話 題 『 旅 行 記 』最新
 
          話  題  一  覧
2014.10.19 泥湯三山周回縦走ならずの記         投稿;清水有道
2014.10.12 陸の孤島西表島「船浮」を含む八重山列島7島へ秘境の旅                               投稿;清水有道
2014. 9.28 宮古島列島5島を巡る3日間の旅       投稿;清水有道
2014. 8.17 隠岐4島をゆっくり巡る           投稿;清水有道
2013.12.18 北海道グルメの旅(東京計器OB有志旅行会) 投稿;塩入義忠
2013. 9.11 北欧とアイスランドの旅           投稿;金子健吉
 
          話  題  『 旅 行 記 』
2014.10.12 清水 泥湯三山周回縦走ならずの記
 
泥湯三山周回縦走ならずの記 横浜市 清水 有道
 
 久々に山登りがしたくなり、利用しなければ無効になってしまうJALのマイルを無
駄にしないことを併せて考え、周囲の主な山々を踏破している秋田県を選び、山形と
の県境に近い秘湯泥湯の背になる泥湯三山(高松岳1348m、 泥湯三山地域
泥湯三山地域
山伏岳1315mと子安岳1292m)を周回縦走し、東方に隣接
しているかに見える栗駒山1627m、北方に見える森吉岳
1454m、秋田駒ケ岳1637m、烏帽子岳(乳頭山)1478m、
真西には鳥海山2236m、北東方向奥には岩手山2034m等
馴染の山々があり、特徴のある山の形、山容を探し当て
るのを楽しみにしてこの山行を計画した。
ちょうど秋分の日までの束の間を利用しての自慢の計画
のつもりであったが、結果は最悪の裏目に出てしまった。
 出発の2、3日前からの長期予報では関西以北は日本海側を除いては晴れのはず
硫化ガスを吹き上げる泥湯
硫化ガスを吹き上げる泥湯
が、秋田県の南部のみは、登山予定の9月19日(金)当
日は午前中降水確率50%、午後も引き続き30%で、かな
り強い雷を伴う雨とのことだった。前日18日午後3時前
に秋田空港からのレンタカーで泥湯の奥山旅館に着いた。
以前に泊まったことのある建屋や外の露天風呂のたたず
まいがすっかりそのままであったので、非常な懐かしさ
を覚えた。早々と温泉を浴び、夕食時のアルコールも控
えて午後9時半には床に入った。
 真夜中に屋根を打つ大粒の雨音にびっくりして目を覚ませば、嵐にも似た相当な荒
天の気配、悪い予感にまんじりともできず、午前5時過ぎには起床し、ザックの荷詰
めの最終点検をした。うまい具合に雨は上がって、勢い 川原毛地獄
川原毛地獄
よく流れる雲の合間に青空も覗く按配だったので、予定
通り、朝食後昼食用に頼んだオムスビを貰って8時10分
に宿を出た。
 コースは泥湯の宿・奥山旅館から秋ノ宮温泉に向かう
舗装道路を30分ほど歩き川原毛地獄に着く。2007年秋に
東京計器の国際部(当時)のOB有志5人で一台の車に
便乗してここを訪れた時のことが思い出された。今回は
朝早いせいか人一人見かけず、静まり返っていた。挿入の写真からも分かるように、
この時にはまだ青空も多く覗いていた。
 ここから暫くのところの山伏岳登山口で入山届に氏名と予定のコース、人数を書き
込み、登山をスタートさせた。最後の入山者は仙台の男性で、5日前の9月14日に山
伏岳から主峰の高松岳を経て泥湯温泉に下るルートを記していた。時に8時50分。
登山道は暫く雑木林が続き、20分くらい過ぎたところで、ブナ林の尾根上の道となっ
た。登山道の脇にはこれから最盛期を迎えるエゾリンドウの可憐な花が1株だけのも
の、幾株か固まって咲きあっているものが見られ、その周りには何倍か背の高いミヤ
マアキノキリンソウの黄色い花が対照的に美人コンテストを試みているようであった。
エゾリンドウ
エゾリンドウ
*エゾリンドウ(蝦夷竜胆:Gentiana triflora Pall
var.japonoca H.Hara)
リンドウ科リンドウ属の多年草。日本原産で、北海道か
ら本州近畿以北にかけて分布し、山地の湿地帯に好んで
生える。ホソバエゾリンドウの変種。葉は茎に対生する。
日が差さなければ花は開かない。花はリンドウよりも淡
い青紫色である。
 
*ミヤマアキノキリンソウ(深山秋の麒麟草:Solidago ミヤマアキノキリンソウ
ミヤマアキノキリンソウ
virgaurea L.subsp.Leiocarpa Hulten)
キク科アキノキリンソウ属の多年草の高山植物。北海道
と本州中部以北の亜高山帯から高山帯の草地、砂礫地に
生育する。
 
 
 
 ところがここで一転俄かに駆け曇り、あたりの空気が黒ずんだかと思うや、雷鳴と
共に叩きつけるような、一昔前の人々なら“篠突く雨”とでも表現するであろうバケ
ツの水をひっくり返したかのような雨が連続して落ちてきて、周囲一面深い霧に包ま
れてしまい、晴れていれば高松岳の特徴のある三角形の山容が行く手に見える筈のと
ころ、視界は全く利かなくなってしまった。登山道は雨水を集めて急激な川の流れに
早変わりしてしまった。三峰の最初の山伏岳山頂まであと一時間足らずで達する地点
で、残念ながら登頂を諦めて撤退せざるを得なかった。
 遮る樹木もない広い尾根筋で、雷鳴が周囲のあらゆる角度から轟き、稲妻が真横に
走る恐ろしい白霧の中を、もうこれ以上登山を続ける勇気はさすがに持てなかった。
雷に打たれてしまえばそれまでで、高齢老人の単独登山の悪例の一つとして世間の物
笑いにされるのだけは何としても避けたいと思うだけで、自然界の脅威に抵抗して、
筆者自身の努力でそれに打ち勝つ方策など全く考え及ばなかった。上半身と頭を包み
込むGORE-TEX生地使用の日本製登山用合羽を着込み、ザックもビニールの雨避けカバー
で包み、急遽下山した。同じ道を戻り、午前11時前には宿に帰り着き、濡れたものを
干し、山の頂で食べるために作ってもらったオムスビをその宿の部屋で侘しく食する
ことになってしまった。ゆっくり湯池気分でも味わうしかないと混浴の岩風呂に一人
寂しく入り、その後でこの“敗退の記”を綴った。湧いてくるのは一連の侘しさと寂
しさに挫折感だけだったが、せめてもの救いは、依然として窓の外で大きな音を発し
ながら叩きつけるように降り続いている雨天だった。退却したことは正解だったと改
めて自己満足気味に気を取り直した。「長い人生にはこういう不運もたまにはあるさ」
と、演歌の歌詞のようなことを呟いたのだった。
 登山前日の9月18日(木)の夜には夫婦3組、男性仲間2人組が1組、個人が筆者
ともう1人の計10名の宿泊客であったが、19日(金)の登山日の雷雨の中ではさすが
に泊まる人も少なく、夫婦1組とバイクのツーリングで東北地方を10泊11日の日程で
周っているという川崎市在住の70歳の男性と筆者の4名だけだった。その人は、夕食
時に筆者の横に座り込み、雷雨の中のツーリングも大変だったとしきりに細かく説明
してくれるのだった。その人だけが筆者が尾根で雷雨に遭遇したことを「それは大変
なことでしたね」と同情してくれ、「まだ若いのだから、また直にチャンスがありま
すよ」と慰めてくれるのだった。  
                        2014年9月19日(金)午後3時 
         秋田県湯沢市泥湯温泉奥山旅館本館2階「水芭蕉の間」で記す。 
 
2014.10.12 清水 陸の孤島西表島「船浮」を含む八重山列島7島へ秘境の旅
 
陸の孤島西表島「船浮」を含む
八重山列島7島へ秘境の旅 横浜市 清水 有道
 
1.はじめに・石垣島到着
 新年の最初の日曜日1月5日に昨年2013年3月に出来上がったばかりの石垣新空港
に降り立った時にはもう既に夕暮れだった。高齢者相手の団体旅行のため、東京羽田
をゆっくり昼に出て、沖縄本島の那覇空港で乗り換えての到着だから仕方のないこと
だったが、そのために、いつもながらの初めての土地に足を踏み入れて最初に受ける
新鮮な印象が、この旅では味わえなかった。真っ直ぐにホテルに入るのではいかにも
愛嬌が無さ過ぎるとでも感じたのだろうか、参加したパック旅行のスケジュールでは
申し訳に、1ヶ所「石垣島鍾乳洞」に寄り、施設に併設されているレストランで夕食
を取ってからホテルに入ると言う趣向であった。
 今回の3泊4日の旅の宿は、八重山列島のハブ・ポートである石垣港近くの全国展
開チェーンホテルの一つに3連泊だった。毎日荷物を持ち歩く労が無くて済むことは
嬉しいことだったが、港から船で出て、幾つかの島を巡り、また出発港に戻って来る
という生活を3日間続けることになり、毎日船に乗っている時間が異常に長く感じら
れ、船会社に貢献すること大の旅行だったというのが、旅を終っての率直な感想であ
った。そのため、筆者の旅に求める贅沢からすれば、折角日本の南の外れまで赴いて
来たのだから、もう少し自由に散策し、土地の変わった食べ物や名物の泡盛などを口
にする機会や珍しい動植物を目にするチャンスが欲しかった。結果として、それらが
満たされない物足りなさが、率直なところ偽りのない印象になってしまった。かと言
ってこの旅がつまらなかったわけではなく、あくまで欲の張り吉の愚痴である。
 旅行社の話しでは、今年は殊の外冬場の客が多く、石垣新空港に直接東京からジェ
ット機が乗り入れているにも拘らず、団体客用の席取りは直行便には出来ず、便数の
多い従来からの沖縄本島那覇空港乗換の便を利用せざるを得ないのだそうだ。
 
