話 題 『 よもやま話 』-2 2006年10月〜2007年3月
 
          話  題  一  覧
2007. 3.13  御礼の言葉(演奏会を終えて)       投稿:小出一光
2007. 3. 1  コントラクト・ブリッジを始めてみませんか 投稿:野村一信
2007. 2.18  とちぎ歳時記“野焼き”          投稿:宮島俊文
2007. 2. 8  港ヨコハマ“豪華外国客船”の訪れ!    投稿:小田 茂
2006.12.30  マルM会の解散              投稿:野村一信
2006.12.29  大型バイクとツーリング          投稿:木戸雅史
2006.11.11  40周年を迎えた 『神戸会OB会』    投稿;青木 聳
2006.10.26  秋の「三渓園」へのご案内         投稿:小田 茂
2006.10.10  はじめて「テレビ番組」に出演して!    投稿;山田七郎
 

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          話  題  『 よもやま話 』
 
2007.03.13 小出  御礼の言葉(演奏会を終えて)
 
“トキメックOB会の皆様”へ 東京都 小出 一光
   (工藤 菊洸)
 
  “津軽三味線工藤流菊洸会:30周年演奏会”に関する御礼の言葉
 
 今回、私の主宰する“津軽三味線工藤流菊洸会:30周年演奏会”について、HP・
会報(新年号)送付時に案内チラシを同封して頂く(東京・神奈川在住の会員方々に)
等により、ご紹介戴き有難うございました。
 おかげさまで、昨日3月10日(土)大田区プラザ大ホールにて開催することが出来
ましたことを謹んでご報告申し上げます。
 会員の皆様、数々の応援を戴き本当に有難うございました。前日まで、お問い合わ
せ、ご声援など戴き、演奏会に向けて自信を深めて行くことが出来ました。
 
 一年の準備期間をおいての開催でしたが、会場・応援社中、プロのゲスト等々の選
定に、心身共に休まる日もなかったように思いました。緊張の連続で、心に描いてい
る良いイメージの構成などが、ガラガラと崩れ、不安シーンのみが先行する最近でし
た。しかし、何とか無事終りました!“案ずるよりは生むが易し”!!
 昨日の好天から、今日3月11日(日)は朝からの雨!!、しかし緊張の“タガ”が
外された私の身体は、最高の目覚めを迎えることが出来ました。感謝!感謝!です。
 
 皆様!応援有難うございました!。そして、今の心境は、心も・身体も・“スッキ
リ中毒症状”継続中!!なり。
 
 <事務局からのお知らせ>
 
 30周年記念演奏会を鑑賞された会員から、当日の様子を「記事」・「写真」で投稿
頂けるとの話が、事務局に寄せられています。近々ご紹介できると思います。
     < 乞う! ご期待!>
 
2007. 3. 1  コントラクト・ブリッジを始めてみませんか 投稿:野村一信
 
コントラクト・ブリッジを始めてみませんか 横浜市  野村 一信
 
 コントラクト・ブリッジといっても、ご存知の方もいれば、名前を聞いたことなら
あるという方、全く知らないという方など様々でしょうが、ご存知の方のほうが少な
いかもしれません。「セブン・ブリッジならやったことあるけど、同じようなものか
い?」と仰る方もいます。いえいえ、全く違います。 トランプ(ブリッジの世界で
は、カードといっています。“トランプ”と言う言葉を特殊な意味を持つ用語として
使っているので、区別しています。)を使ったゲームといった共通性しかありません。もっと奥の深いゲームです。
もっとずっと奥の深いゲームです。受け売りですが、サマセット・モームが「ブリッ
ジは、人間が考え出した最も楽しめる知的なゲームである」と言ったそうです。
 普段家庭や職場でやるブリッジ(ラバー・ブリッジ)なら、カードとテーブルさえ
あればいつでも簡単に遊べますので、私がトキメックの現役のころは、昼休みに楽し
んでいた人たちも結構いました。最近のトキメックの職場ではどうなんでしょうか。
ソニーや三菱重工、NECといった多くの企業では結構盛んだと聞いています。横浜
ブリッジ・センターでも金曜日の夜、社会人リーグと言う名前で、主に職場で作った
チーム同士で何回かの総当り戦で楽しんでいます。
 私がコントラクト・ブリッジを覚えたのは、航空機用レーダーの保守・点検をする
IRAN・チームに所属してレーダー・サイトに滞在していたときに、自衛隊の人た
ちに教えられたのが最初でした。麻雀と同じで4人揃わないと出来ないため最初は人
数あわせで入れられていたのですが、覚えるに従って面白くなり、会社に帰ってから
も同好の士と遊ぶようになりました。レーダー・サイトでは、ブリッジは盛んな遊び
でした。
 航空自衛隊だけでなく、海上自衛隊でもかなり盛んだそうです。横浜・大船ブリッ
ジ・センターに遊びに来る海上自衛隊出身の方に聞いたのですが、艦に乗ると勤務時
間以外は出掛けるところがないので、多くの隊員がブリッジを楽しんでいるそうです。
 コントラクト・ブリッジは日本では今までそれほど盛んでなかったのですが、外国
では日本の碁・将棋のようなもので、一般家庭で家族同士またはご近所の方と楽しむ
ようです。私は定年後時々、横浜・大船ブリッジセンターに出掛けて楽しんでいます。
トキメック出身の人では、岸晋一さん、伏田邦男さん、坂田大介さん、長田一臣夫人、
それに我が女房殿もプレーを楽しんでいます。私は伏田さんとは時々パートナーとし
て、一緒にプレーをしております。
カード(トランプ)
カード(トランプ)
 ブリッジセンターでは昼間のゲームが主体なので、子
育てから手が離れた中高年女性が多かったということだ
と思いますが、最近は定年後の男性も時間が出来たとい
うことで、だんだん増えてきました。先日も日本経済新
聞(1/11付け夕刊)に大きく紙面の半分ほどを使って、
「コントラクト・ブリッジがシニア層の間で人気が高ま
ってきている。」との記事が出ていましたし、同じく先
月のNHKのTVでもコントラクト・ブリッジが人気の
ゲームになってきているとの趣旨のことが取り上げられていました。頭を使うゲーム
ということでボケ防止にもよいとか、社交性のゲームということで定年後の新しい友
達を増やすにもよいとかいった理由もあるのでしょうか。
 昨年11月に、ハワイでノースアメリカン・チャンピオンシップというコントラク
ト・ブリッジの大きな大会があったんですが、そこに参加した伏田さんの話では、日
本から200人が参加し、全体では2000人規模の大会だったということです。
日本でも盛んになってきたし世界でも人気のゲームであるということが、うかがえる
ような気がします。
 私も愛好者として、このようにブリッジ・ゲームが盛んになっていくことは嬉しい
限りです。以前職場でやっていたが、定年で途絶えてしまった方、今までやったこと
は無いが、時間があるしボケ防止や友達を増やすために始めてみたいと思う方いませ
んか。手ほどきから教えてくれる無料の体験教室の企画もあります。夫婦で習い始め
ブリッジ教室卒業生大会のゲーム1
ブリッジ教室卒業生大会のゲーム1
た方達もいるようです。
 まだやったことは無くても、いずれ会社を離れたとき
に備えて趣味としてはじめてみたいという現役の方のた
めに、夜間の体験教室の企画もあります。体験教室で興
味を持った方のための入門コースも用意されています。
 営利企業が“趣味の教室”としてコントラクト・ブリ
ッジを教えているところもありますが、横浜・大船ブリ
ッジ・センターではコントラクト・ブリッジの普及・教
 
