| 話 題 『 よもやま話 』 | 2013年10月〜2013年12月 | |
| 話 題 一 覧 |
| 2013.12.22 | 2013年秋季 IRANの会 開催 投稿:伊藤 誠一 | ![]() |
| 2013.12.22 | 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(2) 投稿;清水有道 | ![]() |
| 2013.12.16 | 横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2013” 投稿;小田 茂 | ![]() |
| 2013.12. 8 | 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(1) 投稿;清水有道 | ![]() |
| 2013.11.24 | 雅楽を聴く、見る 投稿;須貝義弘 | ![]() |
| 2013.11.20 | 「第47回 神戸OB会」開催地・神戸 参加者12名 投稿;青木 聳 | ![]() |
| 2013.11.11 | 速水御舟が描いた美麗な蛾“むらさきしたば”を蓼科で採集できた喜び 投稿;清水有道 | ![]() |
| 2013.10.27 | 我が家のエノキにも話題の“アカボシゴマダラ”が育つ 投稿;清水有道 | ![]() |
| 2013.10.13 | ニセコアンヌプリ登山 投稿;清水有道 | ![]() |
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| 話 題 『 よもやま話 』 |
| 2013.12.22 | 伊藤 | 2013年秋季 IRANの会 開催 | ![]() |
| 2013年秋季 IRANの会 開催 | 品川区 伊藤 誠一 | |
| 去る10月20日、年2回開催する今年度秋の集会が、激 |
集合写真 |
||
| しい雨にも関わらず那須から来られた品川氏を含めて、 | |||
| 出席の連絡を頂いた17名全員が集まりました。 | |||
| 出席者は前列左から(敬称略):南 紀子、鷲北 修、 | |||
| 若林 弘夫、若竹 日方、岩崎 知弘、塩入 義忠、松尾 優。 | |||
| 後列左から:松為 近子、森 忠彦、平野 誠、安田 彰、 | |||
| 品川 治夫、新井 正美、工藤 忠、鳥井 匡、堀田 修靖、 | |||
| 伊藤 誠一。 | |||
「しながわ物語」お披露目コンサート |
生憎私と家内が午後2時から、品川区民芸術祭の | ||
| 「しながわ物語」お披露目コンサートに招待を受けてい | |||
| ましたので、開会の挨拶と乾杯の音頭をとらせていただ | |||
| いて、昼食と集合写真を撮ってから、後を幹事の工藤、 | |||
| 堀田、鳥井氏の3方に託して中座しました。 | |||
| 「しながわ物語」の作曲者であり、この芸術祭の実行 | |||
| 委員長の小川寛興先生は、家内の品川区の教育委員時代 | |||
| に、同じ教育委員として共に品川区の子供の教育問題を | |||
| 話し合った方で、奇しくも私の小学校の先輩でもありました。 | |||
| 先生が区役所の担当に、私達の招待状を送るように指示されたので、欠席するわけ | |||
| にもいかず、折角集まっていただいた皆様に申し訳なく思いました。 | |||
| 集合写真は途中の写真屋で、来会した皆様にお渡しできるるように、4時頃受け取 | |||
| りに来るからと頼んでおきました。 | |||
| コンサートの第一部が3時半に終わって帰ろうとしたら、隣の席にいらっしゃった | |||
| 小川先生もお帰りになられるとのこと。しかも雨の中すでに米寿を迎えられたと思う | |||
| 先生が、歩いて電車で帰られるとのことで、ご無理にお誘いしてタクシーでご自宅ま | |||
| で送らせていただき、出来あがった写真を受け取って家に戻ったのが5時少し過ぎ。 | |||
| それでも幹事諸侯と、後片付けを手伝って下さった故松為専務の奥様と南紀子さんと、 | |||
| 帰りの途中で転んで擦り傷の手当に戻った松尾氏が残っていてくれました。私のいな | |||
| い間は、鳥井氏のリードで来会者の現状報告を順番に行ない、結構皆さん楽しんで下 | |||
| さったとのことで安心しました。 | |||
| 次回は来年5月の第3日曜日です。最近の異常気象が何時まで続くのか、やはりも | |||
| う一つ年を重ねるわけです。くれぐれも体調管理を厳重に、皆様の笑顔を見せていた | |||
| だきたいと思っています。欠席の連絡をいただいた方には、出欠のはがきをゴピーし | |||
| て、次回頑張って出席していただけるよう手紙で送りました。 == 終 == | |||
| 2013.12.22 | 清水 | 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(2) | ![]() |
| 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(2) | 横浜市 清水 有道 | |
| 〜鷲ヶ峰にヤマトリカブトを求めて〜 | |||
| 前回に続き、今回は9月6日(金)に鷲ヶ峰(1,798m)の山頂近くの斜面に帯状に | |||
| 群生するヤマトリカブトを眺めに出掛けたときのことを書いてみましょう。 | |||
| 今回も横浜から車で向ったために、登山口に近い霧ヶ峰・八島ヶ原の駐車場に着い | |||
| たのはちょうど正午になっていた。霧ヶ峰・八島ヶ原湿原の天然記念物である植物群 | |||
| を鹿やイノシシの食害から保護するために高く張り巡ら |
八島ヶ原湿原の起点風景_囲い網の出口から鷲ヶ峰への登山道を眺める |
||
| された金網フェンスの中に鷲ヶ峰に通じる登山道の入り | |||
| 口の扉があり、その扉を開け、そしてしっかり閉めて、 | |||
| 1.8km の登山道を進む。山頂の尾根筋に続くガレ場を一 | |||
| 気に登って、山頂で昼食にしようと決めて歩き始め、左 | |||
| 右に目を光らせてヤマトリカブトを探し求めたが、これ | |||
| と言って気を入れて眺めたり、写真に収めたりできるよ | |||
| うな魅力を感じさせる株には出会えなかった。 | |||
鷲ヶ峰頂上に続く稜線 |
山頂に通じるなだらかな尾根筋に出ると、本当に帯状 | ||
| に青紫色の群落が展開されていた。「やはり噂通りのこ | |||
| とはあるな!!」と思った。面白いことに、諏訪湖や諏 | |||
| 訪の市内を見渡せる南向き斜面に多くの群落が見られる | |||
| ことが分かった。 | |||
| 日本には約30種のトリカブト属の植物が自生しているが、ヤマトリカブトはその中 | |||
