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2.処分に困る持ち物は何だろうか? |
持ち物の中で、処分に困っている一番厄介物は、収集品である。理由があって集め |
たものであるために、情が移っているというか、時々慰めに眼で眺め、手で触れたく |
なるからである。 |
2−1. 中学時代から集めたり、自分で飼育して作った世界中の蝶や蛾 |
その他の昆虫の標本 |
中学時代から数えて70年くらい採集を続けており、学生時代は生物部で蝶を専門に |
研究し、自宅の庭にたくさんの食草となる草木を植え込んで珍しい蝶や蛾、時には甲 |
虫も交えて飼育し、完璧な雌雄の標本を作っていたので、それらの標本を収めた美麗 |
な塗装を施した50x40p大の標本箱だけでも30箱以上に及び、標本を額装したものも |
10箱くらい大小いろいろあり、他に標本を作るための道具類、採集用品に、図鑑や参 |
考図書が大きな本箱の棚2段に100冊強あり、場所的には後述する自作の水彩画を収 |
めた額130基と陣取り首位を競っている。採集だけの目的で海外旅行をしたり、出張 |
旅行の時でも少し時間のゆとりがあって、近くの公園や研究施設での採集許可が取れ |
る場合には、精一杯時間を有効に使って採集を楽しんだ結果なのだから、そう簡単に |
は手放せないのである。 |
もっと厄介なのは、筆者の趣味を知っている友人や関 |
初めて標本として捕獲したカボシゴマダラ |
係した団体や企業のカウンターパートが、筆者の仕事が |
変わったときや退職した時、新しく仕事を始めた時に記 |
念にと贈ってくれた綺麗な蝶や蛾、甲虫などその他の昆 |
虫の標本をあしらった壁掛けや額装された標本がたくさ |
んあり、加えて以前シンガポール空港の免税品売り場で |
特別に販売されていた(現在は勿論、希少生物保護や絶 |
滅危惧種保護の国際条約の対象にされたものが多く含ま |
れていたために、このような売り場は禁止されてしまったが)東南アジア原産の珍し |
い蝶や蛾の標本を度々手に入れていたのが溜まって、これまたお荷物になっている。 |
2−2. 同じく幼少時から長年にわたって集めた切手とその初日カバー |
何人もの海外の同好の士と記念切手の交換をし、同好会メンバーの仲介をしてもら |
って手広く集めてきたので、切手のシートホルダーだけでも70冊を超える分量で、バ |
ラの切手や使用済みの切手のアルバムも入れれば優に100冊を超える量でとてもいっ |
ぺんに両手で持っても持ち切れないので始末が悪い。初日カバーも記念品であるから、 |
全容が見えるよう透明の袋入りのホルダーが必要で、保存場所や入れ物も必要で、厄 |
介である。 |
特に初日カバー(英語では”First Day of Issue”) |
バーレーン国発行のコンコルド機就航記念切手の初日カバー |
で今では本当の記念品というか、歴史的なものもあり、 |
絶対に手放したくないものも多い。卑近な一例が、英仏 |
両国で開発し、英国がロンドンのヒースロー空港からバ |
ハレーン経由でオーストラリアのシドニーへ、フランス |
がパリのシャルル・ドゴール空港から米国ワシントンも |
しくはニューヨーク経由でブラジルのリオデジャネイロ |
まで路線ができた超音速旅客機コンコルドの就航記念で |
バハレーンの空港にロンドンからの第一便が来航した1976年1月22日を記念してバハ |
レーンが発行したコンコルド機の違う図柄の4枚の切手に当日の記念消印を押したカ |
バーを筆者は偶然にJETROの仕事で同地を訪ねていて、シドニーに向けてバハレーン |
の空港を離陸するときの強烈な爆音を聞いて、早速空港の郵便局に飛び込んで入手し |
たものである。コンコルド機も最早過去の話で、誠に歴史そのものとなってしまった。 |
余談ながら、筆者は幸運にもコンコルド機にはニューヨークからパリまで、2度乗っ |
た経験があり、その時の機内食のメニューも含めて、今では家の歴史的な記念品の一 |
つとして大事に申し送りたいと思っている。 |
2−3.世界の著名美術館の所蔵名画の複製品や絵葉書 |
絵葉書の差し替え式ホルダーだけでも16冊、複製画の額装したものや巻いて筒に収 |
納してあるものなど沢山な量である。投じた資金も多額になり、改めて大変な無駄を |
したもんだと後悔している始末である。 |
2−4.今迄に訪問した国々あわせて152ヶ国で筆者が撮った写真のアルバム |
写真も外国で撮ったものを既に整理して、記念になり |
九寨溝_お皿のような個々の池 |
そうなもの、絵を描くときのアングルや構図の参考にな |
りそうなものを選んで残したつもりでも、まだ200冊以上 |
もある。この先何回かシャッフルを重ねなければならな |
いだろう。 |
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2−5.世界の記念コインの収集 |
これも同好の士が何人も友達にいて、各方面から集まるので整理し切れないくらい |
戸棚の引き出しやロッカーや押し入れに山積みになっており、場所を塞いでいる邪魔 |
物になってしまった。始末が悪いことには、銀貨は長期間空気に晒しておくと、銀食 |
器などと同様に黒化してデザインも分からなくなり、直ぐに整理することができず、 |
気長に整理する暇もなかったので、全てこれからの仕事である。 |
2−6.自分の作品から作った絵葉書の残り |
現在までの6回の個展を含め、グループ展への出品水 |
筆者の水彩画からの絵葉書 |
彩画やデッサンの中で買い上げいただいたり、師事した |
先生に教材にと貰われたり、寄贈したりした作品が手元 |
からなくなるのが寂しく、厳選してその内の200枚を絵葉 |
書にしたが、それらの残りを収納したボール紙の箱が5〜 |
60箱あり、大変な邪魔物になっている。 |
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2−7. 世界の訪ねた国々の紙幣と硬貨 |
筆者は現在までに152ヶ国を訪ねることができた。未訪問国は南アメリカの多くと |
アフリカの中部から南部にかけてで、仕事でも趣味でも本当に縁がなかったのは残念 |
であった。初めて訪ねた国のその時に通用していた通貨を超高額紙幣を除いて、 |
1-2枚、1-2個ずつ集め |
旧ユーゴスラビア_位置 |
旧ユーゴスラビア |
てきた。これが例えば欧州 |
の国は多くがEUのメンバー |
になり、その内の大多数が |
統一通貨のユーロに加わっ |
てしまったり、旧ユーゴス |
ラビアのように七つもの国 |
々に分かれた例もあり、そ |
の前に集めたものはある種、歴史的遺産物になってしまい、余計手放すことができ難 |
くなってしまった。同様に初めて訪ねた国では、その時に流行っているその国の歌や |
流行歌手の歌のレコードを集めてきたが、これらはレコードそのものが再生装置が無 |
くなったり、聴く機会が減ってしまったので、数年前に思い切って買い取り業者に出 |
して処分してしまった。 |
2−8.買い求めた本職作家の絵画・陶芸作品、その他の美術作品 |
師事した恩師や一緒に活動したグループ展の先生方の |
「筆者の顔を色紙上に」 |
作品も何十点か集まってしまった。今も家の壁という壁 |
にべたべた架けて楽しんでいるが、架けきれない作品も |
自作の水彩画と共に押し入れの厄介物である。それらの |
作品が手元にある理由や経緯を書き物にして残さなけれ |
ば、筆者が死んでから、後継者が困るだろうと思うのだ |
が手が回らないのが実情である。 |
更に面倒なものに、軸装にした書も何本かある。 |
これは中学時代に書初めのコンクールに出品し、上野の美術館の全日本の中央展にお |
いて入賞した作品の他、昔の中国の詩人の好きな漢詩を中国や台湾に出張の際にはそ |
の時に訪ねた場所でその時に有名な書家にそれらの詩の中から選んで書いてもらい、 |
帰国後知り合いの職人に依頼して軸装してもらっている。それも何本も溜まった。 |
特殊な格好なので、収納に面倒が及んで始末が悪いのである。 |
