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2. 多和田葉子が3部作を完結 |
今回多和田葉子を特に取り上げたについては、理由がある。日本語とドイツ語で小 |
説や詩を執筆し、国際的な評価を得ている同氏は、今年62歳になるが、2018年に初の |
小説3部作のシリーズ第1部「地球にちりばめられて」、2020年に第2部「星に仄 |
(ほの)めかされて」を刊行され、この度めでたく第3部の「太陽諸島」を完結され |
たからであるし、併せて筆者が偶然11月18日(金)の日本経済新聞朝刊の最終面44頁 |
の文化欄に載せられた同新聞社文化部長中野稔氏の記事に気付いたからである。 |
筆者は何故かエクソフォニストの書く作品の視野の広さと文の構成に、大きな枠組 |
みと考え方の基礎が相当にしっかりしているという印象を受けてきた。ある部分は多 |
分にして筆者の今までの生活体験にも関係しているのかも知れないと考えている。 |
コロンビアのノーベル文学賞受賞作家のガルシア・マルケスの作品に世界的な評価 |
の高い「百年の孤独(One Hundred Years of Solitude, 1967年)」があるが、 |
多和田葉子の作品にも「百年の散歩」がある。筆者はご丁寧に2017年3月に単行本が |
出て直ぐに読み、以来2017年5月に2回目、2020年1月に文庫本で3回目、そして今 |
年2022年1月に4回目を読むという念の入れ方である。何回も読んだ理由は、著者が |
住んでいるベルリン市の中心の著名な通り10路をそれぞれの通りの歴史や商店街と人 |
々の暮らしとの結びつき等多方面にわたる適格な説明が地図や案内書よりも親しみ易 |
く書かれており、いろいろ参考になることが多かったからである。勿論直接同地を訪 |
ねる参考にしたのではなく、東西両ドイツに分かれていた時から何回となく訪ねたベ |
ルリン市について、種々の思い出や数々の出来事と照らし合わせるのに大いに重宝し |
た記憶が今でも鮮やかに瞼に浮かんでくる。他に同氏の作品はほとんど読み込んでい |
るが、代表的なものでは、2018年に英訳が全米図書賞(翻訳部門)を受賞した「献灯 |
使」を2019年3月と2020年7月の2回読み、「エクソフォニー」を2020年11月に、 |
「穴あきエフの初恋祭り」を2021年8月、「言葉を歩く日記」と「溶ける街透け |
る路」を2021年12月に、「雪の練習生」を2022年1月に読み、3部作の第1作「地球 |
にちりばめられて」と第2作「星に仄(ほの)めかされて」は共に2020年に講談社か |
らの単行本で読んでいる。第3作の「太陽諸島」は11月23日(水、祝日)に自宅に届 |
けられる予定となっているので、到着を楽しみにしている。 |
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3.終わりに 第3部「太陽諸島」への期待 |
特にこの3部作は筆者が初めて欧州を訪ねた時と同じナホトカ航路からシベリア鉄 |
道を経由して日本から欧州に留学する日本人が、欧州で行動を共にするいろんな国の |
青年6人との生活が3作を通して描かれているので、半分は筆者自分自身の当時の姿 |
と重ね合わせて感慨深いものがあるからである。 |
この物語の中に流れるストーリーの本筋は、著者が常に姿勢として「小説と現実の |
世界が余り乖離していては面白くなく、むしろ鬩(せめ)ぎ合うことの方が大切であ |
る」という信条を貫き通していることと、もう一つユニークな著者のスタンスは、言 |
語の境界も混じり合って溶け込むことが、これからの世界の和合にとって究極の姿で |
あるとの思いが強く、昔良かった日本がこれから本当にどうなって行くのであろうと |
いう老婆心から、救いの手を差し伸べたいとする深い愛国心が根底に流れているよう |
に思われるからである。その意味でも第3作を読むことを心待ちにしている。 |
了 |
2022年11月19日(土) 記 |
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2.特に今回取り上げて考え方を普及したい理由 |
現在日本にも、日本クアオルト研究機構(Japan Kuaort Research Institute) |
があり、国民の健康づくりを推進している。事務局は名古屋市にある。 |
2016年7月4日には第71回日本体力医学会大会「クアオルト健康ウォーキング」を |
テーマにして、シンポジウムが開催され、気候性地形療法を基本にした「クアオルト |
健康ウォーキング」の現在までの経過の報告と、今後の方向が発表された。また、 |
2017年2月7日には、「日本体力医学会の学会誌(The Japanese Journal of |
Physical Fitness and Sports Medicine)」に「クアオルト健康ウォーキング」の紹 |
介記事が掲載された。その後も新型コロナウイルス感染拡大の早期終息を願って多く |
の試みが重ねられている。 |
2021年からは太陽生命が「クアオルト健康ウオーキングアワード」をスタートさせ |
たが、上記の研究機構がこれをも積極的に後援している。 |
特に近年わが国では、高齢者が年々増加し、疾病治療のための自治体の療養費や保 |
険料負担が増加し、その対応が求められている。その方策の一つとして、積極的に高 |
齢者の体力維持・保全や病気に打ち勝つ体力づくりにリーダーシップを摂ろうとする |
動きが見られてきた。筆者はこの傾向に鑑み、広く民間や企業にも広めて、志を同じ |
くして全国的な運動にまで展開できないかと考えているのです。 |
病気を患う前に、同じお金を使うなら、健康な身体づくりを官民挙げて推進する方 |
に使う方が建設的であり、道理に適っていると考えるからである。 |
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4.閑話休題 筆者の身勝手健康食餌法 |
直ぐ先に人間を終わろうとしているのに、このような基本的な身の振り方について |
の愚痴話はナンセンスなので止めるとして、筆者が心臓や眼やその他もろもろの病持 |
ちになって、幸か不幸か以下に掲げる独自の健康法を生み出し、掛かり付け医の承諾 |
を得て実行しているが、果たしてこれは少しは理想の追求になっているのか、いや、 |
まだまだ妄想の段階そのものなのだろうか。良い機会なのでご披露しよう。 |
<1日3食の摂取カロリーと食品のメニュー> |
(1)朝食は午前7時から8時半までに終える。 |
(2)朝食時にのみ御飯を摂り、その量は150gとする。 |
(3)昼食は正午12時に摂れるよう努力する。 |
(4)昼食に摂るものはバナナとヨーグルトだけとする。 |
(5)夕食は午後6時のスタートを基本とする。 |
(6)夕食には炭水化物の代わりに、赤ワイン375ml(フルボトルの半分)を飲み、 |
副食に野菜と蛋白質を多く摂る。但し、1日の摂取カロリーは1500kcalを限 |
度とする。 |
(7)就寝は午後10時半から遅くとも11時を守る。 |
(8)コロナ禍が収拾され次第、図書館通い、展覧会場訪問及び近隣の散歩を再開 |
し、散歩は特に週に1〜2回最寄り駅近くでの用足しには、努めて往復徒歩 |
を実践する。 |
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2.今回はその中から同じ場所で1986年と2017年の2回に分けて30余年を |
隔てて書かれたものが見つかったので紹介しよう。 |
2−1 出張旅行の途上イタリアミラノ市での休日の一日の日記 |
1986年11月22日(土)午前6時半に目を覚ましたが、寝床に横になったままで体を |
