話 題 『 よもやま話 』最新 2015年4月〜2016年3月
 
          話  題  一  覧
2016. 3.20 「トヨタの自工程完結」を読んで       投稿;清水有道
2016. 3. 6 串田孫一の世界を改めて総括する「生誕100周年串田孫一」展を見て 投稿;清水有道
2016. 2.14 「長い間世界をリードしてきた西洋文明は終焉を迎えているのだろうか?」 投稿;清水有道
2016. 2. 2 「自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになる」 投稿;清水有道
2016. 1.17 勉強になった一冊の本――佐藤健太郎著「世界史を変えた薬」 投稿;清水有道
2015.12.09 恒例の横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2015”始まる!投稿;小田 茂
2015.12. 6 感銘を受けた五木寛之の2冊の本       投稿;清水有道
2015.11.22 2015年秋季 IRANの会 開催        投稿:伊藤 誠一
2015.10.11 『最後の印象派』展を見て思ったこと     投稿;清水有道
2015. 5.10 未知の世界に挑戦する無謀さの愉快と不思議な爽快さ      −とんでもない3冊の読後感−        投稿;清水有道
2015. 4.27 春の花に想う                投稿;清水有道
2015. 4.14 桜散っても、花盛り!2015年版         投稿;小田 茂
 

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          話  題  『 よもやま話 』
 
2016. 3.20 清水 「トヨタの自工程完結」を読んで
 
「トヨタの自工程完結」を読んで 横浜市 清水 有道
 
 
1. はじめに
 首題の導入時に責任者として初めての試みに携わった元トヨタ自動車株式会社の副
社長佐々木眞一氏が直接書き下ろした本書を読んで、フレッシュな感想を述べるなら、
トヨタの自工程完結
トヨタの自工程完結
第一に、今までにこれだけ読みやすい文で綴られた本は
私小説でも、他の文芸書でも筆者の記憶にはなく、まし
てや実務書、技術書、専門書としては甚だ珍しいことで
はなかろうかということである。理論が難しいか、易し
いかを問う前に、著者が何としても本書を通して訴えた
い、伝えたい、是非とも理解してもらいたいという熱い
希望、熱意が伝わる文章であるか否かが問われると思う
が、一切の条件を付すことなく、素晴らしく平易である
とまず申し上げたい。
 第二に、トヨタの生産方式を代表するシステムとして「ジャスト・イン・タイム」
と並んでその真髄と言われる「自工程完結」はこれほど当たり前の、どの角度から見
ても受け入れ可能な考え方であったのか、ということが分かって、読後感としてはむ
しろ拍子抜けするくらいの思いであった。しかしお陰で、改めて物を作ることの工程
をしっかり整理させてもらえた。
 気構えを持って、怠けずに十分な集中力を持って読み進むことが必要だろうと、か
なり重い気持ちと悲痛観にも似た感情を持って取り組んだために、確かに拍子抜けは
したのだが、考えてみれば、だからこそ考え方がトヨタの社員のみならず、社外の多
くの関係者に伝わったのだと、その質の高さに心打たれたのであった。敢えて言うな
ら、「当たり前のことではないか!」、「何を今頃改めて大袈裟に振りかぶって力説
しなければならないのか?」とも思われそうなことにこそ本題の本質が潜んでいるの
だという思いを強くした。
 話は脇道に逸れるが、本書の出版元のダイヤモンド社は、扱い書店の店頭にたくさ
ん配られた無料小冊子を使って宣伝した。筆者もその一 配布用小冊子
配布用小冊子
冊を持ち帰って、読んでみようという気にさせてくれた
のだから、立派に虜になって嵌った一人になった。小冊
子は、本書の冒頭の「はじめに」全8頁を載せ、目次を
すべて紹介し、「カイゼン」と両立する「自工程完結」
が何故管理部門、ホワイトカラーの職場にも必要なのか
を説明した部分を抜き書きで纏めたもので、小冊子その
ものでも著者の執筆の真意は十分に伝わる内容のもので
あった。
 
2. 筆者の読後感
 出発点はもちろん製品の品質を高く維持するために、一つの工程でなされる作業が
いかなるものであろうとも、その作業が終わってその製品、半製品、部品がいずれの
場合でも、次の工程に移る前に絶対の品質を保持したものであることが必要で、工程
に参画する従業員一人一人がそれを保証できなければならない。従って個々の工程の
「工程管理」はこの考え方を織り込んだものでなければならない。 何回か途中の工
程で、あるいは最終工程で、検査を十分に行えば品質を守ることは可能であるとする
考え方がしばしば通用しているように思われるが、万一品質欠陥が見つかり、それが
どの段階で、どの工程で起きたものか、その前後の工程でその異常に本当に気付かな
かったか否かを遡及して追跡確認することは簡単ではないし、時間と作業、結果とし
て経費の無駄(負の作業)を伴う。一つ一つの工程で完璧なものを作り終えて次に渡
すことに心がけることが、良い品質を守り、良い製品を作る唯一の、そして最も安く
物を作る方法であることを肝に銘ずべきということであろう。
 *問題が起きるのはなぜか。それは「仕組み」が悪いからで、「仕組み」を作った
  のは人間であるから、「仕組み」を変えると同時に必要ならその「仕組み」を作
  る人間をも変えねばなるまい。
 *しかし、ホワイトカラーの職場も含めて全社的に考えるなら、その会社としての
  「仕事の進め方」がしっかりしていなければならない。
 *そのためには、会社がやろうとしている「仕事」は何か。
 *何を「目的」にその「仕事」を進めるのか。
  そのための各部署、各工程の「目的」を何処に置くか。
 *決められた「目的」は構成員全体の理解と賛同が得られているか。
 *立場が違っても「共有」できているか。
 *「手順」や作業の前後の関係が関係者と「共有」できているか。
 *作業を完成させる上で必要な「情報」の入手先や入手元との疎通ができているか。
 *「手順」や「ルール」を勝手に変更し、都合のよいように解釈していないか。
 これらをしっかり遵守した上で、「カイゼン」と工夫を実行し、積み上げて、初め
て真の「生産性向上」や「コスト効率アップ」を実現することが可能である。
 筆者は現在までに日本の幾つかのカーメーカーの工程管理や協力工場の工場や作業
現場の指導に立ち会ってきたが、どのメーカーもそれぞれ特徴のある方式を持ってい
るし、個々の指導内容は相当に細かく、その指導の裏には並々ならぬノウハウが隠さ
れている。検査やデータ計測についてもその方法や記録の取り方・残し方、またその           
利用の仕方、計測数値のコンマ以下何桁まで記録させるか、記録員のサインを求める
か等々微に入り細に入る徹底ぶりであるが、万一問題が起きても、何時、何処で、ど
のシフトで、どういうメンバーの組み合わせで行われた作業であるかに至るまで追跡・
同定されてしまうのが今日の日本のリーディング・カンパニーの姿である。日本のモ
ノづくりの奥の深さ、先人たちの努力の集積がいかに尊いものか、その凄さについて
今回のトヨタの実例を読み、学んで今更ながら思いを新たにした。       了
                          2016年2月20日(土) 記
 
