話 題 『 よもやま話 』最新
 
          話  題  一  覧
2021. 7.10 日本語と英語の「見る」、「見える」に...  投稿:清水有道
2021. 6.13 数学ア・ラ・カルト:古代バビロニアの√2   投稿:岡田昂三
2021. 5.31 日本史ミステリーの森へ            投稿:砂田定夫
2021. 5.24 某有名画伯との幾度かの一献の夕べを懐かしむ 投稿:清水有道
2021. 5.16 ディストピア文学等というカテゴオリーが果たして必要… 投稿:清水有道
2021. 5. 2 「サルデーニャの蜜蜂」を読んで        投稿:清水有道
2021. 4.10 新型コロナ禍後の日本に求められるもの     投稿:清水有道
2021. 3.25 人生7回目の年男の年に、十二支と題する・・・ 投稿:清水有道
2021. 3.14 自費出版のすすめ               投稿:砂田定夫
2021. 2.14 2021年の読書計画               投稿:清水有道
2021. 1.25 数学ア・ラ・カルト:“密”のリスク      投稿:岡田昂三
2021. 1.16 エクソフォニストになりたかった夢を果たせず残念!!  投稿:清水有道
2020.10.21 最初の印象と最初に手にした物はその人の・・・ 投稿:清水有道
2020. 9.24 先哲の教えから学ぶこと            投稿:清水有道
2020. 8.16 海外の友人の心遣いに感謝           投稿:清水有道
2020. 7.19 数学ア・ラ・カルト:碁盤が14寸x15寸の訳   投稿:岡田昂三
2020. 5.10 桜散っても、花盛り!2020年版         投稿:小田 茂
2020. 3.28 3月に入って感じた『待っていた春』はどうだった?投稿:清水有道
2020. 2. 3 数学ア・ラ・カルト:頭の体操         投稿:岡田昂三
2019.12.15 数学ア・ラ・カルト:πの1桁目が3の訳    投稿:岡田昂三
2019.12. 9 横浜山手西洋館:第20回記念 “世界のクリスマス2019”始まる! 投稿:小田 茂
2019.11.27 私の文学嗜好と読書遍歴            投稿:清水有道
2019.11.24 ウォーキングの勧めと会社近辺の散歩道     投稿:長谷川晃
2019.10.20 数学ア・ラ・カルト:数え方を変えるだけで公式が生まれる 投稿:岡田昂三
2019.10.17 先進国欧米人に少し理解が難しくなった,,,   投稿:清水有道
2019. 9.22 葛(くず)の英単語の綴りで証明された,,,   投稿:清水有道
2019. 9.16 シルバー大学卒業後のその後          投稿:斎藤忠悟
2019. 6.28 働ける限り働きたいシニアと,,,         投稿:清水有道
2019. 5.27 桜散っても、花盛り!2019年版(その2)    投稿:小田 茂
2019. 4.24 桜散っても、花盛り!2019年版         投稿:小田 茂
2019. 4.16 数学ア・ラ・カルト:ラングレーの問題     投稿:岡田昂三
2019. 1.20 頑張ってほしいわが国の頭脳          投稿:清水有道
2018.10.18 佐伯一麦の「空にみずうみ」を読む       投稿:清水有道
2018. 9.25 歴史教育変遷の驚き−白村江の戦いを端緒にして 投稿:清水有道
2018. 9.24 ブームになってきた須賀敦子を読む       投稿:清水有道
2018. 8.21 日本語は難しい_時代遅れのワーディング?   投稿:清水有道
2018. 8. 5 松浦武四郎とはどんな人(2/2)        投稿:鈴木富雄
2018. 7.22 松浦武四郎とはどんな人(1/2)        投稿:鈴木富雄
2018. 6.24 EV志向の行方                投稿:清水有道
2018. 6. 3 かごんま(鹿児島)便りNo.2          投稿:猿渡一義
2018. 5.30 桜散っても、花盛り!2018年版:その4     投稿:小田 茂
2018. 5.18 無限の望み                  投稿:清水有道
2018. 5. 4 桜散っても、花盛り!2018年版:その3     投稿:小田 茂
2018. 4.24 桜散っても、花盛り!2018年版:その2     投稿:小田 茂
2018. 4.22 グローバル社会はコロンブスの新大陸発見から始まった 投稿:清水有道
2018. 4.18 桜散っても、花盛り!2018年版:その1     投稿:小田 茂
2018. 3.19 第二の故郷 広島!              投稿:田中隆通
2018. 3.18 かごんま(鹿児島)便り            投稿:猿渡一義
2018. 3.17 ふるさと『北見』とカーリング         投稿:鈴木富雄
2017.12. 8 恒例の横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2017”始まる!投稿;小田 茂
2017.12. 2 「未来をアウトソーシングしてはいけない」   投稿:清水有道
2017.11.23 「ポピュリズム」への疑問           投稿:清水有道
2017.11.12 "POWER OF TWO"(邦訳「二人で一人の天才」)を読んで 投稿:清水有道
2017.10.25 カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞で思いだすこと  投稿:清水有道
2017. 9.20 シャーロッツビル騒動の報道に接して      投稿:清水有道
2017. 7.29 三平方の定理に関するよもやま話        投稿:岡田昂三
2017. 6.25 珍しい企画本『紀行とエッセイで読む作家の山旅』を読む 投稿:清水有道
2017. 6. 8 面白く読んだ『世界天才紀行』         投稿:清水有道
2017. 6. 2 桜散っても、花盛り!2017年版:その5     投稿;小田 茂
2017. 5.23 桜散っても、花盛り!2017年版:その4     投稿;小田 茂
2017. 5.10 タテハチョウ科の蝶「アカボシゴマダラ」が環境省の「特定外来生物」に追加指定される               投稿:清水有道
2017. 4.26 桜散っても、花盛り!2017年版:その3     投稿;小田 茂
2017. 4.22 桜散っても、花盛り!2017年版:その2     投稿;小田 茂
2017. 4.18 桜散っても、花盛り!2017年版:その1     投稿;小田 茂
2017. 4.12 “GRIT”に因む今流行の著作2篇        投稿:清水有道
2017. 3.29 急激な変化が予感される生活環境の中、日本は世界をリードできる国に変われるだろうか               投稿:清水有道
2017. 3.14 またまた出現した新たな新書          投稿:清水有道
2017. 2.26 わが水彩画個展への蛇足            投稿:清水有道
2017. 2.12 大好きないかにも日本語らしい美しい響きの言葉 投稿:清水有道
2017. 1.22 「フィンテック」とはなにか?        投稿;清水有道
2017. 1. 8 シンギュラリティ(『技術的失業』)は果たして何時来る? 投稿;清水有道
2016.12.25 {キリストの昇天}と「聖母の被昇天」の解釈 投稿;清水有道
2016.12.11 恒例の横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2016”始まる!投稿;小田 茂
2016.11.27 地元横浜に「パン発祥」の石碑誕生      投稿;小田 茂
2016.11.20 ある学者の著述を読んで考えたこと      投稿;清水有道
2016.11. 6 すっかり趣きの変わった仕事の姿       投稿;清水有道
2016.10.23 “Collection of Words”と題した忘備録ノートから 投稿;清水有道
2016.10. 9 江戸時代:東西の山のランキング       投稿;吉田誠治
2016. 7.17 読書と旅を通してさらに積極性を身に着けよう 投稿;清水有道
2016. 6.12 わが人生に自分らしさが出せたであろうか?  投稿;清水有道
2016. 4.24 桜散っても、花盛り!2016年版        投稿;小田 茂
2016. 4.17 話題の魅力企業集団“FANG”とは?      投稿;清水有道
2016. 3.20 「トヨタの自工程完結」を読んで       投稿;清水有道
2016. 3. 6 串田孫一の世界を改めて総括する「生誕100周年串田孫一」展を見て 投稿;清水有道
2016. 2.14 「長い間世界をリードしてきた西洋文明は終焉を迎えているのだろうか?」 投稿;清水有道
2016. 2. 2 「自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになる」 投稿;清水有道
2016. 1.17 勉強になった一冊の本――佐藤健太郎著「世界史を変えた薬」 投稿;清水有道
2015.12.09 恒例の横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2015”始まる!投稿;小田 茂
2015.12. 6 感銘を受けた五木寛之の2冊の本       投稿;清水有道
2015.11.22 2015年秋季 IRANの会 開催        投稿:伊藤 誠一
2015.10.11 『最後の印象派』展を見て思ったこと     投稿;清水有道
2015. 5.10 未知の世界に挑戦する無謀さの愉快と不思議な爽快さ      −とんでもない3冊の読後感−        投稿;清水有道
2015. 4.27 春の花に想う                投稿;清水有道
2015. 4.14 桜散っても、花盛り!2015年版         投稿;小田 茂
2015. 3.29 「父権」復活を筆に託すノーベル文学賞受賞作家パトリック・  モディアノの『パリ環状通り』を読んで    投稿;清水有道
2015. 3.22 転換期の歌謡曲への考察           投稿;清水有道
2015. 3. 8 「水面(ミナモ)を描いた画家たち」展を見て         思ったこと                 投稿;清水有道
2015. 2.22 初夢から差し当たりの余生の過ごし方を見直して投稿;清水有道
2014.12.15 恒例の横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2014”始まる!投稿;小田 茂
2014.11.23 2014年秋季IRANの会 開催         投稿:伊藤誠一
2014.11. 9 日本文学100年の名作             投稿;清水有道
2014. 9.28 “ヨコハマ砂の彫刻展”           投稿;小田 茂
2014. 9.14 わが庭に新しく迎えた珍しい植物       投稿;清水有道
2014. 9. 2 秋田県立美術館との交歓会で藤田嗣治の超大作         壁画“秋田の行事”を観賞する        投稿;清水有道
2014. 8.17 境川を散策する(2)            投稿;砂田定夫
2014. 8. 3 境川を散策する(1)            投稿;砂田定夫
2014. 7.20 鉄斎展で思い出すこと            投稿;清水有道
2014. 6.22 喜寿を迎えても山歩きを楽しむ        投稿;清水有道
2014. 5.25 アリス・マンローを読む           投稿;清水有道
2014. 5.19 菊次さんの映画鑑賞記を読んで        投稿;八木 宏
2014. 5.11 記念日無情                 投稿;清水有道
2014. 5. 2 桜散っても、花盛り!2014年版        投稿;小田 茂
2014. 4.27 『あなたが好き』のワナ           投稿;清水有道
2014. 4.13 労働と人事管理への新考察          投稿;清水有道
2014. 3.30 越中八尾に想う(その2)          投稿;檜山湧二
2014. 3.16 カイユボット展を見て改めて都会の              “匿名性の原理”を考える          投稿;清水有道
2014. 3. 2 越中八尾に想う(その1)          投稿;檜山湧二
2014. 2.16 “オヤマボクチ”の知られざる使われ方    投稿;清水有道
2014. 2. 2 真剣に“里山資本主義”を考えてみよう    投稿;清水有道
2014. 1.19 80歳からの闘病記_その後           投稿:伊藤誠一
2014. 1. 5 “第三の波”時代に入ったバーチャル・ワーク 投稿;清水有道
2013.12.22 2013年秋季 IRANの会 開催        投稿:伊藤誠一
2013.12.22 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(2)  投稿;清水有道
2013.12.16 横浜:山手西洋館“世界のクリスマス2013”  投稿;小田 茂
2013.12. 8 季節の山野草を愛でる山歩きの楽しみ(1)  投稿;清水有道
2013.11.24 雅楽を聴く、見る              投稿;須貝義弘
2013.11.20 「第47回 神戸OB会」開催地・神戸 参加者12名 投稿;青木 聳
2013.11.11 速水御舟が描いた美麗な蛾“むらさきしたば”を        蓼科で採集できた喜び            投稿;清水有道
2013.10.27 我が家のエノキにも話題の“アカボシゴマダラ”が育つ 投稿;清水有道
2013.10.13 ニセコアンヌプリ登山            投稿;清水有道
2013. 9.29 共感現象                  投稿;清水有道
2013. 9.15 復活した藤棚                投稿;川田 維
2013. 8.18 第2次世界大戦終結の日(終戦記念日)を前にして 投稿;伊藤誠一
2013. 8.11 ワインは、働く男の「血」である       投稿;清水有道
2013. 7.28 鹿児島便り                 投稿;猿渡一義
2013. 7.14 思う人・考える人              投稿;清水有道
2013. 7. 7 80歳からの闘病記              投稿;伊藤誠一
2013. 6.23 鉢の木物語                 投稿;須貝義弘
2013. 6.14 続「犬伏の別れ」              投稿;須貝義弘
2013. 6. 9 もう少し隣国中国を知るために        投稿;清水有道
2013. 6. 2 東京計器時代の想い出            投稿:伊藤 誠一
2013. 5.26 中国はこれからどうなる?          投稿;清水有道
2013. 5. 5 桜散っても、花盛り!2013年版        投稿;小田 茂
2013. 4.21 大山街道を歩く(5)            投稿;砂田定夫
2013. 4.14 自 分 の 墓               投稿;清水有道
2013. 4. 7 元気なままで歳を重ねていく         投稿;清水有道
2013. 3.24 大山街道を歩く(4)            投稿;砂田定夫
2013. 2.17 タトゥー(刺青)を考える          投稿;三橋春夫
2013. 2. 3 最近読んだ私の推薦書            投稿;三橋春夫
2012.12.23 車道楽(新車納入体験記)その2/2     投稿;関根 眞
2012.12.16 車道楽(新車納入体験記)その1/2     投稿;関根 眞
2012.12. 9 新装なった東京駅と比較           投稿;木戸雅史
2012.11.18 “ 輪 廻 ”               投稿;菊次愛咲
2012.11.11 こ の ご ろ の 感 慨         投稿;清水有道
2012.10.21 大山街道を歩く(3)            投稿;砂田定夫
2012.10.14 恵山(エサン、618m)に登る         投稿;清水有道
2012. 8.22  ☆ ロンドンオリンピック雑感!      投稿;小田 茂
2012. 8.12 「戦中・戦後の蒲田の想い出」        投稿:伊藤誠一
2012. 7.22 久し振りに出会えた本            投稿:清水有道
2012. 7.15 大山街道を歩く(2)            投稿;砂田定夫
2012. 7. 8 IRAN会の集い              投稿:伊藤 誠一
2012. 6.24 世の中を生き抜く通になろう!        投稿;清水 有道
2012. 6.17 大田原市と「唐辛子」             投稿;檜山 湧二
2012. 6.10 栃木100歩会                 投稿;小形 宏
2012. 5. 3 桜散っても、花盛り!            投稿;小田 茂
2012. 4.22 フラダンスと私               投稿;佐藤レイ子
2012. 4.15 猫道楽                   投稿;関根 真
2012. 4. 8 野次馬根性で「ブータンシボリアゲハ」を見る 投稿;清水有道
2012. 4. 3 趣味 一球入魂               投稿;江田 弘
2012. 3.25 大山街道を歩く(1)            投稿;砂田定夫
2012. 3.18 その後の川柳                投稿;金子健吉
2012. 3.11 中国の旅から                投稿;清水有道
2012. 3. 4 3月10日は『横浜三塔の日』です!      投稿;小田 茂
2012. 2.28 6年ぶりに全面凍結した「袋田の滝」を撮る   投稿;斎藤俊晴
2012. 2.26 ALWAYS三丁目の夕日’64鑑賞記 その2  投稿;三橋春夫
2012. 2.25 「ALWAYS三丁目の夕日'64鑑賞記 その1」を読んで 投稿;佐藤雅寿
2012. 2.19 ALWAYS三丁目の夕日’64鑑賞記 その1  投稿;三橋春夫
2012. 2.12 “いたち川”川沿いを探索する(その5/最終回) 投稿;野村一信
2012. 1.12 飲み屋の「つまみグルメ」          投稿;三橋春夫
2011.11.27 介護日誌                  投稿;金子健吉
2011.11.20 “いたち川”川沿いを探索する(その4)   投稿;野村一信
2011.10.30 「スマートフォン使用体験記」        投稿;関根 眞
2011.10.28 もののあわれ考               投稿;清水有道
2011.10. 2 空腹の苦しさに負け獣と化す         投稿;小川 孝
2011. 9.27 おめでとう!「未来技術遺産」登録      投稿;小田 茂
2011. 9.18 “いたち川”川沿いを探索する(その3)   投稿;野村一信
2011. 9. 4 やっと標本に出来た南方系の蝶“アカボシゴマダラ” 投稿;清水有道
2011. 8.28 『季節の風物詩』の写真           投稿;八木 宏
2011. 8.14 オオウバユリに出会えた登別温泉行      投稿;清水有道
2011. 8. 7 “いたち川”川沿いを探索する(その2)   投稿;野村一信
2011. 7.24 『足利学校で論語を学ぶ』          投稿;須貝義弘
2011. 7.17 “ あの日の出来事 ”            投稿;綱島健一
2011. 6.26 『岩船山崩落』               投稿;辻 隆太
2011. 6.19 “いたち川”川沿いを探索する(その1)   投稿;野村一信
2011. 5.29 加齢男性の小便作法             投稿;清水有道
2011. 5.22 富士山を雑学散歩する(7)最終回      投稿;砂田定夫 