休め、7時15分に起床。髭剃り、洗顔を済ませて荷造りを終えたのは8時過ぎであっ |
た。8時45分まで待って食堂へ。土曜日のためか誰も客人はおらず、腸詰めを2切れ |
切ってもらい、黒パン2枚にチーズ、ヨーグルト、コーヒーをセルフで取って 朝食 |
とする。 |
フロント・デスクで昨夜書いた絵葉書の出状を依頼、切手代として7,000リラを請 |
求される。少々高い気もしたが素直に払う。デスクの上に英字紙のヘラルド・トリビ |
ユンがあったので貰って一覧。然したるニュースなしを確認。チェックアウト・タイ |
ムは正午12時とのことで、2時頃のホテル出発を予定し、荷物を預かってもらうこと |
を約束、念のため空港までの所要タクシー代を問えば、15,000リラとのこと。少々安 |
すぎる気もしたが、目安として信用するしかなかろう。 |
雨こそ降っていないものの、如何にも重苦しい感じの朝だ。昨日集めた展覧会のカ |
タログや訪問先で貰った製品のパンフレット、写真集などをスーツケースに入れたら |
また重くなってしまった。先が長い今回の旅のこれからが思いやられるし、嵩張る持 |
参の土産品が早く亡くならないと、旅を続けるのもつまらぬところに心配が及んでし |
まって、少々馬鹿馬鹿しいと思われる。書類は」ロンドンからヒーリーさんに送って |
もらうよう手配するまでやむを得ず持ち歩くことになろうが、あと3日の辛抱である。 |
9時30分に荷物を持ちエレベーターを使い自分でフロント・デスクに赴き、チェッ |
クアウト。何と1泊の宿泊料が117,000リラと聞いていたのに88,000リラとのこと。 |
マネージャーが「君はJALの人か?」と聞いてきた。「何故なら、ディスカウントが大 |
きいから」とのこと。JALカードを使ったためか。「JALのメンバーだから」と訳の分 |
らぬ返事をしたら、そのままで済んでしまった。荷物を預かってもらって美術館巡り |
に出る。 |
最初は”Museo Poldi Pezzoli, Brera”に行くつもりが、道を間違えた。が、直ぐ |
に日本人の若者がたくさん群がっているところに出くわしたため、その美術館が分か |
った、行ってみて良かった。”Ritratto Degnota”に魅せられ、」小型の印刷版を買 |
った。この後”Museo Brera”に行った。1968年(筆者注:この年に筆者は初めて欧州 |
旅行に出た)に行った時の思い出は入口のミケランジェロの像と2階に上がる建物の |
印象のみで、中の展示については何の記憶もなかった。この時代のイタリアの絵画は |
宗教画が多く、印象に残すのは若干難しいのは免れない。中にはなかなか迫力のある |
作品も多く、訪ねた甲斐は十分にある。日本人女性のグループに合った。一人はイタ |
リー語を話していたので留学生かも知れない。友人を誘っての鑑賞だったのであろう。 |
見終わって館内のバールでサンドイッチとビール2杯を摂る。チップをきちんと払っ |
たら、機嫌の良くなること、若い肉感的な女性が喜んで、夕方用のライトを付けてく |
れたが、直ぐに上司と思しき女性が入って来て、散々に文句を言った挙句、ライトを |
消してしまった。この若い女性はそれ以来店を出るまで姿を見せることはなかった。 |
こちらが申し訳ないことをしたように思って、ビール以上にほろ苦さを味わった。チ |
ップとしては、1,200リラの請求に対して1,300リラ払っただけだったのに・・・。 |
帰路は宿の近くの”Galleria Ponte Rosso”で”Antonio Maria Nardi”という人 |
(1897−1973)の個展をしていたので覗く。立派な20号の女性像があったので値段を |
聞いたところ、1,800リラとのこと。ギャラリーのマダムの説明が良い、「もう美術 |
館に入るほどの人だから…お買い得よ!」。説明書きを貰って退散した。ホテルに戻 |
って直ぐにタクシーを呼んでもらって空港へ。 |
元来筆者は後日の参考のために、美術館に行くにしても、宿や駅からの徒歩に要す |
る時間や入場料、訪問の前後の食事や飲酒の値段なども入れて几帳面に書き残してい |
た。合間に出会った人々のこと、それらの人々の会話や人相風体等々についても本当 |
に細やかに記憶に残している。始末が悪いことに、旅の記憶のために写真も撮ってい |
るので、それらをアルバムに残すときに、これら日記帳や雑記帳のエッセンスをアル |
バム用に作り直しているのだから、時間が幾らあっても足りなくなるのも当たり前で |
しょうとなるわけである。 |
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2−2 イタリアミラノ市からトリノ市に高速バスで移動した際の雑記帳に残され |
た車窓からの風景の記述とボールペンによるスケッチ |
ロンバルディア平原にはトウモロコシ畑が続いている。一面の平地をわが国の八ヶ |
岳や南・中央アルプスのようなヨーロッパアルプスの東端に近い山々が囲んでいる風 |
景が車窓から眺められる。ミラノ市からトリノ市に向かう高速道路に沿っては鉄道も |
並行して走っている。沿線に見られる並木は幹が白く見え、プラタナスかアカシアの |
ように見受けられる。 |
もうピエモンテ(「山々の麓」の意)州に入ったのだろうか。イタリアのコメの名 |
産地として聞こえた地域だ。確かに水田が続いて見える景色になってきた。このとき |
ふと昔見たイタリア映画の名作「にがい米」を急に思い浮かべ、女優のシルバーノ・ |
マンガーノの姿が瞼に映った。高速道路の両肩には等間隔でモンテカルロのオートレ |
ースの広告とサンレモ音楽祭の広告も見え、共に当地の夏の呼びものだったなぁ、と |
思い出したのであった。」 |
筆者注1:ロンバルディア平原(Pianura Lombarda) |
イタリア北西部にある平原。日本では北イタリアに広がるポー川、アデ |
イジュ川流域のパダノベネタ平原を指すこともあるが、狭義にはポー川 |
中流部の北岸地域、ロンバルディア川内の平野部を指す。肥沃な平地で、 |
小麦などの栽培が盛ん。ミラノ市を中心にイタリア最大の工業地帯を形 |
成している。 |
2:ピエモンテ州(Piemonte,フランス語ではPiemont,英 |
語ではPiedmont)「山の麓」という意味がある。アルプス山脈 |
南西部に広がる州。州都はトリノ市で、イタリア第4の都市。 |
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3.おわりに |
合っては別れ、別れては合う、何百、何千もの別れと邂逅を繰り返し、旅は多くの |
物語を生み、旅人本人を育てる。筆者も同じように幾多の人々との邂逅によって見知 |
らぬ土地を知り、広く世界を少しずつ自分の理解の及ぶ区域に引き込んで、短期間に |
せよ、生活圏に組み込んで楽しく、意義深い思い出を育んできたのだ。 |
特に旅では宿で会う異国の人との会話もさることながら、旅の途上の交通機関、特 |
に列車や船、航空機の中での触れ合いが思いの他の楽しい思い出となって残って行く。 |
お互いに相手を理解しようと始める会話だが、徐々に実って、膨らんで自分の今まで |
になかった側面を埋めてくれる話題であったり、考えられないような別世界が突如と |
して現れてくるのは、単純に接点を持った人々だけではなく、周りの集団や社会、地 |
域であり、広く社会や景色であるのかも知れない。仮想の世界に見えるかもしれない |
し、不思議の世界かもしれない。もっともっと広く自由に気ままに、旅を通して泳ぎ |
たいというのが最後の結論になるのだろうか。 |
了 |
2022年10月31日(月) 記 |
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1.はじめに |
