がある。イン |
キュベーション期間とは、何か意識の片隅に置いてから“突然の気付き”までの時間 |
と言える。」 |
これが本当に日本語の文章と言えるでしょうか?こんなに訳の分らない外来語を幾 |
つも織り込んだ文章がいまちゃんとした書き手になる本の文章としてまかり通ってい |
るのです。筆者には誠に怖ろしいと言うか、日本人の読者と言わず、国民全体を馬鹿 |
にしているのではないかとさえ思えてくるのです。 |
三つの外来語の「トリガー」は英語の“trigger”で、“引き金”とか“きっかけ” |
という意味です。「バイソシエ―ション」も英語で、“Bisociation”と綴り、意味は |
“それまで無関係と思われた事実や出来事を結びつけること”を言います。そして、 |
「インキュベーション」も英語で、“Incubation”と綴り、“起業および事業の創出 |
をサポートする期間”を指す言葉ですが、分かりますでしょうか? |
ディジタル社会になるのは趨勢なのですから止むを得ないとしても、外来語をこれ |
でもかと幾つも断りもなく織り込んでしかも元の言語のスペル通りカタカナに綴って |
使い、読者の皆さんが十分に承知の言葉であるかのようにトコロ構わず使って作る文 |
章を読まされる身にもなってみてください。自然と嫌気が射して文句の一つも言いた |
くなるのではありませんか。 |
そこで、筆者の試案を申し上げるなら、一定の期間を設けてこれ等の外来語につい |
ては、今後どのように使用するようにするかの使用基準を決めるなり、翻訳語を創る |
なりして普及広報する期間を設けるべきではないかと考えます。今のうちにこの備え |
をしておかなければ、これから押し寄せて来る津波ではありませんが、どんどん大量 |
に多くの派生語を伴って浸食してくるようになったら最早防ぎようが無くなってしま |
うでしょう。何年か先のことを思うと末恐ろしくなってきます。コンピュータ社会に |
繋がるディジタル化社会は、人間社会を破壊してしまうのではないかとも思いたくな |
るのです。どうすれば良いのでしょうか? |
話しが首題と全く離れてしまいましたが、筆者には気になって常時頭から抜けずに、 |
いまや大きな悩みの基になって、健康を害する病よりも、もっと遥かに怖ろしい精神 |
を傷つける病になりそうに思えてなりません。 |
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2.新型コロナウイルス感染症で注目を浴びたレジリエンス |
レジリエンスは、現在2020年の新型コロナウイルス感染症の流行後、ビジネス用語 |
の中でも特に教育の現場で注目を浴びて使われている言葉です。即ち、コロナ禍によ |
って、今までと同様の生活を続けることができなくなり、一人ひとりの柔軟な対応や |
居住周囲や就労・就学現場の状況判断を間違えないことが要求されることになりまし |
た。ストレスなどの外的要因を跳ね返す力があるか、辛い状況に立ち向かうことがで |
きるかのレジリエンスが重要視されているのです。小さい時からレジリエンスを鍛え |
た人々が増えて行くことは、これからのわが国の成長・発展促進に寄与することにな |
るのです。 |
ビジネスの社会でレジリエンスが注目を浴びることになった背景には以下の三つの |
観点が挙げられています。 |
1)現代のVUCA時代の到来 |
2)労働環境の変化に伴うメンタルヘルス問題 |
3)人手不足 |
それぞれについて順番にもう少し説明しましょう。 |
1)現代のVUCA時代の到来 |
VUCAとは、以下の四つの要因の頭文字を採った簡略用語です。 |
V=Volantiility (変動性、不安定さ) |
U=Uncertaintity (不確実性、不確定さ) |
C=Complexity (複雑性) |
A=Ambiguity (曖昧性、不明確さ) |
現代は変化が激しく、先の予測が困難な時代のまっただ中にあります。典型的な |
事例の一つが、2020年から猛威を振るい続けている新型コロナウイルス感染症によ |
る社会全体への大打撃が挙げられるでしょう。これ等の背景から、これから将来の |
予測が困難な時代となりました。こうした急激な変化にも柔軟に対応し、逆境を乗 |
り越えられる力、即ち、レジリエンスに大きな注目が集まっているわけです。 |
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2.「セレンディピティ」は英国の作家が編み出した造語だった |
ひょっとすると筆者も思いがけないことを発見する能力があるのかも知れません。 |
偶然にも「セレンディピティ」という言葉が以下のような経緯で生まれたことを知る |
ことになったのです。 |
普通言葉には語源とか、英語ならばその源に当たるラテン語やゲルマン語、ゲール |
語との繋がりがあるものですが、この「セレンディピティ」という言葉は、セイロン |
国、今はスリランカと呼ばれている国のことを指すセレンディップ(serendip)の3人 |