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2.本来の「書きことば」の弱体化を防ぐには |
筆者は昭和27(1952)年に新制中学を卒業して都立の高校に入学し、片道1時間、 |
往復2時間の毎日の通学時間を有効に活用するため、岩波と新潮の両社から刊行さ |
れていた日本と海外の文学の文庫(多分7〜800冊くらいあったのではなかろうか) |
全冊を3年間で読破する計画を立て、その通り実行してしまった。お陰で両眼とも |
近視に加えて、かなり程度の進んだ乱視になってしまったが、今にして思えば、こ |
の試みは、見事にその後の筆者の日本語の書き物に聊かの躊躇もなく積極的に取り |
組む姿勢に大きな成果をもたらしたと思っている。 |
残念ながら、現在電車の中で新聞、雑誌、書物を読んでいる人などはほとんど見 |
かけず、大半の人がスマホと指の運動を繰り返している。これでは本格的というか、 |
本来あるべき「書きことば」を練習し、習得するチャンスが持てずに大人になって |
しまうのではなかろうか。大学教授を務めていた学友や友人が、今の大学生は本を |
読まなくなったと嘆いていたのを思い出すが、これでは日本の折角の文化のために |
も、その踏襲すら覚束ないと言わざるを得ない。 |
デジタル化、情報の科学化、簡素化には大賛成であるが、文化の基幹を成す言葉 |
を現在で危うくすることなく、正確に、美しいことばを未来に申し送ることは、現 |
代人に課せられた重大な義務であり、絶対に軽く見てはいけない最右翼の事柄であ |
ることを、改めて銘記すべきであろう。 |
広い意味に使えるように意図して新しく作られた言葉も時には便利であり、面白 |
いが、これも程度問題で、良いことにも悪いことにも一つの単語、例えば「ヤバイ」、 |
「ダサイ」、「キモイ」だとか、仲間外れにされるという代わりに「ハブル」とか |
「ハブラレル」とか言うようでは、もう文化とはほど遠い野蛮国の住人ではなかろ |
うか。もう少し日頃から言葉を大事にし、注意を払うようにして、正しい使い方に |
努めることも必要ではなかろうか。筆者が若いころから続けていることの一つに、 |
耳新しい言葉や言い回しに出会ったとき、耳慣れない響きの言葉にお目に掛かった |
ときに書き留めておくメモ帳を常にポケットに入れているばかりか、寝床の枕元と |
書斎の机の上には言葉(日本語だけに限らずあらゆる外国語も含めて)を書き付け |
たり、文章を抜き書きするためのノートをそれぞれ2冊ずつ、1冊には |
”Collection of Words”、もう1冊には「雑記帳」と記して備え、活用している。 |
今では何冊にもなり、これも筆者の終活の対象”クリアアウト(Clear- out,いわ |
ゆる断捨離のこと)”の大事な整理品目の一つである。 |
言葉の問題に関して、筆者は常に新しい言葉、特に外来語を認めるか否かを決め |
る有識者の学会のような”言葉のアカデミー”が是非とも必要だと前々から感じて |
いる。外国にはその組織がしっかり定着している国が多く、字引や辞典に乗せる前 |
にしっかり吟味して決められている。自由は良いことだが、逆に強権で抑えられて |
しまうのも反対であるが、文化を運ぶ一番大事な言葉をもう少し大切にしたいと思 |
うこの頃である。決して老婆心で申し上げているのではなく。取り返しの付かなく |
なる前に、心ある処置が取れないか、提案したいと思うだけである。以上筆者が新 |
年を迎えて最初に真剣に考えたことを綴ってみた。是非読者の皆さんのご意見をお |
聞かせいただければと思う。 |
了 |
2022年1月26日(水) 記 |
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2.2030年頃を目途に世界はリージョナリゼーションへと進むのだろうか? |
上記の教授の方々は世界は2030年頃にリージョナリゼーション(Regionalization |
地域化)へと進むとみておられる。そのときには以下細かく記述するレジリエンス能 |
力と素早く対応するアジリティ能力が必要であると説かれている。 現在緊迫してい |
る地域で、大規模な戦争が起きれば、世界戦争へと発展する恐れがある。その意味で、 |
今後10年間は世界にとって大事な期間である。どの時代においても、戦争を回避する |
には、優れたリーダーが必要である。そして、もし大規模な軍事衝突を回避できれば、 |
世界はグローバリゼーションからリージョナリゼーションの時代へと移行していくだ |
ろう。近年、先進各国の政府も企業もグローバリゼーションのリスクを痛感する機会 |
が増えている。政治上も、物流上も、グローバル化は大きなリスクを孕んでいる。コ |
ロナ禍パンデミック下でその傾向はさらに顕著になった。 |
リージョナリゼーションが進む世界では、世界の国々は地域毎に纏まり、幾つかの |
地域群が力を持ってくる。それに伴い、国際機関の影響力も相対的に弱まり、貿易に |
ついて言うなら、地域グループ内での貿易が増え、いわゆる国際貿易のようなものは |
減ってくるであろう。地域主義が台頭する世界では、地域グループ対地域グループの |
経済対立が生じてくると予想される。最も懸念されるのが、中国陣営とアメリカ陣営 |
間の対立である。 |
パンデミック下で露呈したのは、国連やWHO(世界保健機構)を始めとする国際機 |
関の能力不足である。その結果、国際機関は頼りにならずとして、それぞれの国が独 |
自の対策を実施することになってしまい、非常に非能率な効率の悪いことになってし |
まった。2020年以前から世界はすでに幾つかの地域化にシフトしつつあったが、パン |
デミックがこの流れを加速させていることは歪めないでしょう。 |
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5.多くの日本企業の現在までの進み方が |
ハーバード大学経営大学院の授業の課題に・・・!! |
21世紀の世界のリーダーに不可欠なものは科学技術の知識であるとして、ハーバー |
ド大学経営大学院の教授陣は各自何社かを選んで、製造業と製品開発について研究し、 |
教材を作成して、講座の運営に利用しているが、日本の企業としてはトヨタ自動車、 |
コマツ、東京エレクトロン、オリエンタルランド(東京ディズニーリゾート)、ANA、 |
NEC、三菱商事、AGC(旧旭硝子)等が対象にされ、個人としては渋沢栄一が取り上 |
げられている。いずれの教授も、口を揃えて「大企業で新規事業を創出するには、ト |
ップの支援が不可欠である」ことを説いている。他に同大学の経営大学院の数多くの |
教授の中には、日本の企業に在籍されたり、或いは経営に参画していた経験者がおら |
れる。そして、皆が声を揃えて、「日本企業の強さの本質は、経営者が専門的な技術 |
を正しく理解していることだと思う」、と述べている。「ただ、政策として決定する |
国の中枢機関に専門的な知識を持つ人材が不足しているのが大きな弱点である」と、 |
言われている。 |
渋沢栄一については、教授の一人、ジェフリー・ジョーンズ(Geoffrey G. Jones) |
が昨今の渋沢栄一への関心が盛り上がっていることに、改めて資料を研究し、追求の |
結果、大いに彼の人生に感激し、自らの授業に渋沢の日本経済への貢献を学ぶ講座を |
設けることを決め、広く米国を中心とする同教授の受講者に彼の徳を広めている由で |
ある。同教授は、もし今渋沢栄一が生きていたら、いち早く米国に飛び、ファイザー |
社やモデルナ社とコロナ・ワクチンの入手を直接交渉し、日本国民に必要な分量を確 |
保していたであろうし、ひょっとしたら治療薬の開発についても出資する用意がある |
ばかりか、合弁の事業を起こし、世界規模の展開までも考えていたであろうと彼の徳 |
を称えている。 |
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1.果たしてそうだろうか? 実際には真逆の方向に進んでいるのでは |
なかろうか。 |