2011. 5.15 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その16最終回)投稿;小田 茂
2011. 5. 8 富士山を雑学散歩する(6)         投稿;砂田定夫 
2011. 4.29 富士山を雑学散歩する(5)         投稿;砂田定夫 
2011. 4.24 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その15)   投稿;小田 茂
2011. 4.17 “我が人生をかえりみて”          投稿;堀 保胤
2011. 4.10 那須國造碑雑話(その2)           投稿;檜山湧二
2011. 4. 3 那須平成の森を歩く             投稿;大野健治
2011. 3.27 那須國造碑雑話(その1)           投稿;檜山湧二
2011. 3.20 栃木県人生活37年間の今昔          投稿;渡邊浩子
2011. 3.13 東京計器旧社屋の写真            投稿;吉田誠治
2011. 3. 7 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その14)   投稿;小田 茂
2011. 2.20 古磁石は語る                投稿;吉田誠治
2011. 2.10 初めてのコンドミニアム体験         投稿;三橋春夫
2011. 1.23 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その13)   投稿;小田 茂
2011. 1.16 四季を眺める美意識から絵が生まれる     投稿;清水有道
2011. 1. 9 富士山を雑学散歩する(4)         投稿;砂田定夫
2010.12.25 『巣ごもり消費』              投稿;清水有道
2010.12.12 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その12)   投稿;小田 茂
2010.12. 5 『二人の紅葉見物』             投稿;大桶 誠
2010.11.23 介護と川柳                 投稿;金子健吉
2010.11.14 我が家の掛け軸               投稿;江島正憲
2010.11. 5 古典落語をより楽しむために−11 (江戸の行事) 投稿;須貝義弘
2010.10.27 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その11)   投稿;小田 茂
2010.10.24 アメリカの地方の町             投稿;廣川洋一
2010.10.16 2年かかりの『ルリタテハ』飼育記      投稿;清水有道
2010.10. 8 富士山を雑学散歩する(3)         投稿:砂田定夫
2010. 9.19 『クロアゲハ』の塩水吸水の決定的瞬間を撮る 投稿;清水有道
2010. 9.12 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その10)   投稿;小田 茂
2010. 9. 5 富士山を雑学散歩する(2)         投稿;:砂田定夫
2010. 8.15 支笏湖畔紋別岳ハイキング          投稿;清水有道
2010. 8. 8 富士山を雑学散歩する(1)         投稿;砂田定夫
2010. 8. 1 古典落語をより楽しむために−10 (文月の行事) 投稿;須貝義弘
2010. 7.25 快晴に恵まれ知床半島探勝          投稿;清水有道
2010. 7.18 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その9)   投稿;小田 茂
2010. 7.11  益 子 陶 器 市            投稿;梅原 実
2010. 7. 7 中国上海で「第九」を歌う           投稿;稲垣 貢
2010. 7. 4 古典落語をより楽しむために−9(水無月の行事)投稿;須貝義弘
2010. 6.13 いま、高尾山があつい!           投稿;砂田定夫
2010. 6. 6 蓼科高原をベースに春咲き山野草を楽しむ   投稿;清水有道
2010. 5.29 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その8)   投稿;小田 茂
2010. 5.23  古典落語をより楽しむために−8(江戸の春) 投稿;須貝義弘
2010. 5.16 「ロダン」と「ユトリロ」           投稿;稲垣 貢
2010. 5. 9  古典落語をより楽しむために−7(町奉行)   投稿;須貝義弘
2010. 5. 2 ”「今」、何故ドラッカーなのか ”      投稿;遠藤 実
2010. 4.25 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その7)   投稿;小田 茂
2010. 4.18 「ユニオンジャックの矢」に見る旧大英帝国のしたたかさ 投稿;清水有道
2010. 4.11  古典落語をより楽しむために−6(古から今へ) 投稿;須貝義弘
2010. 4. 4 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その6)   投稿;小田 茂
2010. 3.28  古典落語をより楽しむために-5(米山古墳) 投稿;須貝義弘
2010. 3.21  鴨 の 子 育 て               投稿;檜山湧二
2010. 3.14  古典落語をより楽しむために-4(藩の予算) 投稿;須貝義弘
2010. 3. 7 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その5)   投稿;小田 茂
2010. 2.28  古典落語をより楽しむために-3(正月風景-2)投稿;須貝義弘
2010. 2.14  古典落語をより楽しむために-2(正月風景-1)投稿;須貝義弘
2010. 2.10 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その4)   投稿;小田 茂
2010. 1.27 『往生』に往生してちょっと一言       投稿;清水有道
2010. 1.20  安住神社の大鏡餅             投稿;梅原 実
2010. 1.17  古典落語をより楽しむために-1(江戸時代)  投稿;須貝義弘
2010. 1.13 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その3)   投稿;小田 茂
2009.12.16 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その2)   投稿;小田 茂
2009.12. 9  第43回 神戸OB会            投稿;青木 聳
2009.12. 3 「いろいろな“碑”」を訪ねて(その1)   投稿;小田 茂
2009.11.29  落語を楽しむための裏話(その3/最終回) 投稿;須貝義弘
2009.11.17  森繁久弥さんの想い出            投稿;稲垣 貢
2009.11.15  落語を楽しむための裏話(その2-2)    投稿;須貝義弘
2009.11. 4 “発祥の地”を訪ねて!(その11/最終回)  投稿;小田 茂
2009.11. 1  落語を楽しむための裏話(その2-1)    投稿;須貝義弘
2009.10.28 “鏝絵(左官職人の芸術)”に魅せられて!  投稿;渡辺定彦
2009.10.18  落語を楽しむための裏話(その1)     投稿;須貝義弘
2009.10. 4 “発祥の地”を訪ねて!(その10)      投稿;小田 茂
2009. 9.20  さらにこれからの10年を失わないために   投稿;清水有道
2009. 9.16  2009年ブラインドゴルフ・ボランティア参加 投稿;三橋春夫
2009. 9. 6 “発祥の地”を訪ねて!(その9)      投稿;小田 茂
2009. 9. 3  見事に再生した“フジの花”         投稿:川田 維
2009. 8.30  九州南部の山行を楽しむ(その3/E)    投稿;清水有道
2009. 8.26  最初に剱岳に登ったのは誰か?       投稿;砂田定夫
2009. 8.16  九州南部の山行を楽しむ(その2)     投稿;清水有道
2009. 8.12  佐野市に残る芭蕉の句碑          投稿;須貝義弘
2009. 8. 5  九州南部の山行を楽しむ(その1)     投稿;清水有道
2009. 7.29 “発祥の地”を訪ねて!(その8)      投稿;小田 茂
2009. 7.15 「完全試合」「一球入魂」そして「痛恨のミスジャッジ」 投稿;仲本隆信
2009. 7. 8  小学校の安全パトロールのボランティアに参加して   投稿;秋山暢利
2009. 7. 5 “発祥の地”を訪ねて!(その7)      投稿;小田 茂
2009. 6. 8  第5回水彩風景画展17点の詳細説明(その5E)投稿;清水有道
2009. 6. 5 “発祥の地”を訪ねて!(その6)      投稿;小田 茂
2009. 5.27  『日本一』の“道標”           投稿;土田晃幹
2009. 5.24  第5回水彩風景画展17点の詳細説明(その4)投稿;清水有道
2009. 5.21  シネマ歌舞伎               投稿;小出一光
2009. 5.17 “発祥の地”を訪ねて!(その5)      投稿;小田 茂
2009. 5.10  第5回水彩風景画展17点の詳細説明(その3)投稿:清水有道
2009. 5. 2 “発祥の地”を訪ねて!(その4)      投稿;小田 茂
2009. 4.27  第5回水彩風景画展17点の詳細説明(その2)投稿;清水有道
2009. 4.24  横浜市街に“巨大くも”現れる!      投稿;小田 茂
2009. 4.21  茅ヶ崎春のイベント大岡越前祭       投稿;三橋春夫
2009. 4.15 “発祥の地”を訪ねて!(その3)      投稿;小田 茂
2009. 4.13  第5回水彩風景画展17点の詳細説明(その1)投稿;清水有道
2009. 4. 9 “発祥の地”を訪ねて!(その2)      投稿;小田 茂
2009. 3.22  東京計器と共に昭和を綴って(その13最終回)投稿;野村光雄
2009. 3.14 “発祥の地”を訪ねて!(その1)      投稿;小田 茂
2009. 2.25  東京計器と共に昭和を綴って(その12)   投稿;野村光雄
2009. 2.20  福島信夫三山暁まいり           投稿;白坂正一郎
2009. 2. 8 「相模野基線」を歩く            投稿;砂田定夫
2009. 1.25 「二列目の人生」と「ひとつとなりの山」   投稿;清水有道
2009. 1.18  東京計器と共に昭和を綴って(その11)   投稿;野村光雄
2008.12.17  東京計器と共に昭和を綴って(その10)   投稿;野村光雄
2008.12.13  現在の経済の混乱に思う          投稿;清水有道
2008.12.10 「第42回 神戸OB会」懇親会の模様      投稿;青木 聳
2008.12. 1  干支談義(その12)”始末記”       投稿;内藤文三
2008.11.26 「パラダイス鎖国」などと言っていてよいものか 投稿;清水有道
2008.11. 9  東京計器と共に昭和を綴って!(その9)  投稿;野村光雄
2008.11. 1  干支談義(その11) ”亥”        投稿;内藤文三
2008.10.25 「大人の社会科見学」の旅に参加して     投稿;清水有道
2008.10.16  山名雑話(2)              投稿;砂田定夫
2008.10.12  東京計器と共に昭和を綴って!(その8)  投稿;野村光雄
2008.10. 1  干支談義(その10) ”戌”        投稿;内藤文三
2008. 9.25  高根山から寝姿山へ            投稿;清水有道
2008. 9.10  東京計器と共に昭和を綴って!(その7)  投稿;野村光雄
2008. 9. 1  干支談義(その9) ”酉”        投稿;内藤文三
2008. 8.28  山名雑話(1)              投稿;砂田定夫
2008. 8.17  今年初の山行を九州の三山で        投稿;清水有道
2008. 8. 5  東京計器と共に昭和を綴って!(その6)  投稿;野村光雄
2008. 8. 1  干支談義(その8) ”申”        投稿;内藤文三
2008. 7.20  いま横光利一の「上海」を改めて読んで   投稿;清水有道
2008. 7. 6  東京計器と共に昭和を綴って!(その5)  投稿;野村光雄
2008. 7. 3  ターゲット・バード・ゴルフでメタボを無くす 投稿;吉間忠男
2008. 7. 1  干支談義(その7) ”午”        投稿;内藤文三
2008. 6.27  横浜開港150周年に向けてのイベントを見る  投稿;野村一信
2008. 6.22  仙漉]話                 投稿;清水有道
2008. 6.15  臨終仏教                 投稿;遠藤 実
2008. 6. 8  東京計器と共に昭和を綴って!(その4)  投稿;野村光雄
2008. 6. 1  干支談義(その6) ”巳”        投稿;内藤文三
2008. 5.25  蝶が告げる地球温暖化           投稿;清水有道
2008. 5.11  四国・今治の紹介(第2話その3/最終回) 投稿;三浦弘幸
2008. 5. 4  東京計器と共に昭和を綴って!(その3)  投稿;野村光雄
2008. 5. 1  干支談義(その5) ”辰”        投稿;内藤文三
2008. 4.24  医事に関する契約書            投稿;金子健吉
2008. 4.20  中央アルプスの思い出           投稿;砂田定夫
2008. 4.13  四国・今治の紹介(第2話 その2)    投稿;三浦弘幸
2008. 4. 7  齢(よわい)82歳、元気に活動してます!  投稿;稲垣 貢
2008. 4. 6  東京計器と共に昭和を綴って!(その2)  投稿;野村光雄
2008. 4. 1  干支談義(その4) ”卯”        投稿;内藤文三
2008. 3.23  しかし歌えない「蛍の光」の第3番・第4番 投稿;清水有道
2008. 3.16  四国・今治の紹介(第2話 その1)    投稿;三浦弘幸
2008. 3. 9  東京計器と共に昭和を綴って!(その1)  投稿;野村光雄
2008. 3. 1  干支談義(その3) ”寅”        投稿;内藤文三
2008. 2.24 「中村研一の見た風景」展を見る       投稿;清水有道
2008. 2.17  四国・今治の紹介(第1話 その4)    投稿;三浦弘幸
2008. 2.10  佐野処々(その16/最終回)“鉢之木”  投稿;真木守俊
2008. 2. 8  工学博士の文学賞受賞           投稿;佐藤雅寿
2008. 2. 7  吾妻山で見た”東京計器”         投稿;砂田定夫
2008. 2. 1  新春干支談義(その2) ”丑”      投稿;内藤文三
2008. 1.27 「共育」と「渡米」を考える         投稿;清水有道
2008. 1.20  佐野処々(その15)“大慈寺・慈覺大師” 投稿;真木守俊
2008. 1.13  四国・今治の紹介(第1話 その3)    投稿;三浦弘幸
2008. 1. 1  新春干支談義(その1) ”子”      投稿;内藤文三
2007.12.26  佐野処々(その14)“惣宗寺”      投稿;真木守俊
2007.12.16  四国・今治の紹介(第1話 その2)    投稿;三浦弘幸
2007.12. 9  佐野処々(その13)“佐野の産業”    投稿;真木守俊
2007.11.25  四国・今治の紹介(第1話 その1)    投稿;三浦弘幸
2007.11.20  三途の川紅葉狩り余談           投稿;清水有道
2007.11.18  佐野処々(その12)“越名・馬門河岸”   投稿;真木守俊
2007.10.28  佐野処々(その11)“簗・陶芸”      投稿;真木守俊
2007.10. 7  佐野処々(その10)“秋は楽しく”    投稿;真木守俊
2007. 9.15  佐野処々(その9)“天明鋳物”      投稿;真木守俊
2007. 8.26  佐野処々(その8)“秋口には”      投稿;真木守俊
2007. 8. 5  佐野処々(その7)“お盆のころ”     投稿;真木守俊
2007. 7.15  佐野処々(その6)“江戸時代の佐野”   投稿;真木守俊  
2007. 7. 7  私の宝物(その7/最終回)“5人の孫”  投稿;小川 孝 
2007. 6.24  佐野処々(その5)“室町・戦国時代の佐野”投稿;真木守俊
2007. 6.23  私の宝物(その6)“金属模型とラジコン” 投稿;小川 孝
2007. 6. 3  佐野処々(その4)“越名沼”       投稿;真木守俊
2007. 6. 1  私の宝物(その5)“財布”        投稿;小川 孝
2007. 5.13  佐野処々(その3)“唐沢山 ”       投稿;真木守俊
2007. 5.12  私の宝物(その4)“皐月盆栽”      投稿;小川 孝
2007. 5. 6  映画雑感(邦画編)            投稿;小出一光
2007. 5. 5 “映画とCM”に出演して          投稿;稲垣 貢
2007. 4.21  私の宝物(その3)“鉄道模型”      投稿;小川 孝
2007. 4.13  佐野処々(その2)“みかも山 ”      投稿;真木守俊
2007. 4.13  私の宝物(その2)“狸の置物”      投稿;小川 孝
2007. 4. 8  小出一光さんの菊洸会30周年演奏会を聞く  投稿;小倉洋子
2007. 3.31 「続編」港ヨコハマ“豪華外国客船”の訪れ! 投稿;小田 茂
2007. 3.20  佐野処々(その1)“ 桜 ”        投稿;真木守俊
2007. 3.18  私の宝物(その1)“時計”        投稿;小川 孝
2007. 3.13  御礼の言葉(演奏会を終えて)       投稿;小出一光
2007. 3. 1  コントラクト・ブリッジを始めてみませんか 投稿;野村一信
2007. 2.18  とちぎ歳時記“野焼き”          投稿;宮島俊文
2007. 2. 8  港ヨコハマ“豪華外国客船”の訪れ!    投稿;小田 茂
2006.12.30  マルM会の解散              投稿;野村一信
2006.12.29  大型バイクとツーリング          投稿;木戸雅史
2006.11.11  40周年を迎えた 『神戸会OB会』    投稿;青木 聳
2006.10.26  秋の「三渓園」へのご案内         投稿;小田 茂
2006.10.10  はじめて「テレビ番組」に出演して!    投稿;山田七郎
2006. 9.28 「流量計」今も現役で頑張っております!   投稿;三村直行
2006. 9.15  トキメック剣道部合宿に参加して      投稿;長谷川鐵夫
2006. 8.20  高齢化社会で“青春を謳歌”する!     投稿;関根秀夫
2006. 8. 8  隅田川を画く               投稿;金子健吉
2006. 8. 3  東山魁夷画伯の日記            投稿;三橋春夫
2006. 7.30  とちぎ歳時記               投稿;宮島俊文
2006. 4. 5  旧産業生産管理課 有志          投稿;小出一光
2006. 4. 8  架空請求にご注意ください         投稿;三橋春夫
 

