『トップページ履歴』2018年1月〜2018年12月
 
          トップページ 履 歴 一 覧  
2018. 4. 1 また春が来て            佐野支部長:辻 隆太
2018. 3. 1 ソフトウェア人生           本部幹事:関根 眞
2018. 2. 1 私には西国の血が流れている      本部幹事:三浦 弘幸
2018. 1. 1 新年のご挨拶               会長:八木 宏
 
      『 ト ッ プ ペ ー ジ  履 歴 』
2018. 4. 1 また春が来て            佐野支部長:辻 隆太
 
 また春が来て 佐野支部長 辻 隆太
 
              一寸の光陰
 喜寿峠を何とか乗り越えて、ご同輩と祝った正月に 辻_佐野支部長
辻_佐野支部長
◇「年賀状最終便受理]の話に酌が進み「俺達にも何か
近づいて来たかなー、でもこの新年会はいつまでも続け
たいなぁ」と、互いを見まわし、健康を誓ったのも。
◇何年かに一度の寒い日に汗をかき、雪掻きしたのも。
◇時々登った白根山が噴火したニュースに驚いたのも。
冬のオリンピックで、パラリンピックで
◇スポーツと平和や政治・経済・応援の話しをしたり、
◇ジャンプの日の丸滑空隊、種々の高速滑走隊の集中力や精神力に感動したのも。
ついこの間のような気がするけれど、また春が来て新年も、もう4分の1が過ぎる。
 
              交差点で
交差点で
交差点で
 今日も朝から良い天気。町内の交通安全活動に参加、
いつもの交差点で小学生を見守っていたら、列の先頭の
お嬢さんが「おはよう。いつもありがとう。私4月から
中学生、ちがう道を通るから会えないよ」とのこと。
「そうか、寂しいけど元気でな」。信号が変わった。
「日の丸帽のおじいちゃんも元気でね」と手を振った。
続いてきた生徒達「いつも日丸帽」って大声で笑った。
元気な若芽を見守っていると、自分も若返ってくる。
(日の丸帽か。東日本大震災の復興支援で購入した{がんばろう日本}の赤い丸の
ワッペンを縫い付けた白い野球帽だ。この帽子、もう7年になるんだ。天災や人災で
想像を絶する思いをした子供達や親御さんの、その後に思いを寄せながら・・)
 数列が通りすぎた頃、若いお母さんが寄って来て「下の娘が今度4年生になります。
私4月から仕事を持ったので来れなくなります。よろしくお願いします」とのこと。
「了解、体に気をつけてね」(働き方に注意し、家事と仕事の両立に美しい誤解の無
いように話し合って別れた) 車が走り過ぎた。遅れて駆けてくる子もいる。
 
             折り返し点で
 みんな見送ってから、じいちゃん仲間と散歩へ。「ああいう子が、俺たちみたいな
チョイ遅れジジーになるんだべ。4月は新入りが来る」 薬師様境内
薬師様境内
「子供は手が掛らなくなると金が掛るようになるんだ」
「俺達の見張り互いに丈夫だから続けられるんだよな」
「 そ-だね 」話しながら折り返し点の薬師様に到着
境内のベンチに腰を下ろし一休み。水分補給しながら
「この庭は俺たちも小学生のころは良く遊んだ所だが
つくづく見ると建物も木も古くなった。聞いた話では、
最澄大師が彫った「薬師如来像」を、何とかという坊さ
んに頼んで関東に送らせたが、この辺りで仏像を乗せた車の軸が折れ、動かなくなっ
た。坊さん{仏がここを選んだのだ}と時の領主を説得、八町四方の土地を貰い七堂
伽藍を建立し、薬師如来像を安置した。運んできた車を埋めた車塚も残っている。
以降村人から薬師様と慕われて、後に村人の野村八右衛門吉久が「和算額」を奉納し、
今では栃木県でも4番目に古い物で、佐野市の有形民俗文化財となっているんだ。
ちなみに現存する和算額で日本最古のものは佐野市の星野宮神社にあるんだって。
いつか住職に予約し見せてもらおう。庭にある榧(カヤ)の木や杉の木は樹齢400年前
吽形像
吽形像
門前の桜
門前の桜
阿形像
阿形像
後と推定される、と聞いているんさ」佐野育ちのじいちゃんと昔話しのひと時。
 門前の桜も凄い「汝ら老いたりと雖も、老後の初心忘るべからず。心して通れ!」
と大地を踏みしめている。・・「老いたりといえども淵川権六まだまだ汝ら若輩にお
くれは取らぬ!」と吉川英治作「宮本武蔵」の中で、ズンと構えたあの気迫だ。
 お参りのたびに会う門番(2つの王=仁王様)の貫禄も凄い。曰く「雨にも負けず、
風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず、丈夫な体を持ち」出生も名乗らず、人間
の心の奥まで、只管グーツと見張っている。
 