育活動を目的の一つとしているNPO法人ですので、同じ ブリッジ教室卒業生大会のゲーム2
ブリッジ教室卒業生大会のゲーム2
習うなら“趣味の教室”でなくこういう所にすることをお
勧めします。費用も安くて済みますし教え方も全く違って
初めての人が面白く遊びながら覚えられるミニ・ブリッジ
というオランダで開発された新しい手法を使っているそう
です。
 あなたもブリッジを始めたんだ!とブリッジセンターで
OB同士ばったり顔を合わせて驚くような日が来ることを
期待して書いてみました。興味をお持ちの方は小生にお問い合わせください。
 参考までに横浜・大船ブリッジ・センターの電話番号も記載します。
 
 横浜ブリッジ・センター(045−316−1193)横浜駅西口徒歩7分
 大船ブリッジ・センター(0467−48−2286)大船駅北口徒歩1分
 
2007. 2.18  とちぎ歳時記“野焼き”          投稿:宮島俊文
 
とちぎ歳時記“野焼き” 那須塩原市 宮島俊文
 
 2月11日、那須塩原市西那須野地区で、一斉に“野焼き”が行われました。郊外の
田園地区に行くと、あちらこちらから煙が上がっていました。春から始まる農作業の
準備として、田畑の畦、土手、農道の枯草を焼く農作業の一つです。
 
 昭和30年代と今の農作業は全く違いますが、唯一、現 矢板“野焼きの風景”
矢板“野焼きの風景”
在も農家が地域で協力して作業するのが“野焼き”です
が、現在、農家を背負っているのは、戦後生まれのサラ
リーマン世代となり“野焼き”も時代とともに変わって
きたようです。
 以前は、地域で協力して、自他所有の区別なく地域全
体の田畑の枯草を一斉に焼く共同作業でしたが、今は、
日時だけを決め自分の田畑の畦だけのようです。
 
 自分の家の田畑が、隣の田畑より立派に育てようとする農家文化は今も残っている
ようで、畦に背丈の長い枯草は余り無いので、炎が激しく燃えあがることなく、写真
を撮るのに苦労いたしました。
 “野焼き”は農作物の害虫を駆除し、作物によりよい環境を整える大事な作業です。
でも越冬しているのは害虫ばかりでなく、蜘蛛のような益虫もいます。
 子供の頃祖母に、蜘蛛は殺してはいけないと言われていました。理由は、もし地獄
に落ちたとき、糸を垂らして助けてくれるからといった、そう思った時期もありまし
た。今、思えば蜘蛛は作物に寄生している虫などを餌にしているというのが理由の一
つかも知れません。
 しかし、彼等には“野焼き”は大変な出来ごとであります。天敵のカマキリやコオ
ロギから身を守るDNAは先祖から受けついでいると思われますが、炎を感知しいち
早く逃げるDNAは持っていないと思いますので、蜘蛛にはとんでもない災難です。
 
 “野焼き”を見て思ったのは笑顔のかわいい祖母の思い出と渡良瀬遊水地、秋芳台、
阿蘇などの春先に行う“芝焼き”は長い間、同じ環境が保たれ動植物が生存できる自
然環境が保たれているのだと思いました。
 
2007. 2. 8 小田  港ヨコハマ“豪華外国客船”の訪れ!   投稿:小田 茂
 
港ヨコハマ“豪華外国客船”の訪れ! 横浜市 小田 茂
 
   早春に誘われて、港ヨコハマを満喫してみては如何ですか!
 
 私の地元、横浜市中区にある「横浜港大さん橋ふ頭・ 大さん橋ふ頭停泊中の豪華外国客船
大さん橋ふ頭停泊中の豪華外国客船
国際船ターミナル」には、この2月・3月は春の訪れを
待ちかねるように、外国客船が集中的に寄港いたします。
 今年は暖冬で外出もしやすいので、カメラ片手に“港
ヨコハマ”を満喫していただき、撮られた写真、体験記、
感想などを気軽にホームページに投稿いただければと、
一石二鳥・三鳥?を期待してご紹介する次第であります。
 
 
    横浜港豪華外国客船の『入港・出港日程(予定)』と『寄港船紹介』
 
●2月10日(土) 7:30〜10日(土)14:00 “トパーズ”(パナマ船籍) 
   31,500トン、全長195m、全幅27m、定員1,487名 チョット形の変わった客船。
●2月23日(金)20:30〜25日(日)12:00 “トパーズ”   同上
●2月25日(日) 8:00〜28日(水)20:00 “プリンセス ダナエ”(ポルトガル)
   16,531トン、全長162.3m、全幅21.34m、定員559名、古きよき時代の雰囲気有。
 