| でも花の大きさ、色合い、その色彩の輝きが一番すぐれた種だと思う。キンポウゲ科 | |||
| トリカブト属の種で、漢字では「山鳥兜」、学名はAconitum japonicum subsp. | |||
| Japonicum という日本の在来の多年草で、本州の中部地方から東北地方の林床や山地 | |||
| 帯の林縁に自生している。草丈は80cmから2m近くにまで伸びるが、自然のものは風に | |||
| 倒されて曲がり、茎の半分くらいを地表に這わせた格好になっているのが普通に見ら | |||
| れる姿である。花期は9月 |
鷲ヶ峰のヤマトリカブト(1) |
鷲ヶ峰のヤマトリカブト(2) |
|
| からで、晩秋を飾る代表的 | |||
| な花の一つである。このヤ | |||
| マトリカブトをルーツとし | |||
| て園芸品種が幾つも品種改 | |||
| 良されている。日常の家庭 | |||
| 生活にますます近づいて来 | |||
| れば来るほど、ご承知のよ | |||
| うに根は猛毒を有するため、植え替え等の作業には必ず手袋を着用し、作業の後は良 | |||
| く手を洗うことを徹底し、事故から人命を守ることが必要であると思う。 | |||
| 帰路は登りと同じ道を下ったが、途中、他の高山植物もちらほら見られたのでカメ | |||
| ラに収めた。それらの中で、代表的な次の5種を挙げておこう。 | |||
ウメバチソウ |
1)ウメバチソウ(梅鉢草、ユキノシタ科ウメバチソウ属、 | ||
| Parnassia polustris var. palustris) | |||
| 2)アキノキリンソウ(秋麒麟草、キク科アキノキリンソ |
アキノキリンソウ |
||
| ウ属、Solidago Virgaurea subsp. Asiatica) | |||
ツリガネニンジン |
3)ツリガネニンジン(釣鐘人参、キキョウ科ツリガネ | ||
| ニンジン属、Adenophora Triphylla var. japonica) | |||
| 4)マツムシソウ(松虫草、松虫草科マツムシソウ属、 |
マツムシソウ |
||
| Scabiosa japonica) | |||
ハナイカリ |
5)ハナイカリ(花碇、リンドウ科ハナイカリ属、 | ||
| Halenia comiculata) | |||
| 2013年10月6日 記 | |||
| 2013.12.16 | 小田 | 横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2013” | ![]() |
| 横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2013” | 横浜市 小田 茂 | |
| 12月25日まで開催(休館なし)開館時間 9:30〜17:00(21日〜24日19:00) | |||
| 私の地元、山手西洋館の |
クリスマスマップ |
西洋館マップ |
|
| “世界のクリスマス”につ | |||
| きましては、過去何回かご | |||
| 紹介いたしましたのが、久 | |||
| しぶりの登場です。 | |||
| チョッと散歩がてら足を | |||
| 伸ばされたら如何ですか。 | |||
| ≪推薦コース≫ | |||
| 下記のご紹介する順番と“反対”のコースとなりますが、JR石川町駅下車南口か | |||
| ら、「山手イタリア山庭園」へ。山手234番館を過ぎると、左手に「外国人墓地」 | |||
| (休日は公開しています)更に進むと、直ぐに「港の見える丘公園」です。 | |||
| 「横浜イギリス館」の真ん前が「バス停」で、20系統桜木町駅行(1時間に2本)に | |||
| 乗り“中華街前”で下車、チョット遅い昼食!なんて如何ですか。 | |||
| 「港の見える丘公園」から徒歩で坂を下りますと「元町の商店街」です。また、「中 | |||
| 華街」までも、そんなに遠くありません。「山下公園」も近くにあります。 | |||
| 1.横浜市イギリス館(イギリスのクリスマス) 港の見える丘公園内 | |||
| イギリス館は、昭和12年 |
横浜市イギリス館 |
|
|
| (1937年)英国総領事公邸 | |||
| として建てられました。 | |||
| 昭和44年(1969年)に横 | |||
| 浜市が取得し、現在は一般 | |||
| 公開されています。 | |||
| イギリス館に相応しく、 | |||
| 『ローズ・ガーデン』に隣 | |||
| 接しております。 最寄り駅:みなとみらい線 元町・中華街 5番出口 徒歩7分 | |||
食卓の飾りつけ |
クリスマスプレゼント |
クリスマスツリー |
|
| 2.山手111番館(イタリアのクリスマス) 横浜市イギリス館に隣接 | |||
| 山手111番館は、横浜市イ |
山手111番館 |
|
|
| ギリス館の南側の噴水広場 | |||
| を挟んで建っております。 | |||
| スパニッシュスタイルの | |||
| この洋館は、大正15年 | |||
| (1926年)にアメリカ人の | |||
| 住宅として建てられました。 | |||
| 設計者は後から出てきま | |||
| すベーリック・ホールを設計したJ.H.モーガンです。 | |||
| 平成8年(1996年)横浜市が敷地を取得し、建物の寄贈を受けて、現在は一般公開 | |||
| されています。 | |||
食卓の飾りつけ |
クリスマスツリー |
部屋の飾りつけ |
|
| 3.山手234番館(フィリピンのクリスマス )山手本通りに面し、反対側元町公園 | |||
| 山手234番館は、昭和2年 |
山手234番館 |
|
|
| (1927年)頃外国人向けの | |||
| 共同住宅(アパートメント | |||
| ハウス)として、関東大震 | |||
| 災により横浜を離れた外国 | |||
| 人に戻ってもらうための復 | |||
| 興事業の一つとして建てら | |||
| れたものです。 | |||
| 平成元年(1989年)に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得し、現在は一般公開さ | |||
| れています。 | |||
食卓の飾りつけ |
部屋の飾りつけ |
クリスマスツリー |
|
| 4.エリスマン邸(チェコ共和国のクリスマス)山手234番館の斜め前、元町公園内 | |||
| エリスマン邸は、生糸貿 |
エリスマン邸 |
|
|
| 易商社の横浜支配人として | |||
| 活躍したフリッツ・エリス | |||
| マン氏の邸宅として大正14 | |||
| 年(1925年)から15年にか | |||
| けて建てられました。 | |||