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          話  題  『 よもやま話 』  
2021. 7.10 清水 日本語と英語の「見る」、「見える」に一生を煩わされて
 
  日本語と英語の「見る」、「見える」に
一生を煩わされて 横浜市 清水 有道
 
1.まえがき
 筆者は中学生になった早々に近視と乱視に悩まされ、メガネのお世話になった。
ランドルト環
ランドルト環
さらに近年5年ほど前から左目で見る画像が極端に歪み
や撓み、捻じれがあって殆ど右目単眼での生活となって
しまい、本を読むこともテレビやパソコンも長時間続け
ることが困難になってしまった。そんな訳で目が不自由
になって以来目に関することに関心が向き、そう言えば、
日本語の言葉や会話には「見る」、「見える」に結び付
けられたものが、これでもか、これでもかと数え切れな
いくらいたくさんあることに思い及んだ。
いま改めて思い返してみれば、80年超のわが人生で、常に頭を煩わせてきた大きなテ
ーマの一つだった。因みにちょっと5つぐらい拾ってみると、
 
 ・みすてる (見捨てる)「見放す」、「捨てて顧みない」の意。英語では“forsake”
 ・みくびる (見縊る) 「実質以下に見下げる」の意。英語では“make light of”
 ・みあやまる(見誤る)  英語では“mistake”、“fail to recognize”
 ・みはかる (見計る) 「たばかる」、「計画する」の意。
              英語では“choose at one's own discretion”
 ・みとどける(見届ける)「見て確かめる」、「最後まで見る」の意。
              英語では“ascertain”
 
がある。
どれもとても的を射た特異な表現を言い表すニュアンスを含んでおり、語彙を増やす
には誠に良い格好のテーマになるだろう。見合う英語の表現もそれぞれの言葉の意味
の限定がはっきりしていて、使い方が分かろうというものである。海外の人々との交
友を深めるにも誠にうってつけの題材であると言えるのではなかろうか。
 
