| 話 題 『 よもやま話 』最新 | 2017年1月〜2017年4月 | |
| 話 題 一 覧 |
| 2017. 9.20 | シャーロッツビル騒動の報道に接して 投稿:清水有道 | ![]() |
| 2017. 7.29 | 三平方の定理に関するよもやま話 投稿:岡田昂三 | ![]() |
| 2017. 6.25 | 珍しい企画本『紀行とエッセイで読む作家の山旅』を読む 投稿:清水有道 | ![]() |
| 2017. 6. 8 | 面白く読んだ『世界天才紀行』 投稿:清水有道 | ![]() |
| 2017. 6. 2 | 桜散っても、花盛り!2017年版:その5 投稿;小田 茂 | ![]() |
| 2017. 5.23 | 桜散っても、花盛り!2017年版:その4 投稿;小田 茂 | ![]() |
| 2017. 5.10 | タテハチョウ科の蝶「アカボシゴマダラ」が環境省の「特定外来生物」に追加指定される 投稿:清水有道 | ![]() |
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| 話 題 『 よもやま話 』 |
| 2017. 9.20 | 清水 | シャーロッツビル騒動の報道に接して | ![]() |
| シャーロッツビル騒動の報道に接して | 横浜市 清水 有道 | |
| 今般の米国ヴァージニア州シャーロッツビル市での白人至上主義集団と人種差別反 | |||
| 対派の人々との衝突事件の報道を聞き、滅多にマスコミの話題に上ることのない地名 | |||
| だけに、同市に本部と工場を置いていたスペリー・マリーン・システムス・ディヴィ | |||
| ジョン(Sperry Marine Systems Division、略称“SMSD”)との間で行われていた当 | |||
| 社矢板事業所製の舶用機器、特に当時登録商標のように使われたSQMP(Sperry | |||
| Qualified Marine Products |
米国ヴァーニジア州シャーロッツビル市 |
米国ヴァーニジア州シャーロッツビル市_2 |
|
| の頭文字をとって“スクイ | |||
| ンプ”と発音していた)マ | |||
| リーン・レーダー、ジャイ | |||
| ロコンパス、パイロット等 | |||
| のOEM製品の輸出価格と数 | |||
| 量決定交渉のことが思い出 | |||
| された。 | |||
| 1950年代当時の東京計器の提携先のSMSDとの年間契約交渉には筆者も推進部隊の一 | |||
| 員として大変苦労させられた。価格・数量交渉には極端に言えば、矢板事業所の製造 | |||
| 活動の息の音を止めかねない責任が掛かっていたので、交渉のためにシャーロッツビ | |||
| ルを訪ねることは、大事な意思表示と決断を迫られる重大な使命を帯びていた。 | |||
| 今思い出してもこの交渉が一ヶ月以上に及ぶことも珍しくなく、筆者も大きなデッド | |||
| ロックに乗り上げて、少し冷静になる必要があるとして、途中で頭を冷やすために急 | |||
| 遽カナダに飛び、一週間くらい激論を離れて気を入れ替えてから、改めて交渉を再開 | |||
| したことなどを思い出している。今は亡きSMSDの購買部長ホプキンスさんとの友情を | |||
| 支え合った人間関係にも亀裂が入りそうな交渉場面の毎日にお互いに殺生な役割と無 | |||
| 慈悲な世界を感じたものであった。当時の当社橋井 眞社長、財部 毅舶用事業部長、 | |||
| 難波 靖二郎海外営業部長等責任者全員が既に鬼籍に入られているため、共通の話題 | |||
| として話し合いのテーマにすることすらできない現在では、ただ昔日の一事件として | |||
| 話題にするしか方策がないことは甚だ残念な気がする。 | |||
| 思い返せば、マリーン・レーダーなど異なる機能を持つコンポーネントを組み合わ | |||
| せてシステムを形成する機器では、各コンポーネントの単価とシステムとして組み上 | |||
| げたときのシステム・プライスとの関係の整合性を持たせるものとして決めるために、 | |||
| ビルディング・ブロック方式とか言って、コンポーネント単価の積み重ねとシステム | |||
| 単価との整合性を求める努力は毎年大変心を砕く難しい課題であった。既に現在では | |||
| スペリーとの関係も切れ、このような全世界を相手にした価格・数量交渉の土俵から | |||
| は降りているが、今は懐かしい往時の苦しみの一端を思い出して、図らずも過去の良 | |||
| き日(筆者は今でも良いことだったと区分けしているが・・・)の思い出を蘇らせた | |||
| ことだった。全世界を幾つかのベルトに分けて、その地区を差配する責任者を置いて、 | |||
| 当社製の舶用製品がスペリーのネットに乗って全世界に配布されて行く姿は決して捨 | |||
| てたものではなく、製造元としては大いに夢膨らむ現実の繁栄を映す姿として喜びに | |||
| 満ちた思いを味わえる一時ではあった。業務を介して平和を味わえる貴重な体験がで | |||
| きる機会を得ていたのかもしれない。企業のグループ化と完全独立体で大海の自由を | |||
| 味わうことの功罪はそう簡単には結論が出せる問題ではなかろうが、現在どの産業に | |||
| も、どの国にも共通に悩ましい問題として影を落としているのではなかろうか。 | |||
| 例えば人間がファッションを享受するために重ね着をすることが望ましいのか、も | |||
| っと簡単に裸身に近い姿でも、研ぎ澄ました自然体にその本来の姿を求めるのが良い | |||
| のか、まだ暫く議論と実践の試行錯誤が繰り広げられることであろうが、より身近に、 | |||
| より簡便に、難しい議論を経ることなく、結論が導き出せる方策を求めたいとしみじ | |||
| み思う作今である。それにしても思考の過程が何故にかように複雑に噛み合わねばな | |||
| らないのか、筆者には良く分からないばかりか、それらの疑問に対処する方策を吟味 | |||
| することに苦汁を費やし、新たな難しい方程式を求めようとする努力に現を捧げるこ | |||
| とが果たして正しい方法なのか、筆者には甚だ疑問に映るのである。やはり、快くば | |||
| 万歳せよ!否であれば、優しく腕を垂れて、意志を表示して欲しいと思うのが正解で | |||
| はなかろうか。 | |||
| 筆者の意に反して、難しい哲学問答にも似た結末になってしまった。止めにしよう。 | |||
| 了 | |||
| 2017年8月17日(木) 記 | |||