の王子に纏わるお伽噺を紹介したイギリスの初代首相の一番末の息子で、文筆家のホ |
リス・ウォルポール(Horis Walpole 1717〜1797年)がそのセレンディップから作っ |
た造語だったのです。この「セレンディピテイ」という言葉の確認のために、筆者は |
このお伽噺も読みましたし、英文学者のお茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さん |
の「乱読のセレンディピティ」(2016年初版の扶桑社文庫)、クリスチャン・ブッシュ |
(Christian Busch)の“The Serendipity Mindset: The Art and |
Science of Creating Good Luck”(邦訳「セレンディピティ、点をつなぐ力」(東洋 |
経済新報社刊 2022年2月初版、米国公認会計士でファイナンシャル・プランナーの |
土方奈美訳、400頁を超える大作)をも読んでみました。この本の序章の初めには第44 |
代米国大統領のバラク・オバマが(「セレンディピティ」という)この星屑のような |
きらめきを、他の人々にもふりかけてあげる手立てを何とか見付けられないものだろ |
うかという言葉を寄せています。 |
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4.「セレンディピティ」の恩恵を受けるにはどうすべきか。 |
どういう生活をすればよいのか、どのような生活態度、他人との付き合いが必要な |
のか。これらに懇切丁寧な解説書となるのが、脳科学者の茂木健一郎さんが著した次 |
の本がベストではないかと筆者は思いました。 |
*「セレンディピティの時代−偶然の幸運に出会う方法−」 |
(講談社文庫、2009年6月12日第1刷発行、292頁、税込628円) |
茂木さんはその本の前書きで以下のように記されています。 |
偶然の幸運に出会う能力「セレンディピティ」こそが、人間の創造的になるために |
必要な一番の条件である。現在の脳科学は、そのような新しい考え方を提示しつつあ |
る。創造性を発揮するためには、もちろん、努力は必要である。何もない暗闇を歩く |
ような勇気も、もしかしたら要るかもしれない。しかし、何よりも大切なのは、偶然 |
の幸運に巡り合うこと。そして、偶然の幸運に遭遇したら、それを間違いなく自分の |
ものとしてつなぎとめておくこと、そのためには、ほんの少しの工夫と、ある種のコ |
ツをつかむことが必要となる。 |
セレンディピティを生かすために必要なのは何よりも行動すること。ただ座して幸 |
運を待っていても、いつまで経っても出会える保証はない。最初は何を目的としても |
良いから、とにかく何らかのアクションを起こすことが大切である。 |
何かに出会ったら、そのことに気付くこと。気付きのためには、ある程度の心の余 |
裕がなくてはならない。当座の目標に夢中になってしまって、目標としていること以 |
外には目が向かないようでは、セレンディピティをつかむことはできない。思いもか |
けぬ出会いをきちんと自分のものにできること。そのような柔軟な瞬発力が、セレン |
ディピティのために必要である。 |
そして、出会ったものに気付いたら、そのことを受け入れること。偶然出会ったも |
のは、今までの自分の世界観を変えるものかもしれない。自分自身が変わらなければ、 |
せっかくの遭遇を生かせないかもしれない。たとえ、変化することがどれほど勇気を |
必要とすることであっても、自分の内側に招き入れること。そのような受容のプロセ |
スこそが、セレンディピティを完成させる。 |
セレンディピティを明確に定義付ける三つの重要な要素としては筆者の解釈では、 |
(1) 偶然と |
(2) 才気によって |
(3) 探していたものを発見する事だろうと思います。 |
実例としては、科学技術的な発見の過程に見ることができます。 |
例えば、レントゲン教授(1845〜1923年)のX線の発見とか、海苔の養殖をしている |
業者が、海苔の養殖を妨げるカビの退治に頭を悩ませていたところ、彼の娘が飲んで |
いたサイダーがこぼれて海苔のカビが消え、クエン酸がカビ退治に効くことが分かっ |
たこと等の初期の事例が挙げられるでしょう。 |
そこで、筆者としては生活態度や心構えとしては以下のようなことが必要であり、 |
要求されるのではなかろうかと思います。 |
*子供らしさを失くしていない人であること。 |
*あらゆるシガラミを忘れて集中し、熱中できる人であること。 |
*「今ここがチャンス」の気持ちを棄てない人であること。 |
*いい加減を常に備えた芯を持った大物になること。 |
*出来れば清濁併せ呑むおおらかさを持つこと。小さく纏まっては良くない。 |
*時としては、劣等感が人間を育てる。常に模索の道が開かれていること。 |
*物質主義に拘り過ぎると精神的な落胆に対処できない。 |
*創り出す、書き続ける。駄作でもいちいち気にしない。自分では失敗作と思っても、 |
達成感は味わえる。問題は自分のこころ、気分の持ち方である。 |
