『トップページ履歴』2019年1月〜2019年12月
 
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2019. 3. 1 65歳を迎えて、今年も大好きな球技、家庭菜園に頑張っています 矢板支部長:荒井 一夫
2019. 2. 1 孫との夏休み            那須支部長:池田 知之
2019. 1. 1 新年のご挨拶               会長:八木 宏
 
      『 ト ッ プ ペ ー ジ  履 歴 』
2019. 3. 1 65歳を迎えて、今年も大好きな球技、家庭菜園に頑張っています 矢板支部長:荒井 一夫
65歳を迎えて、今年も大好きな球技、
         家庭菜園に頑張っています 矢板支部長 荒井 一夫
        
 
 来年度も子会社である東京計器テクノポ−トにシニア 荒井矢板支部長
荒井矢板支部長
職として再契約を頂き、微力ながら頑張っていく所存で
す。私も「人生百年時代」と言われる現代、折り返し地
点を過ぎ五分の三に達し、65歳を迎えて年金を貰う時期
を迎え、雇用機会満了後の生活について時々考えること
がありました。幸い再契約をして頂いたこともあり、今
後は自分の体力に合わせて働き、会社に貢献できるよう
に頑張っていきたいと思っています。
 何時も今頃になると、トップペ-ジに何を書こうか悩んでいます。何もない私です
ので今回も趣味の球技、家庭菜園について書きます。
 今年も1月20日に矢板シニアの総会が行なわれました。懇親を深めながら、今年の
活動方針及び昨年の反省等などが議論されました。また、練習も1月25日から始まり、
体に相談しながら頑張っています。
野 球
野 球
 一昨年の夏(8月)に、股関節及び肩を痛め(通称60
肩)、余儀なく運動が出来なく去年も前半は休部状態に
なってしまいました。本調子でないが復活できたのが8
月以降で、試合に出る機会も少なく残念な年でありまし
た。今年は肩の調子も良いようなので、年齢を考慮しな
がら一年間頑張っていいくつもりで練習に取り組んでい
ます。私としても、今までこのような怪我をしたことも
無く、自信過剰の処があったような気がします。大いに
反省をしています。
 今年も、矢板シニア60歳以上の野球と地域のソフトのチ−ムのみに登録を絞り頑張
って行こうと思います。
 昨年を振り返ってみますと野球チームの勝率成績は5 ソフトボール(バッター)
ソフトボール(バッター)
割そこそこで今一であった。個人の成績は後半の3試合
しか参加していないので評価は出来ません。
 ソフトについては昨年同様、優勝1回、準優勝2回あ
り、素晴らしい成績でありました。個人としては、チー
ムの代表兼選手であり選手としては50歳以上の大会のみ
の参加で機会が少なかっです。
 今年も野球、ソフト共に出場機会が少なくなりますが、
体力と相談しながら無理をせず、健康維持をしながらチームに貢献できるよう取り組
んでいきます。
 今年の矢板シニア野球部は、1月25日から練習を開始していますが、練習試合の予
定も3月から入っており、私として体調を整え、試合に出場できるよう調整をしてい
きたいと考えています。試合に出場するのも、昨年から若い人も加入して、層が厚く
なりレギュラ−の確保も大変です。
 ソフトボ−ル(中西ソフト)については、4月7日がディゲ−ムで矢板市会長杯の予
定が組まれています。昨年は2回戦で敗退をしてしまったので、更なる上を目指して
頑張るつもりです。今年も矢板の5月以降の大会は全てナイタ−で開催されます。
 もう一つ今年の目標としてゴルフのスコア−をコンスタントに80台で回れるように
練習に取り組んでいきたいと考えています。次回報告します。
 
