| 話 題 『 よもやま話 』 | 2011年8月〜2011年10月 | |
| 話 題 一 覧 |
| 2011.10.30 | 「スマートフォン使用体験記」 投稿;関根 眞 | ![]() |
| 2011.10.28 | もののあわれ考 投稿;清水 有道 | ![]() |
| 2011.10. 2 | 空腹の苦しさに負け獣と化す 投稿;小川 孝 | ![]() |
| 2011. 9.27 | おめでとう!「未来技術遺産」登録 投稿;小田 茂 | ![]() |
| 2011. 9.18 | “いたち川”川沿いを探索する(その3) 投稿;野村 一信 | ![]() |
| 2011. 9. 4 | やっと標本に出来た南方系の蝶“アカボシゴマダラ”投稿;清水 有道 | ![]() |
| 2011. 8.28 | 『季節の風物詩』の写真 会長 八木 宏 | ![]() |
| 2011. 8.14 | オオウバユリに出会えた登別温泉行 投稿;清水 有道 | ![]() |
| 2011. 8. 7 | “いたち川”川沿いを探索する(その2) 投稿;野村 一信 | ![]() |
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| 話 題 『 よもやま話 』 |
| 2011.10.30 | 関根 | 「スマートフォン使用体験記」 | ![]() |
| 「スマートフォン使用体験記」 | 横浜市 関根 眞 | |
| 長く愛用した携帯電話が2012年7月22日、電波が停波し使えなくなり、併せてお勧 | |||
| めの機種変更の「お知らせ」が、電話会社“K”より去年から、何度も、何度も、し | |||
| つこく郵送されていました。 | |||
| 2012年7月なら、まだ先の事、機種変更なる面倒なことは後回し、と思っていたら、 | |||
| バックライトが切れたのか、携帯電話の液晶画面が全く見えなくなり、どうにもこう | |||
| にも機種変更せざるを得なくなりました。 | |||
| 先の「お知らせ」には、今話題の「スマートフォン」も機種変更のお勧めとして、 | |||
| 載っており、「春モデル」の型落ち品と知りつつも、本年7月下旬、少し暇になった | |||
| ので、厄介な機種変更の手続きに着手しました。 | |||
| 更に大胆にも、会社の非常用携帯電話(電話会社“N”なのに、これも将来停波) | |||
| 、娘も停波予定でないけれど携帯電話を「スマートフォンにしてよ。」とのことで、 | |||
| なんだかんだ合計4台、一気に機種変更する羽目になりました。 4台中、1台は | |||
| 携帯電話から携帯電話の機種変更でした。 | |||
| スマートフォンと言えば、 |
携帯電話 |
スマートフォン |
|
| めざましい技術の進歩で色 | |||
| 々と話題が出ていますが、 | |||
| ウイルスによるセキュリテ | |||
| ィ問題が、現在大きくクロ | |||
| ーズアップされています。 | |||
| 本投稿は、このセキュリ | |||
| ティ問題は難しいので置い | |||
| といて、「これからスマートフォンに切り替えてみようかなぁ」と、思われる諸兄に、 | |||
| ご参考になればと、3ヶ月あまりの使用感を纏めたものです。 | |||
| 既にスマートフォンをお使いの諸兄もいらっしゃると思いますが、ここはあくまで | |||
| 私の主観です。 やっぱり携帯電話の方が、いいかも知れません。 | |||
| その理由として携帯電話は、 |
コラージュ「スマートフォン」 |
||
| 1.スマートフォンより小型であり、片手で操作し易 | |||
| い。 | |||
| 2.操作性が完成域に達しており、マニュアル無しで | |||
| も類推しながら扱える。 | |||
| 3.キーボードが独立しており、スマートフォンの液 | |||
| 晶タッチパネルより、入力が簡単、確実である。 | |||
| と、言うところです。 | |||
| 勿論「スマートフォン」にも良いところ(=悪いところ)は有ります。 | |||
| 1.携帯電話とどこが違うか、「スマートフォン」=「携帯多機能電話」と言われ | |||
| ています。 簡単に言えば、今までの携帯電話にミニ「パソコン」が内蔵さ | |||
| れています。 これが功を奏する場合もあり、仇ともなります。 | |||
| 2.液晶画面が大きい分、文字や画像も拡大、縮小できて、表示内容が充実してい | |||
| ます。しかし操作するには、両手が必要で、返って操作しにくい面もあります。 | |||
| 3.小職在職中は、色々な機器のマンマシンインターフェースのソフトウェアを手 | |||
| がけてきましたが、スマートフォンは、操作性がまだまだ発展途上と思います。 | |||
| たとえば、小型化したり、スライド式のキーボードを付けたり、音声認識機能 | |||
| を入れたり、携帯電話の操作性の良さに回帰し、季節毎に改善され、目まぐる | |||
| しく新モデルが発表されています。 | |||
| 以上、簡単にサマリしましたが、下記に「スマートフォン」の恨み辛みの「不具合」 | |||
| を詳細に纏めてみました。 しかし、実際に触ってみないと、下記の不具合内容は、 | |||
| お解りにくいかと思います。 | |||
| また、小生の「スマートフォン」のOSバージョンは、一寸古くて「Android 2.2.2」 | |||
| です。 最新のバージョン「Android 2.3」(秋モデルには、「Android 2.4」が搭載 | |||
| されるとか)と比べ、また「白い犬のお父さん」の電話会社の“A”社製「OS」で | |||
| は、下記の様な不具合は無いかも知れません。 | |||
| さらに、以下の不具合について、マニュアルを良く読むとか、電話会社に問い合わ | |||
| せをすれば、簡単に解決するかも知れませんので、一応お断りしておきます。 | |||
| 下記不具合では、「スマートフォン」を「スマフォ」でなく、何故か「スマホ」と | |||
| 略紀します。 | |||
| T.使い勝手 | |||
| 1.操作ロックを解除する画面が、充電池の消耗保護のため、短時間に画面が消灯 | |||
| します。この場合再度、操作ロックを解除する画面を表示しなければならない。 | |||
| しかも画面消灯までの時間設定が出来ない。 スマートフォンは、電池の消耗 | |||
| が携帯電話と比べて、格段に早い様です。 | |||
| 2.ホーム画面(パソコンのデスクトップ相当)が複数設定できるが、画面上の取 | |||
| り扱い、たとえば、ショートカットや、アプリの登録が複雑。 | |||
| 3.ホーム画面のタッチパネルキーの他に、3個のハードキー(メニュー、ホーム、 | |||
| バック)が付いているが、特にメニューキーを押してからの操作が標準化され | |||
| ていない。 | |||
| 4.ホーム画面のタッチパネルキーで、反応しなくても良いのに、一寸触れただけ | |||
| で、反応したり、早く反応して欲しいのに、何回タッチしても反応しないのも | |||
| 困る。 スマートフォンは、携帯電話+ミニ「パソコン」の機能を持つので、 | |||
| 要求する機能によって、処理時間がかかり、イライラすることが多い。 | |||
| 5.タッチパネルキーボードによるキー入力は、パソコンのキー配列と同じである | |||
| が、メール文書の、打ち込み等、指でタッチするには、太すぎて、なかなか上 | |||
| 手く入力出来ない。 | |||
| 指先でなく、「スタイラスペン」と言う尖ったスティックで、入力する事も出 | |||
| 来るが、煩わしい事は、変わりない。 | |||
| 6.スマホを縦、または横にすることで、表示が縦、横と追従して表示することが | |||
| 出来るが、横にしても、表示枠を越えたメールの表題などの文末が、表示され | |||
| ない。 | |||
| 7.インターネットWebの表示など、携帯電話と比べて、画面が大きく、拡大、 | |||
| 縮小が簡単に出来るのは良い。 しかしリンク画面のタッチが著しく難しい。 | |||
モデル1の1 |
モデル1の2 |
U.メール | |
| 1.新規メールを受信する | |||
| と「通知」領域に「新規 | |||
| 受信」のアイコンが表示 | |||
| される。 | |||
| ところが、新規メールを | |||
| 開いて内容を表示しても | |||
| 「新規受信」の表示が消 | |||
| えない。 携帯電話では、自動的に「新規受信」の表示が消えたが、このスマ | |||
| ホでは、通知領域の「新規受信」をタッチして消去操作しないと、なんと表示 | |||
| が消えない。 | |||
| 2.送受信メールの処理を、タッチパネルのキーと、バックキーで行うが、その | |||
| 操作が、やたらと複雑。 | |||