| 2017. 7.29 | 岡田 | 三平方の定理に関するよもやま話 | ![]() |
| 三平方の定理に関するよもやま話 | 武蔵野市 岡田 昂三 | |
| 1. はじめに | |||
| はじめて投稿します。元エンジニヤの皆様に読んでもらえそうな記事を書いてみま | |||
| した。お孫さんとの会話のネタにでもなれば幸いです。 | |||
| 2. 名称について | |||
| 諸外国では「ピタゴラスの定理(英:Pytagorean theorem)」と呼んでいるのに、 | |||
| なぜ我が国だけ「三平方の定理」と称しているのでしょうか。 | |||
図1_鉤股弦の法 |
昔の和算では、中国にならって「鉤股弦の法(こうこ | ||
| げんのほう)」と称し、裁ち合せ問題(たちあわせもん | |||
| だい)の一つとして取り上げていたようです(図1参照)。 | |||
| その後明治に入って、諸外国に合せて「ピタゴラスの定 | |||
| 理」と呼びだしたのですが、第二次世界大戦中に、敵性 | |||
| 語が禁じられ、困ったのが当時、文部省の図書監修官を | |||
| つとめていた塩野直道(しおの なおみち1893 - 1969)。 | |||
| そこで、塩野は、現東大の数学教授だった末綱恕一(す | |||
| えつな じょいち1898 -1970)に相談したところ、末綱教授が「三平方の定理」と命 | |||
| 名したとのことです。 | |||
| この末綱恕一の専攻は、数学基礎論でしたが、仏教や西田哲学にも造詣が深く、西 | |||
| 田哲学の西田幾太郎(にしだ いくたろう1870-1945)自身が高く買っていたほどです。 | |||
| 一方、塩野直道も東大(当時東京帝大)卒の立派な数学の教育者で、現在まで 小、 | |||
| 中、高校生を対象とした塩野直道賞が続いています。この賞の関連で目に付いたもの | |||
| に、小6の「√5を分数であらわすには?」や、中2の「野球の最適打順の数学的考察」 | |||
| などがあります。 | |||
| 「三平方の定理」は、岡田がみても、拡張の余地を持つ、素晴らしい命名だと思い | |||
| ます。我が国だけでなく諸外国にも広めたいくらいです。 | |||
| 3. ピタゴラスとその結社と無理数について | |||
| ピタゴラス(約BC570 - BC500)は、30代のころ諸国を旅し、そのさい、BC1000年ご | |||
| ろ発達した古代バビロニア数学や古代エジプト数学にふれ、三平方の定理に関係する | |||
| 「ピタゴラスの三つ組数(直角三角形でその三辺が自然数の比をなす三つの組数;例 | |||
| えば(3,4,5)とか(5,12, 13)とか(7,24, 25) )などを知った」と言う説が有力 | |||
| です。旅から帰ったピタゴラスが、「三平方の定理」を自分が発見したかのように吹 | |||
| 聴したのが、今日、この定理を「ピタゴラスの定理と呼ぶようになった理由だ」とす | |||
| る説が主流をなしています。 | |||
| ピタゴラスが40才になった頃、はじめて小さな教団を作ったのですが、彼のカリス | |||
| マ性も手伝ってか、どんどん大きな結社に成長したもようです。今日、この結社を | |||
| 「ピタゴラス学派」と呼ぶ向きもあるようですが、実体は、一種の秘密結社で、どち | |||
| らかと言うと宗教色の強い教団だったようです。この教団が信奉していた教義が幾つ | |||
| か知られていますが、この中で次に示す教義が数学上大きな意味をもっています。 | |||
| 「長さとして現実に現れるものに限って議論し、全ての数は、自然数の比で表され | |||
| る。」 | |||
| この教義は、今日で言う有理数のみを数と認め、無理数が現実の世界では現れない | |||
| ので容認しないと言うものです。しかし実際には直角をはさむ二辺が1と2の三角形 | |||
| の斜辺は、√5 の長さをもち、実在するが、これをいかなる分数(有理数)でも表せ | |||
| ないのです。この教義がピタゴラス結社の一つの欠点だったと思います。これに関連 | |||
| して次の様な記録が残っています。 | |||
| ピタゴラスの弟子の一人、ヒッパソス(Hippasus)が船中で無理数を発見したとき、 | |||
| 上記教義に反すると言うことで、他の弟子たちがヒッパソスを船外へ投げ捨て、殺害 | |||
| したということです。 | |||
| ところで、現在まで「三平方の定理の証明」をピタゴラスおよびその弟子が行った | |||
| と言う記録がみつかっていないそうです。岡田が思うには、若い頃に知ったと思われ | |||
| る三つ組数の直角三角形では問題がないのですが、一般 |
図2_五芒星 |
||
| の直角三角形で三平方の定理が成立することを示すと、 | |||
| 必然的に無理数をもつ斜辺が出現することになり、自分 | |||
| の教義と矛盾するので、外部に漏洩するのを恐れ、あえ | |||
| て、証明を残さなかったのではないかと推察しておりま | |||
| す。この結社は図2をシンボル・マークとして胸につけ | |||
| “心身共に健康である人の集まり”を表していたようで | |||
| すが、大変、皮肉なことに、このマークの五芒星は、一 | |||
| 種の無理数である黄金数=(1+√5)/ 2 のかたまりのような図形です(図2参照)。 | |||
| なお、正五角形の作図法をこの結社だけが知っていたようです。 | |||
| 以上三平方の定理とピタゴラス結社の関係を述べてきましたが、心ならずも彼らの | |||
| 欠点を挙げつらうことになってしまいました。このままではピタゴラスについて、誤 | |||
| ったイメージをもたれかねませんので、三平方の定理とは無関係な別の側面を二三触 | |||
| れさせてもらいます。 | |||
| ピタゴラスは、1.8mを超える長身と完璧な肉体をもっていたとの記録があります。 | |||
| 彼が60才のとき、恐らく世界初の女性数学者のテアノと結婚し、7人の子供を儲けた | |||
| という記事が正しいなら、超人的肉体の持ち主だったとみて差支えないでしょう。 | |||
| また、精神的な面では、常に穏やかで感情を表に出さず、言葉遣いも簡潔で含蓄に富 | |||
| んでいたとのことです。あるとき、600人もの聴衆が彼の演説に集まり、演説に感動し、 | |||
| 家庭を捨ててその場で彼の結社に走ったと言う逸話が残っています。 | |||
| 当時、ピタゴラスのような立場の人を、「知者」とか「識者」とか呼んでいたよう | |||