2016. 3. 6 清水 串田孫一の世界を改めて総括する「生誕100周年串田孫一」展を見て
 
串田孫一の世界を改めて総括する
    「生誕100周年串田孫一」展を見て 横浜市 清水 有道
 
1. はじめに
 平成27年度文化庁の文化 案内のパンフレット_1
案内のパンフレット_1
案内のパンフレット_2
案内のパンフレット_2
芸術による地域活性化と国
際発信事業として小金井市
立はけの森美術館が主催し、
北のアルプ美術館(北海道
斜里町に山崎猛氏が設立し
た私設の美術館)と宮城県
美術館が特別に協力して中
村研一記念小金井はけの森美術館で2015年11月3日から2016年1月17日まで開催され
た首題の展覧会を12月末に訪ねた。
 串田孫一は筆者には山登りを趣味の一つとして、本格的に始めた中学生の頃から自
然を愛する哲学者、詩人であり、アルピニスト、エッセイストで画家であるという多
才の士として憧れの人であった。今日までの筆者の人生観なり、趣味の持ち方に大き
山歩きの愉しみ
山歩きの愉しみ
な影響力を及ぼした知識人の最右翼に位置する人と言っ
ても過言ではない。同氏が出された「山のパンセ」シリ
ーズは筆者の学生時代の座右の書であったし、後年1997
年に角川春樹事務所が19世紀末にパリの都市文化が産み
落とした高等遊民を総称する“ランティエ(rentier)”
の名を冠した叢書を刊行した際の3冊目に組み入れられ
た「山歩きの愉しみ」は、筆者が最初の職を得た(株)
東京計器を辞めてからの余生の山歩きの友となった。
 筆者が高校に入学した昭和27(1952)年、忘れもしない当時東京外国語大学の助教
授であった串田孫一は同校に山岳部が創設されたのを機に初代の部長になられた。37
歳だった。この時を境に同氏は山行に出る機会が増え、筆者が高校を卒業する昭和30
(1955)年からさらに積極的に山に関する文章が多くなり、いろいろな出版社から相
次いで素晴らしい山行紀が雑誌面をも賑わした。筆者が何回も熟読した前述の「山の
パンセ」が出版されたのは昭和32(1957)年実業之日本社からで、その5年後に「山
のパンセII」が同じ出版社から出され、続いて翌年昭和38(1963)年に「山のパンセ
III」が出されている。時に同氏は48歳であった。平成7(1995)年80歳の記念にこれ
ら「山のパンセI/II/III」から自選して新版「山のパンセ」を岩波書店から出版した。
 串田孫一の山への開眼は13歳、槇有恒によってだった。その槇が隊長となった日本
隊がマナスルに初登頂したのは昭和31(1956)年で日本中にアルピ二ズムが盛り上が
ると串田も本格登山を目指すようになった。 一方、江戸の文人鈴木牧之が表した
「北越雪譜」や「秋山紀行」が串田を信越国境の秋山郷周辺の山々へ誘ったのだった。
次第に山頂を目指す、あるいは山を征服する本格登山から、大きな山塊に抱かれて大
自然と共生する静謐なものを求めるようになり、信越国境の山々、中でも鳥甲山や苗
場山に日本の山の真の美を見出して行ったと思われる。文人であると同時に、哲学者
の心が行き着いた安息の場所だったのかも知れない。浅学無才の筆者が表すには誇大
すぎるレア老が、率直な感想であるから許してもらいたい。
 
2. 今回の「生誕100周年串田孫一展」の見どころ
 上述したように、串田孫一がアルピニストであり、エッセイストとして執筆活動を
重ねていたことは周知のことであったが、今回の展覧会は同氏の美術の関係に切り込
んで、画人としての串田孫一の多彩な活動を紹介している。油彩画やスケッチ、自ら
主宰した「アルプ」という定期誌の表紙絵、版画、さらにたくさんの子供向けの絵本
が並べられていたのが嬉しかった。添えられた絵は勿論すべて自作であるが、植物画
的な精密画から、水彩やグアッシュのスケッチ、漫画的なイラスト、当時としてはま
だまだ珍しかった幾何学模様や線の組み合わせで作られた面を色彩美豊かに飾るよう
な、まるで欧州のキリコ、モンドリアン、カンディンスキーを思わせる抽象画と奔放
とも思えるほど自由な表現に満ちた作品が並んでいた。串田孫一は文章の人とばかり
思っていたので、正直なところ、なぜ文章の人の記念展を美術館でするのか訝る気持
ちが強かっただけに、見てびっくりは異常な大きさであった。天は二物を与えずとは
よく言われる言葉だが、世の中には何でもできる人がしっかり実在しているのだと改
めて感じ入ると同時に、人 水彩画「無題」1946年作、個人蔵
水彩画「無題」1946年作、個人蔵
絵本「ひとりでやまへいったケン」原画
絵本「ひとりでやまへいったケン」原画
間のスケールの違いが、い
つ、どこで、何を転機にさ
ほどの格差を持って生まれ
変わってしまうのか、わが
身を顧みて情けなく、かつ
生まれ変われること自体が
空恐ろしい気がした。
 この展覧会を訪ねて筆者が串田孫一をわが人生の憧れの人の一人にしてきたことが
間違っていなかったと、自問自答して、そして納得したのだった。
デッサン「ひとり旅」1968年作
デッサン「ひとり旅」1968年作
「アルプ」の表紙挿絵原画
「アルプ」の表紙挿絵原画
手摺版画集「峨」
手摺版画集「峨」
 
3. 筆者が座右の書にしているその他の多才な山屋のエッセイ
 筆者はアルピニストで同時に高名な画家で筆も達者な人は何人もいる。
例えば、昭和5(1930)年の日本登高会の創立者の一人で、谷川岳や北アルプスに難
しいルートを開拓した上田哲農(うえだてつのう)は文化学院を出た本格派の絵かき
で、一水会員から日展会員まで勤められた一線の人であったが、何と昭和33(1958)
きのうの山 きょうの山
きのうの山 きょうの山
年第二次RCCの結成にも加わった本格派のアルピニスト
で、海外の遠征にも何度も加わっている。不幸なことに、
同氏は60歳を迎えることなく病に倒れられた。因みに、
同氏のエッセイ「きのうの山 きょうの山」も筆者の大
好きな山の本の一冊である。中公文庫に入っていたが、
現在ではひょっとするともう絶版になっているかもしれ
ない。自分の筆でたくさんのカットを入れておられるの
が楽しいと思える本だった。 
 例外も多かろうが、概して山屋(山登りをする人を総称して、こう呼ぶ人が多い)
は器用で、何でも屋で、あらゆることを相当のレベルまでこなす能力を保持している
ことが多いのが不思議である。
 この人も山のエッセイでは大好きな書き手の一人として貴重な人だとその存在を大
切にしたいと思っていた人に西丸震哉(にしまるしんや)氏がある。東京水産大学を
出て、農水省の役人になるが、検査研究室長の要職を辞して、昭和11(1936)年から
山登りに力を入れ、海外の探検遠征に積極的に幾つも参加、画家、作曲家、SF作家と
してまでその活動範囲を広げている。筆者が座右の銘の一冊として愛読を重ねている
「山歩き山暮し」(中公文庫)は同氏が山行に必ず持参していたノートのメモを綴っ
て短文にしたものを集めたもので、人の食べ物、自然の動植物と人間の生活の繋がり
について、その都度気づいたことを綴っている柔らかいエッセイである。筆者の好き
な文は、「大草原のある山頂」と題した奥利根の平が岳(2,140m)への山行紀、「只
見川源流をさぐる」という尾瀬一帯と周辺の山々を巡っ 山歩き山暮し
山歩き山暮し
た山旅紀行、「夏山と虫のはなし」と題する高山植物に
訪ねる高山蝶の習性や生態を観察したもので、たくさん
の名山が出てくる。面白いのは、友人から何がそれぞれ
の山行で楽しかったかと聞かれても、楽しかったことは
自分の心に留めて、あまり口にしなかったので、周囲か
ら嫌がられたと書いていることで、筆者と趣味が合う関
係からだろうか、西丸氏の言われていることが、良く分
かる気がするのである。
 山の文学では勿論「日本百名山」の著者深田久弥はこの分野では横綱であろう。筆
者は同氏の著作はほとんど読んでいるが、しかし、「日本百名山」よりも朝日新聞社
刊の山の文庫(全6巻)の2巻以降(1巻は「日本百名山」である)、中でも第3巻
山岳展望
山岳展望
の「山岳展望」が大好きである。中の本人の文章が面白
いのは勿論だが、巻末の今日出海氏の「山鬼深田久弥」
と題する深田の生きざまと追悼文は素晴らしい。その中
で、披露されているのは、「登らない山はないだろう?」
と今氏が聞くと「いや、いや、山ほどあるよ」と笑って
答えたというくだりはユーモアいっぱいで山が好きで好
きでたまらないことを端的に表していると思えて感心し
たことを今でもよく憶えている。
 もう一人ぜひ登場させたい作家がある。それは誰もが知る新田次郎である。同氏も
山を題材にした話、小説、エッセイをたくさん書かれているが、それらの中で筆者が
一番忘れ難い著作は「アルプスの谷 アルプスの村」という昭和54(1979)年1月に
新潮文庫に収められた(原本は昭和39(1964)年に新潮社より)単行本として出版さ
れている)一冊である。中でも何回も引き合いに出され アルプスの谷 アルプスの村
アルプスの谷 アルプスの村
ているグリンデルヴァルトでホテルを営み、かつて日本
の宮様の多くをアルプスの峰々にガイドしたエミール
・シュトイリ氏をこの本で知り、筆者が昭和43(1968)
年スペイン留学の途上同地でシュトイリ氏の宿に泊まり、
本人と話を交わし、同氏の持つサイン帖の一頁を汚させ
てもらえたことが、筆者の人生の懐かしい思い出として
甦って来る。
 ついでにもう一人雑誌「旅」を通して作品を発表し続けていた岡田喜秋(おかだき
しゅう)氏の「山村を歩く」(昭和56(1981)年初版の河出文庫)をぜひ取り上げて
おきたい。雑誌「旅」に現れる岡田氏の文は待ち遠しかったが、それらの文が生まれ
山村を歩く
山村を歩く
る背後には、同氏が東京の中学を出て、穂高や槍ヶ岳や
その他の日本アルプスの名山に登り、山麓を歩いてみた
いがために高校を松本に移して念願の思いを達成してい
る根性に打たれたのを憶えている。一つのことに秀でて
いる人はそれなりに肝も据わっているし、一度選択した
ら結果を出すまで頑張る気概に真の男らしさを感じると
共に、自分の将来の選択の道を見出して行く実例に出会
えた思いがしたことを思い出すのだ。       了
                          2016年1月30日(土) 記
 