これらの要件を満たしていれば、当人は自分の進む道が見付けやすくなるでしょう。 |
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5.おわりに |
茂木先生はアイルランド出身の作家オスカー・ワイルドの言葉「私たちは全員汚水 |
溝の中にいる。しかし、私たちのうちの何人かは、空の星を眺めている。」を引用し |
て、「皆さん、出発点は同じだよ!一段上にいる人もないんだ!問題はそこからどう |
やって這い上がっていけるか、這い上がっていく努力をするかなのだ。」と書いてい |
ます。纏めの言葉としては確かだ、と感じました。 |
長い間、「ダメだ!」、「いや違う!」と思っていて、ある時遂に、「これだ!」、 |
「これだよ!」、「ここにあったよ!」と思うことに出会えた時、自分の気持ちに一 |
幅の満足感を抱くというか、達成感を、そして自分の存在感を味わえるのではなかろ |
うか? |
筆者の好きな考え方の一つとして、「森の木や植物は枯れて、倒れて自分の生命を |
終えても、肥料になったり、土に還り、キノコや苔や次の植生のための命の源となっ |
て、それらを育て、還元されています。人間はそうは出来ない代わりに、一人でも良 |
い、隣の人でも良い、同僚でも良い、OBでもサークルの若い人でも良いから、その人 |
の心に影響を与え、印象に残ることを生み出し、文章でも絵画でも写真でも、あるい |
は彫刻、建築でも何かを創り、記憶に残ることをしよう。他人の心を一人でも多く満 |
たしてあげよう!」 があります。筆者は少なくとも今日までの生活をこの心構えと |
いうか、信条を以って続けてきたと自負しています。一言蛇足を覚悟で付け加えるな |
ら、大事なことは、何時の時代でも和を乱さない事ではないだろうか。 |
「また、自慢話か?!」と言われそうですね。この辺で終わります。 |
了 |
2024年1月14日(日) 今年初のエッセイとして記す |
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1.はじめに |
20年くらい前から現在までの先進各国の若人の考え方と行動のパターンを調査・研 |
究されている某大学の教授(筆者注:敢えて大学名、教授名を秘匿します)が中間的 |
な成果として発表されたところによると、英・米・加・仏・伊5ヶ国の若人は「政治 |
家や大学の先生方に信望に足る人が見出せているか」を問うたところ、約60%の人々 |
が「ある」との答えを出しているそうです。しかし、日本の若人に同じ質問をしてみ |
ると、半数以上が「ない」、「いない」、「見出せない」と答えているといいます。 |
特にひどい答えは、「居るわけがないじゃないか」と、逆上気味の答えが返ってきた |
ということです。筆者はこの答えの違いを“さもありなん”と感じ、次のように判断 |
し、理解したのでした。即ち、 |
1)英・米・加・仏・伊の若人は心の奥に神の存在を信じ、自分の身を委ねて帰依 |
しようとする基本的態度があるので、政治家にも教授陣にも信奉する人々を見出 |
し、教えを請い、活動を共にしたいと憧れる人々が半数以上実在しているのだろ |
う。別にあざとく振舞って居るわけではないと思われます。 |
2)それに反してわが国の若人は神や仏の存在も否定し、他力本願など以ての外、 |
自由な生活と成長に身を預けすぎて、我が身第一になって、謙虚に他人、特に年 |
配の人々に教えを請うとか、行動力を見習うとか、研究の成果を咀嚼して出来れ |
ば活用したいという意欲に欠け、中途半端に自分が出来上がってしまっているか |
らではないかと思った次第です。日本の若者こそ徹底的な追求や修行をすること |
なく、形ばかり出来上がって小利口に動く人々が増えているのではなかろうかと |
逆に危惧したくなる結果と思ったのです。 |
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2.可視化(Visualize)の薦め |
ディジタル化を進める道筋の一つに可視化が叫ばれていますが、前記した某教授の |
研究の成果として顕在化したわが国の若人の考え方と態度を考えてみると、筆者には |
先ず第一に、自分の心に取り込み、思い描いてみようという大事な作業が行われてい |
ないように感じるのですが如何でしょうか。これこそが現在ディジタル化を進める過 |
程で非常に大事と指摘されている“visualize”の段階が踏まれていないというか、 |
欠けてしまっているのではないかと思うのです。昔から日本人は他人の模倣には長け |
ていて、良いと思うものは積極的に取り込んで、在来の製品なり、方式なり、システ |
ムに改良を加えたり、改善したりして、より良いものや制度を作り上げていくことに |
は精が出るようですが、原理から地道に取り組んで全く新しいものを生み出すことに |
は余り長けていないように思われます。 |
そこで、筆者は改めて何でもよいから自分で、自らの力で始めて見るという極めて |
初歩の取っ掛かりから態勢を作ることを薦めたいと思うのです。特にこれからのAI先 |