 次に今年も、恒例の趣味として続けている家庭菜園の話をします。
 昨年は春先にジャガイモ、トマト、キュウリ、ネギを秋口には白菜、大根、ホウレ
ンソウ、シュンギクを植えました。
キュウリ
キュウリ
大 根
大 根
 毎年の反省として、美味
しい野菜を作るには、土壌
作りが一番大切です。その
ために今年も、色々な教材
等で知識を深め、狭い自宅
の庭の隅の畑に石灰、肥料、
堆肥を混ぜて耕し土壌を作
り、色々な野菜を植えまし
た。
 毎年のように、反省を踏まえて色々な野菜を作っているのですが、土壌が悪いせい
か、思った通りの野菜ができません。その中でトマトだけは毎年、10月頃まで収穫が
出来て家族に喜ばれていま トマト
トマト
ジャガイモ
ジャガイモ
す。トマトは水をあまりや
らない方が甘いものが出来
るそうです。トマト以外で
も美味しくて、沢山収穫出
来るようにするには、失敗
しながら経験を積むことが
重要であると、毎年反省さ
せられます。
 何時も家族には買った方が「安くて美味しいとか」????と嫌味を言われないよ
うに頑張ります。これからも家族に喜ばれる野菜作りに専念していきたいと思います。
 最後に本年は改元、そして上皇誕生という二重の国家行事が執り行われる年であり
ます。そもそも、この元号というものは、大化に始まり、その後二百四七回改元され
て現在に至っていて、ここで採用された漢字は七十二字で全て縁起の良いものが選ば
れているそうです。また、明治維新から一世一元号になったそうですが、それ以前に
は、大きな災害等などがあった際には改元されているそうです。気分一掃、人心一新
が図れたのではないでしょうか。在任中に九回も改元された天皇もおられたそうです。
 さて、この平成という時代は皆様方にとってどのような時代であったのでしょうか。
今こそ真摯に見極め、数か月後にやってくる次なる時代を楽しみに心待ちにしたいも
のです。そして新元号が明るい希望を託し、意識を新たにして大いなる躍進を図って
参りたいと願っているところです。
 