| 昭和57年(1982年)に解 | |||
| 体されたが、平成2年 | |||
| (1990年)元町公園内の現在地に復元されました。 | |||
食卓の飾りつけ |
クリスマスツリー |
部屋の飾りつけ |
|
| 5.ベーリック・ホール(オランダ王国のクリスマス)エリスマン邸の並び | |||
| ベーリック・ホールは、 |
ベーリック・ホール |
|
|
| イギリス人貿易商のB.R | |||
| べリック氏の邸宅として、 | |||
| 昭和5年(1930年)に建て | |||
| られました。 | |||
| スパニッシュスタイルを | |||
| 基調とした建物で、設計は | |||
| アメリカ人建築家のJ.H. | |||
| モーガンで山手111番館、山手教会、根岸競馬場など数多くの建物を残しています。 | |||
| 平成12年(2000年)までは、外国人学校の寄宿舎として利用されていましたが、学 | |||
| 校閉鎖?に伴い寄宿舎も閉鎖されました。(学校跡地は大きなマンションが建ちました) | |||
| 横浜市は元町公園の拡張に伴い、平成13年(2001年)に用地を買収し、建物につい | |||
| ては宗教法人から寄付を受け、復元・改修工事を終え平成14年(2002年)一般公開を | |||
| いたしました。(ベーリック・ホールは蒲田の旧本社・工場と同期生です。) | |||
食卓の飾りつけ |
クリスマスツリー |
部屋の飾り/これは何? |
|
| 6.山手68番館(ブラジルのクリスマス) 山手公園内 | |||
| ベーリック・ホールから |
山手68番館 |
|
|
| 山手本通りを5分程度歩き | |||
| カトリック山手教会の角の | |||
| 信号を左折して脇道に入り | |||
| 3分位で到着。(看板有り) | |||
| 山手68番館は、日本最初 | |||
| の西洋式公園で、明治3年 | |||
| (1870年)に造られた山手 | |||
| 公園内にあります。昭和9年(1934年)に建造された外国人向けの平屋の賃貸住宅で | |||
| す。テニス発祥の地でもあり〔明治9年(1876年)〕、現在は横浜市営テニスコート | |||
| のレストハウスになっております。 | |||
クリスマスツリー |
部屋の飾りつけ |
食卓の飾りつけ |
|
| 7.外交官の家(スウェーデンのクリスマス)山手イタリア山庭園内 | |||
| 山手68番館から山手本通 |
外交官の家 |
|
|
| りに戻り、6〜7分程歩く | |||
| と進行方向に「JR石川町 | |||
| 駅」・「山手イタリア山庭 | |||
| 園」の案内板があり、そこ | |||
| を右折すれば、すぐ山手イ | |||
| タリア山庭園内の外交官の | |||
| 家に到着します。 | |||
| 外交官の家は、明治政府外交官の内田定槌氏の邸宅として、明治43年(1910年)に | |||
| アメリカ人建築家の設計により、現東京都渋谷区に建てられました塔屋付き木造2階 | |||
| 建ての西洋館です。国の重要文化財に指定されています。 | |||
| 平成9年(1997年)に内田氏のお孫さんから横浜市に寄贈され、現在地に移築復元 | |||
| され一般公開されました。 | |||
食卓の飾りつけ |
部屋の飾りつけ |
部屋の飾りつけ |
|
| 8.ブラフ18番館(ノルウェー王国のクリスマス)外交官の家に隣接 | |||
| 関東大震災後、山手45番 |
ブラフ18番館 |
|
|
| 地に建てられた木造2階建 | |||
| ての外国人住宅です。 | |||
| 戦後の所有者としてカト | |||
| リック山手教会から、部材 | |||
| の寄付を横浜市が受け、現 | |||
| 在地に平成3年(1993年) | |||
| 山手イタリア山庭園内に移 | |||
| 築復元され、一般公開されています。 | |||
| ここから、JR石川町駅南口までは下り坂で約5分で着きます。 | |||
食卓の飾りつけ |
部屋の飾りつけ |
クリスマスツリー |
|
| 9.地元:本牧の我が家は?(アメリカ合衆国のクリスマス?) | |||
| 我が家のクリスマスは、例年アメリカ生れの「スヌーピーのサンタクロース」が主 | |||
| 役で、12月に入ると、どうゆう訳か浄土真宗の家の2階出窓でガンバっています。 | |||
出窓のサンタ |
スヌーピーのサンタクロース |
鏡餅 |
|
| 日本のクリスマスの典型的スタイルで、クリスマスが終われば、入れ替わりに | |||
| “鏡餅”の出動です。 皆さん、素晴らしい新年をお迎え下さい! | |||
| 2013.12. 8 | 清水 | 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(1) | ![]() |
| 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(1) | 横浜市 清水 有道 | |
| 〜八子ヶ峰、カシガリ山にレンゲツツジ、コバイケイソウと | |||
| ケブカツルカコソウを求めて〜 | |||
| この夏は筆者の人生で初めて、特定の山野草を愛でることを主目的に、また、それ | |||
| らの花々を写真に収める楽しみのため山歩きを試み、二度も信州の霧ヶ峰周辺を巡り | |||
| 歩いた。今回から二度 に分けてそれらを綴って みたい 。 | |||
| 今回は例年に比べてレンゲツツジとコバイケイソウが見事に咲いていると聞いて、 | |||
| 6月22日(土)、23日(日)の両日、八子ヶ峰(1,833m)とカシガリ山(1,616m)に | |||
| 出掛けた話である。 | |||
| 22日の朝友人の車で横浜から向かったので、八子ヶ峰の登山口の女神茶屋に着いた | |||
| ときには既に正午に近く、ゆっくり花を探しながら頂上を往復するならしっかり午後 | |||
| 一杯は掛ってしまう仕事と思われた。先ず、登山口のすぐ傍にもちょっとしたコバイ | |||
| ケイソウの群落があるというので回ってみたが花が付いている茎はまばらにしかなく、 | |||
| 寂しいものだった。 | |||
| コバイケイソウ(小梅尅吹FVeratrum stamineum)は、ユリ科シュロソウ属の多年 | |||
| 生草本で、花が梅に似ており、花が尢魔ノ似ているためにこの和名になったと言われ | |||
| ているが、有毒植物で、春 |
八子ヶ峰のコバイケイソウ(1) |
八子ヶ峰のコバイケイソウ(2) |
|
| 先の新芽が出るころにはよ | |||
| く他の植物と間違われて摘 | |||
| み草されて中毒騒ぎがニュ | |||
| ースになる草である。中部 | |||
| 地方から北、北海道まで分 | |||