| ですがピタゴラスは、これを良しとせず、謙虚に“真理を発見しようと努める人”を | |||
| 意味する「哲学者」に当たる言葉を使わせていたようです。今日、我々が使っている | |||
| 「哲学」の語源が、ここにあるとする説が有力です。また、彼の没後活躍した古代ギ | |||
| リシャの本格的哲学者プラトン(英:Platon BC427-BC347)にも数学、特に幾何学の | |||
| 分野と輪廻転生(りんねてんしょう)の思想で影響を与えたもようです。 | |||
| 4. 各種証明について | |||
| この定理の証明は数え方にもよるが、100から500通りもあるとのことです。 | |||
| 4.1 ユークリットの証明 | |||
| この証明は有名なユークリッド著の「原論(BC300年)」にのっているもので、しっ | |||
| かり証拠の残っている中で |
図3.1 |
図3.2 |
|
| 最古の証明だそうです。こ | |||
| の証明は、さすがに幾何学 | |||
| 者だけあって誰もが知って | |||
| いる次の2項@とAだけを | |||
| 何回も使用し、ほとんど数 | |||
| 式を使用していない点に特 | |||
| 徴があります。 | |||
| @ 底辺と高さが同じ三角形は、同じ面積をもつ。 | |||
| A 二辺とその挟角の等しい三角形は合同である。 | |||
| まず、図3.1の△BHIと△BHAは、@により同じa^2 /2の面積をもつ。次に、 | |||
| 図3.2の△BHAと△BCGは、Aにより、合同で共にa^2 /2の面積をもつ。 | |||
| (事務局注:^2 は2乗のことです。) | |||
| 次に、図3.3の△BCG |
図3.3 |
図3.4 |
|
| と△BQGは@により同じ面 | |||
| 積a^2 /2をもつ。同様に、 | |||
| 図3.4の△BQPはa^2 /2 | |||
| の面積をもつので□BGQPの | |||
| 面積は、a^2である。 | |||
| 図3.4の□AFQPの面積は | |||
| 同様ににb^2である。 | |||
| したがって、□ABGFの面積c^2は次式で与えられる。 a^2+b^2=c^2 [証明完] | |||
| 4.2 よく教科書が採用している証明 | |||
図4 |
これは図4を使用するもので、大きな正方形の面積 | ||
| (a+b)^2は、直角三角形の面積(ab)/2の4倍と小さ | |||
| な正方形の面積c^2との和であることを使っています。 | |||
| 即ち:(a+b)^2=4 ab/2 + c^ 2 | |||
| ∴ a^2 + 2ab + b^2=2ab +c^2 | |||
| ∴ a^2 + b^2=c^2 [証明完] | |||
| 4.3 岡田とアインシュタインの証明 | |||
| 孫がこの定理を習ったのを機会に、世の中で最もシンプルな図で証明しようと思い | |||
| 立ち、考えついたのが図5です。ちなみに岡田の84才の |
図5 |
||
| 時でした。この証明は、次の@とAを使用しています。 | |||
| 直角をもつ点Cから斜線ABへ垂線をおろした時の足をPと | |||
| し、図5のようにxとyを定義します。 | |||
| @ この結果できる三つの三角形は、互いに相似である | |||
| (∵内角が等しいので)。 | |||
| A ABの長さcは(x+y)である(∵x, yの定義より)。 | |||
| [証明 開始] | |||
| @ より、△ABCと△BCP間で次式が成立する。 | |||
| a/c = x/a , ∴a^2 =cx (∵ a, c ≠ 0 )。 | |||
| @ より、△ABCと△CAP間で、次式が成立する。 | |||
| b/c =y/b , ∴ b^2 =cy (∵ b, c ≠ 0 )。 | |||
| 上記二つの式の和をとると、次式を得る。 | |||
| a^2 +b^ 2=c(x+y) | |||
| この式の(x+y)は、Aによりcなので、次式を得る。 | |||
| a^2 +b^2=c^2 [証明完] | |||
| この証明を完了してから、同じ図を使っている人がいるかも・・・と思い、調べた | |||
| ところ、多数の先人がこの図を使っていました。このとき、相対性理論で有名なアル | |||
| ベルト・アインシュタイン(独:Albert Einstein 1879-1955)(注1)が少年の頃 | |||
| (注2)に、この図を使って三平方の定理を証明していたことを知りました。 | |||
| アルベルト坊やは、岡田と同様、前記@を使用していましたが岡田のAのかわりに、 | |||
| 分割で出来た△ACPと△BCPの面積の和がもとの△ABCの面積と等しいことを使用したよ | |||
| うです。これは、岡田のx + y = cと実は等価ですが、証明をやや複雑にしています。 | |||
| 具体的にアルベルト坊やのやった証明文が残っていないそうですが、三角形の面積関 | |||
| 係を使用するには、次の二通りの方法が考えられます。 | |||
| B 直角三角形の面積を求める公式を使用する。 | |||
| C 相似形の面積比が相似比の二乗である。 | |||
| いずれにせよ、大局的にみるとこれらは、同一の証明とみるべきでしょう。 | |||
| (注1)彼の誕生日3月14日は“πの日”です。日本では“数学の日”です。 | |||
| (注2)8才、11才、12才の三つの説があります。 | |||
| 5. 「四平方の定理」と「四つ組数」 | |||
| この三平方の定理には拡張の余地が多々あります。何に着目して拡張するかによっ | |||
図6 |
て、全く内容がかわります。 | ||
| ここでは、対象とする図形の張る次元を一つだけ上げ | |||
| ることにします。三平方の定理が対象とする図形は、平 | |||
| 面(二次元)内の長方形であり、その二種の辺と対角線 | |||
| の関係を示した定理とみることができます(図6参照)。 | |||
| ここで言う「四平方の定理」とは、立体(三次元)内の | |||
| 長方体(図7参照)を対象として、その三種の辺と(主) | |||
| 対角線の関係を表す次式とします。(図7参照) | |||
| a^2 +b^2 + c^2 = d^2 :「四平方の定理」 |
図7 |
||
| この公式は、三平方の定理を二度使用することにより、 | |||
| 導出できます。 | |||
| △ABCにおいて | |||
| 「AB」 ^2=a^2 + b^2 (∵ 三平方の定理 ) | |||
| (事務局注:線分ABを「AB」で表します。) | |||
