『トップページ履歴』2007年1月〜2007年12月
 
          トップページ 履 歴 一 覧
2007.12. 1 新しい年を迎えるに当っての一幹事の夢 会報担当:三橋 春夫
2007.11. 1 季節は初冬                幹事:野村 一信
2007.10. 1 OB会ホームページの充実と発展にむけて  幹事:小池 芳光
2007. 9. 1 この夏に想うこと           会計監査:瀧川 昇二
2007. 8. 1 たかが東京計器・されど東京計器      幹事:大谷 仁三
2007. 7. 1 OB会雑感              事務局長:黒澤 武夫
2007. 6. 1 OB会会計として           会計幹事:青木 聳
2007. 5. 1 第7回“佐野支部総会”を終えて   佐野支部長:辻 隆太
2007. 4. 1 “栃木住い”28年を顧みて      矢板支部長:服部 勉
2007. 3. 1 二年間の学校生活          那須支部長:鐘ヶ江 巖
2007. 2. 1 年末年始に見た“二つの映画”      副会長:遠藤 実
2007. 1. 1 新年のご挨拶               会長:黒石 守郎
 
      『 ト ッ プ ペ ー ジ  履 歴 』
 
2007.12. 1 新しい年を迎えるに当っての一幹事の夢 会報担当:三橋 春夫
 
新しい年を迎えるに当っての一幹事の夢、“されど正夢に”
 
  楽しい、存在価値のあるOB会を目指して    会報担当 三橋 春夫
 
三橋春夫
三橋春夫 会報担当  
 去る10月のトキメック(東京計器)OB会総会で諸議
案が承認され、第32期事業計画がスタートしました。そ
の中での重点課題は新規会員の拡充です。どの企業OB
会も同じ悩みを共有しているこの課題。とりわけ、会員
の高齢化が進んでいる中、若手会員の拡充が急務となっ
ているのではないでしょうか。 
 おかげさまで、31期には32名の新しい仲間が入会され
ました。この結果は、実にすばらしいことです。ご推薦
いただいた会員の皆様のご協力に感謝申し上げます。そして、今期も更なる努力が求
められています。
 過日の総会・懇親会で遠藤副会長が挨拶の中で、会則の見直し、「関西支部」設立
について少し触れておりましたが、新しい年を迎えるに当って、一幹事の“夢”を描
いてみました。
 
  関西支部の設立
 
 ご承知のとおり、生産拠点である那須、矢板、佐野(田沼)の3支部以外の会員は、
現状は本部・蒲田地区に含まれますが、蒲田から遠い中部・関西・中国・山陰・四国・
九州にお住まいの会員が、毎年の総会・懇親会やバス旅行に参加するのは費用、日程
両面で極めて困難なことです。そこで先ず、関西、及び、その周辺地区におられる会
員や未入会の方々、これから定年を迎える方などを対象に、なんとか関西地区のOB
の活動拠点を作れないものかと願っているところです。そして、将来は、(株)トキ
メックの発展と共に、勤務地で定年を迎えられた方々、生まれ故郷に戻られた方々の
ために、徐々に、中部・中国・山陰・九州・四国等への展開も可能です。夢が正夢に
なるよう大いに努力しましょう。
 
  定例日にOBの集まり
 
 当OB会のホームページを立ち上げるに当り、組織・運用などについて、いろいろ
とご教授いただいたM社OB会は、実にうらやましい行事を実施しています。楽しい
ことが大好き人間だから余計にそう思うのでしょうか。
 隔月定例日に品川駅近くの飲み屋を会場として、OBの集まりを開催しています。
案内状はなく、決められた日時に、予約なしに、どなたでも参加ができます。2時間
ですが、費用は、たった500円です。いささか現実離れと、企業格差・OB会格差を感
じますが、費用は各自持ちでもよいのではないでしょうか。そんな場所で、会員の皆
様が自由に参加され、会社の思い出、健康、趣味、老後などの話をしながら、また、
宿敵同士の囲碁・将棋を楽しみながらの、「この指とまれ」の場を夢見ています。
 
  企業OB人材マッチング事業の支援
 
 政府は、平成14年に「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」を発表しま
した。その中の重点事業の一環として、大手・中堅企業等のOBが有する知識や経験
を、中小企業やベンチャー企業にマッチングさせ、それらの経営革新と人材確保を支
援することを目的とした環境整備事業を策定し、日本商工会議所をはじめ、全国の商
工会議所、地域協議会等が中心となって事業を進めています。
 昔から当OB会会員はもとより、(株)トキメックの従業員の中には、いろいろな
分野で活躍できる知識と経験を兼ね備えた優秀な方が多いと言われてきました。そう
いう人材を支援できるような存在価値のあるOB会を夢見ています。このような存在
価値のあるOB会を実現することにより、今よりも多くの方々が入会されるのではと
真剣に考えているところです。
 最後に、新しい年を迎えるにあたり、会員の皆様、及び、ご家族の皆様のご健康と
ご多幸をお祈り申し上げます。そして、楽しい、存在価値のあるOB会の実現を目指
して努力したいと思います。
 