●3月5日(月) 8:00〜6日(火)19:00 “アマデア”(パナマ船籍)
   28,856トン、全長192.8m、全幅27.7m、定員594名、 昨年、「飛鳥」から「ア
         マデア」に生まれ変わった。1年振りの入港。
●3月6日(火) 7:00〜 6日(火)17:00 “クイーン・エリザベス2”(イギリス)
   70,327トン、全長293m、全幅32m、定員1,791名、イギリスが世界に誇る客船で、
         最も知名度の高い外国客船。今年も世界一周クルーの途上横浜に
         寄港。次は香港。
●3月20日(火) 8:00〜21日(水)11:00 “オーロラ”(イギリス船籍)
   76,152トン、全長270m、全幅32.2m、定員1,874名、アン王女命名の大型客船。
         4年ぶりに3回目の寄港。
 
MM21日本丸の夜景
MM21日本丸の夜景
 因みに、日本船籍の寄港客船を簡単に紹介しますと、
▲“飛鳥U”         50,142トン、定員800名
▲“ぱしふいっく びいなす” 26,518トン、定員696名
▲“ふじ丸”    23,235トン、定員600名
▲“にっぽん丸”   21,903トン、定員532名
山下公園に係留中で、現在営業休止、来年春、リニュ
ーアルオープン予定の
▲“氷川丸”         12,000トン、定員331名
 
    地元の私が“自信をもって?”お薦めする『散策コース』!
 
 @『JR桜木町駅下車』、改札口から出て左側の広場に出ると、左前方に「ランド
マークタワー」(日本一の超高層ビル:70階、296m)を横目に見上げながら、正面に
見える「大観覧車」に向かって進む。信号を渡って歩道を進む。
 A左前方にかって“太平洋の白鳥”呼ばれていた「帆船・日本丸」(昭和5年建造、
会社が小石川から蒲田へ移転した年)を見ながら歩くと「汽車道」の入口に到着。
明治44年に開通した臨海鉄道の一部を海を渡る遊歩道にしたものである。左前方に、
「大観覧車」(高さ112.5m、480人乗りの世界最大級)、「ワールド ポータース」(
豊富な品揃い)を眺めながら進み、凱旋門似の「ナビオス横浜」の下をくぐり抜ける
と、正面に「赤レンガ倉庫」が見えてくる。(「赤レンガ倉庫」入口までゆっくり歩
いて、桜木町駅から約20分)
 
MM21コスモワールドの大観覧車
MM21コスモワールドの大観覧車
赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫
ベイブリッジに向かうディナークルーズ船
ベイブリッジに向かうディナークルーズ船
 
 B『赤レンガ倉庫』(明治44年から大正2年にかけて、二つの建物が竣工、平成14
年に甦る)の出口からすぐ「開港の道」(山下公園まで続く遊歩道)に入る。左前方
に「ベイブリッジ」・「大さん橋ふ頭」が視界に入ってくる。途中右側に「階段」が
あり、これを降りる。地上の歩道を進むと左側に、懐かしいサービス部の横浜出張所
が入居していた「海員液済会ビル」(現:横浜大桟橋診療所)の前を通り過ぎると、
「大さん橋ふ頭」入口に到達。(Bの「赤レンガ倉庫」出口から歩いて12〜3分)
 
 C『大さん橋ふ頭』国際船ターミナルは、ウッドデッキと芝生の広場がある屋上か
らの、360度の眺めはまさに絶景!東にベイブリッジ、氷川丸、マリンタワーと後を
振り向けば、完成したばかりの日本一のっぽな「風力発電」(高さ118m)、赤レンガ
倉庫、みなとみらいのビル、運がよければビルの合間に富士山が顔をだしているのが
見られる。夜景もまた大変素晴らしい。 大桟橋から見るランドマークタワー
大桟橋から見るランドマークタワー
 この絶景の中に、豪華外国客船が停泊している光景は 
まさに“平和”そのもので幸せ感が溢れでるのでは!。
 ロビーではゆっくり椅子に座っての飲食もできますが
外国客船寄航時は、大勢の人出でどうでしょうか?
 乗船客は寄港と同時に、それぞれ見物したいバスに乗
り込み、東京方面(皇居・浅草・・)、横浜市内、鎌倉方
面へと観光に出発、老夫婦の姿が目立つ。
 
 D『山下公園』は、関東大震災の瓦礫を運んできて埋め立てた日本初の臨海公園で
ある。オープンは、これまた会社が小石川から蒲田に移った昭和5年である。
 
山下公園から見た豪華外国客船
山下公園から見た豪華外国客船
 「山下公園」は、「大さん橋ふ頭」に隣接している。
(歩いて5分)、公園に入ると正面に、昭和14年に在日
インド商人から寄贈された「インド水塔」、海辺を歩い
て少し行くと右側に「赤い靴はいていた女の子」の像が
ある。(小さいので見逃し易いので気を付けて!)
 童謡「赤い靴」(大正10年)、作詞は“野口雨情”。
 野口雨情が詩にした素材は、実在のモデルがいたよう
だ。女の子は明治35年清水市生まれで、母親と北海道に
移ったが、母親が再婚のため、3歳の時、米人宣教師夫婦の養女となった。その後、
宣教師夫婦が帰国することになったが、女の子(きみちゃん)は結核に冒されており、
長い船旅は無理で、やむを得ず東京のクリスチャン系の孤児院に預けられ、そこで
9歳の時死亡した。母親は当然、渡米したものと思っており、それを野口雨情に話し
た。後年、北海道テレビの記者の調査で、きみちゃんのその後のことが判明した。
 “異人さんに連れられて・・・・♪♪”ではなかったの?
 
 話がチョットそれましたが、歩を進めると「水の守護神像」(アメリカ・サンディェ
ゴ市寄贈)が建っており、向かいには、「氷川丸」が昭和36年から係留されている。
氷川丸は、会社の「旧蒲田本社・工場」、「日本丸」と同期生で昭和5年に誕生、横
浜−北米航路に就航、戦時中は海軍の病院船、戦後は引揚船として活躍。昨年12月に
営業一時終了し、来年春のリニューアル・オープンを目指しております。「北太平洋
の女王」と呼ばれた氷川丸には、会社の舶用関係各種計器が装備されており、また、
チャップリンも乗船したという氷川丸への再乗船を期待している。
 ここからの大さん橋ふ頭に係留中の「豪華客船」、“シャッターチャンス!”
 後を振り向けば、横浜のシンボル「マリンタワー」がそびえ建っている。
マリンタワーは、地上灯台では世界有数の高さ106m、47年前に横浜開港100周年を記
念してオープン。現在はこれまた「休眠中」、横浜開港150周年(平成21年)に再オ
ープンされる。乞うご期待!
 