2016. 2.14 清水 「長い間世界をリードしてきた西洋文明は終焉を迎えているのだろうか?」
 
「長い間世界をリードしてきた西洋文明は
終焉を迎えているのだろうか?」 横浜市 清水 有道
 
 今まで長い間にわたって付き合ってきた多くの欧米人や最近の仕事で知り合った多
少筆者自身よりは若い世代の友人たちとの交流を通して、筆者は明らかに主題に掲げ
た疑問が現実化していると言わざるを得ない局面を迎えていると感じている。
ISの勢力図
ISの勢力図
 現在世界に現れている政治、経済、社会を覆う流れは、
アメリカが弱体化し、間隙を縫って中国とロシアが増長
して国際社会で傍若無人な振る舞いを続けている一方、
イスラム原理主義を拠り所にしたIS (Islamic State) 
などの過激派も我が物顔にテロ行為を頻発させ、欧米両
大陸のいわゆる自由主義国はそれらへの対応に苦慮して
いる。それでは我が国はどうなっているのだろうと、冷
静に現状を見つめると、どうにも議論にならないほど脆
弱な態勢で、為政者の無策と国民の無関心さが目立ち、正直言って呆れ顔をせざるを
得ない有様である。政治を進捗させ、社会秩序の安寧を推進する役割を担う責任ある
立場の人々と良識をもって意見を述べている各界の有識者が真剣に議論を重ねて世界
をリードできる結論を導き出す死に物狂いの努力を重ねてほしいと思うのは筆者だけ
ではあるまいと思う。
 関連して常々筆者が心安らかになれない思いを描いて スンニ派とシーア派
スンニ派とシーア派
いることは、米国が関与したイラクのフセイン大統領打
倒の攻撃は、結果的にはフセインの属したイラクでは少
数派のスンニ派をイラクから追い出し、多くの難民を生
み出し、その過程で、イラクを無政府状態に追い込み、
今日のイスラム国(IS)を生み出す大きな素因を創出す
ることに結果してしまった。しかしながら、米国を筆頭
に西欧諸国にこのことに対する反省が全く見られないこ
とである。根本原因を生み出していながら、そのことに責任を取らないことが不思議
でならない。何時の世でも、人々の考えは常に二通り、三通りの異なるものからくみ
上げられているだろうから、その内の一つに与することは、それなりの危険負担とリ
アクションは必然的に起こるものと考えねばならない。現在はなぜか関係者それぞれ
が皆このことを忘れているのか、敢えてタッチしまいとしているのか、無責任と思わ
ざるを得ない。スンニ派がこのように一方的に見捨てられるような状態に置かれれば、
次は然らば自分たちでスンニ派による独立国家を樹立し、中東はおろか、世界に冠た
る国に育てて、世界に君臨する一翼を担うことを夢見ても不思議ではなかろう。筆者
は少しもISを支持・擁護する気持ちを持っているわけではないが、疎外された後の彼
らの気持ちを分からないでもない。
 次に筆者が問題にしたいのは、現在のアラブで見られるその他のテロリスト集団の
教義も、常に狂気に駆られるテロリストによる自由や民主主義に対する攻撃だとする
見方には少し無理があるのではないかと思えるし、特にフランスでは、現在までの長
い歴史の中で自らが醸成した社会の貧富の格差や失業その他の社会的に恵まれない階
層の人々に対する対応の遅れや無頓着さに嫌気がさして起こされるテロや暴動の解消
に、イスラム教徒やイスラム圏の国々への鞘当てで濁そうとしているように、その姿
勢が見えるようで気持ちが悪い。ハンチントンが自著「文明の衝突と社会秩序の再構
成」で述べているイスラムの自由や民主主義に対する攻撃を、つまりは「文明」への  
攻撃・衝突と短絡して考えることは非常に危険だと思うのである。実際には現代に至
って急に表舞台に登場した石油の持つ力のために、その石油を上手に統治することに
失敗したことからもたらされた今日の中東の経済格差にこそ原因があるのではないだ
ろうか。もとはもっともっと単純な経済問題が発端ではなかったかと筆者は今でも思
っている。
 もちろんこう言い切るには幾つかの仮定条件が必要であろうことは筆者も異論はな
い。長い間世界を統治・リードしてきた欧米の考え方を一方的に成功した近代社会の
理念と位置付けるのは、何としても早計にすぎると思うからである。実際にこのよう
に唱え、理解してきた欧米の指導者のために、出来上がった言葉「グローバリズム」
も甚だ迷惑な歩みを持って必ずしも同調しない人々に迫ることに耐えられない気持ち
を起こさせるであろうし、背景を知らない人々はアメリカで考えられ、行われている
ことが、恰も「グローバリズム」だと間違って理解されてしまっているのが現実の姿
ではなかろうか。
 多くの有識者が本に表し、意見を述べているように、国境を越えて自由に競争を謳
歌することは資源の偏在や教育の不均衡もあって、世界の至る所に経済格差や雇用不
安、自国通貨の瞬時の優劣を生み出し、結果として資源利用と取得に更なる格差が生
じ、生活地盤や生活環境の不安定を増長することになり、率直にこれから先の生活に
対する希望と結びつかないことになってしまう。これらの招来される結果には少なか
らず欧米の伝統的な文化や価値観が働いており、それらが世界の各地で、特に中東で
土地のローカルな文化や慣習、慣行、宗教や家族の秩序等に軋轢や摩擦をもたらし、
日々の生活に苦しみを与える要因を創り出している。これから先ITの更なる進歩とと
もに今まで以上にこれらの阻害要因が拡大されることになるであろうから、やれ西側
だ、やれ東側だとか、西洋流だ、東洋式だとかを極端に強調することは、そのこと自
身が直ちに問題を引き起こす火種になることを肝に銘ずべきだと思う。
 いずれにせよ今の世に行きわたっている文明は、終焉期とは言わないまでも、大き
な転換期にあることは間違いない。これから誰が舵取り役を務めるのだろうか。相変
わらず特定の個人の手に委ねられて行くのか、それとも多くの大衆の力のうねりを待
つことになるのだろうか、比較的近い将来にその帰趨が見えるのではなかろうか。筆
者ももう少し先のある余生があれば、新しい息吹を自分の目で見、肌で感じられるの
にと、しみじみ残された余命の短いことを、甚だ残念に思う今日この頃である。
                                     了
                          2016年1月10日(日) 記
 