先ず思い出されるのが卑近な事例としての大量の国民の国外脱出や大量の集団での |
出国、いわゆるコロナ・エクソダスをどう説明したら良いのか?である。明らかにコ |
ロナ禍を機に自国を再建するどころか、自国に見切りを付けて、故郷を見捨ててまで |
国外に脱出する人々が絶えないアフリカやアラブの国々の姿をどう説明すれば良いの |
だろうか。財力が伴わないために、十分な予防策・救護策が取れないとか、ワクチン |
の購入手配もままならず、これ以上のコロナ危機から逃げることでもあるのでしょう |
が、それよりも悪化した生活環境や自国の経済状態に我慢の限界を感じて、この際過 |
去をさっぱり捨て去って、潤っているように見える別天地に逃げようというのが実態 |
なのではないでしょうか。これは明かに近年の先進諸国に主流となったかに見えた新 |
自由主義の結果、それら先進諸国の中だけでなく、広く地球上のあらゆる国に貧富の |
差が拡大し、あらゆる組織や社会が分断されて、非協力の関係が出来上がりつつある |
ように思えてならない。 |
あるいは、英国に見られる教育上の不平等化や混乱も |
くたばれアルゴリズム運動 |
コロナ禍と時を同じくして顕在化した膿のように思える。 |
即ち、全国一斉の大学入学資格試験の見送りや個別の大 |
学の入試の取り止めに代わって導入された在籍中の高校 |
のクラス担任や教科の責任教官が直接評価するシステム |
が敷かれて、私立学校生の方が公立学校生より上位に評 |
価されるという不公平からコンピュータによる計算処理 |
手順に、今様の言葉で表現するなら”アルゴリズム”に |
対して反対論が勢いを増し、ご存じの”くたばれアルゴリズム運動”にまでエスカレ |
ートしてしまった事実も典型的な事例として思い出される。その他にも以下に掲げる |
ような明かに極端な差別化取り扱いをどう説明すればよいのか、なかなかに問題は根 |
深く、複雑で、例えコロナ騒ぎが早晩収まったとしても、過去のペスト騒ぎの後に起 |
こった金融恐慌のような一大波乱に見舞われるのではないかと筆者は特に危惧してい |
る。ここで是非とも付言しておかねばならないのが、一握りの富裕層の数が米国に次 |
いで日本が世界で2番目になっているという事実(2022年1月3日付け日本経済新聞 |
朝刊報道)で、一時期総勢ミドル中間層とまで吹聴していた日本が、気が付けば御多 |
分に漏れず、ミドル層が崩壊して欧米の先進諸国と同様の動きの中心にさえ思われる |
くらい超富裕層と底辺貧困層の両極端にグループ分けされてしまった。 |
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2−3. 米国社会の1対99%の意味するもの |
1対99%とは、もうすでに新聞やTVのニュースや解説でお馴染みの数字による説明 |
であるが、米国の人口の1%にあたる超富裕層の総所得が、米国の国民所得の約4分 |
の1に達していることを示している数字である。この数字が今日のように有名になっ |
たのは、2011年に米国のニューヨークで起きた”オキュパイ運動”で「ウォール街を |
占拠せよ」のデモ行進の際に掲げられたスローガン、合言葉であったからである。 |
2018年には、世界における航空機の二酸化炭素(以下CO2と略称する)のおよそ半 |
分が、世界人口の1%にあたる「頻繁に旅する人々」によって排出されていることが |
分かった。2018年に航空機を使用した人は、世界人口の1%に過ぎず、航空機で海外 |
に行った人となると、わずか4%だという。先進国の中でも、米国がCO2排出量が最 |
も多い国で、後に続く10ヶ国(英、日、独、豪、など)の排出量を足した量よりも多 |
い(注:中国はデータを明らかにしていないので除外されている)。「頻繁に旅をす |
る人々」とカテゴリー分けされた世界人口の1%が年間35,000マイル以上、航空機で |
移動している計算になる。このような背景があるのだから、米国が率先して地球上の |
CO2問題の解決に当たらねばならないのに、国連の問題解決の組織から外れていたな |
ど考えても悍(おぞ)ましいことであった。幸い現在は復帰しているので一安心では |
あるが・・・ |
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北京冬季オリンピックが近づいてきました。オミクロン株が世界中を震撼させてい |
る中での大会となり運営に注目が集まります。先ずは無事迎えられることを祈るのと |
各選手が最高のパホーマンスを発揮されるのを期待しています。15の競技種目の中で、 |
北見市出身の私にとっては何といっても期待が大きいのが、女子カーリングです。 |
4年前の平昌オリンピックでは奇跡の銅メダルを獲得し、「もぐもぐタイム」や「そ |
だねー」言葉がその年の新語・流行語大賞を受賞する程の旋風を巻き起こしました。 |
あの「ロコ・ソラーレ」が4年経ってまたオリンピックの舞台に戻ってきました。 |
今回も国内の代表決定戦では最大のライバル北海道銀行に逆転勝利し、また、昨年の |
12月にオランダで開催されたオリンピック世界選手権代表決定戦では、苦戦しながら |
も第2位で通過となり代表の座を獲得しました。 |
北京オリンピックでは、もう銅メダルでは満足しません。目指すは金メダルです。 |
ロコ・ソラーレが4年かけての悲願の目標です。何としても金メダルを持ち帰って欲 |
しいです。この絶好のチャンスをできるだけ多くの皆さまと一緒に応援していければ |
という思いが強く、今回、お願いして投稿させていただきました。テレビ観戦しかで |
きませんが、その前に少しでも多くの人に、カーリングの面白さ、楽しさ、深さを知 |
っていただきたいという思いから稚拙な豆知識をまとめてみました。北京オリンピッ |
クが開始される前に目を通していただき、テレビ観戦を楽しんでいただければと思い |
ます。併せて、ロコ・ソラーレへの絶大な応援をお願いいたします。 |
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1.ロコ・ソラーレの近況とそのメンバーの紹介 |
【近 況】 |
ロコ・ソラーレ(2010年に本橋麻里が創設)は、平昌オリンピックでは「LS北見」 |
で出場していましたが、2018年に「一般社団法人ロコ・ソラーレ」となり、その後は |
「ロコ・ソラーレ」で出場しています。北見市に本拠地を置き、地元に根付いた非営 |
利のクラブチームとして活動しています。代表理事の本橋麻里(平昌オリンピックで |
はキャップテン兼リザーブ)は、ロコ・ソラーレに続く妹分の「ロコ・ステラ」を同 |
年に立上げ、育成し長期的視野に立ったカーリング活動の継続・発展に努めています。 |
本人は現在2児の母となって現役復帰し、代表理事とロコ・ステラのコーチ兼スキッ |
プとしても活躍中です。また、ロコ・ソラーレのコーチをしているのが小野寺亮二 |
(1960年生まれ)です。ジャガイモ栽培の農家をやりながら、幼少の頃から知ってい |
るメンバーを指導しています。娘が「北海道銀行フォルティウス」の小野寺佳歩選手 |
(サード)です。更に、カナダ人のジェームス・ダグラス・リンドコーチがテクニッ |
クや海外情報収集、コミュニケ―ションの指導にあたっています。頼りになる助っ人 |
です。最後に、姉妹チームの名前の由来を記しておきます。 |
(1) ロコ・ソラーレ;「ローカル」と「常呂っ子」から「ロコ」+「ソラーレ」 |
(イタリアの太陽の意味) |
(2) ロコ・ステラ:「ロコ」+「ステラ」(イタリア語で星の意味) |
「太陽の常呂っ子」と「星の常呂っ子」チームが、これからも益々輝きますよ |
うに!! |
【メンバー】 |
メンバー |
左から 石崎琴美、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月 |
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2.カーリング観戦の見どころ |
(1)軽食がとれる |
試合時間が3時間にも及ぶこともあるカーリングでは、心身の疲労を補うため。5 |