2007.11. 1 季節は初冬                幹事:野村 一信
 
季 節 は 初 冬   幹事 野村 一信
 
野村
野村 一信 幹事
 皆様、初冬という季節になりましたが、近年はこんな
言葉を使う時期が違ってきました。東京計器製造所のこ
ろは11月に入ると寒い日が多く、完全に冬が訪れた感じ
だったと記憶しています。
 今、その時分を振り返ってみますと、日本が高度成長
期に入るところでしたから、どの分野の人も物を作るこ
とが全てで、良い物を如何にして作るかをそれぞれが一
生懸命に考えて働いていたときでした。
 それから50年以上も過ぎた現在、世の中、文化・科学が飛躍的に進歩していく中を、
私はただもがき続けてきました。会社も定年になり、今まで東京計器(トキメック)
しか知らなかった私が、初めて違う世界で生活の場を求めて働いてみました。体験し
た結果は、トキメックの人材が如何に優秀な人たちで構成されていたかを改めて思い
知らされました。
 そのOB会に参加して蒲田を中心に生活圏をお持ちの方々、生産部門が栃木県佐野、
矢板、那須と展開するのに伴い、その地域に生活圏を移された方々、その地域で入社
され定年になった方々、その他、関西圏、九州、北海道、最近は甲信越地方などなど、
トキメックのOBは広い地域に展開しています。
 OB会に入っていても年2回の会報だけでは時間差もあり、タイムリーに会員の動
向や各地で活動する同好会の様子をリアルに伝えることは難しく、どうしたら距離に
関係なく会員の皆さんが自由にOB会活動に参加できるか、などを考えてこのホーム
ページが開かれました。
 先月は趣味の作品展に会員の奥様の素晴らしい「ちぎり絵」の作品をご紹介するこ
とができました。これからもご本人は無論のこと、奥様、お子様、お孫様の趣味の作
品の出品を、お寄せいただくことを願っております。
 新しい時代の道具です。楽しみや経験談をこのHP(ホームページ)に投稿したり、
お便りを出してください。HPのメニューには“お便りコーナー”もあり、自由に投
稿もでき写真を3枚貼ることもできますので使ってみてください。
 皆さんのご協力を得ながら、より多くの方々(全員)が参加する楽しいHPを目指
しています。
 ご意見・ご要望・出品などのお問い合わせは、お近くの幹事にご連絡を下さい。
 
2007.10. 1 OB会ホームページの充実と発展にむけて  幹事:小池 芳光
 
“ OB会 ホームページの充実と発展にむけて ”   幹事 小池 芳光
 
      HPの延べ訪問者数10,000人に!
 
小池 芳光 幹事
小池 芳光 幹事
 OB会のホームページ(以下HPと表記)は、創立30  
周年記念行事の一環として開設されてから、この10月で
満2年を迎えることになりました。新しい時代に沿った
「会員相互のコミュニケーションの場作り」に取り組み、
「温か味のある自前のHP」を目指して皆様のご協力の
もと、その運用・推進にあたって参りました。
 会員の皆様のご利用の状況を見ますと8月27日にHP
の延べ訪問者数が、開設以来10,000人を越えました。
 
 月間の訪問者数を見ますと、右のグラフにも顕著に表 TKOB 訪問者数
TKOB 訪問者数
れております通り、この7月に655人、8月に677人、更
に9月には674人と、次々新記録を更新しております。 
 
 今度の総会のご案内とともにお願いしました「OB会
HPアンケート」の調査結果では、半数近く(全会員の
46%)の方々から回答を寄せていただきました。
 その結果を見ますと、(A〜Cはご覧になっておられ
る方からの回答)
@ HPをご覧になっておられる方(「見ている」)           71%
A 内容に興味を示された方(「沢山あった」,「少しあった」)       94%
B 見やすく、操作し易いと答えられた方(「見やすい」,「まあまあ」)  97%
C 参加の意欲を示された方(「参加したい」,「頼まれればする」)     52%
D 主なご意見としては、励ましの言葉に加え「古い方の意見が生かされていない」
  など苦言も頂戴しましたが、「会社勤務時代を思い出す」と共に「皆さんが元気に
  活動されている様子がよくわかり」「種々の情報を楽しみ」にご覧になっておられ
  る姿が浮き彫りになっております。これら皆様から頂戴した貴重なご意見は、今
  後の企画・運用に生かして参りたいと思います。ご協力ありがとうございました。
 
      HP専門部会組織の機能の活性化
 
 HPを運営する組織体制としては、昨年3月にお知らせしました通り、トキメック
(東京計器)OB会固有のHPのあり方について、企画・立案・調整を行う「HP専
門部会」を設け、その中にHPに掲載する記事・写真などの情報収集を行う「情報収
集グループ」と、主として「情報収集グループ」からもたらされた情報を加工・編集
し、HPに表示できるようプログラムを組み、運用を行う「HPワーキンググループ
(以下HPWGと表記)」を設けて活動して参りました。 
 HPにかかわる全体を統括するOB会長、同じく助言・調整を行い必要に応じ情報
収集も行う副会長や栃木の各支部長およびHP担当を含めた役割分担も明確化されて
おります。更に、本HP立ち上げの中心メンバーである竿田史郎会員には、「HP専
門部会」アドバイザーとして、そのうえ「HPWG」にて更なる充実発展に向けての
任にあたって頂いております。当然のことながら役割は、現OB会幹事の殆どが何ら
かの分担をして取り組んでおりますが、更にHPに興味をお持ちの会員には積極的に
参加されることを期待しております。新しい感覚で参加され、このHPをサポートし
て頂ける意欲をお持ちの会員を大いに歓迎いたします。 
 
      取材、情報提供にご協力を!
 
