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元気パワーは“笑い”から |
今年4月にスタートした「後期高齢者医療制度」は、 |
三橋 春夫 本部幹事 |
国民に対しての事前説明が不足していたため、該当する |
高齢者を中心に批判的な意見が目立ちました。 |
最近の新聞などによると、2007年度の我が国の医療費 |
は34兆円と公表されています。そして、予想では毎年1 |
兆円強ずつ増加すると言われます。その背景には、医療 |
技術の日進月歩の発展により、男女の平均寿命は年々延 |
びると予想され、さらに、少子化が進む現在、我が国の |
総人口に占める高齢者の比率が上昇する中で、加齢に伴い、若年に比べて医療費が増 |
えることは避けられないでしょう。例えば、65歳未満の一人当たりの国民医療費が14 |
万円程度であるのに、今回の線引きとなった75歳以上の対象者の同医療費は、5.8倍に |
なると試算されているようです。 |
この医療費をだれが、どう負担するのかが問われているわけです。そういう意味で |
は、本制度導入の狙いは理解できるものですが、ここに来て、以前より落ち着いたも |
のの原油高騰に始まる諸物価の上昇は、少ない年金で生活する庶民や、一人暮らしの |
高齢者の方々の生活に大きく影響しています。少ない年金から、次から次へと値上げ |
で引き落とされ、手元残金が年々目減りしている現状に対しての怒りが庶民の反発と |
なっているのでしょう。 |
それにしても、「後期高齢者」って、冷たい感じの、いやな表現ですね。ここは国 |
民として、政治家・役人に対して大いに怒るべきです。ところで何とネーミングした |
らよいのでしょうか。長寿をたたえて「長寿高齢者」、「寿高齢者」、「ゴールド/シ |
ルバー・シニア」でしょうか。国民が納得する「ネーミング」投票をしてみるのもよ |
いと思います。 |
怒りと言えば、最近、家内から言われた言葉がいささかショックでした。「男の人 |
は年をとると、テレビを見ながら怒る人が多いようですよ!」という指摘がありまし |
た。そう言えば、国会中継などでは評論家気取りで声を出している自分に思い当たり |
ます。人間、怒るときは怒った方が良いと思いますが、ひとり、テレビの前で怒って |
も何の意味もありません。「喜怒哀楽」の「怒哀」より「喜楽」を優先させる生活習 |
慣が必要です。生まれながらのDNA以外に、普段の生活の中で、ちょっとした努力 |
で楽しい生活も期待できるようです。 |
去る9月末の土曜日、NHKテレビで、「覚えていますか“きんさん、ぎんさん” |
きらめく百歳の笑顔は不滅です」という懐かしい回想番組を放映していました。テレ |
ビを見た感想は、“家族をはじめ、周りの人たちに支えられて、「笑い」を絶やさな |
い素晴しい生活を送られたていたのだ”ということでした。特に、これから、長寿を |
目指す者には、生活の中での「笑い」が不可欠だと改めて感じさせられました。 |
既に、ご存知の方も多いと思いますが、4月の日経新聞の夕刊に某病院長が発表し |
た「笑いの効用9か条」が、今ではインターネットで検索して内容が閲覧できます。 |
その9か条は以下の内容です。 |
@脳内ホルモンの分泌で痛みなどが緩和される、A内臓の消化機能が向上する、B横 |
隔膜や腹筋などを強め、便秘を予防する、CNK(ナチュラル・キラー)細胞が増え、 |
免疫力が向上する、D血液をサラサラにして生活習慣病を予防する、Eα波が増え、 |
全身が癒される、F若返りホルモンの分泌が促進される、G頭がスッキリし、忍耐力 |
やヤル気が出る、Hコミュニケーションを円滑にする、など、良いこと尽くしです。 |
家族との団欒、OB会を通しての友だちとの懇親、趣味やスポーツ仲間との笑いの |
ある楽しい日々、時間は、元気パワーの源です。新しい年を迎えるに当たり、会員及 |
びご家族の皆様共々、笑いの力を借りて、ますますのご健康とご多幸を祈念いたします。 |
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はじめに、私ごとですが、今33期から事務局長の大任 |
小田茂事務局長 |
を仰せつかりまして、大変緊張している今日この頃です。 |
会員皆様のご協力をいただきながら任務をまっとうい |
たす所存でありますので、会員の皆様にはご指導・ご鞭 |
撻のほど、よろしくお願い申し上げます。 |
ご承知のとおり、10月1日の新生『東京計器(株)』 |
の船出にともない、OB会も10月4日の総会で『東京計 |
器OB会』と名称変更し新しいスタートをいたしました。 |
返りみますと、昭和51年12月5日大森平和島温泉会館で、大先輩38名の参加でOB |