エンド終了後に7分間のハーフタイムが設けられている。氷の上をブラシでこするス |
イープは1試合で400キロカロリー以上消費するという。水分や糖分を補給して後半 |
のゲームプランを話し合う。(平昌五輪では赤いサイロ、高級イチゴ) |
※ハーフタイム(もぐもぐタイム)では、何を食べているかも注目! |
(2)審判がいない |
カーリングという競技の基本理念は「審判を置かない」点にある。選手たちの自発 |
的なフェアプレー精神を尊重するため、審判をリンクに置かない「競技者ジャッジ制」 |
である。カーリング規則の前文にある競技精神には「善きスポーツマンシップ、温情、 |
そして高潔な振る舞いを求める」と記されている。 |
※ストーンの位置でどちらが中心に近いか協議しているシーンに注目してみよう。 |
(3)「女性のハンデ」が少ない |
カーリングは「最終エンドで自分のストーンを相手よりもハウスの近くに置くのが |
基本となるため、他のスポーツと異なり男女別のハンデは少ない。相手のストーンを |
遠くへ弾くのなら男性が有利だが、パワーは他のスポーツ程必要とされない。男女混 |
合ダブルスという種目があるのも特徴といえる。 |
※ストーンの重さは20sあるが、氷上では力まず、軽く、精確に投げているのがわ |
かるでしょう。 |
(4)選手の寿命が長い |
瞬発力や動体視力、俊敏性など、加齢により損なわれる能力は余り必要とされない |
ので、幅広い世代のプレーヤーが存在する。日本シニアカーリング選手権」の参加資 |
格に年齢は「50才以上」と記載されている。選手寿命では馬術と並んで長く、老化や |
認知症防止にも効果的と言われている。 |
※ロコ・ソラーレのメンバーは、カーリング界では未だ若い方ですが、知識、技術、 |
経験が豊富で最高のパホーマンスが期待できます。他国チームのメンバーにも注 |
目してみましょう。カーリングは、老若男女の方が楽しめるスポーツです。 |
(5)頭脳が要求される |
相手の戦術を先読み(想像力)したり、石の動きや氷の状態を見極める(状況対応 |
力)など、カーリングは経験に基づく予測能力が必須条件となる。相手が予測と違う |
戦略を見せた際、素早く考え方を切り替える適応力も必要とされるなど「頭の良さ」 |
「柔軟性」が必要とされるスポーツでもある。 |
※氷上のチェスと言われるように、攻めも守りにも頭脳的なプレーが要求されてい |
るのがわかるでしょう。 |
(6)コミュニケーション能力が重要 |
チームスポーツであるカーリングに欠かせないのが「コミュニケーション能力」。 |
戦略の話し合いや互いの意思確認が重要となるため、メンバー同士の結束力は必須条 |
件。試合中に気づいたことを言い会うなど、いい意味で遠慮などしていられないのだ。 |
※ハーフタイムに限らず、プレー中も色々な会話が聞こえてきます。何を話してい |
るのか傾聴し、各チームの結束力の状況に注目してみましょう。 |
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【補足資料】 |
以下に、カーリングのチーム構成、ポジションと役割、スイーピングの時の指示、 |
声掛けの種類、得点の決め方、カーリング用具等について説明いたします。 |
北見市役所ホームページ「カーリングルール」から引用したものです。 |
〈カーリングとは〉 |
カーリングは、氷の上で石(ストーン)を滑らせハウスと呼ばれる円の中心に最も |
近い場所を確保し、チームの得点を数えるウィンタースポーツです。スコットランド |
が発祥の地といわれており、欧米特にカナダで人気が高いです。高度な戦略とテクニ |
ックが必要なことから「氷上のチェス」ともいわれています。古くからカーリング精 |
神という言葉があります。(以下一部抜粋)「カーラーは勝つためにプレーしますが、 |
決して相手を見くだしたりしません。真のカーラーは相手の気を散らしたり、相手が |
ベストを尽くそうとするのを決して妨げたりしません。不当に勝つのであればむしろ |
負けを選びます。」思いやりの気持ち、そして尊敬すべき行為を求めるスポーツです。 |
〈チーム構成〉 |
1チームは4人で構成されています。 |
リード、セカンド、サード、スキップの順に、1人2投ずつ、相手チームと交互に |
投げます。1チーム8投、両チームあわせて16投投げることになります。全て投げ終 |
わると、得点をカウントして終了します。この一区切りをエンドと呼び、これを10回 |
(10エンド)行います。試合時間は、約2時間30分です。 |
〈ポジションと役割〉 |
(1) リード :1投目、2投目を投げる人 |
(2) セカンド:3投目、4投目を投げる人 |
(3) サード :5投目、6投目を投げる人 |
(4) フォース:7投目、8投目を投げる人、 |
〈スキップとは〉 |
ストーンをどこに置くかの指示、声かけを行う人のことです。常に変化する氷の状 |
況を読みながらゲームプランをたてるチームの司令塔です。フォースが兼務すること |
が多いですが、他のポジションも可能です。 |
〈投げる〉 |
投げ出す時は、ハックと呼ばれる蹴り台から滑り出します。ホッグラインまでの間 |
にストーンから手を放さなければ失格となり、ストーンが無効となります。また、投 |
げたストーンが反対側のホッグラインを超えなかったり、バックラインを超えてしま |
うとストーンは無効となります。 |
〈スイーピング〉 |
専用のカーリングブラシを使って氷の表面をこすること。ストーンの距離を延ばし |
たり、直進性を高めたり、回転するストーンをより曲げたりする効果があります。 |
スイープをすることでストーンが止まるまでの距離を約2メートル程伸ばすことがで |
きます。40メートルのシートを全力でスイープしますので、スキップ以外の人が1試 |
合でスイープする距離は2000メートル近くになります。スイーパー(掃く人)はストー |
ンの滑り具合をスキップや投げ手に伝える役割も行っています。 |
〈スイーピングの際に出す指示・声かけの種類〉 |
(1) イエス(Yes)/ヤップ(Yep) ⇒ 掃いて |
(2) ウオー(Whoa) ⇒ 掃くのをやめて |
(3) クリーン(Clean) ⇒ 軽く掃いて |
(4) ハリー(Hard) ⇒ もっと早く強く掃いて |
〈カーリングシート〉 |
カーリングシート |
〈得点の決め方〉 |
得点は、相手よりハウスの中心に近いストーン全てが得点となる。ハウスの外にあ |
るストーンは得点にならない。 |
・得点例_1 |
得点例_1 |
黄色のストーンが中心に1番近く、次に近いのが赤色 |
のストーンのため、黄色チームが1点。赤チームが0点 |
となります。 |
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1.レイチェル・カールソン(Rachel Louise Carson 1907〜1964)著 |
「センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder) |
邦訳の題名はないが、直訳すれば、大の信奉者の生物学者福岡伸一博士・青山学院 |
大学教授が言われる「驚く感性」となろうが、現在刊行されている新潮文庫版の訳者 |
の上遠恵子さんの名訳では「神秘さや不思議さに目を見張る感性」となる。同文庫本 |
の表紙の帯封には”地球の声に耳を澄ませて”と書かれている。どうすれば真の自然 |
の声が聴けるようになるか、の心構えを教えてくれる指南書と言っても大袈裟ではな |
いかもしれない。この名著を日本に初めて紹介した石井桃子は、この本から受けたオ |
ーラに感じて、次のような言葉を残している。 |
「子供たちよ。子供時代をしっかりと楽しんで下さい。 |
センス・オブ・ワンダー |
大人になってから、老人になってから、あなたを支えて |
くれるのは、子供時代の「あなた」です」、と。 |
そう、子供たちに読んで欲しい本なのだ。やっと歩ける |
ようになって親の手引きで散歩して、初めて出会うカニ |