| 3.メールボックスを新しく作って、そのボックスにメールの振り分けをするが、 | |||
| その操作が、上記2.と同様やたらと複雑である。 | |||
| 携帯電話では、送信メールボックスと受信メールボックスを作ることが出来た | |||
| が、スマホでは、受信メールボックスしか作れない様だ。 | |||
| 4.多くの携帯電話では、「電話帳」として、電話番号、メールアドレス、その他 | |||
| 色々な情報が登録出来た。 スマホでも、「連絡先」として同じ機能がある。 | |||
| ところが「連絡先」で、ある人のメールアドレスを変更し、変更登録されたの | |||
| を確認した後、スマホで撮影した写真を選択し、添付ファイルとして送信すべ | |||
| く、宛先を「アドレス帳個人」から検索したら、変更前のメールアドレスしか | |||
| 表示されなかった。 これは、驚きであった。 | |||
| 5.メールの送受信や、インターネットWeb の接続には、「携帯電話回線」の他に | |||
| 自宅内や公衆「無線LAN」が使えるが、メール送受信に結構失敗することが多 | |||
| い。受信条件により「携帯電話回線」と「無線LAN」を自動的に使い分けてい | |||
| る様だが、どちらを使っているかは明示されず、送受信で一度「失敗」すると、 | |||
| いつまでもこの状態である。この場合は、スマホ自体の電源を切って、再投入 | |||
| すると、漸く復旧するが、時間が掛かってイライラすること、この上ない。 | |||
| (パソコンの再起動と同じである。) | |||
| 6.メール文書を作成して、送信キーを押すと、「直ちに送信」、「送信中止」が | |||
| 一瞬表示されるが、どちらか選択も出来ずに、即時、送信されてしまう。 | |||
| 7.受信メールの内容を表示させる時、添付ファイル無しと、添付ファイル付きで | |||
| は、後者の表示に相当な時間が掛かる(添付ファイルを同時に表示させないの | |||
| に)。 | |||
| と言う訳で、ここまで |
モデル2の1 |
モデル2の2 |
|
| お読み頂いた諸兄には、 | |||
| 「なぁーんだ、スマートフ | |||
| ォンって、ちっとも『スマ | |||
| ート』じゃないなぁー」と、 | |||
| 言う印象を持たれたと思い | |||
| ます。 不具合は、まだま | |||
| だ有ります。 | |||
| 当初、上記の不具合は、T.からX.迄の列挙でした。 | |||
| OB会ホームページ担当幹事に、この投稿の初版の意見を求めたところ、@.文章 | |||
| が長すぎる、A.イラストが無い、B.投稿の「表題を変更したらどうか」と指摘さ | |||
| れました。 | |||
| そこで、インターネットで、無料カット集のイラストを探し、最終的には、使用中 | |||
| のスマホの写真を見ようと検索していたら、別の色々なインターネットサイトに、愕 | |||
| 然としました。 | |||
| なんと、当該スマホの不具合の指摘や、上記とは、別の不具合による「恨み辛み」 | |||
| のサイトが続々と出てくるのです。 | |||
| 当該スマホを販売している電話会社“K”のみならず、電話会社“N”からも「お | |||
| 客様サポート」でソフトのバージョンアップを、当該製品以外のスマホを含めて公表 | |||
| していたのです。 | |||
| 実は、当該スマホは、“F”&“T”メーカーで製造し、全く同じ製品として、僅 | |||
| かに仕様が異なるが、電話会社“K”と“N”から販売されていたのです。 | |||
| しかも、電話会社“K”と“N”からそれぞれ販売された2台とも、操作があまり | |||
| かわらないだろうと言う理由で、機種変更してしまいました。 | |||
| 電話会社は、ユーザーが使用中の携帯電話の電波が将来停波し、使えなるから機種 | |||
| 変更して下さいと、今話題のスマホまで「お知らせ」に掲載していますが、そのスマ | |||
| ホは、「型落ち品」で、しかも不具合があった製品であることを隠し、在庫を掃くた | |||
| め販売しているのです。 | |||
| では、OSのバージョンアップをすれば、良いのかと言うと、パソコンで言えば、 | |||
| Windows Xp、から Vista、そして、Windows 7、と変遷しましたが、ハードウェアと | |||
| してのパソコンも性能がアップして実現している様に、古いスマートフォンにOS: | |||
| Android 2.3、2.4 をインストールする事は、出来ないと電話会社の説明でした。 | |||
| 理由は、OS以外のアプリケーションソフトをダウンロード出来るが、OSのバー | |||
| ジョンとの相性が有るとのことでした。 | |||
| しかし、スマートフォン自体のハードウェア性能との相性も有るのではないかと思 | |||
| います。 | |||
| と言う訳で、本投稿の初版で記載したT.からX.迄の不具合を、@.文章が長す | |||
| ぎる、との指摘でT.からU.迄としました(それでも長すぎました)。 | |||
| 結論は、スマートフォンは、まだまだ発展途上です。 | |||
| 従って、これからスマートフォンを始める方は、現時点での最新バージョンのOS | |||
| に含まれる不具合が有りましたら、受け入れる覚悟で使用されることをお勧めします。 | |||
| 2011.10.28 | 清水 | もののあわれ考 | ![]() |
| もののあわれ考 | 横浜市 清水 有道 | |
| 「そんなもの私はどうでもよいことです」とか、「だってそうなんだもの」、「そ | |||
| んなもったいぶったものはありませんよ」とか、「その |
“もの”“?” |
||
| ように褒めてもらえるようなものは何もありませんよ」 | |||
| とか、はたまた口喧嘩の果てに「ものの道理のわからん | |||
| 奴だ」などと日常幾たびとなく使われる“もの”とは一 | |||
| 体何なのでしょうか。筆者も日常茶飯の言葉として使い | |||
| 続けていますが、仕事でこの“もの”を例えば、英語に | |||
| 訳そうとすると、しっかり限定した名詞を使わないと文 | |||
| 章として相手に伝えることが出来ません。日本語特有の | |||
| 曖昧さに悩まされ、その都度文意を考えて“もの”に該当する言葉を選んで訳します | |||
| ので、とても何時でもこの“もの”に同じ単語を当てることは出来ないと思っていま | |||
| す。日本語では“もの”一つの単語ですが、多分他の言葉に訳すときには一つの単語 | |||
| では言い換えることは不可能だろうと思います。 | |||
| 筆者はこの日本語の曖昧さにも似た表現法を、日本語 |
『樹液そして果実』(集英社刊) |
||
| に特有のもので、だからといってこれを煎じ詰めて考え | |||
| ようと思ったことはありませんでした。ところが、文芸 | |||
| 評論家 丸谷 才一氏が最近の評論を纏めて一冊にされた | |||
| 『樹液そして果実』(集英社刊)を読み進めているとき、 | |||
| 日本の古典の名著を評論されている中に、丸谷氏も長年 | |||
| 不可思議に感じておられたこの“もの”について、言語 | |||
| 学者の大野 晋博士がタミル語を研究しているときに、 | |||
| “もの”の元になった単語の意味が、『掟』とか『理法』であることが分ったことを | |||
| 引用されて、その説明で丸谷氏自身も長く喉に痞えていたものがとれて急にすっきり | |||
| した感じがしたと書かれていました。 | |||
| そして、「『ものの道理』の分らん奴だ」の中の『ものの道理』は“もの”が掟、 | |||
| 理法であれば、重ね言葉になる、と説いておられます。理法というのは人間の力では | |||
| どうにも変えられない、動かせないものを指すので、何時別れが来るのか、どういう | |||
| 別れになるのかが決められない様に、四季が移り変わっていくことも人の力では如何 | |||
| にもならない、こういうことが“もの”であって、この“もの”の厳しい現実や運命 | |||
| (さだめ)をそのまま受け入れる心地、情趣を解することが“もののあわれ”なのだ | |||
| となる訳です。率直にそのことを認めるのが人間として立派なことと言っても良いか | |||
| もしれません。従って、“もののあわれ”を知るということは、人間の生き方の心得 | |||
| や嗜みを受動的に受け入れる自然な心地がなければならないということにもなるので | |||
| しょう。 | |||
| 筆者には従ってこの掟や理法を表す“もの”は、法律や規則で規制されたり、人間 | |||
| の行動の原点として引合いに出される儒教や仏教のいわゆる教えとも違い、個々人が | |||