会創立総会が開催され、初代会長に鈴木重徳様が就任されました。38名の方々で現在 |
会員でお元気でいらっしゃるのは、OB会最長老で名誉会員の廣瀬富三郎様(103歳) |
黒須素一様(87歳)のお二人だけです。30数年の歳月の経過を感じます。 |
この年は、会社の創立80周年記念式典が大田区体育館で開催され、秋には80周年記 |
念東京計器大運動会が向ヶ丘遊園地で開催されました。第1次オイルショックも終わ |
り、会社の業績も上向きで社内には活気があり、世の中も今と違い犯罪の数も少なく、 |
今思えば良い時代だったと思われます。 |
翌52年4月に「東計OB会会報」創刊号が発行され、昭和61年に会報の愛称を公募 |
し、現在の会報『けいき』という愛称が第11回総会で正式に決定され第21号から採用 |
されました。 |
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会社が平成2年9月に「(株)トキメック」と社名変更、これにともないOB会も |
10月に『トキメック(東京計器)OB会』と名称変更いたしました。 |
平成10年11月に「矢板支部」、同11年4月「那須支部」、同13年1月に「佐野支部」 |
が誕生いたしました。現在、栃木三支部の会員は143名で全体の25%を占めます。各 |
支部とも支部長中心に独特な地域性を発揮しながら活動しております。 |
また、記念行事として、★昭和60年に10周年記念総会・懇親会が、参加者86名で上 |
野タカラホテルにて開催(会員数280名)。★平成7年に、20周年記念総会・懇親会 |
が、参加者128名でトキメック本社・テクノポート低層棟で開催(会員数391名)。 |
★平成17年に30周年記念総会・懇親会が、参加者188名で、トキメック本社で“会員 |
作品展”を含めて開催(会員数550名)。あわせて、「OB会ホームページ」を開設。 |
この間、初代鈴木重徳会長から、2代目中村賛蔵会長(第10期〜20期)、3代目川 |
岸一正会長(第21期〜28期)、4代目黒石守郎会長(29期〜現在に至る)と引き継が |
れております。 |
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OB会のホームページは、創立30周年記念行事の一 |
小池芳光幹事 |
環として開設されてから、この10月で満3年となりまし |
た。 |
「会員相互のコミュニケーションの場作り」を目標に、 |
「みんなが参加でき、みんなの輪が広がるホームページ」 |
を目指して、栃木三支部のホームページ(以下HPと略 |
記)担当者との連携を含めて活動にあたって参りました。 |
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HPの延べ訪問者数20,000人に迫る! |
会員の皆様のHPご利用状況を見ますと、昨年8月27日に記念すべき「OB会HP |
OB会HPへの3年間の訪問者数推移 |
訪問者1万人到達」をして以来、昨年11月には760人の |
月間新記録を更新、以後月平均 677人の高水準で推移し |
ています。このペースでいきますと11月には「2万人目」 |
が誕生しそうです。 |
これは「メール通信」に登録されている 205名の方が、 |
平均して月3〜4回はご覧になっていることになります。 |
事務局の資料から、この「メール通信に登録されている |
方」はOB会員全体の36.3%を占めており、年代別に見ま |
すと名誉会員(90歳以上)10.5%、80代11.0%、70代37.5%、60代49.8% となっています。 |
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お気軽に情報をお寄せください! |
このHP作りに私が参加してから3年目に入りました。三にまつわる格言のなかに |
もあるように「石の上にも3年」です。最初に投稿したの「150 円ふたり旅」でした。 |
続いてトップページに「季節の写真」が開設されたときから、毎月休みなく散歩がて |
らに撮った素人写真を投稿し続けてきました。まさに「継続は力なり」です。ささや |
さやかなことではあるがこの積み上げが肝心で、これからも「3日坊主」にならぬよ |
う続けていきたいと思っています。 |
ところで、投稿記事や同好会の活動では、皆様のご協力によりまして情報が沢山寄 |
せられています。「話題」コーナーの「よもやま話」も多くなりましたので、このコー |
ナーの中にサブコーナー「旅行記」を新設しました。 |
皆さんはあちこち旅行なされて、写真も沢山撮ってあることでしょう。ぜひ旅行の |
想い出を綴って写真とともに、お気軽に情報を提供していただきたいと思います。 |
このHPの中に表示されているように、私たちがレイアウトさせていただきます。 |
