『トップページ履歴』2014年1月〜2014年12月
 
          トップページ 履 歴 一 覧
2014.12. 1 OB会ホームページ 開設してからもう10年 本部幹事 小池 芳光
2014.11. 1 蕎麦つゆの作り方(自分なり)」      監査:有岡 孝則
2014.10. 1 まだ追っかけている文庫本       本部幹事:清水 国明
2014. 9. 1 「難退散、難退散」を唱え、日光「男体山」を征服 佐野支部長:辻 隆太
2014. 8. 1 東京計器OB会 矢板支部のあゆみ  矢板支部長:服部 勉
2014. 7. 1 我が家の放射線量と除染について   那須支部長:池田 知之
2014. 6. 1 自然観察の趣味は長続き          会長:八木 宏
2014. 5. 1 不思議な壺              本部幹事:三好 陽二
2014. 4. 1 写真の趣味と旅行           本部幹事:三浦 弘幸
2014. 3. 1 2014年・雑感              副会長:三橋 春夫
2014. 2. 1 古い映画を追っかけ           副会長:佐藤 雅寿
2014. 1. 1 新年のご挨拶               会長:八木 宏
 
      『 ト ッ プ ペ ー ジ  履 歴 』
 
2014.12. 1 OB会ホームページ 開設してからもう10年 本部幹事 小池 芳光
 
HPの特徴を活かしてOB会員同士の繋がりをより一層強めよう!
 OB会のホームページ(以下、HP)は、早いもので 小池_本部幹事
小池_本部幹事
去る10月1日に開設されてから満9年を迎え、10年目に
入りました。 
 「HPの特徴を活かしてOB会員同士の繋がりをより
一層強めよう!」との目的に向かって、たゆみのない地
味な活動を続けてきました。これまでに多くの方のご協
力を得て、大勢の方にご覧いただいています。 
 
 
HP開設以来の延べ訪問者数は9万名に迫る
 HP開設以来の延べ訪問者数(注1)の推移は、下のグラフに示すとおりになって
います。月間で見ますと、この1年に2割ほど急増し、1,300名前後で推移しています。
HP訪問者数(平成26年11月15日現在)
HP訪問者数(平成26年11月15日現在)
昨年10月には 1,454名の最高月間記録の更新をしました。
 累計では、今年の4月28日に「80,000人」に到達し、
70,000人達成以来1.5ヵ月短縮、7ヵ月で到達しました。
 恒例のピッタリ賞は「60,000人」以降、訪問者の申告
が3回続けてありませんでしたのでやむなく中止してお
ります。(注1:一日単位で訪問者を積算し、それを累
計します。同じアドレスで一日に何回訪問しても、初回
のみ1人1日1回だけが積算されていきます。)
 
HP各コーナーへの参加者
 これまでHP上に掲載されてきた記事・報告、季節の風物詩写真や作品展などの投
稿点数と投稿・寄稿者数をコーナー別にまとめたのが以下の表です。(11月15日現在)
実質 200名強の方(注2)に登場いただいています。これは単純平均で会員の4割の
方に参加いただいていることになります。
 投稿・報告記事、お知らせ、作品展示などの更新は頻繁に行っており、最近1年間
で見ますと月平均の更新は、20件を超えています。
 (注2:コーナー単位に積算し、繰り返し投稿された方は、数えていません。)
投稿記事、写真、作品および投稿者数(平成26年11月15日現在)
投稿記事、写真、作品および投稿者数(平成26年11月15日現在)
 
      お気軽に、もっともっと多くの方のご参加を!
 10年目を迎えるにあたり、初心に立ち返って、もっともっと多くの方に参加してい
ただけるよう、きめこまやかな対応と魅力あるHPつくりに取り組んで参りたいと思
います。
 一人でも多くの方に参加していただけるよう心掛けています。皆様には、色々な出
会いや繋がりのなかで「グループの集い」や地域社会における活動の模様や紹介など
沢山情報をお持ちのことでしょう。また、旅行されたときなどの初体験、失敗談や怖
い思いをしたことなど断片的なもので結構です。
「1枚の写真の想い出」など、ちょっとしたきっかけを元に書き始めるのも面白いと
思います。
 しかし、これらの材料は沢山あるが、まとめるのが大変・・・と躊躇されておられ
る方、便箋などに手書きされたものや印画紙の写真のままでも結構ですので、何なり
とお気軽に最寄の幹事やHP事務局にお手紙やメール(tkob@some.jp)でご一報いた
だければ幸いです。
 このほかにもHPを開いて画面の中に直接、ブログのように思いつくまま気楽に書
き込める「お便り」コーナーがあります。簡単ですからお気軽に是非一度試して見て
ください。
 「ホームページをもっと楽しむために」(平成25年11月付けの清水 本部幹事)という
記事を参考にしていただければ、更に分かり易いと思います。HPの「話題」コーナー 
 →「トップページ履歴」 → 一覧表の「2013.11. 1」に掲載してあります。
「話題」コーナーの「よもやま」、「レトロ語」や「お便り」コーナーなどの記事を
読んでの「ご感想」など、既に掲載されたバックナンバーも参考にして、何なりと思
いつくままに書き綴ってください。パソコンは道具ですので、操作するには慣れが必
要です。初めて行うときや、たまに行うときには戸惑うことがあるでしょう。入力の
代行もいたしますので、試して見てください。
 
      「傘寿」を迎えて
 私事になりますがOB会の幹事業務に平行して、第二の人生としての「ライフワー
ク」を目指して「開発・設計」の仕事を続けてきましたが、もう20年を越えました。
 定年後の就業機会の拡大を狙い、後に続く後輩(現在、関連企業に3人目となった
新見 清勝さんが1人勤めています。)のためにもと思い、今後も「生涯現役」として
健康の許す限り続けていくつもりでいます。
 この仕事に携わっていると、納期や完成日を「Xデー」 イラスト
イラスト
とするタイム・スケジュールや飛び込み作業に追われる
ことは避けて通れません。そこで通勤時間のロスを避け、
出社しなくとも日々の時間に拘束されずに、自宅で仕事
ができる環境づくりとして「サテライト オフィス」の
機能を整備して、関係先に理解していただいて実行して
きました。
 常に「前倒し作業」を心掛けているのと合わせ、タイ
ミング良くマイペースで効率よく仕事ができるようにしています。出社は大体週1日
としています。
 因果なもので、この仕事を行っていると、課題がいつも頭から離れることはなく考
え続けていることに気付きます。データや知識情報は豊富にあるインターネットなど
も利用でき重宝していますが、開発には正解は一つだけでなく沢山あります。答えを
決めるときに大いに役に立っているのが第六感を働かせる「直感」です。(テレビの
刑事もののドラマの中では、「何だ、直感か!古いな!」と馬鹿にされている場面が
ありますが・・・。)パソコンの前で考えていても中々進まないとき、寝転がって空
をぼんやり眺めていたり、散歩の途中や夢の中などでひょんなときに「ひらめき」が
現れることがあります。それが解決策をもたらしてくれることが多々あります。
 この生みの苦しみを乗り越え一歩一歩進めていきますが、その達成感はまた格別な
ものです。この生みの苦しみが喜びに転換されて、宿命的に「うまくいって当たり前」
と評価されているなかで、その醍醐味をひとり堪能しています。
 現在手掛けている、共同開発品は、商品化に向けこれからが正念場となっています。
「傘寿」を迎え、もう男性の平均寿命(80.21歳)の年も越えてしまいましたので、
平均余命の期間中に、遅れを挽回しながら是非とも完結したいと願っています。
 この「ライフワーク」を実現するためには、まず第一に「健康」あってのことであ
ります。「直感」力を更に磨き上げ、より良いアイデアや「ひらめき」が沢山出せる
よう日頃の訓練・努力を行うとともに、関係者の皆さんとの協力のもと、次々と発生す
る業務をひとつひとつ処理して参りたいと思っております。
 
「みんなが参加でき、みんなの輪が広がるホームページつくり」を!
 最後になりましたが、HPはこれらから10年目の大きな節目を迎えることになりま
す。「みんなが参加でき、みんなの輪が広がるホームページつくり」を目指して、心
身共に元気で皆様とともに、さらなる前進に努めて参りたいと思っております。
 10年の節目の年を迎えるあたり、皆様からのご提案やご意見をお寄せ頂ければ幸甚
に存じます。よろしくご協力のほどお願いいたします。
 