2.八重山列島(八重山諸島)とは
 八重山列島とは、太平洋と東シナ海に面した南西諸島 八重山諸島航路図
八重山諸島航路図
(先島諸島とも言う)の西部の島嶼群を指す。八重山の
方言では「やいま」、沖縄の方言では「えーま」と呼ば
れるところである。属する島の数は23島、うち有人島は
12島である。今回はその中で石垣島、竹富島、小浜島、
新城(アラグスク)島(上地島と下地島の2島から成る)、
西表(イリオモテ)島、由布(ユブ)島、波照間(ハテ
ルマ)島の7島を巡った。
 行政区分では石垣市の1市、八重山郡の竹富町および与那国町の2町から成り、石
垣市には他にいま中国と紛争になっている尖閣諸島が入り、与那国町には与那国島1
日本最南端の証
日本最南端の証
島が、残りの有人島はすべて竹富町となっている。面白
いことに、竹富町の役場はどこにあるかというと、何と
石垣島の港の近くにあった。
 八重山列島は東京から2000km、沖縄本島から400km離れ
た北緯24度に位置する。人口は石垣市で46,922人(2010
年10月1日の国勢調査現在)、八重山列島全体で52,438
人(同日現在)である。波照間島は日本の最南端、与那
国島は最西端の有人島である。筆者も波照間島を訪ねた
帰路の船中で「日本最南端の証」を平成14年1月7日付け最南端到達記念として竹富
町の観光協会から貰った。
 これらの島々の中で、面積が100平方キロ以上の島は石垣島と西表島の2島のみで、
この2島には高い山もあり、河川も多く流れている。ほかの島々は珊瑚礁が隆起して
出来たもので、標高も100m以下である。
 沖縄本島のハブは“ホンハブ”と呼ぶが、八重山諸島のハブはよりおとなしい“サ
キシマハブ”という別種で、サキシマハブが棲息している有人島は、石垣島、竹富島、
西表島、由布島、小浜島、黒島、新城島の7島、棲息していない島は与那国島、鳩間
島と波照間島の3島である。
 
3.訪ねたところ
1) 石垣島
*石垣島鍾乳洞 石垣島鍾乳洞
石垣島鍾乳洞
 珊瑚礁が隆起してできた鍾乳洞で、全長3.2km、長さで
は日本で7番目になるそうである。洞内のイルミネーシ
ョンも幻想的という評判だそうだ。鍾乳石の成長が日本
一早く、3年で約1mm伸びるとか。1年を通じ洞内の気
温は23℃、湿度は90%以上という。
 珊瑚の石灰が溶け出して造られるためか、石垣島の鍾
乳洞は艶や透明感があり、明りで照らすと一層鮮やかな
照り輝きが美しい。
唐人墓
唐人墓
*唐人墓(トウジンバカ)
 昔遭難した中国人を救助したが残念ながら生き返らな
かった唐人(中国人)の墓を造って毎年供養している。
 
 
 
 
 
*川平(カビラ)公園 川平公園
川平公園
 川平湾を中心とした沖縄を代表する観光地。エメラル
ド・グリーンに輝く珊瑚礁と湾内に散在する小島のコン
トラストは美しく、グラスボートからの海底の眺めは素
晴らしかった。
 
 
 
2)由布島
 西表島から水牛車で海の中を400mほど渡って行く。片道約15分。
水牛車
水牛車
オオゴマダラ
オオゴマダラ
島は周囲約2150m、海抜1.5m
の小さな島である。島全体
が植物園になっており、蝶   
々園もある。中にはいっぱ
いのオオゴマダラが群れ飛
んでいた。
 
 
<オオゴマダラ Idea leuconoe Erichson>
 マダラチョウ科のわが国に産する蝶としては最大種。八重山列島、沖縄諸島南部に
土着の種である。
 写真で蝶が蜜を吸っている花は、サンタンカ(山丹花)もしくはサンダンカ(三段
花)Ixora chinesis, アカネ科の常緑低木または小高木で、オウゴチョウ(マメ科オ
ウゴチョウ属の常緑低木)、デイゴとともに、沖縄の三大名花と言われている。原産
は中国南部、インド、マレーシア、アフリカの熱帯地域に分布し、サンダンカの花弁
は通常丸いが、写真のように三叉分岐の園芸種もあり、“ベニテマリ”と呼ばれてい
るらしい。
 他の珍しい植物については、終わりに別に章を設けて紹介したい。
3)西表島
*陸の孤島「船浮(フナウキ)」部落
 西表島には島を一周する道路はなく、島の最も西に位置する船浮部落へは西表島の
白浜港から船を使わなくてはならない。全く道がないので、歩いて行くとしたら有に
2日半掛ってしまうそうである。
 今回の旅行では船底から海底を眺めるグラスボートを貸し切った。部落までの途中
の船浮湾では海底の珊瑚を眺めた。また、水落(ミズウチ)側を遡行して断崖から直
接海に落ちる水落の滝の滝壺まで船を進めた。船に乗れば白浜港から10分足らずで着
くことが出来る。
 この辺りの海には大人の 水落の滝
水落の滝
大きなシジミ
大きなシジミ
拳骨くらいの大きさのシジ
ミ貝がいるが、殻は大きく
ても中の身は普通のシジミ
と同じと言うからどうなっ
ているのか分からない。何
の理由があってそんな大き
さになる必要があるのか。
多分外敵から身を守る方法として、自然に身に付けたものなのだろう。
 現在この部落の人口は40名、小学校があるが、生徒より先生の方が多いのが悩みと
いう。部落では昔の生活の姿が見られるが、唯一の産業として琉球黒真珠の養殖が行
われていて、湾内には筏がたくさん見られた。
*イダの浜
 船浮部落から歩いて山を越えて対岸に出ると、船でしか行くことのできないイダの
浜という自然のままで、人口的なものが一切ないビーチに出る。八重山列島の中でも
一番きれいなビーチだとガイドは誇らしげに説明していた。
 
 西表島の大原港は付近の島々への小型船の発着で賑わっており、大型船が石垣から
入るとここを中継して周囲の島々に行く人人々が三々五々散って行く。
4)波照間島
 石垣島から約56kmのところにあり、日本最南端の島である。人口は600人、島の周囲
はわずか14.8km。しかし、島には5つの集落がある。この島も神々の住む島の一つで、
外来者は上陸が許されない。島にある観光ガイドの友人として、その人の操縦する船
で訪ねて初めて観光が許される。勿論、本州の神社に当たる御嶽(聖地)にはガイド
と一緒でも外来者は立ち入りを許されない。御嶽は各島にあるが、皆同じである。
 波照間島の産業は、長い間サトウキビからの黒糖製造であったが、近年人手不足か
ら従事者が激減し、農家は酪農に切り替えて、今やミルクが代表的な島の産物である。
漁業の従事者もほとんどいない。波照間島の土産のツートップは波照間製糖(株)の
黒糖と島で造られる唯一の泡盛「泡波」である。ミニボトルが2種類あり、島人が運
営を支える島のコンビニ「共同売店」で1本350円で求められた。
 旧藩の時代には海の監視や船との通報のための狼煙が利用されたが、その火番所の
跡が高い搭状の石組台地として残っていた。
*標準的な民家
代表的な民家
代表的な民家
 猛烈な台風から守るために、原則として民家は一階平
屋建てで、本土にあるような入り口や玄関を持たない。
塀で囲うこともしないが、家の正面には風害を避けるた
めと目隠しのために、海岸からいくらでも集めて来るこ
との出来る珊瑚礁からの石灰岩をセメントで固めること
もせず、ただ積み上げている。
この島の家のもう一つの特徴は、どの家も庭に数本のバ
ナナの木を植えており、どの株にもバナナの実がたわわ
に実っていた。
*高那(タカナ)の景勝地
 1kmくらい続く断崖絶壁に打ち寄せる波が迫力満点だった。ここには、「日本の青
の洞門」と呼ばれる海水が本当に真っ青に見えるところがある。陸地には一面に珊瑚
礁から出来た石灰岩が隆起してゴロゴロしている。しかし、この地形が植物には適し
ているらしく、天然記念物を含む珍しい小木本と草本の植物がたくさん見られた。
*日本最南端の碑
 日本の全国各県から持ち 最南端の碑
最南端の碑
天体望遠鏡/プラネタリウム
天体望遠鏡/プラネタリウム
寄った石を使って地面に大
きな蛇を形造り、その脇を
通って碑に至るように造ら
れている。付近には人家が
ないため、天体観測に適し
ていると見え、天体望遠鏡
とプラネタリウムがあり、
夜間には星空観測が行われている。
*ニシ浜
リュウキュウアサギマダラ
リュウキュウアサギマダラ
リュウキュウアサギマダラの標本
リュウキュウアサギマダラの標本
 八重山列島の中でも指折
りの美しい浜。浜辺のコセ
ンダングサ(小栴檀草)で
吸蜜するリュウキュウアサ
ギマダラを見付け、写真を
撮った後、指で摘まんで捕
獲した。家に持ち帰り、標
本にした。
5)新城(アラグスク)島 別名パナリ島(離れ島) 上地島
上地島
 黒島と西表島の中間に位置し、上地島(周囲6.2km、
面積1.76平方キロ)、下地島(周囲4.2km、面積1.58平
方キロ)、人口17人、(上地島のみ、下地島は無人、牧
場のみ)。干潮時には上地島と下地島は歩いて渡ること
ができる。上地島には定期航路はなく、島のガイドが招
いてくれた訪問者として上陸・入島が許可される。
6)小浜島
細崎の浜
細崎の浜
*細崎の浜
 小浜島の最西端のビーチである。潮の流れが速いため
遊泳は禁止されている。対岸には西表島が大きく見え、
きれいな海を眺めて時間の経つのを忘れる。
 
 
 
 
7)竹富島 シーサー
シーサー
 どこの店の前にも土の焼き物に「おーりとーり(いら
っしゃいませ)の方言が見える。いろいろなシーサーが
迎えてくれる。竹富島の島内観光は牛車で行われる。
*なごみの塔
 人一人がやっと通れる幅の急傾斜の階段を登り、集落
を見渡すことができる。白砂の道に、赤瓦の民家の対比
は竹富島ならではのピクチュアリスクな景観である。近
所には西塘様と呼ばれる島守りの神が祀られている神社がある。
皆治浜
皆治浜
*皆治(カイジ)浜
 「星砂(海藻などに付着して生活している原生動物の
中の有孔虫の骨格が波によって砂浜に打ち上げられたも
の)」が探せる浜として有名。探して身に付けていれば、
幸福をもたらすと言われる。海の大蛇(フージャ)に食
べられた星の子供の骨が流れ着いたと言う悲しい伝説も
あり、古くから人々の間でよく知られた風習となってい
る。
 