このほかにも「趣味の作品」、散歩の途中で撮った「季節の写真」、「・・体験記」、 |
「・・の集まりの模様」など限りなく沢山情報をお持ちと思います。「お手紙」や |
「メール」などで是非お寄せ頂きたいと願っています。 |
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ちょうど一年前の9月、この欄に「たかが東京計器・されど東京計器」の題名で |
掲載させていただきました。その内容を説明しますと、飲み屋で現役の方からOB会 |
の名称「トキメック(東京計器)OB会」は“ダサイ”ですよ、(東京計器)を取っ |
て「トキメックOB会」とスマートにしたら・・・。 |
「東京計器=ダサイ」の言葉に、会員として、幹事とし |
イラスト旧社屋 |
てショックを受けましたが、現役の方がOB会に関心を |
持たれていることはありがたいことと、乾杯・乾杯。 |
平成2年、“東京計器”から片仮名の“トキメック” |
へ社名が変更された時は、私も、馴れるまで時間がかか |
りました。営業の方々の苦労話も多々聞きました。客先 |
で「トキメックです」の挨拶に、「そんな会社知らない」 |
と門前払い。改めて一升瓶をさげて「昔の東京計器です」 |
イラスト新社屋 |
で商談も成立。また、大学の就職担当教授に学生の勧誘 |
依頼に伺っても“トキメック”を知って頂くまでに、頭 |
脳明晰な教授でも数年かかったとか。などなど、いろい |
ろなエピソードを聞きました。そのとき改めて、東京計 |
器の歴史と知名度の偉大さを感じました。 |
OB会の名称(東京計器)を消すその時期は、純粋な |
「トキメック」マンが定年を迎えOB会に続々入会され、 |
大多数を占める日を楽しみにしながら、何れ真剣に考え |
る時期がくるものと思いますよ!。 |
それまでは違いはあれ「共通の“東京計器”で同じ釜の飯を食った者同士」の集団 |
を発展させて行こう、で結びました。 |
あれから一年、驚きました。まったく想像していなかったことが、来月1日付けで |
(株)トキメックの社名変更です。驚きついでに、いろいろな人に感想を聞きました。 |
現役の方からは「私の部署では、トキメックの方が馴染んでいるのですが会社全体か |
ら見ると“東京計器”の方が良いのかも知れません」「ブランド名として“トキメッ |
ク”は残して欲しいのですが」「入社の浅い社員の中には戸惑いを感じている者もい |
るのでは」等々 |
大谷幹事 |
一方、OBの皆さんの感想は「“東京計器”復活賛成」 |
「“東京計器”がベストです」と言い切る人。「私たち |
老人は歓迎です」と喜ぶ人。 |
また、社外の知人や友達に、この話をすると「・・そ |
うですか、それは良かったですね」と全員の方が好意的 |
でした。 |
今年4月、当時の勝木社長のメッセージ「“東京計器” |
復活と意義」の結びに「新たな企業価値の創造と更なるブランド力の向上を図る」と |
ありました。 |
私達OBも、企業の成長・発展・世界一流の「モノづくり」=“東京計器”を願い |
見守り、心から応援していきたいと思います。 |
一方、OB会の名称も来る10月から、発足時の「東京計器OB会」に 変更されま |
す。これを機会に私達OB会も、ますます充実と発展を図り、情報の交換などをしな |
がら親睦を深め、これからの生活を楽しんで行こうではありませんか。 |
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青木 会計 |
皆さん今日は。この欄を担当するのは3回目に成りま |
す。1回目は「私のボランティア」、2回目は「会計と |
して」で、今回は何を書いたらと思いましたが、常日頃 |
行っております、スポーツに付いて書かせていただくこ |
とにしました。 |
会員の平均年齢付近に位置する私の最大の関心事は、 |
健康な毎日を送る事です。これは私に限らず皆様も同様 |
のお考えのことと思います。 |
健康な日々を送るには、「バランスのとれた食事」と「適度の運動」が必要と言わ |
れております。高齢者に適した運動と言いますと、散歩、ウォキング、ジョギング、 |
また、卓球、テニス、ゲートボールなどなど色々とありますが、私が20年来親しんで |
いるのは、一寸耳慣れないですが、ターゲット・バードゴルフと言うスポーツです。 |
[ ターゲット・バードゴルフ とは ] |
どの様なスポーツか簡単にお話をしますと、昭和44年に狭い場所でもゴルフが楽し |
めるようにとの思いで埼玉県に生れました。 |
ゴルフをミニ化した競技で、文部科学省指定生涯スポーツのひとつになっておりま |
して、全国の老若男女に愛好されています。 |
では、ゲームはどの様なものかと言いますと傘を逆さに立てたような「ネットホー |
