| | | |
| 最近面白い本に出くわした。スイス生まれのジャーナリスト、小説家で経営学博士 |
| のロルフ・ドべリ(Rolf Dobelli)がドイツの日刊紙や週刊紙、スイスの週刊紙に |
| 「思考の落とし穴」に関するコラムを連載したものを纏めて2011年にドイツ・ミュン |
| ヘンの書店から刊行した“Die Kunst des klaren Denkens”(邦訳「なぜ、間違えた |
| のか?」2013年9月(株)サンマーク出版)である。本書でドベリは思考の落とし穴 |
| を52に分けて分かり易く、実例を引いて説明している。
|
なぜ、間違えたのか? |
著者が序文で述べているように、「合理的に考えたり、 |
| 論理的で理性的な行動を取ろうとしたりするときに、一 |
| 定の法則にしたがって陥る推論の誤り」を纏めたもので |
| ある。誤った判断は、「自分の知識を過小評価するより |
| も過大評価することの方がはるかに多い」ことから起こ |
| る。「このような傾向を知っていると、自分の行動がど |
| んな間違いにつながるかを予測することができるように |
| なる」。 |
| また著者が『おわりに』の中に人間の思考には「直感的な思考と論理的な思考の違 |
| い」があり、それぞれ、「それを使うのに最適な場面というものがある。直感的思考 |
| は、即座に、そして自然に発生し、エネルギーをあまり必要としない。それに対して、 |
| 論理的な思考は時間がかかり、労力を要し、多くのエネルギー(カロリー)を消費す |
| る」。(中略)「要するに、わたしたちはしばしば直感的に決断し、あとになってか |
| ら自分の選択に対して理由づけをするのである。仕事についても、人生のパートナー |
| についても、投資先についても、多くの決定が無意識のうちに下される。だが、その |
| 一瞬後に、それを選択した理由を自分自身で組み立ててしまうので、意識的に決断し |
| たような印象を持ってしまうのだ。考えるという行為は、純粋に真実を追求する科学 |
| 者よりも、むしろ弁護士に似ている。弁護士は、すでに決まっている結論にぴったり |
| と合う理由をでっちあげるのが得意だからだ」。 |
| 筆者が首題に選んだ“『あなたが好き』のワナ”は、著者の掲げる「思考の落とし |
| 穴」の22番目に表されていて、副題は「なぜ、自分に似ていれば似ているほど相手を |
| 好きになるのか?」となっている。「『あなたが好き』のワナは、誰にでも見透かさ |
| れる落とし穴だ。それなのに、わたしたちは繰り返しそのワナにかかってしまう。こ |
| の落とし穴は、誰かのことを感じがいいと思えば思うほど、その人から商品を買って |
| しまったり、その人を助けてあげようという気になってしまったりする」傾向をいう |
| と説明し、他人に好意を覚えるときの要因として |
| 1) 外見が魅力的
|
| 2) 出身、人間性、関心が向いている方向が自分と似ている。
|
| 3) 相手が自分に好意を抱いてくれている。 |
| を挙げている。また、「好意をよせている相手のしぐさを無意識のうちに真似てしま |
| う」という「ミラーリング」という心理学の効果を引き合いに出して、この効果がセ |
| ールスのテクニックとして利用されていることを紹介している。このワナに陥ること |
| なきを得るには、例えば、「ものを買うときには、売り手の人柄で商品の価値を判断 |
| しないことにしよう。そのためには売り手のことは、存在しないと考えるか、さらに |
| いいのは、その人は感じの悪い人と考えることだ」。 |
| 筆者が首題のワナを第一番に選んだ理由は、特に筆者自身が今までの生活を振り返 |
| って、相当多くの決断が『あなたが好き』のワナによってなされたことを思い知った |
| と同時に、そのために、あとで自己満足のために辻褄の合う理由を苦戦しながら見付 |
| けたことを思い返したからである。でも、それ以上にぞっとすることは、筆者の周囲 |
| の人々がなんと多く『あなたが好き』のワナに嵌まりたいと近づいて来たことかであ |
| る。世の中の事件、特に詐欺や訪問販売や通販も早い話相当にこの人の弱み心理を利 |
| 用していると思われるし、またそのために心理学という学問も発展し得たのであろう |
| し、人生相談や各種の相談所も役割を果たせているのであろう。 |
| ついでに、以前にこのホームページに書いたことがある“共時性の奇跡”について |
| もドベリは思考の落とし穴の24として取り上げている。「共時性の奇跡のワナ」、副 |
| 題として「なぜ『ありえないようなこと』でもいつか起こるのか?」と紹介している。 |
| 筆者が以前に紹介したスイスの精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングが |
| “共時性”と名付けた未知なる力が作用することをドベリも参照し、面白い例を紹介 |
| している。定刻に教会に集まる予定の聖歌隊のメンバー15人が、たまたまそれぞれの |
| 偶然の出来事が重なって誰一人集まれなかった。がしかし、その定刻に教会でガス漏 |
| れ爆発が起きたが、お蔭で幸いにも死傷者が一人も出なかった。そして、そのことが |
| 神様のお告げだったのか、神の手が働いたのだろうかと問いかけ、「結論として、考 |
| えられないような偶然とは、めったに起こらないものの、少しでも起こる可能性のあ |
| る出来事のことを言う。それが起こっても、驚くことはない。驚くとすれば、むしろ |
| 一度も起こらなかった場合である。」としている。一見禅問答のような結論である。 |
