話 題 『 よもやま話 』 2023年2月〜2023年8月
 
          話  題  一  覧
2023. 8.13 偉人たちの「不可能と思われることに敢えて・・ 投稿:清水有道
2023. 7.23 「明るい記憶」と「暗い記憶」・・・       投稿:清水有道
2023. 7. 9 「NHKラジオ深夜便」余話・・・         投稿:清水有道
2023. 6.25 歳をとるとはどうゆうことか          投稿:清水有道
2023. 6.11 残された時間を有効に使おう          投稿:清水有道
2023. 5.21 相談されても相談に乗れない話         投稿:清水有道
2023. 5. 7 3年余りのコロナ禍の鎖された生活の中に・・・ 投稿:清水有道
2023. 4.26 数学ア・ラ・カルト:ヘロンの公式の易しい証明 投稿:岡田昂三 
2023. 4.23 好奇心に凝り固まったわが人生を顧みて     投稿:清水有道 
2023. 4. 9 日本の花見で思い出す米国女性の質の高いエッセイ  投稿:清水有道
2023. 3.26 数学ア・ラ・カルト:ヘロンの公式の易しい導出 投稿:岡田昂三
2023. 3.19 気を静めるために               投稿:清水有道
2023. 3.12 入社後半世紀の集い              投稿:鈴木富雄
2023. 3. 5 次世紀の世界の中で日本はどうなるのだろう?   投稿:清水有道
2023. 2.19 ”それはそれとして、・・・”          投稿:清水有道
 

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          話  題  『 よもやま話 』  
2023. 8.13 清水 偉人たちの「不可能と思われることに敢えて挑戦する・・
 
 偉人たちの「不可能と思われることに敢えて挑戦する姿勢」と
  何としても「実現させようとする強い信念」に思う
横浜市 清水 有道
 
1.はじめに
 筆者の長い間の読書を通して、特に著名な学者や政治家の伝記を読んで、或いは高
名な画家や作家の作品の鑑賞を通して、しみじみ自分の人生と違っている、或いは流
石と感じ入る点が幾つもあるのに改めて気付き、その中でも共通している要素という
か、姿勢は表題にした「誰でもが不可能と思うことに果敢に挑戦する姿勢」であり、
「不可能に見えることでもやり遂げられるという信念を持ち合わせている」ことだと
つくづく思い知らされた。
 ところが、ここ数年何かと眼にし、耳で聞き、飽きるくらい触れる機会の多い米国
の巨大企業の創設・運営に当たる経営者、テスロンのイーロン・マスク(Elon Mask)
やアップルの共同創業者の一人であるスティーブ・ジョブス(Steve Jobs)、アマゾ
ンのジェフ・べゾス(Jeff Bezos)、マイクロソフトのビル・ゲイツ(Bill Gates)
等もまた上記の人々と相通じる共通点を持っていることが分かった。つまり、同じ信
念や姿勢に一生が貫かれていることである。
 
2.経営者リーダー達の意外な読書の傾向
 一例をテクノロジーによるイノベーションに力を注ぐマスクに取れば、自然や科学
の本質や根源的な意味を問うような本に強い関心を示しており、中でも関心が高いの
が宇宙とその開発でしょうか。例えば米国カルフォニア工科大学教授のショーン・キ
ャロル(Seon Caroll)著“THE BIG PICTURE”がありますが、この本は理論物理学の
世界を超えて、宇宙・世界・生命・死・脳・意識等について大きな領域をカバーして
おり、50章630ページにもわたる大作ですが、示唆に富んだ内容であったに違いありま
せん。マスクは、人工知能(Artificial Intelligence =AI)が人間の知能を超える
シンギュラリティ(Singularity, 技術的特異点)に到達すると、人類にとって危険
な存在になると警鐘を鳴らし、研究開発をむしろ規制すべきだというのが一貫した主
張で、いろいろな場で繰り返し発言して来ています。
アマゾンの創設者で経営責任者のジェフ・べゾスが自社の経営幹部に薦めている本は、
エリヤフ・ゴールドラット(Eliyahu M. Goldratt)が1984年に世に問うた
“The Goal”(邦訳「ザ・ゴール 起業の究極の目的とは何か」ダイヤモンド社2001
年刊)です。 この本は全世界で1,000万人が読んだとされるベストセラー中のベスト
の一冊で、とりわけモノづくり企業のリーダーにとって必読の書と言われているもの
です。世界的名著であるにも拘らず2001年まで日本語訳が出版されなかったのは、著
者が日本の製造業を警戒していたことが背景にあったためと伝えられているそうです。
日本人は部分最適の改善にかけては世界でも超一流なので、その日本人に全体最適化
の方法まで教えてしまったら、貿易摩擦が再燃して世界経済が大混乱に陥ると信じ切
っていたからでした。製造現場における工程改善を含む部分的な最適方法に限定せず、
製品の製造全工程の全体最適方法の考え方を学ぶのに必要な書として知られている書
物のようです。この本は勿論のことながらビジネス書なのですが、分かり易い例え話
を盛り沢山に鏤(チリバメ)た小説風の仕立てになっており、なかなか工夫された著
者の意向が汲み取れます。
ゴールドラットはイスラエルの物理学者で、TOC(Theory of Constraints =「制約条
件理論」と訳す生産管理に使われる理論)に代表される生産性の改善に役立つ理論を
発展させた人として知られ、生産計画用のソフトウエアを開発したものの、なかなか
普及せず、小説を通じて製造とは何か、TOCの手法とは何かを伝えるため、「ザ・ゴー
ル」を表わしたと言われます。ではなぜべゾスがアマゾンの経営幹部に「ザ・ゴール」
を読むよう勧めたのでしょうか?アマゾンは小売業が主力の企業ですが、多数の大き
な倉庫を自社で運営し、TOCが業務改善に役立つ手法であり、キャッシュフローを重視
する経営手法の最たるもので、管理に使用される指標の全てが「お金」の動きに関係
していたためだったのです。この本は「企業の目的は何か?」という根本的な問いを
発し、工場を経営する際は、「through-put スループット(生産した製品が販売を通
じてお金に変わる割合)」、「在庫」、「業務費用」という三つの指標に留意して、
即ち投資した全てのお金が、どれだけの利益を生んで回収できるかで、目標達成を実
現しようとしているのです。
 べゾスは日本のトヨタの生産方式にも注目し、その根底を成す「リーン・シンキング
(Lean Thinking)」として一般化されたリーン生産システムを著したジェームス・P・
ウォーマックとダニエル・T・ジョーンズも愛読書としていました。リーン・シンキ
ングのリーン(Lean)とは「痩せた」、「贅肉がない」という意味で、「ムダがない」
ことを指していて、「必要なものを」、「必要なときに」、「必要なだけ」生産する
「ジャスト・イン・タイム」に象徴される例のトヨタ生産方式として世界に知れ渡っ
たものです。「リーン・シンキング、邦訳は日経BP社刊」ではムダをなくすことに人
類の歴史上初めて挑戦した人物としてトヨタの生産方式を体系化した大野耐一氏を大
きく取り上げています。べゾスがアマゾンの経営を語る上で、頻繁に引用される言葉
に「カイゼン」という言葉がありますが、この話などべゾスが製造業からも優れたア
イデアを貪欲に取り入れて、アマゾンの競争力アップに利用していたことを語る例え
とされています。
 べゾスはリスク・マネージメントで大事なことは未来予測をどう捉えるか、データ
を活用したマーケティングにも大きな関心を寄せ、研鑽を重ねていたようです。また、
理論と実践で真のリーダーシップのあり方を築き上げるために、経営の神様と謳われ
たピーター・F・ドラッカー博士のドラッカー名著集の中の「経営者の条件」もバイブ
ルとしていたようです。
 最後に専門の経営上の書物のみならず、少年時代からずっとSFと宇宙に興味を抱き
続けて育ち、イーロン・マスクに勝るとも劣らずのSFと宇宙の世界に取り付かれて高
校卒業時には「宇宙にホテルや遊園地、地球のコロニーを建設したい」とか「資源の
枯渇から地球を守りたい」とか機会ある毎に述べていたと言います。数多くのSF作家
の中でも「ダイヤモンド・エイジ」を著したニール・スティーヴンスンがべゾスの背
中を押した作家として有名です。彼はボストン大学で物理学と地理学を専攻しており、
科学に関する知識が豊富であったこと、父親が電気工学の教授、父方の祖父が物理学
教授、母方の祖父が生化学の教授という科学者の多い家系であったこともべゾスが大
きく評価点を与える基礎になったようです。ニック・レーン著「生命、エネルギー、
進化(邦訳 みすず書房刊)」やダニエル・ヤーギン著「探究 エネルギーの世紀
(邦訳は日本経済新聞出版刊)の2冊に、どのようにしてエネルギーが生み出され、
多方面に、多角的に使われているかの実情分析に特に惹かれていたようです。また、
ウオルター・ルーウイン著の「これが物理学だ!MITでの感動的講義(邦訳は文藝春
秋刊)」が物理学が子難しい学問ではなく、人間の生活を便利にした各種発明の根底
を成し、身近にある様々の謎を解き明かすのに大きな貢献をなした学問であることに
改めて気付かされ、逆に魅力にまで感じていたようです。
 次にパソコン用基本ソフト(OS)の生みの親、マイクロソフトのビル・ゲイツが影響
を受け、勧めている5冊について触れてみよう。
 第1冊目はデイビッド・エブスタイン著「レンジ(RANGE)知能の「「幅」」が最強
の武器になる」(邦訳は日経BP社刊)です。 世の中で専門性を重視する早期教育が叫
ばれる中にあって、ゲイツはこの本の著者が「知識や経験の幅を広げる」ことが重要
だと主張することが、正に最強の武器だと感銘を受けたのでした。この著者デイビッ
ド・エフスタインは少し変わった経歴の持ち主で、もともと米国の科学ジャーナリス
トですが、「スポーツ・イラストレーテッド」誌のシニア・ライターとしてスポーツ
科学や医学の分野を担当し、調査報道で活躍してきた人でした。
2冊目は、ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング夫妻の著した「FACTFULLNESS 10
の思い込みを乗り超え、データを基に世界を正しく見る習慣(邦訳は日経BP社刊)」
です。世界中で300万部を超えるベストセラーとなった本です。ゲイツも「これまでに
読んだ中で最高の本の一つだ」と絶賛しています。ゲイツは2018年に米国の全大学を
卒業した学生の希望者全員にこの本をプレゼントしたそうです。人間は本能として物
事を必ず幾つかに分断したり、区分けしたり、ネガティヴ本能を働かせて初めから拒
絶したり、直線的に傾向を見がちで、また一度怖ろしいことが起こると、本能的に初
めから同様のことを避けて、科学的に大丈夫となっても信頼できなくなり、リスク管
理が難しくなってしまうことが挙げられています。これ等本能のなせる業は、さらに
拡大して、過大視、勘違い、物象・事象のパターン化、宿命との思い込み、果ては焦
りにまで繋がる一連の悪い現象の源になってしまいます。これらの悪例を克服するに
は、世界を公平に、事実に基づいて正しく見る習慣を養うことが大切だと説いている
のです。
 3冊目はゲイツの30年来の友人の“投資の神様”とか、“世界一の投資家”とか言
われているウオーレン・パフェットが推薦しくれた「人と企業はどこで間違えるのか
 成功と失敗の本質を探る“10の物語”」(邦訳 ダイヤモンド社刊)です。パフェ
ットは遊びではゲイツのトランプゲームのブリッジの仲間であり、慈善活動では共同
歩調を進めている相手です。その人が勧めてくれた本書の著者は、ジョン・ブルック
スで、本書は雑誌「ニューヨーカー」に連載した企業や経済問題のエッセイを収録し
たものです。2014年現在、ゲイツはこの本が依然として自分が今までに読んだ最高の
ビジネス書だと公言しているそうです。内容は具体的に米国を代表する企業、フォー
ド・モーター、ゼネラル・エレクトリック(GE)、ゼロックス等の企業と経営を与
(アズ)かる人物の成功と失敗を取り上げ、教訓を得るに適した投げ掛けをしている
ようです。
 4冊目は、「SHOE DOG(シュードッグ)」ですが、この本は世界的なスポーツ用品
メーカーのナイキを創業したフィル・ナイトが著した回顧録です。余りにも物語がド
ラマチックなので危機を孕んだ小説か、サスペンスを読むような心地になりました。
2022年のナイキ社の売り上げは因みにどのくらいと思われますか。なんと467億ドル
(約6兆5000億円)です。ところが、同社がというか、ナイト氏がナイキ社の前身の
ブルーリボンスポーツを創業した当時は、日本のオニツカ(現アシックス)が製造す
るスポーツシューズ(オニツカタイガー)の一販売代理店に過ぎなかったのです。
ナイキ社の独自ブランド “ナイキ”はギリシャ神話で翼を持った勝利の女神“ニケ”
のことです。ミロのビーナスとよく比較されるのですが、日本でもルーブル美術館か
らの美しい彫像で上野の森が賑わったのを覚えておいでの人も多いと思います。ゲイ
ツは「シュードッグ」を次のように評価しているのです。
 「この本から教訓を得ようと期待して読んだ人は、あるいは成功のためのヒントも
なく、がっか りだという人もあるでしょうが、全く何の飾りっ気もなく、正直に書
いているだけで、一切成功を美化することなく、実話を紹介するという本当に驚くべ
き本物である」、と。実際ナイト氏は、本人自身がアメリカから来日して上記の代理
権を得たことからスタートした、ごくごく最近の実話なのです。ナイキの製品をご愛
用の方も多いと思います。是非この本を一読されてみてはいかがでしょう。
 次に最後の5冊目ですが、マシュー・ウオーカー著の「睡眠こそ最強の解決策であ
る(邦訳はSBクリエイティブ 刊)」です。この著者は米国カリフォルニア大学バー
クレー校の神経科学と心理学の教授です。ゲイツはこの本の説くように、「脳は人間
が深く眠っている間に、情報を整理し、記憶をしっかり刻み込んでいる。」を信じ、
「ひらめき」を生む力の源泉と信じているのです。
 