やトンボや蝶、トカゲや蛇、小川や海浜では小魚に出会 |
うかも知れないが、その印象がその人の人生に非常に大 |
事な出会いであるということが綴られているのである。 |
本の内容に細かく立ち入ることは割愛するとして、どのようにして自然に近づくか、 |
自然の懐に入り込めるか、わが試みはどうであったかについて少し綴ってみたい。そ |
のためにもう一冊、この本を具体的に導入する際大変参考になる本があるので次に紹 |
介してから論議を展開しよう。 |
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3. わがワンダーを思い返してみると |
そこでわがワンダーを思い返してみると、わが少年時代は福岡教授の言われるウエ |
ット型で迎えた代表例のように感じる。当時の東京市大森区池上の池上国民学校に入 |
学し、1年間だけ通った。学校は有名な日蓮宗の名刹本門寺の下にあり、通学路の途 |
中に消防署があって2、3台あった赤色の消防自動車が何故か恐ろしくて怖いものに |
思えて通れない弱虫だった。しかし、その2、3軒隣に小動物を商う店があり、その |
ショーウインドーから眺められるシマリスの姿が好きで、目を瞑って駆け足で消防署 |
前を過ごして、リスだけでなく他の動物を見て目を合わせるのが一日の何よりの楽し |
みであった。この池上の自宅には、父が丈が高くなるヤマユリをたくさん植えていて、 |
花の時には多くの黒いアゲハ蝶がやって来るのが珍しくて、そっと傍に近寄り飽かず |
眺めていた。当時は太平洋戦争の戦時下であったため、庭では野菜も栽培されていた |
が、大きなカボチャの果実が庭木の枝にぶら下がり、日に日に大きくなり、色や形が |
変わっていくのが面白く、その勢いを頼もしく感じて毎日観察していた。また、家の |
玄関入り口の栗の木と椎の木に、毎年出てくるやや大きい毛虫(多分毒蛾の一種では |
なかったかと思われる)があって、胸周りに濃紺の毛の帯を持っていてそれが毒を持 |
っているので注意するよう言われていた。筆者はその毛虫を害虫退治するとばかり取 |
り集めて缶詰の空き缶に押し込んで、石で押し潰してお仕置きの刑にするのが仕事だ |
った。 |
2年生から5年生までの4年間は父の郷里の福井県の曹洞宗の総本山永平寺に近い |
山郷に疎開生活を送った。3年生の時に終戦を迎えたが、その4年の田舎生活でより |
ウエット型の生活をエンジョイした。自然から得られる 食材は小魚、鳥、野生動物、 |
山菜、野生の果物、キノコ等々あらゆるものを食した。何でも指さして、「これは食 |
えるか?」と聞いて、記憶に留めるのも大事な役目だった。お陰で魚やカニの捕まえ |
方、田んぼに朝登校時に渋柿を埋め、帰路には渋が抜けた物を食べるのも楽しみだっ |
た。週末には祖父に連れられて山に入り、植えた苗木を真っすぐに起こして支柱を立 |
ててしっかり縛る作業や銀杏や栗の収穫、蕨、ゼンマイ、ヨメナ、野生の三つ葉摘み、 |
タケノコ掘り等々一通りの農家の作業を経験できたばかりか、自分でも多くの野菜や |
イモ類を栽培した。動植物一切が毎日の生活の友であった。この経験からその後の自 |
宅の庭木の枝の剪定や挿し木、接木、継ぎ芽も自分でこなせるようになった。 |
その後小学校6年生で東京に戻ってクラス担任の先生から「なんだ!おまえ野球も |
知らないのか」 と、クラス担任に先生からも通信簿に野球を早く覚えるようにと書 |
き込まれてしまう有様で、チャンバラと相撲しか毎日の生活には関係のなかったそれ |
までの生活とはビッグに違った展開を経験することになった。早速近所のミシン加工 |
の店に相談し、ズック地に球を受ける部分だけ牛革を当てるキャッチャー・ミットを |
作ってもらい毎日の殆どのフリータイムを野球に当てるプログラムを実践した。お陰 |
で、大学時代には余暇を利用しての草野球ではホームランバッターとしての記録を残 |
せるまでになった。正直、野球は自分の性に当っていたのでしょう、大学時代でも進 |
んで寸暇を惜しんで野球ゲームを画策して実践し、その後の勤め先の企業でも営業部 |
の野球チームで正規の捕手を務めるまでになった。動植物について言うなら、高校以 |
後サークル活動として生物部に籍を置き、主に蝶や蛾の鱗翅類の研究と高山植物の保 |
護育成に主に励んだ。専門の昆虫採集機器扱い店の「志賀昆虫社」との往来も頻度が |
増し、加えて自分で設計製作する道具やいろんな標本の展開見本の作り方を見付け出 |
す等工夫を考える毎日が続いた。 |
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4.人間をどんどん欲張りにして、駄目にした三つのクラ |
ここで今回の主題とは若干乖離するが、上記2の福岡博士と阿川さんとの対談本の |
中で、阿川さんが発言されている言葉の中に、筆者としてはどうしても大きく取り上 |
げて議論してみたい項目を見付けてしまったので、少し議論を追加して、挟みたいと |
思う。 |
「人間をダメにしたのは三つのクラです」という阿川さんが利用したタクシーの運転 |
手が述べた言葉を拾っている。彼が言うには「人間を駄目にしたのは三つのクラです。 |
として、冷蔵庫と金庫と倉庫を挙げているのが筆者には本来の今回のテーマ以上にと |
ても印象的に映ったのでした。彼が説明するには「冷蔵庫が出来てモノが保存できる |
ようになった。倉庫が出来て大量にモノを取って置くことができるようになった。金 |
庫が出来てお金をストックできるようになった。この三つが人間をどんどん欲張りに |
してダメにした。」っていうのです。全く同感ですし。納得です。確かにこれらの三 |
つのクラを維持するためにはある程度の資金が入用でしょうし、誰でもが簡単には出 |
来ないでしょう。他人から後ろ指刺されない状態でこれら三つのクラを築くことは実 |
際にそんなに簡単なことではないでしょう。正直筆者もこれら3クラについて今迄に |
真剣に考えたことはなかったことを非常に残念に思う。これらの3クラは人生設計の |
大事な要だと思うからです。ここで、読書の余禄とでも言うのでしょうか。本来の主 |
題以外のことでも重要なテーマがちょっとした読書でも今回のように拾えるというこ |
とをです。 |
欲張って余計なことまで含めてしまったので取り留めのないものになってしまいま |
したが、それぞれの項目での結論はそれなりに得られたと思いますので、今回はここ |
までとしましょう。 了 |
2022年元旦 記 |
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1.「目のよわり」 |
今年(令和3年)の9月に新潮社から、表題の文庫が刊行された。私ももうそろそ |
ろ後から後から本を買って読み続ける習慣を止めねばと考えていたところに見付けた |
本だったので貪り読んでしまった。中味は17の小文が集められたユニークな文章が寄 |
せられており、その4番目に「目のよわり」と題する17頁の小文がある。そのはじめ |
のところに、ある壮年の知識人が齢を取るにつれて |
*「本を読む人間としての自分がだんだん落ち目になっていく」と嘆いていたのを読 |
んだことに触れられている。 |
そして |
*「内心〜落ち目の読書人ね、フフフ、いまのおれがまさにそれよ。〜嘆いていたそ |
の人もとうに鬼籍に入ってしまい、最早地上の何処にもいない」と書いている。 |
これら数行を読んで、筆者は今の自分の心境に少しも違わぬと共感した。 |
なにしろ、片目しか頼りに出来ないため、日々の読書や書き物に様々な不都合が群れ |
をなして押し寄せていることは、まさしく著者津野氏の言う通りだからだ。同氏は書 |
いている、読みたい本があっても、厚い大きな本は先ず疲れて読む態勢に入れないか |
ら、3〜5年後の文庫化を待つことになるが、自分の生命が尽きる方が早く間に合わ |
ないことが多くなってしまうことも心配だ。おまけに例え文庫が間に合っても、文中 |
の文字が小さすぎて、見えづらい目には、これまた問題なのだと書いている。まさし |
く同感である。 |