| 他にも確証というものの中にもいくつもの怪しいものが混ざっていること、確率と |
| いうものは全体としてあとから顧みた場合の話しであって、途中で起こったことを逐 |
| 一問題にするわけにはいかない等の当たり前と言えばごく当たり前の話まで、とにか |
| く一度はよんで、世界の物事について一度総括してみるには非常に参考になる本だと |
| 思った。 了
|
| 2014年3月7日筆者喜寿77歳の誕生日に記す。 |
| | | |
| 1.問題に取り組んだ背景 |
| 棺桶に片足、 いや既に片足以上を突っ込んでいる今になって何を間違えて首題の |
| ようなことを気に掛けているのかと訝しく思われる方が読者の大半であろうと思いま |
| す。筆者自身も正直そう思うのが自然だろうと思っています。事のきっかけは筆者が |
| 何時までも日本と外国との間に入って仕事をしていて、良く外国人から「日本の会社 |
| は採用した労働者を入社後しっかり社内で育て上げている。外国の会社にはとても考 |
| えられないことである。この日本の会社の考え方は国際 |
国際的評価 |
| 的に高く評価されている。だから自分も日本の会社で是 |
| 非とも働きたいと思う」と言われます。勿論筆者は「そ |
| れは大分昔の話で、現在そのような社内教育は残念なが |
| ら減ってしまい、今や採用は本人の持っている実力次第 |
| となっている。」と答えています。ところが、筆者には |
| 、現在までの考え方の変革の過程で、首題の問題が必ず |
| しも正当に行われてきているとは思えないのです。 |
| 例えば、人事評価や対価報酬の決定の仕方には日本の会社と外国の会社の間には、ま |
| だまだ大きなギャップと言うか、解釈の齟齬があるように思えてなりません。 |
| そこで、筆者の頭の整理のために、以下疑問を綴ってみたいと考えた次第です。 |
| | | |
| 2.従来の日本型正社員とその後の変化 |
| 先ず従来の日本企業が考える正社員とは次の5点セットが揃っている、あるいはこ |
| れら5点セットを満足していることでした。即ち、 |
何処にでも行きます。 |
| 1) 何でもやります。(幅広い総合職) |
| 2) 何処にでも行きます。(出張、転勤、海外駐在も |
| 可) |
| 3) 何時でも働きます。(残業もOK) |
| 4) 60歳まで、あるいは65歳まで働き続けます。 |
| 5) 一定の試験をクリヤーしています。 |
| 一応優秀な社員の資格を有しています。 |
| ところが、現在はいろいろ条件が変わってきていますので、これらの内2点が欠け |
| てもなお正社員でいられることも事実です。また、パートタイマー、非正規社員(派 |
| 遣社員を含む)との境界もかなり怪しくなってきています。制度上もさることながら、 |
| 賃金においては、正規社員と非正規社員との間には、全く別体系が採られているのが |
| 普通です。さらに難しくしているのは、欧米の成果主義、能力主義、資格に基づく職 |
| 務基準といった考え方が入ってきて、契約関係は一層輻輳し、簡単なマトリックスで |
| は説明し難くなって来ていることです。また、昇格登用制度にも幾つかの道が併設さ |
| れるようになり、職務管理上、労務管理上難しさが増しています。成果主義を徹底す |
| れば、日本的な雇用システムの根幹的要素の一つであっ |
日本的雇用システム |
| た定期昇給と両立させることが難しくなってしまいます。 |
| 能力の上昇が必ずしも賃金、給与には反映されません。 |
| 管理職になれば、能力は備わっていることが前提となる |
| ため、成果のみが賃金の増減に繋がることになります。 |
| 一時期の事業部制から会社の中枢は持株会社に変わり、 |
| その傘下の社内個別会社組織に形を変えることが現在の |
| 一つの風潮になっていますが、そうなると賃金や給与体 |
| 系にも制度に見合うものに変更せざるを得なくなり、ベースは間違いなく成果主義に |
| 立脚したものとなって行くでしょう。 |
| オランダを筆頭に欧米で盛んに行われている一つの仕事を何人かでシェアすること |
| が普及してくれば、日本の労働契約法で謳っている正社員、非正社員の別なく労働者 |
| 全般で賃金の均衡を実現することが前提になりますが、このときの拠り所となる要因 |
| はどうなるのでしょうか。勤続年数や経験でしょうか、成果や出来高でしょうか、そ |
| れとも仕事の質になるのでしょうか。雇用主の期待度や活用願望などはどう組み込ま |
| れるのでしょうか。非常に難しい問題になります。純粋に法律的な解釈をして、労働 |
| に対する報酬・対価と割り切ってしまえば、能力や成果に対しての支払いの意味合い |
| が強くなりますが、雇用主が社員・労働者の将来、引いては社業興隆のためのインセ |
| ンティヴまでも考えたいとすれば、純粋に法学的な考え方は当然馴染めないでしょう。 |
| しかし、人事管理からすれば、もっともっと多角的な応用分野を掘り起し、企業集団 |
| の管理の一つの重要な部分を担うことが要求されてくると思います。欧州での職務給 |
| と我が国の伝統的な職能給とが条件が見合えば、将来融合できることも考えてみるに |
| 値する問題だと思います。 |
| 人事管理の非常に煩雑な範囲は、労働者のモチベーションを考慮に入れれば、個人 |
| 個人の価値観や好み、また、介護の必要な扶養者の有無、育児等の家庭環境の違いに |
| どのように対応していくかによって、幾らでも拡大される余地がありますし、一方で |