| △BADにおいて | |||
| 「BD」^2 =「AB」^2 +「AD」^2(∵ 三平方の定理 ) | |||
| ∴ d^2 = a^2 +b^2 + c^2 [証明完] | |||
| 今、六畳の和室を考えると、(たて、よこ、たかさ):=(a, b, c)とおくと、 | |||
| (a, b, c)≒(12尺,9尺,8尺)になります。これを図7に付記しておきました。 | |||
| この部屋の最長対角線(主対角線)dは、:d^2=12^2+9^2+8^2= 289(尺^2) | |||
| ∴ d=√289 =17(尺) (∵ d > 0 ) となり、ちょうど17尺になります。 | |||
| したがって、(12, 9, 8, 17)は、「ピタゴラスの四つ組数」と呼ぶべき組数です。 | |||
| これも「ピタゴラスの三つ組数」 | |||
| 二組:( 12, 9, 15) | |||
| ll ⇒ (12, 9, 8, 17) | |||
| (15, 8, 17) | |||
| から求められます。 | |||
| 以上に示したように、「四平方の定理」は「三平方の定理」を二度、「ピタゴラス | |||
| の四つ組数」は、「ピタゴラスの三つ組数」二組から求まるので、さほど重要な定理 | |||
| や組数と認められないためか、「四平方の定理」も「ピタゴラスの四つ組数」も現在 | |||
| までこの分野で定着していません。念のために・・・。 | |||
| 6. おわりに | |||
| 今後、有志の方に調査・研究 願いたい事項を列記しておきます。 | |||
| 6.1 三平方の定理のウラの証明。即ち、「三辺a,b,cがa^2+ b^2=c^2 を満たす | |||
| とき、この三角形は直角三角形である」の証明。特に、オモテ即ち「直角三角 | |||
| 形なら a^2+ b^2=c^2 が成立する」を使用しない証明が望まれます。 | |||
| 6.2 a^n+b^n=c^n ,(n∈{3以上の自然数})が成立するか? | |||
| 6.3 z1,z2∈複素数において、|z1|^2 + |z2|^2=|z1+z2|^2 が成立するため | |||
| の条件は? | |||
| 6.4 √2 を分数(有理数)で表せないことの証明。 | |||
| 6.5 ピタゴラスの三つ組数を出力するプログラム? | |||
| 本よもやま話に、不都合な点が多々あるかと思います。お気付きの方は、岡田宛ご | |||
| 連絡ください。 | |||
| 2017. 6.25 | 清水 | 珍しい企画本『紀行とエッセイで読む作家の山旅』を読む | ![]() |
| 珍しい企画本『紀行とエッセイで読む作家の山旅』を読む | |||
| 横浜市 清水 有道 | ||
| 1.はじめに | |||
| 明治から昭和にかけての日本の作家48人の山に関する紀行文などを纏めた『紀行と | |||
| エッセイで読む作家の山旅』と題する文庫が山と渓谷社の編集によってヤマケイ文庫 | |||
| から今年(2017)3月1日に出された。深田久弥や新田次郎のように山を小説や紀行 | |||
| の題材にする作家ならともかく、作家や歌人、俳人、評論家などが山や山旅を書き記 | |||
| した文章を纏めたものは多分初めての試みではなかろうか。期待を込めて早速求め、 | |||
| ゆっくり味わって読んだ。特に印象に残った作家12人の作品について、以下少し紹介 | |||
| したい。 | |||
| 2.心に残った12人の作家たち | |||
| 1)小泉八雲 『富士山(抄)』 | |||
| 生年月日順に編集されているため、小泉八雲が第一番目に登場している。採用され | |||
| た『富士山』の抄文が落合貞三郎の訳文で載っている。帰化してまだあまり間がなか | |||
| ったのか、仏教の名の付いた地名が珍しかったと見えて、正直に文章にその気持ちが | |||
| 表れている。 | |||
| 「道はますます凸凹で、ますます険しい。私だけは折 |
作家の山旅 |
||
| 々匍匐(ほふく)せねば攀じ上がれなかった。関門のよ | |||
| うな場所では、梯子の助けを藉(か)って登った。賽の | |||
| 河原などという仏教の名の付いた恐ろしい場所があった。 | |||
| ――仏教の来世の絵にある、子供の亡霊が積み上げる石 | |||
| のように、積み重なった岩が散らばって、一面黄色をな | |||
| して、荒涼たる光景」。 | |||
| 富士の山頂からの眺めを結びとして、受けた印象を素 | |||
| 直に次のように表現している。誠に完結でありながら内容が濃いと感じ入った | |||
| 「しかしこの景色、百哩(マイル)も見渡すこの眺め、遠い微かな夢のような世界 | |||
| の光、仙界の如き朝煙、捲き去り捲き来たる雲の不思議な形状――すべてこの光景は、 | |||
| またこの光景だけが、私の骨折りと苦痛を慰めてくれる――もっと早く登った他の巡 | |||
| 礼達が、一番高い岩に乗って顔を東天に向け、壮大な太陽を拝んで、神道の祈りを捧 | |||
| げ手を拍っている――この刹那の偉大なる詩境は、私の心魂に徹した。眼前のこの大 | |||
| きな光景は最早消すべからざる記憶となったのである。私の智力は消滅し眼は土に化 | |||
| して仕舞ってから、私の生まれなかった遠い昔、矢張り富士の絶頂から旭日を眺めた | |||
| 億兆の人々の眼の土化したのと、相混ずる時まで、この記憶の一々明細な点は消滅す | |||
| ることはない」。 | |||
| 2)与謝野晶子 『高きへ憧れる心』 | |||
| 日本各地へ旅し、多くの歌を詠んだ与謝野晶子が昭和7年に表した小文『高きへ憧 | |||
| れる心』が筆者にはこの文庫の編集を代表する文に違いないと思えた。 | |||
| 出だしの文「人間は大抵平地に住んでいる。それで天とか山とかを仰いで高いとこ | |||
| ろへ憧れる心を、悠久な大昔の野蛮人が既に持っている。高い所に在るものは太陽で | |||
| も、雲でも、月や星でもすべて美しいものに感ぜられる。美しいばかりでなく、気高 | |||
| いもの、偉いもの、神秘なものにさえ感ぜられる。神が天に住んで人間を司配すると | |||
| 考えて宗教が発生したのも、もとは此の高きに憧れる心からであった。(中略)秀で | |||
| た山岳を望んで夏期に登山欲をそそられたりするのは、手近なものよりも、我が身に | |||
| 遠い「美」が気高く偉いものとして感ぜられるからである。」は、日本人の素直な心 | |||
| を映し出していて、中ほどの「夏期に登山する人々は、涼を納(い)れ、暑を避ける | |||