行の時代では、何を始めるか、そのテーマの選定が大変重要だと思います。AIが陳腐 |
な答えを直ぐに出せるようなものでは折角選び、挑戦する意味がありません。逆に笑 |
い者にされ、相手にされなくなって、再び日の目を見るチャンスは妨げられてしまい |
ます。セラミックにファイン・セラミックがあるように、テーマ選びにも自ずとルー |
ルがあると言えるでしょう。製品知識も必要でしょう。アプリケーションやその技術 |
にも通じていなければならないでしょうし、一連の流れや手順が頭の中に描けて、完 |
成した製品なり、システムなりが本人には予め形になったもの、アイデア化したもの |
が浮かんでいなければ物にはならないと思います。流れやパターンを創り出す際、そ |
れぞれの段階で特徴となる事柄をメモに残し、後刻追えるよう自分なりの勘案プラン |
を練っておくことは大変重要なことだろうと思います。必ずしも書き物にしておく必 |
要はなく、PCの中でもwebでもそれ相当のアプローチの仕方は随時選べるでしょう。 |
古い時代に実行していたPDC(Plan, do, check)手法でも十分だと思います。音声入 |
力なら脳のキャッチ・アップは一段とスピーディになるでしょう。ここで注意しなけ |
ればならないのは、メモや途中の実験データの管理と事柄別に引き出せる方式をしっ |
かりセットしておくことが要求されるでしょう。 |
筆者も近年特に高齢老人になって以来、メモは良く作るのですが、何時どういう見 |
出しで入力して、そのフォローがどうなっていたかを後日追えなくて折角の入力メモ |
が活かせずに悔んだことがしばしばでした。できるだけ簡便な方法で分類、引き出し |
ができやすいことが大きな要件になります。もう一つ大事なことは、メモやデータを |
残しても、これから先使うことがないと思われるものは良く整理して廃却し、毎回否 |
応なく考慮しなければならない資料の一部として残すことのないよう注意したいもの |
です。 |
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3. 「東京は最早東アジアの拠点ではなくなった?!!」 |
の声にどう反応する |
幾つかの海外、特に欧州の通信社やマスコミ関係社が従来の東京に置いていた東ア |
ジアの本部や拠点を2011年3月11日の東日本大震災以降、ソウル、香港、北京に移し |
ていて、最早東京は東アジアの拠点ではなくなりつつあるということが言われて数年 |
が経ちます。米国のワシントン・ポストも東アジアの支局を東京から北京に移管した |
と聞いている。しかし、この傾向、現象を海外の邦人からは、母国から何かが失われ |
て行くようで心細い思いがしていると心配する向きが多く、日本国内の人々は如何に |
思っているのかを懸念していると言います。正直な話、日本の東京を始めとする主要 |
都市での取材・諜報活動よりも北京やソウルの方が遥かにコミュニケーション上楽で |
あると聞かされています。それだけ日本では外国語での取材に応じてもらう機会が難 |
いということらしいです。語学上の問題もさることながら、問題の焦点の掴み方が特 |
異で、考え方が欧米と極端に変わっていると言うか、片寄っているとさえ言われてい |
ます。初めての訪問者には、欧米と同じ思考方法に培われた国とは到底思えないばか |
りか、民意一つとってみても以前よりも退化していると指摘する向きも多いといいま |
す。見下されているのかも知れません。徹底的に見放されないうちに何としてもしっ |
かり直すところは直して、前向きに改善し、主体性を以って相手に接し、自らの行動 |
を改め、進めるようにしたいものです。 |
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2.友人を失くした悲しさ |
また、これも偶然なのですが、最近刊行されたばかりの中国文学の権威・井波律子 |
さんの著作「新版一陽来復、中国古典に四季を味わう」(岩波現代文庫 文藝353、 |
2023年10月13日第1刷刊)を読み進めていたところ、当該本の第3部“京都・大文字 |
の麓から”の中の“身近な人との別れ”という副題のP.233〜234の文章に素晴らしい |
表現に出会い、流石に上手く気持ちを綴られるものだと感心させらましたので紹介し |
たいと思います。 |
「いずれにせよ、身近な人を失った後、人はそれぞれの形で、失われた日々の記憶 |
を心の底に織り込み、時にまざまざと甦らせつつ、その後の日々を生き続けてゆくの |
であろう。そうして、いつまでも忘れない限り、立ち去った人々もまた生き続けるの |
かも知れない。実はこのところ、たてつづけにゆかりのあった方々が高齢で他界され、 |
時の流れをしみじみ感じながら、ふとそんな思いにふけったのだった。」 |
また、他の部分では、 |
「できることなら、何事にも積極的に向き合い、寄る年波も軽くいなして、元気に |
過ごしたいものだが、考えてみれば、今年はほんとうに身近な方々の訃報が多く、大 |