| は原資に一定の拘束がありますから、自ずと制限の設けられる内容となり、一般社会 |
| の風潮の変化と共に変わっていくことになるのでしょう。筆者が以前にこのホームペ |
| ージ上で取り上げました働き方のパターンの変化、会社に出勤することなく、自宅や |
| 専用の数社の社員と兼用で使用するオフィスで主にPC |
PCを武器に仕事をこなす人 |
| を武器に仕事をこなす人々への賃金査定、評価等につい |
| ては、想像以上に悩ましさを伴うものと思われます。 |
| このような働き方がもっともっとポピュラーになってく |
| れば、それに伴う毎日のライフスタイルも大きく変わっ |
| て来るでしょうし、従業員一人一人の労働に対する価値 |
| 観も比例して現在あるものよりも大きく乖離してくるこ |
| とも当然計算の中に入れて置かなければなりませんので、 |
| 冒頭に掲げた5つの正社員としての要素もそのまま履行を求めることは当然のことな |
| がら出来ないことになります。そういう場合の従業員と上司管理・監督者とのコミュ |
| ニケーションのあり方も変わって来るでしょうし、どういう形でパイプラインを太く |
| 守っていくか、一工夫も二工夫も要求されるところとなるでしょう。従業員のプライ |
| ベートな部分は逆にますます理解・掌握が難しくなるでしょう。
|
| | | |
| 3.新しい人事管理の必要 |
| 次に、少し細部に入り込む議論になりますが、現在で |
新しい人事管理 |
| もかなり頻繁に行われるようになりましたが、企業同士 |
| の合併・統合やある事業部門の分割譲渡、売却に伴う所 |
| 属員の転籍、移管に伴う事柄にも悩ましい問題が出て来 |
| るでしょう。日本、米国、欧州ではそれぞれ企業従業員 |
| の所属帰趨観念が違っており、労働組合のでき方にも関 |
| 係することですが、欧米では従業員は事業に属する業務 |
| に従事していると判断されていますので、事業が切り離 |
| されたり、売却されれば、属している従業員も通常運命を共にしますが、日本では従 |
| 業員は会社に雇われ、繋がっていると理解していますので、今まで従事していた仕事 |
| の事業部門がたとえ切り離されたり、転売されても一緒に行動を共にすることが義務 |
| 付けられているわけではなく、多くの場合、当人一人一人の同意がなければ企業も一 |
| 方的には該当する従業員に行動を共にするよう強制はできないことになっています。 |
| 勿論、これらの該当法規も時流に沿って今後改定が加えられていくことでしょうが、 |
| 今しばらくは、この違いを見据えた人事管理が要請されることになります。この辺り |
| の管理の真髄は、それこそ現在広く行われている従業員への定期的な自己申告奨励制 |
| 度の効率的な運用ではないかと思います。並行して筆者自身にも経験のあるところで |
| すが、社内や社外の協力工場や関係団体に対して一定のサイクルを持って内部監査を |
| 行うことも有効だと思います。 |
| よく外国企業の職場を訪れ、作業を一緒にやってみて思うことは、「自分の国では、 |
| わが社ではそんなことはない」とか、「なんでそうなるの?」とか、「違うんだよな |
| ぁ!そうじゃないんだよ!」とかを容易に口に出してしまうことです。初めに違いを |
| 見付けたり、感じたりすることは大いに結構ですけれども、それを常に自分が育った |
| 日本、あるいは日本の会社を基準に考えてしまうと問題が発生することになるのです。 |
| 日本のやり方必ずしも良いモデルではありませんし、正しいとも限りません。 |
| 世界の国々には個々の異なった文化をベースにした考え方、動き方があります。し |
| たがって、何処においてもローカルに人を中心に管理することが原則で、かつ従業員 |
| も管理者も一人一人が自主的に自分を管理し、職場を管理する心構えが育つまでは、 |
| いかに教育を施しても、あるいは細目協定を結んでもうまく軌道に乗せることは無理 |
| だと思われます。 |
| | | |
| 私の知る限りでは、越中八尾町(やつおまち)には世間に良く知られた事柄が二つ |
| ほどある。その内の一つについては「越中八尾に想う(その1)」で触れてみたので |
| 覗いて頂ければ、幸いです。 |
| 二つ目の事柄とは、飛騨高山地方と並んで数え切れないほど大勢の越中乙女達を信 |
| 州岡谷・諏訪の製糸工場へ「糸とり工女」として送り出したことである(最盛期は明 |
| 治30年代〜明治末頃までと云われている)。このことはベストセラーにもなった「続 |
| あゝ野麦峠、山本 茂実(著)」を通して多くの人に知られている。更に関連資料で |
あゝ野麦峠 |
少し調べてみた内容に、おこがましくも自分なりの考え |
| も併せて、以下にその概要を記してみた。 |
| 寄宿舎並に作業場の劣悪環境、長時間労働、低賃金及 |
| び工場・寄宿舎からの外出禁止(地域資本家が製糸同盟 |
| を組織し、地域の工女達を一様に統制し労務管理を行う |
| ための一手段)など、正に小説の副題である「女工哀史」 |
| を地で行くような厳しい内容であったように記されてい |
| る。確かに想像を絶する状況が読み取れる。しかしその |
| 状況であっても、多くの人は年末に極く僅かながらお金を家に持ち帰ることができた |
| とも云われている。(賃金は年末一括払い、生活上のやむない出費は会社から高利で |
| 前借りし、年末精算)。特にこのお金の面を考慮したとき、生家での苦しい生活レベ |
| ルと比べてまだ何とか我慢できる許容内であったのかとも考えられる。なぜなら越中 |