| 自らあるがままの自然や人間との付き合いのあり方を、素直に受け入れる態度、心の | |||
| 豊かさを求められるのであろうと思うのです。 | |||
| このような基本的なことを文にしてみることも筆者には初めてのことのように思わ | |||
| れますが、“もののあわれ”を噛みしめるには今の世が余りにも違い過ぎて、噛み合 | |||
| わないようにさえ思えるために、書いてみる気になったのかもしれません。他人のこ | |||
| とや周囲の動きに気を取られねばならない余り、自分のスローでステディなものごと | |||
| の進め方や思考の純粋な展開が妨げられるようでは、人間としての出発点が違ってし | |||
| まっているとか、主客が逆転してしまっているように思えてなりません。更に一段と | |||
| 気を引き締めてことに当ることが要求されるのでしょうが、加齢に伴い軟弱になりか | |||
| ねない思考と両立させるのはそんなに簡単なことではなさそうです。もう十歳若かっ | |||
| たらとまたまた叶わぬ夢を追ってしまいました。 了 | |||
| (2011年10月24日記す) | |||
| 追記: | |||
| この拙文を物した翌日、上記丸谷 才一氏の文化勲章受章の記事が新聞に出ました。 | |||
文化勲章受章・丸谷才一さん(朝日新聞より) |
毎々特定のことや特定の人について文章を綴ると決まっ | ||
| て直ぐ後に、その事や人が新聞に載るという不思議な因 | |||
| 縁があります。余計ごとですが、筆者は同氏が今でも旧 | |||
| 仮名遣いで文章を書かれているのが、懐かしく、日本語 | |||
| の響きがはるかに良く思えるために何人かの同様な思い | |||
| で文章を書かれる作家や評論家の文章とともに愛読して | |||
| います。 | |||
| “い”と“ゐ”、“え”と“ゑ”、“お”と“を”は | |||
| 発音が微妙に違い、他国語の発音に非常に役に立つと思うのですが、どうして戦後妙 | |||
| な改悪をして折角元からあった美しい響きを無くしてしまったのでしょうか。 | |||
| 昔学校で習った「上のい、下のゐ」の言い方まで思い出し、一言付記しました。 | |||
| 2011.10. 2 | 小川 | 空腹の苦しさに負け獣と化す | ![]() |
| 空腹の苦しさに負け獣と化す | 桑名市 小川 孝 | |
| ひょんなことから、一泊二日で入院することになった。というのはS状結腸と大腸 | |||
| のポリープがいまだに残っていたからだ。 | |||
| 一年以上前に大腸内視鏡検査を受け、7か所のポリープ、4か所の憩室、1か所の | |||
| 痔を調べながら病理組織検査を行った。癌ではなかったが、大きな2か所は処置せず | |||
| に残った。大腸内視鏡はこれで4度目なのでベテランのはずだが、入院というのは抵 | |||
| 抗があった。 | |||
| 家で朝からムーベンなる水溶液2リットルを2時間かけて飲んで来るより、病院の | |||
| 方がいいのかなあ、と単純に考えていた。 | |||
| 8時30分に病院到着、受付を済ませ2階の病室に案内 |
患者さんには優しい看護士さん |
||
| された。病院のパジャマに着替え、持ち込んだ品々を並 | |||
| べたりしまったりしていると、担当の看護師さんが現れ | |||
| た。質問やら血圧測定をしてくれた。ちらちらと見たが、 | |||
| 美人で可愛いし若いしと三拍子揃っている。 | |||
| 大部屋は私が入って4人となり満室となった。まだ、 | |||
| 皆、寝たふりをしているのか静かだった。今までと違う | |||
| のは、入り口の名札に記入なしの人がいたことだった。 | |||
| ○○○○さんらしい。個人情報云々か知らないが、いざというとき困らないのかなあ | |||
| と考えていた。 | |||
| 「トイレに行ったら流す前に私を呼んでください」便の状態を見たいとのこと何回 | |||
| もやっているから、どうなるかぐらいは知っているよ。と言いたかったが、「はい」 | |||
| と好い返事をしておいた。最初のコップ一杯を飲み終えたころ、点滴のために左腕に | |||
| 針を刺され、ビニールパイプで点滴液の入った袋に連結された。点滴液は台車付なの | |||
| でどこへでも引きずっていけそうだ。 | |||
| 第一回目のトイレをもようしてきた。台車の車輪はガラガラとうるさく転がってい | |||
| た。油切れなのか 気になって仕方なかった。空いているトイレを見つけ台車を何と | |||
| か入れて、便器にやっとのことで座り用を足した。いつもの習慣で何のためらいもな | |||
| く水を流してしまった。部屋に戻ると朝食の匂いが満ちていた。 | |||
| 3時間ぐらいの間にガラガラ台車を引きずり限りなくトイレに通い流していた。 | |||
| 「次は教えてね」「はい」と好い返事を繰り返していた。家では、白い泡状の便まで | |||
| だったが、それを越すと透明になることを初めて知った。結局は一度も見せずじまい | |||
| にしてしまった。コンナもの見せたくないよ、こんなかわいい美人看護士さんに逆の | |||
| 立場だったらどうする。見たいかなあ?見たくないよ!便じゃなくて別のところなら | |||
| 見たいねえ〜 | |||
| 「足は毛深いですか」「少し」「ああ、これじゃ大変、毛を剃りますから準備しま | |||
| す」左足の太腿部分が10×30cm程きれいになった。なんかスウスウするみたいだっ | |||
| た。 | |||
車椅子に乗って手術室へ |
手術室までは車椅子に乗せられ点滴の台車と一緒に違 | ||
| う看護士さんが押してくれた。ベテランで健康そのもの | |||
| のような体つき、やたらに遅い動作のエレベーターに乗 | |||
| り1階についた。こんな時には人に会いたくないなあ〜 | |||
| と思った瞬間「おいどうした」の声「大腸の検査入院」 | |||
| と小声で答え、あとは沈黙を守っていた。 | |||
| 「この紙パンツをはいてください 穴のある方がおし | |||
| りです」マナイタの鯉よろしく、覚悟を決めて先生の御 | |||
| 出でましを待つ数分が異常に長かった。 | |||
| 「それではポリープ2か所の切除を行います」グニュグニュグニュという感じがし | |||
| たら内視鏡は入っていて、画面には中の様子が映っていた。やけに赤くてキレイナと | |||
| ころに1p大の白っぽいコブが見えた。はい0.5t、1tと水を注入、別の角度から | |||
| 1t、2tと注入、これを繰り返していくとコブが浮き上がってきた。そこへカウボ | |||
| ーイの投げ縄のようにコブの下をくるりと巻いて電気でピシャーン。画面がバチーン | |||
| と輝いた しばらくするとコブが転がって落ちていて血が噴出していた。 | |||
| どうやって取り出したのかコブがビンの中に入れられていた。 | |||
| もう一か所S状結腸はかなり難儀した。内視鏡の一部があちこちに当たるようで苦 | |||
| しいし、空気を送り込まれて腹はパンパンに膨れあがっていた。同じように水を注入、 | |||
| 投げ縄、通電、コロリで手術は終わった。腸に送り込んだ空気が抜けなくて暴飲暴食 | |||
| の苦しさより、もっと苦しくて仕方なかった。ブブブブブブー一大音響とともに肛門 | |||
| が裂けて飛んで行ったような痛さを感じた。 | |||
| 車椅子で再び病室に連れて行ってくれた。今度は普通の看護士さんだった。部屋の | |||
| 仕切りの中では面会の人の声が聞こえたが、何も話さずに病人らしくしていた。寝る | |||
| ような時間ではないが、ベッドに横たわっていると空腹だけが気になった。 | |||
| 「お茶の時間です」かわいい声に目を覚ました。お茶はOKなので貰って飲んだが | |||
| 空腹の足しにはならないし、やたらとトイレが近くなった。ガラガラ台車を引っ張り | |||
| ひたすら往復を繰り返していた。 | |||
| 「夕食です」「ああ、小川さんはありません」無情な |
夢にも出てきそうな海鮮丼 |
||
| 声が響き渡ってきた。空腹だ何か食いたい食器を引き取 | |||
| りに来るとき思い切って聞いてみた「食事はいつからで | |||
| すか」「小川さんの予定はまだありません」天が裂ける | |||
| ような非情な答えを聞いてしまった。 | |||
| トロトロとそばを食べている夢を見ながら寝ていると | |||
| 先生が来た。「ポリープは2個取りました。組織検査中 | |||
| 出血があったので大事を取って食事なしで様子を見ます。 | |||
| 点滴には十分な栄養と血液凝固剤が入っています」との説明。医者の立場はそうかも | |||
| しれないが、一泊二日なんてとんでもないのか?不安がよぎった。ポリープを取った | |||