               春の小川は
春の小川は
春の小川は
ささやきながら
ささやきながら
 元気と勇気をもらい帰路
はのんびり花見の話をした
り、春の陽を背に受けて仲
良しじいちゃん野道を行け
ば、アオムシ達も蝶々にな
って上になり下になり飛ん
でる。知らない花も咲いて
いる。ふと、昔の歌を歌い
始めた。♪春の小川はさらさら行くよ〜咲けよ酒よと囁きながら♪青春とは心の持ち
方だとか。発芽、開花、山ほととぎすへ、足早に行く春、夢は春開く。伊達政宗翁も
元気に詠う。「馬上の少年は過ぐ 世は平かにして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽
しまずして 是を如何せん 」と。私達も存分に楽しみましょう。    
 
2018. 3. 1 ソフトウェア人生           本部幹事:関根 眞
 
ソフトウェア人生  本部幹事  関根 眞
 
1.とっかかり
 昨年12月以来、早くもトップページの担当を任されまし 関根_本部幹事
関根_本部幹事
たが、さて何を書くべきか、色々構想はあるものの、こ
れと言った「インスピレーション」が沸きませんでした。
 某週刊誌の福岡博士の「パンタレイパングロス」や某新聞の
「三谷幸喜のありふれた生活」等、連載物の有名人の才
能には、凄いと感じます。
 その後調べた「数独」の第2報を書くべきか、「飼い
猫」や「趣味」を書くべきか、睡眠時に繰り返し「同じ
情景」を見る不思議を書くべきか、どれも話の続きが発展しないと言うか、記述する
にあたって、更に調べる事が多いかと、迷いました。
 色々想いを巡らしましたが、このトップページを最優先にしたためなければならない
時に、時間のかかる「パソコン操作、取扱の備忘録」を記述し始めて、こんなところを
記述するのが無難かと、駄文で「お茶を濁します」ので、ご了承下さい。
 