| 八尾は(飛騨高山も同じ)山岳地帯で農地は少なく、更に半年近くも雪に埋もれると |
| いう悪条件下に置かれ、その上現金収入を得るための働き場所も少なく、農業だけで |
| 生活を支えることは極めて困難であると、一般的に見られていたからである。世間か |
| らは「くち減らし対策として、泣く泣く糸ひき工女となり出稼ぎに行った」---と、こ |
| の部分だけがいつも強調し云われてきたようにも思う。このように一方的なことでは |
| なく工場側及び働き手側各々が持つ各種ニーズ・事情の面で相容れ可能な部分があっ |
| たからこそ、同一地域(越中八尾)の大勢の人達と同じ地域の工場との間で非常に長 |
| い年代に亘り雇用関係が保たれてきたように私は思うのである。(ニーズ・事情など |
| はいろいろ考えられるが、その内容については紙面の関係で割愛する) |
| ところで明治、大正、昭和初期を通して日本の近代化過程において、国策に基づく |
| 外貨獲得を果たした主たる担い手は輸出生糸を生産する養蚕・製糸業であった。明治 |
| 42年頃、生糸は日本の輸出の50%近くを占めていたと云うから驚きである。それを支 |
| えていたのは信州の岡谷・諏訪であり、その原動力は八尾や高山出身の勤勉で我慢強 |
| い「糸とり乙女」達の、血の滲むような努力の結晶だと云っても過言でないと私は思 |
| う。 |
| | | |
| 18世紀から19世紀にわたって古典的な絵画そのものが絵画であると疑わない時代が |
| 長く続き、その流れや考え方に異論を唱え始めたのが、そもそも印象派の画家たちで |
| あった。そして法律家になるために懸命の勉学を重ねていて、ゆめゆめ画家になろう |
| とは思ってもいなかったカイユボットが、しかし、印象派の画家たちの作品に惹かれ |
| て行き、ついには方向転換して自分も画家になり、傍ら印象派の画家たちの作品を収 |
カイユボット展ポスター(1) |
集していった。ただ、カイユボット本人の作品は全く世 |
| 間の評価するところとはならず、とても絵を描くことを |
| 生業とし続けることは難しい成り行きであった。にもか |
| かわらず、絵を描き続けられたのは、カイユボットが大 |
| 変裕福な家庭に生まれた賜物だったのです。こうして集 |
| めたたくさんの作品を後にフランス政府に一括寄贈した |
| ことが元になって、現在のルーブルやオルセー美術館の |
| 印象派作家の収蔵品の大きな礎となって、フランス国外 |
| への散逸を免れることに貢献したのでした。 |
| 余談はこの辺にして、カイユボット本人のことについて、今年(注)の10月10日か |
| ら12月29日までの会期で東京・京橋のブリヂストン美術館で開催されている、我が国 |
| では初めての回顧展を見た印象とカイユボットが“都市の印象派の画家”と言われる |
| 背景や理由、そして近年になって著しい再評価を得た根底に何があるのかを、筆者独 |
| 自のそれこそ独断と偏見で論じてみたいと思います。 |
| 勿論、筆者自身がそのような大それたことが出来るとも、資格や教養を兼ね備えて |
| いるとも、あるいは研鑽を重ねたとも毛頭思ってはおりませんが、年間100回を超す |
| 展覧会を訪ね歩いて、自然に入ってくるいろいろなこと |
カイユボット展ポスター(2) |
| を瞼に焼き付けていると、何となく、美術史の流れや個 |
| 々の作家の友情、接近や乖離が見えてきて、自分ながら |
| 面白い人生の一端を味わったと思わずにはいられません。 |
| そんなことが災いして、気持ちとして、自分なりの感想 |
| を臆面もなく述べてみたくなるのだろうと思います。決 |
| して褒められたことではないでしょうが、許して下さる |
| 方にはお付き合いをお願いします。 |
| ギュスターヴ・カイユボット(1848-1894年)は1876年の第2回印象派展から5回 |
| 印象派展に参加していますが、近年まで同画家が印象派の画家だとはほとんど言われ |
| ませんでした。ただ、上記のように印象派の画家たちの作品を積極的に買い求め続け |
| て、財政的に支援をしたことと、本人の一風変わった作風も逆に都会に印象派として |
| 描ける題材を敢えて求め続けたことに、それこそ新しい評価がなされるに及んで、今 |
| 日ではモネやルノアールとともに印象派を代表する画家としての位置付けが定着して |
| きました。筆者の記憶に誤りがなければ、本家のフランスでもカイユボットの大々的 |
| な回顧展は昨年か、今年に入ってからであったと思います。 |
| 同じ印象派と言っても、他の画家たちと極端に違うところは、長閑な山野や海浜に |
| 人や植物・花を配する風景画や人物画ではなく、ほとんどパリですが、大都会の路上 |
| や市井に働く人々、路上に往来する人々も決して仲睦まじく寄り添ったり、向かい合 |
| って話し合ったりしていない人々を対象にしています。室内の人物も多く登場します |
| が、勢い他人ではなく、実の母親や弟、家に働く執事で、中でも写真家である実の弟 |
| は大きくカイユボットの絵画の主題になるばかりでなく、彼の生活を後世に伝えるこ |
| とにも大いなる貢献をしています。 |
| 都会の特徴、都会の生活と小規模の町村との際立った違いは何でしょうか。それは |
| 昔から歌にも詠まれた「隣は何をする人ぞ?」や最近のマスコミで取り上げられてい |
| る都会の一人住まいの老人が、男女を問わず、生命を亡くしてから長時間発見されず |
| に放置されている事象からもお分かりいただけるかと思いますが、人々がお互いに干 |
| 渉しない、絶対に自ら積極的に名乗り出て行かないところにあると思います。これを |