2019. 2. 1 孫との夏休み            那須支部長:池田 知之
 
孫との夏休み 那須支部長 池田 知之
 
 東京に住む小学校5年生の孫は、東関東大震災の年を 池田_那須支部長
池田_那須支部長
除き、生まれてから毎年、春休み・5月の連休・夏休み・
冬休みには那須の我が家に来る。夏休みは長い年では20
日近く居ることもあり、その間に自由工作・自由研究の
宿題を完了させる習慣になっている。
 小学校1年生の自由工作では、図書館で一緒に借りて
来た本の中から500mlのペットボトルを車体にしたレーシ
ングカーを選んだ。近くのスーパーのゲームコーナにあ
レーシングカー
レーシングカー
るガチャガチャのカプセル置き場から同じ大きさのもの
を手に入れタイヤに使うことにした。他の材料は家にあ
るもので全て揃え、組み立方や作業の仕方を説明しなが
ら、実作業は本人一人でやらせた。途中で飽きて他のこ
とをやりだしたりして時間はかかったが、何とか完成さ
せ、家族全員に説明し、走らせ自慢していた。よほど嬉
しかったようだ。また、放課後友達と走らせ遊んだと話
していた。
 2年生になると、友達と遊べるビー球を使ったパチンコ台を作りたいとポンチ絵
(とはいえない?)を描いてきたが、いまいち不明であったが、30cm角のベニヤ板に
釘を打ち、半分に切ったマスキングテープの芯を穴にして、何とか仕上げていた。こ
れもともだちに人気があり、放課後遊んだと自慢していた。また、この夏行った、ク
ラゲで有名な“鶴岡市立加茂水族館”の様子を絵葉書に 絵葉書掛け
絵葉書掛け
書いていたのを見て、絵葉書の壁掛けを作ろうと提案し
たら、やってみたいと言い出し、一番易しい四ツ目編を
教え“四ツ目編み絵葉書掛け”を作った。当然、手持ち
材を使い、縁作りは小2には無理なので、接着剤で止め
た。作業を始めるまでは時間がかったが、始めると熱中
してやり遂げたのには感心した。
 私の趣味の竹工芸にも少しは興味があるようで、毎年
出品している全国竹芸展を見に来る。
自由研究「化石}
自由研究「化石}
 小学校3年生の夏休みには、孫の希望により3泊4日
で福井県の恐竜博物館へ車で出かけた。館内は想像して
いたよりもはるかに広く、多くの種類の恐竜が展示され、
迫力満点で、大人も十分楽しめた。孫は4日間通い詰め
で館内を飛び回り150枚以上の写真を撮っていた。
 4日目には事前に申し込んでいた発掘体験で恐竜の化
石を掘りあてると張り切っていたが、植物の木の葉の化
石は採れたが、恐竜の化石は発掘できず残念がっていた。
この博物館で見たり経験した内容を自由研究にまとめ提出したようだ。
 4年生の時は、自由研究の題材が決まらず悩んでいた孫は、塩原温泉街を流れてい
る箒川の河原で「化石」が採れるという話に興味を示した。ただ、私と同様、化石が
本当に採れるのか?疑っていたが、取りあえず場所を調べ、大黒岩と云う場所に行っ
てみた。駐車場には、1台の車もなく、周りにはスズメバチが飛んでおり、崖下への
道は狭く、急な坂道を降りる途中では蛇の歓迎に会い、やっとの思いで河原に出た。
この場所は「崖を壊したり、削るのは禁止だが,河原に落ちている石は持ち帰りOK」
の立て札があり、7〜8個の石を持ち帰った。我が家の車庫で、孫と二人でトンカチ
で石を割ってみたら化石のようなものが出てきた。鑑定してもらうため「那須野が原
博物館」に持ち込んだが、担当者不在で判定不能。翌日、母親も加え3人で石を取り
に行き、リュック一杯に石を詰め持ち帰った。駐車場に作業場所を用意し、孫と夢中
になって割り、化石らしきものが出てきたときは、二人で飛び上がってハイタッチを
して喜んだ。次の日、採掘した物を鑑定してもらいに塩原にある“木の葉化石園”に
行ったところ、タイミングよく県内では一番詳しい(と言われていた)教授が居り、
化石とただの石とを見分けてくれた後、貝の名前は図鑑に載っているからと「とちぎ
の化石図鑑」(この教授の名前が編集委員名簿にあった)を安く譲ってくれた。
マガキ
マガキ
カイ
カイ
タイオウシラトリガイ
タイオウシラトリガイ
 この図鑑や博物館の資料によると、「中新世中期〜後期(約1500万年〜約900万年
前)の栃木県は、現在の八溝山地や足尾山地などが所々、島であったほかは、海底に
沈んでいた。この海だった時代に形成された地層には、貝類や魚類、海生哺乳類など
の化石が含まれている。中新世の化石海成層からは、貝類の化石は普通に産出する。
場所によっては、化石が多産したり、貝の化石が集まって層を形成したりする。また、
塩原は火山高原山の塩原カルデラ内にできた東西約6km、南北3kmの三日月型の塩原
化石湖(または古塩原湖)の湖底に堆積した堆積物の塩原湖成層があり、貝・魚・植
物・哺乳類・爬虫類の化石が発掘されている。」とあり、私も孫も化石が採掘できた
ことに納得した。
 孫は、哺乳類や爬虫類や恐竜の化石を発掘してみたいと感想文に書いていた。私も
自由研究に付き合ったことで、こんな身近に化石が眠っているのに驚き勉強になった。
 5年生になると、我が家 大和さざれ石
大和さざれ石
ご神木
ご神木
に来た時には、那須に古く
から伝わる「九尾の狐伝説」
を調べるとテーマを決めて
いた。
 資料を集めるため那須高
原観光案内センターへ行っ
た。孫が自由研究で調べに
来た旨を伝えるとセンターの人は、“殺生石伝説と九尾の狐”のパンフレットと地図
をくれ、色々と丁寧に説明をしてくれた。那須温泉神社を見学しながら殺生石に向か
ったが、境内は広く、君が代に出てくる“細石”やその石碑、見事なご神木などがあ
り、長閑で神聖な気分を味わいながら見学していたが、孫は説明文が書いてある立て
看板を読み、写真を撮りまくっていた。
殺生石
殺生石
 温泉神社から「殺生石」まではハイキングコースにな
っており、上から全景を一望でき、緑に包まれた景色の
中に、草木が一本も生えていない場所があり、その瓦礫
の中に「殺生石」が見えた。見学コースは木道が設置さ
れ、その両脇には「教伝地蔵」「千体地蔵」「湯の花採
取跡」などがあり、ここでもその都度看板を熱心に読み
写真を撮っていた。帰りに観光案内センターへ寄り、
“九尾の狐が姿を変えた石が3つに割れた残りの二つは
何処へ行ったのか?“など疑問点を質問していた。その後、職員から、九尾の狐が射
止められたといわれている“鏡が池”が大田原市内の「玉藻稲荷神社」にあることを
教えられ、カーナビで探しながら行った。
 誰もおらず、寂しい神社であったが、綺麗に清掃され 玉藻稲荷神社
玉藻稲荷神社
ており、狛犬ではなく狛狐がおかれ、本殿の横には、
“鏡が池”あった。
 立て札には「池の面近くに伸びた桜の木の枝に蝉の姿
に化けている狐の正体が池に移ったので三浦介は難なく
九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが“鏡が池”と呼ば
れるようになったと」と書いてあるのを見て、孫はこの
神社は九尾の狐と関係があると思うと言っていた。
猿が池
猿が池
 感想文には、「九尾の狐は、特別なすごい力を持つす
ぐれた狐だと思う。それを悪行に使うことはいけない。
その力を良いことに使っていれば」とあったのにはホッ
とする思いだった。孫と一日付き合って、疲れたが、近
場にもいろいろな伝説があることを知らされ、楽しかっ
た。また、これほど根気よく、熱心に取り組んでいた孫
の姿を見て、成長したものだと感心し、嬉しかった。
 