 このHPと私の出会いは、「話題コーナー」の「よもやま話」の中で興味ある記事
が目に止まり、投稿された方にお願いし、実行した「150円二人旅」の記事を「お
便りコーナー」に投稿したのが始まりでした。更に「トップページ」を飾る「季節の
写真」を依頼され毎月投稿を続けて1年半になります。現在は「HP専門部会」を担
当すると共に、「HPWG」にて皆様から頂いた記事や写真を加工・編集し、HPに表
示できるようプログラムを組む仕事をしております。 
 投稿記事や取材では、皆様のご協力によりまして成果がでて参りました。会員の皆
様におかれましても「趣味の作品」、散歩の途中で撮った「季節の写真」、「旅の紀行
文」、「・・・体験記」、「・・・の集まりの模様」など沢山情報をお持ちと思います。 
また、「ご自身のHP」を開設されておられる方は是非リンクさせてください。更に、
「こんなコーナーを作ったらどうか」とか「メール通信の活用の仕方」などについて 
も、あわせご提案をいただければ幸いです。
「他と一味も二味も違うトキメック(東京計器)OB会のHP作り」を目指し努力し 
て参りたいと思います。「みんなで作るHPです」共に一歩一歩進めて参りましょう。
 
2007. 9. 1 この夏に想うこと           会計監査:瀧川 昇二
 
“この夏に想うこと ” 会計監査 瀧川 昇二
 
             つぎつぎと異常現象が
 
瀧川昇二 会計監査
瀧川昇二 会計監査
 「京都・五山送り火」の実況生中継で、同時に古都の
お盆を彩る広沢池の灯篭流しを見ながら、しみじみと人
生の慈しみを感じさせられました。もう逝って久しい父
や母、兄たちへの想いが、ふっと甦るひとときでした。
 立秋を過ぎてなお、連日の猛暑は止まらず、地球規模の
異変を感じさせます。このほど、北極の氷が観測史上最
小になったと報じています。また、この記録更新は確実
で、専門家の予測より30年早いといわれています。地球
温暖化はこのまま加速されるのでしょうか。
 いずれにしても、この夏の異常現象は、我われの持つ「不安」を象徴するように、
3月の能登半島地震の記憶も覚めない7月には、梅雨のずれ込みで天候不順の上に、
季節はずれの台風4号、更には中越沖地震が相次ぎ、人命や家屋に多大な被害を及ぼ
しました。一転して8月は、74年ぶり記録破りの猛暑で多数の死者が出るなど、予測
を超える天災続きに、離れて暮らす高齢者や、誼(よしみ)のある方たちの安否が気遣
われ、ひたすらご自愛を祈るのみです。
 
           明るく楽しいシルバー人生を
 
 OB会の会員消息を辿りますと、現在の平均年齢は73歳、古稀のハードルを越えて、
いま一層の体調管理が必要な時でしょう。これは私自身の問題でもありますが、お互
い切磋琢磨して悔いを残さず、明るく楽しいシルバー人生を送られるよう願って止み
ません。
 また、ホームページや会報「けいき」62号の「会員消息」でお知らせのとおり、こ
の半年余りの間に7人の方が80歳以上で鬼籍に入られました。世代としては、昭和初
期の激動期に育ち、青春を過ごされた方たちです。太平洋戦争の最中では、正に最前
線に位置し、国の期待を背負って必死に頑張ってこられ、戦争の犠牲になった方が最
も多いのもこの世代であります。
 敗戦後の混乱期には、筆舌を越える苦難生活に耐えながら会社や国の復興に貢献さ
れ、今日の繁栄を支えてこられた事に対して敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りしま
す。
 先日、あるテレビ局が東京原宿の竹下通りで、若者対象に昭和20年8月6日と9日
は何の日か質問したことに、答えられる人がいなかったという報道を聞いて唖然。広
島、長崎で毎年原爆犠牲者慰霊式典が行われ、国際的に核廃絶が叫ばれ続けている中
でも、戦争の風化は想像以上と感じました。
 
        日本の一分はどこに行ってしまったのか
 
 生存する被爆者の平均年齢は74歳といわれています。われわれと同じく戦争を体験
した最後の世代で、後遺症に苦しむ現実を、次の世代へしっかりと伝えていかなくて
はならないと改めて痛感しました。
 一方、政治、社会現象として、夏の参議院選挙では、年金記録、政治とカネの問題
などいくつもの「信」を問われる選挙でしたが、政府与党は歴史的大敗という厳しい
審判となりました。
 とりわけ、われわれ年金生活者にとって、年金制度は信頼できるのか、最も関心が
高いのは当然のことですが、団塊世代にとっても、これからの大切な問題として目は
離せないでしょう。社会保険庁の失態と、乱脈極まる管理を早期に改める政治を実行
して欲しいものです。
 それにしても、政官界はもとより、企業社会でもその一部には、本来のあるべき姿
勢を忘れ、「嘘」で固めた姑息な行動が後を絶たない有様は恥ずかしい限りです。日
本人の一分(いちぶん)はどこへ行ってしまったのでしょうか、行く末が案じられます。
 ホームページ・会報など相互の交流手段を通して、皆さんの様々な生活体験の中か
ら、思いや願いごとが届くことを期待しながら、OB会活動に参加しています。
 これからも宜しくご指導をお願いいたします。
 