| 布しているが、年によって | |||
| 花の付き方が大きく違うそ | |||
| うで、今年は久し振りの花の楽しめる年になったそうである。 | |||
| 八子ヶ峰は東峰(1,869m)と西峰(1,835m)の二峰から成る双耳峰であるが、谷川 | |||
| 岳や鹿島槍ヶ岳のように耳がさほど際だってとがっていないため蓼科山の裾野に繋が | |||
| る派生尾根のように見られがちである。コバイケイソウは東峰直下から西峰の白樺湖 | |||
| 側に面した斜面に多く群生していた。西峰頂上で遅い昼食を取りながら露出している | |||
| 岩や石のあたりを探していると既に十分にシーズンに入っているイワカガミの花が二 | |||
| 株ほど見られた。 | |||
| イワカガミ(岩鏡:Schizocoden saldanelloides)は、イワウメ科イワカガミの多 | |||
八子ヶ峰のイワカガミ |
年草で、北海道から九州までの高山や山地の礫地や草地 | ||
| に自生する。筆者はこの花を見ると、以前那須の三本槍 | |||
| 岳に続く朝日岳(1,896m)の頂上直下の斜面に一面に咲 | |||
| き誇っている様をみた記憶が鮮やかに蘇ってくる。しか | |||
| も、その斜面では秋になると多くの人が競ってその実を | |||
| 取っていた姿をも思い出す。 | |||
| その実で美味しいジャムが作れるのである。 | |||
| 八子ヶ峰にはレンゲツツジの群落を求めて訪ねたのであったが、全体に群落と言え | |||
| るほどの規模のものは少なく、例年に比べて花がきれいだと言われて来てみればこれ | |||
| はどうしたことか、どうやら今年は花の当たり年ではなかったようである。 | |||
| レンゲツツジ(蓮華躑躅:Rhododendoron molle subsp. Japonicum)は学名でも想 | |||
| 像がつく通り、我が国固有のツツジ科ツツジ属の落葉低 |
八子ヶ峰のレンゲツツジ |
||
| 木種で、北海道南部から九州までの日当たりのよい草原 | |||
| に多く自生しているが、近年はその花の色の賑やかさが | |||
| 買われて庭木としても楽しまれている。勿論皆様もよく | |||
| ご存じの長野と群馬両県に跨る湯の丸高原、地蔵峠周辺 | |||
| には60万株以上にも増えている大群生地があり、国の天 | |||
| 然記念物の指定を受けているほか、栃木県矢板市高原山 | |||
| の標高1,200mにある八方ヶ原高原には約20万株の群生地 | |||
| があり、シーズンにはたくさんの物見客で賑わっている。名前は英語にもなっており、 | |||
| ”Japanese azalea”という。 | |||
| 二日目の6月23日はカシガリ山で午前中半日レンゲツツジの群落を探し続け、太い | |||
| 立派なワラビを摘みながら、そこに多いと言われるケブカツルカコソウを生い茂った | |||
| 草をゆっくりゆっくり掻き分けながら見付けた時には思わず笑みがこみ上げた。 | |||
| 霧ヶ峰の車山の近く、白樺湖から霧ヶ峰を経て諏訪、美ヶ原まで通じるビーナスラ | |||
| インで車を進めると茅野市と諏訪市の境に当たるところに富士見台という見晴らしの | |||
| 良いところがある。そのちょっと手前に伊那丸富士見台という名前の付いたところが | |||
| ある。そこまで車で入ることが出来、そこがカシガリ山の入り口である。カシガリ山 | |||
| は列記とした漢字の名前“加志苅山”があるにも拘わらず、使われず、大抵は“カシ | |||
| ガリ山”とカタカナ書きされている。筆者もいろいろ調べてみたが、その背景にある | |||
| ストーリーには未だ行付けないでいる。 | |||
| この山はしっかり山の名前が付いているのに、標高の1,616.4mはビーナスラインの | |||
| 降りるところの標高1,650mより低く、ために伊那丸富士見台から頂上を目指せば道は | |||
| ほとんど平らか下りである。頂上を目指すのに、ずっと下る山登り(?)は、筆者に | |||
| も初めての経験であった。このカシガリ山に続く山肌で今年5月の連休に入る直前の | |||
蓼科山を背にしたカシガリ山の レンゲツツジ |
4月28日西寄りの強い風に煽られて野焼きが山火事とな | ||
| り、火はカシガリ山の尾根に向かう林にまで迫り、富士 | |||
| 見茶屋の住人は寸前をヘリコプター救助隊によって救助 | |||
| されたのでした。今でも斜面には黒く焦げた部所が点々 | |||
| と見られ、茶屋ではその時の話が繰り返されている。 | |||
| さすがにカシガリ山のレンゲツツジは素晴らしく、背 | |||
| 後に蓼科山の美麗な姿を配せば、花の写りも風景写真とし | |||
| ても申し分のないものだった。 | |||
| 霧ヶ峰の車山湿原の方にはたくさんの人が向かっていても、このカシガリ山ではほ | |||
| とんど人に出会わず、百万石の景色が埋もれているという印象を強く抱いた。あまり | |||
| ガイドブックに出ている表銀座だけを歩いていると、このように何倍も楽しめる景観 | |||
| を見過ごしてしまうもったいないことになる典型と感じたのでした。 | |||
| さて、探し当てたシソ科の多年草、ケブカツルカコソウ(毛深蔓夏枯草:Ajuga | |||
| shikotanensis form. hirsute)は名前の通り、カケソウ |
カシガリ山のケブカツルカコソウ |
||
| やツルカケソウに似ているが、それらとは異なる三つの | |||
| 特徴を持っています。一つはツルカコソウの変種である | |||
| こと。二つには名前の通り、ツルカコソウにはない荒い | |||
| 毛が茎や葉の全体に生えていること。三つ目にはウツボ | |||
| グサ(夏枯草)に似ていることから命名されたが、茎の | |||
| 下部から地表を這う枝を伸ばし、株を増やしていく仕組 | |||
| みが全く違うことです。 | |||
| 6月23日午後は足を伸ばして車山湿原を訪れ、コバイケイソウの群落を堪能したが、 | |||
霧ヶ峰車山湿原のコバイケイソウ(1) |
霧ヶ峰車山湿原のコバイケイソウ(2) |
コバイケイソウ一本一本は | |
| まだ幾分若く、付いている | |||
| 花はまだ若干見栄えでは劣 | |||
| るように感じた。 | |||
| 車山湿原は国の天然記念 | |||
| 物としてしっかり管理され | |||
| ているが、大勢の登山者や | |||
| 旅行者、見物客が行き交う | |||
| には遊歩道は狭く、ゆっくり植物や花を眺めたり、写真を撮ったりするには、相当に | |||
| 時間を掛け、場所を選ばねばならないと感じた。筆者が植物だけでなく、蝶や昆虫を | |||