「知ってるよ、火事のことでしょ!」、「ひょっとしたら心配事や悩み事が実際に |
置きそうで、火が付きそうなんだよ、じゃない?・・・」。筆者もその思いや考えの |
めぐらし方に同調できない分けではないのですが、実は四つの単語の頭文字を採った |
ものなのです。読みは「ファイヤー」でも”Financial Independence and Retire |
Early!”(経済的に自立して早期退職を!!)という呼びかけの標語なのです。 |
これは男女共同参画社会や男女平等の同一労働同一賃金の基本的な考え方の下に、滅 |
私奉公の異常な昭和的な働き方が改善されたとはいえ、まだまだその完全な実現には |
ほど遠い昨今であり、旧態然とした終身雇用を働き方の基本としている労働者や予備 |
軍としての学生が多いのが実態です。そこで、出来るだけ早く拘束された収入の枠か |
ら、お金を貯めたり、効果的な投資をしたりすることで、経済的に自立し、更なる自 |
由と余裕を求めて努力し、早めに退職して、定年前にもっと自由な生活を送れる環境 |
を自ら創造してのんびり暮らすことを考えようと呼び掛けているのです。 |
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(1)昭和的社会のモデルとされた構成要素を改めて掘り出し、炙り出してアップデ |
ートなものに改良・改善してこなかったために新しい感覚で働いている若い社 |
員の上司からは、例えば新型コロナ感染症下でも、「なかなか思うようにテレ |
ワークさせてもらえないばかりか、逆に残業も厭わない姿勢を依然として評価 |
するといったことが平然と行われている。」といったような指摘が聴かれるよ |
うである。 |
(2)男女共同参画社会の実現と男女平等を謳った筈なのに、子供の世話・養育で仕 |
事を続けられなくなったと悲鳴を上げる女性(主婦)が逆に増えているのが現 |
状である。つまり男性(夫)よりも女性(主婦)に子育ての負担が依然として |
重く伸し掛かっている姿が圧倒的で、少しも変わっていないし、改善の兆しも |
見えていない。とても女性の活躍を推進している社会が実現できているとは言 |
えない。 |
(3)事務の合理化、ディジタル化によって職場の従業員は限界まで減らされている |
ため、残された従業員への労働密度は濃く、重くなり、長時間の労働に及ぶこ |
とも下手をすれば以前よりも多くなっているかもしれない。そのため、とても |
休みを取るなどの余裕もなく、有給休暇の消化率も必ずしも進んでいない。政 |
府は旧態然とした労働環境や仕事の進め方を改善するためには全体での学び直 |
しが必要であると強調するが、「学び直し」は掛け声ばかりで、具体的な取り |
組みもアジェンダも特定できるものはないようである。 |
(4)全て本番はこれからということなのでしょうか?円安の評価、経済的環境の劣 |
悪な現状を打破することがまず当面の問題で、次に来るべきAI、ITを生かした |
ディジタル・トランスフォーメーション(DX)に必要な具体的な課題に挑戦する |
ことになるのでしょう。 |
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3.おわりに |
広義ではコンピュータによって人の知的生活を再現するものがAI(Artificial In- |
telligence=人工知能)ですが、未だ未発達のものは、人間の知能でできることを出 |
来るだけ機械にやらせようとする段階では「弱いAI」と呼ぶ人もいるようです。この |
段階は既に広く社会に普及し、見掛け上人間と同様の知能を再現したものであれば、 |
AIとする捉え方が現在主流として考えられている。 |
これに対して、人間の知能そのものを機械で実現することを狙ったものが「強いAI」 |
と呼ぶ人もいる段階です。この段階は当然現在は未だ研究レベルの域を出ていない。 |
ソフトウエア・ロボットによってホワイトカラーの業務を効率化するため、自動化 |
する取り組みが必要である。この取り組みをRPA(Robotic Process Automation)と呼 |
び、このRPA とAI が加わって自動化はさらに進められて行く。OAで自動化できなか |
った人間の頭脳を通じてしか出来ない知的作業ですらこの(RPA+AI)の組み合わせで |
対応出来るようになってきている。 |
実はこれらの実現によって働き方改革の目標は達成に向かい、少子高齢化によって |
労働人口が激変しても労働生産性はなお向上することが期待されているのである。あ |
とは社会の組織と考え方をいかにこれら新しい(RPA+AI)の実践に結び付けて行くか |
の人間そのものの知能が試されているのであろう。 |
参考までに、表題の”FIRE”に絡んで、ファイナンシアル・プランナーの井戸美枝 |
さんが今年の9月に日本経済新聞出版の日経プレミアシリーズという新書版として出 |
版された「お金がなくてもFIREできる」を紹介しておきましょう。 |
この本は主に”FIRE”のうちの最初の2文字”FI”即ちどうやって経済的に独立を果 |
たせるかについて書かれたものですが、80の大代を大きく超えた老人には時すでに遅 |
しの内容でした。お金をいかにして貯めるか、先ず5万円から、それを50万円に。そ |
して貯めたお金をどう運用して増やすか、50万円から500万円に。そして引退するま |
でに、いかにして5,000万円を蓄えるかについて、今や流行りのポイントや景品の利 |
用まで含めて微に入り細に亘って述べられているが、筆者には指南書にはならなかっ |
たので、読み物としても一興かと思った。 |
了 |
2022年10月4日(火) 記 |
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1.プロローグ |
名作の中の言葉に成る程と感嘆して座右の雑記帳や備忘録に書き留めたり、講演会 |
や専門書で見付けた新しい学術用語、テレビドラマの台詞や芸人の掛け合いの文句の |
中に気になるものがあると書き付けて置くことを筆者は習慣にしている。聴いたこと |
があれば自分の言葉として書けるであろうが、例えば、「見たい景色と見える景色は |
違うのだ!」とか、「人生の大きさは、人生の悔しさの大きさで測るものだ!」など |
の台詞は、間違いなく自らの言葉としては表現できない。 |
また、”仏説阿弥陀経”にある言葉で、親鸞の教えの礎を成す言葉である「倶会一 |
処(クエイッショ)、意味は”あの世(浄土)でまた会いましょう”」なども絶対に |
知らなければ一生知らず仕舞いになっていただろう。筆者の親父は囲碁や将棋を指し |
ながらよく「どうじゃ、参ったか!」と言われて、それをウイットで返すために、捩 |
(モジ)り返し「胴蛇は大蛇の頭のない奴、恐ろしくも怖くもないわい」と言ってい |
た。面白おかしく茶化して、 |
*お前は「花の下より鼻の下」だろう、とか |
*「うどん蕎麦よりかかあの傍」か、 |
*「仏ほっとけ、神かまうな」とか、 |
*「人至って清ければ、内(ウチ)に伴う友なし」、 |
*「男の顔は履歴書、女の顔は請求書」 |
などの駄洒落もよく耳にした。最も最後の「男の顔云々」は昭和の男は会社で朝から |
晩まで猛烈社員として働き、女は家庭を守るべしの時代の悪い産物の名残であろうか |
ら最早流行らないであろうが・・・。 |
川柳にも粋なものがあり、筆者も自らも詠むため、好きである。例えば、 |
*「鶯(ウグイス)は 誰にも媚(コ)びず ホーホケキョ!」とか、 |
2021年の秀作に選ばれた |
*「打ちました いいえワクチン 大谷さん!」は大好きである。 |
北海道の森林に多い樹木の「トドマツ」と「エゾマツ」を覚えるのに使われる見分け |