2016. 2. 2 清水 「自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになる」
 
「自由を奪われた人間は必ず誰かを
            憎むようになる」 横浜市 清水 有道
 
 毎年ノーベル文学賞受賞が待たれている我が国の作家村上春樹の作品に、昨年暮れ
文藝春秋新社から文庫に再録され、またまたベストセラーになっている「色彩を持た
ない多崎つくると、彼の巡礼の年」と題する400頁を超す長編小説がある。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
 この小説は名古屋での高校時代に4人の男女の親友と
満たされた学園生活を送っていた多崎つくるが大学生に
なって一人東京に出た途端に4人から絶縁を申し渡され、
大学を卒業してのち、絶縁の真相が何だったのかを4人
に正そうとする物語である。多分作者村上氏は、全部あ
るいは一部が作者にイコールであろう多崎つくるが、拒
まれた背景にある親しい間柄の人間の中であればこそ逆
に引き起こされる矛盾した反発作用が友情の中に芽生え
てしまう人間社会の不思議さ、複雑さを表現したかったのであろうと筆者は率直な読
後感を持った。 
 小説の内容はともかくこのくらいにとどめて、ここでは村上氏がこの小説を借りて、
本文中にアーノルド・ウェスカーの「調理場」という戯曲の中に出てくる言葉として
「コックはウェイターを憎み、どちらも客を憎む」というセリフを紹介して、村上氏
自身の文章としてこのエッセイの題名に掲げた「自由を奪われた人間は必ず誰かを憎
むようになります」と書いている。この小説の紹介にも、また出版元の宣伝文句にも
一切謳われてはいないが、筆者には作者村上氏は、この引用と彼自身の引用文に対す
るコメントを強調したくて、この小説を起こしたのではなかったかとさえ思えてなら
ない。
 筆者がその思いを強く抱く理由は、一つにはこの小説が米国においては過去の村上
氏の作品の中で最高の作品であるとの評価を得、ニューヨーク・タイムス紙のベスト
セラー第一位にランクされているからであり、二つ目には欧米が中心となった西洋文
明が長期にわたって世界をリードしてきた背後に、相当期間にわたって不自由さ、窮
屈さを味わい、疎外されていると思われている(少なくともその地域の住民はそのよ
うに感じている)地域や社会には、貧困や富の偏在に根を有する不満や鬱積された格
差が、此処に来て支えきれない時期を迎えようとしていると筆者には思えるからであ
る。社会的な背景が現在のように不安定、不満、不平等の堆積状態になれば、自ずと
ちょっとした不自由さが大きなエネルギーとなり、社会の混乱を生み出す要因になり
かねないと思うからである。
 場面をもっと広く国と国の間やあるいは市井の会社組織の中に移して考えてみても、
非常に気の合った関係が続き、幸福な関係にあっても、関係が対等であれば長続きす
るが、少しでも上下関係が生まれ、主従の関係や一方から他方に命令を発し、あるい
はそれを受ける立場に変わるようになれば、瞬時にして関係が微妙になり、お互いに
従来の関係がまったく嘘のように感じられてしまう。このような様変わりは今日至る
所に普通に見られることだろうと思う。人間は勝手なもので、主従の関係になって自
由を奪われるとすぐに嫌気を感じ、素直に承服しがたくなる。多分関係が緊密であれ
ばあるほど、内容が濃ければ濃いほど、リアクションとして生じる反発は大きくなっ
てしまうだろう。この辺りの関わりがそのまま小説が生まれる大きな題材源になって
いるように思われる。不思議なことに男女間も含めて、相手が一人の場合には、この
ような展開には殆どならない。関係する人間の数が増えて、複数になればなるほど従
来の団結は緩くなり、分派集団が生まれてきて、それらがリアクションに結びついて
しまう。組織の分割や統合などを考える際にも、背後にある組織構成員の心理的な反
応基盤や日常の行動背景をよく理解し、吟味しておくことが肝要であろう。
 村上氏の作品を読んで、新年早々非常に有益な教訓を得たように感じた。
                                     了
                          2016年1月3日(日) 記
 
2016. 1.17 清水 勉強になった一冊の本――佐藤健太郎著「世界史を変えた薬」
 
勉強になった一冊の本 横浜市 清水 有道
       ――佐藤健太郎著「世界史を変えた薬」
 
 最近読んだ本の中で、特に勉強になったと思った一冊を取り上げてみたい。
それは今年の10月に初版第一刷が講談社現代新書の2338番目として書店にお目見えし
た首記の180頁余りの読みやすい新書である。著者は自ら医薬品の開発に携わった経験
を持たれ、現在はサイエンスライターとして広く著作・講演に当たられている。
 動植物や鉱物、果ては動物の排せつ物に至るまでありとあらゆる薬剤を求めて、疾
病の治療や不老不死の妙薬を求め続けた人類の歴史を第1章に説き起こしてから本書
は書き進められる。第2章では大航海時代の船乗りの壊血病治療の「ビタミンC」を、
第3章では名君を救ったマラリアの特効薬「キニーネ」を扱い、第4章では人の世に
天国と地獄をもたらした「モルヒネ」を紹介し、第5章では痛みとの果てしない闘い
の歴史の産物である「麻酔薬」について記し、第6章では手を洗う必要から「消毒
薬」が誕生した経緯が語られ、第7章では不治の病と恐れられていた梅毒から人々を
救った「サルバルサン」を、続いて第8章では長引く大戦、特に塹壕戦から戦場の死
神にとどめを刺した「サルファ剤」、そして第9章では文字通り世界史を変えたと誰
しもが認める抗生物質としての「ペニシリン」を紹介し、その後の抗生物質の進歩・
発展にも触れられる。
 そして、第10章では 著者は冒頭に読者に設問されている。「さて、もしこれから
の人生でたった一種類だけしか薬を飲んではいけないと言われたら、あなたは何の薬
を選ぶだろうか? 風邪薬か、抗生物質か、それとも胃薬だろうか?」。
世界史を変えた薬
世界史を変えた薬
その答えとして、著者は「迷うところだが、筆者であれ
ば優秀な痛み止めを選ぶことだろう」。そして、「特別
な持病のある人は別として、かなりの人が筆者と同じ選
択をするのではないだろうか」と書いておられる。その
理由として、「頭痛、歯痛、胃痛、腹痛に生理痛、切り
傷、打撲、捻挫に骨折などなど、持続する激しい痛みほ
ど、生活の質を損ねるものは他にない。これは、古今東
西変わることのない真理だろう」と説明されている。事
実「それだけ痛みを抑える薬は、人類が古くから、最も強く求めてきたものだった」
と、上述した大航海時代の壊血病治療の「ビタミンC」,マラリアを救った「キニー
ネ」、「モルヒネ」、「麻酔薬」、消毒薬」の発明、梅毒の特効薬「サルバルサン」、
そして世界史を画期的に変えた「ペニシリン」などなど人類に多大の貢献をなし、ノ
ーベル賞をもって顕彰された薬の数々を紹介された後に、とは言っても、19、20、21
の3世紀にわたって君臨した医薬の王者はやはり「アスピリン」だと著者は結論して
いる。
筆者も生涯の長い国内外の生活を通して、どの土地にあっても一番話題に上った薬は
やはり「アスピリン」であったことにはまったく疑いを差し挟まない。
最後の第11章で日本人が初めて創った抗HIV薬としての「エイズ治療薬」について触れ
ている。
 惜しむらくはせっかく抗生物質にまで触れ及んだのであれば、戦後の国立予防衛生
研究所設立とともに初代抗生物質部長に就任され、生涯で「カナマイシン」、「ブレ
オマイシン」、「カスガマイシン」などの有用な抗生物質を数多く発見され、数年に
わたり毎年ノーベル賞候補としてマスコミを賑わしていた梅澤濱夫博士についても、
一行くらい触れていただけたらと残念に思った。と言うのも、まったく手前勝手な希
望であるにすぎないが、同博士の出身が、筆者が幼年時代を疎開という特異な環境で
過ごした父の郷里と同じ福井県の小浜市のために、なぜか身近な有名人に思えるから
である。
 本書を一気に読み通して、どういうタイミングでどの薬がこの地球上に、そして人
類の生活の中に登場することになったのか、しっかり整理ができた思いがした。非常
に勉強になった一冊であった。                       了
                          2015年11月29日(日) 記
 
2015.12. 9 小田 恒例の横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2015”始まる!
 
  恒例の横浜:山手西洋館 横浜市  小田 茂
    “世界のクリスマス2015”始まる!
 
    12月25日まで開催(休館なし)開館時間 9:30〜17:00
      ただし、12/11,12,18,19,22,23,24 は18:00まで (入場無料)
 
 今年も12月1日から横浜:山手西洋館“世界のクリス 山手の地図
山手の地図
マス2015”が始まりました。
 12月3日の読売新聞に山手111番館古屋悠子館長の記事
が掲載されており、その一部を紹介しますと「山手西洋
館とは、横浜港開港時の外国人居留地の面影を残す山手
地区には、港の見える丘公園、元町公園、山手イタリア
山庭園の中に、大正末期から昭和初期に建てられた外国
人向け住宅を復元した七つの洋館があります。いづれも
横浜市が管理し、館長は全員女性」ということです。
 天候の良い日に、散歩がてらお出掛けください。山手西洋館以外にも途中には、
「外国人墓地」、「港の見える丘公園」など見応えある場面が沢山あります。また、  
「港の見える丘公園」から坂を下れば、「元町商店街」、少し足をのばせば「横浜中
華街」・「山下公園」など見所、食べ処がいっぱいあります。
 
1.ブラフ18番館(フランス共和国のクリスマス)
 JR根岸線:石川町駅元町口(昔の南口)から上り坂をと歩で約5分ほどで、右側に
「山手イタリア山庭園」の案内版があり、階段を上るとプラフ18番館に到着。
 庭には、4本の大銀杏が丁度見頃で、見事な“黄金色”を競っていました。
プラフ18番館
プラフ18番館

黄金色
黄金色
 ブラフ18番館は、関東大震災後、山手45番地に建てられた木造2階建ての外国人住
宅です。戦後の所有者としてカトリック山手教会から部材の寄付を横浜市が受け、平
成3年(1928年)に、この「山手イタリア山庭園」内に移築復元されたものです。
 フランスでは家族が集まってクリスマスをお祝いします。家族みんなで食卓を囲み
大人も子供もプレゼント交換を楽しむそうです。
食卓
食卓
ツリー
ツリー
テーブルの飾り
テーブルの飾り
 