ル」にゴルフボールにバトミントンの羽根が付いた形状のボール(樹脂製)をゴルフ |
用クラブ1本で打って入れる競技ですが、一見簡単なようですが奥行きの深いスポー |
ツです。 |
コースは、ゴルフ同様18ホール(パー72)で、ショート(パー3、4H)、ミドル |
(パー4、10H)、ロング(パー5、4H)で、距離は大体1,000〜1,300M位です。 |
ルールは基本的にはゴルフと同じですが、一部この競技独特のルールも有りますが |
そう難しいものでは有りません。 |
ボールを打つのはゴルフ同様でそう難しくありませんが、ホールに入れるのに技術 |
が必要で、これがこの競技の面白さと同時に難しさです。 |
18ホール回ると真冬でも薄っすらと汗をかき、それなりの運動量があるのが実感さ |
れます。 |
[ 群馬県での交流会 ] |
下の写真は、毎年行ってます群馬県との交流会でのものです。これをご覧になると |
どの様なスポーツかお分かり頂けると思います。 |
右から「打った・・飛んだ・・入った」です。 (打っているのは私です) |
ホールに入った。 |
ホールに向かって飛んだ。 |
ホールに向かって打った。 |
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黒澤 事務局長 |
この3月発行の「会報臨時号」では、OB会の母体で |
ある(株)トキメックが、10月1日を期して、新生「東 |
京計器株式会社」として新たなスタートを切る旨、その |
詳細をお知らせしたところ、会員の皆様からは予想以上 |
の反響をいただいた。 |
その概要としては、我々が在籍していた製作所を始め |
製造所を含めたいわゆる「東京計器」時代に在籍してい |
た我々にとっては当然の結果として、社名変更を好意的 |
に捉え大賛成の合唱を呈した観がある。ただ、多数の賛成意見の中にあってもトキメ |
ックの社名がなぜ定着しなかったのかの理由についても、この機会に検証されるべき |
との意見もあり傾注に値する。 |
また、時あたかも他社においても社名変更の流れも出てきている。例えば、ミレア |
が「東京海上」に、ATT情報が「NCR」に、オークマHDが「オークマ」に、身 |
近な例ではKYBが「カヤバ工業」になど旧社名に戻す復帰ブームの傾向もある。 |
トキメックもこの流れの中での社名変更であり時期を得たものであったとの見方も |
でてくる。 |
いずれにしても、今回の社名変更は単に懐古的な意味合いでなく、本当に新生「東 |
京計器」として生まれ変わることを祈念しながら見守って行くこととしたい。 |
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皆さまご機嫌いかがですか 初めてのOB会ホームペ |
小泉 正勝 会計監査 |
ージでごあいさつをさせていただきます。 |
いざ、文章を書くとなると、何を書いたらよいか戸惑 |
うものです。そんな折、私の今までの人生の60%を共 |
にした会社が、今年の10月1日に新生“東京計器株式会 |
社”として新たに羽ばたくための、株式会社トキメック |
の社名変更の報道に接し、私が夢を大きく膨らませ、蒲 |
田本社・工場の“東京計器”の門をくぐった当時の様子 |
が走馬灯のように甦って来ました。 |
私は昭和31年入社ですが、当時のわが社は昭和20年の終戦から戦後復興に向けた企 |
業再建整備法の施行のもとに昭和23年12月21日に従来の株式会社東京計器製作所から、 |
新会社として株式会社東京計器製造所を設立いたしました。 この新会社が発足して |
から8年目にあたる新入社員であります。緊張の連続で有った1ヶ月が過ぎた5月に |
会社創立60周年記念式典が大田区民会館で盛大に行われ、今は亡き両親が、改めて伝 |
統ある会社へ就職したことを喜んでくれた姿が今でもハッキリと目に映ります。 |
当時の会社正面 |
はじめに、総務部株式課に配属され 当時は資本金増 |
強の機運は高く一部上場企業としての人気は上々でした。 |
期末になりますと数々の証券会社が株券を風呂敷に包 |
んで来社されていました。名義の書換え業務は多忙を極 |
め、アルバイトを多数増員して対応していました。 |
株主名簿に登録、株券の裏面に新株主名を記録し証券 |
会社に速やかに返すという、短期間で書換えを済ませる |
ことが作業のポイントでした。 |
さて、戦後の日本は10年の経過の中で驚くべき経済成長を遂げていました。 |
わが社も過小資本の解消を図るべく増収増益基調を背景に増資を開始、再評価積立 |
金の資本金組み入れに新株発行です。額面は1株50円ですが全額無償なので払込金は |
0円です。増資は3期連続で継続されました。 この間、倍額増資等もあり払込金も |
一株40円とかの時もありました。株券印刷は凸版印刷、大日本印刷にお世話になり、 |
