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私は、映画大好き人間です。子供の頃観た「エノケンの西遊記」がきっかけで、今 |
でも年に60本は観てます。もちろん話題作中心ですが、感じたままに都内で一館でし |
か、上映してないような小作品まで気になれば出かけます。 |
映画館は、最近シネマコンプレックス(複合映画館)が盛んで、これにより映画人 |
口が増えたとも言われています。一つの館で5〜10種類の映画が上映されているので、 |
その場で2、3本まとめて観れて、好きな映画の選択も出来ます。 |
チケットもネットでOK。飲み物や、孫が喜ぶゲーム |
平和島シネマ・シャンシャイン内の売店 |
センターまでもが一つの建物内にあります。席もスタン |
ド方式(野球場方式)で前の人の座高が気になりません。 |
指定席方式で入れ替え制です。割引きシステムも豊富 |
で、二人のどちらかが50歳以上なら2,000円、60歳以上は |
一人1,000円です。まだまだ有ります、半券で、建物内の |
飲食が割引き、駐車場無料、ポイントがたまると映画一 |
本タダ!、効率が抜群に良いのです。それやこれやで、 |
退屈のない日々を送っています。 |
最近、日本映画が洋画を興行収入で越えた事が話題となりました。洋画のCG表現 |
(映像)に飽きたとか、いろいろ言われていますが、私は日本映画に魅力のある作品 |
が多く作られた故と感じています。 |
興行収入50億円以上の |
「LIMIT OF LOVE 海猿」のチラシ |
「男たちの YAMATO」のチラシ |
「LIMIT OF LOVE海猿」「有 |
頂天ホテル」「男たちのYA |
MATO」「日本沈没」等々、 |
どの映画も非常に魅力的な |
作品でした。 |
私は、映画に親しみ、その |
時々を、笑い、悲しみ、涙 |
して、希望に満ちた過ごし方で、これからも生きて行きたいと思っています。 |
「ALWAYS 三丁目の夕日」のチラシ |
最後に一言。一昨年公開された日本映画「ALWAYS 三丁 |
目の夕日」は、ご覧になりましたか?昭和33年の東京を |
舞台にした家族の物語です。私も映画館で非常に感動し、 |
そして当時を思い出し懐かしく涙しました。今年の11月 |
に続編が公開されるようです。今から、私も楽しみにし |
ていますが、皆さんも、お近くの映画館に足を運んでみ |
てはいかがでしょうか! そして、気になる映画を観て |
見ませんか!! |
新しい世界観がきっと生まれます。「一期一会」いや「一期一映」です! |
(注:3枚の写真は上映時、来館者へ配布された“チラシ”を写したものです。) |
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東京の小さな映画プロダクションが、11名の若手監督 |
出演映画の新聞紹介記事 |
に好きな歌謡曲を1曲選ばせて短編映画を作る、いわゆ |
る11話のオムニバス映画に出演しました。 |
題して「歌謡曲だよ人生は」。そのフィナーレ曲 「東 |
京ラプソディ」で、観光バスに乗って東京中を見物する |
客の中の老夫婦に扮してロケに参加しました。毎日の集 |
合時間が早く、朝6時半〜7時新宿で家から通えないの |
で新宿のホテル3泊となりました。 |
上映は5月のゴールデンウイークに、東京都内の小劇場との事で、東京以外の上映 |
シニアの夫役の稲垣さん |
は未定です。 |
撮影は4日連続ですが、1日の物語なので、衣装につ |
いては「同じ物」着用の注意がありました。1日目は別 |
の役もありましたので、色の違う上着、別フレームのメ |
ガネを持参しました。 |
その観光バスに乗るお客は、男女9人づつで、乗って |
いるバスの外部から(窓越し)の撮影、また、車内で楽 |
しく「東京ラプソディ」を歌うシーンは何度も繰り返さ |
れました。カメラ(レンズ)を見てはいけないので、何 |
観光バス車内の様子 |