2007. 8. 1 たかが東京計器・されど東京計器      幹事:大谷 仁三
 
“たかが東京計器・されど東京計器” 幹事 大谷 仁三
 
 先日飲み屋で、現役の方との会話。「OB会の名称 東京計器
東京計器 本社工場(昭和5年)
トキメック(東京計器)OB会の(東京計器)は“ダサ
イ”ですよ、(東京計器)を取って、スマートに」と言
われて、一会員として、幹事として“ダサイ”の言葉に
ガッツーン。しかし、現役の方がOB会に関心を持って
おられるとは嬉しいかぎりと、気持ちを切り替えて、
ハッピー・ハッピーの乾盃をしました。
 現会員の方は“東京計器”に、それぞれの思い出があ
ることと思います。東京計器製作所・東京計器製造所・東京計器・東京計器販売・
東京ビッカース・新東京計器・第一東京計器・・・等々、いずれかに籍を置いていた
方々です。
 私は、昭和23年夏“東京計器製作所”に願書を出しましたが、その年の秋に“製
作所から製造所”へ社名変更。翌4月の入社式の辞令は“東京計器製造所”でした。
日本の産業界は、重厚長大に突進する時、製造所と聞いただけで、大きな立派な会社
に入社できたと嬉しく思った記憶が、60年近くたった今でも残っております。時代
は進み、重厚長大から軽薄短少へと産業界に合わせるように“東京計器”へと社名は
変わり、さらに“トキメック”へと変更され、その5年後に“トキメック”の辞令で
定年を迎え、会社は1つでも社名は4つ経験しました。
トキメック本社(昭和63年)
トキメック本社(昭和63年)
 平成2年、“東京計器”から片仮名の“トキメック”
へ社名が変更された時は馴れるまで時間がかかりました。
 当時、営業の方々の苦労話を良く聞きました。客先で、
「トキメックです」の挨拶に、「そんな会社知らない」
と門前払い。改めて一升瓶をさげて説明に伺ったとか、
又、大学の就職担当教授に学生の勧誘依頼に伺っても、
“トキメック”を知って頂くまでに、頭脳明晰な大学教
授でも数年かかったとか。いろいろなエピソードを聞き
ました。そのとき改めて、東京計器の歴史と知名度の偉大さを強く感じました。
 一方、当時のOB会の幹事の方々も、親会社の社名変更に伴って、OB会の名称を
どうするか、苦労されたことと思います。単に“トキメックOB会”にするか、
“(東京計器)”を入れるか、○○さんの鶴の一声で決まったのか?等々、想像する
と興味が尽きません。
 親会社が「トキメック」に社名変更して17年。将来、 大谷仁三 幹事
大谷仁三 幹事
東京計器を知らない純粋な「トキメック」マンが続々入
会される日を楽しみにしながら(たかが東京計器・され
ど東京計器)その“東京計器”をどうするか、各自それ
ぞれの思いがあるでしょうが、いずれ真剣に考える時期
がくるものと思います。それまでは、違いはあれ「共通
の“東京計器”で同じ釜の飯を食ったもの同士」の集ま
りです。会社時代に培われた貴重な経験と知識、定年後
の情報の交換などをしながら親睦を深め、これからの生活を楽しんで行こうではあり
ませんか。 そのために、一幹事として精一杯の努力をしていきます。
 
2007. 7. 1 OB会雑感              事務局長:黒澤 武夫
 
“ O B 会 雑 感 ” 事務局長 黒澤 武夫
 
黒澤事務局長
黒澤事務局長
 当OB会も、この7月には創立以来32回目の新年度を
迎えました。一昨年は創立30周年の記念事業として、
(株)トキメックの本社社屋にて大勢の会員の皆様参加
のもと、懇親会をはじめ作品展、ホームページのオープ
ニング、また、前期は社屋玄関前に“枝垂れ桜”の植樹
等々、母体である(株)トキメックの110周年記念と相
まって華々しく開催できたことが、つい昨日のように記
憶に新しいものがあります。
 これらのOB会活動が現在でも継続的に実施できることは、会員の皆様方のご理解
はもとより、これまで営々として築かれてきた諸先輩の方々の努力の結果の賜である
と、ただただ敬服している次第です。
 このOB会あるいは社友会という組織について世の中ではどの程度存在しており、
また、どの程度の活動をしているかについて興味深いある調査がありますのでその一
端を紹介します。
 OB会等がある企業は、全体の5%と少数ではありますが、比較的大企業に集中し
ている傾向があり結果として頷けるところですが、設立後の経過年数では20年が約35
%、30年が20%、40年が10%と分布しており、当OB会は先輩諸氏の結束力の強さが
比較的早い時期に結成されたことが伺えますし、30有余年経過した現在に於いて500
余名の会員数を擁しているといった位置づけは遜色のない存在のようです。
 また、事業内容では「会員名簿の配布」をトップに「OB会報の作成発行」、「直
営保養所の開放」、「社内報の送付」などがメインとなっておりますが、社内報につ
いては、母体の社内事情から現在は発行されておりませんので、可能な限りOB会報
のなかで紹介するなど補足していくことが今後の方向とも言えそうです。
 OB会の存在理由としては、「会社にへばりつく時代ではない」と言われながらも
「定年退職者がばらばらになって連絡が取れなくなるのが寂しい」と企業のファンク
ラブ的な会を作ろうという傾向が強く、例えば、企業に対するモニター的役割とか人
材派遣などの傾向もありますが、「新しい趣味に挑戦するならOB会等の同好会が気
軽でいい」との見方が強く、私達が関心をもっているOB会の在り方について、今後
の方向性を示唆しているように思われます。
 今年度の計画については、従来の連続性を勘案しつつ、新たな施策をと考えており
ますが、会員の皆様の意向を反映した事業を行ってまいりたいと考えておりますので
率直なご意見等をお聞かせいただければ幸いです。
 