2.過去の海外との仕事を通じて学んだ秘策
特に格別の意識をすることもなく、最も相応しい表現方 英英辞典
英英辞典
法はどう言えばよいのだろうか。何時でも絶えず考えて、
考えて考え抜いた末の結果を文章に表すということをラ
イティングの極みと思って仕事をしてきた筆者には、最
も神経の細る厄介な関門というか、安易に経過できない
チェック・ポイントであった。勿論、議論の対象は「見る」
「見える」に留まらないが、今回は「見る」、「見える」
に絞って議論を進めてみたい。そこで、この両言葉の意
味を伴っている言葉というか、単語を以下もう少し拾い上げてみた。
 
 ・みつもる  (見積もる)  “estimate”、“quote”
 ・みつける  (見つける)  “find out”
 ・みさだめる (見定める)  “ascertain”
 ・みすごす  (見過ごす)  “miss”、“pass over”
 ・みのがす  (見逃す)   “miss”、“pass over”
 ・みくだす  (見下す)   “despise”
 ・みさげる  (見下げる)  “look down on”
 ・みちがえる (見違える)  “mistake”、“can not recognize”
 ・みうしなう (見失う)   “loose sight of”、“miss”
 ・みなす   (見做す)   “presume”、“regard as”
 ・みそこなう (見損なう)  “make a mistake”、“misjudge”
 ・みはてぬ  (見果てぬ)  “unfinished”
 ・みうける  (見受ける)  “see”、“come across”、“take a person for”
 ・みとがめる (見とがめる) “find fault with”、“question”、“challenge”
 ・みわたす  (見渡す)   “look out over”、“take an extensive view of”
 ・みせびらかす(見せびらかす)“show off”、“flaunt”、“display”
 ・みおくる  (見送る)   “see off”
 ・みおさめ  (見納め)   “the last look”
 ・みそめる  (見初める)  “fall in love with a person at first sight”
 ・みつくろう (見繕う)   “choose at one's own discretion”
 ・みえすく  (見え透く)  “be transparent”
 ・みおとす  (見落とす)  “overlook”
 ・みおとりする(見劣りする) “compare unfavorably”
 ・みおぼえ  (見覚え)   “remembrance”
 ・みおろす  (見下ろす)  “look down”
 ・みかえし  (見返し)   “flyleaf”
 ・みかぎる  (見限る)   “forsake”
 ・みかけ   (見掛け)   “appearance”
 ・みかた   (見方)     “point of view”
 ・みかねる  (見兼ねる)  “be unable to remain a mere spectator”
 ・みきりひん (見切り品)  “bargain”
 ・みきわめる (見極める)  “ascertain”
 ・みぐるしい (見苦しい)  “ugly”
 ・みこす   (見越す)   “anticipate”
 ・みごたえ  (見応え)    “be worth seeing”
 ・みこみ   (見込み)   “prospect”
 ・みごろし  (見殺し)   “leave to one's fate”
 ・みさかい  (見境)    “distinction”
 ・みしり   (見知り)    “acquaintance”
 ・みせば   (見せ場)    “highlight”
 ・みたてる  (見立てる)  “judge”
 ・みてくれ  (見て呉れ)  “appearance”
 ・みどころ  (見所)     “point worth seeing”
 ・みとれる  (見蕩れる)  “be charmed”
 ・みなおす  (見直す)   “look at again”
 ・みなれる  (見馴れる)  “get used to seeing”
 ・みぬく   (見抜く)   “see through”
 ・みばえ   (見栄え)   “outward appearance”
 ・みはなす  (見放す)   “give up”
 ・みはる   (見張る)   “watch”
 ・みまう   (見舞う)   “ask after”、“visit”
 ・みまもる  (見守る)   “watch over”
 ・みまわる  (見回る)   “patrol”
 ・みめ    (見目)    “looks”
 ・みやぶる  (見破る)   “see through”
 ・みよう   (見様)    “view”
 ・みわける  (見分ける)  “discriminate A from B”
 
大変な数の単語である。漢字の“見(けん)”の付く「見学」、「見物」などを拾え
ば、さらに何倍かの分量になってしまうであろう。一昔前の話になるが、毎日の文通
の相手に米国ヴィッカース社役員のクレイトンさんがおられた。同氏はビッカース社
内でも難しい言葉をこれでもかというくらいたくさん使うことで面倒な交渉相手とし
て煙たがられていた。そこで筆者に当時の上司の一人が「有道!お前の漢文英語
(筆者注:筆者の英作文があまりに教科書的で、ガチガチの文章として上司からかよ
うに評されていた)の好敵手が現れたな!!」などと揶揄されたものであった。しか
し、世界に名を馳せた有名企業の役員とのコミュニケーションで、このような貴重な
経験が得られるとは、筆者にとっては何よりの嬉しい話であった。現在手元には紹介
できるような事例文通の写しを有していないので、ご披露できないのが残念であるが、
両者が腕を振るってのやり取りは滅多に体験できない面白い、かつ楽しい“言葉遊び”
であった。形式や作文自体は劣るとしても、本人は大真面目に取り組んでの、文字通
りの勝負で、苦しみと楽しみの両方を味わえる、今にして思えば、二度となし得ない
かもしれない貴重な体験であった。
海外郵便
海外郵便
 自分の気持ちをぶつけることと、礼儀作法を弁えるこ
との両方を満足して、相手の感情を害しない文例にする
こととは言え、大変な難作業であったことは誠の話であ
る。ともあれ、同氏は筆者の作文能力に大変な教材を提
供くださったのであった。このように文通の相手方が途
轍もない挑戦者であることは、願ってもない取り組みで
あった、と筆者は今でも非常に懐かしい思い出として大
切にしている。クレイトン氏もとんでもない相手がいた
ものだと、武田鉄矢ではないが、さぞかし“驚き、桃の木、山椒の木”であったこと
だろう。
 もう少しお付き合いいただいて、日本語で言う「精彩」について少し議論してみた
い。「精彩」については、次のような言葉を思い起こされるでしょう。
 
 ・精彩を加える
 ・精彩を放つ
 ・精彩を欠く
 ・精彩に欠ける
 ・精彩に富む
 
まだほかに幾つもあるが、このくらいに留めるとして、「精彩」という単語の意味を
どう解釈されるであろうか。一つには、「美しいいろどり」、「鮮やかな光」の意味
を表し、色彩に関する表現である。二つ目は、活気に溢れる様子や「人が鮮やかに生
き生きしている様」を表しているとされる。そのため「生彩」と書き換えることもで
きると言われている。「精彩」の類語には現在使われている言語では、以下の五つく
らいが思い当たる。
 
 ・光彩(こうさい) :キラキラと輝く美しい光を指す。
 ・色艶(いろつや) :光沢のある色合い。
 ・生気(せいき)  :生き生きとした様子、活気とも言える。
 ・英気(えいき)  :生き生きと働こうとする気力や元気。
 ・バイタリティ   :生命力、活力、元気。
 
それでは、「精彩」は英語ではどのように訳されているのでしょうか、また、類語と
して、どういう単語が使われるのでしょうか。差し当たり以下の五つくらいが思い浮
かぶ。
 
 ・colourfulness   :美しい色どり、精彩、彩度。
 ・colourful     :色彩に富んだ、多彩な、精彩のある。
 ・lively      :元気な、活発な、活気のある。
 ・lifeless     :精彩を欠いた、活気のない。
 ・brilliant     :光り輝く、鮮やかな、立派な、優れた。
 
 長い間書き付けた筆者の「忘備録」、「抜粋語録」、“Collection of Words”から
拾って、以上の駄文を綴ってみたが、筆者が自分の力の一つとして、使える言葉を育
てるために努力を続けてきたこれらのノートが、数えてみれば30冊を超えるものにな
っていた。思い返せば日々書き留めた記録が少しずつ、実際に実用化されて、筆者自
身の言葉に化けていることが感じられて、興味と満足感に尽きない思いである。
 心通わす文通を通して、若い時には考えてもみなかっ 抜粋語録ノート
抜粋語録ノート
た言葉の大切さを思い知って、言葉を大事に育てて来て
良かったと思っている。たくさんの名作を読んだこと、
業界誌の編集委員として毎号コラムを宛がわれてエッセ
イを執筆していたこと、若い時から同人誌を作るメンバ
ーに入って、毎号に愚作を載せ続けていたことなどが知
らず知らずのうちに、筆者を育ててくれていたのだと改
めて嬉しく思っている。続けることの効果なのでしょう
か。下手な文章も数書けゃ読めるでしょうか。
                                     了
コロナ・ウイルスのワクチンの1回目接種を翌日に控えた2021年6月14日(月) 記
 
2021. 6.13 岡田 数学ア・ラ・カルト:古代バビロニアの√2 
 
 数学ア・ラ・カルト:古代バビロニアの√2   武蔵野市 岡田 昂三
 
 最近.次式:

で定義される数列{Xn}及び{Yn}が a<0 の下で√Sに収束しa=-1で収束速度が最大にな
ることを発見した。これをY氏に知らせたところ、氏から“古代バビロニア等を調査
してみては・・・?”との助言を得た。早速氏からの資料並びにネット等を調べたと
ころ、驚いたことに、今日からおよそ4000年昔の古代バビロニアで上記式で a = -1,
S = 2 とした次式:

を使用して、√2の近似値を算出し、粘土板に記録していた。今日、この方法をバビ
ロニア人の方法(Babylonian method)と呼んでいるもようである。
 今般、この粘土板の内容を検証したので、以下、これを報告する。
 古代バビロニアでは、60進法を採用していた。10進法で0, 1, 2, ・・・, 9の10種
のシンボルが必要なように、60進法では、60種のシンボルが必要になる。しかるに、
古代バビロニアでは零を除く1〜59を表す59種のシンボルだけを図 1の通り定めてい
る。

を表している。*1(図1参照)
 なお、零を表すシンボルがないため、多少混乱が発生したもようである。
 *1 猪俣友昭 “バビロニアの記数法と数学”より   
図1 クサビ形文字 数字
図1 クサビ形文字 数字
 したがって、次に示す60進数4桁の数は、*2 
図2 60進法の表示
図2 60進法の表示
であり(図2)、かなり良い円周率πの近似値である。
 *2 1の桁(60^0)が明示されていない。
 
 さて、主題の粘土板を見てみよう。図3は、エール バビロニア コレクションの
YBC7289と呼ばれている有名な粘土板である。これには、 図3 
図3  粘土板
60進法で1;24,51,10と42;25,38の2つの数が刻まれ   
ている。*3 
 前者は、一辺が1の正方形の対角線の長さ即ち√2の
近似値であり、後者は一辺を30とみた場合の30√2の近
似値である。 
 *3 https://wikipedia.org/.wiki/
            “バビロニア数学”より  
 
 先ず、前者を評価する目的で10進数に直すと

となり、約 6x10^-7 の絶対誤差を含んでいる。
 60進法4桁の中に、これより良い近似値があるかどうかを次式で調べた。

いずれもより大きい誤差を含んでいるので、粘土板の1;24,51,10を「最良近似値」と
呼べる。
 後者についても  

なので、これも60進3桁の中に 42;25,35より良い30√2の近似値が存在しない。
したがって、これも「最良近似値」である。
 さて、パリ ルーブル博物館所蔵の粘土板AD6484に話を移す。この板は√2の近似値
を60進法2桁の1;25で示している。*4 
 これも

なので「最良近似値」である。
 *4 亀山武夫“古代の数学について”の53頁より   
 
 以上示した例では、いずれも「最良近似値」であったが、古代バビロニア人は
「最良近似値」を
 1)(2)式を繰り返し使用し、十分な桁数まで安定させ、
 2)その数の不必要な下位の桁に対して“29捨30入”を施していたと考えられる。
この√2と30√2の例を示す。
 1) √2 = 1;24,51,10,7,46,・・・         (14)
 2) 1桁の「最良近似値」= 1                (15)
    2桁の「最良近似値」= 1;25              (16)
    3桁の「最良近似値」= 1;24,51           (17)
    4桁の「最良近似値」= 1;24,51, 10         (18)
    5桁の「最良近似値」= 1;24,51, 10, 8        (19)
       ・・・        ・・・・
 