| 後も出血が続き再度内視鏡で止血した。近所の飲み友達の話を思い出して不安を駆り | |||
| 立てていた。 | |||
| 夜は睡眠導入剤を貰わずにトロトロト寝ていたが、尿意に何回も起こされた。あち | |||
| こちでナースコールが鳴り、バタバタと人が動き、とてもじゃないが寝てられない。 | |||
| 夜の長さを身に染みて味わいながら、空腹に耐えていた。 | |||
| 「朝食です」「小川さんはなしです」知っているよ。ちぇ!腹減ったなあ〜その後 | |||
| 下血もなかったし早く帰って食べたいよう。時計を見ると11時何か食いたい何か食い | |||
| たいテレビを見ると食い物だらけ。 | |||
| しばらくすると婦長さんが「先生の許可が出ました昼食はOKです」入れ替わりに | |||
| 看護士さんが来て、点滴の針を外してくれた。やっと鎖から解放された囚人は、こん | |||
| な気持ちだったのではと考えていた。 | |||
家族団欒が一番 |
「昼食です」天使の美声がお腹に響き渡った。何だろ | ||
| う?冷麦だった。ぎやぁ!もっと旨いものを腹いっぱい | |||
| 食わせろと言いたかったが冷麦を一本一本タップリと汁 | |||
| につけ、つるつる、つるつると、スローモーションのコ | |||
| マ送りのように食べていた。 | |||
| 無事に手術が終わり退院できた。バンザイ!やっぱり | |||
| 我が家で食べる食事が最高に美味い。 | |||
| 世志子さんありがとう! | |||
| 2011. 9.27 | 小田 | おめでとう!「未来技術遺産」登録 | ![]() |
| おめでとう!「未来技術遺産」登録 | 事務局 小田 茂 | |
| 長野計器製作所梶@ 「金敷と金槌」「3本ローラー式ブルドン管成形機」 | |||
| OB会顧問の黒石守郎さんから、「未来技術遺産」に関する記事(9/22)の切り抜 | |||
| きを、HP掲載の参考資料と言うことで、メールで送っていただいた。 | |||
| 内容的に大変興味深いものであり、国立科学博物館のホームページ、「東京計器の | |||
| 100年史」を参考にまとめてみました。 | |||
| 「信州毎日新聞」の記事の概要は下記のとおりです。 | |||
| 長野計器の2点「未来技術遺産」 | |||
| 「金敷と金槌」「3本ローラー式ブルドン管成形機」 | |||
| 国立科学博物館(東京−上野)は23日、技術者の経験を次世代に引き継ぐ資料とな | |||
| る「重要科学技術資料」(愛称:未来技術遺産)に、新たに電気洗濯機やポケットべ | |||
| ルなど20件を選んだ。選定は2008年から始まり、登録件数は合計92件となる。 | |||
| 生活や社会、経済、文化の在り方に大きな影響を与えたり、失敗事例など教育的価 | |||
| 値を持つことなどが選定の基準。・・・・・県内では、圧力センサーなど製造の長野 | |||
| 計器(上田市)が所有する「金敷と金槌」と「3本ローラー式ブルドン管成形機」が | |||
| 選ばれた。 | |||
| 同社の創業者和田嘉衡さんさんは、1896(明治29)年、圧力計の内部に使うブルド | |||
| ン管を独自に作った。国産品としては初めてで、今回選ばれた金敷と金づちを使い、 | |||
| もう1点の成形機は1914(大正3)年、同社前身の和田計器製作所が日本で初めて、 | |||
| ブルドン管用として開発した。 | |||
| 国立科学博物館 ホームページから抜粋 | |||
| ★名称「ブルドン管圧力計の成形機」 ★型式(1)「金敷と金槌」(2)「3本 | |||
| ローラー式ブルドン管成形機」 ★所有者 長野計器株式会社 | |||
| ★(1)「金敷と金槌」 製作社:和田計器製作所 製作年:1896年 | |||
| <選定理由> | |||
| 和田嘉衡が国産第一号のブルドン管圧力計を作ったと |
金敷と金槌 |
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| きに使用した金敷と金槌である。ブルドン管(加えられ | |||
| た圧力の大きさに応じてわずかに変位する管)に関する | |||
| 情報が殆どない中、和田は戦艦や工場、さらに飾り職人、 | |||
| 鍛冶職人を訪ね歩いて情報を蒐集した。試行錯誤の連続 | |||
| で、中でもクリープ現象に悩まされた。和田は材料を金 | |||
| 槌で叩くことによって克服したが、打面の面積や打撃の | |||
| 強さを変えるなど、種々のことを試みた。こうして遂に | |||
| 国産第一号を完成させた。本資料は和田がこの間使用し続けた貴重なものである。 | |||
| ★(2)「3本ローラー式ブルドン管成形機」 |
3本ローラー式ブルドン管成形機 |
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| 製作社:株式会社 東京計器製作所 製作年:1914年 | |||
| <選定理由> | |||
| 和田が創立した和田計器製作所が、それまでの金敷と | |||
| 金槌を用いたブルドン管を機械装置で作れるようにした | |||
| ブルドン管成形機である。経験と勘による製作に、機械 | |||
| を導入することにより、製品の品質が安定するようにな | |||
| ったという点で、ブルドン管発展史の時代を画する資料 | |||
| である。 | |||
| “東京計器株式会社と長野計器株式会社”との関連:東京計器100年史から抜粋 | |||
| ★昭和16年(1941年)5月に工作機械を製造していた錦製作所を買収し、株式会社 | |||
| 東京計器製作所の工場とした。 | |||
| ★昭和23年(1948年)12月に株式会社東京計器製作所を解散し、新たに株式会社東 | |||
| 京計器製造所および株式会社長野計器製作所の二つの新会社を発足した。 | |||
| ★昭和42年(1967年)圧力計の製造、販売権を株式会社長野計器製作所へ譲渡した。 | |||
| ≪終わりに≫ | |||
| この原稿を作っている中で、改めてと東京計器の創設者である和田嘉衡初代社長の | |||
| 偉大さを痛感しました。二つの製品が「未来技術遺産」の登録されたことを、長野計 | |||
| 器製作所の皆様と共に喜びを分かち合いたいと思っています。 | |||
| また、会社は創立115年となりますが、このような歴史ある会社の一員であったこと | |||
| に誇りを持ち、感謝の気持ちで一杯です。 | |||
| 2011. 9.18 | 野村 | “いたち川”川沿いを探索する(その3) | ![]() |
| “いたち川”川沿いを探索する(その3) | 横浜市 野村 一信 | |
| 本郷小学校を少し下ると公田(くでん)交差点の出ます。上大岡方面からの鎌倉街 | |||
| 道が原宿六浦線と合流したところです。この辺に来ると川幅も広がり川らしくなって | |||
| います。今は鯉が川を占有して上流から下流に掛けてどの水面でも見ることができま | |||
| す。ここに「いたち川」に架かる天神橋があります。桂町という地名ですが天神橋バ | |||
| ス停がありこの辺り一番の町です。 |
天神橋バス停の彫刻像(誕生) |
||
| 地名にはいろいろと歴史がありますから調べるとどん | |||
| どんとはまるものですが、この天神橋のところには南側 | |||
| から洗井沢川という小さな川が合流しています。チョッ | |||
| と最近は中高年でリュックを担いだグループでよく歩い | |||
| ていますので、私も少し横道にそれて見ましょう。 | |||
| 「洗井沢川せせらぎ緑道」は奥がかなり深く道は狭く | |||
| 車が多いので歩く人は十分に安全を確保して歩かなけれ | |||
| ばいけません。途中に昔は天然の岩盤を防護ネット代わりにしたゴルフ練習場があり、 | |||
| ショート・コースなども併設されていて、ゴルフ・ブームの時は土・日はその付近は | |||
| チョッとサロン風で大変賑わったこともあったんですが、今は緑の森と霊園と介護施 | |||
| 設に取って変わり、すっかり付近の様子が変わってしまいました。 | |||
洗井沢川付近の庚申塚 |
市民菜園付近の極楽広場 |
市民菜園の眺め |
|
| 霊園を過ぎると市民菜園に到着します。極楽広場でベンチに腰掛けて一休みしてい | |||
| るとトンボが様子を見に来ました。“ゆっくりと休んでから行きなさい!この奥は急 | |||
| な坂道で滑りやすいよ!”なんて言ってくれているのか。トンボが目をくるくる回し | |||
| ています。トンボの忠告を聞きながら、洗沢川源流湿地帯を進むとすぐに急な山道を | |||
| 登ります。滑りやすいしあぶないな〜と思いながら杭につかまるとへびがいた!ワッ! | |||
| 吃驚しましたが、相手は悠々と杭の横を滑るように進みとぐろを巻く気配なしで消え | |||