2007. 6. 1 OB会会計として           会計幹事:青木 聳
 
【 OB会:会計として 】  会計幹事 青木 聳
 
会計幹事 青木 聳
会計幹事 青木 聳
 私が、OB会の会計を担当して、かれこれ10年になり
ます。
 この10年間を振り返って見ますと、会員数の自然減、
あるいは(株)トキメック殿の不況による影響などを踏
まえて新規会員の獲得など、会員の皆様のご理解・ご協
力のもと、役員一同努力してまいりました。お陰様でそ
の甲斐がありまして会員数も徐々に増加し、現在560余名
に達し、収入面では安定しつつあります。
 一方、支出面で近年では、通常の活動の他に、「OB会ホームページ」の本格的な
活動に伴う新たな費用や、「OB会創立30周年記念行事」(“総会・懇親会”・“記
念誌発行”・“栃木三支部と合同の一泊旅行への補助”・“記念植樹<枝垂れ桜>”)
ならびに昨年の総会では、(株)トキメック殿の創立110周年記念を意識した樽酒に
よる鏡割り(当会として初めて)等々の慶事が続き支出が増加いたしましたが、何と
か無事乗り切りましたというのが現状です。
 したがいまして、長期的観点に立ち、次回の「記念行事」に備えて、今期から準備
積立金を開始いたしましたことは既にご案内のとおりです。
 栃木三支部に付きましては、年間経費予算の範囲内で創意工夫され、各支部独自の
形で親睦交流を積極的に図っていただいております。
 会員の皆様から、お預かりいたしました大切な会費、これからも大切に・有効に使
用し、少しでも皆様のご要望に応えられるように努力して行きたいと思っております。
 
 最後になりましたが、会計の立場からお願い致しますと、
 一つ目は、「会費の納入」に付いてですが、「郵便局振込」の方で一部にスムーズ
にご送金頂けないケースが見られます。「振込用紙」が届きましたら、速やかな手続
きをお願い申し上げます。なお、「銀行引落し」扱いにして頂ければ、自動的に引き
落としますので事務作業も大幅に軽減されます。この機会に是非ともご検討をお願い
致します。
 二つ目は、「未入会の方」の入会へのお誘い・ご紹介を是非お願い致します。会員
の増加は、会計上も増収となり、OB会運営からもより安定化に向かうものでありま
す。最寄の幹事までお知らせ頂ければ幸甚に存じます。
 以上、二点に付きまして、宜しくご理解・ご協力をお願い申し上げます。
 
2007. 5. 1 第7回“佐野支部総会”を終えて   佐野支部長:辻 隆太
 
 第7回“佐野支部総会”を終えて    佐野支部長  辻 隆太
 
 次の行事をどうしようかと考えながら、今度の総会が 中禅寺湖に立つ
中禅寺湖に立つ 辻支部長
こんなに楽しい花が咲いたのは、どんなわけがあったの
か切り開いてみようかと思いましたが、桜の木を切って
も花のありかは見つからないとのこと。朝の散歩に出ま
した。
 4月8日、桜はちょうど満開で、参加メンバーも昨年
とほぼ同数で、幹事一同、ホット安心しました。
 総会当日の晴天を祈りつつも、暖かい日が続くので、
“桜”が散ってしまわないかと心配しながら、参加・不参加の返信はがきに一喜一憂
したり。
第7回佐野支部
第7回佐野支部 総会・懇親会
 総会というイベントは、昔の仲間が会える年に一度の
機会かもしれない。旅行なども計画しますが、まだ仕事
を持っている会員の多い佐野支部では、スケジュールが
合わず、手軽に、気軽に会える地元での総会のように、
多くの仲間には参加してもらえないのが現状です。
 幹事一同、総会には一人でも多くの仲間に、楽しい時
間を過ごしてもらおうと、準備してきました。こういう
時間を通しても、同じ会社で仕事をしていた仲間!とい
う実感を肌で感じることが出来て満足しています。
 
 黒石会長からの祝電で、佐野工場とTPSの仲間との  今年も見事に咲いた佐野工場の桜
今年も見事に咲いた佐野工場の桜
和も更に深まり、遠藤副会長の挨拶で佐野地区で働いた
因縁に気づき、水戸部佐野工場長殿の祝辞、佐野工場は
健在です!事業計画は順調、設備も更新、ISO14001認定
取得、若手社員も増えて野球部も再建した!とのこと等
を聞きながら、みんな若さが戻ってきて、ニコニコ、な
んだかワクワク。OB会員の仲間も増えそうで、楽しい
総会でした。
 懇親会の場で、参加者全員の“3分スピーチ”初めての試みですが、大変好評!
会員の皆さんの近況報告の一つ一つを、もう一度思い出しながら、仲間のありがたさ、
健康の大切さを感じました。
 次の行事も、また幹事さんと一体で楽しく、一生懸命準備しようと思います。
 