2.外交官の家(ウクライナのクリスマス)
 外交官の家は「山手イタリア山庭園」内で、ブラフ18番館の直ぐ隣りです。
外交官の家
外交官の家

山手イタリア山庭園
山手イタリア山庭園
 家は明治政府外交官の内田定槌氏の邸宅として明治43年(1910年)にアメリカ人建
築家の設計により、現東京都渋谷区に建てられた塔屋付き木造2階建ての西洋館です。
国の重要文化財に指定されています。平成9年(1997年)に内田氏のお孫さんから横
浜市に寄贈され、現在地に移築復元されました。
 外交官の家(裏側)とイタリア庭園の構図は、絵画愛好家からは写生ポイントの一
つとなっており中高年の方々の写生姿をよく見かけます。
 ウクライナは初登場ですが、今年が横浜市とウクライナの港湾都市オデッサ市が、
姉妹都市提携50周年を迎えた記念として開催されたものです。
 ウクライナの冬のお祝い 食卓
食卓
ツリー
ツリー
ごとは12月19日に「サンタ
の日」で始まり、1月19日
の御公現の祝日まで続きま
す。このなかでも一番大事
とされているのは1月7日
の「クリスマス」。前日の
6日の夜に家族全員で集ま
り、聖なる夕食をとります。
窓の飾り
窓の飾り
机の飾り
机の飾り
テーブルの飾り
テーブルの飾り
 
3.ベーリック・ホール(カナダのクリスマス)
 ベーリック・ホールは、外交官の家から山手本通りにでて海の方向に向かって15分
ほど歩くと左側に建物が見える。
 イギリス人貿易商のB.R ベーリック・ホール
ベーリック・ホール

べーリック氏の邸宅として、 
昭和5年(1930年)に建て
られました。
(東京計器・蒲田の旧建物
と同期生です。)
 スパニッシュスタイルを
基調とした建物で、設計は
アメリカ人建築家のJ.Hモーガンで山手111番館、山手教会、根岸競馬場など数多くの
建物を残しています。
 平成12年(2000年)までは、外国人学校の寄宿舎として利用されていましたが、学
校閉鎖に伴い寄宿舎も閉鎖されました。(学校跡地には現在、建設反対運動が長く続 
きましたが、大きなマンションが建っております) 
 横浜市は元町公園の拡張に伴い、平成13年(2001年)に用地を買収し、建物につい
ては宗教法人から寄付を受け、復元・改修工事を終えました。
 今日目にするカナダのクリスマスは、フランス、イギリス、アメリカ合衆国の流れ
をくみ、広大な国土、雄大な自然環境とともに育まれ、二十世紀初め頃に出来上がり
ました。一年で最大のお祝いの日で、家族で楽しみます。
木工飾り_1
木工飾り_1
木工飾り_2
木工飾り_2
木工飾り_3
木工飾り_3
 
4.エリスマン邸(オーストリア共和国のクリスマス)
 エリスマン邸は、ベーリック・ホールと小さな道を挟んだお隣りさんです。
エリスマン邸
エリスマン邸

アドベントクランツ
アドベントクランツ
 生糸貿易商社の横浜支配人として活躍したフリッツ・エリスマン氏の邸宅として
大正14年(1925年)から15年にかけて建てられました。
 昭和57年(1982年)に解体されたが、平成2年(1990年)元町公園内の現在地に復
元されました。
 クリスマス市があちこちに立ち、とても賑やかになります。街の中心に大きなアド
ベントクランツが飾られます。これはリースを横にして飾りその上にキャンドルを4
本立てたものですが、クリスマスの4週間前から1本ずつ点灯し、クリスマスには4
本のキャンドルが点灯します。
キャンドル
キャンドル
テーブルの飾り
テーブルの飾り
窓辺の飾り
窓辺の飾り
 
5.山手234番館(ドイツ連邦共和国のクリスマス) 
 山手234番館は、山手本通りを挟んでエリスマン邸の向い斜めに位置したところに
あります。エリスマン邸から1分弱。正面の“もみじ”(葉は小さい)は素晴らしい
見事な色彩を放っておりました。
エリスマン邸
エリスマン邸

もみじ
もみじ
 昭和2年(1927年)頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、関
東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建て
られたものです。平成元年(1989年)に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しまし
た。
 ドイツでは、クリスマス前のアドベントになると大都市だけでも2,500以上のクリス
マスマーケットが開催されます。また地域ごとに何百年にわたり受け継がれてきた
様々なクリスマスの習慣がありますが、何処の家庭もクリスマスは家族や友人と共に
過ごします。
食卓
食卓
サンタの休憩
サンタの休憩
ツリー
ツリー
 
     次の「横浜市イギリス館」までの山手本通り沿いの景色
 横浜市イギリス館までは  山手十番館
山手十番館
外国人墓地
外国人墓地
山手234番館から5〜6分ほ
どで山手本通りのはずれで
「港の見える丘公園内」に
位置します。
 向かって右側に「ビヤガ
ーデン発祥の地」といわれ
る「山手十番館」がありま
す。
 真ん前の左側には「横浜外国人墓地」が続きます。昔は「外人墓地」と言っていま
したが、「外人」という呼び名が“差別用語”という説もあり、今は正式には「外国
人」となっています。ただ、今でも古い正門の標識には「外人墓地」のままです。
 「外国人墓地」から少し進んだ右側に、「岩崎ミュージアム」のクリスマス準備万
端の飾りが目に入ります。すぐ先が「みなとの見える丘公園」です。園内の展望台
から右側には「横浜ベイブリッジ、左側の正面には「横浜大さんばし」で豪華客船が
停泊中で左手に「横浜マリンタワー」が見られます。
岩崎ミュージアム
岩崎ミュージアム
横浜港遠景_1
横浜港遠景_1
横浜港遠景_2
横浜港遠景_2
 
6.横浜市イギリス館(イギリスのクリスマス)
 イギリス館は、昭和12年(1937年)英国総領事公邸として建てられました。
イギリス館
イギリス館

ローズ・ガーデン
ローズ・ガーデン
 昭和44年(1969年)に横浜市が取得しました。
 イギリス館に相応しく、「ローズ・ガーデン」に隣接しております。隣接というよ
り「ローズ・ガーデン」の中にありますの方が分かり易いと思います。
 他の西洋館では、毎年違う国のクリスマスをテーマのとりあげておりますが、イギ
リス館だけは毎年同じテーマの「イギリスのクリスマス」です。この建物が領事館公
邸という歴史的に見ても他の国を取り上げるのは難しいのかもしれませんネ!
 イギリスではサンタクロースのことを「ファザー・クリスマス」と呼びます。これ
は先住民であるケルト民族の言葉で、この季節の喜びや希望をあらわす妖精のお爺さ
んことでした。このようにイギリスのクリスマスは、ケルトの文化の影響を受けてい
ます。
食卓
食卓
室内の装飾
室内の装飾
ツリー
ツリー
 
プレゼント_1
プレゼント_1
プレゼント_2
プレゼント_2
自撮り
自撮り
 
7.山手111番館(オーストラリア連邦のクリスマス)
 山手111番館は、横浜市イギリス館の南側の噴水広場を挟んで建っています。スパ
ニッシュスタイルのこの洋 山手111番館
山手111番館

館は、大正15年(1926年)
にアメリカ人の住宅として
建てられました。設計者は
先に出てきましたベーリッ
ク・ホールを設計したJ.H.
モーガンです。
 平成8年(1996年)横浜
市が敷地を取得し、建物の寄贈を受けました。
 南半球に位置するオーストラリアは、真夏の中クリスマスを迎えます。真夏でも家
の中はクリスマスツリーや花を飾り、チキンやターキー、バーベキューでお祝いしま
す。
ツリー
ツリー
コアラとユーカリ
コアラとユーカリ
テーブルの飾り
テーブルの飾り
 
 ≪おわりに≫ クリスマスが過ぎますと、直ぐに“お正月”です。
 皆さま、“良い年”をお迎えられますよう 心からお祈り申し上げます。
 
2015.12. 6 清水 感銘を受けた五木寛之の2冊の本
 
感銘を受けた五木寛之の2冊の本 横浜市 清水 有道
       ーー「自分という奇蹟」  (PHP文庫)
       ーー「嫌老社会を超えて」(中央公論新社)
 