| 求めて頻繁に訪ねた学生時代には未だ天然記念物の指定もされる以前のこととて、も | |||
| っとゆったりした自然が味わえたように思えて、当時が懐かしいと同時に、現在の世 | |||
| が余りにも道路や乗り物の便が良くなりすぎて、人間に身近になりすぎて、自然のご | |||
| 利益や本懐を味わう性根が据わらないように思えてならないのは筆者の思い過ごしだ | |||
| ろうか。 | |||
| 2013年10月5日 記 | |||
| 2013.11.24 | 須貝 | 雅楽を聴く、見る | ![]() |
| 雅楽を聴く、見る | 佐野市 須貝 義弘 | |
| 毎年雅楽の演奏会が催され、今年も新聞に入場者の募集があったので、応募したと | |||
| ころ、運よく当選の知らせが届いた。応募は毎年行っているが、往復はがきに、希望 | |||
| の日と時間(今年は10月18日〜20日の三日間、午前と午 |
雅楽入場券 |
||
| 後の部がある)を記入し投函するが、ここ十年間で当選 | |||
| は三回、開催場所が皇居に移ってからは二回目で、10月 | |||
| 18日の午後の部に参加した。皇居に入るのには、大手門 | |||
| から入るが、当選の入場券と申し込んだ本人確認が出来 | |||
| るものを持参しなければならない。 | |||
| 雅楽についてパンフレットも参考に勉強してきたので | |||
| 少し説明します。まず | |||
| 1.雅楽とは | |||
| 「雅楽」とは、元来は「俗楽」に対する言葉で、正統の音楽を意味します。中国や | |||
| 朝鮮にもある雅楽全く別のもので、日本古来の歌と舞、古代アジア大陸から伝来した | |||
| 器楽と舞が日本化したもので、ほぼ平安時代中期に今日の形に完成した、日本の最も | |||
| 古い古典音楽です。 | |||
| 2.雅楽の種類には3つあります。 | |||
| 1)国風歌舞(くにぶりうたまい) | |||
| これは日本古来の原始歌謡とこれに伴う舞に基づき平安時代に完成した歌と舞の | |||
| こと。 | |||
| 2)大陸系の楽舞(がくぶ) | |||
| {唐楽(とうがく)と高麗楽(こまがく)}のこと。 | |||
| これらは5世紀頃から9世紀までの約400年間に渡って朝鮮や中国などから伝来 | |||
| したアジア大陸諸国の音楽舞踏に基づき平安時代に完成した器楽と舞のことです。 | |||
| 3)歌物(うたもの) | |||
| {催馬楽(さいばら)と朗詠(ろうえい)}のこと。 | |||
| 大陸系の音楽の影響を受けて平安時代に作られ、唐楽器等の伴奏で歌われるよう | |||
| になった歌で、民謡を歌詞とする催馬楽と、漢詩を歌詞とする朗詠とがある。 | |||
| なお、宮中の歌会始の儀等で行われる、和歌を歌唱する{歌披講(うたのひこう | |||
| )}は、朗詠と同時代に完成した音楽の一分野だが、全く伴奏を用いることが無 | |||
| く、雅楽の中には入っていないとのことです。 | |||
管弦 |
3.演奏の形態 | ||
| 雅楽には、「管弦」「舞楽」「歌謡」の3つの形態が | |||
| あります。 | |||
| 当日演奏された曲目を簡単に解説します。 | |||
| 「管弦」から | |||
| 1)平調音取(ひょうじょうのねとり)=平調(現在の | |||
| 洋楽音階のEに近い音)を基準とした律旋(つせん) | |||
| の調子。笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、鞨鼓(かつこ)、主琵琶(おもびわ) | |||
| 、主箏(おもごと)が奏します。 | |||
| 2)三台塩急(さんだいのきゅう)=一名「天寿楽」ともいい、我が国には犬上是成 | |||
| (いぬがみのこれなり)が伝えたと云われている。 | |||
| 3)花上苑(はなじょうえん){歌謡の中の朗詠から}=平安時代(794年〜1192年) | |||
| に大陸系の音楽の影響のもと作られ、唐楽器(笙(しょう)・篳篥(ひちりき) | |||
| ・龍笛(りゅうてき))の伴奏で歌われるようになった声楽。 | |||
| 4)老君子=唐の時代に男子誕生の折に奏せられたといわれ、我が国では上皇の六十 | |||
| の御賀(おが)の時、退出音声(まかでおんじょう)として奏せられたことがあ | |||
| ったと伝えられています。 | |||
| 「舞楽」から | |||
| 1)散手(さんじゅ)=別名「散手破陣楽(さんじゅはじんらく)」といい、率川明 | |||
| 神(さいかわのみょうじん)が、新羅の軍を打ち破った時の姿を舞にしたと伝え | |||
| られています。 | |||
| 2)林歌(りんが)=52代嵯峨天皇(在位809年〜823年) |
舞楽 国風舞 |
||
| の御代に笛師の下春(しもはる)と云う人が作った | |||
| とされています。 | |||
| 以上ですが、少し加えると、散手は、一人舞で装束は、 | |||
| 裲襠装束(りょうとうしょうぞく)に面と甲を着け、太 | |||
| 刀を佩(は)き、鉾(ほこ)を持って舞い、林歌は、4 | |||
| 人で鼠の模様を刺繍した独特の装束を着て、この舞だけ | |||
| に用いる甲(かぶと)を被って舞います。 | |||
| 雅楽は、世界でも貴重な音楽文化財として認められており、日本の財産として大切 | |||
| にし、伝え、一般にも公開されている雅楽を楽しんで行けたらと思います。 おわり | |||
| 2013.11.20 | 青木 | 「第47回 神戸OB会」 開催地・神戸 参加者12名 | ![]() |
| 第47回 神戸OB会 | 横浜市 青木 聳 | |
| 第47回神戸会を久し振りに、平成25年10月26日(土)〜27日(日)に神戸市北区の | |||
| 「しあわせの村」(注1)の中にある「保養センターひよどり」に於いて開催致しま | |||
| した。 | |||
| 昨年那須での集まりの時、出席されていた会員より次回はぜひ神戸で集まりたいと | |||
| の要望があり今年は神戸で集まる事に致しました。 | |||
| 今迄不参加だった関西在住の会員も大勢参加される事を期待していましたが、体調 | |||
| をくずされた方、日程が重なった方等参加者が少なく残念でしたが当日は関東から8 | |||
| 名、関西から4名、計12名の懐かしい顔が揃い、18時より田中幹事の司会により昨年 | |||
| 末亡くなられた會田長様、今年亡くなられた高原秀行様の御冥福を祈り、黙祷を捧げ | |||
| た後、藤井幹事長の挨拶、北条会長代理の乾杯の音頭で賑やかに宴会が始まり、30年、 | |||