3.おわりに
 首題とはかなりかけ離れた、マスク、べゾスおよびゲイツ3氏の読書の分析のよう
にもなってしまいましたが、幼年時からの読書がいかに偉大な人々の研鑽や毎日の生
活を支えてきたかを知る上で役に立ちました。3氏とも多くの書籍を読み漁って得た
膨大な知識を武器に応用問題を解決し、人生や仕事に役立てていることが分かります。
不確かな情報が乱れ飛んでいる昨今、良い本の価値は確かな情報源、脳の活性化を促
すものとして高まっていくことでしょう。今回は何も読書の功罪を綴ろうと思ったわ
けではありませんでしたが、著名な全米、いや全世界を代表する大経営者3人が読書
にそれぞれの発想、着想の原点、理論的根拠を求めていることを知るに及んで、少し
文の内容が逸れてしまった感は拭えません。今後の教訓とさせてもらいます。御精読
有難うございました。長時間ご退屈さまでした。
                                     了
                         2023年7月3日(月)  記
 
2023. 7.23 清水 「明るい記憶」と「暗い記憶」・・・
 
 「明るい記憶」と「暗い記憶」、
   「すぐ実行する」と「暫時辛抱する」の大きな違い
横浜市 清水 有道
 
1.「明るい記憶」と「暗い記憶」はどうして生まれる?
 記憶にも明るい記憶と暗い記憶があって、過去を振り返るとき、明るい記憶は、自
分に都合の良いように歪曲されたり、時には真逆に入れ替えられたりしていることが
多く、暗い記憶は反対に自分に都合の悪さが強調され、相手側の悪さが拡大、誇張し
て心に焼き付いてしまっているのだろうと思います。いずれにしても、過去の事柄は
往々にして片寄った思い込みの中にとっぷり浸かった状態で存在していると言っても
過言ではないのでしょう。
 記憶はそのように危うい、あやふやなものであるので、真っ正直に信用したり、頼
ったりすることは誤りに繋がりかねません。特に人間を長くやって、記憶も長期に遡
る場合、尚更不確実に近いものと思った方が無難でしょう。
 そこで先ず論を先に進めることをさし措いて、正確な事柄を伝播する習慣を養い、
自信がなければ、記録を写真や日記に残すことが差し当たりの安全策と考えられます。
 
2.「すぐ実行する」と「取り敢えず辛抱する」人の違いは何?その根源は?
 つぎに、「すぐ実行する」と「取り敢えず辛抱する」の確執を考えてみましょう。
山田太一さんが自作の脚本の中で語らせている飲み屋の女将とお客との会話に、
 「性(ショウ)の合ったお客さんで、最後まで行かなかった人ってのが一番なのよ」
 「いいもんなのよ」
 「行くところまで行っちゃえば、それだけのことだけど」
 「両方でなんだか辛抱しちゃったお客さんて、いまだにね、いい思い出」
 「人間の付き合いの中でも、相当上等の付き合いじゃないかって思ってるの」
筆者も大好きな会話の脚本が疑問をすべて明らかにしてくれています。下手な文章を
書き連ねるよりもよっぽど説得力があると思われませんでしょうか。
 
3.「人生楽しかったか?不幸だったか?」の尺度は?経験の中味は?
 何でも言いたい放題、やりたい放題できることが本当に楽しいか、幸せかというと、
筆者はそうではないと思うのです。人生の内で経験が豊富か否かが問題になるとき、
要件によると思うのです。持った友達の数、旅行の訪ね先の数やその期間、読書の幅
や種類、実践した運動の種類、勝負やコンペティションの内容と結果、等々一見多い
に越したことはなさそうに思われますが、さにあらずで、程度の差と、本人がそれら
から受けた、あるいは学んだ対価というかエキス、獲得できたフルーツと満足度とそ
の人の本来やるべきこととの整合性や補完関係で有意義か否かが決まり、本人の力の
一部と判定されるか否かが評価されるのだろうと思うのです。経験が豊富と言っても、
例えば離婚歴や不倫の数とか、上司との喧嘩の具合や回数等というものは全くない方
が健全かもしれません。ただ感覚的なものは、経験の有る無しや造詣の深さが、その
人の生活や信条に大きな影響を与えるようになると思います。音に対する感覚や美術
の鑑賞力は一言では表せないその人の生活力や日常の身体の運びに大きな影響を与え
ていると思います。
 一つ確かに言えることは、何人も棺桶に入るまでは、本人の思うままに忠実に、誠
実に生活し得たか否かは分からないことだと思います。生存中でもしょっちゅう、
「今言っていること、今やっていることは、本心だろうか?」「間違いや無理はない
のだろうか?」と言われる人も決して少なくはありません。裏表のある人、依怙贔屓
(エコヒイキ)のあると思われている人は特にそうです。また、移り気な人も問題で
しょう。自分の発言や行動に確固たる責任が取れないからです。筆者の近くにも昨日
と今日で言うことが違ったり、することが変わってしまったりする人も多く知ってい
ますが、他人を信用する気概を磨く上で、こういう人に出会うと大きなショックと挫
折を禁じえません。
 余り理屈っぽいことを綴っていると、ついつい愚痴っぽくなって後味が悪くなって
しまってもいけませんので、この辺で筆を擱くことにしましょう。
                                    了
      2023年6月21日(水、夏至)  心臓手術入院前日に気晴らしに記す
 
2023. 7. 9 清水 「NHKラジオ深夜便」余話・・・
 
         「NHKラジオ深夜便」余話
  その番組のコーナーの一つである「絶望名言」について
横浜市 清水 有道
 
1.はじめに
 もう大分前からの習慣になってしまいましたが、NHKの夜のラジオ番組に親しみを
持ち、軽快な睡眠を得るための”睡眠導入薬”としての”ラジオ深夜便”が筆者の夜
の生活に避けられぬ存在となりました。中でも午前2時から3時の各種洋楽番組、
3時から4時の”日本の歌”が好きですが、草木も眠る丑三つ時であり、わざわざ横
になりながら真夜中の2時間を目覚めて起きていることなどできませんので、毎晩ほ
んの少し齧る程度の付き合いしかできないのは言うまでもありません。ところが、
NHK深夜便制作班の文学紹介者 頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)氏とアナウンサーの川野
一宇(かわの・かずいえ)氏によって「絶望名言」というコーナーがラジオ深夜便に
生まれ、毎月第4月曜日の午前4時から40分とその後大分後になってから「絶対名言
ミニ」として毎月第2木曜日午前0時30分から20分間が追加されて、NHK第1放送の
「ラジオ深夜便」の中で放送されています。第1回のカフカ、第2回のドストエフス
キー、第3回目以降ゲーテ、太宰 治、芥川龍之介、シェークスピア、川端康成、ゴ
ッホ、宮沢賢治まで12回放送され、ここまでが一冊の本に纏められて、飛鳥新社から
出版されました。その後、13回目以降も引き続き放送され、本の方も同じ出版社から
「絶望名言2」が発刊されました。第二弾は8人をカバーしています。
中島 敦、黒澤 明、ベートーヴェン、古今亭志ん生、向田邦子、川端康成、遠藤周作、
ゴッホです。この内、川端康成とゴッホについては、全く同じ文章が載せられており、
重複しています。また、黒澤 明、古今亭志ん生と遠藤周作の3人は、「絶望名言ミ
ニ」で取り上げられたものです。
 
2.絶望は何時起きる?!
 間違いなく、人は病気がひどくなったり、長引いたりしたとき、事故に巻き込まれ
て傷害を受けたり、損害を受けたとき、あるいは失恋、挫折で大きく落ち込んだとき、
それらの現実を受け入れることが出来ず、絶望するのではないでしょうか。古今東西
の著名な文学作品の中には、その著者が直接自分で持った絶望や想定される絶望を文
中の人物に語らせたり、寄り添う言葉に託しています。その中でも代表的なものをこ
の番組は紹介しており、同じ境遇に陥っている読者に絶望から抜け出し、生き残るヒ
ントを提供してくれているのです。取り上げられた人々の絶望感とその対処法はいろ
いろ参考になり、筆者の欠かせない夜の番組となりましたが、眠っていてスキップす
ることも多く、心を込めて聴き入ることは大変な努力を伴いますので、自分自身呆れ
ることもしばしばです。
 