 E『横浜中華街』の入口までは、山下公園の出口から 夜の横浜中華街
夜の横浜中華街
歩いて10分もかからない。
 世界各国にある「チャイナタウン」と呼ばれる中で、
500m四方に中華料理の店舗だけでも大小合わせて200軒
近くあり、規模・店舗数総合して世界一といわれている。
 ものの本によれば、中華料理は大きく4つに分類され、 
「広東」豊な食材を使い比較的あっさりとした味付け。
「四川」辛さと香りが際立つ。
「上海」海の幸に恵まれ海鮮料理が多い。
「北京」皇帝・宮廷料理として知られる。その他に「湖南」・「福建」・「台湾」・
「香港」などがあります。また「飲茶」・「粥」の専門店もあります。
 いずれにしましても、自費なので自由に好きなものを食べて! 家族づれ、グルー
プの時は、「コース」で頼むより「単品」で数多くの料理を楽しんだ方が、結果的に
支払いも安く済む。
 
 余談ですが、私が入社後配属された人事部では、昭和30年代の前半頃は“忘年会”
で何回か、横浜中華街で行いました。会社の前から直行!確かタクシー代800円位と
記憶ですが・・・。いずれにしても懐かしい良き?時代でしたね。
 さて、最後は『JR石川町駅』まで中華街出口から、徒歩で7〜8分です。
 
        『大さん橋ふ頭』直行ケースのご案内
 
(1)『JR関内駅下車』(大さん橋ふ頭まで徒歩15分程度)
  関内駅南口(大船方面より)から目の前の横浜市役所前を通り、横浜スタジアム
脇の横浜公園の中を横切ると、信号がありこれを直進(日本大通り)、途中、神奈川
県庁を左手に見ながら、突き当りまで行って信号渡って右折、少し歩くと信号があり
渡らず左折すれば、前方に「大さん橋ふ頭」が見える。直進!
(2)みなとみらい線(地下鉄)『日本大通り駅下車』(徒歩5分程度)
 
「3月6日(火)」豪華外国客船:ダブル寄港!
 “クイーン・エリザベス2(70,327 d)&アマデア(旧:飛鳥)28,856 d)”
 

 この3月6日(火)が最高の“お薦め日程”!
 『アマデア(旧飛鳥)』は前日の5日8時に入港し、
6日の19時出港、『クイーン・エリザベス2』は6日の
7時入港、「歓迎セレモニー」が予定されている。詳細
は不明だが、今までの例だと「入港時」に税関か消防庁
の音楽隊による「歓迎マーチ」演奏、ミス横浜から船長
さんなどに「花束贈呈」が行われるのでは!出航17時。
 めったに見られない「絶好のシャッター・チャンス!」
 
“お願い!”「ホームページ用」の写真・体験記・感想など奮って寄稿ください。
<今回使用しましたカットの写真は、私のパソコン教室仲間、岩崎清道氏撮影・他>
 
2006.12.30  マルM会の解散              投稿:野村一信
 
マルM会の解散 横浜市  野村 一信
 
   マルM会とは ・・・ 元磁鋼製造部門の仲間が結集
 
 2006年11月9日、マルM会の名称で長い間、懇親会を開いておりました元磁鋼製造
部の会が、お台場沖を遊覧する屋形船を貸切、“お別れ大宴会”を開催いたしました。
 マルM会の発足は、1964年に磁鋼製造部門が三菱製鋼株式会社への製造権譲渡に伴
い廃止され、7名の移籍者以外は油圧機器部を中心に舶用機器部、各スタッフ部門へ
と全員の新しい仕事へ向けての挑戦が始まったのがきっかけです。
 
 今までは、主に川崎日航ホテルの宴会場で隔年周期開 浅草橋野田屋前集合写真
浅草橋野田屋前集合写真
催を基本として、会合を重ねてきました。思い返すと、
元部長(遠藤さん)の紹介で、神田の学士会館を利用し
たこともありました。このときはウエイトレスがついて、
なにやらいつもとは違う雰囲気でしたが、たまたま結婚
披露宴も行われていて、学士会館の中はとても華やいで
いたことを思い出します。
 最近は、会員の高齢化と共に、集れる人が減ってきた
ために会の開催が難しくなり、青春を謳歌した“そのと
きが語れる場所”を閉じる決断が必要になり、解散会となりました。
 
               貸切屋形船で“お別れ大宴会”開催
 
お台場海浜公園
お台場海浜公園
 今回は、最後ということで29名(会員名簿49名)の参
加があり、当日、浅草橋駅近くの大野屋という船宿に集
まり、神田川下流の船乗り場から昼の「隅田川〜お台場
クルーズ」に乗りました。ディナークルーズに飲み放題
つきですので、元気が余って東京湾に飛び込まないよう
に気をつけながら、快晴のお台場を海から散策、いつも
のテレビ局の建屋を海からパチリ!
 レインボーブリッジも海から見上げながら、東京湾産
             ?材料の刺身・天ぷらを肴に、約50年前に戦後復興期に
大宴会の模様(18枚)
大宴会の模様(18枚)
日本のマグネット鋼を作った職場に思いを馳せ、いまだ
我健在なりと!お台場の海に歌声を響かせてきました。
 