 どのようにまとめたか気になっていたが、この冬休み 自由研究「九尾の狐」
自由研究「九尾の狐」
に持参したのを見て、良くまとめたと思った。また、小
学校5年生でパソコンを使って、ワープロでまとめてあ
ったのには驚いた。
 このように振り返ると、子供は一年ごとに成長してい
るのが分かるし、孫と一緒にやると楽しいし、少し若返
った気分を味わえた。
 今年の6年生の夏休みの題材は? 今から楽しみにし
ている“じぃ〜じ“である。
 
2019. 1. 1 新年のご挨拶               会長:八木 宏
 
   新年のご挨拶 OB会 会長 八木 宏  
 

 
         明けましておめでとうございます。
 会員の皆様には、ご家族ともども健やかに新年をお迎えになったこととお慶び   
申し上げます。地震や台風などの自然災害がなく穏やかな毎日が続くとともに、
日本と世界のさまざまな困難が少しずつでも解決することを願っています。
 
 今年は秋にラグビー・ワールドカップが開かれます。きっと成功して来年の東京
オリンピックに繋がっていくものと期待しています。
 OB会もさらに充実するよう幹事一同で努めたいと思いますので、皆様もさまざま
な形で参加し互いに交流していただけると幸いであります。
 
             はじめての栃木市    
 栃木県は佐野、矢板、那須の3事業所に田沼も加えて東京計器の重要な製造拠点に
なっています。またOB会の3支部がそれぞれ活発に活動していただいています。
 私自身をふりかえると、出張は何度もありますが栃木への転勤の経験はありません。
 それでも那須高原、塩原温泉、日光、宇都宮などに行ったことがあり栃木のことを
多少は知っているつもりになっていました。
 先日「ちょっとしたきっかけ」があり栃木市をはじめて訪れました。
 栃木市というからには栃木県の中心であって然るべき 栃木の町並み
栃木の町並み
ですが、県庁は宇都宮にあり栃木市には新幹線も通って
いません。しかし人口は宇キ宮市、小山市につづき県内
3番目の16万2千人です。
 歴史を振り返りますと明治4年の廃藩置県で栃木県と
宇キ宮県が設置されました。2年後に両県が統合されて
栃木県となり明治17年まで県庁は栃木町(現栃木市)に
置かれました。それだけ栃木は栄えた町だったのです。
 栃木駅のコンコースに栃木市観光案内所があり、その上部が「からくり時計」にな
っています。正時になると動き出して栃木市の見どころを紹介しています。
 賑わう商家と蔵の街なみ。 からくり時計_1
からくり時計_1
からくり時計_2
からくり時計_2
 巴波川(うずまがわ)を
行く舟には花嫁さん。
 まつりの山車が動きます。
 店の前にいる丁稚さんは
「路傍の石」の吾一少年で
作者の山本有三は栃木市の
出身だそうです。
 