2014.11. 1 蕎麦つゆの作り方(自分なり)」      監査:有岡 孝則
 
蕎麦つゆの作り方(自分なり) 監査  有岡 孝則
 
 私は昨年このページに"手打ち蕎麦の作り方"として掲  有岡_監査
有岡_監査
載させていただきました。
蕎麦打ちは地域の気候(温暖の差)や蕎麦の挽き方によ
り、香り、甘さが微妙に変わってきます。
 また、蕎麦がどんなに美味しい蕎麦でもつゆが美味し
くなかったら、結果的にその蕎麦は美味しくなかったこ
とになります。
 世間のそば通の方はまず最初につゆにつけず、そばの
みを口に入れて味わい、その後少しづつ蕎麦つゆをつけて召し上がっていると良く耳
にしますが、蕎麦の味をさらにひきたたせるには蕎麦つゆの味にかかってきます。
 今回はそばつゆの出来栄えによってはつけて味わった方が、より一層蕎麦の味が深
まる蕎麦つゆの作り方を掲載させていただきますのでご参考にしていただければ幸い
です。(市販のつゆは日持ちさせるために塩分がそれ相当に入っています。その塩分
がどうしても蕎麦の味を損なわせてしまいます。)
 基本的に蕎麦つゆは“かえし”と“だし”を合わせて作ります。
“かえし”は醤油の中の麹菌のくせを取り除いたものでつゆの原液、“だし”はだし
汁そのものです。私が蕎麦つゆに使用している材料は写真に掲載したとおり、“かえ
し”に濃口醤油、本みりん、三温糖、“だし汁”に日高昆布、いりこ、荒削りの本鰹
節、粉末パック入り宗田鰹節、さば、いわしの削り節を使用します。
まず”かえし”は濃口醤油100gに対し、本みりん25gと三温糖20gを用意します。
本みりん
本みりん
三温糖
三温糖
濃口醤油
濃口醤油
 本みりんと三温糖を容器に入れ、弱火にかけ、三温糖がみりんに溶けるまでゆっく
り撹拌します。溶けてから火を少し強くしてみりんの中の酒を飛ばします。
 その後、再度火を弱めにして濃口醤油を入れゆっくり撹拌します。少し経つと醤油
のあくが表面に浮かんできますので小まめに掬います。この時絶対に沸騰させないよ
う注意します。
 出来上がった“かえし”をキッチンペーパーなどでろ過しながら容器に移します。
容器の口はキッチンペーパーなどの通気性のあるもので蓋をします。この状態で冷蔵
庫に1週間〜10日間寝かします。
 その後、容器の口を通常の蓋に取り換えて冷蔵庫で保存します。そのままの状態で
1年間は十分に保存できます。
 次に“だし”を作ります。“だし”は“かえし”が出来上がってから10日後になり
ます。
 予め、日高昆布;1本(25cm位)、いりこ;20g、荒削りの本鰹節;20g、粉末パッ
ク入り宗田鰹節;3パック、さば・いわしの削り節;20gを用意します。
日高昆布
日高昆布
いりこ
いりこ
荒削りの鰹節
荒削りの鰹節
 ミネラルウオーター(軟水)1000ccに対し、日高昆布;1本(25cm位)、いりこ;
20gを鍋に入れ、弱火にかけ、沸騰しないようにじっくり温めます。昆布が開き終わ
りましたら、火を止め、昆布といりこを取り出します。 
 次に荒削りの本鰹節;20 宗田鰹節
宗田鰹節
さば・いわしの削り節
さば・いわしの削り節
gと粉末パック入り宗田鰹
節;3パックを入れ、中火
で温めます。沸騰したら、
さば・いわしの削り節;20
gを追加して、さらに5分
間位煮立てます。
アク抜きは絶えず行います。
 取り出した後キッチンペーパーでだし汁をろ過します。
 蕎麦つゆとして“かえし”;1に対して“だし汁”;3の割合で調合する。調合し
たら一度温め、再度冷やして出来上がりです。
“かえし”の比率が高ければ、辛いそばつゆ、低ければ、甘いそばつゆになります。
よって、お好みの味を見つけ出すまでは何回か試す必要がありますね。
(無論蕎麦との兼ね合いもあります。)
 以上蕎麦つゆの作り方を述べさせていただきました。
 機会がありましたら是非チャレンジしてみてください。
 
2014.10. 1 まだ追っかけている文庫本       本部幹事:清水 国明
 
 まだ追っかけている文庫本  本部幹事 清水 国明   
 
 かっては通勤電車内の風景といえば、折りたたんだ新 清水_本部幹事
清水_本部幹事
聞を読む人と並んで文庫本を愛読する人が多く見られた
ものですが、昨今は様変わりしているようです。
 文庫本に代ってスマートフォンが、新聞に代ってタブ
レット端末が幅を利かせています。もっとも電子書籍や
電子化された新聞記事を読むよりゲームの方が盛んだと
もいわれています。このHPの「話題コーナー」の投稿
記事のように写真が貼り付けられたものならばまだしも
文章のみの画像データを読むことに慣れるには時間がかるのではないでしょうか。
まだまだ、活字文化の時代が続くと思います。
☆いつでも、どこでも
 文庫文のキャッチフレーズに「文庫本を持って、旅に出よう。」というのがありま
した。手軽さを謳ったものですが、椅子に姿勢よく座ってハードカバーをめくる読書
家とはいえない私にとってはピッタリの言葉です。電車、飛行機の中、その待合時間
に、また映画が始まるまで等々、時間調整にポケットに一冊収まっていれば役に立つ
ものです。好きな時にずぼらな断続的な読書、それにお勧めなのが「長編時代小説」
の文庫文です。
☆観てから読むか、読んでから観るか
 何故、長編時代小説か、それは内容がおもしろいこともありますが、詳細に記憶し
ておく必要がないからです。集中して読む必要はありません。できれば最初の2〜3
冊は登場人物の概要を知るために連続して読みたいものですが、あとは何巻目を読も
うとそれなりに完結しますので困ることはありません。このことが映像化し易い理由
ともなっています。代表的なものが、池波正太郎作の「鬼平犯科帳」でしょう。
映画にもなり何度もTVに登場しています。文庫文24巻にまとめられていますが最終
巻は作者夭折のため未完となったのが残念です。
池波正太郎さん
池波正太郎さん
中村吉衛門の長谷川平蔵
中村吉衛門の長谷川平蔵
 映画やTVで観て読んで
みようと思うことが多いの
ですが、総じて原作にはか
なわないように思います。
ただ、映像化されると、そ
の後の読書の想像力に具体
性が加わって、おもしろく
なるのは確かです。
 そこで、作者がお元気で今も続いて刊行されている文庫文を紹介します。
☆江戸から明治へ(御宿かわせみ)
 平岩弓枝さんの作品で、「御宿かわせみ」で34巻、続編の「新・御宿かわせみ」で
4巻発行されています。時は江戸末期、江戸大川端(現在の墨田区吾妻橋から江東区
新大橋にかけての一帯)に女主人公が開いた旅籠「かわせみ」にまつまる物語です。
 すでに何人もの女優さんが演じられ、最近ではBSプレミアムで放映されています。
残念ながら私は観ておりま 御宿かわせみ
御宿かわせみ
BSプレミアム時代劇
BSプレミアム時代劇
せん。ただの捕り物帖とは
異なり主人公と身分違いの
幼馴染との恋から始まり、
やがて戊申戦争での別離、
子供の成長へとまるで「女
の一生」とも言える長編時
代劇です。
 作者が女性のせいか、残酷な場面がほとんどなく、派手な立ち回りもありません。
「新・御宿かわせみ」では、子供達が主人公になってきています。明治への変わり始
めの江戸の様子が興味をそそります。
 主人公の「るい」さんにはどのような結末を作者は用意しているのか見届けたいも
のです。 
☆浪人生活から道場主へ(居眠り磐音江戸草紙)
 こちらは、ただ今46巻まで発刊されています。佐伯泰英さんの作品で、どちらかと
いえば「剣豪小説」の範疇に入るかもしれません。作者の趣味が闘牛見物だとか、そ
せいか派手な立ち回りも随所にでてきます。ただ、剣術の立ち合いがストーリーの中
心ではなく、お家騒動から浪人生活、そこで出会う長屋の住人、貧乏旗本の跡継ぎ、
大商人との交流など、江戸の人情味溢れる物語となっています。
このあたりは、NHKの木 NHK木曜時代劇
NHK木曜時代劇
居眠り磐音江戸草紙
居眠り磐音江戸草紙
曜時代劇や土曜時代劇の
「陽炎の辻」として2007年
から2009年の各2、3ヶ月
の間、TV放映されたので
ご覧になった方も多いと思
います。
 主人公の坂崎磐音は「居
眠り剣法」と師匠に命名された、一見のんびりとした剣術の達人ですが、無類のお人
好しのため、色々な騒動に巻き込まれるという筋立てになっています。巻が進むにつ
れ、巻き込まれる騒動が大きくなりやがては将軍の後継問題、政争の渦中に巻き込ま
れ時の老中田沼意次と争うことになっていきます。
 武家社会も太平の世が続き、商人に牛耳られていく様子もうまく描かれています。
 タイトルに「江戸草紙」とあるように、主な舞台は深川、本所、神田、浅草といっ
た下町が中心で、江戸の水路が如何に利用されていたかが良くわかります。もちろん、
事件によって長崎から山形まで主人公は出向いていきます。
 とにかく肩は凝らないし、次の展開も楽しみな文庫本です。これも田沼失脚だけで
エンディングになるのか、サプライズがあるのか楽しみに追っかけています。
 