新株発行では日興証券他にお世話になりました。 |
株主も倍増し、とにかく仕事は大変忙しかったのですが、充実した、また楽しい時 |
期を送ることができました。 |
このように、私は仕事を通じて株主関係管理を学び、上司、同輩、関連企業、労働 |
組合活動などで貴重な人間関係を学び、また素晴しい仲間との出会いにも恵まれまし |
た。 |
私は社員としては42年の歴史ではありますが、会社の112年という歴史の重さを実 |
感しつつ、新生:東京計器株式会社の誕生を歓迎し、大いに期待しているところであ |
ります。 |
私自身も新たな気持ちで、これからの人生を健康面を留意しながら、「元気で、明 |
るく、楽しく!」をモットーにして頑張っていこうと思っております。 |
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(1)OB会は平和の広場 |
世の中、環境汚染、食品汚染、政治混乱、または、海 |
辻 佐野支部長 |
難事故、自動車事故、最近では平和の祭典のオリンピッ |
クにまで不安がひろがり、自由と平和をめざす政治でさ |
え、宗教でさえ、その発展の手段の段階で、互いに安心 |
の場を削っています。 |
自由競争という「持ち場拡大」と「格差」の種を含ん |
でいれば、互いの間合いが迫り鍔(つば)が接するように |
なれば、力づくになるのも今更のことではないのだろう。 |
三毳山万葉公園 |
日々身の回りにも似たようなことがあったかもしれな |
い。 |
OB会にはその心配は全くない、まさに平和の広場で |
す。 |
心の花が咲く、オアシスがあります。 |
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(2)佐 野 支 部 も |
日常からちょっと離れて、たまには逢いたい奴がいて、場さえあれば昔話をしたり、 |
近況を報告し合ったり、趣味を楽しんだり、一杯飲んだり、旅したり・・何も求めな |
い、気楽に、気軽に・・・少しの思い出だけでいい。 |
佐野支部もそんな場でありたいと思いながら、また、毎年参加しなければならない |
ものでもない。がしかし、幹事というか、準備チーム側は、毎回大勢の皆さんに参加 |
して欲しいから、いろいろ工夫しているつもりですが、それが、参加する皆さんに押 |
しつけがましくならないように、また気軽に選択できるように気をつけて、次の行事 |
の準備に取り組んでいきます。 |
(3)「 色 是 空 」 |
今回の総会では、はじめに佐野支部にとっても大変大切な、真木大先輩が昨年10月 |
91歳で亡くなられたことを報告し、参加者全員心から、真木大先輩のご冥福をお祈り |
いたしました。 |
懇親会風景 |
今回の総会でも、報告事項決議事項等の式次第は手短 |
に、早く懇親会へ「式即是喰う飲む」をモットーにして |
各担当幹事さんが工夫してくれました。今回は残念なが |
ら女性の参加がありませんでしたが、新しい仲間の初参 |
加もあり、また、海外旅行から帰国後即神奈川県から駆 |
けつけていただいた情熱先輩のお土産話、皆さんの近況 |
報告、よもやま話などで2時間があっという間に過ぎ、 |
宴たけなわでしたが18時をちょっと過ぎたところでお開きとしました。 |
4.これからも楽しみです! |
現在、佐野支部会員は41名ですが、更に3名の新しい仲間が増えそうな状況です。 |
館林つつじヶ丘公園 |
足利CCの近く飛駒の幼稚園 |
唐沢山城址公園 |
桜が終わると、公園にはツツジ、青空には鯉のぼりが泳いで、端午の節句です。 |
「つくべき縁あれば伴い、離るるべき縁あれば離るることのあるも、自然の理あいか |
なわば友情をも知るべきなり。」とか。 |
輪(和)の中に入り、鯉のぼりの中でひととき遊んで、また青空へと帰っていく5 |
月の風、OB会の皆さんのようです。 |
♪♪♪“また元気でOB会で逢いましょう”♪♪♪ |
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服部 矢板支部長 |
私は退職後、宇都宮で家内と二人で住むようになりま |
した。 |
これからの人生の“生活に楽しみ”を何に求めるのか |
という問題に直面いたしました。東京と違って知人も少 |
なく、自分がやりたい事は、自分で探さなければならな |
い環境の中で、最初に始めたのが前にご紹介した「木 |
工」でありました。以来、「書」や「絵画」と手を広げ |
ていたのですが、平成12年頃に書の展示会の隣の会場で、 |
「木目込み」の作品展と、ごく一部の製作実演が行なわれておりましたのを見まして、 |
大変興味を感じました。その後、宇都宮市報で「木目込み教室」の開校と募集の案内 |
を見て、これに応募したのが「木目込み人形」との出会いとなりました。 |