                蔵の街
 駅を出て大通りを進むと蔵の街らしい風情が続きます。通りは無電柱化がされてい
ます。蔵は普通の土蔵のほかに1階を店舗にする見世蔵も多くあります。
 昔の店舗や蔵を改装・利用した記念館、郷土館や山本有三ふるさと記念館などもあ
りました。豪商・善野家の200年前の土蔵を改装した「とちぎ蔵の街美術館」では
「浮世絵で見る歌舞伎の世界」石川常四郎コレクションの役者絵という展示を行って
いて、なかなか楽しめました。
電柱のない町並み
電柱のない町並み
見世蔵
見世蔵
とちぎ蔵の街美術館
とちぎ蔵の街美術館
 山車を使う祭は秩父夜祭、高山祭、京都の祇園祭、岸和田だんじり、博多祇園山笠
など全国に多数あり各地で盛大に行われるようですが、 山車・劉備玄徳
山車・劉備玄徳
栃木市でも2年に1度の「秋まつり」に12台の山車が曳
き出され市内を練り歩き大いに賑わうそうです。
 私が行ったのは数日前に終わった時で、後の祭り。
 山車会館には3台が保管されていて、祭の歴史を紹介
したり、祭を楽しむ人々の様子を伝える映像の中から山
車がせり出して来る迫力ある演出で楽しめました。山車
に関わる資料もたくさん展示されていました。
 大通りから少し横道に入っても蔵があちこちに残って店舗に改造されたり記念館に
なったりしていました。珍しく洋風木造2階建、銅板葺の建物もありました。
 大正2年建築で文化庁の 蔵の前の店
蔵の前の店
栃木病院
栃木病院
登録有形文化財に指定され
ている旧栃木病院です。
 今も病院として現役です。
 江戸時代や明治時代の蔵
が立ち並ぶ街にあって少し
雰囲気が違う建物も大いに
印象に残りました。
 
             日光例幣使街道
 大通りを進んでいくと岡田記念館(慶長以来の旧家・岡田嘉右衛門屋敷)のあたり
に日光例幣使街道、嘉右衛門町・伝統的建造物保存地区などの立て札がありました。
 先に「ちょっとしたきっかけ」と書きました。実はBSの「にっぽん縦断こころ旅」
を見ていたら火野正平さんがここに「とうちゃこ」したのです。
 中でも例幣使というものに興味を引かれて栃木市を訪ねる気になりました。
 東照大権現に祈りを捧げる「幣」(ぬさ)を朝廷から東照宮に奉納するために毎年
派遣されたのが例幣使です。「幣」を納めた黒革長持を中心に例幣使及び随員たち50
人前後の一行は京、近江草津から中山道を進み、倉賀野宿から例幣使街道に入り太田、
天明(佐野)、栃木宿などを経て楡木宿に至り、壬生道を経由し今市からは日光道を
通って日光・東照宮に至るという14泊15日の旅だったそうです。
例幣使街道
例幣使街道
岡田記念館
岡田記念館
油伝味噌店
油伝味噌店
 栃木はこの街道の宿場町となって人が集まり物も集まるようになりました。さらに
巴波川の舟運により江戸との交易が盛んになって栃木の 蔵の街遊覧船
蔵の街遊覧船
商人たちは隆盛を極めました。
豪商たちが巴波川の両側に沿って建てた多くの白壁土蔵
が現在の蔵の街につながっています。
 蔵の街遊覧船で往時の隆盛をしのぶことができます。
 蔵の街を駆け足で回りましたが十分楽しめました。
 日光例幣使街道は倉賀野から楡木まで約82km。
 ほかの宿場や街道はどんな様子でしょうか。
 いつか2泊3日ぐらいで歩いてみたいものです。