方として伝えられている”葉が天までトドケ(届け)と上向いて伸びているのが「ト |
ドマツ」”で、”どうでもエエぞうと勝手な向きに伸びているのが「エゾマツ」であ |
る”、など実利を兼ねた面白いものもある。 |
ではもう少し、筆者の雑記帳や備忘録をひっくり返して、名言、名句、名台詞を集 |
めてみよう。 |
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2.名人、名士の言葉 |
日本の文豪や名士の言葉には、夏目漱石のもののように、もう既に人口に膾炙(カ |
イシャ)しているものも数多くあるが、以下筆者が最近集めたもの、気付いたものを |
少し拾ってみよう。 |
*「苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ」(ご存じベートーヴェン)、 |
*「絵を描く人は人柄がよい」(横山大観)、 |
*「蒐集もまた創作なり」(発言者の名前は失名したが、確か有名な自然科学者が、 |
世の中のすべての創造は在来の事柄の蒐集、分析、検討から出発してなされる |
と説いた)。 |
*「”有難う”も”御免なさい”も生きている内に言うもんだ。死んでからでは役 |
に立たないのだよ!」(残念ながら出典は分からない)、 |
*「待つことには欲が要らない」(これも出典根拠は分からない)。 |
*「明日はもっといい仕事をしよう!」(スペイン・カタルーニャの有名なアント |
ニ・ガウディが自分が設計して建築中であったサグラダ・ファミリア教会の作 |
業に従事していた人々に、毎日作業終了時に与えた激励の言葉として有名であ |
る)。 |
*「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なも |
のである」(トルストイが小説「アンナ・カレーニナ」の書き出しに使った言 |
葉である。岩波文庫の中村融氏の訳による)。 |
*「書くという行為が私には癒しになった」(国際政治評論の才女三浦瑠麗が最近 |
の自伝の中に書き残した言葉である)。 |
*「どんな画家もセザンヌとルソーの真似は出来ない」(一見稚拙に見えるので、 |
真似しやすいように思えるが、彼らもそれなりに苦労と努力を重ねた結果、悟 |
りにも似た境地で辿り着いた姿であり、作品であるので、決してそう簡単に真 |
似られるような代物ではないと某高名な美術評論家が述べた言葉である)。 |
*「”Arbeit macht frei”働ければ自由になれる)」(この場に並べて紹介する |
のも憚(ハバカ)られるが、あのナチス・ドイツのアウシュビュッツ強制捕虜 |
収容所の入口に掲げられていた標語である)。 |
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4.30代の若さで逝去した米国の社会学者が説いた科学者の四徳 |
「クードス(CUDOS)」について |
ステーブン・ピンカー(Steven Pinker)が著した邦訳では「21世紀 |
の啓蒙」(草思社2019年初版第2刷刊)の序文で筆者が偶然見つけた言葉である。ピ |
ンカーは序文で、米国の社会学者ロバート・マートン(Robert Merton, |
1942〜1979)が提唱した言葉として紹介し、引用している。科学者は本来次の四徳を |
有していなくてはならないとして、この四徳の頭文字を採って”CUDOS”という |
新語を提唱した。偶然”Cudos”には単語自体に「称賛」の意味があるため適語とされ |
た。 |
四徳とは具体的には、 |
1)公有性(Communalism) |
当初”Communism”としたが、マルクス主義と区別するため、 |
現在は”Communalism”が用いられている。 |
2)普遍性(Universalism) |
3)無私性(Disinterestedness) |
4)組織的懐疑主義(Organised Skeptisism) |
を指し、これ等の単語の頭文字を採って”CUDOS"が提唱されたのである。 |
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5.エピローグ |
言葉と言えば、筆者がこの歳になって初めて出会った言葉がある。それは、「せち |
がう」という言葉である。「せ違う」と書くこともあるらしい。意味は「めちゃくち |
ゃに混ぜる」ことを言うらしいのだが、残念ながら辞書には見当たらないので探せな |
いのである。同じ「せちがう」でも意味は「あらそう」とか、字引の「せち」は「世 |
知」もしくは「世智」で「世渡りの才知」が載っているだけである。いま一つ、どう |
いう本のどういう場面や首題の議論に登場するのかを、今後の語彙の収録に当たって |
は吟味してからにすることが必要だと思った。 |
近年の高齢化、長寿に対応してか、新しい呼び方として、120歳を「大還暦」と呼 |
ぶらしいのだが、誰がどういうときにこのような使い方を流行らせたのであろうか。 |
ご存じの方があれば是非教えて欲しいものである。 |
言葉の序でに、これも極めて最近知ったのであるが、年賀状やクリスマスカードの |
やり取りの時期のことを指して、”Postcard Season”という呼び方も流行っている |
のだとか・・また、花の名前に「勿忘草」があり、英語で”Forget-me-not”という |
が、”Toutch-me-not”というのがあるらしく、「触らないで、触れないで」から類 |
推される「ねむの木」なら「合歓の木」が既に存在し、因みに英語では”Silk tree” |
であるから多分違うであろう。いずれにせよ、日本語は難しいというか、厄介である。 |
「御物」を”ギョブツ”と発音するときは、皇室の所有物を指すが、「ゴモツ」と発 |
音すると、名家や由緒ある人や家族の持ち物を呼ぶという区別があるのだそうである。 |
英会話でよく使われる"You know”も文章や会話の初めにあれば、「実はですね!」 |
と注意を歓喜する意図があるし、文や会話の終わりにあれば、「貴方ったら!」とか |
「誰々さんってば!」と念を押す意図があることを意識して読み書き、そして聞かな |
ければならないのである。精通するには場数を踏むこと、経験を重ね、歳を重ねるし |
か対処法はないのかも知れない。 |
大分無駄話が過ぎたようです。また続きは次の機会に譲るとしましょう!。 |
了 |
2022年9月2日(金) 記 |
天候が崩れて家に閉じ込められて、筆を滑らせてしまい綴り込んでしまいました。 |
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2.貫きたい生活態度に変化をさせたくはない |
自分の個性を大事にして、また、世の中の多様性を是として、今まで身に着けてい |
る価値観を大切にして生活を続けてきたつもりなので、多少のハンデを背負うとも、 |
それを理由に一瞬たりとも怯(ひる)んだり、今まで続けてきた心情や身の動きを止 |
めたり、改めたりすることは考えていない。毎月のように心の通じ合っていた友人が、 |
一人、また一人と逝ってしまって、心細い限りだが、だから逆により強くこのことを |
再認識してしまうのである。 |
比較するのも多少場違いな情景かも知れないが、筆者は毅然として屹立している観 |
音様を始めとする仏像に対峙することが大好きである。普段の物事では余程形容を明 |
確にしなければ、克明な描写や気持ちを言語化して表すことが出来ないが、仏様とは |
何も特別に付加せずとも、自然体で没入してしまうくらい容易に気持ちを落ち着かせ |
ることが出来てしまう。依然として多くの人々が仏の世界や人間社会を論じるときに、 |
規範として、或いは基礎的な心構えとして戒律を説くが、余生幾ばくも無いわが身を |