病をされた方もあった。とりわけ自分と年齢の近い方が他界されると、意表を突かれ、 |
ショックが大きかった。しかし、めいっぱい生き、「戦士の休息」に入られたのだと |
思えば、それもまたよしとすべきなのかもしれない。まさに、「努力して今夕を尽く |
さん(*)」と思うばかりである。(同書第3部副題“努力して尽くさん”P.244)」。 |
*筆者注:中国北宋の大詩人蘇東坡(そ とうば 1036〜1101年)の有名な五言古詩 |
「守歳」の末尾4句“明年 豈(あ)に年無からんや、心事(しんじ)恐らくは嵯 |
蛇(さだ)せん。努力して今夕(こんせき)を尽くさん、少年猶お譲るべし。” |
井波さんの邦訳:(年が明ければ、新年が来ないわけではないが、心の願いはたぶん |
かなわないであろう。いざ眠らず頑張って、年越しの今夜を味わい尽くそう。夜明け |
が来るまでは、なおも一歳の若さを誇れるのだから。)を引用されています。 |
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3.平均寿命が気になって |
わが国の厚生労働省が発表している最新の統計資料によると、全国男子の平均寿命 |
は78.79歳で、筆者は12月7日現在86.75歳に当たるため、全国の男子平均寿命よりも |
既に8.04歳長生きしている計算になります。面白いことに、47都道府県別の統計で見 |
ると、神奈川県の男子は全国でも長野、滋賀両県に次いで3番目に長寿であり、東京 |
都は4位の福井県に次いで5位となっており、共に長寿を楽しんでいることになりま |
す。そこで筆者は神奈川県在住なので、神奈川県男子の平均寿命79.52歳と比較しても |
筆者は7.23歳既に長生きしていることになるわけです。両親の享年父89歳、母102歳を |
超えるまで生存できるとすると、更にこの先3年から16年も長らえることになってし |
まいます。 |
以上の統計上の数字を見ても平均寿命は伊達や酔狂で決められているものではない |
ので、今の時点で平均寿命を大きく上回っていれば、年々健康上の問題が発生し、病 |
気に見舞われ苦闘することも故あることと素直に認めざるを得ないのであろう。親し |
い友を失う悲しみにも、我慢に我慢を重ねて耐えて行かねばならないのでしょう。こ |
れが自然の道理であり、人生の筋道なのであろうとしみじみ感じ入っている毎日です。 |
新しい教育制度になった昭和23年に疎開先の父の郷里福井から東京に戻って、小学 |
校の6年に編入した時、運動では駐留米軍の影響で野球が盛んになっていたが、田舎 |
暮らしの筆者には運動といえば相撲と剣道崩れのチャンバラばかりで、野球など全く |
知らず、早速担任の先生から貰った通知表には「早く野球を覚えて皆と一緒に遊べる |
ように」と、書かれていたのを今でも定期的に思い出します。終戦直後の東京は工業 |
地帯であった大田区の地域は特に爆撃の焼け跡だらけの土地が続き、バラック建築が |
並ぶだけで、畑も殆ど見当たらない景色でした。食糧事情が悪く、十分な食事も出来 |
ぬまま育ったためであろうか、中学の同級生50余名のクラスの現在の存命者はなんと |
10名を切る有様です。高校のクラスメート20名位でスタートした「東京をもっとよく |
知り、名店で食事をし、歩こうという会」も現在では男女ともそれぞれ3名ずつが既 |
に他界し、癌その他の重病で入院していたり、歩行困難の人がそれぞれ4名ずつで、 |
どうにか歩けて集まれる人は6名になってしまいましたが、それらも筆者同様通院中 |
やリハビリ中で五体健全な人は皆無になってしまいました。当然のことながら、この |
会は2年前に皆さんの申し合わせで終了となっています。 |
これ等の経緯は不思議でも何でもない、偽りのない現状なのです。齢相応の生活を |
し、天寿を待つしか他に方途はないのであろうと思います。改めて平均寿命の意味を |
噛み締めた次第でした。 |
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国道134号線を愛する人は多い。ましてや国道134号線 |
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を好きな人は非常に多数となる。湘南と呼ばれる地域の |
海側の多くの景勝地を通過する国道だからだろうか。 |
三浦半島の横須賀の東京湾側から始まり、三浦半島を |
引橋で反転して相模湾側の海の側を通過し、西海岸通り |
や御用邸のある葉山を通過し、ハーフマイルビーチと称 |
する逗子海岸を通り、鎌倉の材木座や由比ガ浜を抜けて、 |
稲村ケ崎、鎌倉高校前のようなアニメの聖地を通過し、 |
江の島と水族館の側を通過し、烏帽子岩を見ながら茅ケ崎のサザンビーチを過ぎ、大 |
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磯に入って西湘バイパスに至る。 |
湘南と言えば我々の世代であると加山 雄三を思い浮 |
かべる人が多いだろう。彼によって海に憧れ、海の側で |