 別れはいつも切ないものです。最後の♪♪“別れのワルツ”♪♪を皆で肩を組みな
がら歌い、お互い今後の“健康と健闘”を誓って、浅草橋を後にしました。
 
2006.12.29 木戸  大型バイクとツーリング          投稿:木戸雅史
 
大型バイクとツーリング 横浜市 木戸 雅史
 
1.復 活
シルバーライダーの出現<鎌倉・浄智寺にて>
シルバーライダーの出現<鎌倉・浄智寺にて>
 「キチントしたバイクをかったら?」という妻の一言
が始めの一歩であった。
 それまでチョイ乗り用に使用していた50ccのミニバイク
が白煙を吐くようになり、そろそろ買い換えるならば二人
乗りができる250ccにしようと思っていたが、大きすぎる
ので90ccにでもしようかと考えていた矢先の一言。我なが
ら「えっ?」という感じであった。
 ちょうど、その時期は2000年5月で、当時のトキメック
ビル・システムを松下電工に営業譲渡することが決まり、私自身も移籍することにして
いた時期であり、社風の激変が予想され、気持ちのリフレッシュのためには悪くない
な、という気持ちが働いた。そのときに、35年前の学生時代にスズキの250ccバイクで
ロング・ツーリングをしていた記憶が蘇った。 当時は浜松の下宿生活であったので、
浜松を起点に能登、信州、東北、北海道と走り回っていたが、当時の東京計器入社と
同時に卒業し、忘れ去られていた思い出であった。
 
2.シルバー ライダーの出現
 ミニバイクは街の自転車屋で扱っているが、「250ccバイクはどこで売っているのか
?」が分からず、近所の「スズキ」販売店に行ってみたものの、「ここは4輪車だけ」
といわれ、バイク・ショップを紹介された。それからは妻と二人で横浜市内のショップ
巡りを始め、選んだバイクは、ホンダのレブルというアメリカン・タイプの220ccの新
古車であった。これからどの程度の期間と距離をのるかもわからず、とりあえず二人乗
りしても、それなりに走れる安いものを購入した。2000年6月であった。
 納車の日は妻と車で行き、帰りは35年ぶりの単車の運転であった。一応免許は大型
自動二輪なので、大きさは無制限に運転できるが、帰り道の運転は極度の緊張で、約
3qの距離が極めて遠く長かった。
 それからは毎休日に練習を兼ねて近場を走り始めた。空梅雨ということもあり、6月
であるにもかかわらず、風を受けて走る爽快さゆえに、丹沢、観音崎、鎌倉、浜離宮
など、二人乗りで行き、もはや運転上の不安は全く解消していった。やはり体で覚えた
ことの復活は早いということを実感した。2ヶ月経過した8月の時点では、一人乗りで
あれば、バイクと体がほぼ一体となって走れるようになっていた。
 8月はじめのある日に、中華街で食事をして帰るときのことであった。環状2号線を
時速60qでいつものようにのんびりと走行車線を走っていた。この速度では追い越し
車線をどんどん車が抜き去っていく。そんなことは気にせずにマイ・ペースでいつもは
走っていたが、「少しスピードアップしてみよう」と思い、シフト・ダウンして加速の
ためにスロットルを少し開けてみた。しかし、バイクの加速が極めて鈍い。バイクの
真骨頂は軽快な加速性のはずが、それができない。二人乗りだから総重量は約250s。
22馬力だから馬力あたり12s弱だから力は十分過ぎるほどにある。それなのに加速しな
い。やはり二人乗りのためには多少ムリがあるのか?
 このバイクは使用目的が不明確なまま購入したが、今では使用目的が明確になった。
いずれ子どもたちは嫁に行き、老夫婦だけが残ることとなり、さらに、定年を迎え、
時間が十分に確保できることになる。そのときに二人乗りでツーリングができればなん
と愉快なことではないか。「そうだ、シルバー・ライダーになろう。」2000年8月で
あった。
 
3.大型バイクの登場
 本屋に行き、国産バイクの全モデル紹介本を購入し、大型バイク買い換えの検討を
車も含めた国産車の品質、信頼性、サービス性の高さは二輪も同じであるので、ハー
レー、BMW、ドゥカッティ、トライアンフ等の外国車は対象外であった。
 最後に残った車種はホンダの750ccシャドーとヤマハの これがヤマハ・ロードスター!<千葉・茂原にて>
これがヤマハ・ロードスター!<千葉・茂原にて>
1,100ccドラッグスターであり、いずれもアメリカン タ
イプである。この2種に絞り、バイク ショップを見て回
り、最終的にはコスト・パフォーマンス、自分の年齢、
車体重量、スタイルからホンダの750ccシャドーに決定し
た。
 このとき仕事面では、NEC玉川の空調自動制御システ
ム納入後のコミッショニングのために現場に常駐してい
る時期であった。かつ松下電工側へのトキメック ビル システムの営業譲渡の10月1日
を目前に控え、顧客への説明、移転者の確認、移籍手続き、M&A必要資料の作成、
上期売上数値の確認等慌ただしいころであった。バイク買い換えがひとつの息抜きに
なっていたのかもしれない。
 1台目の220ccは、たった3ヶ月で買い換えることになってしまった。この750ccの納
車の日はもはや運転上の不安は全くなく、車体重量250sの取り回しだけが不安であっ
た。傾斜地を押し上がることは不可能で、倒したときに単独で起こすこともできそう
もない重量であった。そのかわり走行安定性には優れ、二人乗りでもパワー不足は全く
なく、シフト・ダウンすることなく強烈な加速が得られることに満足した。
 長距離ツーリングは浜松に一泊で行った1回であり、ほとんどは比較的近場の日帰り
コースのツーリングであった。それでも前車と比べて余裕ができたため、走行圏が多少
広がり、熱海、箱根、房総へと伸ばしていった。購入初年度は4,100q/年、2年目は
3,600km/年、3年目は2,200q/年、4年目1,600q/年と、年々走行距離が減少していき、
5年目の2005年3月に気持ちの変化が生じた。定年後を睨んだ買い換えである。
 