思うとき、”やってはダメ”とか、”禁止事項や法律ですよ”を意味する「律」は、 |
掟として守るのは勿論であるが、”した方が良いですよ!”を意味する「戒」の方を |
もっと吟味して取り入れるよう考えてみるべきではないかと考える。 |
他人が何をしているかとか、誰と繋がって毎日の生活を送っているのかを、殊の外 |
気に掛け、己の悩みの種としている人も多いように思う。茫然としていると、恰も怠 |
けているように感じたり、偶然筆者が隣人や隣の席の人の動作を盗み見ようものなら、 |
詰(なじ)るように見詰め返したり、荒々しい言葉にして向かってくる人がいるが、 |
「今更救いようのない人がいることよ!」と逆にその人が哀れに思え、「他にやって |
おくべきことがあるのではないか!」とつい溜息交じりに呟いてしまうのである。 |
また、思想や倫理面での偏りをそのまま学習して受け入れ、認めて自分のものにし、 |
その結果誤ったスタンダードを自分なりに構築してしまい、不平等や不均衡が公然化 |
し、その人の発言に表面化してしまう人がいることも大変に気に障(さわ)る。 |
誰の言葉だったか、失念してしまったが、「世の中がどんなに変わっても、その人 |
が求めようとする道が違ったり、変わってしまってはいけない」と書いていた哲人が |
あったことを改めて思い出した。正にその通りだと思うし、「人間の器はその人が抱 |
く夢の大きさで決まる」と説いていた哲人もあった。けだし名言である。 |
| | | |
1.はじめに |
自分の人生がもう残り少なくなって数年で消えようという歳になって、強く思う |
ことが出てきた。なぜ急にその思いが込み上げてきたのか誠に不思議で、筆者本人が |
当惑するくらいである。それは、地球外生命というか、宇宙の生命というか、要はそ |
の起源探求に自分の一生の仕事として、少しでも良いから関わることをしなかったの |
かという悔やみである。地球上の生命がこの星に誕生したものなのか、それとも他の |
宇宙から来たものなのでしょうか。これ等の生命の発生のメカニズム探求に深く関わ |
ることが出来ていたらさぞかし面白かったであろうし、遣り甲斐の感じられる人生で |
あったことだろうと、過ぎ去りし日々の無残を嘆き、自分の人生の最終段階に入って |
なんとその大部分を徒労に費やしてしまったのであろうかと悔み切れない思いを感じ |
て毎日を送っている。まさしく老人の戯言に過ぎないのだが…。 |
| | | |
2.生命の起源に急に深い関心の募る今日この頃 |
思い返せば幼年時から現在まで、虫や魚や動物、花や草木に至るまで多くの動植物 |
や生命体と接する機会を常に持ち続けてきた。ところが、あれだけ毎日のように庭に |
現れた蝶・蛾・蜂などの昆虫を始めとして、野鳥や小動物もめっきり少なくなり、ほ |
とんど姿を見せてくれなくなってしまった。お陰で、蝶や蛾や野鳥が訪ねてくれた食 |
草や果物の生る木々をわざわざ庭に植え込んだのに、ここ数年はほとんど姿を見せて |
くれなくなった。樹木の食害は少なくなったが、半面姿を見れぬ寂しさが倍増してし |
まった。 |
筆者は小学校(当時は戦時下で「国民学校」と呼ばれていた)に入る前から、虫や |
鳥に関心があり、以来中学、高校、大学を通して一貫して”部活”では生物部に籍を |
置き、虫と植物(特に蝶や蛾の幼虫の食草と高山植物、園芸種)を相手に楽しみを育 |
んだ。大学に入る段になって、本心から将来国立公園や国定公園に絡んだ公園の管理 |
や運営に携わりたく、その時の国立大学では長崎と千葉の両大学にしかなかった園芸 |
学部に進むことを考えていたが、結局は経済の方に行き、平凡なサラリーマン生活に |
比べれば、多少の変化のある生活ではあったものの、サラリーマン生活には違いなく、 |
今消え去る直前になって、とても中途半端な意思に反した生活に身を委ねてしまった |
ことへの口惜しさばかりが日を追う毎に募って来て仕方がないのである。そして思い |
詰めたのが、この地球上の生命の起源と他の天体からの生命の由来に関われなかった |
ことへの悔いであった。 |
| | | |
3.興味の源は宇宙人、それとも地球上に実在するクマムシの飛来源の宇宙と |
そこに棲む生物を研究するアストロバイオロジー |
地球上の科学技術の発展に伴い、宇宙開発も進み、先進諸国は競って他の惑星の探 |
索を始めている。宇宙飛行士もロケットでの探検のみでなく、他の惑星からのモノを |
取り込み、地球に持ち帰って調らべたり、宇宙の生物の存在の有無等々が、日々のニ |
ュースの話題となっている。筆者が勢い興味の対象として注目するのみならず、心配 |
でならないのは、他の天体や惑星から持ち帰ったり、宇宙旅行中に身に付けて地上に |
持ち込んだモノが、地球上の人類にとんでもない悪影響を及ぼすのではなかろうかと |
いうこと、それこそコロナウイルスや微生物、細菌が容易に飛来してきているのでは |
ないこということである。地球から出入りする人間が宇宙と地球を結ぶルートの仲介 |
者、仲継者、伝播者になってしまうのではないかと危惧するからである。 |
”宇宙人”は学術的には”地球外知的生命体”とよぶのだそうだが、英語では |
”Extraterrestrial Intelligence” 略称”ETI"と呼んでいる。 |
筆者のもう一つの興味の対象は「宇宙生物学」である。この邦訳はしかし、あまり |
使われず、カタカナのまま使われることの方が多く、筆者も以後「アストロバイオロ |
ジー」と記すことにする。英語では”Astrobiology”と綴る。筆者が興味津々なのは、 |
この地球上の最初の生命は何処から来たのかを窮めることと、現に地球上の道端の溝 |
でもどぶの淵の草むらに何処でも見られる緩保(カンポ)動物門の水生動物クマムシ |
(Water Bear)が体長僅か1mmくらいでありながら、摂氏100度の高温から氷点下 |
273度の低温環境、真空の宇宙空間、超高圧の環境、強い放射能の当たる環境等いかな |
る極限状態でも生命を維持し、生存することが出来る事実を知って驚いている。水分 |
が完全になくなれば、脱水状態の休眠に入り、生命を守る耐性を有していることが面 |
白い。このクマムシの存在は最近2016年に入って、東大を中心とする共同研究グルー |
プによって解明されたことである。 |
皆様もご承知のように、宇宙の有機物分析から生命の存在を確かめる国際的な計画 |
は、現在では多くの国からたくさんの試みがなされ、わが国も小天体からサンプルを |
集めるいろいろの可能性が検討され、最近では2010年に小惑星イトカワから、ハヤブ |
サ2が、同じくハヤブサ2が2020年に小惑星リュウグウから試料を持ち帰っている。 |
その他にもJAXA(宇宙科学研究所)が非常な低温度のシリカエアロゲルを用いて、高 |
度400キロメートルの上空を周回している国際宇宙ステーションの周囲に飛来遊泳して |
いる塵芥を摂取するタンポポ計画を実施している。さらに、1600年代に土星最大の衛 |
星タイタンの存在がオランダの学者により発見されて以来、タイタンを巡る数多くの |
同様の試みが行われ、窒素分子の存在や水の他に複雑な有機物の存在まで確認されて |
いる。このタイタンの探査を目途にしたカッシーニ探査機が1997年に打ち上げられ、 |
2005年には切り離されたホイヘンス着陸機が無事タイタン表面に着陸できて、水が噴 |
出している事実を確認すると同時に有機物の採取にも成功している。その後NASA |
(National Aeronautics and Space Administration, 米国国家航空宇宙局)の |
2007年のタイタン・エクスプローラー計画とESA(European Spase Agency 欧州 |