2.長ーい下積み
 昭和47年入社し、始めに舶用技術部に配属されました。 大学では、電気工学電子
専攻でしたが、アナログ電子回路の設計が得意と言う訳でなく、どちらかと言えば古典
(現代というより)制御理論の道しかなく、「コンピュータ」と言う一括りの世界で生き
延びてきた感じです。
 大学在学中は、大型コンピュータの世界で、穴あけパンチしたカードの塊を、コンピュータセンターの
受付窓口に提出し、翌日結果が新聞紙片面の大きさの紙に印刷される代物でした。
 挙句の果て新聞紙片面の大きさの紙に、英文で1〜2行、「compiler error」とか
「fatal error」で、間違いを探しては、穴あけパンチをやり直し、塊を提出し、翌日結
果を待つ繰り返しでした。
 入社後、航法関連や海洋測量関連、船舶機関関連などのコンピュータ関連機器に関わり、
最後は、ビル空調システムの計装プログラム作成で終わりました。
 ミニコンピュータが普及し始め、穴あけパンチカードから、穴あけパンチ紙テープに移行しました。
 それでも作業開始には、掃除機で周辺を綺麗に吸い取り、塵芥の掃除も大事ですが、
紙テープの穿孔した残り滓を吸い取ることが重要でした。
 紙テープの穿孔した残り滓が、穿孔した紙テープの穴に、きれいに嵌り込んで、紙テープ
リーダーに掛けると、エラーを見つけ、少し進んだ所でピタッと停止するのです。
 嵌り込んだ滓を見つけるのが、これまた厄介で、再度新しい紙テープを作り直すこと
も、良くありました。
 この他、穿孔した紙テープの巻取りや、compiler や library、linker 、等の紙テープ
を順番に紙テープリーダーで読み取らせ、丁寧さが必要な取り扱いで、結構神経を使いま
した。穿孔した紙テープを読ませる前に、もっと重要な儀式がありました。Bootstrap
です。ミニコンピュータの前面パネルに16個(機種によっては、12個や8個もありました)の
ピアノの鍵盤の様なスイッチがあって、初期プログラム(bootstrap)を手入力しなければなら
ないのです。昔ですから、メモリが貧弱な時代で、今ではもっと進んでいますが、ROM
(Read On Memory)もなかったんですねぇ。bootstrap は、16個の鍵盤の on/off
パターンが1ステップとして、20〜30ステップ程度ありました。取説や紙に書かれた bootstrap
の各ステップを全て諳んじて、軽快なタッチで入力する営業マンの方がおられました。
 また、Sharp のポケットコンピュータで浮動小数点の固定値のデータ算出のため、真数部と仮
数部の算出プログラムを作成したり、HPのプログラマブルカリュキュレータでロラン-Cのデータから逆
ポーランド記法でオイラー法近似計算プログラムを作成して、自船位置を割り出すなど、楽しん
でいた経験もあります。
 Intel や DEC(Digital Equipment Coop. ?) の代理店、東洋エレクトロンで取り扱って
いた MDS(Microcomputer Devilopment System ?)で PL-I 言語の方言である PLM 言
語でIntel 8086や80386 を中心とした色々な製品、アッセブラ言語で開発したPDP-11を組
み込んだ機器などにも関係しました。
 超音波診断装置の開発は、やはりソフトウェア開発で、機器内部の電子デバイスのコントロールを
行ったり、胎児の成長計測プログラムを組み込んだり、YMS(横河メディカルシステムズ)のOEMで
したが、その展示会でVプローブ(生体探触子)のデモビデオの放映を見て、未婚の青年と
して、ど肝を抜かれました。
 前置きが長くなりましたが、技術の発展は急速に進んで、8インチ、5インチ、3インチフロッ
ピディスクと進んで、パーソナルコンピュータ全盛の時代がやってきました。
 当初は、NECのPC9801パソコンが一色で、マルチメディアが謳い文句になり、やがて東芝が推
進してきたAX(PC/AT互換機から日本語対応)パソコンが defact standard となりました。
 私の好きな余談ですが、1÷9801= 0.00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 … 70 71 72 73 74 75 76 77
78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 … となるそ
うですが、私自身この無限小数を良く確認していません。
 上記、最後の少数部分「98」が、欠落している情報もあります。これ、PC9801 の
命名由来でしょうか? 数学の面白雑学の一つです。
図1 「パソコンソフト・周辺ドライバ」フォルダ
図1 「パソコンソフト・周辺ドライバ」フォルダ
 
図2 完全数とメルセンヌ素数(数学面白雑学)
図2 完全数とメルセンヌ素数(数学面白雑学)
 
図3 完全数とメルセンヌ素数(数学面白雑学)途中省略 未完成
図3 完全数とメルセンヌ素数(数学面白雑学)途中省略 未完成
 またAX(Architecture eXtended)パソコンの言い方は、レトロ語ですね。
 OSも MS-DOS から Windows 3.1 となって、Wndows 10 の世界です。下記のURLか
ら「Windowsの変遷を画像で振り返る--「Windows 1.0」から「10」まで」が閲覧でき
ます。   https://japan.zdnet.com/article/35067916/
 
3.やっと本題
 東京計器ビルシステムのビル空調システムの計装プログラム作成を引き継いだ松下電工ビルシステムを
退職し、2001(平成13)年、介護業務専門の会社を立上ました。
 