 1)30√2 = 42; 25,35,3,53,2,・・・          (20)
 2) 1桁の「最良近似値」= 42                 (21)
    2桁の「最良近似値」= 42;26                (22)
    3桁の「最良近似値」= 42;25, 35             (23)
    4桁の「最良近似値」= 42;25, 35, 4           (24)
    5桁の「最良近似値」= 42;25, 35, 3, 53         (25)
        ・・・        ・・・・
 さて最後に3桁の例に移る。この粘土板の番号が不明だが、√2の近似値を1;24,
30としている。*4  これは(17)式と矛盾し、3桁の最良近似ではないと思われ
るが、念のために10進数に直して検討すると

なので、はたして、この1;24,30は「最良近似値」ではない!かなりな数学を身に
付けていた古代バビロニア人がこんな間違いを粘土板に残すとは考えにくい。そこで、
計算ミス、零と桁間のブランクの混同、論文の誤記等々を考えてみたが、説得力のあ
る案を得られなかった。最後に残ったのが次の仮説である。
“正しく1;24,51と刻まれた粘土板が長い年月の間に 図4 剥離箇所
図4 剥離箇所
損傷を受け、図4の赤で示した個所が剥離し、後世の人
がこれを見て1;24,30と読んだ。"
 いずれにしろ、実物をつぶさに観察し、検証したいも
のである。
 
 以上を要約すると
“古代バビロニアの√2に関する近似値は、いずれも
実用上望ましい「最良近似値」である。“ となる。         <以上>
 
2021. 5.31 砂田 日本史ミステリーの森へ
 
日本史ミステリーの森へ 相模原市 砂田 定夫
 
はじめに                                 
日本の歴史には子供のころから興味を持っていた。その中にはどうしても解けない
謎がいくつか存在した。そのどれもが諸説ありながら真相が解明されておらず、それ
を解く決め手が未だにないのだ。そこで、「古代」「戦国」「幕末」の各時代に横た
わるミステリーの森へ探索に出かけ、私なりの考えを「妄想」してみようというのが
本稿の趣旨である。
 
【古代編】 邪馬台国はどこにあったか
 
 1.『魏志倭人伝』が有力な手がかり
 歴史というものは、古い時代へ遡るほど謎が多く、特に古代はミステリーの世界で
ある。日本の歴史について考えてみると、特に文字で表現される以前については謎だ
らけといってよい。歴史の根拠になるのは史書などの文献である。最も古い日本の国
史に相当するものには『古事記』と『日本書紀』(二つ合わせて『記・紀』と呼ぶ)
がある。ところが、これらが書かれたのは8世紀の初めであり、例えば卑弥呼が活躍
した邪馬台国の時代、3世紀のことを書くには500年前のことを書くことになり、現在
に置き換えてみれば、戦国時代のことを今書こうとすることである。その3世紀の時
代日本では文字が普及しておらず、文書は残っていなかった。
「記・紀」は8世紀の初め、天武天皇の命でおそらく藤原不比等などが編纂したもの
であるが、王・大王とか豪族の家に残る記録や伝承をまとめたものであり、客観性に
乏しく、創作が多いものである。そこで、当時の先進国であった中国の史書が、外交
のあった日本について書き残していれば当時の日本について有力な手がかりとなる。
というわけで、歴史学者や研究家に珍重されているのが3世紀中ごろに中国で書かれ
た『魏志倭人伝』である。当時の中国は三国時代であり、厳密には『東夷伝』の『倭
人条』というのが正しい。その中に僅か2000字くらい書かれたものがいわゆる『魏志
志倭人伝』(ぎしわじんでん、以下『倭人伝』と書く)ということになり、当時「倭」
と呼ばれていた日本と、「倭人」と呼ばれていた日本人の事情が書いてある。
 この『倭人伝』は、朝鮮半島の帯方郡(今のソウル付近)に中国(当時三国時代の
魏王朝)の出先機関があり、そこの陳寿という役人が、北部九州にあった倭国の行政
地、伊都国に滞在してまとめた報告書で、いわば外国人が日本の状況を記したもの、
それ故日本の古代を探るには最も信頼できる史料なのである。しかし口述筆記のため、
あいまいな記述が多かったり、見当違いがあったり、適当な当て字を使っているため、
後世ではいろいろな解釈がされて、当時日本にあった邪馬台国についていまだに論議
が絶えないのである。逆にそのような状況だから、日本の古代史には推理や推論が成
り立って面白い、と言えるのかもしれない。
 
 2.『魏志倭人伝』の記述をどう解釈するか?
 『倭人伝』には邪馬台国がどこにあったか、という謎を解くためのカギとなる帯方
郡から邪馬台国までの経路が書かれている。その概略を述べると、まず海岸沿いに南
へ水行(水路)し、さらに南、東へ進んで狗邪韓国(伽耶=かや、いまの金城付近)
まで7千余里。海を渡って千余里で対馬国(いまの対馬)。そこから南へ海を渡って
千余里で一大国(一支国の誤り、いまの壱岐)、さらに海を千余里で末盧国(いまの
松浦)、東南へ陸上500里で伊都国(いまの糸島市)に至るとある。伊都国が中国
(魏)の郡司が行き来するときの駐在所となっていた。ここから女王が都として君臨
した邪馬台国(邪馬壱国ともいう)までは、南へ「水行10日、陸行1月」とある。
帯方郡から朝鮮半島南部、対馬、壱岐、松浦、糸島までは地名的にも現在と同定でき
る。つまり、伊都国までは各説ともが認める行程であり、問題は伊都国から邪馬台国
への行程である。
これまでの有力な説はつぎの二つであった(図1および図2参照)。
 
 @放射式説:伊都国以降の『倭人伝』に記述は、伊都 図1 邪馬台国への道程図
図1 邪馬台国への道程図
国を中心として奴国(なこく)、不弥国(ふみこく)、
投馬国(とまこく)、そして邪馬台国へ放射状的に方位
と距離を示しているという説。敵対している狗奴国(く
なこく)は邪馬台国の南とする。
 A連続式説:伊都国から奴国、不弥国、投馬国、邪馬
台国と連続して、その間の方位と距離を示している、と
いう説。
 
 問題は、女王のいる邪馬台国へ「南へ水行10日、陸行 図2 邪馬台国里程図
図2 邪馬台国里程図
1ヶ月」という記述の解釈である。まず「南へ」という
方角に注目すると、伊都国からにしても、投馬国からに
しても、九州のはるか南の海上になってしまう。そうな
ると邪馬台国の敵対国である狗奴国はさらに南の海上に
ある、ということになる。そこでもう一つの説として、
「南」が「東」の誤りと考え、それが瀬戸内海または日
本海を経る畿内説に結び付くことになる。
 
 3.邪馬台国は畿内か北九州か
 邪馬台国の所在については諸説あり、100説を超えるという。同じ九州でも筑前
(福岡県)、筑後(同)、肥前(長崎県)、肥後(熊本県)、豊前(大分県)説から
さらに南九州に至る説もあり、果ては海を南下してジャワ、スマトラ、フィリピンま
で飛躍した説さえある。しかし、現在では畿内大和と北部九州の二つの説に集約され
ているといってよいだろう。江戸時代には、新井白石が当初は畿内説を唱えたが、の
ちに北九州説に転向している。よく知られた学者では、例えば直木幸次郎が畿内説、
白鳥庫吉や井上光貞は北九州説(例えば筑後の山門郡)をとっている。同じ北九州説
をとる推理作家の松本清張が『邪馬台国』(清張通史1)を書いたのは1986年である。
その後の研究で新情報が次々に発表されているが、清張の鋭い洞察力は今でも説得力
を失っていない。また、宮崎康平が著した『まぼろしの邪馬台国』では肥前島原説を
導き出し、吉永小百合・竹中直人の主演で映画化され、話題になった。
図3 邪馬台国里程図
図3 邪馬台国里程図
 このように諸説ある中で、私が最も納得しているのは、
倉本一宏氏の説である(『日本史の論点』)。横道にそ
れるが同氏の文を読むと、そのルビの斬新さが目立つ。
例えば、百済(クダラ→ヒャクサイ)、新羅(シラギ→
シンラ)、邪馬台国(ヤマタイコク→ヤマトコク)、卑
弥呼(ヒミコ→ヒメミコ)、倭王権(ヤマトオウケン→
ワオウケン)といった具合だ。読み方はともかく、倉本
氏の説に話を戻すと、『倭人伝』にある「1万2千余里」
を帯方郡からの総距離と考え、伊都国までの累積距離を引き算すると、邪馬台国の所
在はせいぜい伊都国から数十キロメートル程度になり、筑紫平野のどこかだろう、と
いう説である(図3参照)。確かに『倭人伝』をよく読むと、「郡(帯方郡)より女
王国に至るには、万二千余里」と書いてある。このように解釈する学者や研究者は近
年増えているようだが、今まで「水行10日、陸行1月」を、伊都国起点と考えること
が多かったから、「南」を「東」に置き換えたりして混乱したとも考えられる。また、
場所的にはこの辺りにヤマト(山門)という地名が複数存在する。規模は「千余戸」
だったという記事があるが、数値はオーバーの可能性があるにしても、広域に展開し
ていた可能性はある。
 
 4.北九州説を支持する理由
 ここからは私見になるが、邪馬台国のあった場所について、現在は7対3の割合で
〈北九州説〉に傾いている。〈畿内説〉の方に3割を残したのは、今後の調査と発見
によって逆転の可能性を持たせておきたいのである。例えば卑弥呼の墓ではないか、
とされている箸墓(はしはか)などが発掘されて、確証の高い考古学的検証が行われ
れば、あるいは〈畿内説〉の有利性が高まるかもしれないのだ。しかし、残念ながら
現実では箸墓をはじめ、天皇や皇族の墓と伝えられる陵墓は、宮内庁が管理していて
発掘が一般には許可されていない。7割で〈北九州説〉を支持するのは以下の理由に
よるもので、これはあくまで私の推理−自分では「古代妄想」と呼んでいる−による
ものである。
@『倭人伝』に書かれた方位、距離、日数は外国人の口述筆記を主体としているため、
聞き違い、思い違いなどが考えられ、それらを差し引いて解釈する必要がある。『倭
人伝』にはほかに「女王国の東、海を渡ること千余里にまた国あり、皆倭の種なり」
という記述があり、これに注目したい。距離はともかく、「倭の種」とは九州の東方、
吉備(岡山)、出雲(島根)、四国東部に古くから存在した文化圏も考えられるが、
私は同時代に栄えていた畿内の纏向(まきむく)を中心とするヤマト王権を指してい
ると思っている。
A『倭人伝』によれば、卑弥呼が女王になる前は男王が7、80年在位したが、乱世と
なって互いに争ったという。また、卑弥呼の死後もまた男王を立てたが、再び国中が
争乱となり、卑弥呼の宗女、台与(トヨ、または壱与=イヨともいう)を立てて収ま
ったという。有名な吉野ケ里遺跡(佐賀県)にみられるように、北九州には防御用の
壕が発掘され、物見やぐらや城柵の跡もあり、『倭人伝』の書かれている「楼観、城
柵を設ける」に一致する。吉野ケ里遺跡からは、戦闘で傷ついた戦士の骨さえ出土し
ている。
B一方の畿内には、卑弥呼の墓ではないかという箸墓はじめ、大型の前方後円墳が残
っているが、戦乱の中では大規模な工事を行うだけの年月と動員は不可能と考えられ
ること。また、近年纏向遺跡に大型建物跡が発掘され、それこそ卑弥呼の宮殿だ、と
騒ぎ立てられたが、戦乱に備えた防御の形跡が見られないこと。
C畿内説が有利な理由として挙げるのが前記の纏向遺跡である。東西に2km、南北
1.5kmの大都市跡であり、2009年には当時の日本では最大の建物跡も発掘された。
放射性炭素測定法や年輪年代測定法により、3世紀前半のものとされ、卑弥呼の時代
と一致したことから、「すわ!卑弥呼の宮殿だ」と畿内派は活気づいた。しかし、
『倭人伝』が「共立した」と表現しているにしては、纏向は規模が大きすぎる。また、
『倭人伝』では卑弥呼の墓は150m位とされているが、箸墓は2倍近い280mもある。
また、纏向からは中国産の青銅器など発掘されず、中国文化の影響がほとんどみられ
ない。
D『倭人伝』には倭国の兵が鉄製や骨の矢じりを用いていたとあり、実際に北九州で
は鉄製の矢じりが発掘されている。そのほか北九州では鉄器は圧倒的に多く発掘され
ているが、同時代の畿内から出る鉄の製品は極めて少ない。当時、北九州は朝鮮半島
との交流が盛んであり、鉄の輸入は有利だった。福岡県では「墨」の付着した硯(す
ずり)が発掘され、文字が使われていた可能性がわかったが、鉄を含め広く文化面で
北九州の方が先進的だった。
E『倭人伝』には、中国(魏)が倭国の使者に贈ったものの中に銅鏡100枚が含まれて
いる。その銅鏡に相当するのが畿内の古墳から圧倒的に多く出土する「三角縁神獣鏡」
である、というのが畿内説派の言い分である。ところがこの「三角縁神獣鏡」は中国
からは見つからず(洛陽で類似品が1個だけ見つかったが)、しかも4世紀に作られ
たもので、技術的には二流品、しかも100枚どころか膨大な数が発掘されているので
ある。最近では、この「三角縁神獣鏡」は倭国での国産品である、という見解が多く
なっている。1965年に発見された平原遺跡(糸島市)には長方形方形周溝墓があり、
卑弥呼の墓ではないかという説もある。この遺跡からは40枚の銅鏡「内行花文鏡」が
発掘され、これこそ魏の鏡ではないかと言われている。
F西暦720年に完成した『日本書紀』には卑弥呼の記述がない。邪馬台国がヤマト王権
になったのであれば、卑弥呼について何らかの記述があってしかるべきである。
宮内庁が箸墓を倭迹々日百襲姫(ヤマトトトモモソヒメ)の墓としており、呪術を用
いるシャーマン的だったことから卑弥呼である、とする説もある。しかし、モモソヒ
メの父はいわゆる欠史八代の七代孝霊天皇とされている。また、『日本書紀』では神
功皇后を卑弥呼に見立てているが、神功皇后の実在性や新羅征討などが史実かどうか
疑問視され、伝説的な記述が多すぎる。
 