| 40年前に過ごした神戸時代を振り返り話に花が咲きました。宴たけなわになり順番に | |||
楽しい宴会(その1) |
楽しい宴会(その2) |
近況報告が始まったが声が | |
| 聞き取れないと離れていた | |||
| お膳を各自寄せ合い「これ | |||
| で良く聞こえる」ねと一同 | |||
| 爆笑しました。話はつきる | |||
| 事無く例年通り大広間より | |||
| 幹事部屋に場所を移し遅く | |||
| まで語り会いました。 | |||
| 【楽しい宴会(その1)】 左から時計まわり | |||
| 西田 金重さん(下関)、渡辺 剛朗さん(関東)、宮本 浩三さん(関東)、 | |||
| 林 邦昭さん(神戸)、田中 隆道さん(関東)、米田 久由さん(神戸)、 | |||
| 藤井 整之さん(関東)、森 佳代子さん(神戸)、山田 孝正さん(関東)、 | |||
| 桑原 茂雄さん(関東)、北条 平三さん(関東)。 (撮影 青木聳) | |||
| 翌朝は好天気に恵まれ、玄関前で記念写真を撮影し新鮮な山の空気を胸一杯に吸い、 | |||
| 先ず高台にある「神戸シルバーカレッジ」に案内した。東京計器退職後、西田さんと | |||
| 私が3年間学んだ母校で淡路島、明石海峡大橋が一望できる。また、私達がクラブと | |||
| して立ち上げ現在も20期生達に受け継がれている「ケナフ畑」(注2)を案内した後、 | |||
| 山を下って美しい日本庭園を散策し、10時半頃「しあわせの村」に別れを告げ三宮へ | |||
| 出てループバス(巡回バス)に乗車、震災後見事に復興し美しく変身した旧居留地 | |||
| (大丸、同和ビル、商船ビル等の地域)、中華街、海岸通りを経てメリケンパーク | |||
| (旧中突堤)で下車。よみがえった美しい神戸港に目を見はり乍ら、モザイクで昼食 | |||
| を取り13時再びループバスにて栄通りを通り三宮で下車、次の集まりを約束して解散。 | |||
| 夫々に新神戸、新大阪より帰路についた。 | |||
宿舎玄関前で (後列 桑原・藤井・渡辺・北条・田中・森 前列 青木・山田・林・西田) |
日本庭園で (桑原・山田・北条・青木・西田・林・森・ 田中) |
神戸港をバックに (森・藤井・渡辺・北条・青木・西田・山田・ 田中) |
| 「注1」 「しあわせの村」について | |||
| 三宮から車でわずか25分の場所にあり、205ヘクタールの広大な敷地内に高齢者、 | |||
| 障害者の自立を援助する福祉施設をはじめ、運動広場、芝生広場、キャンプ場など、 | |||
| 多種類の屋外スポーツ施設、レクリエーション施設、宿泊施設、温泉施設などが有り | |||
| ます。開村は平成元年で、運営は公益財団法人市民福祉振興協会が行っています。 | |||
| (しあわせの村ホームページより抜粋掲載です) | |||
| 「注2」 「ケナフ」について。 | |||
| 原産地はアフリカで、アオイ科フヨウ(英名:ハイビスカス)属の1年草で成長が | |||
| 早く二酸化炭素を一般の樹木の四倍以上吸収するため空気が浄化され地球温暖化にス | |||
| トップをかける環境保全植物として注目されています。 | |||
| 今回は藤井幹事長、田中・森両幹事の方々にお世話になりました。 | |||
| ( 文・森/写真・田中/纏め・青木) | |||
| 2013.11.11 | 清水 | 速水御舟が描いた美麗な蛾“むらさきしたば”を蓼科で採集できた喜び | ![]() |
| 速水御舟が描いた美麗な蛾“むらさきしたば” | ||
| を蓼科で採集できた喜び | 横浜市 清水 有道 | |
| 日本美術院の存続に安田靱彦、小林古径、前田青邨らと懸命に努力を重ねた関西日 | |||
| 本画壇の若き旗手として将来を嘱望されながら40歳の若さで夭折した画家、速水御舟 | |||
| (1894-1935年)の作品に日本の蛾を題材にした名画が二作残されています。 一つは | |||
| 1926(大正15)年に表された昆虫ニ題「粧蛾舞戯」(山種美術館蔵、Two Themes on | |||
| Insect’s life: Dancing Moths around the Light)、もう一つは重要文化財に指定 | |||
| されている「炎舞」[1925(大正14)年制作、山種美術館蔵]ですが、二つとも炎に | |||
| 群がる蛾の妖しさを描いたものとして古今の作品の中でもユニークな存在となってい | |||
| ます。 | |||
写真(1)速水御舟作「粧蛾舞戯」 |
<<写真(1)説明:速水御舟作「粧蛾舞戯」中央より | ||
| 少し右寄りの一番下に描かれているのが | |||
| “むらさきしたば”>> | |||
| 筆者は御舟の作品の解説を試みようとしているわけで | |||
| はありません。上記の一つ目に触れた「粧蛾舞戯」に描 | |||
| かれた蛾の中で画面の中央右下に描かれた美麗な蛾は、 | |||
| 蛾を集めている人なら垂涎の的となっており、夜間採集 | |||
| のときに万一、一頭でも捕えられれば、最高の収穫として喜ぶ貴重な蛾です。 | |||
| <<写真(2)説明:重要文化財に指定されている作品 |
写真(2)速水御舟作「炎舞」 |
||
| 「炎舞」>> | |||
| その蛾は、蛾の中で一番種類の多い“やが(夜蛾)科 | |||
| したばが(下翅蛾)亜科”の“むらさきしたば” | |||
| (Catocala fraxini jizoensis Matsumura)で、開張 | |||
| (翅を広げて前翅の両端からの長さ)が92〜102mm、 | |||
| 日本にいるCatocalaでは大きいものです。 | |||
| 特に後翅には美しい青白色の幅の広い帯があり見事な蛾で、滅多には捕えられない | |||
| と言われています。 筆者が今夏蓼科高原の標高1500mくらいのところに山荘を持って | |||
| いる友人を訪ね三泊した折、毎日ガラス窓をカーテンなしに夜遅くまで外から見通せ | |||
| るようにしていたところ、二日にわたってこの蛾二頭が現れ、採集することが出来た | |||
| のでした。 | |||
写真(3)採集した二頭の “むらさきしたば”の標本 |
“むらさきしたば”は寒地や山地に特有の蛾で、8-9 | ||
| 月ごろに現れますが、数が少ない貴重なものと聞かされ | |||
| ていただけに、初めて採集することが出来、標本にする | |||
| 機会に恵まれた喜びは言葉に表しようがありませんでし | |||
| た。 この蛾の命名者はMatsumuraとなっていますが、日 | |||
| 本昆虫学会の大御所故松村松年北大名誉教授です。 | |||
| 先生は1872(明治5)年兵庫県生まれで、1895(明治28) | |||