処のシーンを撮ったのかが分からない。いつものことで |
すが、カットされる場合が多いので、レンズのフレーム |
の中に入るかどうかは、アテにならないと思います。 |
(昨年12月のNHKの「日本のこれから」の番組の時は、 |
ほとんどカットされた例もありましたから) |
この程度の出演でも、東京中のタレント会社(何百社 |
もあり)から500枚の顔写真を集め、100枚にしぼり、さ |
らに直接オーディション(面接)をして、2ヶ所で10人位づつ「合格」を決めたよう |
です。ギャラを戴くのも容易ではなく、結構「狭き門」なのですよ! |
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4月1日から新しいテレビチャンネル「ベネッセチャンネル局」が開設されました。 |
開局記念として【“楽しく学ぼう”編】と言う名の、いわばCMのようなもので、そ |
の中でダンスを楽しむシニアの役で出演しました。 |
出演者は、子供、若者、ファミリー、外国人とシニア(老人)、更に、犬・猫の |
ペットまでの出演でにぎやかなこと・・・・。 |
はじめに監督と衣装係が1人づつチェックし、次にメイクさん(男性3名)が順番 |
にドーラン化粧とヘアメイクをやってくれました。(今回は大変丁寧でした) |
我々シニア(男女各2名)は、社交ダンスと太極拳の組となり、監督と助監督とス |
ポンサーらしい人が我々4人をジロジロみながら決められた。私は幸いにもダンスの |
方でありました。 |
ダンスの先生が丁寧に指導してくださり、一緒に踊るパートナーは偶然にも、過去 |
に2度、夫婦役をやった女性だったので安心しました。誰もいない部屋で2人だけで |
何度かターンなどの練習をし、本番となり明るい舞台に立って、監督、スタッフの眼 |
の前で、リハーサルを繰り返し、本番撮影となって監督の“OK”の声が出た時は汗 |
びっしょり! |
ラストは全員が舞台に立ち、楽しそうに子供はKIDS、外人はENGLISH、ファミリー |
はFAMILY、我々シニアはSENIOR!!と大声で叫んで無事終了しました。 |
どこかのテレビから映像と元気な声が聞こえてくる筈です。 |
(注:3枚の写真は、日刊スポーツ新聞に紹介された記事を写したものです。) |
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畳の部屋にレールをひき電線を引き回し、集電用レールを磨き電気が良く流れるよ |
うにして薄く油を塗り、車輪全部を慎重に線路に載せ連結を確認、部屋を暗くする。 |
スイッチを入れて、ダイヤルを少しずつ回すと走り始める。ライトがスピードを上げ |
ると明るくなってくる。 |
パチパチと火花を散らしながら走り、しばらくすると部屋中に油の焼けるような臭 |
いが充満してくる。この匂いがたまらなく好きでした。 |
中学生の頃は、飽きもせずに毎日友達を集めて、「鉄 |
完成した蒸気機関車 |
道模型」で遊んでいた。貨車を作り荷物を載せ電圧を上 |
げっぱなしで運転したため、モーターが焼き切れ火災を |
起こして畳を焦がした。このため全部“没収・廃棄処分” |
となってしまった。 |
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三つ子の魂100までとか、免税店でメラクリンを見て、 |
「これだ!このサイズだ!」と妻への土産をやめ「鉄道 |
模型セット」を買ってしまった。「お子様が喜びますよ」とイントネーションの違う |
日本語で店員は言っていたが、“喜ぶのは私です!”とは流石に言えなかった。 |
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昔はOゲージ、大人になったらうんと小さいZゲージに変わっただけだ。Oゲージ |
ではトンネルと鉄橋を作ったが、大きすぎてしまう場所に困った。Zゲージはすべて |