本が大きすぎれば持ちにくい、分厚くなれば重くて手が疲れる、字が小さければ読め |
ない、等々文句たらたらになってしまう。著者は長らく本の編集に携わっていただけ |
に、見づらい老人の目のことなど考えもせずに、本を世に出してきたことを反省され |
ているが、さて、しからばどういう改善・改革ができるのだろうか。 |
最後の読書 |
*「・・・すでに40代に入った頃から、辞書や本文中の |
フリガナがぼやけて読みにくくなっていた。そう嘆いて |
言うと、年長の友人に「老眼だね」と冷たく引導を渡さ |
れ、教わった通り、駅前の本屋に走って安物の読書用メ |
ガネを買った。(中略)以後は年老いた幸田露伴と同様 |
に老眼用メガネに加えて拡大鏡を手元に備えるようにな |
った。」そして、友人に活字の大きさを好きに変えられ |
る電子書籍のキンドル(Kindle)を紹介される。 |
キンドルなら暗い中でも楽に本が読めるし、プラウザー・ソフトを使えば、何でも自 |
動的にタテ組み表示までしてくれる、と教わるのだ。そこで、過去に読んだ本にどの |
くらい電子書籍化が進められているかを調べてみると、かなりの量が既に電子化され |
ているか、目下その作業過程にあることが分かった。しかも、価格はわずかではある |
が、電子化された書籍の方が安いことも分かった。ただ、老人に電子本が自由に操作 |
できるものか否かは疑問であるが、何はともあれ試してみようという結論になった。 |
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2.「記憶力のおとろえを笑う」 |
前章で津野氏のまごう形無き「落ち目の読書人」だとの嘆きが一つには「目のよわ |
り」のせいだが、必ずしもそれだけではない。他の様々な原因がある。その中で大き |
なものが「記憶力のおとろえ」であろう、と前章に続く第5章の「記憶力のおとろえ |
を笑う」で書いている。老化に伴う否応ない避けて通れない起因と言えるだろうから |
である。読了するまでの日程を決め、見事読み終えたは良いが、はてこの一冊には何 |
が書かれていたのかを思い出せないなどという情けない場面を迎えて、それこそ正真 |
正銘頭脳の衰えを身に染みて感じざるを得ないからである。読んだことを忘れる速度 |
が、恐ろしいテンポで進んでいること、津野氏に限らず他の多くの老読書人である知 |
人も同じように感じている。例えば、として次の事例を引かれている。 |
*「読んで時に感嘆されられる程に、後では綺麗に忘れるという気味すら感じてしま |
う。」 |
*「読み上がって立ち上がり、十歩と行かぬうちに、何のことが書いてあったのだっ |
たか、と首をひねっている有様である。」そして厄介なことに、 |
*「「先もないのに、そんなに本ばかり読んでどうするの?」という自分の内心の声 |
を、しばしば感度よく聴きつけてしまうことになる」実は筆者も毎日のように妻から |
言われていて往生している。 「ただ習慣として目だけを機械的に印刷された活字 |
の上を走らせているに過ぎないのではないの?」、と。残念ながら読後のメモを残し |
て置おかないとすっかり読み終えた本の中味が思い出せないことが多くなった。全く |
津野氏が言われる通り、老人の衰えがわが身に見られることが分かり、愕然となると |
同時に、氏の言われる筋書き通りになっているのが逆におかしくて自然に笑いが込み |
上げて来るのだった。 |
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1.美を思う感覚は何時、何処で、どういう場面で生まれるのでしょうか |
今回は世の東西の多くの文学者、画家、音楽家、はたまた哲学者や評論家によって |
語られ、論じられてきた"美"あるいはそれを感じる"感覚"について考えてみたいと思 |
います。と言うのは、筆者には小説、詩歌、絵画、音楽等の芸術作品の多くが、誰し |
もが抱く「過ぎ去った時間や場所への思い」、就職や転勤、就学のために異国に住ま |
うことになったり、遠地に赴くことになって、改めて「遠く離れて想う故郷」の「懐 |
かしさ」を感じる感覚と深く結びついているように思えるからです。実際に、歴史的 |
な文学作品や特に絵画や音楽等の芸術作品の秀作は、この懐かしさの背景の下に生ま |
れていると言っても間違いではないでしょう。 |
古くは父親の転勤で京の都を離れても書き継いで出来上 |
ノスタルジアを誘う風景 |
がった紫式部の「源氏物語」しかり、ショパンが故国ポ |
ーランドを離れてフランス、スペインで生活し、故郷の |
民族舞踏のマズルカやポロネーズのリズム、旋律、トー |
ンを懐かしみながら織り込んで、遂に故国に戻ることが |
出来ぬまま、数々の名曲をシリーズで作曲し続けたこと、 |
ドヴォルザークが米国に渡ってから生んだ名曲の数々、 |
シャガールがパリに移ってからの作品には必ずと言って |
良いほど故郷ロシアの景色が画面のどこかに描かれていること、他にもたくさんの実 |
例を挙げることが出来るでしょう。チェコの画家アルフォンス・ムシャ(Alfon |
s Mucha 1860〜1939)も好例と言えるでしょう。27歳でパリに出て、以来、装 |
飾的な絵画で時代の寵児にまで上り詰めながら、何か物足りなさを感じて、50歳で故 |
国に戻ってからは16年の歳月をかけて、スラヴ民族の苦難と栄光の歴史を全20点の超 |
大作<スラヴ叙事詩>に描き上げる表現力を生み出した文化の守護者としての画家の |
感覚は現在でも多くの人々に大きな感銘を与え続けています。 |
そこで、「美の感覚」には「ノスタルジア(Nostalgia)」という要素が |
含まれているのではないかと筆者には感じられるのです。ちなみに、ノスタルジアは |
英語では、時には"Homesickness"とも訳されます。ノスタルジアは古い |
二つのギリシャ語から出来た言葉ですが、"nostos"は「家に帰ること」、"algos"は、 |
「痛み」を意味していますので、ノスタルジアは、自分が生まれた家に戻るまでは完 |
全には治らない病、生まれながらに持っている持病、日本語の難しい言葉では「宿痾 |
(シュクア)」の一種とも言えるものなのでしょう。 |
この美の感覚を作品を通して受け取る側の人々からみれば、美術評論家の高階秀爾 |
氏が編纂し、著者としても多くを著しておられる書名「人の心を動かすことができな |
ければ、芸術ではない」(2020年ミネルバ書房刊)が簡潔にして、意を得た表現だと |
思っています。 |
ここでもう一つ筆者には思い出される言葉というか、難しい語りの文章ががありま |
す。それはある美術書を読んでいたとき、載せられていたある評論家の以下の文章で |
す。この評論家の名前は事情があり伏せさせてください。 |
「人間は本来精彩を放つ永遠なるものに憧れる。それらを捉え、描くことが画家や |
文学者に課せられた仕事である。その本来やるべきことを通じて、儚い一瞬の輝きや |
美がその背景の空しさを伴って美化されてくるのである」。言わんとされていること |
は分かるのですが、その対象がどのくらい実態を伴ったものを指して言われているの |
か、筆者には今一つしっくりこないのです。皆さんはこの文章をどう解釈されるでし |
ょうか。 |
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2.「普段の生活や活動にも美意識は欠かせないのでは・・・!?」 |
という意見にはどう対応されますか? |
そこで、次に、全く別の角度からの筆者が持ちたいと思う美意識を紹介してみたい |
と思います。それは故国や故郷を離れて遠くの旅先の地で出会った人々との邂逅の思 |
い出が、二つの局面に分かれて思い出され、その行為の中に限りない美の意識を感じ |
るからなのです。一つは筆者も志向したいことであり、他方は筆者が過去に一度もト |
ライしたことも無ければ、試みたいとも思っていない特異な、自分にはない範疇のこ |
とです。分かり易く実例を挙げるなら、前者は種々の楽器の演奏であったり、絵画で |
あったり、詩歌や散文や小説その他の文章の世界であります。 |