宇宙機構)の2009年のタイタン・エンケラドウス探査計画が費用節約のため統合して |
STTM(タイタン・土星系探査計画)として実施された。木星探査も2020年代に入 |
って盛んに計画され、2022年にはESA主導によるJUICE計画が、2025年の打ち |
上げ計画としてはNASAのエウロパ・クリッパー計画等がある。 |
ESAおよびNASAでは金星にも各種試みを既に実施している。 |
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1.「自然大好きクラブ」とは |
自然とふれあう機会を広く提供している施設や団体とのネットワークを講じることを |
目的に、環境省が1997年7月に設立したもので、筆者はこの設立と同時にメンバー登録 |
し、メンバーパスポートを発行してもらっています。関係する施設としては、国立・国 |
定公園内にある”ビジター・センター”、”自然環境の森”、”環境と文化のむら”、 |
”ふるさといきものふれあいの里”、”ふるさと自然のみち”などが全国に跨ってあり |
ます。具体的なコンタクトの仕方は、インターネットを通して自然ふれあいのネットワ |
ークを利用することです。”自然ふれあい施設へ行こう!”、”長距離自然歩道を歩こ |
う!”、”やってみよう!”、”調べてみよう!”などの情報があります。また、毎年 |
の定例的な行事としては、 |
1) 4月23〜29日 自然とふれあうみどりの日の集い |
2) 7月21日〜8月20日 自然に親しむ運動 |
3) 10月1〜31日 自然歩道を歩こう月間 |
が、全国各地で開催されますので、詳細をインターネットで検索すればよいわけです。 |
皆さんはこのクラブの存在をご存じでしたか。筆者の周りの人々に訪ねても、知らない |
人が意外に多いのに驚きました。メンバーになるために特に、試験も面接も資格も必要 |
ありませんが、このクラブが謳っている以下のような心を遵守できなければならないの |
です。 |
1) いくつになっても自然を大好きでいよう。 |
2) 身の回りの小さな自然にも目を向けよう。 |
3) 自然が好きな仲間をもっと増やそう。 |
4) 小さなことから始めよう。 |
5) 自分の大好き宣言を大切にしよう。 |
このクラブは、”NATS(ナッツ)”を愛称としていますが、「NATURES=自然がいっぱ |
い」を意味しています。アクセスは”http://www. nats. @jeef.or jp/ で可能です。 |
筆者がいち早くメンバーに登録した動機、理由は、いつ行きたいか?何処へ?誰と? |
何を狙って?どのくらいの期間?を割合簡単に答えてもらえることに魅力を感じたから |
でした。しかし、クラブのパスポートを手にしてから、正直なところ活用できていませ |
ん。いろいろなふれあい施設を教えてもらい、自由にコンタクトできるのに利用できて |
いないのが実際の姿です。これには複雑な事情が重なったのですが、このことについて |
は後ほど書き繋いでみましょう。 |
このクラブのことをご存じなかった方々も、今からでも是非以下にコンタクトしてみ |
てください、きっと思わぬ別世界への道が開けることと思います。 |
<コンタクト先> |
自然大好き事務局 |
東京都新宿区新宿5−10−15 |
ツイン新宿ビル4F |
Tel:03−5362−9621 |
Fax:03−3350−7818 |
E−mail:nats@jeef.or jp/ |
| | | |
3.今までの生活を棚に上げて、気が楽になりたいと!? |
少しばかり告白気味の発言になりますが、自然と関わり始めた当初から、正直言って |
保護者ではありませんでした。付き合いが深まるにつれ、徐々に気持ちが変わっていっ |
たと思います。初期の段階では、動植物を採集し、標本に作り、散々に虐めていたと言 |
っても過言ではなかったでしょう。筆者がこのメンバーになったときは、会社勤めを辞 |
める1年前に当たり、自然との付き合いもめっきり減り始めた時でした。ではなぜその |
ような時期に入会したのでしょう。 |
筆者には、環境省が所管しておられる自然保護の仕事は取りも直さず、国民全員の基 |
本的義務事項だと思い、特に過去に自然に逆らって研究や採集、飼育、育種に従事した |
からには、過去の行動に詫びを入れる意味からも、しっかりその運動の趣旨に賛同すべ |
き義務があると感じたからなのでした。筆者は多くの昆虫の一生を知りたくて、それら |
の虫が好む植物、いわゆる食草を選んで庭に植え込み、たくさんの種類を育てました。 |
ただ研究の一環として、折角育って立派な成蝶になった個体を、無残にも何頭(頭は蝶 |
や蛾を数える正式な単位)も殺して標本にしてしまったという悔やまれる事実が記憶に |
残っているのです。人間とその他の生き物との関係を考えて、何処までが許容範囲で、 |
誰がその決定権を持っているのか、いつも考えてしまうのです。何十箱もの標本箱を抱 |
えてずっとジレンマとむずがりを感じながら過ごしてきました。その都度自分に勝手な |
解釈で立場を違えて振舞っているようで気色が悪いのです。この気持ちを晴らしたいと |
言うのが偽らざる気持ちでしょうか。顧みれば、これもある種の”終活”なのではない |
かと気付いた次第です。決して無理して導いた結論ではありません・・・。 |
了 |
2022年6月6日(月) 記 |
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2.新しく学んだことで、一番感銘を受けたこと |
ギリシャ語の「手」を意味する”キラル”から人間の右手と左手が非対称で左か右 |
かが決まっていることから「左右性」という言葉”キラリティ”が生まれ、次に「対 |
称性」が見出され、温度が下がることにより対称性が破れて、「相転性」が理解され |
た。水蒸気が100度Cを下回ると水になり、0度C以下になれば今度は氷になる。 |
そしてある種の金属や陶磁器は超低温で冷やされると、それらの物質の内部空間の波 |
が常時はそれぞれ思い思いの方向を向いているものが、揃ってしまい、電気抵抗が0 |
になって、「超電導」の状態が出現する。超電導状態の物質の上に磁石を置くと、プ |
カプカと浮いてしまう。通常、普通の金属では、磁石にはプラスとマイナスがあるた |
め、引き合うときと離反するときとに必ず分かれるが、超電導状態では磁石をどうい |
う向きに置いても、ひっくり返しても、磁石は浮かんでしまう。同じ極の反発によっ |
て浮かんでいるのではないのである。今から数年後に実現されようとしている東京と |
名古屋、大阪を結ぶJR東海の超音速鉄道のリニアモーターカーもこの超電導の応用 |
により実現したものだと言うことが宇宙の勉強から外れても、一番良く分かり、納得 |
できたことだった。車体が浮くことにより、車輪とレールとの間に摩擦が無くなるた |
め、時速500km以上のスピードが得られ、乗客には殆ど何の振動も抵抗も感じさせず |
に運行が可能なのだ。 |
生物の左右性はしかし、後に遺伝子の組み換えで、例えば自然界では決して起きな |
い左巻きの巻貝から右巻きの貝を人工的に生み出すことが可能となった。現在では従 |
来の植物から作る砂糖の化学式に人工的に元素を入れ替えることで、人工的な安価な |
砂糖を作ることも可能になっていることも知った。これらすべてが筆者には全く新し |
い学問であり、過去に学んだ事柄が大きく発展、開拓されていることが分かり、人間 |
社会の偉大さを今更ながら再認識したのでした。正直なところ新発見の思いでした。 |
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3.理解不能となり無謀な今回の試みを残念ながらギブ・アップ |