| て行きました。1mぐらいでしたがまだ若そうな体形でした。(スリムな体形) | |||
| ここを登ると皆城山展望台があります。その展望台からは、山また山を開発して住 | |||
| 宅地になったこの地域が一望できます。勿論富士山が見えますが丹沢の山並みを眺め、 | |||
| 北の方には野庭の高層住宅街それよりも少し右には横浜市の中心街にあるランドマー | |||
| クタワーなど歴史を考えながらの眺望で一休みできます。 | |||
皆城山展望台 |
眺望説明板 |
皆城山展望台から北側の眺望 |
|
| また、もう少し奥に行きますと鎌倉パブリックの谷越えのショートホールの上に出 | |||
| ます。ゴルフをされる方はこのショートホールで、いい思い出と悪い思い出をお持ち | |||
| だと思います。ホール・イン・ワンがでそうになったり、バックスピン?がかかりす | |||
| ぎて谷底にボールが落ちてしまったりと心当たりの方もおられましょう。 | |||
| さて天神橋まで戻りましょう。天神橋のところには皇女御前社があります。今は住 | |||
| 宅地の隅を借りるように鳥居だけがちょこんとしていますが、なかなかの歴史です。 | |||
| ここで『栄区郷土史』を借用して皇女御前社の歴史を書いてみましょう。 | |||
| 『文禄元年(1592)2月の寒い日、旅の僧信永が、公田村に着いたときのことです。 | |||
| 「旅のお坊さま、こちらに来てください。」姿は見えないけれど、女の人の声がしま | |||
| した。声のする方に行くと、のぼりつめた丘の上に崩れかけた塚が3つ、ひっそりと | |||
| 並んでいました。信永がそこで長いお経を終えたとき、また声がしました。「ありが | |||
| とうございます。真ん中が主の照玉姫様です。お寂しいと思い、おたのみしました。」 | |||
| 女の人の話によると・・・ | |||
| 照玉姫さまというのは平安時代の桓武天皇の皇子、藤原親王の妃。この頃の朝廷は | |||
| 争いが絶えず、皇子は争いを避けて若く美しい照玉姫や数人の家来と旅に出たそうで | |||
| す。ところが姫が病気になって、公田の里に留まることになりました。治った照玉姫 | |||
| は優しくて偉ぶらず、都のお話をしてくれたり、珍しいものをわけてくれたりしたの | |||
| で、里のみんなにとても慕われました。 | |||
| でも天長元年(824)照玉姫は病気が再発して亡くなってしまいました。嘆き悲し | |||
| んだ里の人は塚を築いて供養しました。やがて侍女だった相模の局と大和の局も亡く | |||
| なり、それからも二人の塚は照玉姫をはさんで守っていました。信永を呼んだ声の主 | |||
| は相模の局か大和の局のどちらかだったのでしょう。この話しに心を打たれた信永は | |||
| 塚のそばに小さな社を建てました。それが皇女御前社の前身です。』 | |||
| (栄区郷土史より) 大変な歴史があったんですね。 | |||
皇女御前社 |
皇女御前社庚申塚 |
アラハバキ神の橋 |
|
| すぐ近くに面白い名前の神様を祭ってあるようですので、チョッと寄ってみましょ | |||
| う。その神様は、“アラハバキ神”というそうで関東でこの神様を祭るのは珍しいそ | |||
| うです。東北方面ではよく祭られているようです。「足、腰を守る神さま」だそうで | |||
| す。きっと先に書いた鉄を作る時に鍛治職人が祭ったんではないかといわれています。 | |||
| 本体の神さまは、横の道が藪で蚊の大群に守られていて写真は断念しました。 | |||
永林寺本堂 |
扁額(桂谷山) |
近くに永林寺があり曹洞 | |
| 宗のお寺です。本堂に桂谷 | |||
| 山という山号の額が掛けら | |||
| れています。昔はこの辺り | |||
| は桂(カエデの古名)の木 | |||
| が沢山あったそうです。 | |||
| ずいぶんと歩いたので疲れましたね。天神橋のお団子やさんで一休みするのも良い | |||
| ですよ。少し甘みを抑えてできている「くし団子・大福」などで英気を養い本郷台駅 | |||
| 方面に向かいましょう。 | |||
| 栄区役所の裏側を「いたち川」が流れていますが、そこに大いたち川・子いたち川 | |||
| の橋があります。子いたち川は、先に書きました瀬上の池という農耕用貯水池を源流 | |||
| にして流れてきた川が、ここで本流の「いたち川」に合流しています。すぐ前は県立 | |||
| 柏陽高校のグラウンドです。野球と軟式テニスの練習でいつも若い人の歓声が聞こえ | |||
| ます。 | |||
大いたち川モニュメント |
子いたち川モニュメント |
いたち川の中にある「いたち」の置物 |
|
| ここで再び「いたち川」の名前について書いてみましょう。「いたち川」に架かる | |||
| 城山橋の袂に「いたち川」の由来が書いた看板があります。それによると、 | |||
| 『いかにわが たちにしひより ちりのきて かぜだにねやを はらわざるらん』 | |||
| 徒然草の作者・兼好法師がいたち川のほとり宿駅から旅立つときに詠んだと伝えられ | |||
| ています。各節のはじめの文字を拾うと「いたちかは」になります。また、更級日記 | |||
| の作者である菅原孝標の女、親鸞、一遍なども、この川岸を通ったことが記述されて | |||
| おります。(写真の説明文) なかなか歴史のある「いたち川」です。 | |||
| この付近は、戦中、海軍 |
城山橋のいたち川説明 |
城山橋からのいたち川 |
|
| の燃料廠が置かれていて、 | |||
| 戦後はP]が置かれました。 | |||
| この地域が、このような歴 | |||
| 史を刻んでいたとは知りま | |||
| せんでした。 | |||
| 今は、この先に栄区のただ一つの駅本郷台駅があります。次回はこの本郷台駅付近 | |||
| からをレポートして見ましょう。 | |||
| (資料は全て栄区郷土史・いたち川散策マップなどから) | |||
| 2011. 9. 4 | 清水 | やっと標本に出来た南方系の蝶“アカボシゴマダラ” | ![]() |
| やっと標本に出来た南方系の蝶 | ||
| “アカボシゴマダラ” | 横浜市 清水 有道 | |
| 1995年ごろから神奈川県湘南地域を中心に、チョウ目タテハチョウ科に属する“ア | |||
| カボシゴマダラ”の棲息が蝶や昆虫の関係誌に次々と報じられ、2008年ごろから朝日 | |||
| 新聞、読売新聞等の紙面にも藤沢市、鎌倉市、横須賀市、二宮町などでの捕獲記録や | |||
| 生態写真が載せられるようになった。以来何時の日か筆者の住む横浜市港北区の日吉 | |||
| 地区にもこのアカボシゴマダラの姿が見られることと期待していた。しかし、残念な | |||
| がら昨年までは自分の目で確認することは出来なかった。それが今年に入って、近所 | |||
| を歩いているときに、高い樹木の上を悠然と飛んでいる模様はゴマダラチョウに似て | |||
| いるが、飛び方がもっとゆっくりしたまがいもなきアカボシゴマダラの個体を見る機 | |||
| 会がぐーんと増えてきた。 | |||
チョウ目タテハチョウ科に属する “アカボシゴマダラ” |
アカボシゴマダラは和名で、リンネが中国広東産の標 | ||
| 本で最初の命名をした原亜種は中国語で『紅星斑◇蝶』 | |||
| と言い、英名では“Circe”(ギリシャ神話の魔女キルケ | |||
| ーに因んで名付けられ、魅惑的な女とか妖婦型の美人を | |||
| 指す名刺が当てられている。多分成虫=蝶の状態になっ | |||
| たもの=が毒蝶のマダラチョウ類に擬態していることに | |||
| 起因していると思われる)とか、別に”Red Ring Skirt” | |||
| とか“Nymphalid Butterfly”と呼ばれることもあるよう | |||
| である。あらゆる蝶の中でも最も早く発見され、命名された種類の一つで、我が国で | |||
| は本来奄美大島と加計呂麻島に分布する亜種を除いて、本州に現れている中国原産亜 | |||
| 種は「要注意外来生物」に指定され、人工交配種の誕生を防ぐために、要観察中の蝶 | |||
| である。 | |||
| 学名では、中国、ヴェトナム、朝鮮半島に分布する原亜種は | |||
| “Hestina assimiles Linne”、 | |||
| 台湾の亜種は | |||
| ”Hestina assimiles formosana Moore”、 | |||
| そして我が国の奄美大島と加計呂麻島に分布する亜種は | |||
| “Hestina assimiles Linnaeus” | |||
| と3学名が区別されて登録されている。 | |||
| 筆者が今年の7月18日(海の日、月曜日)に我が家に隣接している遊歩緑道で見つ | |||
| けて採集したもの(添付写真参照)がこれらのどれに該当するのかはまだ調べていな | |||