中心としたシステムエンジニア(その他家電も含めた技術担当営繕係)になって疲弊する毎日
です。
 国民健康保険の介護報酬のみならず、東京都や大田区からの補助金、利用者様から
の利用料で会社を運営してますので、それなりにパソコン業務は多大です。
 介護報酬の請求業務や補助金の申請、年度途中での変更交付申請(年3回)、前年
度の実績報告、利用者様からの請求で引落手続きや振込手続、職員退職時の異動届、
源泉税や住民税の納付業務、給料計算など、資金係、庶務係、渉外係、人事係、営繕
係など、日夜こき使われ、パソコンを利用して、新たな要求や問題解決に励んでいます。
 それでも、パソコンでプログラミング言語を使ってアプリケーションを作ったり、ホワイトハッカーの様に
なんでもこなせる頭の良いレベルではなく、そこまでするのは無理ですし、その必要も
ありません。
 出来合いの介護請求(Apprication Service Provider)ソフトや、役所関連で様式の決
められたエクセル、PDFファイル形式、メールソフト、ゆうちょ銀行インターネット伝送、種々のファイル変換ソフト
など色々な効率化、簡便化要求に対して解決方法を模索しています。
 OB会HPも担当していますが、この業務でも会社のパソコン業務に役立つ解法を見出
すことが有りますし、その逆も有ります。
 それでも、解決方法が見つからない場合、先ず各種アプリの「ヘルプ」、Yahoo 知恵袋、
窓の杜、Microsoft Community、各種検索エンジンなどを駆使して探索しますが、細かい
要求(解決方法)なので、なかなか見つからないのが現状です。
 ここで、冒頭「1.とっかかり」に記述した「時間のかかるパソコン操作取扱の備忘
録」について記述します。
 一つは、「ダウンロード」フォルダに、もう一つは「ドキュメント」フォルダの「パソコンソフト・周辺ド
ライバ」フォルダに集約しています。
 「ダウンロード」は、プロバイダーやサーバーからの通知、ハードやソフトの取扱説明書、気になる
宣伝やニュース情報、通信費、光熱水費の利用明細、領収書、注文書、契約書、複合機トナー
など消耗品の製品一覧、役所の委任状、諸届書式、ドイツ語、フランス語キーボードのキー配置な
ど。 全部で、5.17GB、2,739ファイル、460フォルダに及びます。
 「パソコンソフト・周辺ドライバ」フォルダは、CANON や DELL 製品のセットアップやソフトウェア更新、
ソフトウェア製品の更新、無線LANの設定内容、パソコン機種による半角カタカナ入力の取扱、興味
ある情報や忘れそうな各機器のポート名やIPアドレス、各種OSの一寸した情報(パスワード省
略やスタートアップアプリの無効化など)、問題を解決実現した特筆エクセルフォーム、数学面白雑学
など、多岐に亘ります。こちらは、少なくて 393MB、398ファイル、71フォルダです。
 単独に格納しているファイルもありますが、フォルダごとに関連ファイルを格納しています。
 先ず、大事なのは当該サイトのショートカット、説明、操作を記述した .xls、.txt ファイル、web
表示、図、写真を記録した .xps、.pdf ファイル、また面白情報などは動画などの.mp4、
flv、wmv、webm ファイルを格納しています。
 
4.これからどうなる?
 今の若い人は、パソコンを使いこなせないと、言われています。 それは、タブレットや
スマートフォンの普及が目覚ましく、こちらにシフトしているからだそうです。
 それでも仮想コインの不法流出やウイルスの蔓延等のブラックハッカーの暗躍、それに対するホワイト
ハッカーや、善良な情報提供メディアを担う(若い)頭の良い人達もいるのですね。
 専ら、Windows 8.1 の使用が多く、十分に使いこなせていない Windows 10も、設定
操作が2系統あって結構複雑になり、最終OSと言いながらも、割と頻繁に脆弱性が
見つかって、その都度 Windows update を行いますが、ブラックハッカーとメーカーのイタチごっこ
は続くのでしょうね。
 OB会先輩で元気に活躍される皆様からは、まだ「ひよっこ」の年齢ですが、脳内
の血管の拍動が、顔面の神経を刺激して、左眼を中心に鬱陶しい顔面痙攣の発作を起
こし、老眼も進み、眼精疲労や目の乾きによるカスミ目、更に、頸椎狭窄で首も痛く、
パソコン業務も非常に億劫になってきました。この先、何年続けられるでしょうか?
 皆様、退屈な長い話にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
 