| 年に札幌農学校を卒業し、翌年助教授に任官され、ドイ | |||
| ツ、ハンガリー留学から帰った1898(明治35)年には同校に初めて開講された昆虫学講 | |||
| 座を担当、1934(昭和9)年に退官されるまで、昆虫の分類研究に献身されました。 | |||
| 日本昆虫学会会長も数回務められ、文化功労者にも選ばれました。60冊以上の著書 | |||
| を表し、我が国の昆虫学の普及に大きな功績を残されました。 | |||
| 筆者の今回の“むらさきしたば”との出会いもまた宿命的なものでした。何故なら、 | |||
| 筆者が蓼科でその蛾を採集したと時を同じくして、東京広尾の山種美術館で「速水御 | |||
| 舟――日本美術院の精鋭たち――」展が8月10日(土)〜10月14日(月・祝)まで開か | |||
| れており、9月12日(木)に会場に赴き、上記の二作品に何回目かの出会いを持った | |||
| のでした。 | |||
| 9月の7日(土)、8日(日)の両日に採集して持ち |
写真(4)“むらさきしたば”の標本 |
||
| 帰り、展翅板に張って標本を造った直後だっただけに御 | |||
| 舟の描く“むらさきしたば”が殊の外身近な存在となっ | |||
| て写ったのでした。 | |||
| 宿泊した山荘の三泊目の夜には“むらさきしたば”の | |||
| 他に“しろしたば”も一頭採集できましたので参考まで | |||
| に紹介しておきましょう 。 | |||
写真(5)一緒に採集できた “しろしたば”の標本 |
“しろしたば(Catocala nivea Butler)”も開張も | ||
| 個体の大きさも“むらさきしたば”とほとんど変わりま | |||
| せんが、前翅がやや白っぽいことと、後翅の帯模様が白 | |||
| 色であることで別種であることが容易に分かります。 | |||
| この蛾もCatocala属の中では大型で、美しいと思いま | |||
| す。筆者が持っている図鑑(「原色日本蛾類図鑑(下)」 | |||
| 江崎悌三ほか著、保育社刊)のCatocala属の部分の第1 | |||
| 頁に今回話題にしています“むらさきしたば”と“しろ | |||
| したば”が出ています。 | |||
写真(6)筆者が持っている 「原色日本蛾類図鑑(下)」の Catocala属の第1頁 |
|||
| 蛾と聞いた途端毛嫌いされる方が多いと思われますが、 | |||
| 蝶の何倍かの種類があり、中には絵描きにも美しいと思 | |||
| われている蛾のいることを心に留めていただければ幸い | |||
| です。 | |||
| 2013年9月27日 記 | |||
| 2013.10.27 | 清水 | 我が家のエノキにも話題の“アカボシゴマダラ”が育つ | ![]() |
| 我が家のエノキにも | ||
| 話題の“アカボシゴマダラ”が育つ!!! | 横浜市 清水 有道 | |
| 4,5日家族旅行で家を空けて戻ってみると、我が家の庭のエノキに明らかに京浜 | |||
| 地区での棲息が話題になっている“アカボシゴマダラ”(チョウ目タテハチョウ科の | |||
| 蝶)の幼虫が二頭育っているではないか。大感激で観察していると、うち一頭が8月 | |||
| 18日(日)に蛹化し、2日後の20日(火)に羽化した。間違いなく“アカボシゴマダ | |||
| ラ”そのものだった。残りの一頭はこの文章を認めている8月21日(水)現在まだ幼 | |||
| 虫(多分2〜3齢と思われる)の状態でエノキの葉を啄ばんでいる。8月29日朝この | |||
| 幼虫がいないことに気付いた。その後見つけられなかったので、てっきり鳥かイモリ | |||
| のエサになってしまったのであろうと思っていた。隠れて蛹化していて9月13日にこ | |||
| の二頭目も無事羽化し、飛び去ったのを偶然目にしたのだった。 | |||
| 幼虫は筆者が少年の頃盛んに飼育した国蝶“オオムラ |
羽化した蝶が出た後の蛹の殻 |
||
| サキ”や“ゴマダラチョウ”と近似種であるため、同じ | |||
| ような体形をしている。即ち、逆三角形を引き延ばした | |||
| ような格好で、頭部に枝分かれした突起状の物が前方上 | |||
| 向きに一対付いており、背筋に短い突起状の物が四つ付 | |||
| いていて、奇妙な姿である。 我が家の近くには下水を | |||
| 埋め込んで作られた緑道にはエノキが何本も育っている | |||
| が、その葉にはまだ“アカボシゴマダラ”の幼虫を見付 | |||
羽化して翅を伸ばしつつある アカボシゴマダラ |
けたことは無い。多分野鳥が多いので、見付けられてエ | ||
| サになってしまっているのだろう。我が家のエノキは大 | |||
| きな植木鉢の中に野鳥が種を運んできて育ったのであろ | |||
| う、まだ高さが40〜50cmの幼木であるが、それが逆に | |||
| 鳥に見つからずに生き延びることが出来ているのであろ | |||
| う。自然界の厳しい生存競争の中にあって、母蝶の知恵 | |||
| 比べを知る思いで、愉快であると同時に感心に堪えない | |||
| ところである。 | |||
| 今年は庭のクチナシの木を大きく刈り込んで円形に仕 |
標本にした一頭目のアカボシゴマダラ |
||
| 立ててみたところ、たくさんの花が付いて、とても良い | |||
| 芳香が漂った。この匂いに引き寄せられたのであろうか、 | |||
| たくさんのスズメガ科の“オオスカシバ”の幼虫があた | |||
| かも湧き出るように育って、ほとんどの葉を食い尽くし | |||
| てしまい、無残な枝だけが残骸として残された。透明な | |||
| 翅の大型の蜂に似たたくさんの成虫が誕生したことであ | |||
| ろう。昨年ホトトギスに育った“ルリタテハ”とスミレ | |||
| で育った“ツマグロヒョウモン”はほとんどを標本に作ってしまったので、今年は幼 | |||
| 虫を見ることは出来なかった。そこで育った母蝶が戻ってきて卵を産み付けなければ | |||
| なかなか他の新しい蝶が訪れてくれることを待っても期待できるかどうか難しい。 | |||
| 食草をどんなにたくさん立派に育てても、肝心の蝶が訪ねてくれて卵を産み落とし | |||
| てくれなければ飼育のチャンスも生まれない。根気のいる趣味である。(完) | |||
| 2013年9月20日 記 | |||
| (補足) 清水 有道さんの「蝶蛾」のご造詣の深さに、敬服します。 | |||
| “アカボシゴマダラ”については、筆者 2011. 9. 4 の投稿の | |||
| 「やっと標本に出来た南方系の蝶“アカボシゴマダラ”」、 | |||
| 更に、筆者 2012. 4. 8 の投稿の | |||