| いので何とも言えない。常識的には我が国固有の亜種が温暖化によって北上し、我が | |||
| 家の近くにも乱舞するようになったものと解釈したいが、ひょっとすると中国、朝鮮 | |||
| 系の亜種が対馬を経由して飛来し、住み着いたのかも知 |
初めて標本として捕獲したアカボシゴマダラ |
||
| れない。しかし、実際にはそうではなく、中国の原亜種 | |||
| を直接日本に持ち込んで放蝶したものが日本のエノキ | |||
| (榎)で育ち、増え続けているらしい。いずれにせよ筆 | |||
| 者には鑑定しても、これらのいずれに属するものか同定 | |||
| することは出来ないので、学会に相談して判断してもら | |||
| うつもりである。それにしても対象個体数が1体ではは | |||
| っきりした証拠を導くには余りにも貧弱なので、注意し | |||
| て少なくとももう2〜3体くらいは捕獲したいと構えているところである。 | |||
| この蝶を捕まえたときの劇的な様子を是非ともお伝えしなければならない。近所に | |||
| 用足しに出かけるために玄関を出て、緑道に入らんとした時に正面から飛来したのが | |||
| このアカボシマダラだった。筆者にははっきり識別できた。てっきりそのまま飛び過 | |||
| ぎてゆくものと思っていたところ、敵も大入道に出会いびっくりしたものか、一瞬た | |||
| じろぎ、ふんわりと低潅木の葉の上に翅をたたんで止まったので、すぐさま後から手 | |||
| を近付け、指で翅を挟んで捕まえたのであった。全くの偶然で、高いところを悠々と | |||
| 飛ぶこの蝶をこんな具合に捕まえることはめったに出来ない経験だろうと思う。嬉し | |||
| さが込み上げてきて、100%童心に戻ったことを意識した瞬間だった。 | |||
| 幼虫がどういう生活をしているのか、筆者には全く知るところではないが、食草の | |||
| “クワノハエノキ”(別名“リュウキュウエノキ”)はニレ科の樹木で、本州の山口 | |||
| 県と九州以南に自生するのみで、本州の湘南地域にはない。国蝶のオオムラサキやゴ | |||
| マダラチョウの食草である普通のエノキやエゾエノキでは飼育がうまくいかなかった | |||
| という論文を大分前に専門学術誌で読んだ記憶がある。近年は初令からエノキで飼え | |||
| ば問題がないという実例が幾つも報告されている。また、自生するエノキで卵や幼虫 | |||
| を発見することもそう難しくはないとの好事家の報告も多い。 | |||
| 日本産の蝶の一生については大まかに言って卒業したつもりであったが、このとこ | |||
| ろ年々南方系の蝶が北上し、ホソオアゲハやオオモンシロチョウなどの北方系の蝶が | |||
| 南下してくるために幾つもの新種を相手に調べることが増え、暫くは筆者も趣味の時 | |||
| 間のアジェンダには事欠かないようである。 了 | |||
| 2011年8月13日 記 | |||
| <お断り>11行上の「中国語で『紅星斑◇蝶』」の「◇」について、投稿者様の原 | |||
| 稿では、「むしへん:虫」に「夾」の字体で表記(Unicode:86FA)されておりまし | |||
| た。OB会HP表示では、この文字は表示されませんので、「◇」で表記させて頂き | |||
| ました。あしからずご了承下さい。 東京計器OB会HP担当 | |||
| 2011. 8.28 | 八木 | 『季節の風物詩』の写真 | ![]() |
| 季節の風物詩の写真 | 会長 八木 宏 | |
| 皆さんはトップページの「季節の風物詩」を楽しんで頂いているでしょうか。 | |||
| 会員の有志が投稿した写真をスライドショーにしたもので、毎月10数名の方からさ | |||
| まざまな写真が寄せられています。 | |||
| 6年前このホームページが始まったころにシステムを開発していたSさんから投稿 | |||
| を依頼され、自然観察に興味を持ち始めていた私は草花の写真でも撮ろうかなと気軽 | |||
| に引き受けました。 | |||
| 写真の題材や内容に細かい規定があるわけではなく、その時期に撮ったものの中か | |||
| ら選べばよいのですが、平凡すぎないかとか昨年と同じとか他の人と重複するかなと | |||
| か悩むこともあります。でもそれも楽しい頭の体操です。 | |||
| これまで投稿したものを振り返りながら「季節の風物詩」に関わるよもやまを考え | |||
| てみました。 | |||
| 今月は何の写真にしよう | |||
| 月末が近づくと今月は何をテーマにどんな写真しようかと考えることになる。その | |||
| ころ近所や身の回りで見たもので良いのだが、前に投稿したものも参考になる。 | |||
| これまでにどんな投稿をしたのか調べることにしたが「季節の風物詩」は毎月限定 | |||
| で過去の記事を閲覧できない。 | |||
| パソコンやCDには写真が残していても、その中から「季節の風物詩」にどの写真 | |||
| を使ってどのようなコメントをつけたかは分からない。 | |||
| 初期のものはお手上げだったが、3年前からは投稿内容を月ごとのフォルダで整理 | |||
| しているので今回の記事の手助けにもなった。 | |||
1月 江ノ島と富士山 |
写真を用意するのは月末だが見ていただくのは月が明 | ||
| けてからなので少しずれが生じる。 | |||
| たとえば1月ならお正月風景を載せたいところだが、 | |||
| トップページは元旦にスタートするので間に合わない。 | |||
| それでも新年の気分を表したいと思う時に富士山という | |||
| のはありがたい山だ。 | |||
2月 梅 |
2月の代表的な行事は節分だが3日か4日なので2月 | ||
| のトップページに間に合わないし、かといって3月に載 | |||
| せたのでは時期遅れになってしまう。 | |||
| そこで雪や氷の風景か蝋梅、水仙、梅などの身近な花 | |||
| がテーマとなる。今年は村上の塩引き鮭など新潟と山形 | |||
| を旅行したときの風景を使った。 | |||
3月 ギンムクドリ |
冬は花が少ないかわりに冬鳥、水鳥がにぎやかになる。 | ||
| 3月の写真として色のきれいなルリビタキやパンダ模 | |||
| 様が面白い水鳥ミコアイサにも出演してもらった。 | |||
| 写真のギンムクドリは日本に渡ってくるのが珍しくて、 | |||
| 今年の冬に葛西臨海公園に現れて話題になったものだ。 | |||
| これまで取り上げていないけれど雛飾りも有力だ。 | |||
4月 タンポポ |
4月になるとお花見風景は季節の風物詩にピッタリ。 | ||
| また桜の花そのものの美しさも撮りたいものだ。ただ | |||
| 皆さんと重なるとの懸念もあって染井吉野ではなく寒緋 | |||
| 桜やマメザクラにしたり、タンポポなどの草花で春到来 | |||
| を表現することも多い。 | |||
5月 鯉のぼり |
春が進むと花の数も多くなるしチョウの姿も見られる。 | ||
| 4月から5月にかけて大型連休、昔の言いかたをすれ | |||
| ばゴールデンウイークで、孫や家族と旅行をしたり遊園 | |||
| 地での楽しいひとときを過ごすこともある。 | |||
| 中でも子供の日に向けた鯉のぼりは絵になりやすい。 | |||
6月 京急高架・国道 |
OB会の旅行は5月のことが多いので、その時の様子 | ||
| を6月のトップページに載せるのもタイムリーなことだ。 | |||
| しかし昨年はちょうど京急蒲田の高架工事の一部が完 | |||
| 成したので紹介することにした。 | |||
| 会社の周辺の風景が変わりゆくのも気になることだ。 | |||
| 7月になると新緑の初夏から梅雨に入って、アジサイ |
7月 イワタバコ |
||
| が季節を代表する花となる。新緑、雨、アジサイとお寺 | |||
| を組み合わせると良い写真になりそうだ。 | |||
| そういうのを探して歩いていると思いがけない花や光 | |||
| 景を見かけることもある。 | |||
| その例は3年前に鎌倉で初めて見たイワタバコだった。 | |||
| 8月には夏休み、海、山、花火、高校野球、暑さ対策 |
8月 ミソハギ |
||
| のグリーンカーテンなど話題がいっぱい。 | |||
| 新暦や旧暦のお盆にまつわることも多い。盆花とも呼 | |||
| ばれるミソハギは盆棚に添えられその花穂に水を含ませ | |||
| てお供え物に雫をかけて清める。 | |||
| 9月初旬はまだまだ暑いけれど赤トンボなどで少しず |
9月 ショウジョウトンボ |
||
| つ秋を感じる。 | |||
| ナツアカネ、アキアカネ、ミヤマアカネが稲穂や水辺 | |||
| の草に止まった所に近づいて撮りたくなる。 | |||