4.更なる大型化
 2006年9月には定年を迎えた。松下電工側へ移籍するに当たり、特別の事情がない
限りは定年と同時に松下を去るつもりであった。移籍した多くの仲間が、この6年間に
去って行った姿を見るにつけ、我ながらよく保ったものだと思う。
 定年後のマネー・プランはそれなりに作り上げてきたつもりだが、ライフ・プランは
ない。有り余る時間をいかに過ごすか?そのとき浮かんだことは「青春よ、今一度」で
あった。
 学生時代にしていたことを、40年後に再びトライする。 一休みでホットする妻<箱根・旧街道にて>
一休みでホットする妻<箱根・旧街道にて>
経験は増えたが、体力は減った。同じことをしても視点
が変わるので新鮮に違いない。するとなると、体力がま
だ残っているうちにしかできない・・・との思いから、
ギター、社交ダンス、空手、そしてバイクを選んだ。
 ギターは、インターネット・ショッピングで安物を購
入した。
 社交ダンスは、地元の地区センターで毎週練習してい
るサークルを調べ、電話で問い合わせの段階。
 空手は、最寄の駅近くにある松濤館流系の道場があるので、そのうち見に行って来る。
 そしてバイクは、復活して5年経った。買い換えるならば今のうちだ。
 再び本屋で国産バイクの全モデル紹介本を購入し、検討を始めた。今回の購入はラス
ト・チャンスで、大排気量が前提でハーレーも対象内としたが、信頼性の点から落第。
残った車種はホンダ、ヤマハ、カワサキの逆輸入車。結局スタイルの面で、ヤマハの
ロードスター1,700ccとした。乗用車並の排気量なので最大の不安点は350sという車体
重量であった。定年を目前として、体力、腕力は圧倒的になくなっている中での重量増
加であり、前車に対してプラス100sもある。取り回しが格段に重くなることは覚悟の
上であった。走行距離12,000qでの買い換えである。
 
5.還暦を迎えて
 1,700ccという市販バイクでも最大排気量に属するバイクに乗り始めて1年半が経っ
た。この間、その車体重量を支えきれずの立ちコケは3回。ただし、走行中の転倒は
学生時代を含めてゼロ。(走行転倒はタダではすまない)宿泊するロング・ツーリング
は浜松、菅平、美ヶ原と遠距離になった。高速道路の二人乗りが解禁となったことが
遠距離ツーリングを可能とした。すでに今年は立冬を迎え、バイク・ツーリングの季節
は終ろうとしており、来年の4月まで冬眠に入る。
愛車を前に、ご満悦の妻<昇仙峡の帰路、甲府市街を背景に>
愛車を前に、ご満悦の妻<昇仙峡の帰路、甲府市街を背景に>
 バイク7台で行った美ヶ原のヴィーナス・ライン走行は
今年最も感激したことであった。
 10月21日、午後4時ごろに美ヶ原の入り口に到着し、防
寒具を身にまとい、外温約10℃の中でヴィーナス・ライン
を走行開始。後ろには妻が着膨れて乗っている。九十九
折りの登り坂をバイク7台が連なっていく。私のはアメり
カンなのでコーナーを曲がるときに大きく減速しないと
曲がりきれない。他のバイクは車体を倒して軽快に抜けて
いくが・・・。
 高原走行時は夕方の5時少し前になり、遠くの山並みの稜線に太陽が沈みかけてい
た。空は薄暗くなりかけ、真っ赤な太陽は稜線を赤く染め、太陽の赤と山の黒と空の
の濃紺が織りなす自然の醍醐味。この時期、この場所、この時間ならではの走行であっ
た。私は横目でチラチラしか景色は見えないが、後ろの妻は盛んにカメラのシャッター
を切っていた。
 白樺湖畔の宿に着き、皆で呑みながら、今日の朝から夕方までの話題がいつまでも
尽きることはなかった。
 
6.60歳の青春
 来年の6月には任期満了で松下電工ビル システムを 疾走中の筆者<ビーナスラインにて>
疾走中の筆者<ビーナスラインにて>
退社する。その後どうするかは未定であるが、60歳の青
春を追い求めることはまだ始まったばかりである。
能登、紀州、東北、北海道、四国、九州とロング・ツーリ
ングをしたいところはいくらでもある。しかし、走れる
季節は限られているので、1ヶ月に1回、1年に4回程度
行きたいと思っている。バイクの力量に不足はない。
あとは自分の体力である。2007年には何ヶ所かのロング
ツーリングをこなし、新しい青春を大いに謳歌してみたい。
               (会報61号用に2006年11月に寄稿されたものです)
 
2006.11.11 青木  40周年を迎えた 『神戸会OB会』    投稿;青木 聳
 
平成18年 神戸会OB会 の模様
 
                          (文・青木  写真・深野)
 
 今年の神戸会は11月11日(土)〜12日(日)、那須リゾートで19名の参加者で
行ないました。 
          『神戸会』って・・・?
 
 神戸会について少しお話をさせて頂きますと、そもそもの会の発足は昭和30年代
に神戸(当時は関西支部)に勤務(転勤)した人達が東京に帰って来て集まった会で
す。誰が発起人かはよく分からないのですが、多分、松岡純男さん(レーダー関係、
故人)と菊地諫さん(ジャイロ関係)のお二人が音頭をとって、関西支部長をされて
いた中村賛蔵さん(故人)を会長に頂いて昭和41年に始まったものと思われます。 
 
 その後、毎年会合を重ねて今年は40周年を迎える事ができました。
 現在は、川岸一正さんが会長をされ、幹事長は木村正さん、幹事は藤井整之さん、
福田守さん、栃木幹事として永滝宏さん、大島進さんの方々が皆さんのお世話をして
おられます。会員は原則として神戸に関係を持った人で、現在は64名が登録されて
います。
      スケジュール (一部、雨で変更に)
 
 それでは、今回のスケジュールについてからお話を進めていきたいと思います。
なお、神戸から森佳代子さん、長野から河原保さんのお二人が遠路参加されました。
 
  11月11日(土)  金精川の鱒池で昼食を取り、その後紅葉見物の予定
               (12時30分矢板駅前集合)
 
            那須リゾートで懇親会 (17時集合)
 
  11月12日(日)  矢板カントリーでゴルフ(有志)
 
     【 第一部 】 懇親会の前に、昼食会と芸術鑑賞を
 
  鱒の料理での昼食。大きな鱒の塩焼きと、から揚げでした。
 
鱒料理を持つ森佳代子さん
鱒料理を持つ森佳代子さん
見事な鱒の塩焼き
見事な鱒の塩焼き
 
 
 写真担当の深野さんがい
ませんので、現地での写真
は撮れませんでした。
  
( 那須リゾートにて )
  
 
 昼食後、紅葉を見物の予定でしたが生憎の雨で散策ができず、急遽近くの住友ミュー
ジアム見学に変更しました。ミュージアムは日本洋画館(梅原龍三郎画伯、他32名
の日本画が展示)と琳派館(尾形光琳、尾形乾山の作品が展示)が有り、中々見応え
のあるものでした。
 