3.”The night is long that never finds the day.”の解釈と格言
 この文章はかの文豪シェークスピアの「マクベス」に出てくる有名な言葉です。
この邦訳は意訳した「明けない夜はない」と伝わり、教えられてきました。しかし、
この意訳に対して「明けない夜もある」との訳に代えた翻訳家もあります。いずれを
採りますか?「時間が解決してくれるよ」とか、「時間が癒してくれるよ」とか言い
たいなら、それも正解かもしれません。名作の訳文は、作者が何を強調したいか、読
者が何処に最も打たれたか、によって微妙に違ってくることでしょう。
 しかし、「明けない夜もある」というふうな、時間が解決しない悲しみもあるとい
うふうなことを言うのは、なんて暗いことを言うんだと思われるかもしれませんが、
現実にそういう悲しみがある以上、そういうこともあるんだと知っておかないと、逆
に、何時までも悲しみが癒えないときに、より気分を拗らせてしまうことにもなるわ
けです。現在では、「時間の経過だけでは、人は癒されるとは限らない」ということ
が確認されたと言われており、その意味でその感じを描き切ったシェークスピアはや
はり偉大でした、となるのですが、どこか禅問答のようで、一筋縄では論じられない
内容を含んだことのようです。実はこの一文が絶望名言中の代表的な名言として言わ
れているのです。
この番組の引用によれば、カフカは次の言葉を残しています。
 「ぼくは人生に必要な能力を、
 なにひとつ備えておらず、
 ただ人間的な弱みしか持っていない。
 無能、あらゆる点で、しゃかも完璧に。」
 
また、ゲーテは、
 「絶望することができない者は生きるに値しない。」
 
ところが、詩人であり作家であった中島 敦は、その代表作である短編小説の
「山月記」の中で、以下の言葉も残している。
 「乙(おれ)は詩によって名を成そうと思いながら、
 進んで師に就いたり、
 求めて詩友と交わって、
 切磋琢磨に務めたりすることをしなかった。
 乙(おのれ)の珠にあらざることを?(おそ)れるが故に、
 敢えて、刻苦して磨こうともせず、
 ますます乙(おのれ)の内なる臆病な自尊心を
 飼いかぶらせる結果になった。
 この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」
 
全力で努力して詩人になれなかったら、非常に自尊心が傷ついてしまう。それが怖ろ
しくて努力できなかった。しかし、一方では才能があるという思いがあったから、諦
めることができなくて、どっちにも進めず仕舞いになった。そういう心理を「臆病な
自尊心と尊大な羞恥心」というふうに呼んで懺悔しているのです。
そして中島は、
 「虎と成り果てた今、乙(おれ)は漸くそれに気が付いた。
 それを思うと、乙(おれ)は今も胸を灼(や)かれるような悔いを感じる。」
と綴っているのです。
 
上記の引用したカフカは、しかし次のようにも言っています。
 「幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
 それは、
 自己のなかにある確固たる物を信じ、
 しかも、それを磨くための努力をしないことである。」
 
4.おわりに
 読み終えた筆者の感想は蓋し、格言に言うように「言うは易し、行うは難し」の一
語に尽きると思いました。でも内心は正直今の己の歳を考えて、今更何を求めてその
ような難しい心の持ち方に挑戦するのだ?!!
全く信じられない・・・?これが正解でしょうか。
                                    了
                        2023年6月17日(土)  記
 
2023. 6.25 清水 歳をとるとはどうゆうことか 
 
  歳をとるとはどうゆうことか 横浜市 清水 有道
 
1.はじめに
 村上春樹の短編小説の書き出しの文章に次のような数行がある。
 「歳をとって奇妙に感じるのは、自分が歳をとったということではない。かっては
少年であった自分が、いつの間にか老齢といわれる年代になってしまったことではな
い。驚かされるのはむしろ、自分と同年代であった人々が、もうすっかり老人になっ
てしまっている・・・・とりわけ、僕の周りにいた美しく溌溂とした女の子たちが、
今ではおそらく孫の二、三人もいるであろう年齢になっているという事実だ。そのこ
とを考えると、ずいぶん不思議な気がするし、ときとして悲しい気持ちにもなる。自
分自身が歳をとったことについて、悲しい気持ちになるようなことはまずないのだけ
れど。
 かつての少女たちが年老いてしまったことで悲しい気持ちになるのはたぶん、僕が
少年の頃に抱いていた夢のような物が、ないからだろう。夢が死ぬというのは、ある
意味では実際の生命が死を迎えるよりも、もっと悲しいことなのかもしれない。とき
としてそれは、ずいぶん公正ではないことのようにさえ感じられる。
 これら数行が筆者には素晴らしい表現であり、書かれていることに無性に感じ入っ
てしまったのを、深く、そして重く記憶に留めている。多くの読書家が関心を寄せる
代表的な作家の一人であればこそのしっかりした著述に思えるのである。
 
2.中学、高校の同級生の生存者がここ数年激減していることへの反応
 筆者は昭和19年当時の国民学校2年生から太平洋戦争の戦火を逃れて4年間父の郷
里の福井市外の山村に疎開をし、小学校6年のとき東京に戻った。そして新しい教育
制度になって2年目の昭和24年から東京都大田区の新制中学に通った。まだ学校の周
囲も、自宅の周りも戦災を被った中小工場の廃屋がいっぱいそのまま無残な姿をさら
したままであった。住民もまだ少なく、中学の一学年のクラスも筆者の属した進学組
のAクラス、夜学に進むか就職する児童のBクラス、と未だはっきり態度を決めていな
い人達用のCクラスという編成であった。Aクラスの人員は60名くらいだったと思うが、
このときのほぼ9割がもうすでに鬼籍に入ってしまい、生存者を数えることが大変難
しくなってしまった。クラスメートの中には戦禍に倒れた父親のない者がたくさんい
た。運動といえばチャンバラと相撲が専らの毎日であったから、東京に戻ってみて野
球というスポーツが流行っていても仲間に入ることもできなかった。何となく気にな
って授業中に前の席の女の子の髪を引っ張ってはからかってみたり、負けることが分
かっているのに、卓球の上手な女の子に試合を申し込んで惨敗して逆に喜びを感じる
など、既に女性を感じる生活が始まっていた。クラスメートの中に、こんなわけで毎
日の動静が気になる女の子が6人ほどいた。運動姿勢の素晴らしくきれいな子、本を
読むことが好きな同好の子、明かに筆者に好意を寄せていると思わせる子、いずれも
中学生活3年間の生活が鮮やかに蘇る。これらのクラスメートが2000年に入って急に
天国に旅立ってしまい、自分だけがぽつーんと取り残されてしまった感じになってい
る。
 高校時代の同級生もいま改めて考えてみれば、年齢的には大分差があったことが思
い出される。それも時代の背景を大いに反映したものだった。筆者は運よく学区制の
進学校のトップ校に入学できたが、学区制はあっても当時は寄留が認められていたの
で、沖縄(当時はまだ米国の統治下)も含めた全国各都道府県の出身者が大半で、決
められた学区(千代田、港、品川および大田区)の純粋な出身者はそれほど多くはな
かった。プラスして、日本の高校の代表として韓国からの派遣優等生の留学生も各ク
ラスに1,2名混ざっていた。各クラスの中には3〜4名3,4歳年上の生徒がいた。
後に見られた希望校に入るために浪人して入ったわけではなく、父親が朝鮮、満州、
南洋諸島への海外派兵の責任者や満鉄の役職に付いていて、戦後抑留されたり、引揚
船に間に合わず日本への帰国が遅れたためだった。これらの歳の多い人たちは確かに
皆優秀で現役で東大に合格したりしていたが、中には更に4浪して7年遅れで大学入
試したような人もいた。皆共通して疎開の経験を有しており、友情を育む上で大きな
役割を演じていたことを改めて思い出す。卒業以来68年経った2023年3月末現在で、
3年次の同クラス50名のうち生存者は3割の15名を数えるだけとなってしまった。生
存者の中には老人ホーム暮らしや痴呆症に苦しむ人、大病で寝たきりの生活を送って
いる人もいるので、自分の足で町を自由に歩ける人は10名いるかいないかになってし
まった。このように現実の状況を厳密に突き詰めると余りに惨めに思えて嫌になって
しまう。平均的な老人で十分だとつい思ってしまい、余り長生きして自分一人になっ
てしまってどうなるのだろうと、余計な取り越し苦労を重ねる昨今である。
 
3.おわりに
 思い返せば、筆者が関わってきた同窓会やクラブのOB会、旅行会や趣味の会合ほと
んど全てが、活動を止めたか、切りのいいところで解散となってしまい、毎日の生活
が変化のない寂しいものになってしまった。このままではますます老化が加速し、自
分では始末が出来ない状況になるのではなかろうかと心配でならない。手と脳を使っ
た書くことと読むことだけはこれからも怠けずに続け、足腰の病を早く克服して歩く
ことだけは続けたいと思う。
                                     了
                          2023年5月20日(土)  記
 
2023. 6.11 清水 残された時間を有効に使おう 
 
  残された時間を有効に使おう 横浜市 清水 有道
 
1.はじめに
 平素の不平・不満を少なくし、残された時間を安らかに過ごすために、これから予
想される不安を失くす努力をしよう。そして、暇と有閑を上手に使い、労働に打ち込
むことが美徳として教え込まれた過去の誤った常識を正し、新鮮な考え方に基づいて
翌日以降の生活に活性が得られるよう、例え一日の生活が不完全であっても、それを
咎めず、逆に不完全を礼讃し、普通のこととして認め合う習慣を作ることにしよう。
 労働から解き放された余暇を是非毎日の生活を彩る色感や音律を楽しみ、文化や芸
術を通して人生の豊かさを追求してみましょう。このためには、改めて寛ぎを称える
習慣を創り出す努力を惜しんではならないでしょうし、過去の人生を過度に持ち上げ
たり、逆に極端に蔑んだり、貶めたりしてはならないと思うのです。そこで大事なこ
とは、毎日の生活設計の中で、余暇を取り込む時間管理が配慮されていること、「余
暇を持つことは本来人間に与えられている大きな権利である」ことの認識が確立され
ることでしょう。少し回りくどい言い方をしてしまいましたが、幾つか具体的な例を
取り上げて話しを先に進めてみましょう。
 