| 中でもショウジョウトンボは一番赤くなるように思う。 | |||
| 秋に田んぼで行われる稲刈りは日本の伝統的な風景だ。 |
10月 里山風景 |
||
| お彼岸ごろ畔道に咲くヒガンバナの赤い花も目を惹く。 | |||
| 他にも田んぼのまわりに可愛い花がたくさん見られる。 | |||
| 昔は10月というと運動会だったが、今は初夏のころに | |||
| 行われることも多いようだ。 | |||
| その季節を表す風景ばかりでなく、例年には見られな |
11月 カウパレード |
||
| い珍しいイベントやトピックも紹介するのも時にはいい。 | |||
| 2008年に東京・丸の内一帯で行われた「カウパレード」 | |||
| には、いろんな人が個性的にデザインしたカラフルな牛 | |||
| の模型73頭が飾られて面白かった。 | |||
| この時期は澄み切った青空を入れた風景も良いものだ。 | |||
| 12月の写真はまだ歳末風景が間に合わないので紅葉や |
12月 アキノウナギツカミ |
||
| 秋の旅行・ハイキングでの様子が多くなる。 | |||
| さまざまな木の実が熟したり、年によって初雪の便り | |||
| が聞かれるころかもしれない。 | |||
| この写真は3年前のもので、カエデの紅葉は投稿が多 | |||
| いかもと思い少しはずして、葉っぱが紅くなったアキノ | |||
| ウナギツカミというタデ科の草花を撮ったものにした。 | |||
| 皆さんも投稿してみませんか? | |||
| 日本には四季があり、気候とともに植物や生き物たちがさまざまな姿を見せてくれ | |||
| るのは美しくもあり、興味がつきない不思議なものでもあります。 | |||
| また季節と関わって続けられてきた伝統的な生活や風習は地方による独特なものも | |||
| 多いようですが、案外すぐ身近でも、見つけることができます。各地のお祭りのほか | |||
| アサガオ市、ダルマ市、ボロ市、朝市なども人気があります。 | |||
| 皆さんの中にもデジカメを持ち歩いてスナップを撮っている方も多いと思います。 | |||
| そんな中から「季節の風物詩」に投稿してみませんか。一応、毎月の初めに更新し | |||
| ていますが、いつからでもOKですし、3枚組でなく1枚でも構いません。 | |||
| 投稿者が増えることで季節の見かたが広がったり感じ方が深くなったりするにちが | |||
| いありません。 | |||
| みなさんが気軽に参加されるのを楽しみにしております。 | |||
| 2011. 8.14 | 清水 | オオウバユリに出会えた登別温泉行 | ![]() |
| オオウバユリに出会えた登別温泉行 | 横浜市 清水 有道 | |
| 現在筆者が従事している自動車用サスペンション機器の協働開発や開発提案を採用 | |||
| いただいている大手自動車メーカーが所属している日本自動車工業会および部品工業 | |||
| 会が、3.11東日本大震災で被害を受けた東京電力福島原子力発電所の発電ストップ | |||
| からもたらされた電力不足に対応するため、これら工業会に属する企業では消費電力 | |||
| 量が嵩む木・金曜日を休日にし、代りに土・日曜日を出勤日にする策がこの夏には行 | |||
| われています。 | |||
| 筆者はこの変則の出勤日交代の開始時期を狙って、愚妻を伴い6月28日(火)から | |||
| 3泊4日のフリースティで登別温泉に出掛けました。まだ梅雨明け前で、梅雨前線が | |||
| 日本列島を真横に横断して架かっていたときでしたので、天候は今ひとつ不安定でし | |||
| た。滞在中の一日レンタカーで登別の奥からクッタラ湖、オロフレ峠を経て洞爺湖、 | |||
| 壮瞥、室蘭、苫小牧とドライブをしました。そのときも山の中は深い霧に包まれ、山 | |||
| 並みも谷や渓谷、湖沼も眺望が利かず、あまり楽しめませんでした。 | |||
| その日クッタラ(倶多楽)湖畔の一軒だけあるレストハウスの駐車場脇で見たこと | |||
| のない、大きな葉の植物が、中央の芯が大きな花の蕾を上に伸ばそうとしているのを | |||
| 見付けたのです。早速帰宅後その写真を添えて、鎌倉市にある神奈川県立フラワーセ | |||
クッタラ湖畔のオオウバユリ1 |
ンター大船植物園に鑑定を依頼し、オオウバユリ | ||
| 〔Cardiocrinum cordatum Makino var. glehnii〕である | |||
| と教えてもらいました。 | |||
| 和名は漢字では「大姥百合」と書かれます。この植物 | |||
| はユリ科ウバユリ属ウバユリの変種の多年草で、関東地 | |||
| 方以西から四国、九州に分布するウバユリより大型で、 | |||
| 花の数も多いため変種として取り扱われ、オオウバユリ | |||
| と別に名が付いています。学名にはウバユリと区別する | |||
| ため命名者の牧野富太郎博士の名前が入っています。本 |
クッタラ湖畔のオオウバユリ2 |
||
| 州の中部以北、北海道に分布し、やや湿り気のある林の | |||
| 中や林の縁に自生するものだそうです。茎は伸びると1.5 | |||
| 〜2.0mくらいまでの高さになり、7〜8月の花期には10 | |||
| 〜20個の黄褐色の花を付けるようです。この鱗茎(いわ | |||
| ゆるユリ根)は澱粉を含み、アイヌはトウレプの名で食 | |||
| 用にしています。アイヌ民族が用いる植物質の食品の中 | |||
| では穀物以上に重要な位置を占めていると言われていま | |||
| す。 | |||
| ここまでなら、いつもの好奇心の弾みで、ちょっと変わった植物だと気付いて、写 | |||
| 真に撮ったものが、専門家によって同定されただけのことで、何も改めて文章にして | |||
| 残す程の事ではなかったのですが、どうも毎度偶然が重なるもので、2011年7月17日 | |||
| (日)の The Japan Times の10面に北海道に住み、東南アジアの野鳥や日本の野鳥観 | |||
| 察に関する著作で有名な世界的なナチュラリストであるマーク・ブラジル(Mark Braz | |||
| il)氏が日本人の緑に対する関心の高さ讃えつつ、これからの日本、地球に緑の保護 | |||
| が必要であることを約紙面半分を使って書かれているのに気付いたのです。それとい | |||
| うのも、その文章の中では、特にオオウバユリについて書かれていた訳ではなかった | |||
| のですが、紙面を飾る写真として夏期のオオウバユリの花と秋の実が階段状に上に伸 | |||
| びている植物全体が載せられていたのです。オオウバユリのご自身が撮られた写真が | |||
| 紹介されていました。 | |||
The Japan Timesの7月17日当該写真を合成 |
原文では“Pictures of lily: A towering Heartleaf | ||
| lily in woods near my home in autumn, and one in | |||
| flower in August.” | |||
| 拙訳するまでもありませんが、念のために記せば、「ユ | |||
| リの写真:秋に自宅の森で見たタワー状に実を付けたオ | |||
| オウバユリ(注:『ハート型の葉のユリ』直訳すればこ | |||
| うなりますが、これが英文の名称なのです)と8月に開い | |||
| たその花」となりましょうか。 | |||
| この説明文からオオウバユリは英文名では“Heartleaf lily”と呼ばれるのだとい | |||
| うことが分ったのですが、なるほど筆者が見付けたときにも、瞬間感じたことは葉が | |||
| ハート型をしていて、スミレ(菫)やアオイ(葵)のようだなと思ったことで、まさ | |||
| かユリ科の植物だとは思いも及びませんでした。 | |||
| それにしても、筆者が北海道でする行為には全くの偶然なのでしょうが、不思議な | |||
| ことが重なるのです。以前に阿寒湖近くのオンネトーの紅葉を絵にしたときの構図が、 | |||
| その作品を展示した個展が開かれる数日前に、朝日新聞紙上に著名な写真家が自分の | |||
| 一番好きな紅葉の名所としてこのオンネトーを挙げられ、作品として殆んど筆者の拙 | |||
| 作と違わぬ構図の紅葉の写真が掲載されていたことがあり、そのときにはそのことを | |||
| 展覧会場で新聞記事を示して、説明させてもらったことを今でも鮮やかに思い出せま | |||
| す。 | |||
| また今回は、大船植物園の担当者からオオウバユリである旨の同定の通知を受け取 | |||
| ったのが7月13日(水)で、4日後の新聞で上記の記事が特にその記事の内容とは関 | |||
| 係がないにも拘らず、写真としてオオウバユリが取り上げられて紹介されているとは、 | |||