1.はじめに
 筆者は第2次世界大戦(太平洋戦争)時東京の戦禍を逃れて父の郷里福井県に疎開
し、小学校(当時の国民学校)の2年から5年までの4年間を同地で過ごした。その
時に、村のあらゆる行事や習慣が父の実家の宗旨である浄土真宗本願寺派(西本願寺)
のしきたりによってなされ、加えて清水と牧野の両姓しかない小部落の全戸が同じ宗
旨で疎通が早く、何事もスムーズに進行して行く様に同一宗教のある種の恐ろしさを
幼少ながら微妙に感じ取っていた。
その後学びを重ねるにつれ、福井は吉崎御坊に近く、一向宗徒の多い北陸の土地柄、
当たり前と言えば当たり前のことであろうが、曹洞宗の本山永平寺があったり、能登
には横浜の鶴見に移る以前のもう一つの本山総持寺(現在でも同地の総持寺も存続し
ている)があったりで、道元禅師の曹洞宗のお膝元でもあるのに、新興鎌倉仏教の一
つである浄土真宗の力が本当に強力であることに恐れを感じていた。
 小学校6年を迎えるに当たり再び東京に戻り、成人するに及び、作家五木寛之氏が
金沢に移り住まわれ、親鸞の弟子蓮如を詳しく本に表して紹介され、続いて親鸞聖人
についても度あるごとに健筆を振るわれ、熱心に説かれていることを知り、愛読する
内に、筆者は大きな心の支えをいただいたように感じ、敬いの気持ちと親しみを感じ
て今日に至っている。そのために幼少時には恐れさえも抱いていた親鸞の教え浄土真
宗に親しみを覚えると同時に、キリスト教やその他の仏教諸宗派を知るに及んで、人
間がこの世に生を受け、人生を歩んで行く上に、日本の宗教の中で、浄土真宗が一番
キリスト教に近く、欧米人を含めた外国人に最も理解されやすい仏教ではなかろうか
と確信を持って言えるように思っている。
 このような背景から五木寛之氏の首題に掲げた近著2冊を読み、両書は迷う方なく
筆者の心に深い揺さぶりと感銘を与えてくれた。
 
2.「自分という奇蹟」について
 この本の中で、五木氏は現在しみじみ「心に空白を持つ日本人」が増えたことを嘆
き悲しまれていること、気安く楽しいとか、嬉しいとか、面白いとかの反応はするけ
れども、何事に対しても涙する、泣く、嘆く、悲しむという感情を持つこともまた非
常に大切なことで、氏は自ら「いつまでも泣ける人間でありたい」と言われているこ
とに同調したい気持ちに駆られた。日常、生活の中に見つける小さな喜びに新鮮な感
動を覚え、生きていることそれ自体で価値があると説かれる力は決して小さなもので
はないと筆者も意を強くした。
自分という奇蹟
自分という奇蹟
 この本の中で一か所筆者の心に強く印象に残ったこと
は、有名な民俗学者柳田國男の著名な論文「涕泣史談
(ていきゅうしだん)」の中の言葉を引用して「日本人
は非常によく泣く民族であった」を紹介されていること
である。筆者は常々日本人は他人の痛みをその人の立場
になって感じ取る優れた感受性を持っていると感じてい
るので、その核心を突き、的を射てもらった思いがして、
大いなる共鳴を覚え、心を打たれた。
 
3.「嫌老社会を超えて」について
 この本の中で、氏はますますの高齢化社会を迎えて、社会を支えている働き盛りの
若者には少しも増えてゆかない限られた収入の中で、家族を養い、高齢者の面倒を見
ることはかなわないとか、就労の機会がますます減るとか、老人が先輩面をしてうる
さく説教をするからとかのいろいろの理由はあろうが、明らかに老人を嫌う社会が出
現していることがおぞましいと書かれている。感覚的に「嫌老」を抱かせず、「賢老」
に持って行くにはどうすれば良いのか?疑いもなく高齢者の方でも賢く老いる努力と
工夫が必要であるし、自己嫌悪に陥る前に、老いに対する嫌悪に立ち向かう力を備え
ていなければ、とても若者から敬われることなどなかろうと思う。老いても力があれ
ば、その希少価値で対等に扱ってもらえるであろうし、「若肉老食」〈筆者注:素晴
らしい造語ですね!!〉などと言われなくて済むであろう。
 氏は西洋のルネッサンスの時代を「長い下山の時代を 嫌老社会を超えて
嫌老社会を超えて
迎えて(国家や政治の仕組みが衰退して)、逆に文化や
芸術が栄えた」ことを例に「日本が社会としていま登山
ではなく、下山の時代を迎えているので、成長路線から
成熟路線に切り換えて、老化の不便が老人側からも若者
の側からも発せられることのない社会作りに力を注がね
ばなるまい」と説かれる。大賛成である。筆者は考え方
を変えれば、上記の議論は近年の米英(米国ではレーガ
ン大統領時代から、英国ではサッチャー首相以来)のできる人はどんどんやり、競争
に打ち勝って前進すればよいとの考えから、実績主義や成果主義に踊らされて、社会
の枠組みや組織がぶち壊されることも厭わない風潮のいわゆる「新自由主義」、「新
資本主義」、「新民主主義」なる謳い文句で進んでいる現在の社会体制や態勢を改め
て慎重に振り返る時期ではなかろうかと筆者は常々思っているので、そのことと同調
できるように思い、それこそ楽しく読ませてもらった。
 
 最後に手前味噌になるかもしれぬが、80歳を迎えようとする今もまだ働ける自分を
本当に有り難いことだと感じながら、これも一つには自分のアイデンティティを証明
する道かもしれぬと意を強くした次第である。筆者も「本は読む人によって作られる」
ことを信じている。
                                     了
                          2015年11月8日(日) 記
 
2015.11.22 伊藤 2015年秋季 IRANの会 開催
 
2015年秋季IRANの会 開催 品川区 伊藤 誠一
 
 「新制IRAN会」今年度秋の会が、10月18日(日)午後1時から、出席者18名、
欠席の連絡を受けた方12名で、拙宅階下のミニホール「ゆう」で開催されました。
 那須からも品川氏が遠路はるばる参加され、お互いの健康を祝い尽きぬ話題であっ
という間に午後4時を過ぎ、集合写真を撮ってから足元の明るい内に、それぞれ家路
をたどって頂きました。もっとも、家が近いので、好きなカラオケで青春時代の歌を
歌って、リフレッシュして一時間近く遊んで帰られた方もいて、加齢と共に周辺が淋
しくなる私には、すごく楽しいひとときでした。
 出席の皆さんは、右記の写真の通りで前列左から品川 治男、伊藤 誠一、南 紀子、  
松為 専務夫人、工藤 忠、2列目左から鷲北 修、若竹 集合写真
集合写真
日方、平野 誠、小池 芳光(特別参加)、川島 廣海、
森 忠彦、松尾 優、野村 一信、3列目左から堀田 修靖、
吉田 誠治、安田 彰、新井 正美、若林 弘夫の諸氏で、
皆様この会の雰囲気にすっかり親しんで頂いています。
 毎回利用している近くの仕出し屋の弁当も、皆さん
から好評を頂き、飲み物類は幹事諸侯の好みで、近く
のスーパーで仕入れるため、毎回3,000円の会費で十分
賄えている様です。 
 今回当初出席のご連絡を頂きながら、木島氏はご都合が悪くなり、岡田氏が風邪の
ため欠席されたことと、2日前の東京計器のOB会でお誘いした会計幹事の津田氏が
来られなかったのは残念でした。
 次回は、また来年5月の第3日曜日に予定しています。皆さま奮ってご参加をお待
ち申し上げます。なお、10月中に、今までホールの隣の部屋を使っていた、家内の創
設した国際交流組織NPO法人「IWC国際市民の会」が、一昨年から家内の理事長
職を引き継いだ方の考えで、戸越公園の近くの木造2階建ての家を借りて出て行くの
で、来年はもっと広く使えるようになると思います。
 
2015.10.11 清水 『最後の印象派』展を見て思ったこと
 
『最後の印象派』展を見て思ったこと 横浜市 清水 有道
 
 仕事に追われゆっくり水彩画制作が出来ないので、ついつい絵画、彫刻、美術品の
展覧会を観賞することに眼が向き、力が入ってしまう。折角出かけて来たのだから交
通費を無駄にせぬようにと、どうしても三つも四つも展覧会を梯子してしまうが、寄
る年波、ずっと立ちん坊を続けることは年々苦しくなってくることが自分でも分かる
ようになった。特にこの2年くらい、心臓の具合が悪く、重く進まないようにするた
めに、難しい薬を何種類も宛がわれ、酒を禁止され、塩分とカロリーと一日の栄養素
の摂取量を厳密にコントロールされてくると、今一つファイトがわかず、気力が伴わ
ず、自ら諦めたり、身を引いたりする場面が多くなり、前向きに物事を進めて行くこ
とに自ら抗ってしまうこともあり、つくづく情けないことと加齢を悔やんでしまう。
 