の生活を夢見るような思いを抱いた人は多いはずだ。 |
石原 裕次郎もその一人だ。逗子海岸には金色の太陽の |
飾りと共に「太陽の季節ここに始まる。石原 慎太郎」 |
と書かれた石碑がある。 |
世代によってはサザンオールスターであろう。烏帽子 |
岩の見えるCの字の大きなモニュメントのあるサザンビーチをはじめ、歌の題名に出 |
てくるラチエン通りが本当に存在することに驚いたり、お化け烏帽子岩が見えたり、 |
いろいろな刺激を与えてくれる場所である。 |
アニメでいえば架空の湘北高校を舞台にするスラムダ |
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ンクの世界だろう。今でも鎌倉高校前にはスラムダンク |
のオープニングの景色がそのままに広がる。いつ来ても |
鎌倉高校前の踏切には江ノ電と海の画像を取ろうとする |
たくさんの人々が群れを成す。 |
昔、湘南道路と呼ばれた有料道路の時代から国道134 |
号線に憧れ、是非そこを走ってみたいという思いで車の |
免許を取り、実際に免許も車も手に入れた人も多くいる |
と聞く。その134号線で西湘バイパスに至る前に「湘南大橋」という相模川に掛かる |
大きな橋がある。ここも昔は上り下りが1車線ずつしかなかった渋滞のとても激しい |
道であったが、今では上下2車線ずつの渋滞のない素晴らしい道路になっている。そ |
の湘南大橋からは富士山の山頂がよく見える。富士山の手前に重なって赤白の平塚の |
電波塔も良く見える。小田原城を訪問した行き帰りや、箱根の行き帰り、伊豆半島へ |
行き帰りなどによく見る景色でそれまでは平らであった広大な関東平野から初めて山 |
地が立ち上る場所で木々に埋もれたように見える小高い山が始まる場所が気になって |
地図で調べてみた。その電波塔が建っている場所は「湘南平」という名前であった。 |
名前がとてもいいなと思い何気なく寄ってみた「湘南平」だっだが、そこは名前もい |
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いが期待以上に実に素晴らしかった。常盤口から鎌倉山 |
へ登っていく道によく似た景色と傾斜の道を登っていく |
とこれも鎌倉山への道路とよく似たツヅラ折れの道とな |
り、125tのスクーターでは喘ぎあえぎ上っていくよう |
な山道となる。気が付くとこの急傾斜な坂道を歩いて登 |
る人、自転車で登る人が実に多いことに驚く。標高は |
180m余りということと整備された舗装路が頂上まで続く |
ために誰もが多くの時間はかからず、急に視界が開ける |
ように頂上の平らな場所に着くことができる。 |
「湘南平」は1000畳敷きと呼ばれるオーバル状のほぼ平面の頂上を持つ。オーバル |
の長径方向の端に建てられた「ハルクの動く城」のような新展望台と逆方向の端には |
赤と白に塗られた小型の東京タワーのような電波塔が建っている。この電波塔は平塚 |
中継局として有名な電波塔でもある。ここからは360度の景色が眼下に広がる。ここ |
から見る景色は抜群で他に類を見ない。海側は大島、三浦半島の先から江の島、平塚、 |
大磯、真鶴岬から伊豆半島までが見渡せて、山側は箱根の山から富士山を遠望し、丹 |
沢山塊大山と続き平野部には新幹線が通過するのが見え、団地群もはっきりとわかる。 |
電波塔の後ろには横浜のランドマークタワーまでもが肉眼でハッキリと見え天気が良 |
ければ東京の新宿の高層ビル群も池袋のサンシャインビルも見える。360度の景色が |
見渡せる場所なのだ。こんな素晴らしい場所があったのだという思いが強く、「湘南 |
平」に夢中になった。かなりの回数「湘南平」を詣でた。夏の暑い時期も冬の寒さの |
時もよかったが、冬から春にかけての晴れた日の雪のかぶった富士山を望む「湘南平」 |
はまた格別な良さがあった。この「湘南平」がこのように整備されたのは高々今から |
8年前だという。ここを見つけてすでに5年が経過するが、このように整備されたの |
はそのたった3年前とのことで何とタイミングが良かったのだろうか?それまでも景 |
色の良いところとの評価はあったそうだが、頂上はほぼ平であったらしいが何も整備 |
されておらず景色の見えるポイントは限られていたとのこと。頂上の木々を伐採して、 |
新たに展望台を整備して現状のようになったのはつい最近のことだという。 |
「湘南平」を見つける前には近傍にある旧三井財閥の別荘があったという城山(じ |
ょうやま)公園の虜になっていた。ここも旧三井財閥の建物そのものは既に朽ちて無 |
くなっていたが、高低差のある土地を利用して相模湾と伊豆半島、富士山を眺望でき |
る鶴の飾りのある八角形の屋根を持つ四阿があり、日本庭園があり、茶室があり、門 |
扉が残る山道の遊歩道がある素晴らしい場所である。国道を挟んだ隣の旧吉田 茂の |
別荘地区のには吉田茂の銅像が太平洋に向かって建っており、素晴らしい景色が望め |
るこの場所が整備され公開され始めた時期でもあった。その旧三井財閥の城山公園を |