4.八重山列島で出会った珍しい植物
1)セイロンベンケイ(エアーブランツ)  Kalanchoe pinnata (Lam.) Pers.
 ベンケイソウ科カランコエ属、高さ1mにもなる多肉質の多年生草本。原産は南アフ
リカだが、日本でも沖縄、小笠原諸島に帰化している。珊瑚礁の岩の上にも出現する。
2)コセンダングサ(小栴檀草)  Bideus pilosa var. pilosa
 キク科センダングサ属の暖帯から熱帯にかけて道端や空き地に分布する雑草。八重
山列島中に繁茂して困っている植物とか。種子が衣類に容易にくっ付いてどこにでも
繁殖するため、当地では俗称「助平草」と呼んでいる。
3)コダチヤハズカズラ(木立矢筈蔓) Thunbergria erectra Anderson
 キツネノマゴ科ヤハズカズラ属の多年生木本で、蔓性のものと写真のような低木の
ものもある。
セイロンベンケイ
セイロンベンケイ
コセンダングサ
コセンダングサ
コダチヤハズカズラ
コダチヤハズカズラ
4)オオベニゴウガン(大紅合観)  Calliandra haematocephala
 マメ科ネムノキ亜科ベニゴウガン属(カリアンドラ属)の熱帯性常緑低木。糸状に
飛び出している赤い部分は雄蕊である。原産地はボリビア、ペルー、ブラジル。
5)ハマアザミ(浜薊)  Cirsium maritimum
 キク科アザミ属の多年草。波照間島ではハマゴボウ(浜牛蒡)と呼び、根をあく抜
きして食すと言う。キャンプなどでは、よく味噌汁の具にするという。
6)ハマヒルガオ(浜昼顔)  Calyotegia soldonella (L.) Aoem et Schult
 ヒルガオ科ヒルガオ属の多年草で北海道から 琉球まで分布している。
 英名を“False bindfweed”という。
オオベニゴウガン
オオベニゴウガン
ハマアザミ
ハマアザミ
ハマヒルガオ
ハマヒルガオ
7)アリアケカズラ(有明葛) Allemanda cathartica 
 キョウチクトウ科アラマンダ属の常緑蔓性半耐寒性低木。英名は“Allemanda”。
 改良園芸品種は”Golden Trumpet”と呼ばれる。
8)オオハマボウ(大浜朴)  Hibiscus tiliaceus
 アオイ科フヨウ属の常緑小高木。英名では“Hau Tree”または”Beach Hibiscus”
と呼んでいる。沖縄や奄美 アリアケカズラ
アリアケカズラ
オオハマボウ
オオハマボウ
大島では「ユウナ」もしく
は「ヤマアサ」と呼び、ハ
ワイでは因みに「ハウ」と
言う。マングローブの後縁
に群落を作るが、街路樹や
公園に植えられることもあ
る。海岸の防風林、防砂林
として利用される。 
                                     了
                             2014年8月1日 記
 
2014. 9.28 清水 宮古島列島5島を巡る3日間の旅
 
宮古島列島5島(宮古島・池間島・下地島・
伊良部島・来間島)を巡る3日間の旅 横浜市 清水 有道
 
1.積み重ねる日本の島嶼巡りの旅
 2014年に入って松も取れぬ新年早々石垣島を含む八重山群島5島を訪ねたのに引き
続き、4月12日(土)から2泊3日で首記の宮古島列島5島を訪ねた。数年前の対馬
・壱岐・五島列島に続いて我が国の島嶼を巡る旅も佳境に入り、密度の濃い旅に変貌
しつつあるのが分かる。訪ね歩くだけの通り一遍な旅では飽き足らず、固有の動植物
をこの目で見、有形文化財の建造物や自然現象、さらには無形文化財で代表されるそ
の土地の風俗・習慣・住民の生活や営みを記録に留め、姿を写し取っておきたいとい
う欲望にも似た多角的な試みを併せて実行しようとする凄まじさが我ながら少々度が
過ぎて来たのかなと思わないでもない。思い返せば、高いところに自分の足跡を残し、
辺鄙な半島の突端を極め、我が国固有の動植物を追い駆け巡る試みは果てしなく、終
わりなく続いている。なんと因果な身の振り方を志してしまったのだろうか。
 
2.宮古島列島観光の目玉は何だろうか?
 何処に向かう旅行であれ、見ること、食べること、飲むことなど何を優先し、どの
角度から実行に移すかで大きく変わるであろう。だから、宮古島列島とは言っても、
迂闊に即断はできない。折角訪ねるからには、それら訪ね先が例えば京浜地区から出
掛けた場合、何が目玉か、何が最も違うか、珍しく感じることは何だろうかで決まる
のではないだろうか。そこで、筆者は今回の宮古群島訪問に当たって、次の5つを取
り上げた。
 一つは、琉球列島の中心に位置する宮古島は隆起珊瑚礁の島である。宮古島には高
い山が全くなく、全島に川が一本もないのに水の心配をしないで済む珊瑚礁の島に特
異な水事情がある。川がなくとも、十分に降る雨水が珊瑚石灰岩を浸透して、濾過さ
れて海に出るため、海の美しさは沖縄の中でも特に優れている。
 二つ目は、隣接する3島の生活と農業を助けるための農道として結ばれた大架橋
(伊良部、池間と来間の3大橋)がもたらす地域住民の絆と農水産物の自給率の高さ
から来る生活のしやすさ。
 三つ目には、沖縄の発展阻害要因ともなっていた毒蛇ハブがいないことがもたらす
住民の安らかな生活。
 四番目には、日本の本土に比べて素晴らしくきれいな海や空の色と現地に固有の動
植物に会える喜び。
 そして最後の五つ目に、現地に伝統的に根付いている独特の文化・芸能・風習に接
することが出来る喜びとした。
 
3.今回の旅で一番感激したこと
 次に、今回の旅紀行を綴るに先立ち、筆者が今回の旅で一番感激したことに一言触
れておこう。それは宮古島の最東端に砂洲のように細長く突き出た崖の東平安名岬
(ひがしへんなみさき)でのことだった。そこが今回の旅行の最後の訪問地であった
が、その風景は本当に旅の打上の地に相応しいものだった。マリンブルーと群青を混
ぜたような深く澄んだ青海原に、左側の東シナ海から寄せる波と、右側の太平洋から
寄せる波が目の前でぶつかり、砕け散るさまが何とも圧巻であった。また、ほとんど
360度足を少しずつずらしながら眺めた地平線は、地球儀の縁を思わせるように円孤を
描いて見渡せた。このような感激の一瞬を味わったのは、世界中相当幅広く訪ね歩い
ていると自負している喜寿までのわが人生の中でも、正直本当に初めての経験であっ
た。
 
4.んみゃーち宮古島!!
 “んみゃーち”は“いらっしゃい”を意味する宮古の方言である。宮古の方言は沖
縄の中でも特別である。“ばかー”と言われれば“馬鹿”と言われているのではなく
“お若いですねー!”と褒められ、羨ましく思われているのだ。これは初めて島を訪
ねた人には絶対に理解するのに無理な言葉だ。宮古島で気付くことは、以前から基本
知識として知っていたことではあるが、島全体が珊瑚礁から出来た石灰岩に覆われた
最高地点がナカオ嶺の標高115mという高い山のない台地の島であり、川が一本もない
こと。面積は159.2平方キロで、大阪市の面積より少し大きいくらいであるというこ
と。にも拘らず水に困ることなく、しかも良質の水を享受できていることだ。石灰岩
の層とその下の粘土層の間に水の層が出来ていて、その地形を利用して地下2か所に
大きなダムを造ってその水を汲み上げ、上下水道用に使用しているのだそうである。
 一般の日本人の宮古島についての理解は以下の3項目に集約出来るだろう。
1)平坦な地形を利用して島の周囲のドライビングや今 宮古島列島5島の地図
宮古島列島5島の地図
や年中行事として定着した感のある全日本トライアスロ
ン大会の地。
2)宮古島の面積の3分の1に及ぶ浅瀬につながるビー
チや珊瑚が群生する漁場に恵まれていることを利用して
のダイビングほかのマリン・アクティヴィティの好適地。
3)年平均気温23度以上、年平均降水量2021m以上という
熱帯雨林気候を求めての第2の人生を迎える地として脚
光を浴びている地。
 
5.自分の足と目で訪ねたところ
 宮古島列島5島と言っても、他の4島は小さく、全てが橋で宮古島と繋がっており、
2005年10月の平成の大掛かりな市町村合併の結果5島すべてが新しい宮古島市になっ
た。2013年3月時点で市の総人口は51,938人となっている。
 そこで、上記2.の観光の目玉として筆者が選んだ5項目とこれら3項目を念頭に
入れて3日間の旅を楽しんだ。
 
<第1日目:到着後の夕刻2時間>
デイゴの並木
デイゴの並木
*宮古島市熱帯植物園・宮古島
 12万坪の敷地に1600種、4万本を超える熱帯樹林が生
い茂っている。初夏にかけて、真紅の花の咲くデイゴの
並木は見ごたえがあり、圧巻であった。
 園内には体験工芸村の工房が幾つもあり、時間があれ
ば体験してみるのも一興だと思った。
 
 
*来間大橋(1690m)・来間島 来間大橋
来間大橋
 来間大橋は、農道橋として建設された1995年2月時点
では日本一長い農道橋であった。
 
 
 
 
<第2日目:マル一日>
佐和田の浜
佐和田の浜
*佐和田の浜・伊良部島   
 遠浅の海浜に昔の大津波が置いて行った無数の巨岩が
転がるビーチは幻想的であった。
 
 
 
 
 
*下地島空港・下地島
 国内唯一のジェット機用パイロットの訓練飛行場であるが、利用料が高いことと海
外の施設を利用する希望が多く、現在はほとんど使われていないそうで、巨大な施設
が遊んでいるのは本当にもったいないことだと思った。
*通り池・伊良部島
 雨水による石灰岩の浸食から生まれた二つの池である。 通り池
通り池
 外側の池は直径75m、深さ45m、内側の池は直径55m、
深さ25mで、二つの池の間にはアーチ状の天然の橋が架
かっており、外側の池と海とは水深15mほどのところに
ある洞穴で繋がっている。 
 池の中にも多くの熱帯魚が棲息している。澄んで深い
青の池の水の色が強烈な印象で記憶に残った。
 この池は国の名勝と天然記念物に指定されている。
*渡口(とぐち)の浜・伊良部島
 細かい白砂と透き通った海の美しい800mあまり続くビーチが印象的だった。
巨岩のあるビーチ
巨岩のあるビーチ
*砂山ビーチ・宮古島
 パウダー状の白砂に敷き詰められたビーチは美しかっ
た。大きな自然石の吹き抜け洞窟もビーチの景色を盛り
立てていると思った。 
 
 
 