 愚痴はこのくらいに留めて、本題に戻ろう。20世紀の初めにパリを中心に展開され
たソシエテ・ヌーヴェルの新しい運動を展開した美術集団(画家と彫刻家の新しい協
会)に属する画家の作品を集めた展覧会が、9月5日(土)から新宿の東郷青児記念
損保ジャパン日本興亜美術館で始まった。
 重苦しい雨模様の中、気力を振り絞って出掛けた。たくさんの絵画が本画だけでな
く、各種の版画やスケッチを交えて展覧されていた。正直ほとんどの作品は初めてお
目に掛かるもので、作家の名前は知っていても、また、聞き及んではいても、いざ作
品と結び付けて記憶されているかと思い返してみると、残念ながら心もとないものば
かりであった。これには筆者自身の怠慢・不勉強もさることながら、当時の絵画界の
風潮がいわゆる盛りの印象派の後、主に二つの太い大きな流れ、即ちフォービズムと
キュービズムに動かされて進められ、その間にあったソシエテ・ヌーヴェルの動きは、
世界的な大きな流れにまでは育たず、フランスとベルギーの狭い区域に留まっての運
動に終わったことに大きく起因していると言っても過言ではなかろう。しかし、大き
な流れであった印象主義の自然描写を引き継ぎ、アカデミックな表現の探求にも手を
休めることなく挑戦したソシエテ・ヌーヴェルの集団の画家の作品には、一つ一つ観
賞眼を楽しませてくれる光、輝き、さわやかさ、清々しい鮮烈な雰囲気を感じさせて
くれる。
 幾つか筆者の心を満たしてくれた作品を拾ってみよう。 日曜日
日曜日
この集団の代表格のアンリ・ル・シダネルの『日曜日
(1898年制作)』は、逆光の中に白い衣服の女性が固ま
って立っている景色の、淡い光の流れが清々しく明るい。
 
 
 
 
野原を行く少女
野原を行く少女
 今回の全作品の中で、筆者が推したい2作を挙げると
すれば、一つは前述したシダネルの『コンコルド広場
(1909年制作)』だろう。夜寂しく人通りのない広場に、
街灯の光だけが少し水気を帯びているのかと思わせる広
場の石畳に反射している遠景が、おぼろにも拘わらず、
異常な細やかさを感じさせてくれる。もう一つはアンリ・
マルタンの『野原を行く少女(1889年制作)』で、広々
とした平原の中に一輪のバラの花を右手に持ち、左手に
は摘んだ草花で編んだ花輪を首から下げて支え持っている白いドレスの女性の姿が平
和な生活を教えてくれるようで微笑ましい。
 ベルギーの画家の作品は多くはないが、中でも秀作は 私の庭
私の庭
筆者にはエミール・クラウスではないかと思った。彼の
『私の庭(1922年制作)』では、あくまで淡い色合いの
薄紫のシャクナゲを思わせる花が咲き競った庭が描かれ
ている。表現は本当に独特なものと筆者の眼には写った。
 
 
 
 毎年たくさんの展覧会があり、それらの大部分を見ているが、それらの中にあって、
今回の展覧会は久し振りの心和む、ほのぼのとした後味の良いものであった。ある意
味では印象派の展覧会よりもっと印象的な展覧会であったと言えるのではなかろうか。
別に好んで判じ物を試みているわけではありません、念のため。        了                   
                         2015年9月9日(水)  記
 
2015. 5.10 清水 未知の世界に挑戦する無謀さの愉快と不思議な爽快さ           −とんでもない3冊の読後感−
 
未知の世界に挑戦する
無謀さの愉快と不思議な爽快さ
−とんでもない3冊の読後感− 横浜市 清水 有道
 
 最近不覚(?)にもとんでもない難しい、筆者の生い立ちや専門とは全く場違いの
本を2冊も読む羽目になってしまった。
はじまり
はじまり
 一冊は自然科学の中でも目下その最先端を行く地球物
理学やアストロバイオロジー、地球外生命、ゲノムの働
きや起源、生物の進化論に繋がる生物科学、古代アンデ
ス文明の成立と変容、地球シミュレータ計画などの分野
の「『はじまり』を探る」という池内 了氏編の東大出
版会からの本(英文名:“Exploring Origins” edita-
ted by Satoru IKEUCHI, Published from University
of Tokyo Press, 2014)ともう一冊は東洋文庫の書物か
らひもとく世界の歴史の書「記録された記憶」(東洋文庫編、山川出版社刊)という
社会科学の原典を探る、文字通り正確な歴史認識のための書物である。
 日ごろから物の本質や始まりを知ることには無性の興味と好奇心があり、また、過
去の事象の真実は多少の苦労はあっても極めたいと思っている悪い趣味の筆者であれ
ば、元より覚悟の読書ではあったが、前書は何はともあれ専門外の筆者の浅学無比の
身には読み進むことは文芸書や実用書の比ではなかった。何倍もの時間を掛けても理
解を得ることが出来ないばかりか、理解するためのアプローチの目処も着かない有様
で、大いに難渋した。しかし、何か不思議の世界へのガイダンスかプレゼンテーショ
ンとして久し振りに骨のある未知のことを率直に学ぶと 記録された記憶
記録された記憶
いう気持ちを持つことが出来た。少なくとももう20ない
し30歳若ければ決然として挑戦しただろうという気持ち
を持つことができた。その結果、もう少し先に歩を進め
て各論の一部にでも触れてみたいと妙な拘りを結論付け
ることになってしまった。
 一方後書は勿論初めて見聞する書籍についての記述も
多かったが、解説が平易な上に、その時々のわが国と諸
外国との関係がよく理解できたのがよかった。前書と同様、筆者の知的好奇心を満足
させるには十二分の書であった。多少なりとも学生時代に目を通したり、名前を聴い
たりした「史記」、「古事記」、「日本書紀」、「源平盛衰記(筆者は「セイスイキ」
と覚えていたが、正確には「ジョウスイキ」と呼ばれる)」、「東方見聞録」、「永
楽大典」等々の取り上げられている歴史書に馴染があり、改めてゆっくり読み、その
前後に出されたその他の書籍との関係を考察することはまさしく正しい歴史認識に他
ならないと思った。それにつけても、孔子が活躍し、「論語」が出版されたころ、わ
が国はやっと先史時代であったことを考えると、中国が5,000年前から続いた歴史の国
なので、日本のすべての事柄が中国からもたらされたものであり、師や親である中国
のことをもう少し率直に敬い、言うことを聴いて従うべきだという議論が現在の中国
や韓国とわが国のぎくしゃくした関係を打開する方策として、これら両国がわが国に
迫っていることにも肯けないではない。
 以上の2冊をやっと読み終えたとき、筆者は何か大事なことを学びそびれているよ
グローバル・エリートの条件
グローバル・エリートの条件
うな気がして、非常に寂しい気持ちになった。ちょうど
その時に、現在の安倍内閣の内閣官房参与で米国イエー
ル大学名誉教授の浜田宏一氏の「グローバル・エリート
の条件」という本(PHP研究所刊)がベストセラーになっ
ているのを知り、副題に謳われている「日米の教育の違
いから見えた同氏の体験的グローバル人間論」と「何が
『本物の人材』を生むのか?」に注目して購入し、一気
に読み終えた。この本の中で、浜田氏が書かれている
「エリートは、自分の可能性を信じて努力できる人のことだ」ということと、「日本
の『エリート』は専業主婦の母親が育てている?!」という件が読後感として力強く
頭にこびりついて残った。久し振りに骨のある読書を楽しんだ。        了
                          2015年4月5日(日) 記
 
2015. 4.27 清水 春の花に想う
 
春の花に想う 横浜市 清水 有道
 
 例年のことながら、今年も我が家の玄関横に植え込ん 紅梅
紅梅
だ紅梅の古木は美しく競い合うように花を咲かせた。何
がそうさせるのか確とその理由は知らぬが、梅花は年々
同じ具合ではなく、たくさん花を持つ春もあれば、ほん
の心ばかり数輪の花しか見せぬ年もあり、その風情は咲
いてみるまで予想が付かない。この春は珍しいぐらい多
くの紅が枝に房のように見られ圧巻である。
 
クリスマス・ローズの花と花柄
クリスマス・ローズの花と花柄
 昨年末に植え込んだ水仙、チューリップの球根からは
三角錐状に突き出た新芽が並んで芽吹き、フリージアの
葉はもう直ぐ花芯が伸び出てくることを思わせているし、
群がったアネモネの葉の中には花茎になる軸が丸まって
盛り上がっているのが見られる。クリスマス・ローズに
も花柄がしっかり育ち、既に花開いているものもある。
 