2018. 2. 1 私には西国の血が流れている      本部幹事:三浦 弘幸
 
私には西国の血が流れている 本部幹事 三浦 弘幸
 
 以前会報「けいき」にルーツ探しの経過、結末について寄稿したことがあるが、
ルーツ探しから9年経った今、私のルーツ探しの現状をまとめてみた。 
 
1.東京計器退職   
 55歳で松下電工に転籍し、その後、半年で同社を退職 本部幹事_三浦
本部幹事_三浦 弘幸
し、インターネットの求人に応募し、2002年10月、四国
今治の「四国溶材」に入社した。人事諸制度を構築し、
4年半後の62歳の時、再びインターネットの求人に応募
し、2007年4月、新潟の「ジェイメディカル」に入社し
た。仕事の内容は社内諸制度の構築であった。四国溶材
で創った諸制度の経験を生かし、ジェイメディカルでの
仕事も順調に進んでいた。制度構築の説明に各支店営業
所を訪問していたが、山形営業所を訪問した折に、父の従妹を訪ね、私の江戸時代か
ら明治にかけてのルーツが広島県竹原市であることが分かり、簡単な系図を見せても
らった。
 竹原市は新潟の前に勤務していた今治市の対面に当たる場所で、今では廃止になっ
たが、私が今治に居たころは今治から竹原にはフェリーも就航していた。私も何度か
利用したことがあったが、いつも竹原の町は素通りであった。そこに私のルーツがあ
ったのかという、ある意味「悔しい気持」が心の中で込み上げてきて2009年8月、竹
原を訪問することにした。
 
2.竹原訪問      
桐谷家の墓
桐谷家の墓
 竹原の市内は初めて訪ねる所であったが、インターネ
ットで調べ、古い町並みを保存していること、その中に
ルーツと同姓の桐谷邸があること、町並みの山側に照蓮
寺、西方寺、長生寺の三つのお寺があることが分かって
いた。
 山形で見た系図の一番上にあった桐谷理兵衛、ウメの
お墓がどこかにあるのではないかと思い、それを探すた
めに山側にある寺を訪ねることにした。
 お寺は山側に位置し、お墓も広く、なかなかわからなかったが、西方寺で桐谷理兵
衛、ウメのお墓を見つけることが出来た。
 昔のお墓にはその人の出自などいろいろな情報が書いてある。そして、一番最後に
亡くなった人の墓には「桐谷房助の墓」と刻まれ、戒名も刻印されていたが、その墓
石にはもう一人俗名だけで「桐谷孝也」と書いてあり、気になった。命日は昭和20年
1月26日と記されていた。
 
3.西方寺訪問     
 東京に帰ってから数ヶ月が経過したが、お寺を訪ねれ 西方寺の舞台{普明閣}
西方寺の舞台{普明閣}
ば何か情報があるかもしれないと考え、2010年5月31日
に西方寺を訪問した。
 あらかじめ西方寺の住職宛に手紙を書き、この日午後
1時に訪問する旨を伝えていたので私の訪問目的は理解
されていた。私の祖先の桐谷理兵衛・ウメ夫妻のお墓に
ついて、何かご存じかどうか伺ったが、西方寺は江戸時
代初期からの歴史のあるお寺であり、住職もお寺にある
お墓については、一々だれのものなのかは把握していないとのことであった。
 私の発見したお墓の中で最後に亡くなった桐谷孝也さんの過去帳を見せていただき
たい」とお願いした。住職は過去帳の昭和20年1月26日の日付を見つけ、「たしかに、
桐谷孝也さんは西方寺で弔っていますね」と言って過去帳を見せてくれた。
「吉名の多田さんの家で亡くなっています」と住職は言った。「多田家は大きな旧家
で駅を降りて山側に行けばすぐ分ります」と言った。私の探したお墓に縁のある方が
竹原に住んでおられることが分かった。
 
4.多田家訪問
多田家
多田家
 早速多田家を訪問し、訪問目的を伝えると、「昔多田
家から、桐谷家に養子に行った人がいるという話を聞い
たことがあります」との返事が返ってきた。多田家は源
平合戦のころに活躍した源氏方の大将の家柄で、そのこ
ろからの家系図が巻物で残っているとのことであった。
いわゆる「多田源氏」の末裔ということであり、大変な
名家であることが分かった。
 系図の明治時代のところに、多田家の次男の多田房助
が桐谷家に養子に行ったことが書いてあった。桐谷房助さんは娘婿であることが分っ
た。
 昭和20年に亡くなった桐谷孝也さんが多田家で亡くなったということは、父親の生
家で亡くなったということになり、桐谷家の人間がなぜ多田家で亡くなったかの理由
は分った。しかし、私の探している桐谷家は依然として見つけることが出来なかった。
翌日、市役所の市民課に寄ったが戸籍の情報は同じ戸籍にいる人間しか取得できない
という壁があり、全くの他人が行っても調べることが出来ないことが分かった。
 