 
*宮古島海中公園・宮古島 無数の稚魚
無数の稚魚
 2011年4月にオープンした新しい施設である。海中に
入って、24個のアクリルパネルを通して、実際の自然の
海を遊泳する40種以上の熱帯魚や他の生物を眺められる
のは生きた観光スポットとして人気を博すことになるだ
ろう。
 
 
*伊良部大橋・伊良部島  
 2014年3月に開通予定のところが大幅に遅れ、どうにか年度内に完成に漕ぎ着けら
れるかどうかという状況である。本橋部分だけでも3540mあり、完成の暁には通行料の
いらないわが国最長の橋になるだろう。
*西平安名崎(にしへんなざき)・宮古島
風力発電用風車
風力発電用風車
池間大橋をバックに
池間大橋をバックに
 宮古島の北西端に位置す
る岬の地は自然風を利用し
ての風力発電用風車が立ち
並び、右手には池間大橋
(1992年開通、1425m)、
左手には伊良部島が一望出
来て雄大な景観だった。
 
*「雪塩」製塩所・宮古島
 宮古島最北東端にある本邦唯一のパウダー・サルト(商標名「雪塩」のメーカー、
(株)パラダイスプランを見学した。宮古島の琉球石灰岩を通過し、自然濾過された
地下海水を、海そのままをニガリ(マグネシウム)も含んだまま、特許製法によりパ
ウダー状に瞬間蒸発させて作った塩が「雪塩」である。
*ハート岩のあるイキズ・ビーチ・池間島 ハート岩
ハート岩
 海岸にせり出た岩に海水の浸食と風化によって自然に
出来た吹き抜け洞窟の穴の格好がハート形になっている
ことから、若い人向けの観光スポットになっているのだ
とか。
 
 
 
島尻マングローブ林
島尻マングローブ林
*島尻(しまじり)のマングローブ林・宮古島
 河口の淡水と海水の交わるところに生育する樹林を総
称してマングローブと呼ぶが、この島尻マングローブ林
は奥行き1kmの入り江に発達した、宮古島では最大規模
の群落形成の様を立派に木道で造られた遊歩道から観察
できる。
 
 
<第3日目:午前中のみ>
*東平安名崎(ひがしへんなざき)・宮古島 テッポウユリの群落
テッポウユリの群落
 紺碧の海に2kmにわたって突き出た美しい岬。日本百
景のひとつに数えられる代表的な観光地で、国の史跡名
勝・天然記念物に指定されている。自生しているテッポ
ウユリの花の時期に訪れたため、一面に咲き誇る花を手
前にして白亜の灯台が一段と美しく望めた。本文の最初
の方にこの旅の一番の見どころだったと記しているの
で、これ以上の蛇足は省きたい。
*宮古島海宝舘・宮古島
 故人の世界中で集めた貝約6,000種が見られる貝の資料館である。なお、ここの経
営者が地元の琉球泡盛のメーカーである菊之露酒造(株)が出している古酒“島の
匠”の販売元になっていて、売店で求められる。アルコール度は30%と余りきつくな
く、まろやかで美味しかった。
*農協の経営する“あたらす市場”・宮古島
 帰路の飛行機が宮古発12:00ちょうどのため、昼食を一緒にすることが出来ず、各
人が出来あいの弁当やサンドイッチを手に入れるために立ち寄った。農協に参加して
いる農家の主婦が手造りの作品で、果物や農水産品およびそれらの加工食品も安価で
たくさん並んでいたが、時間が無くて吟味する暇がなかった。
 
 訪ねたところは以上の16ヶ所である。正味2日に欠ける実働時間にしては、観光ス
ポットはほとんど訪ねられたと思っている。欲を言えば、地下ダムの見学や宮古島の
最高地点からの眺め、博物館の見学などもしたかった。
 
6.宮古島の珍しい植物
 今回の紀行を閉じるに当たり、宮古島の珍しい植物としてオオギバショウ、テイキ
ンザクラ、花いっぱいのデイゴ、オイランアザミ、テンニンギク(ガイラルディア)、
グンバイヒルガオとアダンを紹介して締め括りとしたい。
オオギバショウ
オオギバショウ
*オオギバショウ(タビビトノキ)、
{扇芭蕉(旅人木)} Ravenala madagascariensis
 ゴクラクチョウカ科(バショウ科)タビビトノキ(ラ
べナラ)属の高木状植物。マダガスカル原産の1属1種。
葉柄を切って滴る樹液で旅人が飢えた喉を潤おし、また
葉が東西に開帳するので方向が分かるために、この名が
あると言われる。
 
*テイキンザクラ(提琴桜) Jatropha gossypifolia var. elegans
 トウダイグサ科タイワンアブラギリ(ヤトロファ)属の高さ1〜2mの小低木。
原産地はキューバ。ピンクから紅色の桜に似た花を付けるためにこの名が付けられ
た。
*デイゴ(正しくはデイコ)(梯姑)  Erythrina variegate var. orientalis
 マメ科エリスリナ(デイコ)属の樹高15mにも達する落葉性高木。
 原産地はスリランカ、インド、マレー半島、奄美大島。
 沖縄県の県花。材木は琉球漆器に用いられる。
*オイランアザミ(花魁薊) Cirsium spinosum
 キク科アザミ属の多年草。鹿児島県南部から奄美大島・沖縄一帯に分布。本州に見
られるハマアザミに似ているが、茎や葉に短毛がなく、苞葉の刺の長さもはるかに短
いのが特徴。
テイキンザクラ
テイキンザクラ
デイゴ
デイゴ
オイランアザミ
オイランアザミ
*テンニンギク(ガイラルディア)(天人菊)  Gaillardia pulchella Foug.
 キク科テンニンギク属の多年草。北アメリカ原産で、かなり前から日本に帰化して
いる。英名では“Indianblanket”、“Sundance”、“Gillardia”、“Blanketflower”
と呼ばれている。
*グンバイヒルガオ(軍配昼顔) Ipomoea pes-caprae
 ヒルガオ科サツマイモ属の蔓状の多年草。
 英名は“Seaside morning glory”または “Beach morning glory”と呼ばれてい
る。鹿児島から沖縄の海浜の砂地に好んで繁茂する。葉の形が相撲の行司の持つ軍配
団扇に似ていることから命名された。沖縄の方言では、「アミフィーバナ」または
「ハマカンダ―」と呼ばれている。
*アダン(阿壇) Pandanus odoratissimus
 タコノキ科タコノキ属の高さ3〜5mの小低木。
 原産地は琉球列島、東南アジア。実は食用になる。赤く熟した実はなかなかきれい
である。筆者には沖縄出身の画家、田村一村が好んで描いた画題であったことが思い
出される。沖縄のガイドはパイナップルが畑にある様子を知らない内地からの旅人に
対して真顔で、アダンの実を「パイナップルだよ!!」とたぶらかす。
テンニンギク
テンニンギク
グンバイヒルガオ
グンバイヒルガオ
アダン
アダン
                                     了
                             2014年7月28日 記
 
2014. 8.17 清水 隠岐4島をゆっくり巡る
 
隠岐4島をゆっくり巡る 横浜市 清水 有道
 
1.隠岐の島とは
 筆者が旅行の主体を島巡りに移すようになるここ数年とは全く関係なく、隠岐を訪
ねることは長い間の宿願であった。何回もパックツアーの良いのを見付けて申し込み
はするものの、今までに一つも実らずに来てしまった。その理由は何故だか審らかに
しないが、募集が中止されたり、実施が難しくなって辞退させられたり、申込者であ
る筆者の都合ではなく、主催する旅行社の都合で実現できなかった。不思議なことも
あるものである。このような過去の経緯を背負って、今回は何としても無事実行して
もらいたいと大袈裟ながら一途の信念での取り組みだった。
 もう一つ、今回どうしてもという気持ちにさせられたことがある。それは、隠岐が
昨2013年9月9日に日本では32番目のジオパーク(日本語では「大地の公園」と訳し
ている)に認定され、地球のプレート活動や火山活動によって造られた土地とその上
に広がる生態系と人の営みである歴史や文化のつながりがユネスコから評価されての
決定であったからである。世界では未だ29ヶ国100地域しか認定を受けていない(2013
年9月末現在)ので、日本の32ヶ所は圧倒的な割合を占めていて、日本は、満たす条
件に恵まれた国であることが分かるからである。
隠岐世界ジオパーク説明パンフ
隠岐世界ジオパーク説明パンフ
 結果オーライだったが、予定外のことが起こった。
普通だったらあまり実施しないであろう総勢7名での団
体旅行となったのだ。一人参加が条件の今流行の割高旅
行だが、キャンセルにならずに実行されたのだ。流石に
今回は筆者もいささかびっくりするやら、嬉しいやら複
雑な気持ちだった。男性は3名で、女性が4名、最年長
は男性の昭和10年生まれで、筆者が2番目だった。
それに、添乗員が東京から往復べったり付き添ってくれ
るという贅沢さである。マイクロバスでもガラガラなのに、大型バスでは一人6人分
の席が自由になるのであった。島から島への移動にも2回もチャーター船が使われ、
滅多に経験できない豪勢な気分を味わうことのできる旅であった。
 今回の日程は2泊3日で、初日は昼近くに隠岐空港に着いて、島後(どうご)とい
う一番大きな丸い島を半日観光し、2日目は島前(どうぜん)という有人島3島(中
ノ島、西ノ島に知夫里島)を観光し、3日目は空港のある島後に戻って、半日島後の
観光を積み足して、午後隠岐空港から羽田に戻るというものだった。
 島後に着いた初日は、ちょうど隠岐の島、島後一周マラソン(正式名称は“隠岐の島
ウルトラマラソン”)の前日に当たり、宿はこのマラソンの関係者の予約でいっぱい
で、そのためか団体の旅行客の姿がほとんど見られなかった。その意味ではわれわれ
が総勢7名の団体というのが良かったかもしれない。どこを訪ねても誰にも遭わない
あまりにも静かな旅だった。マラソンの当日は島前の3島を観光しているので全く影
響を受けなかった。マラソンは島後の西郷(さいごう)港を午前5時に出て、島の周
囲100kmを一周して完走者は2時間から14時間を掛けて、夕刻7時前後にゴールす
るというかなりハードなレースで、途中からスタートする50kmのコースも併設され
ている。隠岐全島を挙げてのもてなし接待で、途中の拠点拠点には茶菓はおろか食事
や焼き肉まで用意されるという一大行事・アトラクションである。走者は本土からも
多数参加するようで、例の“公務員ランナー”川内氏も毎年参加で、今年も来てくれ
るそうである。
 スポーツと言えば、隠岐では何と言っても人気の筆頭は相撲の“隠岐の海”で、所
属する八角部屋では、隠岐の海が部屋頭となるため、毎年隠岐に巡業に来てくれるそ
うである。今年も10月に予定されているようである。 “隠岐の海(名は歩)”は地
元の隠岐の島町の出身で、島後に2校ある島根県立高校(普通高校と水産高校)の内、
隠岐水産高校から角界に入ったのだそうである。しかし、島民は隠岐の海が今一つ成
績が上がらないのをいささか歯がゆく思っているようであった。
 