はじめ、隣の旧吉田 茂の別荘を含む場所が県立公園として整備され、近傍にある滄 |
浪閣を代表とする旧伊藤 博文の別荘、旧大隈 重信の別荘、旧西園寺 公望別邸等を |
含む場所が「明治記念大磯邸園」として国の所掌で整備されつつある。いずれも昔の |
風情を残した素晴らしい建物群と公園群である。大磯には旧島崎 藤村の別荘もある |
し昔の駅の代表のような駅舎を持つ大磯の駅もある。何故か自分の子共の頃を思い出 |
させる景色と重なる所がある。すっかり湘南平と大磯周辺に魅せられてしまったのだ。 |
湘南平と大磯周辺に憑り付かれてしまったといってもいい。大磯に政財界の別荘が集 |
まったのは明治時代だという。軍医総監の松本順という人が海水浴は健康に良い、大 |
磯は最適の地だと広めたことにより、政財界の別荘地として発展したとのこと。駅近 |
くには大磯迎賓館の名称でレストランとして使用されている旧木下家別荘もあるし、 |
山側には某画家の住まいとして使用されているとの噂のある洋館も建っている。 |
「湘南平」は標高がそれほど高くはなく、360度を見渡せる抜群の景色を誇り、標高 |
が高くないために誰でもが歩いてでも訪れることができ、その自然や眺望を妨げるこ |
となく頂上の展望台内にレストランもある。インターネットでバーチャルに訪問して、 |
多く掲載される写真で堪能してもよいが、湘南平の頂上近くの駐車場はいつでも無料 |
だし、城山公園の駐車場は平日は無料なので晴れた日に是非行ってみることをお勧め |
したい。 |
湘南平を含めてこれらの史跡と公園群は極く近くといってもいいような場所にある。 |
たまたまそのような時期に私がこれらを短期間に知ったということになる。しばらく |
はここに憑り付かれていようか。 |
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2.「読める」、「書ける」、「話せる」をこれからも有意義に続けるとすれば、 |
デジタル技術に馴染めなければ・・・・と思うと不安が伴いますが・・・ |
「読める」といっても、徐々に紙に印刷の従来の本の姿から変わってデジタルの |
Kindele版になって、繋ぐ手段を持ち合わせないと読むことが儘ならなくなるでしょう。 |
同様に、「書ける」といっても、原稿用紙に書くのではなく、デジタル化してメール |
する方式とかが最も簡便な方法として一般化されてしまうでしょう。「話せる」も然 |
りで、デジタル通信機器を仲介してのリモート通信が通常の姿となり、顔を合わせて |
とか、一堂に集まっての会議などという従来の方式は極稀なことになってしまうでし |
ょう。手紙やはがき等という手段も徐々に少なくなり、郵便屋さんが配って回るなど |
ということは、早晩亡くなってしまうでしょう。そうなったときに自分はどうなるの |
でしょうか。デジタル化が遅れに遅れている日本は、世界に伍して競えるのでしょう |
か。日本再生に不可欠としてデジタル化推進の元締めとして大臣まで任命してデジタ |
ル庁が政府機構として2021年に発足しましたが、2年近く経った今日、殆どこれとい |
ったデジタル化の足跡はないまま時間だけが経過しています。本人確認は依然として |
対面で、捺印することで行われていますし、ナンバーカードの問題もデッドロックに |
乗り上げたまま近々に解決策が生まれるとは思われません。通信手段としても郵便や |
FAXというアナログ的な手段が未だ大きなウエイトを以って使用されています。旧 |
ガラ系の携帯電話のあと、スマートフォンを持たなかった筆者もメールはPCからの |
みですし、QRコードを利用しての発信も受信もできずに不便を囲っています。 |
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3.「自然」と「現実」の境を実感し、「アクチュアリテイ」と「リアリティ」 |
を理解して、仏教で言う「諸行無常」、キリスト教で言う「メメント・モリ」 |
に従おう |
改めて哲学論議を始めようというわけではありませんが、「メメント・モリ(日本 |
語に訳せば、「死を忘れるな」)」を十分意識の中に持って、日々の生活を送らねば |
ならぬ年齢に達していることに心して見ようと思う訳です。その上で、読み、書き、 |
話す問題解決を合理的に筆者の力が発揮できる方法と条件を考えなければと思う訳で |
す。 |
「アクチュアリティ(Actuality)は、日本語では「日常性」と訳されますが、眼に見 |
える、音が耳に聞こえる、触った感じが分かり、温かい、冷たい触感があり、臭いも |
分かり、味もするというこれら全ての五感が備わっていればそれを「もの」というと |
されています。ああなれば、こうなるが成り立たない世界を「自然」と言うのだそう |
です。「自然」は現実の二つの内の一つで、他の一つは「意識」ですが、「自然」は |
身体で、或いは自分の思うように、つまり意識の思うようにはなりません。もう一つ |
の「意識」の世界は自分の思うようにできる世界です。古来言葉には、それぞれに枕 |
詞(まくらことば)が決められていましたが、「自然」に付いている枕詞は「かけが |