その教室は一年で卒業となりますが、教材や道具の費用は別として授業料は無料な |
のです。 |
初回の日に出席して、女性の先生と5人のおばあちゃんの中にポツンと居る自分に |
違和感を感じました。それでも挨拶を交し、教材や道具を受け取り、初めて「木目込 |
み」がなんたるかという話を聞きました。初回の課題品は「毬」でした。製作の流れ |
を聞き、次回までにする事を頭に入れて帰りました。1日2時間、週1回、月3回の |
教室でしたが、私は興に乗って手を進めてしまいましたので、2回目の時にはほぼ完 |
成に近いところまで、作ってしまいました。そして完成 |
初めての作品「鞠」 |
したときには、先生から過大な誉め言葉を頂戴しました。 |
そもそも「木目込み人形」というのは、木材の粉を材 |
料にして、頭部と手先を除いた人形の胴体部を型に入れ |
て作り、これに着物を着せるのですが、このため胴体部 |
に何本も溝を彫り、その中に着物の布の端を押し込んで |
〔木目込んで〕、糊で固定するという作業が主体です。 |
そこに別に可愛く造られた頭部と手先(無い場合が多い) |
を取り付けて完成となります。本来人形が主体で、それに着物を着せるという事から、 |
女性がする事とされている遊び事を、私が続ける事になった要因に「木工」の延長線 |
上の「人形ケース造り」がありました。 |
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初回の「毬」が完成したすぐ後にこれを入れるケースの写真を見て、すぐに製作に |
取り掛かりました。最初の物は約20cm立法程度の物でしたが、厚さ1cm 幅3〜4cm |
の板材の両端を、45度に切って四角に組み合わせて下部の台や天井部を作る手法、 |
中央部の四角の立体部周辺と天井部にガラスをはめ込む手法等々は、私にとって目新 |
しいものでした。さらに人形を入れた背部の面と、床の面に金箔を張る事も難題の一 |
つでした。しかし問題は「塗り」にありました。 |
知人から教わった「カシュ−塗り」に挑戦したのです。カシューとは「代用漆」の |
事でして、素人には扱い難い「漆」と同等の効果を出すための材料なのです。ガラス |
を入れる前まで出来た大小のパーツに、薄めたカシューを塗っては乾かしを繰り返し |
ますが、各パーツ毎に順番に1日3回、一夜寝かせて次の日にまず水研ぎをし、乾い |
たら前日と同じく3回塗って一夜寝かせることを、繰り返すのですが、これを5回程 |
やると漆同様の質感となります。 |
しかし一方でこの繰り返しをするために必要となる各パーツを保持する治具造りも |
隠された難題でした。しかしこうして出来上がったケースに人形を入れると一段と冴 |
えて見えます。初期の段階では問題作も多々あったのですが、教室の同期の皆さんの |
支持に支えられながら続けてきたことが、「木目込み」との付き合いを維持できた大 |
きな要因だったと思います。 |
そうして一年後、教室は終了しました。継続して同じ先生に習うには、卒業生が集 |
まって作られた別のグループに参加しなければなりません。私は当然「木目込み」と |
お別れと思っていましたが、先生からの強い要請がありまして、1年だけでもという |
事で加入しました。 |
総勢20名、最長在籍者9年、最短者で2年、全員女性、最高齢者・・・推定80〜85 |
歳(個別の年齢は非公開)、平均年齢70〜75歳というようなすごいメンバーでした。 |
ちなみに当時私は68歳でした。 |
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私もそれまでの1年間で、9体の人形と干支の動物数個を作りましたが、このグル |
ープ(すみれ会)に入ってから次第に大きな人形と取り組むようになりました。作る |
ものが大きくなりますと、体力が必要になります。それは最初に人形の体の部分を、 |
紙やすりで徹底して磨き上げる作業があるからです。これによって、型で作ったとき |
の凹凸やキズ等をパテで補正しながら修正するのです。また既に刻まれている溝も、 |
時によっては自分で修正する場合も出てきます。これらが不十分だと仕上がりに問題 |
十二単 |
が出ます。私が作った人形の中で一番大きいものは、身 |
長40cm、着物(十二単)の裾幅29cm、奥行き24cmのもの |
でして、製作に3ヶ月かかりました。 |
この様な十二単の着物になりますと、色々な布を細く |
折り込んで重ねる業が求められます。 |
このグループの人達は永年培ってきた経験から、人形 |
の着物を商品に付いている物でなく,自分が若いときに |
着た着物を使って人形に着せる、といったレベルまで技 |
術が高まっています。この対象になる人形は全てかなり大きな物となりますし、数も |