エリートと美意識 |
後者の例では、自分では絶対になれないか、ならなか |
った高位の役人や学者に偶然にもせよ出会うことにな |
り、一緒に時を過ごす機会に恵まれることになったと |
きに、いろいろな筆者の現在までの生涯の経験に投影 |
して、これから改善できるアプローチの仕方というか、 |
教養の幅や質、内容を教えられたことが挙げられます。 |
しかし、多分読者の皆様には何故にこれらのことが |
美意識と関係するのか、全く別の世界のことで、一緒 |
にひっくり纏めて議論するのは筋違いではないのかと疑問視されるだろうと思います。 |
その通りでしょう。普段なら筆者も全く異存はなく、引き下がるところですが、今回 |
は視点を少し動かして、角度を変えてもう少し深く踏み込んでみたいのです。筆者は |
人間は基本的態度として、どのような場面にあっても、個人的にも集団的にも、分裂 |
ではなく、宥和〈ユウワ)を優先的に訴えたいと思いますし、自分も従って"癒しを |
もたらす人間"でありたいと思っていますので、機会があればそのことをもっともっ |
と強力に推し進めたいと願っているかです。少々の惨めな境遇に苛(サイナ)まれて、 |
感情を露(アラワ)にしたりするような態度には美的な意識は何も感じられないと思 |
っているからです。その意味では筆者は目に映る実態のある対象物よりも、その裏に |
窺(ウカガ)える精神的なもの、人間なら内包している力、エネルギー、感受性等々 |
を大きく評価したいと思いますし、自分が学ぶ一番大事なものと考えているからでし |
ょう。自分にはこの考えが大袈裟に言えば生きる基本であると思えますし、芸術を解 |
することにも、文学を読むことにも共に通じる態度ではなかろうかと思えるのです。 |
ということで、今回もまた脈絡のない、迫力のない文の羅列に終わってしまいまし |
たが、終わりとしましょう。 了 |
2021年11月10日(水) 記 |
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1.はじめに |
筆者は太平洋戦争中に父親の郷里福井県に疎開した当時の国民学校2年生の時、生 |
まれて初めて特定の地方だけに流布し、平常の会話に使われているいわゆる方言に出 |
会い、初めは何が何だか訳が分からなかったが、日を追うにつれ徐々に慣れて、親し |
んでみると逆に真実・真相を伝えるのに相応しい言葉であることが分かり、大いに興 |
味が沸いた。今では終戦後75年を経ていながら懐かしく思い出され、その時に身に付 |
けた方言が、その土地に育った人たちよりも達者にしゃべれるようで、自分自身驚嘆 |
している。事程左様に自分が歩んできた人生の中で直接聴き、話し、綴った言葉や文 |
章が一番身に付いた生き生きとした生命力を持ったものになっているのであろう。 |
余談になるが、筆者は初めて耳にする風変わりな言葉や初めてお目に掛かる言葉に |
異常に反応して、直ぐ覚えてしまう才がある。音楽も同じで、新しい旋律の歌を耳に |
すると、1番をゆっくり聞き、2番を一緒に声を出して唄い、大体次にどの音に跳ぶ |
のかが予想できるので、新曲もよく覚えられる。音楽で思い出されるのは、一昔前ま |
で欧州への航空路には北周りと南周りがあったが、欧州からの帰国便には好んで南周 |
り便を利用していた。大西洋に面した国、例えばポルトガルのリスボンから日本まで |
4,5ヶ所に寄ることにして、ポルトガルのファド、フランスのシャンソン、イタリ |
アのカンツオーネ、アラブや中東の国々の曲と移り変わるにつれ、少しずつメロディ |
ーが変わり、最後に日本に着いて演歌(ときには艶歌、また、ときには怨歌でもある |
が)に終わる道筋が巧みに変化しながらも続いているのが聴き取れて、毎回改めてび |
っくりしたものだった。世界は繋がっていることを目の当たりにして貴重な体験と感 |
じたことだった。 |
また、筆者の父親は地歴国漢(地理、歴史、国語に漢文)が専攻の学校の先生で、 |
筆者が物心付く頃から口を酸っぱくして、「本を読みなさい!どんなくだらない本で |
も一つや二つの良い言葉や今迄に知らなかった単語や語彙を教えくれるものだ。 |
それらをよくメモして、覚えて、使える言葉の範囲を広げなさい。」と教えてくれた。 |
以来筆者は、メモ帳、忘備録や単語帳を作って、今でも続けている。たくさん溜まっ |
てしまい、いま断捨離をするに当たって、これらのノートをどうしようか、実は相当 |
に思い悩んでいるところである。 |
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2.”THE SECOND KIND OF IMPOSSIBLE” (邦訳「第二の不可能を追え!」、 |
斉藤隆央訳、365頁、みすず書房 2020年9月刊)の著者ポール・J・スタイ |
ンハート(Paul J. Steinhardt) と恩師 リチャード・ファインマン |
(Richard Finemann)との素晴らしい師弟愛関係 |
つい最近以前にノーベル物理学賞を受賞した米国の科 |
第二の不可能を追え! |
学者の著した著作の中から書き留めた文章を紹介したい。 |
「私の犯した誤りを、「クレージーだ」、「正気か」、 |
「話しにならん」、「まぬけ」と言った言葉であげつら |
ったのだ」。この文章で、筆者が注意を払ったのは、 |
”あげつらう”の使い方と過去には”論う”と書いてい |
たことを思い出し、物事の善悪を論じ合うことを指す言 |
葉だから、当用漢字の制限を外して元の漢字を使えば良 |
いのにと思ったことだ。同じ本の中に上記のように論った著者の科学者の師匠に当た |
るやはりノーベル賞受賞者の科学者が次のように著者に話した言葉として「科学がも |
たらす最高に素晴らしい驚きは、日常的な現象の中にその現象が見つかる、あるいは |
発見されることにある」という重要な教えを与えている。筆者はこれらの数行を読ん |
で、上司の先輩科学者が弟子を教育するに当たり、”ぼろくそ”に叩く一方で、科学 |
者の真髄を温かく諭している人間関係の素晴らしさに感激したのだった。 |
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3.岩淵悦太郎著「語源のたのしみ」(1〜4巻シリーズ、毎日新聞社刊)から |
学んだこと |
今回のエッセイの首題を選んだ理由のもう一つは、筆者が1977年(昭和52年)に欧 |
州駐在員として赴任するに当たって、日本語との接触が減るであろうから、日本語能 |
力のメンテナンスと更なるスキルアップを狙って、その前年に毎日新聞社が出版した、 |
言語学者岩淵悦太郎が著した「語源のたのしみ」4冊シリーズを求めて、欧州滞在中、 |
毎日数頁の量を決めて勉強し、読了したことを思い出したからである。これら4冊は |
今でも筆者の書斎の座右の銘書として、減らしに減らした蔵書の残りの何冊かの宝物 |
の一部となっている。 |
参考までに、この出版は第二次世界大戦後、米国で流 |
日本語語源の楽しみ |
行していた雑誌「りーダースダイジェスト」の日本語版 |
が出されることになり、丸の内の毎日新聞社のビルに日 |
本のリーダースダイジェスト支社が設立された。改めて |
駐留軍も含めて関係者に正しい日本語を普及させるため |
でしょうか、上記の岩淵先生に毎号連載物として上記に |
例示したような角度から日本語を読み砕いて、説明され |
たものに単行本として出版するに当たって著者が更に手 |
を加えて毎日新聞社から刊行された。従って、当時既に英語をそのままカタカナ表現 |
した日本語化された言葉もたくさん収録されているので、この辺りの整理にも利用価 |
値があるかと思われる。 |
この本で身に着けた知識はたくさんあるが、江戸時代の相撲人気から生まれた”か |
まをかける”、”かたすかし”、”腰くだけ”、”こまたすくい”、”ひとり相撲”、 |
”八百長”などの言葉や同じ読みの言葉には共通した意味のあること、例えば”セキ” |
で関所の「関」は人間や物を止めるときに、「堰」は水を止め、「咳」は息を止める |