 紹介しました2つとも、そろそろ終わりそうなので次は何を追っかけようかと時折
書店に立ち寄って探しているところです。寝る前に寝っころがって数ページ読みその
まま就寝というのが私の読書です。
 
2014. 9. 1 「難退散、難退散」を唱え、日光「男体山」を征服 佐野支部長:辻 隆太
 
 「難退散、難退散」を唱え、
  日光「男体山」を征服 佐野支部長 辻 隆太
 
 佐野からも見える男体山(なんたいさん)いつかきっ 辻_佐野支部長 
辻_佐野支部長 
と登ってみようと思っていました。
 男体山はご存知日光にある標高2,486mの火山。2万3千
年前に噴火をはじめ、その後7千〜8千年、断続的に活
動しつつ円錐形の火山体をつくったとのこと。
 この過程で、大谷川が溶岩流にせき止められて中禅寺
湖が生じ、華厳の滝も生まれたのだそうです。
 男体山は、二荒山(ふたらさん)とも呼ばれており、
補陀落山(ふだらくせん)から転訛したとのこと。
「補陀落」とは天竺(インド)のはるか南方海上にある観世音菩薩が住むという八角
形の山のことだそうで、男体山を中心とする奥日光をこの観音浄土になぞらえ名付け
たものだそうです。山頂でお会いした宮司さんは今でも二荒山と呼んでいました。
男体山を目指して
男体山を目指して
 参考資料によれば、奈良朝末期から平安朝初期にかけ
て活躍した僧侶の勝道上人が、「吾もし山頂にいたらざ
れば、菩提にいたらず」と修行の目標とし男体山への登
頂を志しました。
 天候にはばまれ、2度失敗、48歳の勝道は3度目の挑
戦で、今度こそはと意を決し、中禅寺湖畔で経を読むこ
と7日間、頂上へ向かった。湖畔から山頂まで1,200mの
急坂、木々を掻き分け、残雪を踏み、途中2泊の野営を
重ね、ついにその宿願を果たしたそうです。 振り返れば中禅寺湖
振り返れば中禅寺湖
 私は、「今年の暑さには、まいった」を口実にした
「自堕落な生活」を反省し、梅雨明け宣言を引き金に、
補陀落山登山に挑戦しました。早朝は山頂まで晴れてい
て元気に出発、登山道は雨上がりで、かなり荒れており、
落石や滑落に注意しながらの、険しく厳しい状況でした
が、「難退散・難退散」と唱えながら、夢中で登りまし
た。途中、振り返ると中禅寺湖が見えてホッと一息。 
 また頂上を目指して出発。すでに降りて来る人と挨拶を交わしたり、情報を得たり
後ろから来る若者に道を譲ったりで、やっと辿り着いた 頂上では色即是空
頂上では色即是空
山頂では、出会った宮司さんが男体山について解説して
くれました。
「ちょうど雲がかかり、本日は山頂からの眺めは雲の中
で残念でしたが、紅葉の中禅寺湖や戦場ヶ原を望むのも
良いですよ、また登って下さい。」と宮司さん。
私は、これは「景色即是空」と独りよがりで納得。
大休止して、また「難退散・難退散」と唱えながら足元
無事下山して拝礼
無事下山して拝礼
に集中して下山。怪我も無く、途中で引き返すことも無
く、夢中で登り、無事下山の拝礼。中宮祠境内にて整理
体操。心の、体の、限界を感じながらも男体山征服感を
満喫。
 その気でやれば、まだやれる、という気持ちになりま
した。こんな気持ちになるのはジジーになった証拠でしょ
うか。
 お陰さまで自堕落沢山も征服できそうです。
 