| 目的の人もある。植物採集の人もある。地理の探検、気象の研究を志す人もある。ま | |||
| た私のように歌を詠むのを目的とする人もあり、また多くの人の容易に踏まない所へ | |||
| 足跡を印して優越感を満足させようとする人もある。」も大いに共感できる。 | |||
| 筆者も実際に景色を絵筆に託したり、珍しい草花や蝶をカメラに収め、新しく通っ | |||
| た山道を地図に印すなど山登りを大いに活用して、いろいろの趣味を満足する手段に | |||
| していたことを今更のように実感させられた。また、終わりの締めくくりの文がよい。 | |||
| 「山から帰る心は浄められている。謂ゆる六根清浄である。この清く健やかになった | |||
| 心を持って、新しく地上の生活に参加し活動する。(中略)私が山へ行く心持は、い | |||
| つでも天の一部へ引き上げられる快さである。」筆者も幾つかの山行後の心洗われる | |||
| 爽やかさを思い出した。 | |||
| 3)谷崎潤一郎 『旅のいろいろ』 | |||
| 『旅のいろいろ』(昭和58年)の中で、あまりに便利になって日本の奥地まで開発 | |||
| されて、都会化されて行く姿に警鐘を鳴らされている以下の文章に大いに共鳴した。 | |||
| 「狭くて細長い国土の上へ縦横に鉄道網が敷き回されて、それが年々、血管の先が | |||
| 幾筋にも岐れて行くように隅々へまで伸びて行って、寸土をも余さない状態であって | |||
| みれば、汽笛の音の聞こえない山間幽谷の範囲と云うものは次第にちじめられるばか | |||
| りである。そこへ持って来て、鉄道省、観光局、ツーリスト・ビューローあたりの宣 | |||
| 伝機関が抜け目なく客を誘引するから、名所という名所が皆その土地の特色を失い、 | |||
| 都会の延長になって行く。私は山登りは嫌いであるから日本アルプスの繁昌する様子 | |||
| を見たことはないが、元来山の良さと云うものは、人界を超越した雄大な感じ、人間 | |||
| に依って汚されざる清い空気を呼吸する点にあるのではないか。古人の万化に瞑合す | |||
| ると云い、天地の悠久を悟ると云い、神仙合一の境に遊ぶと云うのが、山登りの趣味 | |||
| なのではないか。もしそうであるなら、今日の信越地方のように宣伝されてしまった | |||
| のでは、山岳としての意義を失う訳である。」 | |||
| 4)萩原朔太郎 『山に登る』(大正6年) | |||
| 「山に登る ―旅よりある女に贈るー | |||
| 山の頂上にきれいな草むらがある、その上でわたしたちは寝転んで居た | |||
| 目をあげてとほい麓の方を眺めると、いちめんにひろびろとした海の景色のやう | |||
| におもはれた。 | |||
| 空には風がながれている、おれは小石をひろって口にあてながら、 | |||
| どこというあてもなしに、ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。 | |||
| おれはいまでも、お前のことを思ってゐるのである」。 | |||
| 5)宇野浩二 『それからそれ』−書斎山岳文断片(昭和9年) | |||
| 宇野浩二をはじめとして、多くの名詞が山についての文を物しているが、皆一様に | |||
| 小島烏水の『日本アルプス』、『日本山水論』、志賀重昂の『日本風景論』を拠り所 | |||
| にして名文を引用されていて、山に関する日本の古典もかなりしっかりしたものが揃 | |||
| っていることを改めて実感した。 | |||
| 6)水原秋櫻子 『残雪』(昭和36年) | |||
| 水原秋櫻子が表した『残雪』と題する俳句と紀行文で綴った松本からの後立山方面 | |||
| と反対側の美ヶ原(文中には美ヶ原の文字は一切見えないが)への文も、比較的に最 | |||
| 近のことを表しているのと出版された年が筆者が東京計器に入社した年、昭和36(19 | |||
| 61)年であったため特に注意を払って読んだ。 | |||
| 7)結城哀草果 『蔵王山ほか』(昭和11〜27年) | |||
| アララギの選者の一人であった結城哀草果(ゆうき・あいそうか){明治26(1893) | |||
| 〜昭和49(1974)年}が蔵王山、鳥海山、安達太良連峰、朝日連峰、飯豊山塊、燧ヶ | |||
| 岳・尾瀬、早池峰山を読んだ歌も筆者の瞼に美しい山景が浮かぶ思いがして楽しかっ | |||
| た。 | |||
| 8)大仏次郎 『山と私』(昭和30年) | |||
| 大仏次郎が昭和30(1955)年に『山と渓谷』誌に発表した『山と私』と題する文章 | |||
| もいかに友人に山屋がいて、その影響を受けたか、また、同氏の代表作『旅路』がな | |||
| ぜ針の木岳を舞台に展開された背景やら中学生の頃に日本アルプス開拓の父W・ウエ | |||
| ストン(1861〜1940年)の講演会を神田の某所で小島烏水の通訳で聞いた話とか筆者 | |||
| が初めて知ったことがたくさん網羅されていて、興味津々で読んだ。 | |||
| 9)井伏鱒二 『新宿』(昭和6年) | |||
| 井伏鱒二も達者な随筆タッチで多くの山の体験を綴り、深田久弥を通じて山を教え | |||
| られた下りを綴った小文『新宿』も大いに参考になった。流石だと感じ入ること至極 | |||
| であった。 | |||
| 10)川端康成 『神津牧場行』(昭和11年) | |||
| 小文『神津牧場行』は神津牧場経営者の家族の人物描写や周囲の自然描写がさすが | |||
| 文才の持ち主の作品だと驚きに似た感嘆しきりだった。 | |||
| 11)辻 邦生 『雲にうそぶく槍穂高』(昭和61年) | |||
| 旧制松本高校に入って深田久弥の山の本やウインパーの『アルプス登攀記』などに | |||
| 刺戟されて山旅に親しんだ辻 邦生の次の文章は山男の神髄を突いている。 | |||
| 「山男というのは、純粋で、ロマン的で、寡黙で、孤 |
西行花伝 |
||
| 独を好む人が多い。松本以来念願のグリンデルヴァルト | |||
| に行ってアイガー北壁を見上げたとき、山には拒絶の表 | |||
| 情があることを知った。その拒絶を克服するのは、ただ | |||
| 勇気と意志の力だけだ。」 | |||
| 同氏の平成7年に新潮社から刊行された『西行花伝』 | |||
| は谷崎潤一郎賞を受けた長編で、多くの批評家から辻 | |||
| 邦生の『花伝書』と云うべきとの評を得ている。綺麗な | |||
| 文章と日本各地の西行の遊行の跡が、そのときどきに詠まれた歌を織り交ぜて綴られ、 | |||