 5.邪馬台国は東遷した?
 もう一つの説として、邪馬台国の東遷説というのがある。哲学者の和辻哲郎などが
説いた説である。中には伊都国の東遷説もある。つまり北九州にあった連合体の一部
が東へ移動して、畿内に新しい政権を作ったという説である。一つの根拠として、あ
る人は北九州と畿内には同一地名がいくつもある、というのだ。このような話になる
と、1948年に江上波夫が「騎馬民族国家説」を発表して、高句麗や百済などツングー
ス系の王族が渡来して大和に崇神王朝を作ったとして話題をまいたことを連想する。
この説は最近では受け入れられていないが、同様に北九州の政権がこぞってほかの地
域へ移動して新しい統治政権を作ることは、当時の事情から考えて困難ではないかと
思われる。それに卑弥呼や台与が活躍した時代にはすでに纏向文化の基礎は出来上が
っていたのではないだろうか。また、『日本書紀』にある神武天皇東遷説と結びつけ
る向きもあるが、神武伝説の方はあくまで神話であり、歴史家の間では史実性に乏し
いというのが一般的である。私の考えでは、北九州の連合体の一部有力者が先進文化
とともに畿内へ移動して、ヤマト王権に何らかの影響力を与えた可能性はあるのでは
ないかと思っている。
 
 6.狗奴国は熊襲の国か?
 『倭人伝』の中に気になる記述がある。それは倭人(日本人)の男子はみな「面を
黥(きざ)み」という部分だ。つまり男子はみな顔に「イレズミ」をしているという。
確かに土偶でもそのようなものが見られる。『倭人伝』には卑弥呼や台与が魏に遣わ
した使者が、男女の生口を大勢献じたという記述がある。「生口」とは単なる奴隷と
は考えられず、おそらく優れた技能者とか芸能者のような特技を持った人々、あるい
は武術に秀でた戦士ではなかったかと思う。これも私の「妄想」になるが、当時邪馬
台国と争っていた狗奴国の帰順者かもしれないと想像している。狗奴国の人々は、後
の熊襲(クマソ)と呼ばれる勇猛な人々で、『日本書紀』では日本武尊(ヤマトタケ
ル、『古事記』では倭健命)と争ったとされる。畿内には顔にイレズミを入れる風習
はなかったが、狗奴国の人々にそのような風習があったのかもしれない。狗奴国の
「クナ」はクマの聞き違いで、クマソは球磨(クマ)と阿蘇(アソ)がつまったもの、
という説もある。日本人が同化していく前の九州は、倭国連合体の人々が基本的には
稲作文化とともに大陸の華南や南朝鮮から渡来した人びとが中心だったのに対して、
かつて南九州には熊襲とか隼人(ハヤト)と呼ばれる異文化を持った南方系の渡来民
族がいて、倭国と相対していたと想像している。それはあたかも東北で蝦夷(エミシ)
と呼ばれて縄文文化圏を作っていた人々が、9世紀初めに阿弖流為(アテルイ)が投
降したのを最後に、水田耕作や前方後円墳の文化を持ったヤマト王権に対して共存を
選んだ事情と同じである。
 
 7.争乱の邪馬台国と融合のヤマト王権
 前にも述べたように、3世紀中ごろの中国は三国時代で、その中の魏王朝と外交関
係にあったのは、邪馬台国を盟主とする北部九州の倭国連合体であった。一方、畿内
の大和盆地には別の権力であるヤマト王権が列島規模の支配権を広げていた。この政
権と中国江南地方を支配していた三国時代の呉王朝との交流も考えられないわけでは
ない。それはヤマト王権の勢力範囲から呉の鏡が出土したり、山梨の古墳からは呉の
年号を刻んだ鏡が出土しているのである。少なくとも畿内大和の政権下では大きな争
乱もなく、纏向に巨大な王宮を構えた勢力圏を持っていた。それは畿内で発掘される
土器などが北陸、東海、関東、山陰などのものがあり、これは『日本書紀』に書かれ
たヤマトタケルが遠征した土地にほぼ一致する。箸墓に端を発した前方後円墳は全国
に広がり、例えば北は福島県会津地方に箸墓と相似形の前方後円墳がある。前方後円
墳の広がりはヤマト王権の支配圏を示している。ヤマトタケルは九州の熊襲を征討す
る。それは九州では卑弥呼が死んで、次の台与(壱与)が擁立された後、あるいは狗
奴国に敗れて支配されたものの、やがて狗奴国もヤマト王権の支配下に置かれていく
運命を物語っているのではないだろうか。卑弥呼は鬼道(呪術)に長けたシャーマン
に過ぎず、連合体をまとめる宗教的な権威として祭り上げられただけだった。北九州
で政治権力の中心になったのは邪馬台国ではなく、政庁所在地の伊都国だった。結局、
日本列島における邪馬台国の位置づけは唯一の権力ではなく、地方政権としての連合
体に過ぎなかったのである。
 私たちはかつて「大和朝廷」として学んだヤマト王権は、大和の纏向に王宮を構え、
次第に日本列島の中心勢力になった。それは文化圏であり、政治勢力であった吉備
(岡山)や出雲(島根)を併合しつつ、各地を統合していった。このようないきさつ
は出雲の国譲り伝説などに伝えられている。やがて最初に絶大な権力を握ったある大
王(オオキミ)が死んだとき、前代未聞の大型の前方後円墳、箸墓が築かれた。その
後、陵墓と呼ばれる天皇陵が次々に造られ、200年後には箸墓の2倍もある世界三大
巨墳墓の一つ、大山古墳(仁徳天皇陵)が築かれる。百舌鳥(モズ)古墳群として世
界遺産に登録されたことで知られる。箸墓から始まった古墳時代と呼ばれるこの時代、
全国に広がった前方後円墳はその数実に約4700基もあるという。支配国家、ヤマト王
権が絶対権力として続いた証である。
 結局、2世紀中ごろから3世紀、弥生時代から古墳時代の初めにかけて、日本列島
には北九州と畿内大和には別々の勢力圏があったということである。なお、中国の
『旧唐書』(くとうじょ)という史書では、「日本国は倭国と別」「日本国は元々小
国だったが、倭国を併合した」と述べていることを付言しておく。
 
 8.ヤマト王権の統合的成立−そして今後への想い
 古墳に詳しい考古学者の松木武彦氏によれば、出雲(島根)、吉備(岡山)、北部
九州(福岡)、瀬戸内海東部(香川)、河内(大阪)などにあった文化圏の古墳を調
べれば、大和に統合国家が造られていった推移がわかるという。各地の古墳の形、積
石の工法、鏡を埋葬する習慣などの要素が融合されていって、大和に国家の原型が造
られていった。これらは武力による統一ではなく合意によるもので、きわめて日本的
統合国家のすがたであるというのだ。王権はやがて大王から天皇へ、倭国から日本へ、
そして律令国家への道のりを歩むことになる。その最初の権力者としての大王の墓で
ある箸墓に眠るのはだれか。残念ながら、その内部の発掘は多くの歴史学者や古代史
ファンの夢であるが、前述したように宮内庁が許可しない。現在、崇神陵は行燈山古
墳とされている。しかし、箸墓の近くには神の山とされる三輪山があり、墓の主は大
和を中心として畿内を支配した権力者(ヤマト王権)の最初の大王だったに違いない。
これも私の「妄想」になるが、「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれる事実上の
初代天皇、崇神(スジン)天皇の墓である可能性がある。その発掘が行われれば、古
代日本を統治した大王のルーツが明らかになり、邪馬台国が畿内にあったか、北九州
にあったかの論争も一気に前進するかもしれないのだ。古代への夢と妄想は尽きない。
 