2014. 8. 1 東京計器OB会 矢板支部のあゆみ  矢板支部長:服部 勉
 
 東京計器OB会 矢板支部のあゆみ  矢板支部長 服部 勉   
 
 今年、私がOB会矢板支部(略して矢板OB会)の支 服部矢板支部長
服部矢板支部長
部長に就任して14年目となります。
 これを機会に矢板OB会の誕生時の状況から今日に至
るまでの経過を、私の社内での仕事の変化を含めて記憶
をたどって見ました。
 OB会の会報「けいき」の45号(平成10年12月発行)
の記事として、当時のOB会企画担当だった黒澤武夫氏
の「矢板支部第1回総会報告」が2ページにわたり掲載
されておりますが、それによりますと「平成10年11月20日(金)にトキメックOB会
矢板支部の発会式を兼ねた総会が開催されました。」とあり、さらに「昨年(平成9
年)11月に矢板事業所のOB会が結成されましたが、その精神、目的はそのまま活か
され、今年のトキメックOB会矢板支部として新たなスタートとなりました。」と記
載されております。
 さらに初代会長に木藤義信氏(故人)が就任し、幹事に本田道幸氏・柳 元治氏
(故人)の2名が就任しております。また来賓として佐藤雅寿工場長(当時)、金子
勝明氏(故人)、堀口栄一氏、小倉 実氏などの名前があり、本部のOB会会長だっ
た川岸一正氏(故人)は所用で参加出来なかったが、代わりに祝辞が筆書きで掲載さ
れております。そして会報48号(平成12年8月発行)によりますと「昨年(平成11年
12月3日)に矢板支部の第2回総会が開催され、木藤支部長をはじめ本田幹事、その
後宮島俊文、吉間忠男両氏も幹事に加わって矢板イースタンホテルで約50名の方々が
参集し盛大に行われた。」また、記事の最後に「OB代表として服部 勉氏が乾杯の
矢板OB会発足
矢板OB会発足
東京計器OB会矢板支部発足
東京計器OB会矢板支部発足
矢板イースタンホテル
矢板イースタンホテル
音頭、全員並んでの記念撮影のあと懇親会となった。」と記載され、懇親会の楽しそ
うな風情も記録されています。
 この後、会報49号(平成12年12月発行)によりますと「木藤支部長が2月に突然吐
血され、胃を全摘されましたが、その後順調に回復され幹事会にも出席されるまでに
なった。」とあり、これに続いて「平成12年10月28日の矢板OB会が行われ、川岸会
長、相川城年工場長他多数の臨席を仰ぎ60名の会合となった。さらに役員の改選が提
案され支部長に服部、幹事に本田、吉間、宮島、小林康邦、浅沼正孝の各氏が選任さ
れた。」とあります。
 今振り返って見ますと、記憶の外になっている以上のような経過をもちましてOB
会に参画することになった訳ですが、私の会長就任時の挨拶の文章が会報50号に残っ
ておりますが、今でも同じ思いでいる部分をとりあげますと「・・・・矢板では転勤
者以外に現地で直接入社された方々が多くいますが、本当の意味でOBとなるにはま
だ数年かかります。・・・これからは、この世代の人たちが定年後に積極的にOB会
に加入するような環境づくりに取組んでいきたいと考えております。・・・・」以上
の部分は今でも心掛けていることでありまして、最近になって、ようやくその時期が
はじまったように感じております。ただ、このことは他方では東京からの転勤者の高
齢化が進んでいるということでして、会報の記事を読んでいますと亡くなられた先輩
のことが次々に出て参りまして、目をそらしたくなります。矢板支部に限定しても同
様で、私の先輩に当たる方々はほとんど故人になられております。
 ちなみに、昭和57年8月に記録された、当時のSTKの総転勤者数は61名ほどにな
っています。その内訳を見ますと、管理職31名(除く社長)内単身赴任者11名、その
他30名内単身赴任者19名となっていますので、61名中30名が単身赴任という状況でし
たので、定年後のOB会入会者数にも限界があった訳です。
 一方、本部発行の「東京計器OB会15周年のあゆみ」を見ますと、当時(昭和54
年)のSTKの総員は196名(内女子66名)と記載されております。若干の時間差はあ
りますが、昭和55年あたりで転勤者以外の方が約130名ほどになっていたと考えられま
す。しかし、これらの人たちはまだOB会とは縁の無い年令の人たちでした。
 私と矢板OB会との関連 矢板工場
矢板工場
JR矢板駅駅舎
JR矢板駅駅舎
を追って見ますと、私が矢
板(STK)に転勤したの
が昭和51年1月でしたので、
しかもSTKという新しい
会社でしたのでOB会とは
無縁でしたが、宇都宮に家
族を呼び家を建てたたとい
うことからすれば、矢板OB会の候補者だったと思います。しかしこれは後で分かっ
たことですが東京本社でのOB会の発足が昭和51年で、私が矢板に来た年であったと
分かり(東京計器OB会15周年のあゆみ)因縁のようなものを感じました。
 それから8年半後、昭和59年7月に思いも寄らなかった本社人事部に転勤となりま
した。宇都宮に家を建てて2年目ということもあり、これで栃木と縁が切れたと思い
ました。それから10年ほど経過して、建てたばかりの宇都宮の家に未練が残っていた
結果、定年(平成7年)直前に宇都宮の家に戻ったのですが、これが矢板OB会との
関係復帰の切っ掛けとなった訳です。
 そして、前述しました平成9年の木藤氏独自の第1回矢板OB会と平成10年の東京
計器OB会矢板支部(矢板としては2回目)の総会へと繋がって行くことになります。
 前にも述べましたが、昭和55年度あたりで矢板出身者が約130名ほどでしたが、これ
らの人々がようやく定年を迎えたか、これから迎えようとしているところです。
女性が多いということもありますが、彼女たちを含めて会員の増が楽しみになってお
ります。
 現在、幹事は6名(女性1名)ですが、中野良夫氏が唯一の転勤者であとは全て
STK入社者で女性も1人含まれています。転勤者にも、まだまだ楽しんでもらうた
めにも幹事共々頑張って行きたいと思っております。
 また、やがて現地出身者が増加し、東京との繋がりが細くなることが気になります
が、これに対しても努力して参りたいと幹事一同考えているところでございますので、
皆様のご協力をお願いし筆を置きます。
 
2014. 7. 1 我が家の放射線量と除染について   那須支部長:池田 知之
 
 2011年3月11日の地震の後、想像を超えた大津波の凄 池田_那須支部長
池田_那須支部長
まじさに目を奪われて、放射線量のことには気が回らな
かった。当時の政府は「核燃料の上には水があり、原子
炉は深刻な状態にはない。」、東電も「放射性物質のレ
ベルは問題ない。」という報道があり、また私の家と東
電の距離は直線で100km以上離れているので放射能の影
響はあまりないだろうと楽観していた。ところが東電の
1号機の爆発に続いて3号機・4号機の爆発が起き、建
屋が吹き飛ばされ鉄筋が飴のようになった映像を見て、原子炉が爆発するのではない
かという恐怖を感じた。また、県内外の水源地で放射線量が計測されたとの報道が相
次ぎ、「水」パニックが起こりだした。
 スーパーやコンビニから「飲料水」がなくなり、また買えても「お一人様2L入り
ペットボトル2本」との張り紙が出された。
 東京に住んでいる娘が二人目を身ごもっており、飲料水の入手が困難なため実家で
の確保を依頼され、毎日スーパーやコンビニエンスストアを回り少しずつでも買い込
み、まとまったら送るということを数か月間続けた。また、近所では子供の姿を見る
除染前の芝生
除染前の芝生
ことが少なくなった。
 毎日のウォーキング場所となっていた「那須野が原公
園」は休日になると自転車乗りやそり遊びで、またわん
ぱく広場では子供たちの遊び声でうるさいほどであった
のが誰一人も見かけなくなったし、学校の校庭でも見る
機会が少なくなった。
 新聞の栃木版に載る那須塩原市の放射線量は高く、県
内では常に上位であった。我が家は夫婦二人なので、放
射線量は高くてもあまり気にしていなかったが、年4〜5回は遊びに来る孫のことを
考えると気になりだし、那須地方では品切れになっていた家庭用放射線測定器を娘に
調達してもらい家の周辺を測定した。その結果は、排水溝で0.7μSv、植木の近くで
0.5μSv、家の中でも0.3μSvと予想以上の高さに驚いた。体への影響が不明だが、こ
の年は孫たちが遊びに来るのを取りやめにした。 芝生剥がし作業
芝生剥がし作業
 除染をすべきか悩んでいた時、市が除染実施計画をつ
くり除染を始めたのを知った。まずは子供たちの生活環
境の放射線量の削減することを最優先とし、小中学校、
保育園、幼稚園等の校庭等の表土入れ替えやホットスポ
ットの除染がほぼ完了し、次の計画では、市内の放射線
量の高い5地域の戸建て住宅を対象に除染作業を行うと
のことで、我が家も除染対象地域内であり説明資料が送
付されてきました。喜ぶべきか悲しむべきか考えてしまった。
 資料によると、対象となった地域の中で除染を希望し、かつ計測値が0.23μSv
(原発事故における追加被ばく線量を年間1mSv以下にすることを目指す。)被ばく以
上の放射線量の住宅で除染作業を行うものでした。
仮埋設場所の埋設穴
仮埋設場所の埋設穴
 問題なのは、除染をする範囲が「雨樋の堆積物の除去
・竪樋吐口の汚泥除去・除草・落ち葉の除去等」で、放
射線量が高い屋根や壁は除染の対象外で、しかも除染作
業で発生した汚染土壌等は、自宅の敷地内に仮埋設保管
するというものでした。効果はあまり期待できないが、
やらないよりも良いだろうと思い除染をしました。現地
調査で除染前の線量を測定しましたが、芝生上の線量が
0.7μSvと非常に高かったので、芝生を全面剥がし張り
替えることにした。
 庭の片隅に縦1m、横1.5m、深さ1.5mの大きな穴を掘り、周りをビニールシートで
覆った埋葬場所を作り、そこに汚染物とともに剥がした大量の芝生を入れビニールで
覆い、その上に土を被せて保管した。この仮埋葬場所に保管してある汚染物が今後ど
のように処理するか決まっておらず大きな問題である。
 我が敷地の除染の効果は、9か所の測定点の平均で除 仮埋設場所
仮埋設場所
染栓前0.26が事後0.23μSvになり、約11%の削減になっ
たが投資対効果の面から疑問が残った。
 市独自の予算で行った除染事業のため、敷地内に仮埋
設場所を確保できずに除染を諦めたり、放射線量か高い
壁や屋根を対象外にしたりしたため地域全体で放射線量
が大幅に削減できたとは言い難く中途半端であると感じ
た。今後は福島県と同じような除染が行われるようなの
で大いに期待している。
 電力の供給なしでは生活できないことも現実だが、汚染物の中間・最終処理場所も
決まらず、東電の原子炉の廃炉までには順調に行っても30年とも40年とも言われてお
り、また核のゴミの処理も不透明であり、私たちは後世に大きな“つけ”を回してい
るように思えてならない。
 