場合に分けていずれも止めることを表している。漢字で書かれているためにその起こ |
りが明らかになることが多い反面、逆に意味は分かっても、起こりが隠れて理解し難 |
いこともあるということである。例えば、「醜(ミニク)い」は「見にくい」であり、 |
「快(ココロヨ)い」は「心よい」、「認(ミト)める」は「見留める」であり、 |
「試(ココロミ)る」は「心見る」であることを知らずに過ごしてしまうことが多い。 |
「陥(オチイ)る」は「落ち入る」、「彩(イロド)る」は「色取る」、 |
「導(ミチビ)く」は「道引く」、「繙(ヒモト)く」は「紐解く」、 |
「顧(カエリミ)る」は「返り見る」、「鎖(トザ)す」は「戸刺す」と知ることが |
第一歩である。 |
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1.回顧ばかりしても進歩には繋がらないが・・・ |
しかし、風俗習慣の違ういろいろな国々で生活する機会の多かった筆者には、一先 |
ず”郷に入っては郷に従え”を実践すべく何事も逆らわずに受け入れ、経験を重ねて、 |
ある程度の年数が嵩み、真偽の判定が下せる資格というか、権限を有するようになる |
まで、トライアル・アンド・エラー{Trial and Errorーー余計ごとですが、”Try |
and Error"は日本生まれの間違った英語表現で、違う品詞(動詞の”Try”と名詞の |
”Error”をandで結ぶのは誤り}を身を以て実践・学習したのでしたが、その中の一 |
つに米国に多い習慣の「ハッピー・アワー」(”Happy |
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Hour”)があった。今更説明する必要もないでしょうが、 |
レストランやバーが、夕方の早い時間から酒や食事を安 |
く提供する時間帯を指して呼ぶものでした。今では日本 |
でもさほど珍しくもなく、営業や外回りを主務とするサ |
ラリーマン(”Salaryman” この言葉も典型的な和製 |
英語で、欧米人に話すなら、”Company Employee" また |
は”Office Worker"と言うのが正しいでしょう)、特に |
客先や訪問先との間に直行・直帰を予定している人々や、その経験者には覚えのある |
ことでしょうが、仕事が終わってからの混み合う時間前に、ゆっくり、悠然と好きな |
肴を注文して、美酒を味わうのは確かに、胸轟かす喜びと言えるでしょう。窮屈に言 |
えば、勤務時間に食い込んでの服務違反のフライングに当たるのでしょうが、融通性 |
のある処置とも言えるでしょうし、それこそ自由の実践なのかもしれないと、筆者は |
当時思ったものでした。 |
もう少し極端な例を挙げるなら、何十年も昔の話になりますが、話題にしたハッ |
ピー・アワーを待つまでもなく、応接室や役員室には米国でも、英国でも立派なホー |
ム・バーの設備があって、話が一段落すれば、特に成功裏に合意ができた場合などに |
は、直ちに手打ちの飲み会に移り、米国ならテーブルの上にジョニーウオーカー黒ラ |
ベルの日本の一升瓶大の大ボトルがどーんと置かれ、各人が好き好きにストレート、 |
オンザロック、ハイボールを口に運ぶことになるのでした。英国なら各種モルト・ウ |
イスキーのおもてなしに自然に場面が移り変わるのでした。筆者の記憶では当時は現 |
在のようにワインが出ることはまだ少なかったように思います。 |
現在は勿論もっと時間管理も職場規律も厳格になっていることは言うまでもないこ |
とです。兎も角、過去にはこのようなおおらかさも一時期を代表する雰囲気であった |
ことは事実です。 |
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2.付き合いに付き物の異文化接触の様相 |
〜文化・芸術に造詣が深いか否かは、その人の評価・認識に大きな影響を及ぼすの |
で要注意〜 |
業務で海外出張をしても、4,6時中仕事ばかりしているわけではなく、筆者の経 |
験では業務時間外の食事やトークの場で、いかに文化・芸術を共通のトークの首題に |
出来るかは、本人の理解・評価のための大きなリトマス試験紙的役割を担っているこ |
とに注意する必要があります。とは言っても、急に準備して出来ることではありませ |
んから、若年時から計画的に精進の対象として取り組むことが望まれます。文化・芸 |
術とは音楽・詩歌・管弦・小説・絵画・彫刻工芸・建築・華道・茶道・武道・映像等 |
々幅広く、しかも太古から現在までの歴史的な変遷と流行や戦乱や飢饉の影響、また、 |
それらの作家・作者の属している国や地域、時代によっても大きく違ってくるので、 |
本人の得意とする守備範囲をはっきりさせておかなければ、議論に入ることも覚束な |
いのは言うまでもありません。本人のこれら文化・芸術への造詣の深さが分かり、趣 |
味として本人が幾つかのことに従事しているか、手を染めていることが分かれば、2 |
回目、3回目と会う度数が増すにつれ、迎えてくれる側の心積りに徐々に変化が現れ、 |
ネット裏の特別室での飲食を共にした大リーグの野球見物、ブロードウエイでのオペ |
ラや音楽会、美術館の特別展の見学まで滞在中のプログラムに織り込んで準備しても |
らい筆者も大いに嬉しく思ったことでした。今でも独りでは絶対に出来なかったこと |
として思い出に残っていることは、米国ヴァージニア州のピードモントのブルーマウ |
ンテン山脈の丸1日のレンジ・ハイキング(峰を伝った尾根歩き)やニューヨークの |
オイスターベイでの社有の大型客船での海鮮料理の夕食を兼ねたクルージングなどが |
あります。しかし、筆者の経験では異文化には常に同化・適応と反逆・衝突の全く背 |
と腹の二面があることも心しておかなければならない難しいことです。場所によって |
は、日本人に、あるいは日本のこれまでの行為や活動に異を唱え、害を与えるまでに |
恨みを募らせている人々もいることを、常に心の片隅に持って滞在の毎日を送らねば |
ならないことは必要不可欠の肝要な気構えでしょう。 |
ここで、ちょっと余談になりますが、去る9月25日(土)から26日(日)に掛けて |
のNHKラジオ第1放送(R-1)深夜放送の「日本の歌、こころの歌」の時間に放送され |
歌声喫茶 |
た「歌声運動、歌声喫茶から流行って、今でも口遊まれ |
ている歌特集」のことを思い出して、今このようなチャ |
ンスがあれば、筆者なら取り上げたい絶好の話題の一つ |
であろうし、場が許されるなら、典型的な歌声喫茶から |
生まれた歌の一つや二つをご披露したことだろう。ダー |
クダックスが広めたロシア民謡も口にしたかもしれない。 |
歌声運動が盛んになったのは、昭和30年代で筆者の大学 |
生活とそれを終わって社会人となって直ぐの時期と重な |
る。お陰で深夜放送で紹介された歌は、今でも歌詞を3番まで諳んじていて、何の躊 |
躇いもなく口遊むことが出来た。それもその筈、何も歌声喫茶に行ったときに限らず、 |
学生時代のあらゆるサークル活動でも、クラスの集まりでも、他大学ととの連合の会 |
合の席でも、必ず歌を歌う場が設けられ、準備として当日歌う歌の歌詞をゲラ刷りし |
た小冊子を拵えたものだったことを思い出す。筆者も先頭に立って表紙絵や各頁のカ |
ット図まで考えて準備したことを昨日のことのように鮮やかに思い起こすことが出来 |
る。歌声喫茶では小綺麗なポケットに容易に入るサイズで、よく歌われる代表的な歌 |
の歌詞を網羅した小冊子が作られていて、有料の場合と無料で貰える場合とがあった。 |
ごく最近までの一時期、あちこち家の中でもこれらの小冊子が転がっていた。 |
事程左様に何事でも話題にはできるが、要は話す本人が話題の内容にどのくらい精 |
通しているか、どのくらい主役を演じているか、話題に対するしっかりした賛否の表 |
明が出来るか否かに掛かっていると言っても過言ではなかろう。”好きこそ物の上手 |
なれ”の通り、話題に本人の気がどのくらい入っているかが大事なのだろう。 |
了 |
2021年10月3日(日) 記 |