 隠岐の島は有人の4島と無人の180余の島々から構成 島後の地図
島後の地図
されている。
 島後は1島から成り、島全体が隠岐の島町である。
人口は15,000人、面積242.95平方km。周囲約211km
(ただしマラソンのコースは100km)。
火山活動によってできた円形の島。最高峰は大満寺山(
だいまんじさん)608mを中心に500m級の山々が連なっ
ている。 沖合には竹島がある。
 
島前の地図
島前の地図
 島前は3島から構成され、全体がカルデラ地形をして
おり、外輪山としての山々が、現在島となっている。
中央火口丘が焼火(たけひ)山となっている。
 一番大きい島が西ノ島で全島西ノ島町である。人口は
約3,200人、面積55.96平方km。周囲約117km。
 次に大きいのが中ノ島で、島全体が海士(あま)町と
なっている。人口2,400人、面積33.4平方km。周囲約
89km。
 最も小さい島が知夫里(ちぶり)島で全島が知夫村となっている。人口は600人、
面積13.69km。周囲約27km。
 
2.隠岐が動植物では貴重な宝庫?
 隠岐の島が本土と繋がり、更に現在の中国本土と繋がっていたときに、大陸から移
動してきた動植物が、中国本土と日本海を隔てて分断され、更に日本の本土と切り離
されて、現在の隠岐の島には以来固有種が残されて育ち、今日に至っている。隠岐の
島には動物では鹿や熊、猪は住んでおらず、哺乳動物では一番大きいのが兎だと言わ
れている。勿論牛、馬は人間よりも多いくらい飼育されているが、これらは土着の在  話しがやや脱線した序に、野草と言えば訪ねた時に道端至る所にきれいに咲いているキバナコスモスに似た花が見られた。写真に撮って持ち帰り調べてみると、
来種ではない。当地から全国各地に売られて行く仔牛がそれぞれの生産地で飼育され
て、ゆくゆくは神戸、松阪、近江、米沢等々の地元の名物牛として看板を背負うこと
になるのだそうである。
 牛と馬が一緒に同じ牧場で生活しているのには意味があるのだそうである。馬はし
っかり前歯で草を噛み切って食べるので、恰も芝刈りをしたようになって、決して牧
草がなくなることはないが、牛は舌で巻いて根こそぎ抜き取ってしまうので、牛が食
べた後は土がむき出しになってしまうのだそうである。そこで馬と牛を組み合わせて
草と土地を有効に利用できることになるのだそうだ。牛と馬は不思議にちゃんと棲み
分けをしていた。
 話しがやや脱線した序に、野草と言えば訪ねた時に道端至る所にきれいに咲いてい
るキバナコスモスに似た花が見られた。写真に撮って持ち帰り調べてみると、何とこ
れが今世間を騒がせ、環境庁から日本の生態系に重大な影響を及ぼす恐れがある植物
として、外来生物法による「特殊外来生物」に指定されているオオキンケイギクと分
かった。その法律では栽培、移動、移動・運搬、野外に放つことが禁止されている。
 *オオキンケイギク オオキンケイギク
オオキンケイギク
特定外来生物の通知パンフ
特定外来生物の通知パンフ
(Coreopsis lanceolata)
 キク科(Compsitae)の多
年生草本で、北アメリカ原
産(ミシガン州からフロリ
ダ州、ニューメキシコ州に
分布)。繁殖力強く、ひと
たび定着するや特に一年生
草本を総なめにして絶やしてしまうので、危険種としてその徹底駆除が叫ばれている。
 筆者は昆虫特に鱗翅目(チョウやガ)と野草に興味があるので、いろいろ調べた結
果、蝶のタテハチョウ科のヒョウモンチョウの一種に固有種があることが分かった。
植物では、国内唯一の天然記念物である海藻クロキヅタ、オキシャクナゲ、オキタン
ポポ、オキノアザミ、オキノアブラギクのほか、トウテイラン、タケシマシシウド等
の固有種が実存していることを確認した。鳥ではカラスバト、動物ではオキノウサギ、
オキサンショウウオ、オキマイマイ、ソデイカなど、これからヤマネ、ウミボタル、
オキタンポポ
オキタンポポ
オキノアザミ
オキノアザミ
ヒトデなどに解明される対
象も出てくるものと考えら
れている。筆者も今回の短
い滞在中に、オキシャクナ
ゲ、オキタンポポ、オキノ
アザミとタケシマシシウド
の実在を自分の目で見、写
真にも納めることが出来た。
 
3.竹島は日本の領土
 いま脚光を浴びている竹島は戸籍上隠岐の島の島後の 竹島の広告塔
竹島の広告塔
隠岐の島町に帰属している。そのため、島後の表玄関の
西郷港の岸壁には幾つもの宣伝塔が建っていて、「竹島
かえれ島と海」、「竹島は今も昔も隠岐の島」、「竹島
の領土権の確立と漁業の安全操業の確保を」等の文句が
「竹島」の二字を赤字で抜いて書かれていて強いインパ
クトで目に飛び込んでくる。いずれも島根県の名の下に
行われていた。
 
4.後鳥羽上皇、後醍醐天皇、小野 篁(たかむら)の配流の影響?
 先入観念が強すぎての誤った判断かも知れないが、天皇や皇族の配流の影響ではな
かろうか、いまだに島民の話す言葉に極端な方言が感じられないばかりか、言葉や会
話に“京ことば”が聞こえるようである。今に至るも和歌が大いに流布しているよう
後鳥羽院御火葬塚
後鳥羽院御火葬塚
であるし、島の民衆の生活も非常に落ち着いているよう
に思える。いや、むしろゆとりさえ感じられる。海では
誰でもいつでも幾つでもサザエやアワビを獲っても誰も
咎める人はいないそうである。潮干狩りをしても、魚釣
りをしても自由だそうで、誰も咎める人はいないそうで
ある。こういう環境を気に入ってこのところ数年都会か
ら定年後移り住む人が少しずつ増えているそうである。
島に長く住んでいる人々の立ち居振る舞いがこせこせし
たところがなく、何となく雅に映るのは、筆者の思い入れや気のせいだろうか。隠岐
には、下記の貴族も流人としての生涯を送っている。
 *藤原田麻呂、藤原刷雄、藤原雄依、伴 健岑、藤原千晴、平 到頼、源 頼親、
  藤原経憲、板垣兼信、佐々木広綱および飛鳥井雅賢。
 
5.訪ねた観光スポット
 島後では、浄土ヶ浦海岸、岩倉の乳房(ちち)杉、白 牛突き
牛突き
島(しらしま)展望台、水若酢(みずわかす)神社と五
箇(ごか)創生舘、隠岐モーモードームでの牛突き実演、
中村かぶら杉、玉若酢命(たまわかすのみこと)神社と
境内にある八百(やお)杉。このように島後には岩倉の
乳房杉、中村のかぶら杉、玉若酢命神社の八百杉と樹齢
千数百年の国の天然記念物の巨大杉が3本もある。
 
 
乳房杉
乳房杉
かぶら杉
かぶら杉
八百杉
八百杉
 島前の西ノ島では、赤尾展望所、摩天崖(まてんがい、海抜259m)から国賀(くに
が)浜までの1時間強のハイキング、通天橋に観音岩。
摩天崖
摩天崖
通天橋
通天橋
観音岩
観音岩
 知夫里島では、赤ハゲ山と赤壁。
 中ノ島では、後鳥羽院御火葬塚、後鳥羽院行在所跡、後鳥羽院資料館、に隠岐神社。
 これらの観光スポットを訪ねることが出来た。梅雨の最中にしては誠に幸運なこと
だった。各スポットともガスが懸って見晴らしが今一つパッとしないとか、第1か、
第2のスポットと思われていたローソク岩への小型観光船による往復が、波が高くて
キャンセルとなったが、十分に悔いのない旅だった。            了
                            2014年6月29日 記
 
2013.12. 18 塩入 北海道グルメの旅(東京計器OB有志旅行会)  
 