たまってきます。これに伴いケースも大きくなります。私自身の人形に作ったケース |
は、幅46cm、奥行34cm、高さ57cmというもので、このグループの中で作った中でも大 |
きい方に入りますが、その中でも超大型の人形ケースの制作依頼がありました。それ |
は横幅70cm、奥行50cm、高さ60cmというものでした。 |
製作の過程はほぼ同じなのですが、使用する木材(檜) |
人形ケース |
の太さ、幅、厚さが一段と大きくなって、入手が難しく |
なった事がありましたが、最大の問題は塗装時、保持、 |
乾燥に必要な治具作りと天井部の枠にガラスをはめ込む |
方策でした。これらの難問の解決が最大の喜びなのです |
が、何とかやり遂げる事が出来ました。人形の出し入れ |
部分はレールをつけてガラスの引き戸にしました。この |
ためガラスには指が掛かる溝を掘ってもらいましたが、 |
これもその硝子屋さんとの永年のお付き合いが在ったからこそと思っています。依頼 |
された方は出来あがった幾体もの人形を、並べて入れたいと言っていました。 |
このように「木目込み人形」との出会いが、「人形ケース」作りというオマケまで |
付いてきて、楽しみが倍増いたしました。 |
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今からでも遅くない!「免疫力」を「アップ」しよう! |
最近、OB会の会報などの近況を読むと体調が悪いと |
藤田 那須支部長 |
いう文章がよく見られるようになり、年を重ねる毎に多 |
くなりました。近頃、「免疫力」という言葉をよく耳に |
するようになりました。 |
即ち免疫力とは、体を病気から守る働きや、仕組みの |
強さ。免疫力が弱まると感染症や、ガンになりやすいと |
言われています。それだけではなくアトピーをはじめと |
した各種アレルギー疾患や、生活習慣病、不眠症まで起 |
こす。また風邪などひいてなかなか治りにくいのは、免疫力が低下している証拠だそ |
うです。この免疫力を高めるには食べ物や日常生活のあり方、運動法や、入浴法など、 |
また免疫バランスを乱す大きな要因であるストレスのコントロール法などがあります。 |
体の不調で悩んでいる人は勿論、病気にかからない体を作りたい人にとって免疫力は |
だいじな要因です。現代社会には、大きな変動や複雑化する生活による精神的なスト |
レス、環境の悪化などによる身体的なストレスが満ちあふれ、体がこれらのストレス |
を感じると、免疫力が一気に低下し、その結果外敵から体を守ることができないのです。 |
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食物繊維をとって腸内環境を良くすると腸内細菌から免疫力を高める物質が分泌 |
野菜などに含まれる食物繊維は、腸内のカスや細菌の死骸をからめながら便のカサ |
を増やすという重要な役割を果たしています。排便量が減少するということは、私た |
ちの腸内環境が悪くなっていることを示すシグナルなのです。 |
人の腸の中には100兆個もの細菌がいて、さまざまな活動をしています。ビフィズ |
ス菌や乳酸菌のように体に良い働きをする善玉菌がいる一方で、悪さをする悪玉菌も |
います。腸内細菌が分泌するある種の刺激物質が腸壁から吸収されて全身に送られる |
ことで体中の免疫細胞が刺激され、免疫力が高まることが明らかになってきたのです。 |
この刺激物質は、善玉菌が多い時より、善玉菌と悪玉菌がバランスよく共存してい |
るときに最も多く分泌されるというのです。現代人の体の仕組みや機能は、実は草や |
木の実を食べていた1万年前の祖先とほとんど変わっていません。私たちは今でこそ |
肉を好んで食べますが、人間の体つくりは、肉より食物繊維を多く含む食べ物を好む |
ように出来ています。食物繊維の豊富な食品を毎日十分にとって便の量を多くしなが |
ら免疫力を高めていきたいものです。 |
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1.アルフォンス・デーケン博士と「死生学」 |
OB会事務局で仕事をしていると、OB会という高齢 |
遠藤 副会長 |
者集団である以上止むをえざる側面もあるが、平均すれ |
ばほぼ毎月、会員の訃報に接する。また、会員以外のO |
Bでも最近、とみに訃報に接する機会が増えてきている。 |
人の一生は“出会い”と“別れ”の連続であり、人は |
他者との出会いの中で生きており、自分の一部は、その |
別れ人の中に生きているのであるとすれば、その別れは、 |
関係が近親であればあるほど、自分の一部もまた失われ |
たといっても過言ではないであろう。 会報に掲載される「弔文」を読む度にそうし |