小さいので、しまう場所に困らない反面、精巧に作ることが要求された。 |
一時期レイアウト制作に夢中になり、色々な情景を作っては壊しを繰り返していた。 |
制作当初は良いのだが、暫らくすると色が薄れたり汚れたりで飽きてしまう。 |
今は写真で情景を作り、四季折々、気分次第、簡単に変えて楽しむ事ができる。 |
鉄道・模型セット |
昔、名鉄百貨店にメラクリン売り場が有ったが今は無 |
い。免税店にも何時の間にか置かなくなってしまった。 |
時代と共に色々な物の状況変化がこんな世界まで押し寄 |
せているようだ。 |
電気機関車を組み立てたが、半田付けのコツがつかめ |
ず失敗してしまった。小さいだけにやけに難しかった。 |
未完成品を台車だけで走らせると不思議な光景に「い |
ける!」と目を輝かせた。 |
天賞堂製のD51やC62の模型を見るたびに、よく出来ているなー!、欲しいなー! |
と孫たちが喜ばない「鉄道模型」に目を細めている自分がより子供なのか! |
「蒸気機関車がモーターで動くなんて!」やはり嘘の世界でしょうか。 |
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「かたくり」の群生地 |
佐野は東京の真北70粁に位置します。東京から東北自 |
動車道を北上し最初に車窓の近くに見える山が、みかも |
山です。佐野工場の東約2粁です。3月に入る頃からは |
日毎に山肌の緑が濃くなり、春の近付きを知らせてくれ |
た山です。佐野の郷土史などには真っ先に、この名が出 |
てきます。西暦756年平城京時代に作られた「万葉集」 |
に、みかも山を詠んだ旅人の歌があるからです。 |
山の北端の北向き斜面に「かたくり」の群生地があり |
ます。昭和40年代後半の山草ブームで少し荒れましたが、 |
「かたくり」の花 |
その後、佐野市が遊歩道などを整備し、駐車場も作りま |
したので、佐野インターから近いこともあり、シーズン |
中は関東各地から遊覧バスや自家用車が集中し、佐野の |
一大名所になりました。花期は桜の咲く頃です。 |
貴重な白花の「かたくり」も見られましたが、今はど |
うでしょうか。 |
(写真:佐野市 石関賢一 会員提供) |
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「木彫りの狸」 |
「狸」に興味を持ったのが何時の頃かはっきりしませ |
んが、中学校の期末試験で机の上に、木彫りの「狸」を |
出しておいて先生に怒られたことを覚えています。 |
親父が大工をやっていたのでノミの手頃なのがあり、 |
彫刻の真似事をして遊んでいたので、見本に「狸」を選 |
んだのが始まりのようです。 |
集め始めは木彫りばかりで、木目の素晴しさと「狸」 |
の表情に見とれていました。 |
本物の「狸」を動物園で見て、イメージが余りにも違いすぎるので非常にガッカリし |
ました。木彫りや陶器製と違い、立っている「狸」は一匹も居ませんでした。 |
木彫りの「狸」の彫り方は、みな同じようなのですが |
「陶器製の狸」 |
堅い木の彫り物が少なく、神代杉のような柔らかい木が |
多かったせいか鼻がよく欠けました。それでも小さいも |
のから大きいものまで集めました。 |
木目の模様に取り付かれたようです。よく見ていると |
目が回りそうな模様が好きでした。 |
あるとき全部捨ててしまい、その数13匹というか13体 |
というか。 |
名古屋営業所勤務の時、信楽に行き、これぞ「狸の置物」の真髄とえらく感激しま |
した。「狸の置物」というと信楽焼きが標準になってしまうようですが、他と違い |
「我が家の狸・全狸集合」 |
「狸の置物」に年季が入っているようです。という訳で |
陶器製をまた集め出しました。 |
やたら重いのと置き場所がそんなにあるわけでは無い |
ことに気が付きました。庭や玄関先に置いておくと傘の |
紐が、雨風に打たれすぐに痛んでしまい困りました。靴 |