北海道グルメの旅(東京計器OB有志旅行会) 座間市 塩入 義忠
 
 11月7日(木)羽田空港は小雨、集合時間の7時30分には全員集合。今回の参加
者は17名で初参加の井波さんご夫妻を含めて、7夫婦と単身男性3名。JAL737機
に乗り定刻8時05分羽田を “タンチョウ鶴”のお出迎え
“タンチョウ鶴”のお出迎え
“ふくろう”のお出迎え
“ふくろう”のお出迎え
離陸。一路北海道釧路航空
へ、揺れる事もなく定刻9
時40分釧路航空に着陸、空
港では早速“タンチョウ鶴”
と“ふくろう”のお出迎え
を受けました。
 空港を出ると、空は鉛色
の雲で覆われ、木々は葉を落とし風は冷たく雪こそ無いが冬は確実に足元にきてい
る(13°C)。辛うじて葉があるのはカラマツその葉も赤茶けている。前日の天気予
報では北海道は前線が通過のため風は吹き雨が降るとの予報、予報が外れて皆で喜ん
だ。いよいよバスでの移動。まずは地元のスーパー「フクハラ」等2店も寄り,(何
で北海道まで来てスーパーなの?それとも忘れ物の補充のため?)
「和商市場」のお店
「和商市場」のお店
好きなもの買った“海鮮丼”
好きなもの買った“海鮮丼”
 釧路駅近くの「和商市場」
へ食事に、これが面白い所。
まず、ご飯を買う(小盛
100円、中盛150円、大盛200
円)、それにサシミを指示 
して乗せてもらう、マグロ、
イカ、ホタテ、ウニ、イク
ラ等色々あり、その他の海
鮮物、カニ汁等の味噌汁もある。具は市場内の何処の店で好きなものを買っても良い
ことになっている。それなりに食べる席もある。此処は海鮮市場新鮮な色々な海産物
が有る、サケ、タラ、ホッケ、カニ、イクラ、コブ、シシャモ等々が、所ろ狭しと並
んでいる。
 早くも“お土産”の魚介類を宅配便で手配している姿もチラリホラリ見えました。
 バスの発車までに時間があるので釧路駅前に行って見たが、昔の思影は無く駅前の
ホテルと思われる建物が閉鎖されているせいか、寒々としている。
あれっ!3人行方不明!
あれっ!3人行方不明!
 バスは釧路湿原へ、釧路湿原は日本一の広さ(東京ド
ーム280ヶ分)を持ち野鳥や動物の楽園である。ラムサ
ール条約に初めて登録された国立公園で釧路川には、2
mものイトウもいるという。今は鉛色の雲の下で、枯れ
た草で一面が覆われ遠くまで見渡せない。
 バスは鶴居村、鶴見台へ。
 此処は鶴の給餌場、今は鶴が一羽遠くに、少し寂しい。
 冬の間、鶴は雪の下の餌は取れない。そのため餌を与
えている(トウモロコシ等)。
 私財を投げ打って給餌を40年も続けているオバン(渡部トメさん92歳、首から双眼
鏡をさげ、杖を持っている。テレビにも何回か出ている 逃げ遅れた鶴?
逃げ遅れた鶴?
有名人)に聞くと「冬場の鶴の餌がもっと欲しい。」と
のこと。また、「ここに来る心無い観光客が、手を叩い
たり、大声を出したりするので、鶴が他所へ逃げてしま
うので困ったものだ。」と嘆いていた。でもお元気です
ね! 
 タンチョウ鶴は国内最大の鳥で、高さ1.5m、羽を広げ
ると2mにもなる。元来、鶴は渡り鳥。鶴は江戸時代に
は白鳥とともに高級食材として珍重された。また、その後「鶴の肉を食べると長生き
ができる」と言う流言も広がり、鶴を捕獲しその肉を食べたことにより一時期、数が
減ってしまったため手厚い保護を行った結果、数は増えたが“渡り”を忘れてしまっ
た。その子供も“渡り”が出来ないとのこと。これも人間の傲慢の結果であろう。
現在、鶴は北海道の西側に集まって居るという。
摩周湖
摩周湖
「中島」も良く見えました!
「中島」も良く見えました!
 バスは摩周湖へ、道路の
両側に牧草地が広がり草は
すでに刈り取られ、丸くま
とめられビニールで包まれ
ている物があちこちに積ま
れている、此の地区は牛の
放牧が盛んなようだ。
 摩周湖に到着、時間は3時を少し過ぎなのに薄暗く夕方の様なムードで風は冷たい。
 摩周湖は摩周岳中腹にある陥没カルデラ湖で透明度は日本一とのこと。湖の中央に
はアイヌ語で「カムイシユ」と呼ばれる中島がはっきり見える。
 水の色は一日7回変わると言うが薄暗い中ではそれも分からない。アイヌの人達が
「神の池」呼んだだけに神秘性がある。                
 バスは今日の宿「川湯温泉」に、あたりはすっかり暗 大鵬の像
大鵬の像
くなり周りの景色も見えない。硫黄山も木々の間から蒸
気が少し見えるだけ、川湯温泉には、第48代横綱・大鵬
が子どもの頃、この地で過ごしていたこともあり、名横
綱を称えて「川湯相撲記念館(大鵬記念館)」がホテル
の直ぐ近くに建てられている。バスで前を通ったが、時
刻的に入館が無理だったのが残念であった。
 今夜の宿は「名湯の森ホテル、きたふくろう」。大谷
さん達はこの会で10数年前にここに来て泊まったと非常に懐かしがっていた。
 温泉に浸かり今日の疲れを洗い流し、宴会場へ。テーブル席で我々の人数には丁度
いい広さだ。料理は豪華で、ケガニ、タカアシガニ、シシャモ、ホタテ、サシミ等々、
カニ酒は少し焼いたカニをコップに入れそこに熱燗を注ぐ、香りも味も絶品。私は初
めての経験、実に美味い。カニを食べだすと皆無口でただ黙々と食べる。
今宵のお宿(1)
今宵のお宿(1)
今宵のお宿(2)
今宵のお宿(2)
主役の「カニ」に筆者ご満悦!
主役の「カニ」に筆者ご満悦!
 
主役は「カニ」?(1)
主役は「カニ」?(1)
主役は「カニ」?(2)
主役は「カニ」?(2)
主役は「カニ?」(3)
主役は「カニ?」(3)
 カラオケも準備して有ったが食事に多くの時間を取られ、全員が歌えなかったが井
波さんはさすがに上手だ。いつもなら全員でラインダンスが出るのだが今年はなし。
(歳のせいで、今は足が上がらないが本音!)
川湯温泉街(1)
川湯温泉街(1)
川湯温泉街(2)
川湯温泉街(2)
川湯温泉街(3)
川湯温泉街(3)
 
 2日目、川湯温泉9時40分発、バスは風連湖に向かう。出発してすぐに道路の両側
は広々とした牧草地帯で隣の家に行くのも何キロとか、 風連湖
風連湖
酪農が盛んで人の数より牛の数の方がはるかに多いとか。
 別海地方は不毛の地が開けており、牛は搾乳後10時頃
牧場に出る。牛1頭に100平米の牧草が必要で牛は寒さに
強いホルスタインです。
 「風連湖」は北海道第2の広さを持ちアイヌ語で「赤
い川」とか、汽水湖で野鳥も300種類も生息しハクチョウ
の湖として知られている。
 風連湖、道の駅で休息、風は冷たい、湖の遠くにハクチョウと思われる白い鳥が数
十羽ほど羽を休めている。
花咲ガニを前にニッコリ!
花咲ガニを前にニッコリ!
 バスは根室市内へ、市役所には「北方領土を返せ」と
大きな看板が掛けられている。昼食は「海陽亭」、大き
な花咲ガニ半身と寿司、言葉少なに黙々と食べる。花咲
ガニにはトゲ?が有り手で持つと痛い、でも美味しい。
写真のように、一同大満足!笑いが止まりません!
我々の食事中ににわか雨が有り道路もバスも濡れている。
この町も外には人影が少ない。
 バスは納沙布岬に。根室半島は右に太平洋の暖流、左 北方四島
北方四島
に根室海峡の寒流がぶつかる所、海に沿って点々と魚師
の家やヤンバ小屋がある。港には漁船が繋がれている。
風が強いので漁は休み?でもこれくらいの風は穏やかな
方なのかも知れない。
 幾つかの港を経て納沙布岬に。ここは日本最東の岬、
貝殻島が見える。岬から3.7kmの近距離である。風は暴
風なみで海には白波が立ち岸辺を覆っている。カメラを
構えても身体が風に押され焦点が定まらない。大きなゲートが有り北方四島を表現し
たブロックの架け橋で領土返還を願い表現されている。すぐ足元には、47都道府県か
ら寄せられた30p四方の石に県名が刻まれ埋め込まれている。
四島(しま)のかけはし
四島(しま)のかけはし
“本土最東端納沙布岬”の碑
“本土最東端納沙布岬”の碑
希望の鐘
希望の鐘
 
灯台
灯台
日本本土最東端到達証明書
日本本土最東端到達証明書
北方領土視察証明書
北方領土視察証明書
 岬の先端の[返せ北方領土納沙布岬]のポールの前での記念写真は長蛇の列。北方館
には領土問題の発生や歴史的経過の展示資料が有り、返還運動の原点の地とか。
 私達も館内の『署名活動』に“復帰”を願って署名する。
 望遠鏡等も設置されていて、北方の島々の建物も良く見える。近くに有る土産物屋
は商売繁盛、寒いので皆飛び込む、そこでのカニ汁とコブの煮つけの振舞は美味しか
った。
海鳥
海鳥
波たつ海
波たつ海
 バスは半島の東側を根室
から知床ウトロ温泉に。右
はオホーツク海、左手には
牛や馬の放牧場や魚の加工
場がある。小さな港には漁
船が繋留されている。羅臼
からウトロに向かう道路は
昨日で冬季通行止になり、
標津(しべつ)から244号線で根北峠を越えウトロに向かう。標津を出ると両側には広々
とした牧草地が広がり道路は何処までも真っ直ぐ、時間は4時、空は雪雲に覆われ外
気が冷えて来たのか窓のガラスは曇る。
 山の中は林で、アラレが降り出し外は真っ暗で道路の両側には雪が薄すら積もって
いる。街灯も無いので何処なのかも分からない。街灯が見えた所がウトロの漁港で、
今日の宿、ウトロ温泉「知床・プリンスホテル・風なみ季」に着く。
 私たちが泊まった部屋は、まあ〜まあ〜小奇麗に整備されていた。温泉も広くて良
い。ゆるりと温泉に浸かり 知床プリンスホテル風なみ季
知床プリンスホテル風なみ季
広々したお風呂
広々したお風呂
食事処へ。
 衝立で区切られた所での
夕食。バイキングだが、品
数の多さには驚かされた。
また、鍋料理も自分の好き
な食材を持ってきてテーブ
ルで調理できる仕組み。
 
夕食はバイキング(品数多し)
夕食はバイキング(品数多し)
鍋も出来ます!(取りすぎ?)
鍋も出来ます!(取りすぎ?)
露天風呂
露天風呂
 冬の北海道は美味しい物ばかりで幸せのひと時でした。
 
 3日目、今朝は良い天気だ。昨夜の雪で山の上は白い。北海道は9月、10月が秋、
11月は冬で半年雪とのお付き合い。バスは知床五湖の一湖へ。バスの駐車場から一湖
知床五湖の一湖(1)
知床五湖の一湖(1)
知床五湖の一湖(2)
知床五湖の一湖(2)
までは両側をクマ除けの電
線が二重に張られ守られて
いる。木道は1kmほど続く
が、その木道には昨夜のア
ラレが薄っすらと残ってい 
る。クマは今の時期は冬眠
に入るところであるとのこ
と。一面に笹で覆われた中
にシカが数匹餌を求めて出てきた。一湖の水は静かで湖に映る白い山々姿が美しい。
当会の写真屋さんお二人
当会の写真屋さんお二人
五胡からの眺め(1)
五胡からの眺め(1)
五胡からの眺め(2)
五胡からの眺め(2)
 
五胡からの眺め(3)
五胡からの眺め(3)
五胡からの眺め(4)
五胡からの眺め(4)
五胡からの眺め(5)
五胡からの眺め(5)
 バスはオシンコシンの滝へ。此の知床にも外来生物のアライグマが増えすぎて、特
定外来生物に指定され、あちこち罠を仕掛けて捕獲していると言う。シカも天敵の狼
がいないため数が増え、冬場には木の皮を餌とし食べ木を枯らしてしまうとのこと。
 バスはオシンコシン滝へ。此の知床にも外来生物のアライクマが増えすぎて、特定 オシンコシンの滝(1)
オシンコシンの滝(1)
オシンコシンの滝(2)
オシンコシンの滝(2)
オシンコシンの滝は途中か
ら二つに別れ何時見ても美
しい。その水は道路を隔て
て、オホーツクの海に、海
は今日も大きなウネリで岸
壁を白く覆っている。
 バスで少し走ると左手に
大きな柵がありその中に数匹のシカが居る。ここの捕獲柵で捕獲されたシカは食肉に
なるという。
何処で撮ったの(1)
何処で撮ったの(1)
何処で撮ったの(2)
何処で撮ったの(2)
 此のあたり穀倉地帯。
 バスは標津市内の食事処
に行くため、昨日通った根
北峠を越える。
 両側は昨夜の雪で白い。
標津はサケの町、北海道一
の漁獲量とか。
 
 食事処「しのだ」で昼食、  地元の食材(1)
地元の食材(1)
地元の食材(2)
地元の食材(2)
此処は大きな店ではない。
 我々は二階での食事、此
処でも海の幸が、大きなホ
タテの貝殻の上に大きな貝
柱、キモ等がコンロの柔ら
かい火でコトコト。イクラ
やシマエビ等、美味しい。
 バスは「標津サーモン科学館」へ。サケやイトウ、チョウザメの生態を展示してい
る。
標津:サーモン科学館
標津:サーモン科学館
チョットお遊び!
チョットお遊び!
館内の熊さんとパチリ!
館内の熊さんとパチリ!
 