「事務局注」 μSv:マイクロシーベルト  mSv:ミリシーベルト
 その場に居た場合、1時間あたりに被爆する放射線量(/hが省略される場合が多い)
 
2014. 6. 1 自然観察の趣味は長続き          会長:八木 宏
 
「自然観察の趣味は長続き」  会長  八木 宏
 
 1年前のトップページで、あるお宅の庭に赤いブラシみたいな花(キンポウジュ)
を見かけたのがきっかけで自然観察が趣味に加わったと書いた。
今回はその続編としよう。
 
「暗記は嫌い」
 中学や高校生のころ暗記を伴うものが嫌いで、英単語 八木会長
八木会長
とか日本史や世界史で人名、国名、年代などを覚えるの
が苦手だった。今となっては単なる暗記科目ではないと
理解できるが当時はそう思い込んでいた。生物もその部
類の科目だった。あるとき自主研究として校内に植えら
れている木の名前を調べてきなさいという課題が出た。
ふだん草木に全く興味を持っていなかった私には1本も
分からず白紙で提出した。
キンポウジュ
キンポウジュ
もし自然観察が植物や生き物の名前を記憶したり分類し
たりすることを重要視するものであったら趣味として長
続きしなかったと思う。
 花が赤いブラシに見えて面白いと思ったのがきっかけ
で植物などに注意しながら歩いてみると、美しいもの、
面白いもの、驚くもの、不思議なもの等さまざまな発見
がある。
 
 
「色が変わる」
 朝から外出したとき近所 スイフヨウ_白
スイフヨウ_白
スイフヨウ_紅
スイフヨウ_紅
の道路際に白い花が咲いて
いた。ところが午後になっ
て帰り道で見るとピンク色
の花になっていて最初は別
の花かと思ってしまったが、
実は同じ花だった。昼間か
らお酒を飲んで夕方には紅
くなるので酔芙蓉という粋な名前を付けられた。朝と夕方という短時間ではないにし
ても白い花が色づくのが他にもあることに気付いた。たとえばニシキウツギも白から
ピンクに変わるし、ちょうど今ごろ咲いているスイカズラは白から黄色に変化し金銀
木と呼ばれたりする。
 色が変わって面白いねということで十分なのだけれど、なぜ?という興味も湧いて
くる。どうやら変色により虫たちに花粉はなくなったと知らせているらしい。
 色が変わるといえば生き物が環境により体色を変えることもある。身近なのはアマ
ガエルが土色と緑色になる。最初の写真では土色の体の一部に緑色も見える。
 アマガエルは小さいけれど意外なところでふいと見かける面白いやつだ。小野道風
が見た柳に飛びつくカエルは柳の花までたどり着いている。
アマガエル
アマガエル
アマガエル・スギナ
アマガエル・スギナ
柳にカエル
柳にカエル
 
「木の花も面白い」
 さて今の時期はアジサイやハナショウブが色とりどりに咲いて目を楽しませる。
しかし目線を上げるとキリ、トチノキ、ユリノキ、ホオノキなど大きな木の花も個性
豊かで面白い。 タイサンボク
タイサンボク
タイサンボクのシベ
タイサンボクのシベ
たとえばタイサンボクは直
径20cm近くにもなる大きく
真っ白な花が素晴らしい。
それなのに花弁とたくさん
の雄しべは一日で落ちてし
まう。夏椿なども一日花だ
けれど、大輪のタイサンボ
クは特にもったいない気がする。すっかり準備の整ったたくさんの雌しべの下で雄し
べたちが大人しくしている様子が面白い。
 
「野の花と虫たち」
 また近所の畑のまわりや原っぱでは季節とともに野草の花がつぎつぎと咲く。
ナズナ、ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、セリ、タネツケバナ、
ヘビイチゴ・・・子供のころ、ほとんど興味を持っていなくて名前も知らなかった。
 生物の時間に名前を教えられても頭に入らなかったと思うが、今は自然に覚えら
れるようになった。
ハルジオン
ハルジオン
 こういう野の花たちを見ていると暖かくになるにつれ
て虫の数が増えていくことに気づく。そして虫たちの姿
や振る舞いにも楽しい発見がある。
 今の季節は春から咲いていたハルジオンからヒメジョ
オンに変わっていく。よく似た花で区別がつきにくいが、
どちらもたくさんの種類の昆虫を集める。
ハナムグリなど甲虫の仲間、ホソヒラタアブなどアブの
仲間、ハチの仲間、チョウや蛾の仲間、バッタやカメム
シ、そしてそれらを狙ってクモの仲間が待ち伏せしてい マドガ
マドガ
たりする。白い花に止まっているのはマドガという蛾の
仲間だ。華やかなチョウに比べて蛾は好かれていないよ
うだが、チョウと蛾を区別していない国も多い。
 日本で見られる蛾の仲間が5000種類ぐらいでチョウは
その20分の1だそうだ。だから比較的地味なのが多い蛾
の仲間でも翅の模様が面白かったり個性的だったりする
ものもいる。とはいえ流石にチョウは飛んでいても花な
クジャクチョウ
クジャクチョウ
どに止まっていても魅力的だ。北海道でクジャクチョウ
を見たときは大きな目玉模様に驚いたものだが、家の近
所で見るシロチョウ、アゲハチョウ、タテハチョウの仲
間もいろんな種類がいて楽しいし、小さなセセリチョウ
やシジミチョウも捨てがたい。2,000kmも旅をするという
アサギマダラを見かけると応援したくなる。
 チョウは花に止まるだけではないことにも気づいた。
モンシロチョウやアゲハチョウが地面の上でじっとして
いるのを目撃して最初は不思議に思ったが、水分とミネラルを補給しているのだそう
だ。夏の汗ばんだ腕にアカタテハがまとわりついてきたのも同じ理由なのだろう。チ
ョウの成虫を見ているうちにだんだん幼虫や蛹についても分かるようになってくるか
らおかしなものだ。
 山道や林の縁などを歩いていると体長2cmぐらいのき ハンミョウ
ハンミョウ
れいな虫・ハンミョウに出会うことがある。
タマムシの色合いも素敵だがハンミョウもなかなかのも
のだ。昆虫たちもこちらの気配を感じると去っていくも
のが多いのだが、ハンミョウは近づくとちょっと飛んで
離れた先に止まる。こちらが近づくとまた道の少し先ま
で飛んでまた止まる。これを繰り返すので「道案内」と
呼ばれることがある。
 
「タンポポは寝る」
 最後にタンポポの話。植物音痴だった私もさすがにタンポポの花は知っているつも
りだった。しかしブタナなんて似た花があるとは思いもしなかった。ただタンポポの
方が春の早くから咲いて今は既に綿毛になっているものがほとんどだ。口でふっと吹
いて綿毛を飛ばしてみるという誰もが子供のころにやっていそうなことを60歳過ぎて
初めて経験した。
タンポポの綿毛
タンポポの綿毛
カントウタンポポ
カントウタンポポ
 タンポポについては西洋
タンポポが在来タンポポを
駆逐しているというような
話を聞くことが多い。
たしかにそうなのかもしれ
ないが、西洋タンポポが悪
者というわけではなく在来
タンポポが生育できる環境
の場所が少なくなったということらしい。しかし我が家の近くをはじめ神奈川県内の
あちこちで右の写真のカントウタンポポを見ることができる。
 花が咲いた後は丸い綿毛の実が出来てそのうち種子の一つ一つが羽をつけて大空を
舞い飛んでいく様子は植物の工夫の絶妙さに感心する。ほかにも花から綿毛までの間
に面白い振る舞いをしてみせる。それが「寝る」という タンポポは眠る
タンポポは眠る
ことだ。
「寝る」にはいくつかの意味があるが、一つは眠るであ
り、もう一つは横になるということだ。「タンポポは寝
る」とはどちらの意味か。
実は両方なのだ。タンポポの花は夕方暗くなると閉じて
しまう。つまり夜は眠るのだ。
ほかにもチューリップなど夜に眠る花があるそうだ。
タンポポは寝る
タンポポは寝る
その理由とかメカニズムは植物学者に任せよう。次にタ
ンポポの花は受粉が済んでしばらくすると花茎の根元あ
たりから倒れてしまう。つまり寝る。もう虫に来てもら
う必要もないから横になってしばらく休むのだ。そして
綿毛が出来るころあいを見てムクムクと起き上がる。省
エネなのかリハビリなのか分からないけれど、その工夫
に感心する。
 歩くたびに何か新しい発見があるので自然観察の趣味
は元気でいる限り続けられる。
 