| 学術的に難しく言うと、“都会の匿名性”とか、“都会の秘匿の原理、原則”と呼ぶ |
| のだそうです。このことは、都会にあっては、例え集団といえどもお互いに無意識が |
| 建前ということになります。このように説明されていることを思い起こしてみますと、 |
| なるほどカイユボットの絵の中にはその真髄が見事に描き出されていることに気付き |
| ます。街を行き交う人々の表情は硬く、見つめ合うことは全くなく、目線は全く交わ |
| っていません。建物や道路ほかの構築物も冷たく、極端に遠近感が歪められ、誇張さ |
| れて、吹く風や空気の流れも感じられぬくらいに幾何学的に線や面を交えています。 |
| 本来温か味のない事物までもその度合いが大きく計算されているように思われます。 |
| 室内の風景でも机の上に置かれている食器や壺などの面の描き方に目線が幾つかある |
| ように見えます。セザンヌの静物画のリンゴや他の果物の向きやテーブルの上の立ち |
| 方が幾通りにも見える、あの視点と全く同じです。筆者にはとてもそのような技法は |
| 真似ることが出来ませんが、計算できる人はやってもよいのだと思っていますので、 |
| 堂々と見せられると、逆に「達人!ご苦労!マエストロ!!」とでも言いたい気分に |
| なります。要は描いている画家その人の信念があれば、どのような試みをされても許 |
| されるということでしょうし、その行為そのものが次の革新、発展を生むのでしょう |
| から、むしろ肯定されねばならないのではないのでしょうか。浅学菲才の筆者の評な |
| どを言うのはこの辺りの落ちで留め置くのが無難でしょう。とんだお笑い草を披露し |
| てしまいました。失礼!!! 了 |
| 2013年12月1日 記 |
| | | |
| 越中八尾町(やつおまち)は富山県婦負郡(ねいぐん)南部一帯の山岳地帯から富 |
| 山平野に出る山麓地で、富山市の中心地から十数キロの位置にある。私が知る限りで |
越中八尾町 |
は八尾町には世間に広く知られた事柄が二つほどある。 |
| その一つは「越中おわら節」である。これは八尾町に生 |
| まれた民謡----云々などと、素人の私が知ったかぶりを |
| するまでもなく今日では多くの人の知るところであるが、 |
| 少しばかり「富山県民謡越中八尾おわら保存会」からの |
| 情報やその他の資料で調べた内容などに基づき綴ってみ |
| た。 |
| 準備が遅れたため、祭り太鼓の音が似合う季節から大分 |
| 外れた内容となってしまったことをどうかご勘弁頂きたい。
|
| 度重なる洪水で八尾村は田地の大半を失ったため、隣村へ合併移転しての町づくり |
| を計画した。村の肝煎(名主)の少兵衛なる者が加賀藩に「町立て」を申請し、寛永 |
| 13年(1636年)に許可が出て八尾町が誕生する運びとなった。このお墨付き許可書を |
| 名主、少兵衛一族が長い間個人的に所有し町への返還を拒み続けた。時が流れ元禄15 |
| 年(1702年)にやっと町が取り戻しに成功。この祝いに三日三晩、歌舞音曲による無 |
| 礼講の賑わいで町を練り歩いたのが「越中おわら風の盆」の始まりと云い伝えられて |
| いる。越中では休みのことを盆日と云ったらしい。また当初は面白おかしく踊ったこ |
| とから、大笑い節と云われていたのが、いつしかおわら節になったのではとの説もあ |
| る。やがて二百十日の風の厄日風神鎮魂を願う「風の盆」と称する祭りに変化、9月 |
| 1日〜3日にかけて町内総出でおわら節の町流しが行われるようになった。何故個人 |
| が出した「町立て」申請に許可が下りたのかとか、その他あまり詮索しても夢が萎む |
| ので、起源の掘り起しはこの位で良いように思う。 |
| おわら節は鳴り物(三味線、太鼓、胡弓)と囃子と地方(じかた)と呼ばれる唄に |
| よって演じられる。唄は時代とともに変化してきて、色々とあるらしい。元々北前船 |
| によって伝えられた九州の「ハイヤ節」が原型だと云われている。唄い方は十人十色、 |
| 同じ歌詞でも、十人の唄い手がいれば十通りの唄い方が |
おわら風の盆 |
| ある。三味線や胡弓などの弾き手についても同じだと云 |
| われている。この辺の所から見ても、日本民謡の中でも |
| 屈指の難曲と云われるのも分かるような気がする。元は |
| 土着的な芸能だったのが、「越中おわら節研究会」など |
| が活動の中心となり、昭和初期以降に踊り・唄・鳴り物 |
| の各名人達の協力を得て徐々に磨き上げられ、現在のよ |
| うな独特の情緒あるもの(八尾の風土に似合ったもの) |
| になったというのである。例えば唄(歌詞)には野口雨情をはじめ多くの文人が関わ |
| ったそうである。おわら節の町流しは哀調を帯びた独特の雰囲気があると毎年決まっ |
| て報道される。祭りが陽気に浮かれ踊るものでなくとも、大いに受け入れられるとい |
| うことなのだろうか。圧倒的に多い賑やかな祭りとはまた別な魅力を感じ、この小さ |
| な町に入り切れないほど大勢のファンが駆け付けるのであろうか。しかし私は行った |
| ことがないので、その微妙なところはよくわからない。どうしても一度は見ておきた |
| いものである。今日では全国的な民謡の祭典として時代の脚光を浴び、三日間でなん |
| と二十数万人の観光客が集まる一大行事になったと云われている。
|
| | | |
| “オヤマボクチ”が何かを直ぐに答えの出せる人はどのくらいおられるでしょうか。 |
| ほとんど皆無に近いのではないかと思います。種明かしとして、山野草植物であるこ |