| 今日も筆者の旅のバイブルの一冊として文庫版を座右に何回も読み返している。 | |||
| 12)北 杜夫 『山登りのこと』(昭和40年) | |||
| 山好きは競って松本高校を狙って猛勉を重ねたが、北 杜夫もその一人で、同氏は | |||
| 病高じてヒマラヤ登山隊員にもなっている。同氏は他人も知る虫好き(『ドクトルマ | |||
| ンボウ昆虫記』の著がある)で、そのため虫を求めて何回も美ヶ原等を訪ねたことを | |||
| 書かれているし、“松高ルンゼ”の紹介もされている。 | |||
| 3.おわりに | |||
| 魅力を感じて手にした一冊だったが、期待以上に面白かった。以上並み居る著名作 | |||
| 家の中から全体の四分の一の作家しか取り上げられなかったが、しかし、このユニー | |||
| クな文庫の狙いやその内容の輪郭は理解していただけたのではないかと思っている。 | |||
| このHP読者の皆様にも是非暇を割いて一読いただければと思う次第である。 | |||
| 了 | |||
| 2017年4月1日(土) 記 | |||
| 2017. 6. 8 | 清水 | 面白く読んだ『世界天才紀行』 | ![]() |
| 面白く読んだ『世界天才紀行』 | 横浜市 清水 有道 | |
| この本はニューヨーク・タイムスの記者や全米公共放送(NPR)の特派員としてニ | |||
| ューデリー、エルサレムおよび東京に暮らしたことのあるエリック・ワイナー(Eric | |||
| Weiner)が2016年に表した“The Geography of Genius, A Search for the World’s | |||
| Most Creative Places from Ancient Athens to Silicon Valley” の訳本で、440頁 | |||
| を超す大作である。 | |||
| 「真の天才」には修飾語は付かないと著者のワイナー |
世界天才紀行 |
||
| は云う。例えばアインシュタインを「科学天才」と呼ん | |||
| だり、モーツアルトを「音楽の天才」と呼んだりはしな | |||
| い。天才は専門分野を超えた存在である、と。また、そ | |||
| れも何時だってそうだ。ある偉人が天才であるか、ない | |||
| かの判断基準は何なのであろうか。ワイナーによれば、 | |||
| 私たち、世の中の多くの人々がそう認めること、すなわ | |||
| ち社会的評価なのだと言う(本文第8章シリコンバレー | |||
| P.182〜183)。 | |||
| 歴史を振り返ると、天才たちはランダムに現れるのではなく、特定の時代や場所に | |||
| 集中して現れる傾向があることがわかる。彼らはいずれも、ほぼ同時期に同じ場所に | |||
| 存在していた。紀元前400年前後の古代アテナイに、ソクラテス、プラド、アリストテ | |||
| レス、トゥキュディデスが。1500年のフィレンツェには、レオナルド・ダ・ヴィンチ、 | |||
| ミケランジェロ・ブオナローティ、ボッティチェリが活躍し、1800年ごろのウイーン | |||
| では、ベートーヴェン、ハイドン、シューベルト、そしてさらにはモーツアルトが作 | |||
| 曲に励んでいた。トーマス・エジソンのように、少なくとも一万時間以上の努力の結 | |||
| 果として、「天才」は「つくられた」。だがじつは、天才は「(時代や土地に)育て | |||
| られる」と。そして「天才」は決して遺伝によるものではないと著者が断言している | |||
| のも以前に“GRIT”を紹介して欧米の現在の考え方を説明したように、偉人は本人の | |||
| 絶えざる努力と試行錯誤の結果生まれるものだとする考え方にも見事に符合すると筆 | |||
| 者は感じ入った。 | |||
| ギリシアのアテネ(哲学)、中国の杭州(科学の基礎と蘇東坡に代表される唐詩)、 | |||
| イタリアのフィレンツェ(絵画、芸術)、スコットランドのエディンバラ(医学、化 | |||
| 学)、インドのカルカッタ(タゴール等のベンガル・ルネッサンス)、オーストリア | |||
| のウイーン(2回、音楽とフロイトに代表される精神科学)、そして最後にアメリカ | |||
| 合衆国のシリコンバレー(スティーブ・ジョブス他の夢の最先端ディジタル技術)の | |||
| 特定場所8ヶ所が天才を育んだとして、該当する人物を列記し、説明している。この | |||
| 際、西欧の歴史ある大都会、すなわちイングランドのロンドン、フランスのパリ、ド | |||
| イツのフランクフルト、ボンやドレスデン、イタリアのローマ、アメリカ合衆国のニ | |||
| ューヨーク、フィラデルフィアやボストン等も天才を育んだ拠点として挙げても十分 | |||
| に対象となる天才がいると筆者には思えるが、入れられていないのが何故か、逆に興 | |||
| 味を誘った。多分あまりにも雑多な人々が入れ代わり立ち代わり居住して騒がしくし | |||
| ているためにゆっくり腰を押し付けて集中する作業に馴染まないのかもしれない。 | |||
| 天才は一人ではなく、同じような分野に複数の競争相手というか、同じような才覚 | |||
| の持ち主が切磋琢磨する環境が出来上がることが大切だと見ているようである。 | |||
| 筆者が大変面白い著者の結論だと思ったことは、『天才を生んだ地の黄金時代は長 | |||
| く続かない、数十年か、せいぜい半世紀ほど続くと、その始まりと同時に、突如とし | |||
| て終焉を迎える。出来上がった時よりもはるかに簡単に崩壊する。この結論からする | |||
| と、現在のシリコンバレーは既に一世紀以上も天才の地として君臨している。おそら | |||
| くハリウッドを除けば、アメリカ合衆国のどの都市よりも長くその地位を保持してい | |||
| ると思う(P.420)』 | |||
| 著者ワイナーは、前著“The Geography of Bliss”(邦訳「世界しあわせ紀行」が | |||
| 全米ベスト・セラーとなって華々しく文壇に登場した。自転車と日本の巻き寿司をこ | |||
| よなく愛する人でもあるとのことである。天才が天才を育んだ土地と共に繁栄するた | |||
| めの必要十分条件として、著者の結論とも思われる以下の文章が筆者にはすっきりし | |||
| た読後感をもたらしてくれた。 | |||
| 『黄金時代を甦らせるものが、必ずしも黄金時代を継続させるとは限らない。賢人 | |||
| は創意工夫をして、途中で燃料を切り替えようとする。ルネッサンスの勃興は、古代 | |||