5.新たな情報と直感
 竹原で知り合いになった人から電話があり「三浦さん 松山にて
松山にて
の探している桐谷家はどうも四国に行ったようですよ」
との情報が寄せられた。竹原から四国に行くとなると今
治の可能性が高い。今治で勤務していた会社の総務部長
に探してもらおうと思い立ち、メールを送った。返事は
即日来た。「今治西高校の同窓会名簿に一人桐谷姓の人
がいた。名前は桐谷哲也、住所は松山市・・・・、
電話番号は・・・・」
 早速桐谷哲也さんに連絡を取り、経緯を説明したところ「私は広島県の竹原に本籍
があります、先祖は竹原で造り酒屋をしていたと聞いています。竹原の西方寺に先祖
代々のお墓があります」との返事があり、竹原出身の桐谷さんであることが分った。
 
6.戸籍謄本
 2010年11月1日、3回目の竹原訪問を決行した。桐谷哲也さんの本籍が竹原市であ
ることから、竹原市役所の市民課で明治時代以降の戸籍謄本を取得することが出来た。
何の手掛かりもなく竹原を訪問して、3度目の訪問でこれだけの情報が得られたのは
まさに奇跡であろう。
 これで桐谷家本家の家系の大部分を把握することが出来た。桐谷哲也さんの情報に
よると桐谷家本家の末裔は川崎に住んでおられることも分かった。
 竹原の桐谷家は大変栄えた家であったが、大正時代から昭和にかけて政府による塩
田の統制が厳しくなり、そして第二次大戦もあり、桐谷家は竹原から大阪や東京に移
住したことが分かった。
7.先祖の導き
 かつて勤務したことのある今治の対岸の竹原にルーツがあることを、今治を去った
後、次の勤務地新潟で知り、その悔しさが行動の発端となった。そして、最後にルー
ツの詳細を解く鍵となったのが、はたして、なんとまた今治であったのである。
それは桐谷家が今治の女性と結婚したことが大きく関係していると思われる。
 東京計器を退職した後、四国の今治に勤務し、その後新潟に勤務した私の人生の過
程は、自分で意図したとか、望んだというのではなく、「この男ならルーツの解明を
するであろう」と感じた先祖の導きであったのではないかと思われて仕方がない。
 ルーツ探しのキーワードは「お墓」と「戸籍謄本」であった。
 
8.父の育った福山 
金比羅山の石柱
金比羅山の石柱
 私の父は自分の家系について、ほとんど話をしてくれ
なかった。そのことに理由があるのかどうかは今となっ
ては全く分からない。父の父(私の祖父)寛二は桐谷三
姉妹の嫁ぎ先の福山市の山本呉服商の次男として生まれ
た。
 京都大学に進み、京都で医者を開業していたが、40代
で他界している。その後父の一家は京都から祖父の実家
のある福山に戻り、父は福山の誠及館(せいしかん)を
卒業して士官学校に進んで軍人になった。
 福山も広島県である。私の母方の祖父は山口県岩国市出身、母方の祖母は大分県中
津市出身である。
 4人いる祖父母は全員西国出身である。私の血には西国の血が流れているのである。
 上の写真は福山の呉服商山本幸七が香川県の金比羅山に寄進した石柱である。
「備後福山山本屋幸七」と刻印されている。最初の山門(大門)をくぐり、桜馬場と
いうあたりの左側に立っている。
 
2018. 1. 1 新年のご挨拶               会長:八木 宏
 
   新年のご挨拶 OB会 会長 八木 宏  
 

 
         明けましておめでとうございます。
 会員の皆様には、穏やかな新年を穏やかな気持ちで迎えられたこととお慶び申     
し上げます。今年は冬季オリンピックやサッカー・ワールドカップなどで日本の
活躍を期待するとともに、社会全体でも明るいニュースが増えるように願ってお
ります。 
 OB会もさらに充実するよう幹事一同で努めますので、皆様もさまざまな形で      
参加され、互いに交流していただけると幸いであります。 
 