えのない」で、「自然」に相応しい取りも直さず「一つしかない」という意味が込め |
られています。当然「人間」もその中の一つに入ります。そして「うろたえる」がこ |
の世界の事象に特徴的なことです。そして非常に強く現実だと考えるものを「リアリ |
ティ(Reality)」と呼びますが、現実の内で、正しいもの、良いもの、美しいものと |
いう強い実感が感じられるもの(一言で言えば「眞善美」を言います。 |
止めようとしていて、またまた難しい思考の世界に入ってしまいました。これ等の |
定義などを説明しようと思ったわけではなく、どうでも良いことでした。平易な議論 |
に戻しましょう。 |
ただ一言書き足して置きたかったことは、人は何でも作るだけ作り、その数の多い |
人が最後に勝つ人だと思うのです。突飛な言い方でびっくりされたでしょうが、もう |
少し中味を砕いて説明すれば、理解していただけると思います。 |
コンセプトが定まっていれば何を作っても構わないでしょう。家であっても、庭園 |
であっても、陶磁器であっても、絵画や彫刻でも、文章でも音楽でも構いません。文 |
章では小説でも評論でも詩でも俳句や川柳、短歌でも形式はどうでも良いことです。 |
書き物もエッセイであったり、書かれる中味は、骨となる中心的話題なり問題によっ |
て、その形は自由になり、また読む人の受ける印象によって如何様にでも変化させら |
れ得るであろうと思うからです。 |
要は常に前向きに積極的に始めること、踏み出すこと、或いはそれらの前に趣旨を |
固め、アウトラインを定め、筋書きを追ってみることが求められるでしょうか。原則 |
としては、人を誘ってすることではなくて、あくまで自ら進んで始めることでなけれ |
ば意味がないと思います。 |
最近読んだ小説の中で、主人公に「猫の手は借りても、貴方の手は借りません。」 |
と宣言させているものがありました。残念ながら、小説の題も著者もその主人公の名 |
前も忘れてしまって紹介できませんが、自分の身体から出たもの、生まれたもの、と |
いう価値を追いたいと思うのです。 「やってみたい!」があれば、待つのではなく、 |
自分からアプローチすること、相手に理解してもらうには、オーセンティシティ |
(Authenticity=本物)であることが求められます。身の丈に合った嘘のない |
「らしい」スタイルでいることで、むしろ自然と人が集まって来るんだと思っている |
人が多いようですが、あくまでも自分自身が、背伸びするのではなく、等身大の言葉 |
で、自分のやりたいこと、したいこと、地域社会にこうあって欲しいと思うその思い |
の丈を発言し、周りに影響を与え、伝えることが必要です。 |
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3.この時期だから「グレート・リセット」を |
必ず実行したい、そして自分で案配できる自由 |
時間の中での生活を持ちたい東さんはさらに続けて、 |
“「じつは・・・・だった」の発想は共同体の物語にも応用できます。いま、日本は |
危機を迎えています。急速に進む少子化、深刻な国際情勢、経済的な凋落、低迷する |
ジェンダー指数やエネルギー問題、頭の痛いことが山積みです。 そこでどう舵を切 |
るか。過去は間違っていた。昭和の日本とは手を切るというのもひとつの方法です。 |
多くのひと、とくにリベラル派はそういうリセットを望んでいるように見えます。” |
と綴られています。 |
コロナ禍によって。強制的に訪れてきたグレート・リセット(価値観のコペルニク |
ス的転換)に対峙して、多くの人々が、仕事や居住環境や人間関係に違和感を覚え、 |
変革を希求し、自らも真心を投じて没入してみたいと感じています。実際に毎日の新 |
聞、テレビの報道の中にも、急速にキャリアチェンジや仕事の拠点を都会から田舎に |
シフト変更する、いわゆる移住や二拠点間を行き来する移動を実行に移している姿が |
映し出されています。それは資本主義社会にどっぷりと組み込まれた価値観を異端視 |
し、違和感を覚え、そこから自らの本心で飛び出したい、抜け出たいと願う人々が増 |
え、もっと自主的に自由になれる自分が案配できる時間の中で生きたいとする、人々 |
の自然の思いが表面化し、実践に移されようとしています。要は自らレーム・ダック |
(Lame Duck *)を脱し、またその組織からも離れて、少しでも自分を主張できる人 |
になりたいのです。 |
*筆者注:レーム・ダックとは、あまり成功していないので、助けが必要な人、 |
または組織や任期が直ぐに満了するのに再選される予定のない政治家や政党およ |
び政府をいう言葉です。 |
嬉しいことに、いままさに始まろうとしている変革の世の中の動きの中で、ときに |
は資本主義のダイナミズムに酔いしれ、ときには暴力的でさえある資本主義に翻弄さ |
れてきた経験をベースに、どうすれば資本主義を使いこなして持続可能な社会を次世 |
代に残せるかを実践的な視点で語ろうとする人が誕生し始めています。 |