 ドクターフイッシュ、手 ドクターフイッシュ
ドクターフイッシュ
“チョウザメ指パク体験”証明書
“チョウザメ指パク体験”証明書
や足を入れると角質を食べ
てくれる。また、チョウザ
メの水槽に手を入れると
『指を噛んでくれる』
“チョウザメ指パク体験証
明書”を発行してくれる。
 近くの標津川に観覧橋が
有り橋の上から大きなサケの遡上が観察できた。少しのサケの姿は見えたが時期的に
は最後の方で、最盛期の遡上の凄さが想定される。
 バスは根北峠を越え、博物館網走監獄へ。此処は監獄歴史館で網走監獄の歴史につ
いて知ることが出来る。明治の頃、此処の囚人は道路開拓のため本州各地の重犯罪受
網走監獄(1)
網走監獄(1)
網走監獄(2)
網走監獄(2)
網走監獄(3)
網走監獄(3)
 
刑者を収容したという。刑 網走監獄(3)
網走監獄(3)
網走監獄(5)
網走監獄(5)
務所は木造で「五つの放射
状」に配置されている。
 薄暗い所内に有る人形が
リアルだ。全員、無事“出
所”出来ましたが外は暗い。
 バスは女満別空港へ。バ
スに別れを告げ空港内へ中
は明るい。
グルメの旅も終わりに!
グルメの旅も終わりに!
 出発までは時間があるので、空港内食堂の一角を貸切
状態で、写真のように思い思いの食事を取り、のんびり
とした時間を過ごしましたが、写真をよく見ますと、テ
ーブルの上には、北海道とのお別れの印か“升酒”が!
20時25分離陸し羽田に向かった。
 ≪写真は、瀧川昇二・野村一信・小田 茂の
        ご三方にご協力いただきました。≫
 
 3日間の予想外の好天に感謝し、美味しい北海道グルメの旅よ、さようなら。
 
2013. 9. 11 金子 北欧とアイスランドの旅
 
北欧とアイスランドの旅
 
1.ここ数年家内の介護に追われ旅行の機会がなかったが、死別してから一年もすぎ、
齢もどんどん取っていくし、思い立った時に、北欧四ヵ国とついでにアイスランドを
訪れることにした。思えば70歳の時70日間世界一周を実行し今や齢も82歳になってい
る。一人旅になるので計画中も躊躇と懸念を持たざるを得なかった。
 計画の概要は、フィンランドのヘルシンキに入り、ストックホルムまでシリアライ
ンの客船で渡航し、オスロまでは列車の旅にする。オスロからは山岳鉄道を乗り継ぎ
バスやフェリーでフィヨルドを見物、ベルゲンに至る。ベルゲンからデンマークのコ
ペンハーゲンヘ、さらにアイスランドのレイキャビックに行く18日間の旅程になる。
北欧といっても言語は勿論、時差、通貨、EUの加盟・非加盟など各国に差異があ
り、フィンランドはユーロが使え、時差6時間、公用語はフィンランド語・スウェー
デン語・サーメ語であり,EU加盟国である。クローナ、クローネ、クロウナなど各
国通貨が異なるため移動の度、使い切るかもう一度両替しなければならない。小銭も
最後まで持っていないとトイレに入れない。しかし、どこへ行ってもクレジットカー
ドが使えスターバックスのコーヒーから地下鉄の切符までPINコードの入力で済ま
すことが出来る。また言語も各国の公用語の他、ホテルのスタッフはもとより店員で
も通行人でも英語を話す。しかし暫く英語も使っていなかったので聞き取るのに苦労
した。先方も下手な発音の英語にてこずったに違いない。
 
2.ヘルシンキ(フィンランド)
 2013年7月29日、スカンジナビヤ航空にて成田を出発、コペンハーゲンにて乗換、
その日の19時頃ヘルシンキに到着した。この地区の協定国の入出国はコペンハーゲン
で管理することになっており、あとの移動にはパスポートコントロールは必要になら
ない。 小雨の中、空港からはシティバスを使い中央駅のすぐ近くのホテルに落ち着
いた。
 翌日、海の要塞として世界遺産に登録されているスオメンリンナ島に行くためタク
シーでフェリーの乗り場迄行ったら、切符売り場は閉まっていて自動券売機のみで、
シリアライン
シリアライン
どうやったら良いのか分からない。地下鉄や列車など日
本と同じく機械を操作しなければならずスタッフも見当
たらず、通行人に買ってもらうしかなかった。
 フィンランドは中世以降スウェーデン、ノルウェー、
ロシアなどから何度も侵略や支配を受け、ロシア革命の
とき(1917年)にようやく独立を勝ち取ったがそれ以後
もロシアやドイツから攻撃されるなど苦難の歴史を経験を
している。スオメンリンナ要塞は首都を防衛するため砲
台や擁壁を築いたものであるが、所々に据え付けられた スオメンリンナ島
スオメンリンナ島
大砲もテレビドラマの「八重の桜」に出てくるものと同
じようで迫力を感じない。沖縄の防衛線は地下に掘られ
ていたが、ここはトーチカのように地上に作られている。
丁度正午に日本の自衛隊の練習船「かしま」が入港する
とのことであったがそれまで待つわけにいかずフェリー
で港に戻った。
 中央駅から港まで真ん中に公園を挟んで両側に商店が
立ち並ぶエスプラナーディ通りを歩き、大聖堂や美術館などを見たり、映画「かもめ
食堂」のシーンに出てくるカフェ・アアルトで一休みしたりした。シベリウス公園は
離れたところにあり路面電車やバスは路線図を見てもよく分からずタクシーを利用
したが、流しのタクシーというものがなく、乗り場にもほとんど見かけることはなか
った。
 
3.ストックホルム(スウェーデン)
ヘルシンキを17時出港のシリヤラインのフェリーでバルト海をクルーズし、翌朝9
時30分にストックホルムに到着した。フェリーといっても6万トン近く、乗客2,800人、
中央に11階まで吹き抜けのスペースもある豪華客船の容姿に驚いた。日本人を含め世
界各国の人々が思い思いに買い物や食事やゲームを楽しんでおり、小さな子供を同伴
している家族を多く見かけた。自分の若い時には考えられなかったことである。夕食
の時、一人旅同士で相席した60代の婦人はフィンランドの湖水地方に別荘を所有し3
週間くらいを過ごし、ストックホルムに帰るところだと話していた。
 スウェーデンではタクシーは自由料金で窓に貼り出してある料金を確認するよう船
内にも注意書きがしてあったので、着岸してから料金を見てタクシーに乗りホテルに
向かった。途中工事があって渋滞しその間どんどんメーターが上がっていく。結局バ
スで600円位のところ、6,000円くらいかかってしまった。
市庁舎・黄金の間
市庁舎・黄金の間
 最初にノーベル賞の授賞式が行われる市庁舎を訪れた。
ガイドツアーでの見学になり英語のグループに参加した
が流暢な英語で殆ど理解することが出来なかった。ガイ
ドブックが頼りで、毎年12月10日に開かれる祝賀パーテ
ィーの舞踏会が行われる金箔を張りつめた黄金の間や晩
さん会が行われる大広間などを見て回った。塔にものぼ
ったが螺旋の階段を上るのにやはり年齢を感ぜざるを得
なかったが、頂上からの市内の一望は素晴らしいもので
あった。
 旧市街はガムラ・スタンといい、中世の香りを感じながら石畳みの道を歩くが、こ
れが歩きにくくて疲れた足が余計に痛みを増す始末。ここには王宮や大聖堂もあり、
1520年侵攻してきたデンマーク王に抵抗した貴族など90人余りが処刑されたといわれ
る大広場も今は市民の憩いの場所になっている。雨も降ってきたし、まったく疲れて
しまったので地下鉄に一駅乗ってホテルに帰った。地下鉄は美術館のようだと聞いて
いたが電車の方向を確認するのが忙しくそれどころではなかった。
 家にいても食べるものに苦労するが外国に行くと余計苦労する。ホテルのレストラ
ンで一人カウンターに座りスープとパンを食べていたら,「エブリシング OK?」
とウエイトレスに笑いながら背中を叩かれた。夫婦づれやグループがにぎやかに談笑
する中、ふと亡妻のことを思い出した老人の背中に孤独感を見たのだろう。
 