| 文藝の再評価に端を発するが、古代の文献を発見した当時の人文主義者たちは、既に | |||
| 自分たちの独自の概念を創り、知的活動を広めた。シリコンバレーがこのまま繁栄を | |||
| 続けたいのなら、これまでとは別のエネルギー源を見付ける必要がある。つまり、単 | |||
| に創造力にあふれる新製品を発表するのではなく、創造的であるための新たな方法を | |||
| 見付けなければならない(P.422)』。 | |||
| とにかく一風変わった毛色の違う愉快な旅行記であった。 了 | |||
| 2017年3月11日(土) 記 | |||
| 2017. 6. 2 | 小田 | 桜散っても、花盛り!2017年版: その5 | ![]() |
| 桜散っても、花盛り!2017年版: その5 | 横浜市 小田 茂 | |
| 桜散っても、「全国都市緑化よこはまフェア」開催で花!花!花盛り! | |||
| 【山下公園】会場・・・・ ★ ≪公園広場・・・みなとまち風景≫ | |||
| 山下公園の芝生が植えら |
ガーデンベア―と飛鳥U |
写真スポット氷川丸 |
|
| れた広場からは、“これぞ | |||
| みなと横浜”と思われる | |||
| 光景が目に飛び込んできま | |||
| す。 | |||
| 今回(5/19)も幸いなこ | |||
| とに、横浜を母港とする | |||
| 「飛鳥U」に出会うことが | |||
| 出来ました。観光客の皆さんには、天候の良さと共に最高の贈り物となったことでし | |||
| ょう。勿論、私にとっても良い題材が・・・と大喜びでした。 | |||
マリンタワー |
噴水とマリンタワー |
飛鳥Uを見つめる赤い靴の女の子 |
|
飛鳥U |
広場の花_1 |
広場の花_2 |
広場の花_3 |
広場の花_4 |
広場の花_5 |
広場の花_6 |
広場の花_7 |
広場の花_8 |
| ★ 未来のバラ園〜〜〜190品種・2,600株のバラの競演 | |||
| 山下公園内の「バラ園」は、通常も春・秋に市民をは |
「バラ園」_1 |
||
| じめ多くの観光客の皆さんの目を楽しませてくれていま | |||
| す。 | |||
| 「バラ」は平成元年(1989年)9月、横浜市制100周年、 | |||
| 横浜開港130周年を記念として、「市の花」に制定されま | |||
| した。 | |||
「バラ園」_2 |
「バラ園」_3 |
「バラ園」_4 |
「バラ園」_5 |
「バラ園」_6 |
「バラ園」_7 |
「バラ園」_8 |
「バラ園」_9 |
「バラ園」_10 |
「バラ園」_11 |
「バラ園」_12 |
「バラ園」_13 |
「バラ園」_14 |
「バラ園」_15 |
「バラ園」_16 |
「バラ園」_17 |
「バラ園」_18 |
「バラ園」_19 |
「バラ園」_20 |
「バラ園」_21 |
「バラ園」_22 |
| 【象の鼻パーク】会場 | |||
| 【象の鼻パーク】会場にチョットだけ顔を出しました。シンボルガーデンの 「ガ | |||
| ーデンベアーの庭」は、新しい花を植え変え、新たな美しさで目を楽しませてくれて | |||
| いました。 | |||
| 今回、一段と目立ったのが企業・団体出展の「もてなしの庭」で「銅賞」を受賞し | |||
| た(株)サカタのタネ出展作品が新しい花に入れ替えて、写真のように見事な華やか | |||
| さを見せていました。これが審査時だったら「銅賞」からもっと上の賞を受賞したの | |||
| では・・・・と思いながら眺めていました。 | |||
| 横浜港大さん橋に停泊中の「飛鳥U」は、この場所からだとほぼ正面に見えます。 | |||
| デッキは八層ですが、まるで大きなマンションのようですね。 | |||
シンボルガーデン_1 |
シンボルガーデン_2 |
シンボルガーデン_3 |
|
シンボルガーデン_4 |
飛鳥U正面 |
「銅賞」が変身? |
| 【横浜公園】会場 | |||
| 【横浜公園】会場にも立 |
チューリップから変身 |
ベイスターズ・トピアリー |
|
| ち寄ってみました。 | |||
| 4月上旬の「チューリッ | |||
| プ祭り」の華やかさは姿を | |||
| 消し、「ユリの花」が少し | |||
| でも人目に付くようにと | |||
| 頑張っていました。 | |||
ユリ_1 |
ユリ_2 |
ユリ_3 |
| ≪おわりに≫ | |||
| 「桜散っても、花盛り!」は、毎年1回掲載ものでし |
自宅のバラ |
||
| たが、今年は横浜市で「第33回 全国都市緑化よこはま | |||
| フェア」が3月25日から6月4日まで開催されている関 | |||
| 係で、花の話題が多く5回わたって掲載する形になりま | |||
| した。特に後半の2回は横浜市の花「バラ」のオンパレ | |||
| ードとなってしまいました。 | |||
| 花の美しさ、素晴らしさがお届けできたでしょうか? | |||
| 我が家のささやかな庭にもバラの古木が一本あり、毎 | |||
| 年、春・秋に比較的大きな花を咲かせています。今年は昨年秋に剪定のしすぎ?か、 | |||
| 蕾が三つ、四つと集団で出てきて見た目に超大型の花を咲かせているように見えます。 | |||
| 写真は四つの蕾が開花した時です。バラに対する知識のない私にとっては、まことに | |||
| 不思議な現象!とただただ横浜市民らしく?バラの花の美しさに惚れ込んでいる次第 | |||
| です。 | |||
| 2017. 5.23 | 小田 | 桜散っても、花盛り!2017年版: その4 | ![]() |
| 桜散っても、花盛り!2017年版: その4 | 横浜市 小田 茂 | |
| 桜散っても、「全国都市緑化よこはまフェア」開催で花!花!花盛り! | |||
| ≪はじめに≫ | |||
| 今年の“桜散っても、花盛り”は、横浜市で「全国都市緑化よこはまフェア」が6 | |||
| 月4日まで開催されておりますので、まだ続きます。4月のチューリップ中心の花か | |||
| ら、5月に入り「バラ」が主役となりました。 | |||
| 「バラ」の会場としては、【日本大通り】会場、【山下公園】会場、【港が見える | |||
| 丘公園】会場の三会場が見どころであります。 | |||
| 今回は?桜散っても、花盛り”の続編という形で5月19日に写真を撮ってきたもの | |||
| を2回にわたってご紹介いたします。 | |||
| 【日本大通り】会場 | |||
| 【日本大通り】会場は、?自治体出展花壇”は引き続き |
神奈川県庁前のフラワータワー |
||
| 花を入れ替えて健在ですが、会場全体は「バラ!」に完 | |||