| 「野次馬根性で“ブータンシボリアゲハ”を見る」も併せてご覧下さい。 | |||
| 東京計器OB会HP担当 | |||
| 2013.10.13 | 清水 | ニセコアンヌプリ登山 | ![]() |
| ニセコアンヌプリ登山 | 横浜市 清水 有道 | |
| ニセコアンヌプリはアイヌ語で“絶壁に向かってある山”を意味するニセコ連峰の | |||
| 主峰である。この山はニセコ町と倶知安町に跨っており、位置としては尻別川を挟ん | |||
| で羊蹄山と向かい会い、世界的なスキー場のある山として有名である。ニセコ積丹小 | |||
| 樽海岸国定公園内にあり、日本300名山の一つである。倶知安町はスイスのサンモリッ | |||
| ツ市と姉妹都市となっており、倶知安町内の尻別川に架かる大橋には「サンモリッツ | |||
| 大橋」の名が冠せられている。 | |||
| 北海道も今年の夏は暑い日が続いていた。宿にした「ニセコワイス寶亭留」はニセ | |||
| コのなぜかヨーロッパ風の名のついたワイスホルン(1045.3m)の山麓、花園温泉に | |||
| ある。北海道の山のホテルのため、このホテルの部屋にも冷房設備は入っておらず、 | |||
| 午後になると西日を受けて凌ぎにくい感じであった。しかし、窓の正面に見えるニセ | |||
| コアンヌプリ(1308.2m)、右側からはイワオヌプリ(硫黄山、1116m)、左側遠方 | |||
ニセコアンヌプリ登山口入口で 娘夫婦と筆者 |
には羊蹄山(1898m)の雄姿も眺められ一番良い部屋を | ||
| 宛がわれた思いで大満足だった。 | |||
| 登山に予定した8月14日(水)当日は、窓から見えて | |||
| いたこれら名山はすべて深い雲霧に隠されて、山行の先 | |||
| 行きの容易でないことを暗示しているようであった。案 | |||
| の定、登山口となっている五色温泉のニセコ山の家(標 | |||
| 高750m)に着いた時には周囲は深い霧の中だった。 | |||
| 幸い未だ雨は落ちていなかったので、入山届を書き、10時10分に出発した。登山道は | |||
| 広くしっかり丸木で段を造った階段が続いていたが、すぐに岩のゴロゴロする山道と | |||
| なった。10分も歩くと、昆布温泉からくる登山道との合流点で、標高は850m。ここま | |||
| ではしっかり樹林が続いていたが、さすがは北海道の山と思ったのは、それらのほと | |||
| んどがナナカマドと白樺だったことだ。30分も登ったころ、右手に開けた見晴らしの | |||
| 良いところなのであろう、ケルンが積み上げられ、その下には北大のワンダーフォー | |||
| ゲル部の冬山登山時の遭難碑を示す金属板が埋め込まれていた。勿論霧の中で、全く | |||
| 視界は利かず、眼に入るものは足元の歩きにくい岩石と登山道両脇の木々のみである。 | |||
| 木もナナカマドにシャクナ |
ちょうど見ごろのノリウツギ |
満開のヤマハハコ |
|
| ゲやノリウツギが混じり、 | |||
| 白樺もいつの間にかダケカ | |||
| ンバに代わっていた。花は | |||
| ミヤマキンバイ、エゾフウ | |||
| ロ、ヤマハハコと数は少な | |||
| く、他にリンドウの一種が | |||
| 地に這うように袋状の濃い | |||
| 青紫色の花を並べていたのが目立ったくらいだった。 | |||
| 登山口からしきりに鳴いている透明な翅で、ミンミンゼミを一回り小さくしたエゾハ | |||
深い霧の中を進む孫娘と筆者 |
ルゼミが余生も少ないのか、背の低い木に弱弱しく、縋 | ||
| り付いているのがやっとという風情だった。手にして眺 | |||
| めてもほとんど抵抗する力も残っていないようであった。 | |||
| 次第に道の傾斜はきつくなり、樹林帯が切れて森林限 | |||
| 界かと間違うほど開けたかと思えば、また樹林に囲まれ | |||
| るという道をジグザグに折り返す。この辺りでハイマツ | |||
| が樹林の中に混ざり、徐々に樹林の高さが低くなってく | |||
| る。眺望があれば岩内の町や海も眼下に見える筈である | |||
| だけにちょっと残念である。 | |||
| 頂上まで1500mの地点で多分稜線に出たのであろう。全く眺望が利かないので、は | |||
| っきり見極められないが、遮るもののない吹きさらしの場で急に風雨が強くなり、約 | |||
| 40分前進することを控え、天候が好転するか様子を窺った。 | |||
頂上まであと1000mの指導標で 娘夫婦と筆者 |
ニセコアンヌプリ山頂 (1308.5m)にて |
雨が小やみになったのを見 | |
| 計らって、更に頂上に向か | |||
| うことに決め、本格的な登 | |||
| りに歩を進めた。頂上まで | |||
| 500mの地点でいよいよ最後 | |||
| の詰めを感じ、足を運べば、 | |||
| 目前に建造物が見えるよう | |||
| になり、頂上に着いた。 | |||
| 時は午後1時半、40分の天候待ちがあったとはいえ実に2時間35分もかかってしまった。 | |||
| 天候が悪いせいか、山頂には人影はなく、避難小屋に見るからに山好きを思わせる女 | |||
| 性が一人、その日はその小屋に泊まり、翌日麓の五色温泉に入って山歩きを続けると | |||
| かで、靴を脱ぎ、湯を沸かし、茶をすすりながらゆっくり本を読んでいた。われわれ | |||
| も風雨を避けて、小屋の中で遅い昼食をとり、また往路を戻った。 | |||
| 復路は雨に濡れた岩石が滑り、泥がむき出しの斜面も滑り、軽く足を運ぶ訳には行 | |||
| かず、またしても思わぬ時間が掛かった。時折激しい雨が襲い、進む足の運びを鈍ら | |||
| せる。結局、復路も1時間55分もかかってしまった。 | |||
| 晴れていればさぞかし面白い山登りが味わえたことだろうと改めて心残りの多い山 | |||
| 旅だった。 | |||
| <コースタイム> | |||
| ホテル(09:40)==(10:00)五色温泉ニセコ山の家(10:10)・・・(10:40)頂上まで1900m地 | |||
| 点(10:50)・・・(11:12)頂上まで1500m地点(強風雨のため好転を待ち退避)(12:00)・・・ | |||
| (13:15)頂上まで500m地点・・・(13:30)山頂(1308.2m、避難小屋で昼食休憩)(13:45)・・・ | |||
| (14:15)山頂まで500m地点・・・(14:35)山頂まで1000m地点・・・(15:00)山頂まで1500m地 | |||
| 点・・・(15:15)山頂まで2000m地点・・・(15:35)ニセコ山の家(15:40)==(16:00)ホテル | |||
| 2013年8月18日 記 | |||