2007. 4. 1 “栃木住い”28年を顧みて      矢板支部長:服部 勉
 
  “栃木住い”28年を顧みて       矢板支部長 服部 勉
 
思い出を語る服部さん
思い出を語る服部さん
 私が栃木(宇都宮市)に住いを移して、今年で28年目
になります。もっともその間10年程は、また蒲田本社に
もどり勤務していましたので、実質は18年程度ですが、
家を新築して2年目の転勤でしたので、その間もしばし
ば栃木にもどり家の掃除、庭の植木の手入れなどをした
ものでした。
 
 現在、蒲田勤務から栃木に移り30年以上経過している
 
人はかなりいるのではないでしょうか。
 そもそも蒲田勤務者の栃木住いが始まったのは、昭和43年にTVK,47年STK,
49年DTKと相ついで栃木に工場を移し、操業を開始したことによるものですが、こ
の時の第一陣は労働組合とのトラブルを避けるため、東京計器を退職し子会社に再就
職をする形をとることになりました。このため、蒲田にもどれないと考えた若い人達
(子供さんの学校問題等が少ない)の方が、栃木に家を新築し移住に踏み切った人が
多かったと思います。逆に年輩者は単身赴任が多く、身体の負担が大きかったためな
のか亡くなられた方もいまして、苦楽を共にした仲間の他界は大変悲しく、辛い思い
もいたしました。
 
 その後、オイルショックに襲われた時は、STKでは米国のトラック用のトランシ
ーバーの下請製造が、流れ作業のトレーニングにもなるということで取り組んだり、
一部の従業員をTVKに派遣するなどして苦境を乗り越えました。
 当時の第一陣の皆さんの、“決断”と“勇気”と、そして“ご苦労”に改めて頭が
下がる思いで一杯です。
 
 私が栃木(STK)に来ましたのが、昭和51年1月1日付で31年前となります。
実は私自身が台湾からの引揚者でありまして、当時住んでいた東京は、男の子が多い
からという親の判断で故郷にもどらず東京に住みついただけのことで、栃木住いに特
に大きな障害があった訳ではありませんでした。栃木に家を建てたのは、子供が巣立
つ前に自分達の巣となる家を建ててやろうという思いが強かったと今となって思いま
す。
 現在、工場進出に伴って栃木に移り住んでいる人は100名近くいらっしゃると思わ
れます。ほとんどの方が定年を迎えられ子供さんの養育も終り、ボランティア活動な
どそれぞれの地域に完全に溶け込んで生活をされておられます。
 一方、やはり会社の仲間は、気持ちの上で親類・縁者というような“絆”を感じて
いるように思います。単身赴任で来ておられた方や、定年後子供さんの所に移られた
方は栃木から離れたのですが、やはり栃木での長年の生活が忘れられず、矢板支部の
OB会に10年来毎回出席されている方もいらっしゃいます。
 
 ここまで、工場操業以来の思い出をたどって見て来た訳ですが、蒲田に工場が無い
現在では、今後工場関係者が東京から大勢の人が、栃木に来て移り住むということは
考えられず、むしろ現在の工場の中から新しい製品に応じた製造の技術や管理体制が
人材と共に生まれて来るのでしょう。
 
 現在、矢板のOB会では、次の世代にSTK時代に入社された方達につなぐべく、
現役の人達にもOB会の行事への出席を積極的にお誘いしております。その成果とし
て、この1月には、かってのお嬢様が3名揃って入会してくれました。心強いかぎり
です!
 これからは「栃木住いを実現した人ばかりでなく、栃木の人のOB会」となること
を強く願っております。
 
2007. 3. 1 二年間の学校生活          那須支部長:鐘ヶ江 巖
 
   二年間の学校生活       那須支部長  鐘ヶ江 巖
 
 ・・・・・新しい出会いを、元気で明るく大いに楽しんでます!・・・・
 
鐘ヶ江支部長
鐘ヶ江支部長
 高齢者の健やかで生きがいのある人生を支援し、活力
ある地域社会を・・云々という目的で設立された、栃木
県シルバー大学校は中央校、南校、北校とあり、私が矢
板市にある北校に26期生として入学したのは2年半前の
平成16年10月でした。
 同期生は113名おり、その殆んどが60歳以上で、それ
までの肩書きや金持ちの人もそうでない人も関係ない知
らない人ばかりでした。
 
 1年生の時は健康づくり、スポーツレクリエーション、パソコン、文化伝承、福祉
の5科目を全般的に勉強し、2年生になると、いきいきスポーツ学科、はつらつ健康
学科、支え合い福祉学科、ふるさとふれあい学科の4科目から、自分で1科目を選び
1年間勉強するというものです。私は支え合い福祉学科のクラスに入りました。
 このクラスは地域活動と介護福祉に焦点を絞り、知識や技術を高める講義・実習を
学習することにより、地域社会に根ざした活動を実践する人材の養成を目指したもの
でした。具体的には相談やカウンセリングの技法を講義で学んだり、介護の研修に出
かけたりするものです。
 
 矢板市近郊の知的障害者施設や病院、保育園等に何回か実習のために出かけました。
世の中には一人では生活できず、社会ともかけ離れて生きている人が身近なところに
沢山いることを実感しました。その中には家族にも逢えない人もいて人間の本質を見
たような気がした時もありました。 5班の仲間と体育祭時
5班の仲間と体育祭時
 