     【 第二部 】 那須リゾートで懇親会
 
  那須リゾート正面
那須リゾート正面
那須岳
那須岳
懐かしい那須リゾートの
正面の写真と、少し雲が
懸かっていますが那須岳
の様子です。
 
 
 
 
ロビーでの受付−1
ロビーでの受付−1
ロビーでの受付−2
ロビーでの受付−2
 
幹事さん、会費の徴収やら
久し振りで会う人との会話
で大変賑わっていました。
 
 
 
 
 
 はじめに、川岸会長から開会の挨拶をいただきました。続いて幹事一同が並び、
代表して木村幹事長の挨拶がありました。さあ、いよいよ懇親会の始まりです。
 長野から参加された河原さんが持参された、自家製のワインを皆で味わいました。
大変美味しいワインでした。来年、免許を取って一般に販売をする予定だそうです。
良かったら注文をしてね。
 皆さんリラックスして、久し振りの会話を楽しんでいました。
 
川岸会長の挨拶
川岸会長の挨拶
幹事一同(左から 永滝、木村、福田、藤井、大島)
幹事一同(左から 永滝、木村、福田、藤井、大島)
幹事を代表して挨拶する木村幹事長
幹事を代表して挨拶する木村幹事長
 
         ⇒⇒⇒ 全員記念写真
全員記念写真
神戸会発足時の状況説明をする福田幹事
神戸会発足時の状況説明をする福田幹事
参加者全員(19名)で記念
撮影? 何故か渡辺(剛)
さんだけが入っていませ
ん。
顔の付近にマウスを合わ
せる名前が表示されます。
 
懇親会の模様(15枚)
懇親会の模様(15枚)
 左の『写真集』をクリックすると、懇親会での楽しい
写真がご覧いただけます。
 
 懇親会終了後、幹事部屋での2次会、夜中の2時過ぎまで話が弾んだそうです。
 
 翌日、朝食後来年の再会を約束して解散しました。
 
     【 第三部 】 有志によるゴルフ大会
 
 有志8名によるゴルフを、矢板カントリーで行ないました。
 
スタート前の一服(左から 澳原、村林、本田、青木)
スタート前の一服(左から 澳原、村林、本田、青木)
スタート前の一服(左から 藤井、越智、渡辺)
スタート前の一服(左から 藤井、越智、渡辺)
 
クラブハウスでスタート前
ゆったりとした気分で無料
のコーヒーを飲むメンバー。
 
深野さんは写真班で残念な
がら映っていません。
 
 
集合記念写真(スタート前)
集合記念写真(スタート前)
 
  スタート前のティグランドで
 
後列左から 渡辺、青木、澳原、村林(ゴルフのみ参加)
前列    深野、万名、越智、藤井
 
 
 
 
少し風があり、また僅かです 1組目(左から 村林、渡辺、越智、青木)
1組目(左から 村林、渡辺、越智、青木)
2組目(左から 万名、藤井、澳原、深野)
2組目(左から 万名、藤井、澳原、深野)
が雨がぱらつく天気でしたが
無事に終了しました。
 
【 成績 】
  優勝 澳原 汪
  2位 村林一成
  3位 深野道雄
 
 なお、スコアーは内証にしておきます。
 以上で今年の楽しい神戸会が総て終わりました。
 
2006.10.26 小田  秋の「三渓園」へのご案内         投稿:小田 茂
 
 開園100周年:秋の“三渓園”へお出掛けになったら!
 
      “秋”を感じる各種イベントで“日本の風景”を満喫!
 
 私の地元、横浜の本牧にある「三渓園」は、今年5月、 「三渓園」
「三渓園」
開園100周年を迎えました。
 我がトキメックの誕生から、丁度10年後の開園です。
この100周年を記念して、「菊花展」をはじめ数々の
イベントがあります。菊といえば、会員の村松廣司さん
のご自宅のあの有名な「菊御殿」が思い出される季節に
なりました。
 それでは、「三渓園」をご案内いたします。
 
  「 菊 花 展 」 ・・・・ 10月26日(木)〜11月23日(祝・木)
 
 大菊、懸崖(ケンガイ)、古典菊、江戸菊、小菊盆栽など、様々な形・種類の菊花
の競演が楽しめます。“盆景作品”も登場し、三渓園の庭園を写したものの他、横浜
市内の名所をテーマにした作品も見ものです。
 
  「紅葉の遊歩道と重要文化財“聴秋閣”・“春草廬”公開」
                    11月18日(土)〜12月10日(日)
 
 京都・二条城内にあったといわれる“聴秋閣”、そして織田信長の弟・有楽の作と
伝わる“春草廬”付近は、園内でも一番の紅葉スポット。古都を思わせる色あざやか
な紅葉に囲まれて、秋の風情が満喫できます。
 
   「木製多宝塔(国指定重要文化財)」を特別公開!
                    11月18日(土)〜12月10日(日)
 
 もともと寺院建築の一つである多宝塔を、瓦や木組みなど細部にいたるまですべて
木造で再現した、いわば建造物のミニチュアです。
 天井裏部分から発見された記録から、これが今から約550年前の室町時代に奈良の
大工の手によって作られたことがわかっています。現在、三渓園が所蔵している美術
品の中で、唯一の重要文化財指定品です。
 
   65歳以上の横浜市民入園料無料!     12月28日まで毎日開園
 
<営業時間> 午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)
 
<入園料>  大人500円、小学生以下200円、障害者(本人と介助者1人)・65歳以上
       の市内在住者は無料(身体障害者手帳、市発行の長寿しおりを提示)
  また、12月4日(月)〜10日(日)は、入園料 “\100ウィーク”となります。
 
< 交 通 > (市営バス)・JR根岸駅から 58・99・101・126系統、本牧下車7分
             ・横浜駅東口・桜木町駅から 8・148(急行)
                        本牧三渓園前下車:徒歩3分
                     <広報よこはま・なか区版>から抜粋
 
2006.10.10  はじめて「テレビ番組」に出演して!    投稿;山田七郎
 
 はじめて「テレビ番組」に出演しての“雑感”!
 
    「10人兄弟」弟の“八郎”との「七・八コンビ」で共演!
 