| あまりにも偶然にしても何か一種の恐ろしささえ感じないわけにはゆきません。 | |||
| 了 | |||
| (2011年7月17日 記) | |||
| 2011. 8. 7 | 野村 | “いたち川”川沿いを探索する(その2) | ![]() |
| “いたち川”川沿いを探索する(その2) | 横浜市 野村 一信 | |
| 前回の光明寺から街道を少し下ると右側に「思金神社」(おもいかね)があります。 | |||
| 小さな山の中腹に急な階段を上ると朽ちかけた社殿があります。この神社の神様は | |||
| 「八意思金大神」(やごころおもいかねおおかみ)といわれ、この神様は、天照大神 | |||
| が天の岩戸にかくれたときに、作戦をたてて天照大神を岩戸から誘いだした、とても | |||
| 考え深い神様です。その神様を祭ったこの神社は、学問や商工、建築などの願いを叶 | |||
| えてくれる「知恵の神様」として地域では信仰されています。昭和51年(1976年)白 | |||
| 山神社拝殿の跡地に建てられました。 | |||
思金神社の急な参道 |
思金神社 |
この神社の付近は大昔 | |
| (縄文時代)は、海底であ | |||
| ったところのようで山の傾 | |||
| 斜地では貝の化石がよく見 | |||
| つかります。そうすると昔 | |||
| はこのあたりでも釣りがで | |||
| きたのかな。腰みのをつけ | |||
| て軽石のウキで縄文人が釣 | |||
| りをしている光景を思い浮かべてみるのも悪くないですね。 | |||
| 現在は「横浜の光果つる地の先」といわれる地区ですが、ここを山に沿って東に歩 | |||
| くと「瀬上の池」に到達します。この池は元農耕用の池でしたが今は釣りを楽しむ方 | |||
| が大半です。でも、せき止めてある部分は深さもあり子供たちには危険地帯です。土 | |||
| 手は滑りやすいし、人は少ないですから池には立ち入らないように注意の看板が掲げ | |||
| てあります。春から秋まではピクニックや池から流れ出る小川でザリガニを取ったり | |||
| 広場で野球をしたりで付近はかなり賑わいます。 | |||
里山風景1 |
手掘りの導水トンネル |
自然の岩の割れ目が水路になっている |
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瀬上の池広場 |
瀬上の池春の風景 |
里山風景2 |
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| 池から流れ出る水の水路はところどころに岩盤を潜り抜ける割れ目がありそこを通 | |||
| って流れる水路は子どもたちの遊び場です。狭く浅いのでザリガニや小さな魚が取れ | |||
| ます。我が家の子供も学校が終わったあとここで遊んでいたようで、時々泥だらけに | |||
| なって帰ってきていたようです。どこで遊んでいたかは親には内緒のようでしたが、 | |||
| 自宅の近くでそんな泥だらけになる遊び場はないのでばればれでしたが、子供たちに | |||
| とっては親に内緒の“秘密基地”でとても楽しかったようです。 | |||
深田製鐵所遺跡付近の現在 |
深田やぐらは個人の敷地内にあります |
瀬上の池の近くには、県 | |
| 立横浜栄高校(旧上郷高校) | |||
| があります。この付近は、 | |||
| 大昔に人が住んでいた跡が | |||
| 見つかり、猿田遺跡といわ | |||
| れています。近くには鉄を | |||
| 精錬した深田製鉄遺跡も見 | |||
| つかり、ここで“たたら” | |||
| を使って(砂鉄を熱して)鉄を造っていたんですね。きっと材料の砂鉄も近くから取 | |||
| れたんでしょうか。「深田やぐら」も近くにあり、大昔の人々がこの付近で生活をし | |||
| た様子を思い浮かべてみるのも楽しみです。 | |||
| 街道に戻ってみると、近くに證菩提寺という寺があります。境内の広さは約1km | |||
| 四方あったといわれています。現在の我が家はこの境内に含まれていたと思われます | |||
| が、もともとは山また山の大変な地域でした。住み始めてからは長い間正月の参拝を | |||
| 鎌倉八幡に行っていました。前号で書いた光明寺で除夜の鐘を撞き、新年には自宅か | |||
| ら歩いて約1時間超で南の山を越えると鎌倉八幡様でしたので混み合う街道を使わず | |||
| 歩いて新年を祝ったものでした。今はお正月には自動車では鎌倉に入ることができま | |||
| せん。 | |||
| この證菩提寺のいわれを資料から抜粋すると『源頼朝は石橋山の合戦で頼朝を守っ | |||
| て死んだ若武者・佐那田与一のため建久8年(1197)に證菩提寺をたてました。この | |||
| 場所は鎌倉の鬼門に当たるためといわれています。鬼門とは、東北の方角で昔から悪 | |||
| い鬼が出入りする方角と考えられていました。そこで災いなどを起こす鬼の出入りを | |||
| 防ぐため、お寺などを建てて大切な場所を守っていたところです。』 | |||
| (栄区郷土史より) | |||
證菩提寺山門 |
證菩提寺本堂 |
證菩提寺 |
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證菩提寺付近の扇橋風景 |
桂台からの水辺風景 |
證菩提寺付近のいたち川 |
|
| この地区の宅地造成で造られた證菩提寺の南側山は桂台団地として地域の中核住宅 | |||
| 地となり鎌倉八幡様を守っているわけではないんですが大変多くの方々が住んでいま | |||
| す。この宅地に桂山公園がありますがここには「はたおり地蔵」が祭られています。 | |||
| 昔に機を織っていたんでしょうか。珍しいお地蔵様です。 | |||
| いたち川の夏場は、この證菩提寺付近になるとご覧のように草が生い茂って凄い景 | |||
| 色になります。結構へび族が川辺を散歩していて危ないんです。あまり湿地の近くに | |||
| は行かないようにしています。へび族は苦手ですし危険なマムシも多いのです。私は | |||
| もっぱら川の土手沿いの遊歩道を歩いています。 | |||
| 遊歩道を少し歩くと本郷小学校の校庭に出ます。この小学校は地域では大変古くか | |||
| らの学校です。(小学校石碑には鎌倉郡本郷村立尋常* |
本郷小学校石碑 |
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| *と読めます)私がこちらの地域に移ってきたときには、 | |||
| 木造校舎でしたが校庭の広さに感激したものです。都会 | |||
| の小学校は運動場が小さく子供の数が増え続ける時代で | |||
| したから、こちらの校庭が素晴らしく広い校庭を持って | |||
| いたので鉄棒・上り棒・砂場・など昔からの校庭風景を | |||
| 見て吃驚したのと、ずいぶんと田舎に着たもんだ!など | |||
| と思ったのを覚えています。今も校庭は広いし当然プー | |||
| ルもありますが、校庭ではマーチング・バンドの練習などしていて迫力があります。 | |||
| 本郷小学校のところから、街道を北側に渡って小高い山に登ると本郷ふじやま公園 | |||
| があります。ここには地域の歴史が学べる施設が作られています。もともと「ふじや | |||
| ま」は地元では富士山と呼び親しまれていた山です。頂上には富士講の石碑もたてら | |||
| れています。昔は簡単には旅をすることができなかったのでここを富士山に見立てて | |||
| 成人のお祝いなどをして祈ったようです。この公園には鍛冶ヶ谷の名主を勤めた小岩 | |||
| 井家の古住宅が移築され保存し公開されています。大きな長屋門と母屋は式台つきの | |||
| ものです。大変格式のある建屋で、現在は学芸員が詰めていて親切に説明をしていた | |||
| だけます。式台から上がって下座敷には槍床があり、中座敷に入りそこから上座敷で | |||
| す。ここには違い棚と床の間があり、その床の間にはどういうわけか杯が浮き彫りさ | |||
| れています。(浮き彫りかはめ込んだのか定かではありませんが)客間壁が全てピン | |||
| ク色(説明によるとベンガラで着色している)昔(江戸時代末期)の人は建物にもい | |||
| ろいろな細工をして楽しんだんですね。この夏の暑さでも母屋に入ると風が吹き抜け | |||
| て涼しいです。 | |||
小岩井家長屋門 |
母屋全景 |
母屋を山の上から見た |
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ふじやま公園の富士講石碑 |
竹林の道 |
下から見た富士山(ふじさん) |
| 第2回“いたち川”川沿いを探索するは、この辺で終わり続きは第3回へ | |||
| 資料:栄区郷土史。栄区歴史散策マップ。 | |||