 学校での班(クラス)は10班あり、我々5班は10名で
男性7名、女性3名です。スタート時は11名だったので
すが残念ながら1名亡くなってしまったのです。
 栃木県の色々な地域から集って来たこの班の人達との
付き合いは、学校生活を送っていた2年間の間に極めて
親密になり、昨年9月に卒業しましたが在校生の頃から
皆で食事に行ったり、花見に行ったり、泊りがけで旅行に行ったり、昨年の暮れには
5班の仲間とのキャンプ
5班の仲間とのキャンプ
トキメック那須リゾートで忘年会も実施しました。
 
 シルバー大学校の学生は陶芸家だったり、校長先生
だったり、芸術家みたいに絵が上手だったり、カラオケ
がうまかったり等々能力の有る人が多い様に思います。
 我々5班にも竹細工の名人、書道の先生、マラソン選
手、温泉の達人、男なのに甘いものに目の無い人、また、
他県から移り住んだ人、元サラリーマンの人、どう云う
訳か東京の深川のあたりをとてもよく知っている人などもいて大変面白い集団だと思
います。
 この3月には、また気仙沼の大島にいって気仙沼ちゃんの家に泊まる予定です。
 年齢も出身地も趣味も生い立ちも違う人が2年間の学校生活だけで、授業内容より
も遊びを優先して元気で明るく楽しく付き合えることを有難い事だと思っています。
 
2007. 2. 1 年末年始に見た“二つの映画”      副会長:遠藤 実
 
  年末年始に見た“二つの映画”!    副会長  遠藤  実
 

 現役時代と違って、年末年始も暇の延長であるため
昨今では、やはり年末年始も基本的には暇である。
 そこで久し振りに映画でもみてみるかということにな
る。若いときから映画鑑賞は大好きで、学校への途中、
川崎駅を通過することから途中下車し、美須商事が経営
する集合型映画街で良く見たものである。昭和30年代初
頭の頃である。
 卒業後、ビジネスの世界に入ってからは、御無沙汰し
ていたが今では暇つぶしに、作品を厳選して年五〜六本はある秀作を観賞することに
している。シルバー割引千円で2時間、昔よりこじんまりした清潔な劇場で、しばし
現実から逃避することができる。一見をお勧めしたい。
 
        『武士の一分』を見て!
 
 あの「寅さん」シリーズのメガホンをとった山田洋次監督が、がらりとその趣を変
えて制作した時代劇『武士の一分』という作品である。
 同監督が手掛けた藤沢周平原作のシリーズ物で、『たそがれ清兵衛』や『蝉しぐれ』
に続く作品である。藤沢周平の描く世界は、その主人公が英雄、豪傑、偉いさんでは
なく、いつも極貧・下級武士であることにその特徴がある。現代的に言えば平サラリー
マン、下級管理職の生活哀感を江戸時代の海坂藩(モデルは徳川親藩の鶴岡牧野藩)
という会社を舞台に殿様、家老といった重役の無理難題に痛みつけられながらもそれ
に堪える様子を描いている。これに東北人特有の朴訥さと粘り強い動きが加わり何と
もそのいじらしさに共感を得るのでがんす。
 その粗筋は、藩主の毒見役を勤める腕の立つ下級武士
が、いわば毒味という労働災害により盲目となる。結果、
生活が成り立たなくなったその盲目武士の美しい妻が夫
の上司筋に当たる高級武士にその窮状を訴える。
 その高級武士は藩から労災補償を得てやるという約束
の代償として、その美しい妻に思いを遂げる。盲目の武
士は妻を離縁するが、後日、与えられた労災補償はその
上級武士の働き掛けではなく、日頃ぼんくらな藩主が、
自分の食べ物によって犠牲になったこの盲目武士に、どうした訳か直接、燐憫の情を
示し、家禄を没収しなかったという事実を知り、この上級武士に対して復讐を誓う。
盲目のまま再び師の道場で剣術の練磨を開始する。
 
 その剣の凄まじい気迫に師は「何があったのだ」と尋ねても只一言、『武士の一分』
とのみ答え、その理由を明かさない。周囲も家禄をせっかく補償されたのだから何も
死にに行くことはないと止める。決闘の結果、この盲目武士は、執念により免許皆伝
の上級武士の片腕を切り落とす。
 その後、かって離縁した妻が飯炊き女と称して夫の目の前に現れ、その面倒を見る
中で夫婦の絆を再度確かめ合うという夫婦愛物語である。
 利害得失を求めて動くのが現代の基本的行動パターンでそれが世の常、そうした中
で、その世の常に逆らっても、死をもって自己の正義感を貫こうとするのが『武士の
一分』の精神であろう。現代社会から見れば、それはもう既に死語に近い。
 官制談合・政治資金・裏金・公僕喪失等の公の世界、決算操作・市場操作・品質欠
陥隠蔽等の私の世界、全て自己保身を図った結果としての醜態事件が連日報じられる
中で『武士の一分』という言葉と精神を現代的に再認識した次第である。
 
 組織には、『武士の一分』の心を持った人間も置いておかないと、いつの間に組織
の支配者は、身らが裸の王様になっていることに気づかなくなるものである。これが
今、生起している公私に亘る醜態創出の根源であると思う。それにしても、『武士の
一分』は大石良雄、大塩平八郎、西郷隆盛等、論より実践、実行を貴んだ陽明学派の
士を最後に死滅してしまったのであろうか。
 