 この度、TV局で私の事を、どこでどう調べたのか分  テレビを見たテニス仲間から花束をいただきました
テレビを見たテニス仲間から花束をいただきました
かりませんが、2回もTV番組に出る様になったのです。
これは全く個人的な話で、小さなつまらない出来事なん
ですが、OB会で目に留めて下さいまして「感想を書い
て下さい」とのお話がありました。一度お断り申し上げ
たのですが、幹事の小出様の熱心なお勧めに絆されて応
じた訳でございます。本当に皆様に発表する様な代物で
はないのですが、私の拙い報告書を寄稿させて戴きます。
 
   ・・・<初めにそのTVの概要をご説明致します>・・・
 フジTV(8チャンネル)毎週土曜日、正午の2時間番組「バニラ気分」の後半
1時15分〜1時55分までの40分間「マゴマゴ嵐」と云う番組が組まれており、これに
出てくれと云う事なのです。
 この「マゴマゴ嵐」と云う番組は、事業を営む老夫婦のもとへ、この番組のレギュ
ラーであるジャニーズ(松本、二宮、桜井、大野、相葉)の中から2名が選ばれて
「老夫婦の孫」になって、お仕事のお手伝いに行き、お手伝いをしながら、若い頃の
馴れ初めを聞き出したり、肩を揉んであげたりして、笑いを誘い出す、優しい老人
ホーム番組なのです。
 
 ところが前回(3/25放映)と今回(8/26放映)の2回だけ趣向を替えて「合コン形
式」の番組に切り換えたのです。これに出る様になったのです。
 この番組は妻を亡くした男性5人と夫を亡くした女性5人が集って番組レギュラー
のジャニーズのリードで取り仕切る番組構成に従って、面白、おかしく行動をとらさ
れているのです。
 男女別々の控室での雑談の様子、お食事風景、趣味のご披露コーナー、最後はメーン
であるご対面、これをビデオに収録しながら進めているのです。この最後の「ご対面」
の場面を詳しく記します。
 
 全員公園広場に集り、男女共々、後ろ向きに並びます。“ごタイメ〜ン”の号令で
向き合います。そして男性の方から1人づつ好みの女性の前に行き握手を求めます。
女性が嫌だったら握手しないのですが、良かったら握手して「カップル」誕生となる
のです。よくTVで見かける「学生の合コン形態」の番組と同じです。
    ・・・<TVの方の番組はここまでで終了なんです>・・・
 あとは当事者同志が、自由に連絡し合ったり、おつき合いしたい人はする。要は
TV番組が、その切っ掛けを作って下さっているのです。
 「あとはお二人で仲よく残り少ない人生を幸せに過ごして下さい」と云う思いやり
を込めた番組なのです。
 
 今まであまりにも面白、おかしくしようとするのが先に出てしまって、この大切な
「思いやり」の部分が、陰にかくれ判りにくくなっている様です。
 大体選出された出演者は、男性70才以上、女性60才以上を考えて組立てている様で
す。はじめて、こんな番組に出る様声を掛けられ戸惑いました。しかし参加してみて
「自分の心の老い」を感じました。若い頃と違って「わくわく」する様な気分になら
ないのです。
 まして私は妻を亡くして、まだ8ヶ月(1回目出演)、2回目出演は1年の時です
から、本当にそんな気分になりません。
 
 TV局の方はもう少し人選について、お考えになった方が良いのではないかと思い
ました。只、面白、おかしくその場限りのお笑い番組だったら、それでよいのかも判
りませんが、その人の人生後半の幸せを見つけ出したり、その中で面白、おかしく
視聴率を高めようとするお考えならば、人選についてもう一工夫する必要があると思
いました。それは、その気のある、もう少し若い熟年層を選ぶべきと思います。
 そうすれば若い人達の遊び的な笑いと違うし、老人の只、義理で参加しているのと
違って真面目に真剣に取り組む迫力があり、格好よさとなって視聴者の興味をそそり、
その中でお笑いも生まれるのではないでしょうか。生意気云って申し訳ありませんが、
こんな風に感じました。
 
       ・・・<私がTVに出る様に誘われた時>・・・
 電話があった後、デレクターさんが家に取材に来ました。(取材中ビデオ廻り放し)
“兄弟は10人ですか”“(株)トキメックに長年勤務させてもらった事”“会社に
テニスコートがあったのでやった事”“そのお陰で今、文科省公認の上級スポーツ指
導員のライセンスを持っている事”“今はOB会の会員である事”等々調べられまし
たし、TV局の方は上手に聞き出しますね。
 その時、私がデレクターさんに云いました「10人兄弟の中の弟(八郎)が、妻を亡
くしているから、私と一緒にこの番組に出してあげたら“七郎、八郎の七・八コンビ
で面白いのではないですか」と申し上げましたところ、早速、横須賀の八郎の自宅ま
で行き、定年まで新日本石油に勤め、ゴルフをやっていた事等取材しここに「七・八
コンビ出演」が成立したのです。
 
 しかも2回も一緒に出演させて頂き、今は亡き「両親」に報告してあげたら、どん
なに喜んでくれるだろうと思いました。
 弟の八郎の方も「合コン」での後で、その気もなく、アクションも何もとらず、又
とる気もない様です。
 こんな余計な事まで書かせて頂き、本当に拙い文面でございますが、お送りさせて
頂きます。
 OB会の皆様の中には、今「病」で苦しんでいる方がおられると思いますが、こん
な「TV出演」の話をしまして申し訳ありません。早く「痛み」が取れ、一日も早い
ご快復をお祈り申し上げます。
 
        ・・・<最後の最後ですが>・・・
 「TV効果」と申しますか、TVは恐ろしいですね!
 私は今、毎週水曜日午前10時〜12時30分まで、五反田のNTT東日本関東病院図書
コーナーにボランティアとして行っております。
 8/26(土)放映のあった後、8/30 (水)朝、出勤しましたら、いきなり病院の守衛
さん2〜3人から「TV見ましたよ!」と云われ、びっくりしました。話をした事の
ない人達なのに・・・これを利用しない手はないですね。
 私はこの寄稿に際し、いろいろな事、申し述べさせて頂きました。有難うございま
した。今はOB会の皆様とテニス愛好の友人に支えられ静かに暮らしています。
 今後とも宜しくお願い申し上げます。