た感慨を抱かざるをえない。 |
「死」は自ら自己体験することができないのであるから、他者の「死」から様々な |
事を想起し、これをしっかり受けとめ把握していくことが肝要となる。 |
古来「死」はタブーとされるべきもの、無関心を装うもの、忌み嫌われるものとし |
て扱われてきた。事実、我々としても葬儀に参列すれば精進落しと称してお神酒で清 |
め?、その帰途、戸口では身に塩をふって清め、焼場から戻ればその手を清水で清め |
るといった習俗的な風習を体験するのもその一例である。 |
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そうした我国の国情の中で、人間の「死」を真正面から見つめ、これを積極的に捉 |
え、一つの学問体形として提唱した人が居る。 |
「Death Education」 〜≪死への準備教育≫〜を日本で初めて提唱し、実践して |
きたのが上智大学教授アルフォンス・デーケン博士である。 |
「死」を考えることは「生」を考えることにつながるとして、「死の哲学」を大学 |
の講座に設けて学生に講義し、また、数多くの関連社会活動を展開してきた。 |
この世に生を享けた者は、全てその死を避けることはできないことが現実である。 |
この誰にでもいつかは訪れる死をしっかり見つめ考えるためには死をどう捉え、どう |
理解したらよいのであろうか。これは年代・性別を問わず人間として取組まなければ |
ならない切実な課題として「死生学」という学問分野を形成し、提唱したのである。 |
この「死生学」の実践段階として、先に述べた「Death Education」〜≪死への |
準備教育≫がある。これは単に「死の哲学」という内在的視点のみを対象とするので |
はなく、終末期医療の改善・充実、ホスピス運動の発展、死別体験者(特に不慮の死 |
による死別体験者)のカウンセリング方法等、死に対する現実的対処方法等にまでそ |
の視点を向けている。従って、「死生学」という学問を見渡すとこれは単独の独立し |
た学問分野として存在するのみではなく、医学・心理学・宗教学・政治学・社会政策 |
学・文化人類学・環境学・福祉学・人間工学等、既存の学問分野全てをつき通すよう |
な「interdisciplinary(諸専門分野にわたる、学際的)」な学問として捉えることが |
できるのではないであろうか。 |
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2.「死生学」との出会い |
私は、この学問に立正大学仏教学部の「僧階講座(僧侶の資格取得講座)」の必須 |
科目として出会ったのである。かって、近代西洋哲学の入門書を読んだ時、キルケゴ |
ール・ハイデッカー・ニーチェが基本的共通認識として論じていたのは、「人間は死 |
を持つ不安から、他の人々の中に混じって猿真似をしていた方が気楽で安全だと思っ |
ている。〜『死に至る病』。人間は死の概念を飼い馴らし、隠蔽しようとする。日常 |
世俗のうちにまぎれて死の可能性に直面しないで済ませるという事である。〜『頽落』 |
という事である。俗っぽく言えば、「赤信号、皆んなで渡れば、怖くない」と論じて |
いるのである。 |
私は、これをアンチテーゼの動機として捉え、その解決の糸口、一助として60有余 |
才の坂を超えて、仏教学部に先ず学士入学したのである。従って、「死生学」に直面 |
した時は、他学科より多大の興味をもったのである。しかし、以後、仏教学士になっ |
てみた現在でも「死」とはどう捉えたら良いのかさっぱり解かっていない。相変らず、 |
キルケゴールやハイデッカーの言う世界に埋没している。 |
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あけましておめでとうございます。 会員の皆様方には、お元気に新春をお迎えの |
ことと存じます。 |
昨年は米国のサブプライム・ローンの焦げ付きや、原油高、等の問題で世界経済の |
潮流に変化が生じ、少なからずも、日本経済もその影響が心配されていますが、この |
ような状況下において、潟gキメックの業績は一段と改善され、今期計画が大幅に上 |
方修正されましたことは、既に新聞紙上等で、皆さんもご承知のことと存じます。 |
今までは、特定市場や特需の動向が損益を左右していましたが、全社一丸となって
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収益体質の改善に取り組み、潟gキメックがかかわるすべての事業領域で着実に成果 |
をつみ上げ、利益に貢献しつつあることは、勝木社長陣頭指揮の下、現役諸氏の絶え |
間ない努力によるものであり、心から敬意を表するとともに、OB会員としても誇り |
に思うところであります。 |