        『硫黄島からの手紙』を見て
 
 あの活劇スターだったクリント・イーストウッドが監督をした『硫黄島からの手紙』
・・・因みに“イオウトウ”ではなく“イオウジマ”と読む・・・である。
 大筋は、あの硫黄島の守将、栗林中将を中心とした太平洋戦争末期の昭和20年3月
に戦われた同島をめぐる日米の攻防戦を描いた作品である。秀作ではあるとは思った
のであるが、唯一不満であったのは、何故、この小さい島で日米合わせて10万人とい
う将兵が、1ヵ月にもわたり激戦を続行し、日本軍守備隊23,000人中、21,300人が戦
死、米軍も初めて日本軍以上の損害を出したというこの歴史的事実に対する説明が不
足していた点である。

 むろん帝都防衛のため戦うという大義名分は叫ばれて
はいるが、同島と東京との位置関係の説明不足も加わり、
これが終始、この激戦を紙芝居的な薄っぺらい印象にし
てしまっている。
 太平洋戦争を通じての全戦略の基本は、常に、当時の
航空機の航続距離によって決定されていたといっても過
言ではない。前年の昭和19年7月、日本は、マリアナ沖
海戦で連合艦隊を喪失し、サイパン島等を失った。
 サイパン島から東京間の距離は約3,000kmである。米国の長距離戦略爆撃機B29
の航続距離は、6,600kmである。米軍はサイパンに飛行場を建設し、往復6,000km
の日本本土への渡洋爆撃を開始した。しかし、その航続距離がギリギリのものであり、
本土上空には新零戦52型や新開発された紫電改等の大型高空航空機が配備されており、
B29も空中で撃墜されたり中大破して、帰路燃料不足などで帰島できないB29が多発
した。米国は民主主義の国である。戦勝を得るより多くの部下を殺した将軍はすこぶ
る評判が悪い。日本とは逆である。国民の民意を政治化し、作戦を継続するためには、
東京とサイパン島との直線中間点距離1,500kmにある『硫黄島』の確保が絶対条件
としてクローズアップしてきた。
 そしてここにサイパンとの中継基地として飛行場を建設すれば、B29の緊急避難場
所として、あるいは最後のプロペラ戦闘機といわれた最新鋭のP51ムスタングもその
航続距離からしてB29に随伴させて護衛戦闘機としての役目を果たさせることができ
る。それまで護衛戦闘機なしの危険な裸の爆撃として批
判されていた米国民の民意を躱して作戦を継続させ、た
だちに沖縄戦に向かう事ができる。これが日米をして
『硫黄島』をめぐる激戦を生起せしめた真因である。
 観客にこの真因を知らしめれば、単に死を前提とした
生を描くという情の世界の作品というだけでなく、これ
にさらなるインパクトを与えると同時にさらに啓蒙的な
作品になったのではなかろうかと思いはしたが、決して
いわゆる戦争映画ではない。
 
 一般的に大きな事象の因果関係の中で、小さな知られざる技術的制約がその因子と
して作用していることがある。何事に付けてもそれを見落とさないことだ。
 それにしても、硫黄島遺族の老婦人が遺族年金手続きで役所に行った際、受付の若
い女性から「硫黄島ってどこにあるのですか?」と屈託なく聞かれ、亡き夫の犠牲を
思い慟哭を覚えたという新聞の投書記事を読み、我もまた取り残されたような寂寥感
を覚えた次第である。『硫黄島』は、東京都に属するのである。
 
2007. 1. 1 新年のご挨拶               会長:黒石 守郎
 

 
 OB会員の皆様方にはお元気に、平成19年の新春をお迎えのこととお慶び申し上げ
ます。
 昨年の日本経済は地域や業種によって多少の景況感に差がありましたが、全般的に
は好況を維持し、戦後最長の「いざなぎ」景気を超えて景気拡大を維持するという明
るい一年でした。一方、社会的には国内外共に多くの課題を投げかけられた一年でし
た。
 特に国際社会では、各国の反対を押し切って突き進められた北朝鮮の核問題は世界
の平和を乱すものであり、強い憤りと、平和への祈りを新たにいたしました。また、
国内では自己中心的な考えから、目を被いたくなるような、悲惨な犯罪やトラブルが
多発し、暗澹とした気持ちに追いやられた一年でもありました。
 今年こそ平和で、将来に期待が持てる明るい年となるように祈りたいと思います。
 
 トキメックは昨年、110周年を迎え、今期を将来につなぐ節目の年として諸施策を推
進されていますが、その再スタートと位置づけた今上期は、大幅な増収、増益となり
通期でも高い計画値を達成できる予想であると伺っています。
 多くの苦難を乗り越えて、今日まで着実に地歩を固めて来られた、勝木社長を中心
とする現役役員の弛まない努力に敬意を表するとともに、OB会としても喜びを分か
ち合いたいと思います。
 
 OB会も現在の会員数が564名の大所帯となり、会員の皆さんのご協力とご支援によ
り年々充実して来ましたが、今年は更に会員相互の交流の輪を広げてゆきたいと思っ
ています。そして、トキメック(東京計器)OB会は「温か味のある」集団で有りた
いと願っています。
 今年も昨年に倍して皆さんのご協力ご支援の程をお願いいたします。
 
 最後に、OB会員皆さんのますますのご健勝とトキメックの更なる発展をお祈りし
て、新春のご挨拶といたします。
 
                         OB会会長  黒石 守郎