4.オスロ(ノルウェー)
 8:29発14:24着の列車でオスロに行った。車窓の景色はノルウェーの森が続くとみ
ると原っぱが広がり、6時間の旅は来し方行く末をぼーと考えながら過ぎていった。
ボーイスカウトの一団の先生が隣の席に座り途中の駅で降りて行った。列車にはキッ
ズ・ルームがあり遊技道具が置いてあって何人かの子供たちが遊んでいた。食堂車に
行ってみたがスナックを売るところとそれを食べる場所があるだけで、昼食はそこで
済ませた。
 小雨の降る中ホテルにチェクインを済ませ観光案内所を探しに中央駅の前からメイ
ン通りのカール・ヨハン通りを進んだ。広い道路を挟んで商店やレストランが立ち並
ぶ風景はどこの町も同じようである。繁華街のはずれに市庁舎があった。中に入ると
広々とした吹き抜けの空間があり、ヨーロッパ最大といわれる油絵やその他第2次世
界大戦中のドイツ軍占領下の苦しみを描いた壁画などに周りを囲まれている。ノーベ
ル平和賞の授与式は毎年12月10日にここで行われる。ダイナマイトを発明し巨万の富
を築いたノーベルはスウェーデン人であるが彼が死んだ当時(1896年)ノルウェーと
スウェーデンとは同君連合を結んでおり、そのため平和賞のみノルウェーで行われる
ことになっているそうだ。王宮の前には当時(1814〜1905年)支配者であったスウェ
ーデン王カール・ヨハンの騎馬像が現在も立っている。
 地下鉄に乗り郊外のムンク美術館に行った。広い公園 ムンク美術館
ムンク美術館
の中の現代的な建物である。ムンクがオスロ市に寄贈し
た膨大な作品が収められているが、その一部が展示され
ている。国立美術館にも代表作「叫び」の他ムンクの作
品が多く展示されていて、粗いタッチの中に情感を現し
ている作品を堪能する事が出来た。後日、団体ツアーの
参加者に会った時、折角オスロまで来ていてムンク美術
館には行かなかったと嘆いていた。
 
5.フイヨルドとベルゲン
 オスロのホテルからベルゲンのホテルへ当日の朝大きな荷物の配送を依頼し、リッ
クサック一つの軽装でフイヨルドの観光に出発した。ベルゲン鉄道は山岳地帯を走る
観光列車なので座席は満員で、ミュールダールで有名なフロム鉄道に乗り換え、急峻
な山岳地帯を乗船場所まで下っていく。途中壮大な滝の前で写真撮影のため10分ほど
フイヨルドの滝
フイヨルドの滝
停車する。切り立った岩山の随所に大小の滝を見ながら
一時間あまりでフェリー乗り場のあるフロムに到着した。
そこから観光フェリーに乗り込んだが、小降りながら雨
が降っていて甲板には居られず、キャビンの中は団体客
を含めすし詰めの状態で、運良く席に座れたが立ったま
ま2時間近くを過ごす人も多かった。周りの峡谷の景色
も、雨に煙ってしまい、聞いていたほど峻厳な感じもし
なかった。カモメが飛んできて乗客が菓子を投げ与えた
りしていた。各国の観光客が同船しているわけであるが、隣の若者は韓国から来た一
人旅の学生であった。顔も似ているしいろいろ話をしたが何か気まずい空気を感んじ
てしまうのであった。ソグネフイヨルドの旅を終え、バスと列車でベルゲンについ
た。
翌日、ハダンゲルフイヨルドの観光に向かった。ベルゲン鉄道の途中駅まで戻りバ
スでフェリーの乗り場に行きそこから船に乗ってフィヨルド沿いの小さな町に寄港し
ながら6時間余りのクルーズであった。その日も小雨で、周りの山肌もかすんで見え、
また崖も険しくなく、大きな湖を回遊しているようだった。このルートは日本人に人
気があるらしく、何人かのグループと出会って,久しぶりに日本語の会話を楽しんだ。
その中にひとり旅の30歳くらいの若い女性がいて、大きなリックサックを背負い、も
う20日あまりヨーロッパを旅行しているとの事であった。寄港した一つの町からバス
の観光があり、山頂から深いフィヨルドとそこに流れ込 ブリッゲン地区
ブリッゲン地区
む壮大な幾つかの滝を一望する。その雄大な景色に圧倒
された。車内に流れる「ソルヴェイクの歌」を聞きなが
ら、切り立った岩肌が連なり、いくつもの滝が流れ落ち
る光景を眺めていると、まさに恍惚とした感があった、
そして19時頃ベルゲン戻った。
 翌日はベルゲン観光にあてた。この街はハンザ同盟の
中心地として古くから栄え、木造家屋が並ぶブリッゲン
地区と呼ばれる世界文化遺産がある。そのほか、魚市場で鮭の鉄板焼きを試食したり、
フロイエン山から市街を一望したり、四つ並んでいる美術館を見たりしたが、グリー
クの博物館は離れており行けなかったのが心残りになった。
 
6.コペンハーゲン(デンマーク)
 コペンハーゲンは以前家内とオーロラを見に行ったついでに寄ったことがあったが、
10数年も前のことであり、ツァーの一員であったので、見当がつかない。取りあえず
ショッピングストリートで中心街であるストロイエを歩き始めた。途中、天体観測用
に建てられたレンガ造りのラウンドタワーの前に出た。その瞬間、「そうだ、この塔
に一緒に上ったのだ」と過去の記憶がよみがえってきた。忘却の旅が想い出の旅にな
ってしまった。あとは地図を頼りに、運河に沿ってカラフルな木造家屋が立ち並ぶニ
ューハウン地区、どれも立派な王宮のような建物が立ち並び、どれが証券取引所か、
どれが王立図書館か、わからないクリスチャンスボー城の近くなどを時々雨の降る中、
足を棒のようにして歩き回った。兎に角、道幅が広く、建物が巨大で、公園のような
緑地が広く広がり、乗り物を活用しなければとても回りきれるものではない。
クロンボー城
クロンボー城
 次の日は、郊外のヘルシンオアにあるハムレットの舞
台になったクロンボー城を見るため古城めぐりの観光バ
スを利用した。ここはバルト海の海峡でスウェーデンと
の間はわずか5kmにすぎない。そのため城を築き通行税
をとることにした。「ハムレット」は往復の飛行機の中
で初めて読んだが、現場の情景と舞台との関連は、ガイ
ドの早口の英語のせいもあり、まったく理解することが
出来なかった。ヘルシンオアの駅前には、ハムレットと
オフィーリアの銅像が立っていた。
 市内に戻ってまだ時間があったので、中央駅のすぐ前にあるディズニーランドの参
考になったといわれるチボリ公園に入ってみた。18時頃だったと思うが、いくつかあ
る入口も皆行列ができ、中に入るとジェトコースターや観覧車などの他レストランや
スナックがあり、週末でもないのに子供連れでどこも満員の盛況であった。ヨーロッ
パを旅行する度に思うが、オープンカフェなどでゆっくりと時間の流れに身を任せて
いるのを見るが、いったい何を業としているのだろうか。
 
7.アイスランド
 アイスランドはコペンハーゲンから3時間余りとのことで、どうせここまで来たの
ならもうチャンスはあるまいと訪問することにした。さすがに最果ての地という感じ
でレイキャビックの空港から市内まで50kmほど離れているがその間道路の両側はごつ
ごつした岩が転がっている平地が広がり家屋や工場などの姿がない。まったく広漠と
した感じである。未開発の荒れ地といった感じで首都レイキャビックの町も新市街に
新しいビルが立ち並び始めているが旧市街を中心とする地区は木造の建物が並び、開
拓時代のアメリカの西部に来たような感じがした。この国もヴァイキングによって発
見され、その後ノルウェーやデンマークの支配を受け独立したのは1944年の事に過ぎ
ない。
 この国には文化的な遺産を求めるのは無理で、生の自然の息ぶきを感じる所であ
る。ごろごろした岩の荒れ地の所々にある見どころを回るのに、バス・ツアーがい
くつかある。車を使わない観光客はこれを利用するようになる。もちろん公用語はア
イスランド語であるが、ガイドは流暢な英語やフランス語やスペイン語で説明してい
た。火の国といわれるほど地熱が豊富で所々でもうもうと煙が立ち上がっている風景
を見た。また地熱を利用したトマト栽培所を見たが5メートルくらいも伸びた茎に実
がたくさん実っていた。その他、地熱発電所や地熱暖房用の配管などクリーンなエネ
ルギーの利用が行われている。
 このバス・ツアーで、南海岸地方を中心に、轟轟と飛沫をあげて2.5kmの峡谷に流れ
込む迫力十分な滝や温泉が地熱で高温になり上部の熱湯が突然吹き上げる間欠泉(以
前は60メートルも吹き上げていたそうであるが今は数分間隔で30メートルほど吹き上
げるものに変わっている)、さらに北米大陸とユーラシア大陸の構造プレートに跨る
ギャウと呼ばれる地球の割れ目があり、その底部を散策したりした。すぐそばの際立
った崖がアメリカの方だと言われてもピンとこなかった。切り立った崖が林立してい
るので当然いくつもの滝が流れているがその中でも落差62メートルの滝や滝の後ろを
歩いて通れるところが印象に残った。先端部まで行ける広大な氷河の迫力、その氷原
をアイゼンをつけて登っていく一団もいた。
 アイスランドの自然は、例えば、ノルウェーのフィヨルドなどと比べると、もっと
ワイルドで自然そのままの荒々しさを持っており、人を近づけない厳しさがあった。
 最後の日、世界一の露天風呂といわれるブルーラグーンに行った。温泉といっても
地熱発電用に地下からくみ上げた熱湯を利用後、プールにひいたものであり、火山活
動の地熱地帯に人工的に作られたものである、世界各国から温泉効果を期待して多く
の人が訪れるようになってきた。広さは5,000平方メートルほどのうち半分程度が利用
できる。深さは1.4メートル、温度は37.39度に管理されているので、泳ぐには浅すぎ
るし人にぶつかるし、腰を落とせば潜ってしまうし、どうも日本の温泉のように頭に
手ぬぐいを乗せ上がりふちに頭を乗せてゆっくりするなど思いもよらない。もちろん
水着着用であるが一時間ほどで引き揚げた。
滝を前に
滝を前に
間欠泉
間欠泉
ブルーラグン
ブルーラグン
 飛行機の乗り継ぎの関係で、朝4時に起き、4時30分のピックアップ・サービスで
空港に向かった。
 
8.コぺンハーゲンで2時間も遅れたので、成田には11時頃到着、箱崎からタクシー
に乗ったらちょうど8月15日のお昼であったので右翼の街宣車のため、靖国通りは通
行止め他も渋滞でやっと帰宅することが出来た。
 過去の歴史を乗り越えコミュニティとして協調と繁栄を目指す北欧諸国の実情と比
較して大きな落差を感じ唖然とした。そこには歴史的事実を歴史認識というレトリッ
クにすり替えるようなことは存在しない。
 18日間とゆっくり時間をとったつもりであったが、何しろ訪問する国が多くどうし
ても移動に神経と時間を費やすので、つぎからつぎへと忙しい旅であった、旅行中は
もうこれで最後だと思いながら、この旅行記を書いたら、今度はどこにしようか、と
ふと思ったりするのである。
                                    以上
                                 2013年8月