                                    以上
 
2021. 5.24 某有名画伯との幾度かの一献の夕べを懐かしむ
 
   某有名画伯との幾度かの
一献の夕べを懐かしむ 横浜市 清水 有道
 
 一昔前の話になるが、酒宴の席を殊の外好いておられた有名洋画家とふとした縁で、
お付き合いいただけることになった。同画伯も既に数年前に鬼籍に入られてしまった
が、縁をいただいてから10年以上にわたって同画伯の懇意にしておられたいろいろの
名店で、何回となく一献を酌み交わす機会を持った。現在終活を進める過程で、手持
ちのたくさんの書画の整理をしていると、その都度同画伯からいただいた「席画」
(筆者注:宴会・集会の席で、即席に描く絵のことで、英語では”Offhand Picture”
と言う)が出てきた。同画伯は都内の懇意にしておられた有名割烹何か所かにそれぞ
れ常時画材一式を置いておられ、酒が進んで興が増すと、おもむろにその一式を部屋
に取り寄せ、瞬時に何枚もの席画を描いて下さるのだった。酒代がその分少しは高く
なることはあっても、勿論お代はなしである。いまも筆者は、常時床の間に濃い朱色
の秋の烏瓜を描いた同画伯の色紙の席画を架けて楽しんでいる。
席画にも必ず落款が入れられるが、その筆跡が、絵に見 「烏瓜の色紙」
「烏瓜の色紙」
事に符合しているのをいつも感心している。落款の場所、
書体、大きさ、墨の濃淡の色合い等々その都度首題に応
じてしっかり所を得て様になっているのである。筆者に
は絵を気持ちよく描けたとしても、署名をうまく入れら
れず、常に苦心している。筆者より上の世代の絵描きは、
先ず絵を始める前に、筆の手習いをみっちり仕込まれる
と聞いた。そう言えば、昔の言葉に「書画一同」という
この辺りの関係を説明した言葉があったことを思い出した。
 何人もの画伯のたくさん 「筆者の顔を色紙上に」
「筆者の顔を色紙上に」
「ざれ歌を画賛として」
「ざれ歌を画賛として」
の席画を持っていて珠玉の
宝物として珍重している。
ある画伯には筆者の顔の特
徴をそっくり捉えて描いて
くださったものがあり、即
製の”ざれ歌”を揮毫とし
て加えて下さったものもあ
り、その時その時の宴の模様が思い出され、度々楽しんでいる。だから、しっかり下
絵を作って、丁寧に採色された絵も勿論素晴らしいが、腕に自慢の絵描きなら、即成
の作品も手腕や心構えが率直に表されていて、筆者にはむしろ血が通っている風情が
好きである。そう言えば、昔の言葉に、「懸椀直筆」と言うのがあったことを思い出
した。いい腕を持っていれば、また腕に覚えがあるなら、何時でも即座に絵に描くな
り、筆にして文に綴るなり自由自在にできるものだと言いたいのであろう。
 筆者が中学・高校生の6年間正式に水彩画を学び、参考にすべき著名な画家の模倣
すべきところについて教えを受けた師匠との長い間いただいた絵入りのはがきや書面、
また他の外遊時に案内をしたり、旅行の道中をご一緒した絵描きさんたちとの間でや
り取りした絵入りの便りは、絵という宝の副産物を同時に手にすることが出来て、情
緒の深まりも一層強くなった。いずれも複製ではない正真正銘の直筆であることに、
真価があると喜んでいる。
 何人かの著名な画伯との邂逅を思い出していると、纏めて今迄の絵画を通しての同
年輩の同好の士との活動の場面が思い出される。ある著名な美術評論家の仲介と推薦
により、世の中で例の”絵手紙”運動が盛んになったころ、ある画家の主導する絵手
紙集団に対抗して結成された団体の役員として、その運営に参画した折の仲間が、あ
る人は日展の会員に、またある女性は日本美術院に連続5年以上入選し、正式に会員
に登用される日も近いようであるし、またある女性は、大きな画塾を主宰して、毎年
東京や首都圏で数回の個展を持っている人もいる。
「花菖蒲が美しい三渓園の庭」
「花菖蒲が美しい三渓園の庭」
 もう一つ追記を許されるなら、絵を描き続けたわが人
生では、是非この逸話も付け加えておきたい。それは、
筆者が欧州オランダに駐在することになったとき、準備
金の中から大枚を叩いて上記の師匠に花菖蒲を入れた三
渓園の絵を頼んで描いてもらい、滞留中常に日本を感じ
ていられるように赴任時に携行した。現在も筆者の書斎
の壁を飾っている。何故日本を感じる絵として、富士山
やその他の主題を選ばなかったのか、今ははっきりした
ことは言えないが、既に横浜に住んでいて、定期的に訪ねて、季節により美しく移り
変わる庭園の花を鑑賞することを息抜きにしていたことと多分大きく関係していると
思う。
 趣味として楽しんだ絵を描くというサイド・ワークを通してたくさんの友人が出来
て、別の領域の話し合いに興じることができたことは、短い筆者の今日までの人生に
おいて、大きな清涼剤であった、としみじみその恩恵を有難く感謝している次第であ
る。
「参考:故櫻井慶治画伯の色紙」
虞美人草
虞美人草
ざくろ
ざくろ
エトルダの風景
エトルダの風景
                                     了
                     2021年4月29日(昭和の日・木)  記
 
2021. 5.16 ディストピア文学等というカテゴオリーが果たして必要だろうか?
 
  ディストピア文学などというカテゴリーが
果たして必要だろうか? 横浜市 清水 有道
 
1.ディストピア文学とは?
 「ディストピア」とは、日本語にする際、発音の違いで「デストピア」とも書かれ
るが、英語では”dystopia”と綴り、反ユートピア、日本語では「反理想郷」、「暗
黒郷」とも呼ばれる。「ユートピア」、「シャングリラ」、「地上のパラダイス」に
相当する理想郷に正反対の悲惨な想像上の場所を指す言葉であり、「ディストピア文
学」とは従ってその場所や社会を舞台にした小説や物語を言うとされる。否定的な反
ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は、政治的・社会的な様々な課
題を背景としている場合が多い。「ディストピア」の語源は、”ディス”という「悪
い、困難な」を意味する古代ギリシア語と、”トピア”という「場所、風景」を意味
する同じく古代ギリシア語を組み合わせたものである。ディストピアと言う語の初出
は、オックスフォード英語辞典(OED)によれば、英国の哲学者で政治経済学者、経
済思想家の自由主義、リバタリアニズムのみならず社会民主主義の思潮にも多大な影
響を与え、晩年は自ら進んで社会主義者を名乗っていたジョン・スチュアート・ミル
(John Stuart Mill、1806年5月20日〜1873年5月8日)が1868年に行った演説だそ
うである。
 記号学者である東大教授の石田英敬氏が現在日本経済新聞夕刊の文化欄に「ディス
トピア文学の警鐘」と題してシリーズで書かれているが、その最初に取り上げられた
のがカズオ・イシグロの「クララとお日さま」(2021年4月7日(水)付け夕刊)で
あり、3回目に取り上げら 壊れる心
壊れる心 支える人工親友 石田英敬
科学が生む残酷な不平等
科学が生む残酷な不平等 カズオイシグロ氏に聞く
れたのが、多和田葉子の
「献灯使」(2021年4月21
日(水)付け夕刊)であっ  
た。ともに筆者の重点的に
読み込んでいる作家の作品
であるので少しく石田教授
の言われる警鐘に当たる事
柄について以下議論を進めてみたい。
 
2. カズオ・イシグロ著「クララとお日さま」
 筆者は、英国ブッカー賞受賞作家で2017年のノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシ
グロを特に独断と偏見で選んだ幾人かの作家たちの最右翼として趣味の読書の対象に
していることは今迄に何回か本紙面でも述べてきた。このほど同氏が発表した長編
”Klara and The Sun”(邦訳「クララとお日さま」も早速土屋政雄訳の早川書房刊
で読んだ。
 小説と言うものは、もともと輻輳する人間の感情の機微 クララとお日さま カズオ・イシグロ著
クララとお日さま カズオ・イシグロ著
や愛情の交錯、思想と行動が必ずしも一致しない人間社会
の動静を写し取り、織り込んだり、紡ぎ直したりして生ま
れてくるが、あくまで主人公は人間であった。しかし、こ
の作品は何と人工知能(AI=Artificial Intelligence)
を有する人間ロボット、本書では人工親友(AF=Artificial
Friend)と呼ばれるロボットのクララが主人公であり、語
り手となっている。クララは町のロボット店のショーウイ
ンドーに飾られていて、毎日その前を通っている少女ジョジーに気に入られ、彼女が
親を説得して日常自分に寄り添う人工親友としてロボット店から買われて、彼女のフ
ァミリーの住む英国の田舎の家にやって来るという設定になっている。しかも、この
クララがジョジーの成長を助ける大きな役割を十二分に発揮する痛快さと、徐々に人
間社会のあり方や自然との関わり合いを理解して、究極では逆に人工知能が人間社会
の不平等を招くことに大きく関わってしまうことを嘆くことにもなってしまう。クラ
ラにもジョジーにも同情を禁じ得ない側面も味わされることになる。
 具体的な例を挙げるなら、社会が極端に能力主義に走るようになれば、その裏では
残酷な不公平、差別、新しく起こる階級間の偏見や誤解が現在の人種差別よりも大き
く、顕在化することになり、将来人間を人工的に他人より優秀な存在に改造すること
がAIやそれこそロボットの力を借りて実現できるとすれば、何倍かの弊害が表面化し
てくるだろう。イシグロは科学によってもたらされる多様な課題の解決は、従来自由
で、民主的な考え方として皆からのコンセンサスを得ていたことが、実はとんでもな
いことであったという真逆の結論にがっくりとその衝撃の大きさに打ちのめされてし
まうと言いたかったのだと思った。筆者も同感であり、これからますます進むであろ
う科学技術の発展が、人間自体への関与に深くタッチしすぎると人類それ自体の進歩・
発展には必ずしも寄与しない政策手段であると言わざるを得ないのではなかろうか。
この危惧が、上記の石田教授の説かれる警鐘の対象となる局面なのであろう。この小
説の場面ではしかし、ヒトが食べなければ動けないように、人工親友のクララは太陽
光を吸収しなければエネルギー源が途絶えてしまうため、”お日さま”に救済を求め、
病弱なジョジーを懸命に助けるために心を砕き、支えている様が美しく、哀しく描か
れている。イシグロは、この小説で扱った人工親友の方が、ヒトの心よりも気遣いと
予見の両面で先を歩んでいるように描き、今の世で、改めてヒトの心はどうあるべき
かを問いたかったのだと強く思った。
 
3.多和田葉子著「献灯使」 
 これまた甚だ偶然なのだが、筆者が趣味の読書の対象作 献灯使 多和田
献灯使 多和田 葉子 著
家として選んだエクソフォニストの多和田葉子の最新作
「献灯使」(講談社文庫)を読んで、全くの架空の世界と
言うか、最近の日本の状況が最悪の結果を招いたときの、
有り得るかもしれない世界を示唆しているのかもしれない
が、空恐ろしい発想の末路に描き出される社会が示されて
いる。
 地球の未来を暗示しているのであろうか、世界の発展に
乗り遅れた日本が沈んで行く未来の末路を指し示しているのか、不思議な世界が展開
される。即ち、3.11原発事故を思わせる大災害に見舞われて、再び江戸時代に経験し
た鎖国をする。天候も一変して、植物もあるものは巨大化し、あるものは極小化して、
全く本来の姿をとどめるものは無くなってしまう。政治の体制も変革し、日本人も老
人は何時までも死ねず、若者は生まれても生を維持できる者は殆どいないために、都
会は無人化して、野生化した世界となるが、昨日まで働いていた電気・電子応用機器
は利用者が無くなっても自動的に働き続けているような世界が描かれていて、不気味
なこと他に比較する対象が見当たらないのではなかろうか。まさしくディストピアの
世界である。
 
4. 読後感を結論に代えて
 余計な蛇足になるであろうが、日本の現状を筆者なりに解釈すれば、一方では従来
の慣習に頼りすぎて、もう抜け出せないか、なかなか新しい方向に飛び出せない。趣
味に凝り固まった生活を送っている人々、やりたいことに偏って生活の基盤としてし
まった芸術家、作家たちにとっては、ある時期で振り返ってみて、何時までも未練が
ましくしがみ付いていることの功罪が、はっきり結果として顕れてしまったと言うべ
きか?あるいは、今必要としないことへ、知らない新しいことへ移行するのは不安で
あると同時に、混乱と逡巡をもたらすことが事実であること、また、その反動として、
上記の2作品のような行き過ぎた社会の暗黒が出現してしまうということをはっきり
と例証したというべきかもしれない。
 話は少し横道に逸れるが、脳科学者の中野信子氏が2020 ペルソナ 中野
ペルソナ 中野 信子 著
年10月20日第1刷を刊行された講談社現代新書の「ペルソ
ナ ―脳に潜む闇ー」の冒頭に「はじめに わたしは存在
しない」と題して”無駄を肯定することが必要である”と
説かれ、”何がしたいのか、わかる方がつまらない。何十
年も先が見えてしまうような生き方は退屈ではないのか。
見えてしまう方が気持ち悪くはないのだろうか。”と、
問題を読者に提起している。今迄議論してきた事柄とは少
し内容も対象も違っているが、いずれにしても誰でも発想すること自由でも、考えた
ことを実行に移す段には、相当念入りに吟味し、考証できる限りは十分行った上で、
実行案のたたき台としてまな板に載せることが肝要であることを改めて教えられた思
いを新たにした。中途半端な形で進めれば、とんでもない結果を招くことを極端にシ
ンボライズすれば、上記2作品の中に取り上げられたような世界を見ることになるよ!
という警鐘としては斟酌する好機を与えられたと素直に受け入れたいと思った。
                                     了
                         2021年4月18日(日)  記
 