粒子には、質量の重いものが崩壊して、軽いものに代わる性質がある。良く分から |
ないが、肯定するしかない。実際に、中性子は弱い力によって「ベータ崩壊」という |
現象を起こして陽子に変わり、それによって質量数は維持したまま原子番号が一つ増 |
えた別の原子核になってしまう。もし陽子のほうが重ければ、その立場は逆になり、 |
陽子が崩壊して軽い中性子になるのでしょう。浅学の筆者には正直100%理解出来てい |
ないが、事実として受け取り、話しを先に進めましょう。 |
次の段階として、原子核が電子を捕まえて置くことができなくなれば、電子(電荷 |
はマイナス)を陽子(電荷はプラス)が捕まえて原子が作られるので、原子核内部は |
すべて電荷を持たない中性子になり、原子核と電子がそれぞれバラバラに存在するこ |
ととなり、原子が出来なくなる。原子がなければ、星も銀河も人間も生まれないので、 |
陽子と中性子の質量という自然定数をちょっと変えるだけで、この宇宙は全く別の姿 |
になってしまう。この宇宙に星が生まれ、それが最後に爆発して宇宙空間にバラ撒か |
れた星屑によって、地球やその上に住まう私たち人間が出来たのだが、正に奇跡の物 |
語である。朧気ながら”奇跡の物語”ではなく、現実の世界であることは分かり始め |
たが、もう少し時間を掛けてゆっくり理解を刻みつつ進めたくなった。とても短期間 |
でできるような課題ではないことを思い知り、今回は一旦身を引くこととした。 |
| | | |
4.おわりに ”新しく挑戦する”は齢を考えてほどほどに |
もう駄目である。今更挑戦しようとしたこと自体無謀なことでしたし、全くのとこ |
ろ浅墓でした。陽子や中性子の質量というだけで、頭が痛くなって固まってしまった。 |
宇宙を語る上で、いろいろ毎日の生活に結び付いたこと、例えば、何故海岸では地平 |
線の向こう側を見ることが出来ないのか。宇宙でも光の届かない所には何も伝わらず、 |
地平線の向こう側とはいかなる因果関係も持ち得ないということか。理解する限界を |
超えてしまって、もう本当にギブ・アップである。とてもアインシュタインの式によ |
って質量を計算したり、陽子や中性子を重くしているなどというノーベル賞受賞者の |
南部洋一郎博士のご指摘など解釈でき兼ねるのである。 |
全く残念なことではあるが、無残な惨敗の気持ちでペンを擱くこととしよう。 |
了 |
2022年6月3日(金) 記 |
| | | |
イーオンが毎日送ってくれるインターネットのメール案内に、”AEON de WINE |
レター”があります。この5月31日号に首題の”烏兎怱怱(うとそうそう)”が紹介 |
され、「月日の経つのが早いことを意味する」四字熟語です、とありました。そして、 |
「今から、早くから、”あっ”という間に2022年も終わってしまうんですね!!」と |
説明されていました。 |
毎日このイーオンのメール通信は、ちょっとした知識というか、生活の知恵をもた |
らしてくれますので、あまりワインを買うには協力出来ていないのですが、毎日のメ |
ールを見るのが楽しみになっています。特にコロナ禍の在宅時間の長すぎる毎日の生 |
活の中では、明るい話題、気の休まる時間を提供してくれる貴重なタイミングでもあ |
ります。 |
烏兎怱怱の烏はからすで、太陽の意、兎はうさぎで、月に当てています。この例え |
は、太陽には、三本足の烏が棲み、月の中には兎がいると言う中国の古い伝説から生 |
まれた言葉です。従って、烏兎は太陽と月を指し、転じて歳月、月日のたとえとなっ |
たのです。通常、「烏飛兎走」の方がよく使われ、順序を逆にして「兎走烏飛」の使 |
われ方もあります。日本でよく使われるのは「一寸の光陰」です。時の流れの速さで |
はなく、動作や行動が素早い場合には、ご承知の「電光石火」の四字熟語が当てられ |
るのです。 |
参考までに、烏兎怱怱の同意語には、「光陰流水」が有名です。月日の過ぎ去るさ |
まは、水の流れの速いのと同じということで、他には「光陰矢の如し」、「一寸の光 |
陰」、「時は金なり」、「月日に関守なし」なども使われています。事件などの変化 |
が激しいことを表す「波乱万丈」は、浮き沈みが激しく、変転極まりのない人生を形 |
容するときに使われるのはご承知の通りです。 |
以上、イーオンの宣伝広告から若干脱線して、机上の遊びをしてみました。別に知 |
っていることをひけらかそうと試みたわけでは毛頭ありません。ご了解ください。 |
了 |
2022年6月1日(水) 記 |
| | | |
2.再装備3段階それぞれの内容と各段階で究めんとすることとは |
第1段階は「流動性知能の習得」です。小難しい単語が並んでいますが、早い話、 |
今の幼児が使っている言葉、喋っている言葉を新しく吸収する必要があることを説い |
ています。老人が自分たちが幼児の時に喋ったり、使ったりしていた言葉とは全く違 |
っているか、知らない言葉が多いことに改めて気付く必要があるのです。さもなくば、 |
普通のコミュニケーションが成り立たないからです。時代が大きく変わっていること |
を自他ともに、老若男女ともども認識し合う必要があるわけです。
|
第2段階は「結晶性知能の習得」です。老人が自分なりに努力して大人になったか
|
らには、いろいろ遭遇する難問題に取り組み、解決するために力を発揮し、説得する
|
言葉にして発言し、書き記すことができなければなりません。平たく言えば、難しそ |
うな問題について相談を受けたら、その解決策を授けられる能力を持ちなさいと言う |
戒めです。
|
第3段階は「唯識性知能の習得」です。最終的にこの段階まで知能を高める挑戦が |
必要であるとしています。物事の必要性や緊急性、概然性を把握するために深い意識 |
で感じ取る能力を高めていることが要求されるのです。前2段階より進んで、相談を |
受ける前に、自分で必要性や緊急性、概然性を感じ取り、率先してその解決に当たり、 |
出来ればその先頭に立つということです。 |
もう今更出しゃばる必要もなかろうし、自ら手を引く方が老人社会の安定・平和の
|
ためには心しなければならないと説くのが従来の一般の教えでした。この考え方に従 |
えば、少なくとも、この第3段階を究めることは、”真逆のことをせよ?!”と言わ |
れているのかも知れません。過去に比べて社会の日進月歩の度合い、スピードがそれ |
だけ速くなっている一つのはっきりした証左なのでしょう。 |
| | | |
1.はじめに |
日本酒では1合瓶(180ml)、2合瓶(360ml)、 |
|
4合瓶(720ml)に1升瓶(1800ml)が普通に見ら |
れるが、ワインではなぜかボトルが750mlで、ハーフサ |
イズが375mlというのが普通である。筆者は物心ついて |
から今日まで、今回のエッセイの主題にした「なぜワイ |
ンボトルは750mlと決まっているのだろう」、と素朴 |
な疑問を持ち続け、あらゆる機会を利用して尋ねてきた |
が、残念ながら合点の行く返事を貰えぬまま今日に至っ |
ていた。ところが偶然に、人によっては10日間にも及ぶ今年のゴールデンウイークの |
休暇中に、長年の憂さを晴らしてくれる最適の書に出会うチャンスに恵まれた。 |
コロナ禍で外で飲む機会が少なくなり、ワインの一人飲みにそろそろ侘しさを感じ |
始めてきたところにタイミングよく好都合の本が出版された。題して”「家飲み」で |
身につける語れるワイン”である。2022年の3月18日に日本経済新聞出版から出され |
たもので、著者は世界のワインの産地を実地に訪ねて詳しいワインスペシャリストの |
肩書をいただいておられる著名な渡辺順子さんである。 |
この本を読んで始めて理解できたことの第一番目のことは、このエッセイのタイト |
ルにした筆者長年の疑問に対する解を得ることができたことである。 |