2.精神的な苦痛はできるだけ和らげよう
 人生を豊かにするために差し当たり直面する精神的苦痛を除去しよう。軽重は問わ
ずとも老いては誰もが幾つかの病を持ち、療養中であろうと思われます。その中にあ
っても当人の生活の質(Quality of Life、略してQOFと呼びますが)は落とすことな
く保つことが必要で、特に重患の場合には、緩和ケアに十分の配慮が望まれるでしょ
う。具体的なケアは事前によく調べておくことが絶対に必要です。
 人の精神的な苦痛のもう一端には、趣味・趣向・食べることに満たされないときの
悍ましい気持ちがあるのではないでしょうか。非常に逆説的な言い方になりますが、
人は必要な限界を超えて支出が行われるときに初めて贅沢を感じるものだと聞いた覚
えがあります。それでは、人が豊かに生きるためには贅沢がなければならないのかと
問われれば、正直疑問としか答えようがありません。何故なら万一このような贅沢を
肯定してしまえば、浪費を賞賛し、奨励していると受け取られ兼ねないからです。し
かし、贅沢は許されるなら享受したいと思うのが人間の浅ましさでしょうし、浪費に
なってしまった挙句の果てには限界が待っているからです。普通の決められた消費に
は限界がない代わりに殆ど満足をもたらすことはないからです。その大きな理由は、
消費という行動は物に付与された観念や意味を受け入れさせるのであって、物、例え
ば贅沢な衣装や宝石を受け取ったり、身に着けたり、贅沢に食べるような物を吸収す
ることではないからです。
 次に人によってはこのことが一番大きな苦痛の対象だというかも知れませんが、個
人の自由にできる金融資産の額が議論の的になるでしょう。現に近年テレビでの時事
解説や新聞・雑誌、その他の情報には、以下に掲げるような文句や文章がよく引用さ
れたり、語られたりしているのが目につきます。即ち、「日本人は世界一個人金融資
産を持っているにも拘らず、殆どの人が、自分の将来に不安があり、本心から人生を
楽しむことなどできない」と述べられています。国民の個人個人の資金を通しての努
力や資金運用が金利の低い銀行預金やタンス預金に収納されていて、投資には回らず
殆ど市場に循環されていないからでしょう。そこで、これ等の議論から見えてくる政
府の取るべき策は、上述したような将来不安を失くし、個人資産を市場に還流し、経
済を活性化させることでしょう。更にもう一歩進んで人生を楽しむために、モノ申す
ことが出来ない多数の幼齢・老齢の人々のために、政府は実効策として少子化対策諸
案、教育・保育費の補助・無償化および高齢者への各種税制の減免や新設等々手厚い
方策の実行も望まれるところです。
 
3.民主主義と自由主義の解釈の混同と
           都合の良い考え方の普遍的実践・実行の誤りは正そう
 やや次元の異なる首題をごちゃごちゃに、この時とばかりに持ち込んで、議論を複
雑にし、焦点のぼけたものに追いやるかも知れないが、筆者は近年のネオリベラリズ
ム(Neoliberalism,日本語では新自由主義)の考え方と19世紀中半から主に米国を中
心に叫ばれているリバタリアニズム(Libertarianism, 日本語では自由至上主義)が
政治上および経済上で使われる場合の自由主義にはそれぞれに大きな制約があったに
も拘らず、その箍(たが)を外して自由を余りにも幅広く謳歌してしまったがために、
非常に偏向して受け入れたまま、流布することになってしまい、民主主義の考え方と
結んで間違いを孕んだまま今日に至ってしまったことを是非とも早期に正さなければ
ならないと考えています。
 リベラリズムは日本語でも人道的自由主義とわざわざ「人道的」を冠せているよう
に、法律や究極的には憲法によって政府の権利を制約し、政府の管轄下にある個人の
権利を守る制度を創ることを主張するものであって、17世紀後半から今日まで行われ
ています。その際の自由主義とは、特に政治思想上は個人の自由権と議会主義の擁護
と進展を唱える立場に立ち、経済思想上は個人の経済活動の自由を保証すると同時に
自由貿易を唱える立場に立っていました。これ等の考え方がその後米国では個人自由
主義が独り歩きしてしまったというか、跳び抜けて走り過ぎてしまい、1830年以降政
府への敵意に基づく特異なものに育ってしまい、最早欧州で使われるようなリベラル
ではなく、自由意志の存在を協力に主張する自由意志論にまで育ってしまい、伝統的
なリベラリズムの立場を離れて実践的な方法を採用しようとするリベラル派の動きと
なり、いわゆるネオリベラリズムと変容してしまった。米国のレーガン大統領、英国
のサッチャー首相、わが国の中曽根、小泉の両首相の政治はその代表であります。
ネオリベラリズムでは社会の貧富の差がますます拡大し、格差社会が出現する羽目に
なり、日本では一部官営であった郵政業務や運輸・輸送業務が民営化されるに及んで、
反って日常の生活に不便が生ずる結果となってしまったことはご承知の通りでありま
す。また、絶対多数=民主主義の誤った考え方が行き渡ってしまい、絶対多数で押し
切るために異なる意見を真剣に聴く風潮が廃れ、国会や地方議会の運営も若干怪しく
なってきているのではなかろうか。その結果が海の向こうからは、わが国は衰退途上
国とまで揶揄される始末であります。
 
4.おわりに
 もう一つ余計ごとになりますが、政治面はともかく、経済面では筆者も学生時代を
通して、繰り返しかのカール・マルクスの「資本論」は欧州における中道左派、社会
主義・共産主義の信奉者・擁護者のバイブルであると教えられました。しかし、近年
上述したような間違った風潮を正すために多くの学者や知識人が「イデオロギーに左
右されず、偏見を持たずにもう一度真剣にマルクスの”資本論”を読んでみよう」と
呼び掛けています。いま改めて再評価されているようです。筆者もこれ等の薦めに沿
って早い時期に再読をトライし、短い残りの人生には最早不要なことかもしれません
が、残りの人生を有意義に過ごす策を見出す一助として考えてみたいと思っていす。
                                    了
                        2023年4月13日(木)  記
 
2023. 5.21 清水 相談されても相談に乗れない話
 
 相談されても相談に乗れない話 横浜市 清水 有道
 
1.森 絵都の小説「できない相談」
 様々な文芸賞や出版文化賞を受賞されている作家森 絵都(もり えと)の最新の
文庫「できない相談」(”Piece of Resistance”2023年3月10日
初版刊行のちくま文庫)を大変面白く読んだ。短い一口話のような文章ながら、書か
れている話が本当に「あるある!よくある話しだよ!」と思わせる話しに満ちていて
思わず相槌を打ってしまうようだった。
 
2.同書の第6話「書かされる立場」
 全部で40話ある中の第6話にリスとされている「書かされる立場」と題する小品は
ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を主人公の僕の立場に立って読んだ感想と
して書かれているものです。主人公の僕は蝶が大好きなのです。そこで隣の家のエー
ミールが珍しい蝶を持っていると聞いて、無性にそれが見たくなります。偶々隣の家
を訪ねた時、エーミールが留守だったのを幸い勝手に彼の部屋に上がり込んでしまい、
欲しかったその蝶を手に取ってポケットに入れてしまいます。ところが隣家を出よう
としたときに、同家の女中さんに出会ってしまい慌てた弾みにポケットの蝶を壊して
しまいます。家に帰ってお母さんに白状したら、エーミールに謝りに行きなさいと諭
されます。エーミールは非の打ちどころのない出来た少年という設定になっているた
め僕は一切咎められませんが、僕はその心を読んで、僕自身が悲しく、可愛そうにな
りました。そして、自分の家に集めていた沢山の蝶の標本を全て潰(つぶ)してしま
うという話なのですが、筆者が蝶気違いマニアのため、主人公である僕の心が良く理
解できて、思わず涙ぐんでしまったのでした。筆者もしみじみ著者の言わんとしてい
る「できない相談」であると納得したのでした。
 
3.同書の第8話「折れずにススメ」
 もう一篇第8話目の「折れずにススメ」と題してスイスのR社の高級腕時計の遅れ
が目立つようになり、東京丸の内にあるR社の直営のサービス営業部を訪ねると、オ
ーバーホールと序でに幾つかの部品の交換が必要であると告げられ、代金が10万円を
超えると言われ、悩んでしまう青年安月給サラリーマンの話なのだが、筆者も初めて
欧州に旅行した時に、将来の記念にとR社のスイス本社を訪ね、免税で当時としては
分不相応の高級品を購入して以来ずっと今日まで使っており、一回のオーバーホール
が5万円にもなることがあり、その都度新品の腕時計が幾つも買える金額をオーバー
ホールだけに費やすことのもったいなさ、不経済さを悲しんだ経緯を思い出し、この
話も正に「できない相談」であると首を垂れたのでした。因みに筆者の持つR社の
”OYSTER PERPETUAL DATEJUST”は上記R社サービス部の話
しでは「現在実用されている時計としては最古に当たるかも知れぬ」と言われ、近い
将来サービスも受けられなくなると注意されていますが、ほぼ60年以上わが腕に肌身
離さず働いてくれています。
 
4.その他の「相談できない話」
 収録されているその他の38篇の話は、筆者の経験にはいずれも当て嵌まらないもの
ばかりであったが、万一相談を受けても辞退したいものばかりであった。よくもこれ
だけ身近な例を集められたものと感心したと同時に、世の中にはいろいろ複雑な事情
を抱えて、難しい生活を強いられている人々が多いことが分かり、改めて我が身の幸
せというか、経験不足と言うべきか表現し難いが、余り面倒な事例に巻き込まれるこ
となく人生の最終段階を迎えようとしている状況をつくづく有難いことと、今までお
付き合い下さった皆々様のご恩情に感謝したい気持ちでいっぱいになった。
                                    了
2023年4月4日(火) NHKのテレビ小説「おしん」の放送開始記念の日に記す。
 
2023. 5. 7 清水 3年余りのコロナ禍の鎖された生活の中に・・・
 
 3年余りのコロナ禍の鎖された生活の中に、日本の政治、経済
社会の地盤沈下が起きてしまったのではないか?! との危惧と
懸念を感じるのですが・・・・・・。 横浜市  清水有道
 
1.はじめに
 直接にせよ、間接にせよ、まだ尾を引いている3年を超すコロナ禍のパンデミック
騒動の間に、世界に於いて、特に政治、経済、社会、学究の分野で、日本の相対的な
地盤沈下が起きてしまったのではないか? と、筆者は危惧し、大袈裟に言えば懸念
を感じています。世間一般の方々の受け止め方と甚だしく乖離していなければよいの
ですが、と願うばかりです・・・。
 人は慣れない刺激に常時晒されていては息苦しくて生きて行けないですし、刺激が
なければ退屈してしまい、進歩への道も見付けられません。どちらもお互いに矛盾し
ています。唯一その調和の手段として考えられることは、各人が自分の置かれている
立場や環境に最適として設定した習慣をその都度の変化に応じて更新・改良する余力
を持てるか否かに係っているのではなかろうかと思います。
 