2021. 5. 2 清水 「サルデーニャの蜜蜂」を読んで
 
「サルデーニャの蜜蜂」を読んで 横浜市 清水 有道
 
 サルデーニャはコルシカ近くの島で、その名物は特産のレモンである。そのレモン
の花集まる蜜蜂の写真が素晴らしい著書「サルデーニャの蜜蜂」に採用されている。
確かに筆者が近所の書店頭でこの表紙を見た瞬間、直ぐに入手したい衝動にかられた
のが今でも生々しく思い出される。筆者は残念ながらサルデーニャ島には行きそびれ
ていて、名物のレモンの花も拝めていない。
 内田洋子の最近のエッセイ集「サルデーニャの蜜蜂」 「サルデーニャの蜜蜂」内田洋子著
「サルデーニャの蜜蜂」内田洋子著
(小学館2020年6月1日初版第1刷、253頁)を読んで、
非常に普段着の周囲の住民と知己を得て、日常の会話を
重ねて得たイタリア国民の国民性と言うか、温情の通っ
た行動が本の全体に行き渡っているのが感じられて、心
温まる思いがした。好きで読み重ねていた今は亡き「霧
の彼方」等の珠玉の著作で知られる須賀敦子に優るとも
劣らない良質の作家の到来を嬉しく思った。思い返せば、
内田、須賀の両名とも、欧州の国民の日常のあり方を知りたくて、英、仏、独以外の
言語を自由に操ることが出来るよう、映画や音楽のこと以外、あまり知られていない
イタリアを選び、言葉から学ぶため東京外国語大学のイタリヤ語学科に進んだ。内田
さんも卒業後直ちに現地に渡り、その後長く住むことを通して念願のローカル事情を
巧みに織り込んだ、飾らない文章を我々に見せてくれている。
 
 閑話休題、本題からは外れるが、筆者の高校時代の同期生に同じく東京外国語大学
イタリア語学科に進み、卒業して映画会社に入り、同社のアニメ作品をイタリアを中
心にして広く欧州一円に宣伝・普及する仕事をし、今日の世界中のアニメブームの礎
を築いた男がいる。イタリアに駐在して何年か後にはその映画会社を辞め、自分で他
社のアニメ作品も含めて手広く日本のアニメ作品の欧州市場開拓に奔走した。しかも
その彼は、イタリア滞在中に絵画に目覚め、独特の抽象画の大作を物するようになり、
帰国前にはなかなか個人が個展を開くようなことは出来ないロンドンのロイヤル・ア
カデミーで堂々の個展を張った猛者怪物となった。イタリアと聞くと、内田、須賀の
両作家とこの高校同期生のことが真っ先に頭に浮かぶのである。しかも縁は異なもの
で、この同期生の彼が東京計器(株)のマリン事業部で机を並べていた部長の中学時
代の親友であるというのだから・・・。その部長とも何度となく、「世の中は全く狭
いね!本当に悪いことは出来ないね!」と、話し合ったことだった。話を本筋に戻そ
う。
 
 「サルデーニャの蜜蜂」は、同名の本著作に収められた15篇の短編エッセイの中の
一つで、頁数ではたったの16頁の小編である。これら15編はいずれも珠玉の名作であ
るが、全体を纏めて付けられた本書の題名となっている「サルデーニャの蜜蜂」はさ
すがそれだけの作品であると感じた。話の中味は些少な事柄、即ち有史以来続けられ
ているサルデーニャ島の養蜂農家にまつわる背景や歴史的考察を実生活に結び付けて
分かりやすく、親しみのあるアプローチで伝えている。
 筆者がこの小編を書こうと思い付いたのは、勿論「サ 著者記 独りに付き添うラジオ
著者記 独りに付き添うラジオ
ルデーニャの蜜蜂」の内容に魅せられ、そのエキスをお
伝えしようと思ったことが発端であるが、偶々最近2021
年2月14日(日)の日本経済新聞28頁の文化欄に内田さ
んが寄せられた文章の中に、筆者の心を動かす以下に記
す二つの記述があったからである。
 その一つは、その小文の見出しにもなっている「”独
りに付き添うラジオ”がいつも相手をしてくれ、ポケッ
ト・ラジオが離せなくなり、どこへでも連れて行く。いつもラジオは圧がなく自由で、
思いやりがある」の数行に感じ入ったことである。PCやスマホとテレビに明け暮れる
生活の中でも、筆者も齢を重ねると共にラジオの響きが一番癒されるように感じて来
ているからである。FM各局の音楽番組、NHK R1の「ラジオ深夜便」の洗練された心通
わせる番組構成に、毎日の何時間を預けていることだろうか。
 二つ目は、その小文の後半にはサルデーニャ訪問時のことを回顧して、次のような
文章を寄せられていたからである。「何年か前、サルデーニャ島を訪れた時のことで
ある。石器時代から人が住み始めたとされるヨーロッパ最古の島には、原生林が続く
かと思うと、石だらけの荒地が現れ、草原を抜けると絶壁が、そしてエメラルドグ
リーン色の海から突き出すオレンジ色の岩礁、と多様な自然に恵まれている。島でし
か採れない植物や生き物と暮らす生産者が内陸にいると聞いて、現地を訪れたのであ
る。」「その人は黙って手招きし、小屋へ案内した。打ちっ放しのコンクリート壁に
白いピータイル敷きの床があるだけで、しかし隅々まで掃除が行き届き厨房同然だっ
た。搾りたての乳の匂いが満ちて、赤ん坊を抱くような切なくて、甘い気持ちになっ
た。彼はここで独り牛と暮らし、島内でただ唯一のモッツアレッラチーズを作ってい
るのだった。窓の外は、空と草原と牛だけだ。夜が明け、悠々と牛が横切り、止まっ
て、立ち枯れした草を食む。カサコソと乾いた草がなびき、乳房が柔らかく揺蕩(た
ゆた)い、日が沈み、空の裾が赤く染まる。そして、月。」
 このあとで、自分が神戸生まれで、肉用牛農家を訪れた折、牛にマッサージをして
やる、ビールを飲ませる、秘訣の一つはクラシック音楽を聞かせることだと説明を受
けたことを思い出し、訪ねた折鳴っていたクラシック音楽を聴いて、わが国の神戸牛
への評判もとうとうサルデーニャにまで届いたのかと感激したというくだりが綴られ
ているが、これが内田さんの自分よがりの解釈で、実際には、「いや、自分のために
かけているんだ」とその孤独に生きる老人が悠然と答え返したと書いている。この辺
りの書き方が面白く、なかなかのものと筆者もつくづく筆の力の見事さに驚くと共に
心底感嘆したことだった。
 
 最後に蛇足をもう一つ付け加えよう。それは筆者が20 筆者画 隠岐の島 通天橋
筆者画 隠岐の島 通天橋
14年6月に隠岐の島を訪ねた折描いた海岸の岩の洞門
「通天橋」を絵葉書にしたものを部屋のテレビの前に飾
っているが、何回となくこの通天橋を舞台にしたドラマ
やサスペンス劇が放映されて、そっくりのアングルが紹
介され、何か奇縁を感じていた。この文を綴っている間
にも偶然前の日の夜のTVサスペンス番組を録画したもの
を眺めていると、またまた通天橋の場面が出てきて、全
く同じアングルの風景が映し出された。奇縁は幾度か繰り返されるもののようである。
                                     了
                         2021年4月11日(日)  記
 
2021. 4.10 清水 新型コロナ禍後の日本に求められるもの
 
新型コロナ禍後の日本に求められるもの 横浜市  清水 有道
 
1.はじめに
 筆者は自分の身がコロナ禍で特に注意しなければならない幾つかの基礎疾患の保有
者であり、コロナ旋風に罹災することが恐ろしくて、病院通い以外一切外出を控えて
お籠り生活送っている。凡そ2年強にわたって日暮しパソコンとテレビを眺めること
と読書することをそれぞれ毎日の3分の1ずつ、更に思い付くことを雑記帳に書き留
めることを残り3分の1日の日課としている。その生活の中から、是非とも主題につ
いて、主張になるのか、提案になるのか、何とも言えないが、一篇の書きものに物し
てみたくなり、纏めてみた。
2.モノ申したくなった背景
 自分の人生を振り返って、世界の動きや海外の人々の動静を慎重に分析してみて、
真っ先に思い浮かんだことは、次の数行に凝縮できるのではないかと思う。 即ち、
「個人の発想や行動を規制やあらゆる制約から解き放し、もっと自由に動けるように
することが先ず肝要だ」、と思う。思い付いたら何が何でも先ず始める、そして進め
てみる。勿論そのためには、ベースになる考え方や原理、法則、規範等々を広範囲に
認識していることが必要で、平素から広く触手を広げて情報を収集し、学習して、整
理した上で自分のものにしていることが望まれるでしょう。このように書くことは易
しいが、大変な個人差の付く作業と過程が付き纏うことも否めないでしょう。
本当に難しい事だと思う。
3.具体的に実現したい規制・制約緩和とは!?
 1)思い切ったディジタル化の推進
ディジタル社会
ディジタル社会
 欧米の国々のみならず、中国と比べても、わが国のデ
ィジタル化は大変遅れていると思わざるを得ない。
そういう筆者自身も昨年3月に一切の仕事から離れるに
際し、携帯電話を止め、スマホに代えることもせず、QR
読み取りもできずに不便を感じているので、自分のそう
いう環境を改善してからでなければ、提言する資格もな
いのかもしれないが・・・。ディジタル化が進んだらよ
かろうと思う分野を思い付くままに列記してみるなら
 (a)掛かり付け医者との自宅からのリモート診断と投薬の受領
 (b)学校や研修、資格取得の教育のホーム・スタディの実施
 (c)既に一部実行されているが、選挙や納税その他公民権発動の機会を在宅で処理
   できるようにする
 (d)これも部分的には行われているが、幅広く送金や為替を含む金銭の授受、投資
   の在宅での処理、管理
 (e)公共交通機関等の自動化、無人化運行ができるように各県毎に、或いは地域毎
   にモデル地区を定め、即実行し、わが国の得意分野としての先鞭を担う
 (f)車や住まいの個人所有から数人でシェアすることが既に始まっているが、従来
   相乗りとして違法とされていたタクシーのシェアリングを合法的に取り入れ、
   特に混雑時には割高に、空いている時間帯には割安の料金にという具合に、
   フレキシブルな料金体系を、ディジタル管理のもとに弾力的に運用できるよう
   に改める
 (g)海底や宇宙の資源開発、運搬の国際協調組織を自動化、無人化で実現する
 
 2)新しく働く場、次の企業組織の誕生
 テレワークやホームワークの実施に伴い、進んだ企業 テレワーク
テレワーク
では従業員の副業をも認め始めており、官公庁でも認め
る方向で検討が進められているように聞いているが、そ
の傾向の延長線上には今迄にはなかった新しい企業形態、
或いはそれらを併せ持った複業体として第3、第4の企
業組織集団が生まれるのではなかろうか、と思う。現に
今年の東大入学希望学生が、「従来長らくトップを締め
ていた文化一類のいわゆる法学系に進み、上級公務員や
検事、裁判官、弁護士等の法曹の世界を目指す志向から、在学時から出来れば起業活
動を始め、卒業して抱いたその卵を自ら育てて、大きな夢と希望を実現しようとする
志向が強く感じられる」との話を聞くに及び、筆者もますますその思いを強くするの
である。
 
 3)「先ず始めよ」の基本姿勢を貫くために、社会の考え方を従来の成文法主体か
   ら判例法に移行する
 しっかり法律や条例等の成文化されたもので枠を決めてから実行に移すのではなく、
欧米(特に英米)に倣って先ずトライ実施、万一その結果や過程で法に触れることが
あるなら、裁判に仰ぎ、都合の悪いことも変える試みを日常のこととして問題の取り
組みや解決の仕方として慣習を変えて行こう。
4.おわりに
 アフターコロナに筆者が思うところは以上に要約できるが、要はいずれにせよ今回
のコロナショックに当たって、既存の秩序に馴染めずに、部分的にせよ崩れたものが
少なくない。早速暫定とは言え、改善、改訂された分野は働き方や生活する基盤の家
庭のあり方、住まい、交通、所有と賃貸、独立自主と共生等々相当広い分野にわたっ
て必ずしもマイナーとは言えない変化、実行が行われたか、行われつつある。コロナ
禍という禍を転じて福となすよう、絶好の機会であろうから、あらゆる不都合や不合
理を改め、更なる改善に繋げられるよう、努力のチャンスと捉えて見たいと思い、か
なり門外漢の無責任な言い分であろうことを顧みず敢えて記した。
                                     了
                           2021年3月14日(日)記