紐を使ってみたところ長持ちするので使用してみました |
が、写真を撮って見て、こいつはまずいと気が付きまし |
た。どこかで縄を見つけようと思っています。 |
日本人にとって「狸」は人気のある置物の一つだと思います。商店の入り口、家庭 |
の玄関先、何処に行ってもやたら目に付きます。 |
同じ格好の陶器製では面白くありませんから、違うものを見つけ玄関や庭に飾って |
置くと、何時の間にか居なくなります。これは素晴らしいというものに限って早く居 |
なくなりました。 |
「狸が化けたのでしょうか?」誰かが持って行ったなんて考えたくないので・・・ |
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菊洸会30周年オープニング |
お招き頂きました菊洸会(トキメックOBの小出さん |
主宰)の30周年記念演奏会を目の当たりにして、驚きと |
感動に包まれたひと時でした。 |
皆様、70歳を過ぎたと思われる老体?の中で、背筋が |
ピーンと張り、精力的に動き、津軽踊りをする様に圧倒 |
されました。 |
舞台の上で響き渡る三味線の音響の凄まじさに引き込 |
まれ、三味の音、笛や太鼓に合わせて踊る四拍子揃いの |
名芸にはただ驚くばかりで |
菊洸会メンバーによる津軽三味線の演奏 |
トキメック(東京計器)OBの揃い踏み |
した。更にゲストで出演さ |
れた若手歌手の民謡の歌声 |
もお見事でした。 |
お陰様で人の努力は年齢に |
関係なく、成長するものだ |
と言う勇気を与えて頂きま |
した。 |
お聞きする所によりますと、準備期間では会場の選定から応援の社中やゲストの参加 |
などを含めて大変だったようですが、そのご苦労を乗り越えた素晴らしい結果が得ら |
れたと自分のことのように嬉しくなりました。私のお誘いした友人達も大変感激し、 |
私も鼻高々でした。トキメックのOBにはこんな優れた人達がいることに誇りを感じた |
次第です。 |
これからも35周年、40周年記念を頑張って続けて頂きたいと願っております。 |
本当に有難うございました。 |
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ターミナル屋上にはかなりの人がいて、立派なカメラ・三脚でリュック姿のプロ顔 |
負けの人達、私のように“写真ド素人”丸出しのデジカメ年金組、携帯電話での若手 |
組等それぞれ思いのまま“パチパチ!” |
何回か身近で見ていますが、改めて世界に誇る豪華客船と改めて納得! |
“Q・E”は、イギリス船籍で70,327トン、全長293.5メートルこれは横浜ランドマー |
クタワー(296メートル)を横にしたのと、ほぼ同じ長さです。 |
今回の横浜港への入港は20回目で、1989年の横浜博覧会の時は、3ヶ月にわたり大 |
さん橋に停泊し、“海のホテル”として活躍しました。それもその筈、客員定員は |
1,791名です。今回の世界一周クルーズ(109日)は、お客さん約1,600名、乗組員は |
約1,000名で総計2,600名を乗せて、ニューヨークを1/8出発して4/27帰港だそうです。 |
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佐野工場の桜 |
この見事な桜、何処かご存じですか? トキメック |
佐野工場の桜です。工場建設の昭和43年頃は、周囲は畑 |
ばかりで人家もなく、工業団地は未完成で草茫々です。 |
冬になると猛烈な赤城颪が砂塵を巻き上げて吹き抜けま |
す。これでは機械が堪らぬと、急遽計画を変更して植樹 |
を増やし、裏の空き地には大量のクローバーの種を撒き、 |
会社創設の記念として、桜の苗木数十本を植えました。 |
その桜は40年近く、今は盛りと咲き誇り、旧50号バイパ |
スを走るドライバーの目を楽しませています。今年は暖冬です。おそらく3月下旬に |
は見頃を迎えると思います。 (写真 佐野市 石関賢一 会員提供) |