2.人生についての考え方
 そこで、本題とは少々考える方向が違うかも知れませんが、議論を進める前に、人
生についての考え方について少し触れてみたいと思います。
 人生には様々な困難が付き纏います。中には絶対に受け入れられない理不尽な事柄
もたくさんあります。それらにどう取り組むか、闘うか、友人や親・兄弟・親戚の人
々の手を借りることをするかしないか、誰と相談してその決断をするか、間違えば逆
に物事をややこしくし兼ねませんので、時期と手段の選択には十分な配慮が必要とな
るでしょう。
 厄介なことは、直接案件に携わっていないにも拘らず、割り込んできて、したり顔
で物言う人というか、外野の野次馬にも要注意です。思ってもいないところから、話
が持ち込まれ、「なぜあの人が・・・?」、「なんであの課が口を挟むのだろう?」
などの疑問だらけの展開に誘い込まれることも珍しくありません。
 それぞれ切実な理由を付けて、自分に都合の良い物語を語ります。コロナ禍にあっ
て追い詰められた全ての人がそれぞれの立場に応じて、自分と異なる見解に耳を傾け
ることが出来ていれば、現在のような、ごまかしの上に展開される前に最適の処置が
出来ていたでしょう。自分から積極的に相手の意見を聞くことがどれほど大事なこと
か、必要不可欠なことかをもう少し深く、しかも早期の段階から、もっと自由に、率
直に受け入れる心の広さを持ちたいものです。もう一つ大事なことは、直接関係する
当事者のみに任せっぱなしにすることなく、広く第三者の話をもきちんと聞ける度量
の大きさを持ちたいものだとつくづく感じるのです。そのためには、自分は今までよ
りも更に何倍かの正当性を持って自分の意見を整理し、聴いてもらえるものにしてお
くことが望まれるでしょう。
 決められたことを毎日続けていても、気晴らしにはなりません。哲学者でもあった
パスカルがいみじくも言っていますように、気晴らしに重要な要件というか,要素は
続けている事柄・案件が熱中できるものであるか否かということです。そして熱中で
きるものでない場合には気晴らしへの次の手段としては、神への信仰に走ることにな
ってしまうと説いています。所謂(いわゆる)神頼みとなってしまうのです。
 期間が長くても短くても余暇が出来た時には、その余暇をどのように使うか、が人
生の生き方、活かし方に大きく関わってくると思われます。瞬時でも有効に使って息
抜きしようと思う人もいるでしょうし、短くても長くてもある種の挫折感を抱いてし
まう人もあります。このとき、プラス思考で行動できるか、常にマイナス思考でしか
アクション出来ないかでは、その後の物事の帰結が真逆になってしまうからです。
 
3.おわりに――提起したい新しい問題と心得
 さて、先ず問題にしなければならないのは、現在の日本の社会が、個人に何処まで
このような場合に、単独で行動したり、意見表示することが出来るか、許されている
か。出来るとすれば、イニシアティヴを取るような心構えを常に抱いていられるよう
に教育を受けているか、仕向けられているか、ということだろうと思います。筆者が
非常に懸念していることは毎日、毎週のように、「日本の国際特許の出願はめっきり
減って、先進国の比較でも下位に甘んじている」、とか「世界の学会から高い評価を
受けられそうな日本の研究者が半減してしまった」とか、「特に20歳代後半から40歳
代の若手研究者が激減してしまっているので、この分では近い将来ノーベル賞受賞の
科学者が出なくなってしまうのではなかろうか」等と有力紙が毎日のように書き立て
ています。既に数年前から、国立大学の運営の仕方、私立大学への資金的な補助につ
いて制度が変わり、恰も民間の企業のように自ら経営の資金工作から運営管理まで一
切をしっかり見なければならず、若手研究者の待遇や研究施設・環境も悪化の一途を
辿っているやに聞かされるに及んで、何でもかでも自主的に云々は、無責任に過ぎ、
施策の欠如と言わざるを得ないのではなかろうかと思う次第です。事程左様に、もう
少し枠を広げて見ると、筆者には政治の世界でも、経済や社会においても、いろいろ
な問題の解決のぎこちなさ、無策さが目に付くようでなりません。もう少し、国全体
が前向きに、アクティヴにイニシアティヴが取れるように、ものの考え方や毎日の生
活の態度を改める時期に来ているのではないかと考えますが如何でしょうか?
 以上勝手なことを書き並べてしまいましたが、86歳の誕生日を迎えて自らの反省
の弁としてみました。
                                    了
             2023年3月7日(火) 86歳の誕生日を迎えた日に記す
 
2023.4.26 岡田 数学ア・ラ・カルト:ヘロンの公式の易しい証明
 
数学ア・ラ・カルト:ヘロンの公式の易しい証明
武蔵野市 岡田 ミ三
 
 前回、”ヘロンの公式の易しい導出”で帰納法による一案を示したが、今回、演繹
法による易しい証明法を発見したので、ここに報告する。
 ヘロンの公式は、衆知のように、三角形の面積Sをその三辺a,b,cで記述する次式;
 S =√{s(s-a)(s-b)(s-c)}、 s ≡(a+b+c)/2、        (1)
であるが、この証明をネット等で調べると、外接円の半径または余弦定理を利用し、
演繹的に求めるものが主流をなしている。これらを理解するには、少なくとも、高
校以上の知識を必要とするが、本レポートは、中学生でも理解できる
 (T)三平方の定理
 (U)(x±y)^2 = x^2±2xy+y^2 
 (V)(x+y)(x-y)=x^2-y^2
を多用して式(1)を証明するものである。
 
 面積Sをa,b,cで表す目的で、先ず、図1の高さhを 図1
図1
a,b,cで表すことにする。
 h^2 = b^2-x^2 ,      ∵(T)     (2)
 h^2 = c^2-(a-x)^2,    ∵(T)     (3)
 上記2式からxとhをa,b,cで記述できることは、言うま
でもない。以下、これを示す。
 式(2)と(3)より次式を得る。
  b^2-x^2 = c^2-(a-x)^2
      = c^2-a^2+2ax-x^2 , ∵(U)
    ∴ x=(1/2a)(a^2+b^2-c^2) ,               (4)

 

 
  これがヘロンの公式である。                 <証明完>
 
2023.4.23 清水 好奇心に凝り固まったわが人生を顧みて
 
好奇心に凝り固まったわが人生を顧みて 横浜市  清水有道
 
1.プロローグ
 筆者は80有余年の人生を振り返るとき、何よりも先ず一番に思い起こされることは、
本当に好奇心の塊で生まれてきて、そのままで育って、青年時代を通過し、勤めをし、
所帯を持って大人の世界に足を踏み入れてもなお、その精神は聊かも弱まらず、縮小
もサイズダウンももたらさなかったことだろう。不思議と言えば不思議そのものであ
り、ワイフの言葉を借りるなら、「発達障碍者」なのかもしれない。人間として必要
なある部分が未発達のまま、高度の細胞分裂をすることなく、留まってしまったのか
も知れない。好奇心の裏返しで、欲張りで、何にでも興味を持ち、他人が出来ること
で自分が出来ないことがあるなどは、何としても許されないという思いが大変強かっ
た。
 ただ、好奇心でもその対象はさすがに齢と共に大きく変わり、幼少年期には生き物
や草花に、青壮年期には芸術や芸能に、そして世界の国々に、退職後は第二の人生に
当たって、文章を書くことに興味を覚えるようになり、それと共に言葉や語彙に強い
知性を求めるようになった。それが、年老いて少し方向が変わり、今や専らの関心は、
言葉遊びや言い回しに、そして何よりも自分や自分の境遇を表わす言葉や文章に異常
な興味と触手が及んでならなくなっている。
 
2.言葉や文章を巡る珍談義
 そこで、いろいろな場面で出くわした表現や言い回しで筆者が気に留めたものを数
件ご披露し、その面白さや素晴らしさを共有してもらえたらと思う。
 
1)芭蕉の句に、「旅寝してみしや浮き世の煤はらひ」という名句がある。少し毎日
の生活から離れて、あるいは出張や旅で別の土地を訪ねたりすると、床に就く感じも
序でに見る夢も、必ずどこか違うことに気付くものである。そして何処となく心が洗
われて、精神的に自由になったように感じるものである。
 それが、とんでもなく小難しい顔付をしたり、小難しい事柄について議論するとな
ると、一変して緊張し、口の滑りも悪くなり、冗談の一つも欲しくなる。
 
2)少し前になるが、筆者が著名な言語学者の著作を読んでいて、その中に著者が意
図的に、息抜きに次の数行を書かれていた。
”人間の屁は何の役にも立たない。臭くても、肥料にもならず、当人がすっきりする
こと以外、何の役にも立たない。そのため、取るに足らない、全く価値のないものと
いう意味で、慣用的に「屁でもない」、「屁とも思わない」などと使われてきたのだ。
” 全く痛快な説得力のある説明であると感心したのだった。
 
3)今は英国人になったノーベル文学賞受賞作家のカズオ・イシグロの名言の中に
「記憶は死に対する部分的な勝利である」がある。聞かれた方もあるでしょうが、こ
の一行だけでは何を言わんとしているのか見当も付かないが、嬉しいことに、この一
行の次にイシグロ氏自らその真意を次のように書き足している。「記憶だけが、流転
し、消滅しつつある世界に私を繋ぎ止め、私が私であることを証してくれるものであ
る。」と。
 
4)大昔の日本、「やまとことば」の時代に遡(さかのぼ)って漢字を使って表現し
なければならなかった時代を「古事記」の編集者の太安万侶(おおのやすまろ)は序
文で次のようにもらし、書き記している。
「上古の日本、音意(ことばこころ)並びに朴(すなお)にして、文を敷き、向を構
うること、言に於きて即ち難し、已(すで)に訓に因りて述べたるは、詞(ことば)
心に速(およ)ばず、全く音を以て連ねたるは、事の趣更に良し。」
「訓読みだけで書くことばは心に届かない。かと言って、すべて音読みで書くと、こ
との風情はまだるっこしくなる」というのである。」
 
5)かの川端康成がノーベル文学賞を受賞したのは、1968(昭和43)年秋で、筆者は
初めてスペインの国立バルセロナとセビリアの両大学でスペイン語を母国語にしない
国々での研究者向けの夏期並びに秋期の外国人講座を受講しての帰路ベルギーの首都
ブラッセルの新聞スタンドで英字新聞を求めて知ったのであったが、当の川端は事前
に関係者から受賞の旨の連絡を受け、ノーベルの名前が分かる人だけが分かる方法で
「野(ノー)」と「鈴(ベル)」の2字を織り込んだ言葉遊びを兼ねた名句を詠んで
いたことが後日判明したことが有名な話として伝わっている。その名句とは、
 「秋の野に鈴鳴らし行く人見えず」
で、これは筆者の余計な勘繰りになるが、何人かの国文学者が言われれているように、
次の古短歌の本歌取りとして作られたのだろうと思う。
 「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」
遊び心もここまで出来れば最高だなと思うこと至極である。
 
6)言葉遊びでなく、ここまで書ければ、」日本語の美しさの極致と思うが、夏川草
介は小説「勿忘草の咲く町で」のエピローグの最終頁の締めの文句として、次のよう
な美文を綴られている。
「新緑の山麓から、安曇野のただ中へ、ゆったりと弧を描く見事な七色が見えたのだ。
いつになく大きな虹の架け橋が、梓川の両岸をつないでいる。雲はすでに全く流れて
見えず、空は抜けるように青い。山も空も木も花も。ことごとくが明るい。安曇野は、
春であった。」
 この文を思うとき、今でも漢字の次の言葉や単語の幾つかを思い浮かべ、日本語の
言葉と漢字の言葉の大きな違いをしみじみ感じるのである。
 *満月青山 「見渡す限り青い山が連なっているさま」が思われる。
 *満月蕭条(しょうじょう)「見渡す限り草木が枯れてさびしいさま」が浮かぶ。
*紫苑色(しおんいろ)に凪わたった海 「海凪(みなぎ)」という言葉も思い起
  こされる。
 