| 全に占領されてしまっております。 | |||
| 神奈川県庁前には、?横浜三塔”(キングの塔・・神 | |||
| 奈川県庁本庁舎、クインの塔・・横浜税関、ジャックの | |||
| 塔・・横浜市開港記念館)に因み、4月の草花からバラ | |||
| のフラワーアートが見られます。 | |||
| 「その2」で紹介しました内容とは一変し、バラ園に | |||
| なってしまいました。 | |||
| 4月はチューリップを中心とした「華麗なる春の饗宴」から、バラを中心とした | |||
| 「華麗なるバラの競演」に変わり、また「バラ制定都市会議」参加自治体の出展が | |||
| 追加されました。 | |||
| ★≪華麗なるバラの競演≫ | |||
バラの競演_1 |
バラの競演_2 |
バラの競演_3 |
|
バラの競演_4 |
バラの競演_5 |
バラの競演_6 |
バラの競演_7 |
バラの競演8 |
バラの競演_9 |
バラの競演_10 |
バラの競演_11 |
バラの競演_12 |
| ★「バラ制定都市会議」参加自治体の出展 | |||
| 「バラ制定都市会議」に関して「案内板」によります |
出展全景_1 |
||
| と『バラ制定都市会議は、ばらの普及などを通し、花と | |||
| 緑にあふれるうるおいのあるまちづくりに資することを | |||
| 目標として、バラを広く住民に愛好されている自治体よ | |||
| り構成される地方公共団体会議です。平成28年全国24の | |||
| 市町が参加しました。』 | |||
| 平たく言いますと地元横浜市をはじめ「バラを市(町) | |||
| の花」にしています自治体の集まりです。 | |||
| 早咲きで最盛期を終えたもの、まだツボミでこれから咲くものを除外しました。 | |||
出展全景_2 |
北海道・岩見沢市(スカーレットイワミザワ) |
山形県・村山市(むらやま) |
|
群馬県・前橋市(あかぎの輝き) |
群馬県・玉村町(マリアカラス) |
神奈川県・横浜市(はまみらい) |
長野県・中野市(なかの小町) |
長野県・坂城町(さかきの輝き) |
静岡県・島田市(ミスしまだ) |
岐阜県・可児市(かに乙女) |
岐阜市・神戸町(ハイネス雅) |
愛知県・西尾市(にしお小町) |
大阪府・豊中市(ピース) |
大阪府・松原市(アンジェラ) |
大阪府・岸和田市(だんじり囃02) |
大阪府・茨木市(ランドラ) |
福岡県・粕屋町(かすやの星) |
鹿児島県・鹿屋市(プリンセスかのや) |
| 【港の見える丘公園】会場 | |||
| 横浜:山手の丘の一番海側に位置します「港の見える丘公園」は展望広場のほかに、 | |||
| 今回紹介します「香りの庭(噴水のある花壇園)」と「イングリッシュ ローズの庭 | |||
| (イギリス西洋館と隣接)」があります。 | |||
| ★≪香りの庭≫ | |||
| 約100品種の香りのバラや香りの植物を集めたガーデン。ローズアーチでは、バラ | |||
| のフレグランスシャワーが降り注ぎ、香りに包まれます。 | |||
香りの庭_1 |
香りの庭_2 |
香りの庭_3 |
|
香りの庭_4 |
香りの庭_5 |
香りの庭_6 |
香りの庭_7 |
香りの庭_8 |
香りの庭_9 |
| ★≪イングリッシュ ローズの庭≫ | |||
| 約150品種、約1,200株のイングリッシュ ローズを中心に、シルバーやブルーを中 | |||
| 心とした草花による色彩のハーモニー溢れる庭園です。 | |||
入り口「説明板」 |
ローズの庭_1 |
ローズの庭_2 |
|
ローズの庭_3 |
ローズの庭_4 |
ローズの庭_5 |
ローズの庭_6 |
ローズの庭_7 |
ローズの庭_8 |
ローズの庭_9 |
ローズの庭_10 |
ローズの庭_11 |
ローズの庭_12 |
ローズの庭_13 |
ローズの庭_14 |
| 2017. 5.10 | 清水 | タテハチョウ科の蝶「アカボシゴマダラ」が環境省の「特定外来生物」に追加指定される | ![]() |
| タテハチョウ科の蝶「アカボシゴマダラ」が環境省の | |||
| 「特定外来生物」に追加指定される | 横浜市 清水 有道 | |
| 1.以前飼育に成功したことを紹介 | |||
| このホームページの2013年10月27日号に「我が家のエノキにも話題の“アカボシゴ | |||
| マダラ”が育つ」と題して、飼育して蛹化・羽化を観察し、最終的には標本を作成 | |||
| (注:標本のラベルには2013年8月20日飼育羽化と記されている)してその写真も紹 | |||
| 介した。このタテハチョウ科の蝶は迷蝶として南方から北上し、京浜地区に棲息する | |||
| ことになったものらしいが、また一説には蝶のマニアが放蝶したものが雑木として何 | |||
| 処にでも見られるエノキを食草として棲息できるようになったとも言われている。 | |||
| 2.環境省の「特定外来生物」指定のニュース | |||
| 去る2月24日(金)の朝日、日経両新聞の夕刊で「外来生物14種飼育など禁止」の | |||
| 見出しのもとに、環境省の専門家会議が持たれ、了承されて7月ごろに政令を改正し | |||
| て、正式に指定されると報じた。筆者のように飼育をし、標本にまで作ることや標本 | |||
| の交換や売買などは今後一切禁止されることになる。標本を持っていることはどうい | |||
| う扱いを受けることになるのだろうか。今年も我が家の庭のエノキに「アカボシゴマ | |||
| ダラ」の幼虫が育つのか、これから暫くの間注意して観察したい。 | |||
| 参考までに今回取扱い禁止が指定される14種には「アカボシゴマダラ」の他、関東 | |||
| から四国にかけて定着したことが確認されている桜の生木を食い荒らし、枯れ木にし | |||
| てしまう「クビアカツヤカミキリ」やペットとして輸入されている希少種の「オキナ | |||
| ワマルバネクワガタ」の原種や日本の在来種との交配種として「マルバネクワガタ属」 | |||
| の10種類が指定される模様 |
飼育標本 |
蛹の抜け殻 |
|
| である。筆者の知人でカミ | |||
| キリムシの蒐集を趣味にさ | |||
| れている高校の校長をリタ | |||
| イアされた方が和歌山県に | |||
| おられるが、同氏も関心を | |||
| 持ってこの新聞記事を読ま | |||
| れたことと思っている。 | |||
| 再度、「アカボシゴマダラ」の飼育標本の写真と蛹の抜け殻の写真をお見せして本 | |||
| 稿を閉じることにしよう。 了 | |||
| 2017年2月28日(火) 記 | |||