| とを先ずお知らせしておきましょう。山歩きを良くされる方や山野草に趣味のある方 |
| なら名前はご存じなくともアザミに似たネギ坊主のような花には山道で出会われた経 |
| 験をお持ちではないかと思います。 |
オヤマボクチの花 |
| ここに一枚の写真をお見せしましょう。今年の9月に |
| 信州の霧ヶ峰で撮ったものですが、花の蜜にたくさんの |
| ヒョウモンチョウ(豹紋蝶)が集まっているところを見 |
| 付けて写したものです。この丸いネギ坊主のような紫の |
| 花がオヤマボクチの花です。 |
| オヤマボクチ[漢字名:雄山火口、学名:Synurus |
| pungens (Franch. Et Sav.) Kitam −1933]はキク |
| 科ヤマボクチ属の多年草で、アザミの仲間であります。山菜としてその根は漬物など |
| にして食され、そのため俗に“ヤマゴボウ”と呼ばれています。地方によっては“ゴ |
| ンボ”とも“ヤマゴンボ”とも呼ばれています。 |
| 古来火を起こすとき、燧(ヒウチ)石を打ちつけて火をうつしとるものを「火口 |
| (ホクチ)」と言いますが、通常はこのホクチには“イチビ”の茎を炭にしたもの、 |
| “茅花(ツバナ)(チガヤの花のこと)”などに焼酎や焔硝を加えて作ったものを使 |
| いますが、このオヤマボクチも同様に使われたのでした。和名の語源は、葉の裏の茸 |
| 毛が、このように長らく火を起こすときの“ほくち(火口)”として使われたことに |
| 由来しています。 |
| ところがこの植物には、ある特定の地方によっては、次に紹介するような特殊な使 |
| われ方をしていたのです。即ち、皆さんもよくご存じの新潟県の笹団子に使われてい |
| ます。また、東京都多摩の檜原村に伝わる草餅にはヨモギと共にその葉が用いられて |
| いますし、長野県の“富倉(とみくら)そば”には十割そばのつなぎとしてその茸毛 |
| (まさにホクチに使われていた葉の裏に生えている繊維)が大事な役割を果たしてい |
| ます。 |
| オヤマボクチは山野草の中では大型で、背丈も高く、愛でる対象には程遠い存在か |
| もしれません。そのためでしょうか、広く一般向けの山野草の案内書や図鑑にはほと |
| んど載せられることはありません。しかし、古くから人々の生活と密着していた植物 |
| だったことが分かります。上記の学名でもお分かりのように世界的に認知を受けたの |
| は1933年と筆者の生まれ年とさほど違いがない昭和に入ってからのことでした。筆者 |
| も正式の名前を知ったのは高校生になってからでしたが、日本の各地にある十割そば |
| のほとんどは海藻か山芋かをつなぎに使っていますが、家屋の壁土のようにこのオヤ |
| マボクチの繊維を利用した先達の発見というか、知恵には今更ながら驚くと同時に、 |
| 日本人の自然との係わりの奥深さ、特に山野草や昆虫との持ちつ持たれつの関係には |
| 感心を禁じ得ません。雑興の一つに書きました。 了
|
| 2013年12月3日 記 |
| | | |
| すでに多くの方々がお聞き及びのことと思いますが、NHK広島の中国地方5県向け |
| のローカルテレビ番組を通して、“里山資本主義”なる言葉が日本中に流布し、現在 |
| の都会生活に何らかの疑問や寂しさを感じている定年後の人生を送っている人々の間 |
| に、真剣にこの“里山資本主義”を考えている人々が増えています。筆者はこの里山 |
| 資本主義という造語こそは、それこそ今年の流行語の候補に選ばれてもおかしくない |
藻谷浩介氏 |
と感じていますが、残念ながら選外になってしまったよ |
| うです。それはともかく、現在ベストセラーを続けてい |
| る藻谷浩介(モタニ コウスケ)氏とNHK広島取材班共著に |
| なる『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く |
| ―』(角川oneテーマ21新書版シリーズ)が爆発的に売れ、 |
| 筆者が求めた発売後3ヶ月の10月初めの時点でも既に10 |
| 万部であったものが、10月末現在では17万部以上を売り |
| 上げているという。 |
| 「リーマン・ショックや東日本大震災を経て現在の社会システムに不安を感じる都市 |
| 部の男性が主に手に取っているようだ(10月16日日本経済新聞11面の“ベストセラー |
| の裏側”欄の紹介記事)。この驚異的な読者層の増大の背景には、お金がすべてを決 |
| するという大前提のもとに議論が組み立てられている「マネー資本主義」で導かれて |
| いる現在の経済システムを全面的に否定するとまでは行かないまでもそれを疑問視し、 |
| そろそろ何かそれに代わる自分たちにもなじめるシステムの出現を待望し、また、到 |
| 底このままでは済まされない不気味な舞台の出現を予感している人々が増えつつある |
| ということを意味していると思われます。 |
里山資本主義の本 |
| 里山資本主義は、著者の定義するところでは、“かつ |
| て人間が手に入れてきた休眠資産を再利用することで、 |
| 原価0円からの経済再生、コミュニティー復活を果たす |
| 現象”とありますが、戦中・戦後に植林された里山の森 |
| 林資源などを眠らせて、禄に手入れもせずに放置してい |
| る状態から、少しでも活用することによって、大都市を |
| 離れてローカルに、再び若者にも参加してもらって新し |
| い社会システムを造ろうという提案・提言がもともとのスタートでした。 |
| しかし、筆者にはそこにまだ余力を残した目ざといアフター・リタイアメントの人々 |