3.エピローグ
 いろいろな言葉のニュアンスの違い、日本語の世界でも昔のやまと言葉とその後の
言葉、特に最近の省略語とを一緒に論じることなど到底不可能に近いことが分かる。
言葉というもの自体はっきりした形態が定まっているものではなく、時とともに大き
くも小さくも変わり、持つ意味も少しずつ変化していくのであろうから、そのときそ
の時に適った方途で役立つ言葉が存在できて、流布し、伝播され、十分に使命を遂行
できれば、長生きできるか否かは問題ではなかろう。
 上記した諸々は後の時代の言葉の利用者が好き好きに取り扱ったに過ぎないという
ことになるのだろう。筆者も考えてもみなかった楽しい言葉の旅をした。
                                    了
                        2023年2月15日(水)  記
 
2023. 4. 9 清水 日本の花見で思い出す米国女性の質の高いエッセイ
 
 日本の花見で思い出す米国女性の質の高いエッセイ
横浜市 清水 有道
 
1.はじめに
 ”April teases us with what we can’t have (私達を悩ませる残酷な4月)”と
いうタイトルで、本文の出だしは以下の桜の木の下の宴会の思い出が綴られています。
”One of my first memories of Japan is partying under the cherry trees in
Kyoto, I can't remember exactly what we ate and drank, but I remember every
thing was delicious and very Japanese. Since that Hanami party, about 20
years ago, I’ve often thought of April in Japan and how different it is
from our April here in the US.”
(私の日本に纏わる最初の頃の思い出の一つが、京都の桜の木の下で宴会をしたこと
です。何を食べたり、飲んだりしたのか正確に思い出せないのですが、何もかもがお
いしくて、とても日本的だったことを覚えています。20年ほど前のそのお花見以来、
日本の4月を思い出しては、ここアメリカの4月と何で違うんだろうと思うことがよ
くあります。)
 この日本語訳はアルク社から2017年7月28日に初版が出された”Tea Time Talk”
のタイトルの本の第5章に載せられているエッセイの翻訳を担当された鈴木香織さん
の訳による。
 
2.このエッセイの著者ケイ・へザリさんとは
 このエッセイは英語の先生として米国テキサス州から来日し、京都に数年滞在した
後、1991年から15年間を東京に住まわれた米国人ケイ・へザリ(Kay Hetherly)が
2009年4月に書かれたものですが、同氏は1996年頃から1998年までNHKラジオの英会話
番組に大杉先生のゲストとしてレギュラー出演されていました。米国自宅に戻られて
から、日本の楽しかった生活を思い出され、たくさんのエッセイや読み物をNHK出版や
アルク社から出されています。
 冒頭に同氏のエッセイのタイトルを紹介して、その訳文を載せましたが、同氏は米
国では人々を悩ます残酷な4月が、日本では学期の始まり、ビジネス会計年度の始ま
りで国民全員が一年の喜びに満ち溢れてスタートを切る晴れやかな時に満開の桜が最
高の取り合わせだと感嘆されているのです。その気持ちの溢れている部分を紹介しま
しょう。上記に紹介した文の後に次のように続きます。即ち、
 ”I always loved that school starts in Japan when cherry trees are in full
bloom. What better way to begin a new school year or a new job? It doesn’t
really matter that in a couple of months, students will be tired of going to
close and new employees will probably be exhausted from their jobs. April is
all about starting fresh and hoping for the best”.
(日本では桜が満開の頃に学校が始まるなんて、すごく素敵な、といつも思っていま
した。新しい学校や仕事を始めるのに、これ以上素晴らしい時があるでしょうか?
数ヶ月もしたら、学生は授業に出るのにうんざりし、新入社員は仕事にくたくたにな
っているかもしれないけれど、そんなことは大した問題ではありません。大切なのは、
4月は新鮮な気持ちで新しいことを始め、うまくいくように願う時だ、ということな
のです)。
 
3.へザリさんが日本滞在を通して感じ取られ理解されたこと
 同氏は上記に紹介した文章の後に、何故4月が米国や欧米の人々を悩ませ、残酷な
気分にさせる根底にある事実と考え方を次のように説明しています。
 その一つ目は、「4月のにわか雨は5月の花を連れて来る」という昔から伝わる教
訓的な文句、日本で言う諺(ことわざ)を挙げています。意味としては、希望には満
ちてはいますが、5月に花が咲くためには4月に雨が必要ですということで、この真
の意味は、「悪い時は往々にして良い時を導いてくれるものだということだそうです。
筆者もこの諺は知りませんでした。二番目に、「4月は残酷極まる月だ」という有名
なT.S. エリオットの詩「荒地」(T.S.Eliot’s famous poem “The Wasteland”)の
一行目に出てくる表現で、多くの欧米の人々はこの詩を読んでいますが、読んでいな
い人でもこの短い文句は知っているようです。 ”残酷である”という表現の裏には
「4月は、私たちの周囲、地球上の生き物が皆生き返る新しい始まりと期待の時です
から、自分もそうなりたいものだと思ってみても、人間の人生の中ではその様な再生
は叶えられませんので、「残酷だ!」になるわけです。人間の手に入れられないもの
が自然界の中では多く、人間の目をちらつかせ、全く残酷なことだ!になるわけです。
4月の花(日本では桜)を見ての欧米人の心と日本人の心は、このように違うのです
が、唯一共通しているのは5月になれば夏が近く、待ち遠しい気持ちに変わる心には
変わりはないということでしょう。
 
4.おわりに
 今回、筆者が何故ケイ・へザリさんのエッセイを引き合いに出した理由は、同じ北
半球に住みながら、ところ変われば習慣や人々の心の持ち方、季節の感じ方にもはっ
きりした違いがあることが面白く思えたのと、米国人が日本に住んでみて初めて日本
人の感じ方から生まれている生活のサイクル、教育や事業の開始年度の始まりの違い
に気付き、むしろ自分たちの方がおかしいのではなかろうかと再考しようとする態度
が素晴らしいと共感したからなのでした。
 そこで、実は筆者は欧米諸国と日本の学期やビジネス年度の始まりが違うことが、
日本と欧米との人間の往来や留学、起業、就職に余計な神経が必要になり、阻害要因
になっているのではと懸念されるので、日本もそれぞれの開始時期を欧米並みに変更
することを真剣に考えてみては如何かと提案したい気持ちに長い間駆られていました
が、このへザリさんのエッセイを読んで、お互いの良さを感じ取れるならそれを良し
とすることが自然というか、むしろ最高なのだろうと考え直すようになりましたので、
異文化は接触して違いを認め合い、理解し合うとこがやはり大事なことと思うような
りました。
 なかなか教訓に満ちたエッセイがいっぱいですので、是非この機会に皆様にもお目
を通されることをお勧めしたく思います。
                                     了
          2023年3月22日(水)東京の桜の満開のニュースを
                    聴いて急遽思い出して纏めてみました。
 
2023.3.26 岡田 数学ア・ラ・カルト:ヘロンの公式の易しい導出
 
数学ア・ラ・カルト:ヘロンの公式の易しい導出
武蔵野市 岡田 ミ三
 
 ヘロンの公式とは、3辺の長さが a,b,c の三角形の面積S(a,b,c)を与える次式で
ある。
   S(a,b,c) = √{ s(s-a)(s-b)(s-c) }, s≡(a+b+c)/2,     (1)
 この公式の証明または導出には、内接円の半径を利用する方法および三角関数と余
弦定理を利用する方法等が知られているが、いずれも高校以上の知識を必要とする。
 本レポートは、この公式をS(a,b,c)がもつ自明な性質(※)を利用して、中学生でも
理解できる方法で導出するものである。
※ 関数 S(a,b,c)に関する事前情報(prior information)
 
 先ず、どんな(a,b,c)がS(a,b,c)をゼロにするかを考 図1,2
図1,2
えると図1,2,3,4に示す4つのケースが存在する。
 図1のケースは、3つの頂点A,B,Cが一点に凝縮した
ケースであり、次式が成立する。
   a=b=c=0, ∴ (a+b+c)=0,      (2)
 図2のケースは、頂点Aが対辺上に移動したケースで
あり、次式が成立する。
   a=b+c,  ∴ (b+c-a)=0,      (3)
 
 図3のケースも同様に次式が成立する。 図3,4
図3,4
   b=c+a,  ∴ (c+a-b)=0,      (4)
 
 
 図4のケースでも次式が成立する。
   c=a+b,  ∴ (a+b-c)=0,      (5)
 
 
 次に、どんな(a,b,c)がS(a,b,c)を正値にするかを考えると言うまでもなく(a,b,c)
が三角形を形成する図5のケースである。
 このケースでは、 図5
図5
  a>0 ∩ b>0 ∩ c>0, ∴ (a+b+c)>0,   (6)
                  ∩:且つ (and)
は、もちろん次式の三角不等式が成立する。  
   a< b+c,  ∴ (b+c-a)>0,      (7)
   b< c+a,  ∴ (c+a-b)>0,      (8)
   c< a+b,  ∴ (a+b-c)>0,      (9)
               
 上記より、S(a,b,c)をゼロまたは正にする(a+b+c),(b+c-a),(c+a-b),(a+b-c)がど
んな場合かをまとめると次表を得る。

 この表は、次の事を示している。
---------------------------------------------------------------------------
  (a+b+c),(b+c-a),(c+a-b),(a+b-c)のうち
 (1) 1個以上がゼロのときS(a,b,c)がゼロであり、
 (2) 全部が正ならS(a,b,c)が正の値をとる。
---------------------------------------------------------------------------
 この性質を次式が備えている。
    (a+b+c)(b+c-a)(c+a-b)(a+b-c),        (10)
 ところで、求めるS(a,b,c)は面積なので長さの2乗の単位をもつが、式(10)は長さ
の4乗の単位をもつ。そこで次式を考える。
    √{(a+b+c)(b+c-a)(c+a-b)(a+b-c)},        (11)
 この式は、(a,b,c)が、点または線分を表すと、正しくゼロをとり、三角形を構成
するとき、正しく面積の単位をもつ正の値をとるが、そ 図6
図6
の大きさが正しいかどうかは、不明である。そこで、
面積の判っている図6の例で式(11)を試すと:
 √{(3+4+5)(4+5-3)(5+3-4)(3+4-5)}
= √{ 12 x 6 x 4 x 2 } = √{ 576 } = 24
 結果が正解6の4倍の24になる。そこで次式を得る。
  S(a,b,c) =(1/4)√{(a+b+c)(b+c-a)(c+a-b)(a+b-c)}, (12)
図7
図7
 念のため、この式(12)を異なる2つの例 図7,8で試
してみる。
 図7では
(1/4)√{(21+20+13)(20+13-21)(13+21-20)(21+20-13)}
=(1/4)√{ 54 x 12 x 14 x 28 }
=(1/4)√{ 254016 } = 504/4 =126 ; OK!
 
 図8では 図8
図8
(1/4)√{(16+25+39)(25+39-16)(39+16-25)(16+25-39)}
=(1/4)√{ 80 x 48 x 30 x 2 }
=(1/4)√{ 230400 } = 480/4 =120 ; OK!
 