2014. 5. 1 不思議な壺              本部幹事:三好 陽二
 
不思議な壺 本部幹事 三好 陽二
 
 我が家には私が幼い頃から、不思議な壺が在りました。 三好
三好 本部幹事
私が物心付いた頃、その壺は母親が大切にしている様子
で、飾り棚に飾られていました。
なんとなく古い由緒ある骨董品のようで、あれが家宝な
のかなと、幼心に思っていました。ところが、どういう
訳かこの壺はあるときから、子供たちに払い下げられて、
遊び道具のひとつになっていました。
 ままごと遊びの水差しや、やかんの代わりとか・・・
写真_1
写真_1
 そして、私が小学校の高学年の頃はこの壺でザリガニ
を飼っていました。
近所の田んぼの稲を刈り取った跡に、泥がもこもこ盛り
上がった下に穴が開いていて、そこに肩まで腕まくりを
して手を突っ込んで、ザリガニを引っ張り出すのです。
(子供の頃、田舎暮らしをしたことのある方は、この方
法でザリガニを取ったことがあるのでは?)
そして水槽とか、一斗缶とか、洗面器だとかで飼ってみ
たのですが、すぐ死んでしまうのです。しかしどういう訳か、この壺で飼うと、不思
議なことに、長生きするのでした。
 そして、その後はすっかりこの壺の存在を忘れていたのですが、私が結婚してから
数年後、車庫の片隅に転がっているのを発見し、洗ってみたところ、車に蹴っ飛ばさ
れたと思われる傷はあるものの、花瓶として十分使用に耐えると家内が言うので、我
が家の花瓶のラインナップに加えられました。
 この壺を花瓶として使用すると、なぜか不思議なこと 写真_2
写真_2
に、お花が長持ちすると喜んでいます。多分その材質に
理由があるようです。
 と、ここまではただのつまらないお話なのですが、
つい最近、この不思議な壺にはとんでもない、秘密があ
ることが判りました。
 それは、この壺を洗ったときにふと裏を見てみると、
刻印がありました。今までは気にしていなかったのです
写真_3
写真_3
が、よく見てみると、な・な・なんと「創立四十周年」
「東京計器製作所」とあるではないですか。
東京計器創立40周年と言えば、昭和10年頃と思います。
私の父が東京計器に入社したのは、昭和9年頃と聞いて
いたので、入社間もない父が、創立40周年の記念品とし
て社員に配られたものを持ってきたか、会社がお得意さ
んなどに記念品として、配布していたものを、父がくす
ねて持ってきたものかは、定かでありませんが、いずれ
にしても会社から家に持ち帰り母に渡していた代物と思われます。
 ここで、会社の昔のことを調べる知恵袋「100年史」 そこには  写真_4
写真_4
をひも解いてみました。
「創立40周年祝賀会と社歌の制定」と言う表題で「昭
和11年5月11日、当社の創立40周年祝賀会は、東京宝塚
劇場を借り切って盛大に開催された。来賓、従業員とそ
の家族数は3,000名を越え、余興には同劇場のレビュー
を見物した。また記念事業の一つとして、社歌を全従業
員から募集し・・・・」とありますが、記念品の記述は
ありませんでした。
 いずれにしても、東京計器の隆盛期は豪勢な40周年行事をやっていたようです。
 80年近く経過した今でも、色あせず、美的にも充分通用するすばらしい記念品を配
ったことも、納得できる気がします。
 この不思議な壺は、我が家で、東京計器の過去の栄光の証として、これからも大切
に使っていきたいと思います。
 OB会会員の皆様の中にもこの記念品をお持ちか、ご覧になった方がおいでかも知
れません。
写真_5
写真_5
  「不思議な壺」主要緒元
 
  材質:銅合金(純銅に近いか?)
  直径:130mm 全高:142mm
  重さ:530g  容量:1150cc
  開口径:50mm
 
 
 
2014. 4. 1 写真の趣味と旅行           本部幹事:三浦 弘幸
 
「写真の趣味と旅行」 本部幹事 三浦 弘幸
 
 私の父は何事にも凝る性格であった。私が子供のころ 三浦
三浦 弘幸さん
はカメラに凝っていて、何台もの写真機を持っていた。
その頃は白黒写真の時代であり、近所の写真店にフィル
ムの現像だけを頼み、夜になると自分で焼付をしていた
姿を思い出す。またゴルフにもかなり凝っていた。
毎日、会社から帰ると着替える前にまず庭に出て素振り
をして、それから寛いでいた。最後には念願のシングル
プレーヤーになっていたと思う。
 そんな父親であったが、息子の私はあまり凝り性ではなく、何でも幅広くこなし、
何をやっても、そこそこという性格である。ゴルフも一時期は一人でコースに行き、
一生懸命やっていた時期もあったが、ハンディキャップは18止まりであった。
24.11
24.11 初作品「万華鏡」
 写真については父親のそんな趣味の影響もあって、私
はフィルム時代もデジタル時代もかなり写真を撮ってい
た。昔撮った写真を整理したアルバムも何冊にもなって
いる。デジカメを買ったのは今から15年くらい前であっ
たと思う。一眼レフは10年くらい前に買った。デジカメ
の普及と同時にパソコンも普及し、今やアルバムは無用
の長物である。私のパソコンには2002年からの写真が行
った先々別に整理し、保管してある。
 ただこんな性格であるから写真の勉強をしたこともなく、ただ行った先々で記念写
真的に撮ったものばかりである。まして写真撮影のために旅行をするということは一
度もなかった。
 そんな私の写真に対する向き合い方を変えたのは近所 25.01
25.01 「斜陽館」
の写真愛好家であった。この方は私より15年くらい先輩
の方であるが、退職後日本写真会に入り、仲間と一緒に
勉強会も作り写真に取り組んでいる。
今や日本写真会の重鎮である。この写真愛好家は町内会
で写真の指導をしており、その会に私の妻が入っていた。
その縁と、その写真愛好家が大学の先輩であったことも
あり、一昨年の春、写真展への出品を勧められた。
 まったく自信のなかった私であるが、写真とは無縁ではなかったので、撮りためた
写真の中から何枚かを印刷して見て頂いた。
 「いや〜、三浦さん。なかなか筋が良いね〜」とか言われて、その中から4枚を選
んでいただいて稲美展に出品した。それがきっかけで、こんな写真漬けの生活になる
とは、私にも父親譲りの凝り性の血が流れているのかもしれない。
 その先輩のお誘いで日本写真会にも入会し、先輩の主宰する写真勉強会にも入らせ
ていただいた次第である。
25.02
25.02 「大オニバス」佳作
25.05
25.05 「光の旋律」
 日本写真会は毎月例会が
あり、各自が写真を持参す
る。出品する写真には二種
類あり、一つは「自由作品」、
もう一つは「撮影会作品」
である。「自由作品」は日
本全国の会員が一人二点を
出品し題材は自由である。
毎月140〜150点が出品される。一方「撮影会作品」は、毎月決められた日程と場所で
撮った写真を出品する。撮影場所は本部の有る東京周辺が主であり、日本全国から参
加という訳にはいかず、出品者は東京地区の会員に片寄っているため、毎月の出品数
は30〜40点である。「自由作品」は出展数も多いため、自分が良いと思った写真を自
作品を除いて八枚選ぶことになっている。
投票された結果は一般票と同人(写真経験が豊富で日本 25.11
25.11 「錦秋の候」佳作
真会で同人と認められた人)票に分けて集計され、その
結果で、定められた基準に基づいて、その月の一席、
二席、三席、佳作が決定される。
「撮影会作品」は出展数が少ないため、各自二枚を選ぶ
ことになっているが、選考の仕方・基準は「自由作品」
と同じである。
 当然「自由作品」の方に重みがあり、年間の表彰も
「自由作品」中心になっている。
 私は始めたからには、続けようと決め、今まですべての例会に出席し、毎回「自由
作品」二点、「撮影会作品」二点の四点を出展している。
25.12
25.12 「紅葉に映えて」佳作
 従って、毎月、自分が良いと思う写真を「自由作品」
二枚、「撮影会作品」二枚を選ばなければならない。
過去の写真から選ぼうという考えは全く甘く、どんどん
写真を撮りに行かなければならない。例えば100枚撮っ
てもその中で気に入る写真はせいぜい1〜2枚である。
従って写真の取り貯めはまず無理であるから、ほぼ毎月
どこかに写真を撮りに行くことになる。また「撮影会作
品」は場所と日程が決められているので、その時に必ず
撮影に行かなければならない。
 ということで、いつも撮影を意識してカメラを持参しなければならず、また撮影旅
行に行く機会も多くなるといった訳である。ちなみに昨年は主だったところで伊香保、
新潟、安曇野、伊勢、飯山、湯沢、北海道、沖縄、木曽、四国・中国に行っているが、
さて成果のほどはと考えると気が遠くなる。最近の「撮影会」の場所は秩父、中央区、
台東・墨田区、動物園、小田原といったところであり、今年の予定には蒲田・川崎も
入っている。蒲田・川崎の撮影スポットについては蒲田に詳しい諸先輩の情報提供を
頂ければ有り難いと思っている。
 私の、今までの例会における「自由作品」の主だった成績は、平成25年2月佳作、
平成25年11月佳作、平成25年12月佳作、平成26年3月二席と佳作となっている。
平成26年2月作品「貴婦人」      (撮影会作品)佳作
平成26年2月作品「貴婦人」      (撮影会作品)佳作
平成26年3月作品「光のハープ」佳作
平成26年3月作品「光のハープ」佳作
平成26年3月作品「赤のスパイラル」二席
平成26年3月作品「赤のスパイラル」二席
 今まで例会に出品した写真の何点かを本文中に紹介してあるが、自分では昨年の後
半から段々写真の質が変わってきたような気がしている。さて皆様のご評価はいかが
であろうか。
≪あとがき≫
 平成26年3月の二席の作品「赤のスパイラル」は直近の作品です。日本写真会のホ
ームページに掲載されていますので、「日本写真会」で検索し、ご覧になって下さい。
 尚、平成25年12月作品「紅葉に映えて」は実際にはこの写真ではなく、他の写真を
例会に出品して佳作になっています。実は日本写真会の規則で、他に公表した写真は
日本写真会の「年度展」(本年6月開催予定)に出品できないことになっています。
私はこの時出品した「輝いて」の写真を年度展に出品する予定にしておりますので、
このホームページで紹介することが出来ません。従って、類似の他の作品を紹介させ
ていただきました。
 