| が「年金というセーフティネット」を武器に、単に金銭だけでなく、生活の励みとな |
| るプラス・アルファを手に入れようと馳せ参じている現象から、当初の世間の予測よ |
| りもより大きなシステムとして生まれ出ようとしているように思われます。 |
| 高齢者ばかりになった都会の団地、一人暮らしの老人が亡くなっても何か月も、ひ |
里山の風景 |
どい場合には何年もそのまま気付かれずに放置されてい |
| る都会には、異様な危機感と厭世観すら感じざるを得な |
| いのが今日の大都会の有様です。町会の行事や祭り、集 |
| 会の再生に汗することを通じて定年後の人々が、自分も |
| 参加できるコミュニティーの再現を夢見ている姿は、新 |
| 聞やテレビの番組でも頻繁に紹介されているところです。 |
| 筆者は上述の本を読んで、地方の里山資本主義を担ご |
| うとする人々と、都会で自分の住んでいるコミュニティ |
| ーの再生を願って活動する人々が、実はほとんど同じ志向を持つ人たちなのだという |
| ことが理解できました。このことだけでも、この本を手にした価値があったように感 |
| じました。 |
| ついでに、もう一つ最近の流行語に“スマート・シティ”がありますが、筆者には |
| この考え方も上述の里山資本主義の考え方と同根のもの |
スマートシティの模式 |
| に思えます。特に、3.11の大震災と同時発生した福島原 |
| 発の事故、人の力では救えない難題に立ち向かわざるを |
| 得ない我が国の現今、にもかかわらず刹那の繁栄のため |
| に問題解決を先送りしているとしか思えない実情を思う |
| とき、改めてもう少しリスクの少ない、効率的に生産し |
| て消費するシステムと可能ならば定年後の人々が自ら参 |
| 加することによって生命のある限り、励みの味わえる、 |
| そして自分らしさを取り戻せる小規模地域社会を自立させる努力が必要となるでしょ |
| う。上記の著書の読後感として、拝金主義でもない、競争社会でもない、どちらかと |
| 言えば、それらの対抗原理としても働ける里山資本主義を踏み台にして21世紀の新し |
| いシステムが見つけられるはずだと思いましたがいかがでしょうか。 了 |
| 2013年11月26日 記 |
| | | |
| 先の闘病記(注1)では、膠原病の一種「リュウマチ性多発筋痛症」の治療に服用 |
| していた副腎皮質ホルモン系ステロイド製薬が、一日朝1ミリグラム(一錠)になっ |
| て、ほぼ完治に近い状態が続いていました。後はこの薬の副作用などで、落ちた筋力 |
| の回復を、運動で行う事に専念していましたが、なんと今年になって再発しました。 |
| 担当医も、ここまでプレトニンの量を減らすことので |
医者 |
| きるのは、珍しいと言ってはいたのですが、今年の1月 |
| 半ば頃から、なんとなく足を組むのがきつくなり、体全 |
| 体にもなんとなく重い感じが出始めましたので、診察日 |
| までに時間があったので、担当医に相談しないで試みに |
| 夕食の後、もう一錠服用してみました。すると次の日に |
| は、なんとなく治ったような気がしました。 |
| 夕食後の服用を止めると同じような体調に戻るので、 |
| 1月29日の定期診察の折にその旨を担当医に状況を話して、血液検査を受け、結局 |
| プレトニンを一日5ミリグラムに増量処方してもらいました。 |
| しかし朝5ミリグラム(1錠)を飲むと、薬の効果の出る午後まで体調が戻らない |
| ので、この薬が2.5ミリグラムずつに割れるのを利用して、朝と夜2.5ミリずつ服用す |
| る事の了解を受け、その後毎月診察に行くたびに、体調の現状報告を行い、逐次プレ |
| トニンの服用量を減らして頂き、現在は朝2ミリ夜1ミリの一日3ミリにまで落とす |
| ことが出来ています。 |
夫婦仲良く |
ところが、最近家内が肩の痛みや膝の痛みで、近所の |
| 整形外科医院に通って診療を受けて、50肩?(なんで |
| 80歳過ぎた家内が)とか、坐骨神経痛などと言われて薬 |
| を貰って来ている様子で、どう見ても私の罹っているこ |
| の病気を、発見した時と同じ様な現象なので、試みに私 |
| のプレトニン5ミリグラムを飲ませてみましたら、治っ |
| てしまったようなので、私の担当医に相談して病院に同 |
| 行して検査を受けさせたら、やはり同じ病気に罹ってい |
| るとのことでした。どうやらこれで二人仲良く?月一回の病院通いをすることになっ |
| てしまいました。 |
| この病気は、高年齢の女性に多く発症する病で、最近の医療が、専門分野毎に分か |
| れているので、症状が外科的なものでも、治療は内科の分野のこともあるので、肩や |
| 足腰の痛みで整形外科に通っていても、なかなか治らない人は、一度リュマチや膠原 |
| 病などを扱う内科の門を、叩いてみる事が必要と思います。 |
| そして自分の体は、自分しか分からないのですから、体調を正しく医者に伝えるこ |
| とが大切です。人の助けを借りずに自立生活の出来る後期高齢者を目指す86歳の提言 |
| です。 (平成25年11月1日 記) 以上 |
| 注1:2013.7.7掲載「80歳からの闘病記」参照 |
| | | |
| 4.第三の波 |
| 第三の波は、バーチャル・コワーカー(Virtual Coworker)の出現である。勢いづ |
| いて増えたインディペンデント・コントラクターは働いていても共同体意識やコラボ |
| レーションの充実感を持てないことが多く、特に人付き合いのチャンスがないことに |