 
 
 
 異なる3例で偶然正しい値が出るとは考えにくいので、式(12)が正しいと見られる。
ちなみに(12)式を変形するとヘロンの公式を得る。以下これを示す。
  S(a,b,c)=(1/4)√{(a+b+c)(b+c-a)(c+a-b)(a+b-c)}、  (12)
      =√{(a+b+c)(a+b+c-2a)(a+b+c-2b)(a+b+c-2c)/(2x2x2x2)}
      =√{((a+b+c)/2)((a+b+c)/2 -a)((a+b+c)2 -b)((a+b+c)/2 -c)}
      =√{s(s-a)(s-b)(s-c)}, s≡(a+b+c)/2,      (1)
 
 以上、S(a,b,c)に関する自明なる3つの情報:
 (@) (a,b,c)が点または線分を表すとき、S(a,b,c)はゼロである。
 (A) (a,b,c)が三角形を表すとき、S(a,b,c)は面積の単位をもつ正の値をとる。
 (B) (a,b,c)=(3,4,5)のとき、S(a,b,c)は6である。
だけからヘロンの公式を導出した。
 参考までにAlbert Einstein(1879.3.14〜1955.4.13)の言葉を記し、筆をおく。
If you can't explain it to a six year old, you don't understand it yourself.
                                  <以上>
 
 [追記] a,b,cの中に√2のような無理数があったら、次式を使用願いたい。
  S(a,b,c)=(1/4)√{2(a^2 b^2+b^2 c^2+c^2 a^2)-(a^4+b^4+c^4)}, (13)
 
2023.3.19 清水 気を静めるために
 
   気を静めるために 横浜市  清水 有道
1.気を静めるために、音楽を聴き、アルコール飲料の力を借りるのを常としていた
 (暫く前まではこれらにプラスして煙草をも頼りにしていた時期もあった)が、筆
 者は、1〜2時間ゆっくりその環境に浸っていれば、アルコールも音楽も、もうそ
 れで十分で、自分の内と外とが両(ふたつ)ながらに静まって行くのを感じたもの
 であった。現在も基本的には同じ考えであり、態度である。筆者にはこの方法が覿
 面(てきめん)の効果を得る最良の方法と信じ切っていたからである。
  尤も酒を飲むことを覚えて、友とつるんだり、群れたりする前に、一人で寂しく
 飲むと  きには、特に若い時には、酒の相手や肴は「愚痴」と「未練」と「長い
 夜」だった。もしかすると、酒の味そのものがこれら「愚痴」と「未練」とイコー
 ルで、「長い夜」は酒の友だったのかもしれない。もう少し掘り下げて、幅広く考
 えれば、展覧会で絵画や彫刻、その他の美術品を鑑賞し、音楽会でゆっくりクラシ
 ックを聴くことも、そして好きな作家の作品を読み、目で文字を追いながら頭を休
 めるのも最高の方法であろうが・・・。 古風な小説の中では、例えば、米国のイ
 ーライ・ブラウン(Eli Brown、現在ベストセラーとなっている”Cinnamon and
  Gunpowder” 邦訳 「シナモンとガンパウダー」、東京創元文庫の著者)が引用
 しているように、”心を静めるために、首にかけたロケット・ペンダントを開いて
 中味の匂いを繰り返し嗅いだ”などという器用な方法も成り立つだろう。
 
2.勿論、気を静める方法もその効果を信じる度合いも、その人、その人によって違
 うだろう。それが度量の違いというか、雅量の違いとなるのでしょう。筆者は残念
 ながら未だ射幸心が強すぎて、十分に心の迷いを拭い去って真理を得るまでには到
 達できていないと反省している。
 
3.身体を壊してから筆者はアルコールよりも本に救われる”本の虫”になってしま
 った ように感じる。そう言えば、鎮静効果のあるものは、趣味に没頭できること
 ではなかろうか。筆者も蝶を相手の生活が楽しくて仕方がなかった青春時代には飼
 育箱の中の珍蝶の幼虫が、一令、二令、そして脱皮を繰り返して最終の五令に達し
 て、蛹化(さなぎになること)する時や庭の食草に産み付けられた卵が成長する過
 程を毎日何回となく見届ける時には大きな期待が生まれ、それまでの苦しかった世
 話が一度に忘れ去られる瞬間で、気持ち的には最も安定した気分になっていたもの
 だった。好きな絵が仕上がって、達成感が味わえる時にも同様の安堵感を覚えたも
 のだし、出したいと思った色が、存分に紙の上に表わすことが出来、創出できた時
 の喜びは、精神安定にはそれ以上のものはない気持ちにさせられたものだった。
  仕事の虫は多分仕事に従事しているときに、同様の静けさと安定を感じ、享受し
 ているのであろう。いずれにせよ、他人から或いは他人の顔色を窺いながら仕事を
 進めるなどという環境では鎮静という言葉や身のこなしに到底合致しようがなかろ
 う。長い航海を繰り返す船舶では、生肉の元として船内にわざわざネズミを飼って
 いるとか、サソリを籠に入れて育てているよく聞かされたが、いろいろ工夫を凝ら
 して船員の胃袋の慰めをしているらしい。船員が安静を感じられるのは、ひょっと
 するとそれらを口に出来た瞬間なのかもしれない。とすると、人間の精神の安静な
 どというものは、生活の環境、職業の種類、住居の態様の違い等で幾重にも違いが
 あり、一概に論ずることは不可能に近いのかも知れない。
 
4.閑話休題、首題が変わるが、会社の成長や経営を考えても、いろいろな局面があ
 り、特に現在のように変化や動きの速いときには、一つだけの考えではどうにも切
 り抜けは不可能ではないかと思う。早い話、短期的な利益より長期的な目標の方が
 会社を成長させるとの主張は、株主は勿論、社内でも理解を得るのは難しい。新型
 コロナウイルスの感染拡大で社会の孤立が深まり、加えてロシアのウクライナ侵攻
 で世界の分断が加速された中、会社の成長目標設定を確実に実現させながら、利益
 を出し、経営の安定を持続することは、至難の業である。
  個人の安静を論じて序に会社の安定にまでつい手が滑ってしまったが、今回のエ
 ッセイの本題ではないので派生話題として触れるに留め、ペンを擱くこととしたい。
                                    了
                        2023年2月8日(水)  記
 
2023.3.12 鈴木 入社後半世紀の集い 
 
   入社後半世紀の集い         横須賀市 鈴木 富雄
 
 コロナ感染が収まりつつある中で、昭和48年(1973年)4月に東京計器に入社した
同期のうち5名がこの2月21日に品川駅近くの居酒屋に集まった。ここ数年、コロナ
禍で飲食会の中止・自粛が続く中ではあるが、遂に愛社・愛酒精神旺盛で淋しがり屋
同期の仲間
同期の仲間
の仲間が意気投合し「そろそろ、いいコロナ」の乗りで
集まった。何と、振り返れば、入社してから、この3月
で50年の歳月が経つわけだ。参加者の一人が、新入社員
の入社式の写真のコピーを持ってきてくれた。鮮明さに
はかけるが、50年前の初々しさや今も面影を残す仲間の
姿を探して興じていた。飲み食いするのも忙しいが、各
人の話題で盛り上がった。話の中心は病に関することが
多く、中でも前立腺に関する話であった。「夜中に2回
〜4回起きる」とか「出が悪くて時間がかかる」とか「もよおすと我慢ができず、ち
びってしまうとか」深刻且つ微細な話が多かった。 この話をしている間にも我慢で
きずにトイレ通いが続いていた。現実は厳しく情けない。中には、「寝てから起きる
まで一度もトイレにいかないよ」という人もいて逆に驚きの声があがった。
 
 趣味の話題では、ゴルフ等いろいろ紹介されたけど原島氏の絵画の話が一際際立っ
ていた。スマホで見せてく 原島氏の作品_1
原島氏の作品_1
原島氏の作品_2
原島氏の作品_2
れた作品は素晴らしいもの
ばかりであり、OB会の皆
様にもご覧いただきたく、
嫌がる本人を押しのけて、
逸品を掲載させていただい
た。
 OB会のHPの作品展コー
ナーも絵画、写真、俳句等の作品の出展が少なくなっているのが寂しい。これを機に、
趣味の作品が気軽に出展されるのを期待しよう。
 
 88名が入社した同期も70才前後となり、多くは年金生活者となって、社会との接点
が薄らいできているが、中には未だ東京計器で元気で働いる方もいて、嬉しく且つ頼
もしく感じている。さて、愉しいときの時間の経過は早く、瞬く間に懇親会の2時間
が経過した。未だ、明るさが残る時間での退室となったが、二次会に行く元気もなく、
次回同期会はもっと多くの仲間に声をかけて、親睦・交流を深めようということで解
散となった。
 なお、次回の同期会は、開始前に東京計器の発祥の地、小石川周辺を探索してから
始めようということになったが、忘却の彼方にならないように気をつけよう!!
 
2023.3.05 清水 次世紀の世界の中で日本はどうなるのだろう?
 
  次世紀の世界の中で日本はどうなるのだろう?
横浜市 清水 有道
 
1.はじめに
 世の賢人と言われる学者や現在の地政を預かる為政者の言葉を借りれば、我々は現
在二つに分かれる分岐点にいる。少数の富裕層が富を握る極端なエリート社会か、豊
かな中産階級のいる社会かのどちらかだ。しかし、後者は自然発生的に沸き起こるも
のではなく、自分たちで努力して勝ち取るものだ。」と、危機感を滲ませた発言であ
る(筆者注:2008年のノーベル経済学賞受賞の米国プリンストン大学教授のポール・
グルークマンが発言者の代表格である)。
 一方では、「資本主義は最悪のシステムの中でも最善のシステムである」と主張す
る経済学者や他部門の識者も増えている。或いは逆手にとって、「世界の主要国で長
く続けてきたので資本主義自体変わることを望んでいるとか、批判されることを望ん
でいる(筆者注:これ等の発言における代表者はオーストリア出身の経済学者ヨーゼ
フ・シュンペーター)。金持ちでも貧しい人でも、誰もが同じヘルス・ケアを受ける
ことが出来るので、資本主義下だからとか社会主義下、共産主義下だからという区別
や判断は出来ない。ただ、同じものを食べても、舌が肥えていれば、さほど美味しい
とは思わないとか、普段食べられない人には途轍もなく美味しく感じられるものであ
る、といった受け取り方の違いが生じてしまう。
 
2.今後の動静は?
 世界はフラット化して、開放的になって、いろいろな新しいシステムがオープンに
なっている国々が?栄しているが、日本はあまりにも一国内に留まり、閉鎖社会に閉
じ籠っているように思われる。言葉の問題もあるでしょうが、日本はもっと海外に出
るべきだと思うし、海外での文筆活動を始めとして、研究論文の発表や特許、実用新
案の登録等も含めて、あらゆる発表の機会を広め、深める必要が欠かせないと思う。
お隣の中国は底辺から最高の富裕層までの全ての段階で底上げがなされ、社会主義化
された資本主義が成功しているようで、その結果として今や日本も抜かれた世界のナ
ンバーワンの生産立国、国民一人当たりの生産高でも上位に挙げられる国に変わろう
としている。その裏には世界を股にかけて活躍する華僑を始めとする中国人の旺盛な
生活力とそれを支える幅広いコムニケーション能力があると思うのだが如何であろう
か。
 少なくとも、日本は批判を浴びている事柄や改善や改革を迫られている事項につい
ては一日も早く着手し、履行することが望まれよう。最近それらの活動に向けられる
努力も減退しているように感じると同時に、着手されたことでもそのスピードが急激
にダウンしたように感じてならない。筆者の不勉強から来る杞憂でなければと祈るこ
と頻(しき)りである。
 日本が早急に取り組まねばならないことは、次の二つではなかろうか。
(1)労働者、特に必要不可欠な仕事に従事している人々、例を挙げるなら毎日の家
  庭や工場・事務所からのごみの収集に当たっている人々、バスや電車の運転手、
  病院や各種ホームで働く看護・看護師・助手、公園や公道の清掃に従事している
  ワーカー、宅配の従事者、郵便や荷物の配達者、それに食料の支給源を担う農・
  畜産従事者等々の賃金を引き上げること。
(2)官公庁、民間会社、各種団体の無駄な仕事をなくすこと。
  日本国内では直接自分の身に関係し、応えねばならなくなる人々、高級官僚や会
  社団体の以下に詳細を説明する無駄仕事と批判される仕事に従事している人々が
  余りにも多いために、未だに大きな声にはなっていないが、筆者はこれら旧態然
  としたやり方をいつまでも踏襲していると世間というか、世界の国々の笑いもの
  にもなり兼ねないと危惧している。
 