2014. 3. 1 2014年・雑感              副会長:三橋 春夫
 
2014年・雑感 副会長  三橋 春夫
 
      “和食・2020年東京五輪・再生医学”
 
 昨年6月、富士山が「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」 三橋_副会長
三橋_副会長
の名でユネスコの世界文化遺産に登録されたのに続き、
同12月には、「和食 日本人の伝統的な食文化」が同無形
文化遺産に登録されました。さらに、2020年・東京五輪/
パラリンピック開催も決まりました。
 誠に喜ばしいことです。新しい年2014年を迎え、早や2ケ
月近く過ぎましたが、その間、新たな動きがありました。
以下は、見届けたいことへの雑感です。
 
和食と日本酒を世界へ普及
和食_丼物
和食_丼物
 世界の美食と言われるフランス料理は、素材の味にソー
スを足して新たな味を作りだす料理ですが、世界の長寿
国と成り得た日本人の伝統的な食文化である和食の魅力
は季節々々の新鮮で色彩豊かな食材と食材が持つ繊細な
味を最大限に引き出す、「出汁」のうま味によって料理
された栄養とバランスのよさにあると言えます。
更に料理にマッチした器は和食独特な「おもてなし」で
しょう。
 調理人を自負する私としては、今回の無形文化遺産登録は世界の「和食」ファンを
更に増やし、彼らの健康増進に大いに寄与するでしょうし、しいては、日本酒の輸出
を含めた我が国の大きなビジネス・チャンスに発展すると考えています。
お吸い物
お吸い物
おせち料理
おせち料理
日本酒
日本酒
 その日本酒の輸出と海外での和食普及に政府がやっと後押しを始めました。
スペシャリスト「日本酒伝道師」を欧米・アジアで育成し普及させるというものです。
ワインのソムリエのような最近公表された日本酒の輸出額は年間約105億円と大幅に
アップしましたが、フランス産ワインの輸出額と比較すると微々たる額です。
 一方、調理師学校で学んだ外国人留学生を応援し、帰国後、現地で「和食」を世界
に広めてもらう制度もスタートさせました。だだ、留学生の内訳をみると、韓国、中
国、台湾など留学生が圧倒的に偏っているのが気になります。
「和食」と言いながら「和食」と全く異なるメニューを提供し、評判を落とすことの
ないよう監視する必要があります。その理由は、「おもてなし」の心を抜きにし、衛
生面の欠如、新鮮な素材を使わず、単に現地の人の味に合う現地料理とのミックスな
どが考えられます。それよりも、もっと欧米への普及努力をすべきです。
東京五輪を開催するのを機に、今から世界の日本酒・和食にしたいものです。
 
日本の素晴らしさを世界に発信する東京五輪へ
 世界の候補地と競い、開催地を手にした東京でしたが、前知事の不祥事は国民の一人
として本当に残念な思いでした。しかし折しも、景気・雇用回復を中心に少子・高齢
化問題、直下型地震や富士山噴火など天災への防災対策、原発を含むエネルギー政策、
そして、2020年東京五輪/パラリンピックへの対応など、国政に影響を及ぼす東京都知
事選が実施されました。大雪の影響で投票率は低いながら、良識ある都民によって新
スカイツリー
スカイツリー
しい知事が選出され、日本の首都・東京がやっと動き始
めました。
 これに並行して、2014年・ソチ五輪も開幕されました。
欧米主要国首脳の開会式欠席、厳しいテロ対策と警戒態
勢という異常な状況の中、数々の熱い戦いとドラマが繰
り広げられ、日本の若者と超ベテランが最高のプレーを
演じました。メダル獲得は選手にとっては絶対条件で
しょうが、一発勝負のオリンピックには姿が見えない魔
物が存在すると言われてきました。結果は別として、その場、その場で持てる力を出
し切り、観衆に感動を与えることがスポーツの魅力でもあります。
 一方、我が国の抱える大きな問題は、東日本大震災や原発事故の被災地の復旧・復
興が未だに不十分な状況にあることです。政府主導による復旧・復興支援が加速化さ
れ、国を挙げての「おもてなし」の精神で、日本の素晴らしさ、底力を世界へ発信で
きる東京五輪/パラリンピックの成功を是非この目で見たいものです。
 
再生医学に期待
 新年早々に、新時代を切り開く大発見、新しい万能細胞(STAP細胞)の作成に成功
したというビッグ・ニュースが世界に発信されました。それも割烹着姿の初々しい若
手女性研究者らの共同研究です。正に、日本の強み、日本人の優秀さを示す成果だと
言えます。 顕微鏡
顕微鏡
女性研究者
女性研究者
 しかし、この種の研究に
は多額の研究費が必要であ
り、さらに、よい環境と優
秀なスタッフ、長い年月を
必要とします。先の京都大
学・山中伸弥教授のIPS細胞
研究との国家的な共同研究
などで、早期実用化の推進が望まれるところです。
そして、その成果を是非とも見届けたいものです。
 