| 気付き、孤独感を深めて行く。その結果、考え方としては若干逆流するような傾向と |
| も見られがちな、複雑なそしてグローバルなバーチャル・ワークの波として押し寄せ |
| てきたのが、バーチャル・コワーカーである。 |
| 多くの労働者が特定の場所に再び集まるようになってきた。彼らが属している元の |
| 企業が作る新しいタイプのそのような“頼り場”であることもないことはないが、多 |
| くの場合には全く離れて独立に存在する場で志を同じくする者同士が、自由の空気を |
| 共有できる場で昔ながらのオフィスの特徴を兼ね備えるところで、他のプロフェショ |
| ナルたちと現場の交流ができるところである。そこは通常他人に交わらずに一人で働 |
| いている人々を結び付け、刺激を与えることに特化した作業空間を提供するところで、 |
| “コワーキング・スペース”と呼ばれる。既に世界中にこの場は2000ヶ所を超えると |
| 言われ、日々新たなスペースが生まれている。コワーキング・スペースの三大要素は、 |
| 第一に他の人々との交流、第二に柔軟な労働時間、そして第三には偶然の発見を促す |
| 環境だという。この第三の要素こそが将来のイノベーション、改善に結び付く大切な |
| ファクターである。このようなスペースが盛り上がり、発展するとハブ化し、そこに |
| 独自の生産性、仲間集団、指導者集団を求める人々が集い、タレント集団を形成する |
| ことになるという。 |
| そこで、企業も働く個人も新たに、それこそ本腰を据えて、労働のバーチャル化を |
| めぐる以上の三つの波を活用する方法を習得しなければならない。その取り組みとし |
| て、次の五つが重要であると言われる。 |
| | | |
| 5.第三の波を活用するための五つの要素 |
| (1)第一には、コラボレーションを重視すること |
| どんな戦略計画も、まず、明確な目標を立てることから始める。意図を明確に |
| することにより周囲の軋轢に抵抗し、マインド・セッティングを変更する有力 |
| な手立てとなる明瞭性を確保するためには、
|
| @ 役割分担、責任、活動ルールの目標を定めること |
| A リーダーは明確なビジョンと活動範囲を決めたら権限を放棄し、委譲すること |
| B 役割と責任の評価には周知された評価基準を用いること
|
| C 相手を信頼することを企業文化のスローガンとすること |
| 等がしっかり確立されていなければならない。 |
| (2)第二には、リアルな作業空間を復活させること |
| 従来の作業空間は、同じ場所で働くことから生み出される副次効果として、企 |
| 業文化の整合性が進み、新たなアイデアや仲間意識が生まれ、それが従業員相 |
| 互の信頼を高め、チームワークと品質向上をもたらしてきた。こうした副次効 |
| 果はバーチャル化をめぐっても、机を並べて同じ場所で働くことの主目的とし |
| て採用され、さらに、その効果が最大に実現されるよう、リアルな作業空間を |
| 最適化することが求められる。そのため、個人や個人ブースから、もっと融通 |
| 性が持てる共用性が高められる開放的な作業空間に切り替えられる。該当する |
| 企業ではこのようにリアルな作業空間を模様替えするときを絶好のチャンスと |
| とらえて、同時に業務プロセスや組織編成の見直しをも行っている。その結果、 |
| 個室を持つ役員もこの新しい作業空間に吸い寄せられて行く。勿論、常駐する |
| わけではないが、多くの時間をコワーカーと共にする。ある特例を挙げてみよ |
| う。 |
| 米国ミシガン州では4つの独立した企業が入る4階建てのビルに、4社の社員 |
| が共同で利用するために共用専用スペースが設けられ、常に満席になっている |
| 由である。また、インターン生の適性能力を評価するために、4社間で順番を |
| 決めて異動させたりすることも試みられている。勿論、そのときの評価基準も |
| 4社の合同チームで予め設定されている。このような試みは、特にイノベーシ |
| ョンや新製品開発を担当するコワーカー間では新しい発想を触発させる効果の |
| 大きいことが実証されている。 |
| (3)第三には、リモート・ワークを行う人材を活用できるように業務フローを再構 |
| 築すること
|
| 既に多くの北米の企業では社員のうち、自社のオフィスでフルタイムを働く社 |
| 員は40%に満たず、半数以上がバーチャルな環境で働いている。そこでは社内 |
| の組織も営業、製造、経理、人事というような機能や部門によるのではなく、 |
| 事業の目的別に最小の必要部署として置かれる。 |
| (4)第四には、直感的にわかる技術に投資すること |
| イノベーションを拡大し、効率を向上させる最も確実な道は、通常の業務フロ |
| ーに組み込めるような直感的なコラボレーション技術に投資することである。 |
| 多くの企業が自社のコラボレーション・プラットフォームをモバイル機器ベー |
| スに移行しつつあるという。冒頭に触れたように、世界のモバイル・ワーカー |
| 人口が2015年までに13億人に達すると目論まれているので、モバイル用ブロー |
| ドバンドのユーザー数が、2016年までにPC用ブロードバンドのユーザー数を追 |
| い抜くと見込まれている。 |
| (5)第五には、個性を認めること |
| 働き方の新たな波の中で成功するには、上記に加え、仕事における個々人の好 |
| みを雇用側が認めてサポートし、仕事に臨む姿勢が異なる社員の心をつかみ、 |
| やる気を起こさせる方法を個別に工夫する必要があるということである。 |