 参考までに、海外で日本の組織に存在する無駄な組織は以下の五つに分けられて論
じられ、総称してどうでもよい仕事(Bullshit Jobs、日本語でもその
略称を取って「BS職」)と呼んでいる。5つのカテゴリーは以下の通りである。
 
   区分け       日本語での意味   具体的に対応する日本の組織名
   _______     _________  ______________
 
 1)Flunkies   (太鼓持ち)   受付係、秘書
 2)Goons      (用心棒)    企業弁護士、電話営業、ロビイス
                       ト、広告・広報担当
                       (競合会社がやっているから、自
                       社もやるの発想)
 3)Duct Tapers(落穂拾い)   (何か不都合が起きた時のために
                       入要、中には謝罪するためにだけ
                       置かれているものもある)
 4)Box Tickers(社内官僚)   (最近に多い企業のコンプライア
                       ンス部などがその典型、対外部の
                       ためだけでなく、内部の偽りのた
                       めにも必要と考えられている)
 5)Task Makers(仕事製造人)  (2種あり、一つは監視する必要
                       のない人を監督するため。二つ目
                       は他の人にBS職を創り出すこと
                       で、これら二つは、相互に密接な
                       関係がある。)
                       良い例が、中間管理職(特に、部
                       下の仕事を監督する名目がもたさ
                       れている。部下はこのために不必
                       要な書類を作らされ、報告書を記
                       載しなければならない無駄をして
                       いる。生産性の劣化、悪循環の源
                       泉になる。
 もう一つ留意すべきことは、自動化が進めば進むほど、忍耐のいる仕事(Cari
ng Labour)が必要になる。例えば、病人対応の介護・看護師、迷子・認知
症の助け人、けんかの仲裁人、これ等はAIのロボットでは血の通った対応は出来な
い。従って、AIの導入によって幾つかの仕事が奪われて、無くなったり、従事者が
職を失うことを懸念する前に、職務分析を風通しよく実施し、人を単に忙しくさせる
ために意味のない仕事を創り出すことを極力排除し、これら悪弊をもたらすBS職を
なくすことが必要である。出来ればBS職をなくす前に、生産活動従事者やブルーカ
ラーの賃金を引き上げることを先ず率先して行うことが望ましいでしょう。
 で生まれたロボットを誰が管理するかもこれからの日本の組織の在り方を考える上
で大変大事な案件でしょう。さらに、ロボットが生んだ経済効果や価値、所得を如何
に平等に関係者に分配するか、その仕組みが大変重要になる。ロボットは医者にはな
れない。ヘルスケアだけでも十分にできるようにするには、放っておけば死に至る人
を如何にコントロールして優先的にケアできるか?ロボット化の結果、多くの人々が
共通に自由な時間を一緒に過ごすことが出来るかを最優先事項として考えて、その元
になる時間と資金を如何にして全ての人々がベーシック・インカム(Basic I
ncome)として平等に獲得できるか、シェア出来るかであろう。これが地球上で
の小さいかもしれないが、ユートピアの始まりだろうと考えたいのである。
 
3.おわりに
 上述したように、海外の学者や為政者は日本の無駄な仕事に就いている人の多いこ
とにびっくし、大いなるショックを受けた。そして、「才能を無駄にしている」と映
ったのである。その上に、公務員や大手企業の従業員に「過労死」という問題が世間
を騒がせるに至り、この言葉自体に大変なショックを与えることになってしまったの
である。「過労死」などという言葉は欧米では遠い昔に死語になっており、今の世に
日本で現実の問題として議論している社会に呆れ果て、野蛮の現れでしかないとして
日本の未開な社会の在り方と共に、これまで付き合ってきた日本との関係の持ち方を
再検討せねばならないとまで言わしめているのである。信じられない現象がまだ残る
国という悪評は早く拭い去りたいものである。過分に身分不相応な議論を展開したか
もしれないが、棺桶に入る直前の老人ならこのくらい過激な言質もお目溢(こぼ)し
いただけるのではないかと思ったのですが?
                                     了
                         2023年1月30日(月)  記
 
2023.2.19 清水 ”それはそれとして、・・・”
 
”それはそれとして、・・・” 横浜市 清水 有道
 
1.はじめに
 「それはそれとして」は、日本最大の、いや世界一の仏教研究家、鈴木大拙がよく
用いた言葉として知られていますが、問題の次元を切り換えるときに用いられる言葉
で、それまで話していた話題や議論の内容、考え方や感情等々を整理して否定するで
もなく、肯定するでもなく、問題の次元を切り換え、より高い次元に引き上げる、心
理的なテクニックとも言えるものです。議論を否定的に導くのではなく、ネガティヴ
な方向に進まないように、「しかし」と言う代わりに用いられるもので、パニック状
態に陥る前に、首尾よくリセットするのに都合の良い言葉で、続けて「今できること
は、・・・」と続けるのに都合の良い言い回しであります。
 この背景には、過去のことは後悔してもしょうがない。終わってしまったことで、
もう変えられないのだから、これからできることを相談して、建設的に組み上げてみ
ようとか、新しく創造してみようとかの気持ちを生み出したい希望に繋げる方策と言
えるのでしょう。
 一見すると、敢えて曖昧さをリードする、日本人向けの都合の良い便法のようにも
感じられますが、十分な討議・討論をすることなく、安易に結論を急いだり、甲乙の
色分けや良し悪し、賛否の旗色を鮮明にさせてしまうことを避け、余計な齟齬や紛糾
を防ぐ非常に賢明な方策で、如何にも仏教思想に適ったモノであると思います。
 
2.閑話休題
 それはそれとして(早速使っているわけではありません?!が、)卑近な例として
以下の話を展開してみたいと思います。
 「どうせ老い先短い人生だったら、これからは、美味いモンだけ食って死にたいな。
きっと年寄りはみんなそう思っている」。これは作家の中山七里が自作の小説「毒島
刑事最後の事件」(幻冬舎文庫)に収められている四番目の話し「奸佞邪智(かんね
いじゃち:心がねじ曲がっていて、よこしまなさま)」の中で、物語の主人公の年寄
りに吐かせている言葉です。筆者が学生時代に身も心も信頼して預け、ザイルを結び
合っていた岳友で、一線を離れて以来、長く癌を患い、すっかり元気をなくしていた
が、数日前にひょんなことから久し振りに再開する機会が出来て、昼食を共にした際、
その友人が全く同じ台詞を吐いたのでした。勿論筆者の思いも同じですから、特に文
章の一字一句を頭に入れていましたので、余計に感慨深く、強烈に脳裏に残りました。
「考えることは本当に皆同じなのだなぁ?!」と。
 最近再び議論の的にされている欧米の白人と黒人の差別主義について触れてみたい
と思います。今の世に、差別主義者であると自ら名乗りを上げる人は一人もいないで
しょう。リベラル社会では、そんな人は居てはならないからで、それは大原則である
と言っても良いのでしょう。が、・・・しかし、「そういう自分自身が差別主義者で
あると言えまいか?」と思われたことがありませんか。内心は幾分かでも感覚を持っ
ているのではなかろうかと思うのですが・・・。ただはっきりさせてしまえば、社会
から抹殺されてしまうので、それが怖いので絶対に口には出さないだけではないので
しょうか?筆者の解釈は間違っているでしょうか。
 
3.コロナ禍パンデミック後の社会の安定に向けて
             留意しなければならない重要な事柄
 筆者がこの頃気になっている重要と思われる事柄を二つに限って以下書いてみたい
と思います。
 
(1)日本の労働市場の構成と枠組みを是非この機会に再考慮してもらいたいこと
  リモートの仕事に慣れてしまった労働者が工場やオフイスに戻るのを嫌がり、
 出勤が義務になるぐらいなら職を変えようと考える若手や、それならば早めにリタ
 イアしてしまおうと考えるシニアが出てきています。こうした動きが既に生産体制
 に大きな影響を及ぼしています。パンデミック以後、特に米・英両国において数多
 く見られる現象として、”大離職(Great Resignation)”、”大退職(Great Ret
 -irement)”と今後大きな問題化することが懸念されているのです。日本でも、経
 済が回復すればいずれ労働市場に戻って来るとの見方が大勢でしたが、パンデミッ
 クの3年目の2022年夏現在でも、未だ多くの労働者が労働の現場に戻っていません。
 それどころか、既にパンデミックに伴う非労働人口の増加は、研究者の間でも議論
 の的になっています。過去のスペイン風邪や黒死病のパンデミックの後のトレンド
 と必ずしも同じ動きをするとは限らないところに予想・予測の難しさ、対応の困難
 さが潜んでいるようです。このパンデミックの後遺症的現象が今後どのくらい続く
 のかは、残念ながら目下決定的な決め手、理論、デザインやプログラムも示されて
 はいません。自信を持って応えられる根拠や材料をまだ誰も持ち合わせてはいない
 からなのです。可能性を踏まえて、後20年は続くだろうと解く専門家もいるくらい
 だからです。
 
(2)グローバリゼーションの見直しが必要
  世界中にグローバリゼーションを進めてしまったがために、人も物も離れてしま
 っていて、結び付けて生産活動から運搬・配達供給まで世界中に分化された一連の
 作業を纏めたり、問題の箇所部分を他に移行しようとしても、迅速な打ち合わせや
 作業の移管・再開を進める綿密な接近が出来なくなってしまったのです。特に中国、
 東南アジア諸国、東欧、中南米諸国にシフトされた製品や部品の生産拠点や最終組
 み立てのための半製品の運搬等が今や逆に大きなボトルネックと言うか阻害・マイ
 ナス要因になってしまったのです。これら一連の体制の変換、組み換えは更にイン
 フレ率向上の原因にもなり、企業の行動そのものにも大きな変革を与えるものにな
 り、予断を許さないことになりそうです。
 
4.おわりに
 このパンデミックの解決には、日本国政府も是非とも本腰を入れて、過去世界各国
の有識者から指摘されたわが国の労働と資本の産業間の異動の非円滑化をなくし、移
動のための環境がスムーズに整備されることを強く望んで止みません。
 筆者のように社会活動の一線から退いた身分で、とやかく議論できる筋合いの事柄
ではないでしょうが、老婆心ながら気になることを書き留めてみました。
                                    了
                    2022年12月22日 (木・冬至)に記す