| | | |
2.ワインの発祥の地とワインの神ディオス |
ギリシャで生まれたワインの説明の中で、ギリシャの詩人エウブロスが書いた戯曲 |
「ディオニソス的に飲む(Semele or Dionysus)」に登場するワインの神ディオスの |
言葉として、節度を保つワインの飲み方は3杯までとあるそうだ。そして、 |
1杯目は健康のために。 |
2杯目は愛と喜びのために、そして、 |
3杯目は良い眠りのために飲むのだそうである。 |
賢い客は、外のみの時には、これら3杯目が終わったところで、自宅に帰るのだそう |
である。さもなくば、 |
4杯目では自分を無くし、 |
5杯目では大騒ぎを引き起こし、 |
6杯目では泥酔状態となってしまうと注意しているそうである。 |
750mlのフルボトルは夫婦、恋人、友人との2人でちょうど3杯ずつを飲む分量に |
当たり、生憎一人の場合には、はじめからハーフボトルを貰えばよいことになるのだ |
そうである。そしてもし一人で際限なくフルボトルの2本目に手を付けたりしたら、 |
7杯目では喧嘩で身体に傷を負い、 |
8杯目では警察沙汰になり、 |
9杯目では吐き下し、 |
10杯目には何でも手当たり次第、投げ飛ばし、蹴散らかすことになってしまう、と |
書かれているらしい。教養として飲むワイン文化は、このようにしてギリシャで誕生 |
したのだそうである。筆者は自分の過去の飲み作法や飲み会の場を思い起こし、この |
本に参照されているアルコールの進み具合による作法の乱れに思い当たるフシが多く、 |
合点のいくことばかりで赤面の至りである。なお、この渡辺順子さんの本では、古今 |
に有名なシャトー・ムートン・ロートシールド(ロスチャイルド家が家名を掛けて創 |
り出した名品)、ロマネ・コンティ(ヴォ―ヌ・ロマネ村の小さな畑からの産物なが |
ら)、ドメーヌ・デ・コント・ラフォン・ムルソー・プルミエ・グリュ・シャルム |
(ムルソーの頂点に君臨するワイン)等のワイン・ブランドの誕生秘話、現在の参考 |
価格等が盛り沢山に書かれてあり、知りたいことが何でも分かるのが嬉しい。 |
余談になるが、ワインと言えば、東京計器と関係の深いスペリー・マりーン・シス |
テムズ社部門(略称SMSD=Sperry Marine Systems Division)の海外営業の要人に |
は、接客や会食の参考用に世界のワインを網羅したワイン手帳が毎年会社のサイン入 |
りで配られていた。筆者は当時あまりお世話になることはなかったが、丁度ワインに |
興味を持ち始めた頃であったため楽しい興味の湧く情報源の一つとしてエンジョイし |
ていたことを思い出す。 |
| | | |
3.スペインのワイン |
スペインは世界でも第1位のブドウ栽培面積を有し、世界に誇るワイン王国である。 |
テンプラリーニョ種の赤ワインや発泡酒カヴァ、アルコール度数の高いシェリ―酒な |
どが有名である。スペインのワインの歴史は古く、紀元前1100年、ブドウ栽培とワイ |
ン醸造の知識に優れたフェニキア人により伝えられ、 南西部、地中海沿岸から始め |
られた由です。ワイン造りが本格化したのは、ローマ帝国の設立と共にローマ人が濃 |
厚な味わいのスペインワインを好んだがために、世界のローマ帝国に広く流通したの |
でした。現在の「ヒスパニア」とか「ヒスパニック」という言葉のもとは、ローマ人 |
がこのようなスペイン人を指して読んで以来の呼称として今日まで使われているので |
す。1500年以降の大航海時代に合わせて、各国の教会で布教の一環としてワインはキ |
リストの血として、各教会や修道院がブドウ畑を併せ持って、ワイン製造に努めたた |
め、世界的なブームとして今日の基礎が出来上がったのでした。フランスも全土を分 |
けて、大きな5つのワイン醸造地帯を挙げることができるが、スペインも東部バルセ |
ロナの近くの地中海に流れ込むエプロ川流域のカタルーニャ、北側のリオへ、ドウエ |
ロ川の流域リベラ・デル・ドウエロ、中央部をポルトガルまで流れるタホ川流域の |
ラ・マンチャと南部のアンダルシアの5つの地域が有名である。 |
ここでちょっとわき道に逸れるが、筆者は入社8年目に、スペイン語の勉強の総仕 |
上げに約2か月間スペインンに、その前後2か月ずつを欧州各国を往復4ケ月を全て |
陸路のみの旅で掛け巡り、アフリカも北部の数か国、スペイン領のカナリー諸島やス |
ペイン領サハラまで広く見聞を広めた。横浜から当時のソ連のナホトカに上陸し往路 |
は南周り、復路は北周りで延々と陸路を幾つもの交通機関を乗り継いでの旅で筆者に |
人生で初めての海外旅行であった。この時はスペイン語を母国語にしない国の知識階 |
級(主に、作家、文筆業・報道関係者、学者、大学の先生や公務員など)を対象にし |
た2〜3週間の外国人向け夏期講座(Curuso de Verano para Extranheros)と秋季講 |
座(Curso de Otono para Extranheros)を受講したのだが、前者を国立バルセロナ大 |
学で大学の寄宿舎(スペイン語ではコレヒヨという)で他の受講者と寝泊まりをとも |
にしながら、後者は国立セビリヤ大学で大学から紹介を受けた下宿先にお世話になっ |
ての生活であった。どちらも午前中はスペイン語のブラッシュアップ、午後はスペイ |
ンの文学、音楽、絵画、彫刻、建築、宗教、等広く文化・教養全般にわたり講義と実 |
地の訪問学習があり、飲食や料理の体験まであり、大満足であった。毎晩のように、 |
一人で、或いは臨時に出来上がった友達と一緒に酒場(スペイン語ではボデガと呼ぶ) |
に出向き日本の酒屋に見られた樽から栓を抜いてグラスに注いでもらうワインを何種 |
類か飲み、別のボデガではしごをして本当に充実した日々を過ごしたのだった。バル |
セロナでもセビリヤでも受講者の中には日本人は一人もおらず、さぞかし目立ったの |
であろう、毎日報道関係者のインタビューに攻められ往生したのを昨日のことのよう |
にはっきり思い出すことができる。 |
| | | |
この度、与えられた平行四辺形を等しい面積の五つの部分に分割する新しい(?) |
方法を考案したのでここに報告する。 |
まず、この方法で五分割した結果を図1に示す。 |
図1 |
この図は、次の手順で作図したものである。 |
(1) 与えられた平行四辺形ABCDの各辺の、中点を図1に |
示すように点E,F,G,Hとし、直線AF、直線BG、直線CH、 |
直線DEを引く。 |
(2) 上記4直線の交点をI,J,K,Lとし、△AID、△BJA、 |
△CKB、△DLC、および□IJKLの五つに分割する。 |
|
この三角形と四角形はいずれも元の平行四辺形の面積Sの1/5、即ちS/5の面積を |
もつのである。 |
図2 |
さて、この証明に当たり、小学生にもわかってもらい |
たいので、数式を使用せず、代わりに図2に示す緑色の |
「網」を使用することにする。 |
図に示すように、1目の面積がS/25であり、交点 |
I,J,K,Lが網の結び目に「のる」ことを確認願いたい。 |
|
|
|
まず最初に、△AIDの面積 |
図3 |
図4 |
を図3で検討する。 |
この三角形内の赤ドット部 |
と青ドット部を図に示すよ |
うに移動すると図4の斜線 |
部を得る。 |
よって、△AIDの面積はS/5 |
である。なお、△CKBと |
△AIDが合同なので、△CKBの面積もS/5である。 |
図5 |
図6 |
同様に、△BJAの面積を |
図5で検討すると図6の斜 |
線部を得る。したがって、 |
△BJAと△DLCは共にS/5の |
面積をもつ。 |
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