 「一年の計は元旦にあり」と言いますが一月のトップページはやはりお正月がらみ
の記事になります。
 戦後の貧しい時代に育った者には、ささやかなお雑煮と凧揚げコマ回しにカルタぐ
らいがお正月の記憶です。
 
  刻かけて 老いの雑煮の 餅ふたつ   弦四朗 お雑煮
お雑煮
 
 幼いころは兄弟で雑煮の餅の数を競ったものですが、
今は年寄り相応の数になり、それも少し小さめにした方
が安心と思われます。
 おせち料理をいただくのも控えめにしてTVのチャネ
ルを回すと(この言い回しも時代遅れですが)お笑い番
組のオンパレードです。
 子供の頃の我が家はTVもありませんでしたが、関西に住んでいたのでラジオでは
漫才が賑やかでした。当時の関西は落語が息を潜めている時代で、エンタツ・アチャ
コからダイマル・ラケット、いとし・こいし等の漫才が人気でした。
 江戸の町ではお正月に万歳が町辻を流して歩いたそうですが、今は東京でも万歳で
はなく漫才になってしまったようです。
 
  やまざとは まんざい遅し 梅の花   芭蕉 芭蕉句碑
芭蕉句碑
 
 万歳は三河の国から年の暮れになると江戸まで出てき
て正月に忙しく稼ぎ回りました。
 多数の町万歳のほか武家屋敷や大名家にまで呼ばれる
ほどの太夫・才蔵までいたそうです。
 そのころ、山村の人々は炉端でひっそりと春を待って
いるということでしょうか。
 この句碑には伊陽山中陽春と前書きされていて、伊賀の「やまざと」であったと思
われます。三河に近くとも江戸より先に万歳が来るというわけにはいかないようです。
梅の花
梅の花
  
 万歳は来なくても、梅の花が春を告げてくれます。明
治初めに改暦されるまでの旧暦では今の2月ごろが正月
なので梅の花の咲く頃にあたります。ちなみに今年は2
月16日が旧正月です。 
 冬季オリンピックがたけなわの頃で、どんな花が咲く
ことでしょう。
 
 さて梅のほかにも正月に似合う、正月に見たい、正月に飾りたい花などがいろいろ
あります。花ではありませんが千両もそのひとつです。
 
  われ富めり 千両万両 くれなゐに   青邨       センリョウ
センリョウ
  
 千両は名前からして目出度く花瓶に活けるだけでなく
葉についた赤い実がおせち料理のあしらいに使われたり
もします。
 家の庭では晩秋から年末に赤い実をヒヨドリに食べ尽
くされないように攻防戦を繰り広げます。
 
 
 名前が目出度いといえば福寿草も正月の床の間に飾りたい花です。新暦の今では温
室を利用しないと正月には難しいですが、早春に落ち葉の下から黄色い花が顔を出す
のを見るのは楽しいものです。 
 葉牡丹はキャベツの仲間で花ではありませんが、祝福とか愛を包むなどの花言葉が 
つけられています。美しい色の種類も多く、お正月の鉢植えとして人気があります。 
 植物学的には梅ではないけれど、蝋梅(ロウバイ)はちょうど今頃咲き始めて黄色
い花が気分を暖かくしてくれます。仲間で少し遅れて咲く素心蝋梅(ソシンロウバイ)
は、ご近所でも数が増えました。 
フクジュソウ
フクジュソウ
ハボタン
ハボタン
ロウバイ
ロウバイ
 
  チューリップ
チューリップ
 昔と違って新種開発が旺盛に行われたり、栽培方法も
流通システムも進歩して花の種類や見られる時期も多様
化しました。
 江ノ島へ初詣のあとサムエル・コッキング苑に立ち寄
ると、いろんな種類や色のウインターチューリップが
目を楽しませてくれます。
 
 
 お正月の花はまだまだほかにもあると思いますが、シ シクラメン
シクラメン
クラメンに本文の掉尾を飾ってもらいます。40年以上も
前に大ヒットした歌で有名になりましたが、真綿色や薄
紅色のシクラメンは心を和ませ穏やかな心で一年の計を
立てさせてくれそうです。
 
 会員の皆様とご家族が明るく充実した一年を過ごされ
ることを願うとともに、東京計器(株)にとっても良い年
になるよう祈念いたします。