 
 スノーフレーク(別名ス スノーフレークの出揃った葉
スノーフレークの出揃った葉
春蘭の花芽
春蘭の花芽
ズラン・スイセンとも言う)
は水仙に類似の葉が立ち並
んで地面より勢いよく突き
出て、もう少しで花茎が見
られることを予測させてく
れる。春蘭の株には花芽が
出揃って開花の近いことを
思わせる。
 ムスカリの一種濃い紫のアルメニアカムには細い葉がたくさんに繁茂し、個々の株
の中心からはやがて紫色の丸い花を房状に付けた花茎が出てくるのが近いことを告げ
ている。
球根ベコニアの花
球根ベコニアの花
 これらの他に、昨年までは毎年春の芽吹きの仲間にシ
クラメンと球根性のベコニアがあったが、昨夏の猛暑時
に球根を枯渇させたり、腐食させたりして失ってしまい、
補充しなかったので今春の花の仲間入りは叶わなかった。
また、たくさんに増え過ぎたスズランも昨夏の猛暑に負
けて急激に数を減らし、このまま推移すれば間違いなく
向う1,2年で姿を消してしまうでしょう。
 春の木本の花として、今年こそは花を持つだろうと楽
しみにしていた蝋梅(*1)が、予想通り、種から育てた6年になる4本の木に待望
の蕾がふくよかに丸く点々と付き、日に日に黄ばんで大きくなり開花が待たれたが、
自然界には筋書き通りには事が運ばないことが多い雛形のように、これらの蕾の全て
が鳥に啄ばまれてしまい、まだ葉の出ていない枝はまるで枯れ枝のように無残な姿を
曝してしまった。筆者は血の通ったペット動物の死を嘆き悲しむ飼い主と同じ気持ち
をこれらの蝋梅にも持った。過去にもきれいなサボテンの珍種に花芽が出来たころに、
ナメクジに完膚なきまで舐め尽くされて、失ってしまったことや、ブルーベリーの実
を収穫しようとしたときには既に全てを鳥に攫われてしまった時と同じ落胆を味わっ
たことだった。 
 筆者は毎年置かれた立場は必ずしも同じではないにしても、春への期待、楽しみや
ほのかに抱く安らぎには草花の占める部分はもとより甚だ大きいものがあると思って
いる。『枕草子』の出だしの文句ではないが、春の趣を決定する要素は自然の動きや
働きにあることに異を唱える気は毛頭ないが、何年か続けて見られた花々がある時か
ら突然見られなくなるとか、数を急に減らしてしまったことに気付いた時には、自然
の変化に心を動かされる度合いが増せば増すほど、逆に非常に寂しい気持ちを強く抱
かせる。 オウバイモドキ
オウバイモドキ
サツキ
サツキ
 上記に参照した草花の後
に続いて、この春もわが家
の庭では、またサザンカ
(山茶花)と紅梅の後は木
本でオウバイモドキ(ウン
ナンオウバイとも言われる)
からサツキ(皐月)に移り
行く季節の流れに心身ともに春の陽気を享受することになるのであろう。
                                     了
                             2015年2月15日 記
(*1)HP担当お断り:投稿では「蝋梅」の「蝋」が旧字体でしたが、HPに表示
    できないため新字体で表記させて頂きました。
 
2015. 4.14 小田 桜散っても、花盛り!2015年版
 
  桜散っても、花盛り!2015年版 横浜市 小田 茂
 今年は『フラワーガーデン2015』(会場:赤レンガ倉庫広場)が加わります!
今年の桜前線もアット思う間に終わりを告げてしまい スプリングフェア2015
スプリングフェア2015
ました。しかし、私の住んでいる横浜市中区では三渓園
の桜は散ってしまいましたが、今、その他の草花が色と
りどり咲き誇り、心を癒やしてくれています。
 今年は、恒例の『スプリングフェア2015』に加えてサ
ブタイトルにあります『フラワーガーデン2015』が新規
参入いたしました。
 4月12日(日)、天候に恵まれ朝早く自宅を出て、3
会場を廻りました。所要時間3時間10分の行程でした。(往復バス利用)
★『横浜公園・・・チューリップまつり』   
 『チューリップまつり』4月10日(金)〜12日(日)の3日間だけですが、毎年、
近隣の小学生をはじめとするボランテイアの方々が、69種16万本の球根を植え付けて
います。
 『チューリップまつり』は3日間だけですが、チューリップは当分楽しめそうです。
 下の3枚の写真は、昨年の『チューリップまつり』の人気投票のベスト3を横浜公
園の正面入り口に植えたものです。
 第1位「ブルーダイヤモンド」(左下)、第2位「ミッキーマウス」(中央下)、
第3位「アラジン」(右下)、確かに素晴らしいチューリップですね!
ブルーダイヤモンド
ブルーダイヤモンド
ミッキーマウス
ミッキーマウス
アラジン
アラジン
 横浜公園いっぱいに赤白黄色とチューリップは咲き誇っています。どうか素人写真
ですけれど、撮りたての新鮮さ?をお楽しみください。
チューリップ_1
チューリップ_1
チューリップ_2
チューリップ_2
チューリップ_3
チューリップ_3
 
チューリップ_4
チューリップ_4
チューリップ_5
チューリップ_5
チューリップ_6
チューリップ_6
 
チューリップ_7
チューリップ_7
チューリップ_8
チューリップ_8
チューリップ_9
チューリップ_9
 
チューリップ_10
チューリップ_10
チューリップ_11
チューリップ_11
チューリップ_12
チューリップ_12
 
チューリップ_13
チューリップ_13
チューリップ_14
チューリップ_14
チューリップ_15
チューリップ_15
 
チューリップ_16
チューリップ_16
チューリップ_17
チューリップ_17
チューリップ_18
チューリップ_18
 次の写真は、会場に設置された「花と緑の園芸館」内で、華道家 假屋崎省吾氏の
「チューリップの生け花」です。4月10日の初日には「チューリップの生け花」の実
演があったようです。
花と緑の園芸館
花と緑の園芸館
生け花_1
生け花_1
生け花_2
生け花_2
 
横浜スタジアム
横浜スタジアム
 チューリップのうしろの建物は、DeNA本拠地の横
浜スタジアムです。今年はなんか堂々とした勇姿にみえ
ます。
 4月11日現在、何と単独首位です!(昨年紹介時は最
下位)今年は春の珍事に終わらず何かやりそうです!
 昭和35年の三原 脩監督、平成10年権藤 博監督でリ
ーグ優勝で日本一。“2度あることは3度ある”これが
“今年です!”と期待大であります。
 一つの屁理屈として、過去2回とも監督の名前は“漢字1文字”です。
 中畑監督も“清”の1文字であり、ますます期待が膨らむ今日この頃です。
≪本題に全く関係の無い文章の“飛び入り”お許しください!≫
★『山下公園・・・花壇展』  
 『花壇展』は、“みなと横浜”を代表する山下公園で4月10日(金)〜4月19日  
(日)まで開催されています。
 市内造園業者による色鮮やかな21区画のプロの技が観賞できます。
花壇展
花壇展
山下公園からの眺め
山下公園からの眺め
赤い靴はいていた女の子像
赤い靴はいていた女の子像
 今年は開会3日目の早い時期に、会場を訪れたものですから、まだ“入賞作品”は
決定されていませんでしたので、ご容赦ください。
花壇_1
花壇_1
花壇_2
花壇_2
花壇_3
花壇_3
 
花壇_4
花壇_4
花壇_5
花壇_5
花壇_6
花壇_6
 
花壇_7
花壇_7
花壇_8
花壇_8
花壇_9
花壇_9
 
花壇_10
花壇_10
花壇_11
花壇_11
花壇_12
花壇_12
 
花壇_13
花壇_13
花壇_14
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花壇_15
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花壇_16
花壇_16
花壇_17
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花壇_18
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花壇_19
花壇_19
花壇_20
花壇_20
花壇_21
花壇_21
★『赤レンガ倉庫・・・フラワーガーデン2015』 
 『フラワーガーデン2015』は赤レンガ倉庫前の広場で、3月28日(土)〜4月19日 
(日)まで開催されており フラワーガーデン2015
フラワーガーデン2015
フラワーカーペット_1
フラワーカーペット_1
ます。
 フラワーカーペットをイ
メージした30種47,500株の
草花による“花の絨毯”で
す。
 午前8時を廻ったばかり
なので、まだ人出も少なく
ゆっくりと観賞できました。
フラワーカーペット_2
フラワーカーペット_2
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フラワーカーペット_5
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