「転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」論
 岸 信介元首相が長生きの秘訣は?と問われ、答えたと 高齢者
高齢者
される名言は「転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」だそ
うです。「義理の会合・葬式などに出かけて、転んだら
寝たきりになり、風邪を引いたら肺炎になり、元も子も
なくなるので出来るだけ義理を欠け・・」ということの
ようです。長生きするために高齢者が気をつけなくては
いけない事項です。私自身も、今年もOB会の大勢のお
仲間と元気に活動したいものと思っています。
新幹線
新幹線
 その他、2027年〜2045年にかけて漸次開通されるリニ
ア新幹線や、拉致問題にかける我が国として「北朝鮮の
人権に関する国連調査委員会」の報告書を歓迎し、関係
者の早期帰還を切望すると共に、世界の気になる国の行
く末も見届けたいですが、そこまで息が続くかどうか・・・、
まだ雑感・雑念が尽きません。    
 
 
 OB会の皆様方のご健勝とご多幸、ならびに、東京計器鰍フますますのご発展を祈念
申し上げます。
 
2014. 2. 1 古い映画を追っかけ           副会長:佐藤 雅寿
古い映画を追っかけ 副会長 佐藤 雅寿
 
 去年の12月のトップページに津田さんの「鎌倉の歌舞 佐藤副会長
佐藤副会長
伎舞台を歩く」という素晴らしい文章が掲載されました。
私も月一回くらい歌舞伎見物をしておりますが、津田
さんのような学究的で足を使ってのものはとても書けま
せんので、ぐっと庶民的な映画についてひとくさり。
 映画ファンの方々は多いかと思いますし、今は60歳を
過ぎますとシニア料金が適用され、1,000円でどんな立
派なロードショー劇場でも入場できますので、気軽に楽
しむことができます。
 そんな訳で月に最低2,3回は出かけます。和洋問わず、評判の映画を観ることは
勿論ありますが、ここ数年は古い映画を上映している映画館に出かけることが多くな
っています。
寅さん
寅さん
 探してみると5年前には東劇(東京・築地)で夏休み
に山田洋二監督の「男はつらいよ」シリーズが全部上映
されましたし、その後、去年も廃館前のシネパトス(東
京銀座・三原橋)でも連日上映されました。「寅さんシ
リーズ」は渥美 清が亡くなったあとの追悼の意味もあ
り、あちこちで上映されましたが、いまもって人気があ
るのは日本人に共感できるものがあるのでしょう。
 このシネパトスは古くからいろいろな企画があり、良
く通ったものですが、2011年3月の東日本大震災の影響で耐震性に問題ありとして20
13年3月末で閉鎖となりました。足の便も良く銀座に遊びに行ったついでということ
もあり、閉鎖はとても残念で仕方ありません。
 洋画では2012年〜2013年の1年かけて1960年代以降の 洋画
洋画
ものが週単位で連日TOHOシネマズみゆき座(東京・日比
谷)で上映されました。主なものは「シャレード」「麗
しのサブリナ」「007/危機一発」「華麗なる賭け」「ナ
バロンの要塞」「ゴッドファーザー」「鳥」「荒野の七
人」「シェーン」「大いなる西部」「風と共に去りぬ」
「禁じられた遊び」「卒業」等々、懐かしいでしょう。
かなりこれで観ました。
 今年も4月から2週間単位で邦画もありますが、「サウンド・オブ・ミュージック」
「旅情」「太陽がいっぱい」「第三の男」「黄昏」などがTOHOシネマズ系を中心
に全国で上映されます。
 同じく2012年には神保町シアター(東京神田)では「昼下がりの情事」「雨に唄え
ば」「お熱いのがお好き」「裏窓」「鉄道員」「アパートの鍵貸します」「鉄道員」
などが上映されました。嬉しいかぎりでした。
日活映画
日活映画
 また同館では2013年1月から「日活映画100年の青春」
と銘うって35日間、多くの映画が上映されました。
「豚と軍艦」「キューポラのある街」「にっぽん昆虫記」
などのほか、アクションものが多く、石原裕次郎、小林 
旭、赤木圭一郎、二谷英明、宍戸 錠などの男優と南田
洋子、北原三枝、左 幸子、吉永小百合、松原智恵子な
どの女優がからんでおりました。
アクションものは余り好みませんので、観ていないもの
が多いです。
 さて、去年観た映画では日本映画の古いものが印象に残りました。東宝や大映、松
竹などの1950年代から60年代に制作された「夜の流れ」「夜の蝶」「その場所に女あ
りて」「如何なる星の下に」などでした。女優は山田五十鈴、司 葉子、白川由美、
山本富士子、京マチ子、岡田茉莉子、乙羽信子など、男優は山村 聡、佐分利 信、
東野英二郎、志村 喬、池辺 良、宝田 明など。
 今から50年、60年前の映画ですから皆んな若いこと。特に女優さんがきれいなこと
にはまたびっくり、惚れ惚れするようなスタイルといい身のこなし、個性が滲み出て
おり、これぞ昭和の女優という感がしました。
 去年の暮れから今年にかけて「小津安二郎監督」生誕110年、没後50年ということ
で、現存する全作品が神保町シアターで上映されました。彼の作品の人気ベスト5は
「東京物語」「秋刀魚の味」「麥秋」「晩春」「秋日和」と言われていますが、小津
さん好みの俳優が出演しています。永遠の伝説と言われる原 節子を初め、司 葉子、
岡田茉莉子、有馬稲子、岩下志麻、香川京子、杉村春子など錚々たる人たちです。
 男優は笠 智衆、佐田啓二、山村 聡、佐野周二、中村伸郎、佐分利信などです。
37作が上映されましたが、 原 節子
原 節子
小津作品
小津作品
とても観きれないですね。
 こうした古い映画は探せ
ばあちこちでやっておりま
して、東京地区では飯田橋
「ギンレイホール」池袋
「新文芸坐」新宿「Ks
CINEMA」「ラピュタ阿佐ヶ
谷」「キネカ大森」などがあり、2本立て1,000円いうところもあります。
 もっと安上がりで古い映画を楽しむには京橋にある国立近代美術館「フィルムセン
ター」をお勧めいたします。フィルムセンターというだけあって、年間を通して、和
洋の映画を上映しております。65歳以上であれば300円で一本観られますし、一日2本、
3本上映いたしますので、大いなる時間つぶしになります。映画って本当に素晴らし
いものですね。
 
2014. 1. 1 新年のご挨拶               会長:八木 宏
 
   新年のご挨拶 OB会 会長 八木 宏  

“あけましておめでとうございます”
会員の皆様には、お元気で新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。
 
 昨年は夏のみならず秋まで猛暑が続き台風や大雨の影響で洪水や土砂崩れの被害が
全国各地から報じられました。
 東日本大震災から3年。三陸地方を旅行する機会がありました。瓦礫処理すら終わ
っていないところも多く復興の道のりは遠いと感じましたが、出会った人たちの多く
は前向きでした。
 東北楽天イーグルスの日本シリーズ優勝は一層の勇気を与えたものと思います。
 景気は回復しつつあるように見えますが、新興国経済や為替動向に不確定要素があ
り消費増税後の消費の鈍化も懸念されます。
 今年は午年。手綱を締めてしっかりと地に着いた歩みを進めたいものです。
 東京計器鰍ヘ中期事業計画をスタートし、第二四半期で堅調な決算を発表されまし
た。全社一丸の努力による成果に敬意を表するとともに今後のさらなるご発展に期待
するものです。5月に発表された中期経営方針の中でマーケット・イン商品投入の促
進が掲げられています。
 若手の技術者だったころに手がけたTVアンテナ自動指向装置というシステムが先般
100セット目を納入したということで現役・OB関係者によるお祝いの会がありました。
 ジャイロ、サーボ、マイクロ波、エレクトロニクスなど東京計器の総合力を結集し、
40年にわたり放送局という顧客のさまざまな要望に答え続けたのはマーケット・イン

の成果であったのだろうと感じたものでした。
 今後も会員の皆様が関わってこられた製品や事業のそ
の後の状況をホームページや会報でお伝えする機会があ
ると良いと思っていますので、皆様のご協力もいただけ
れば幸いです。 
 また総会やバス旅行などの本部行事や各支部の行事に
加え同好会活動でも会員相互の交流が活発に行われるこ
とを願っております。
 会員の皆様およびご家族のご健勝ならびに東京計器鰍フますますのご発展を祈念し
て新年のごあいさつといたします。