話 題 『 旅 行 記 』−2 2008年8月〜2009年1月
 
          話  題  一  覧
2009. 1.11 クロアチアとスロベニアの旅         投稿;稲垣 貢
2009. 1. 5  南部アフリカ10日間の旅(10/最終回)   投稿;三橋春夫
2008.12.21  南部アフリカ10日間の旅(9)       投稿;三橋春夫
2008.12. 5  南部アフリカ10日間の旅(8)       投稿;三橋春夫
2008.11.20  南部アフリカ10日間の旅(7)       投稿;三橋春夫
2008.11. 5  南部アフリカ10日間の旅(6)       投稿;三橋春夫
2008.10.20  南部アフリカ10日間の旅(5)       投稿;三橋春夫
2008.10. 5  南部アフリカ10日間の旅(4)       投稿;三橋春夫
2008. 9.20  南部アフリカ10日間の旅(3)       投稿;三橋春夫
2008. 9. 5  南部アフリカ10日間の旅(2)       投稿;三橋春夫
2008. 8.23  南部アフリカ10日間の旅(1)       投稿;三橋春夫
2008. 8.12  オーストラリア旅行記           投稿;田村 實
 
          話  題  『 旅 行 記 』
2009. 1.11 稲垣  クロアチアとスロベニアの旅
 
 クロアチアとスロベニアの旅 鎌倉市  稲垣 貢
 
 「神は不公平だ!対岸のクロアチアにばかり美しい景色を作った」と、イタリア人
を嫉妬させたと言われるほど美しい街や自然が点在するクロアチアという国。その小
さな国へ今回は出かけた。
クロアチアの素晴らしい景色の中にいる私。
クロアチアの素晴らしい景色の中にいる私。
 クロアチアとスロベニアはイタリアの東側に位置し、
緯度も同じぐらいのところにある。西側のイタリアとの
間には美しいアドリア海が横たわり、クロアチアは「ア
ドリア海の真珠」といわれている。更に「絵のようなク
ロアチア、クロアチアのような絵」とも讃えれれている。
 緑に囲まれた街にはゴシック、バロック様式の建物が
多く、中世の面影を肌で感じる思いだ。主に首都ザグレ
ブは、流石に立派な建物が多く、大聖堂、教会、博物館
など素晴らしい、建造物が クロアチアの建造物
クロアチアの建造物
クロアチアで見たアドリア海に沈む夕日
クロアチアで見たアドリア海に沈む夕日
多いのには感心した。
 だが、この国でもっとも
有名な街は南端にあるドブ
ロヴニクで、これこそアド
リア海の真珠といわれる所
以、観光のハイライトであ
る。
旧市街の城壁からの眺め
旧市街の城壁からの眺め
 オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市街は高く重厚
な城壁に囲まれおり、どこから見ても絵になる光景だ。
誠に中世が息づく美しい城壁都市だある。
 街を取り囲む城壁の遊歩道へ登り、ぐるりと回ると、
陽光を受けて輝く街並みと、真っ白な家の壁をはるかに
眺めながらの空中遊泳のような散歩は夢のようだった。
 
 
 スロベニア共和国のポス スロベニア・世界遺産のポストナイ鍾乳洞
スロベニア・世界遺産のポストナイ鍾乳洞
スロベニア・世界遺産92の滝の一部
スロベニア・世界遺産92の滝の一部
トイナ鍾乳洞は、全長27キ
ロメートルでヨーロッパ最
大規模地の地底世界、複雑
な形の鍾乳石の間をトロッ
コ電車に乗って奥へ進む。
 鍾乳石は1ミリ伸びるの
に30年かかると言われて、
気の遠くなるほどの時が作り出される、自然の神秘に圧倒された。
 更に世界遺産の大小16の湖と92の瀧を遊覧船から眺めて、皆が驚きの声を上げるな
どなど、驚きの連続だった。
 私にとって、従来の海外旅行とは全く違った、自然の美しさに、驚異の連続の8日
間でした。
 
2009. 1. 5 三橋  南部アフリカ10日間の旅(10/最終回)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
 悠久の南部アフリカ10日間の旅(10/最終回) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
 10月15日(月)、第8日目、9時、3日間ガイドをしてくれたスゼットさんと安全
運転に心掛けてくれたドライバーのMr.チャールズと別れ、SA322便でヨハネスブ
ルグへ移動。ここでジャカランダ色(薄紫)のスーツとスカート姿の笑顔が美しく、
英国のサッチャー元首相を少し細くしたようなMs.ビッキーが出迎えてくれた。
 ここから南アフリカの首都プレトリア市内まで専用バスで移動した。14名と添乗員
ビッキーさんを乗せた大型バスは、広々として快適であった。
 南アフリカの首都をヨハネスブルグと勘違いしている人が多く、ここプレトリアが
首都(人口147万人)、ケープ・タウンが立法府(人口290万人)、ブルームフォンテ
ンが司法府(人口35万人)の三権分立の国である。
 南アフリカ最大の経済都市で国際空港のあるヨハネスブルグは人口490万人と多いの
で首都と勘違いしているようだ。ちなみに、11の言語、公用語は英語、アフリカーン
ス、各民族語であるが、英語はどこでも通用する。
 空港から主要道路の左右には延々と続くアフリカ先住民族のスラム街が、この国の
社会を象徴しているようだ。南アフリカ政府は、2010年のサッカー・ワールド・カッ
プの開催地のため、これらスラム街の住人を収容するアパートの建設を始めているが、
何キロにもおよぶスラム街を見ると、すべて収容し、外国からやってくる観戦客や観
光客を迎えられる美しい景観の街に生まれ変えられるのか、他国の事ながら、いささ
か心配である。
 南アフリカの民族構成は、コーサ、ズール、ソト、ツワナなどのアフリカ先住民族
が75.2%、ヨーロッパ系(アフリカーナー、イギリス系他)13.6%、カラード8.6%、
インド系2.6%といわれるが、ヨーロッパ系の富裕層の家は、豪邸で24時間体制のセキ
ュリティ・システム「ADT」などを導入し、家の塀には、鉄条網の他、電気を流す
防犯装置、そして大型犬が何匹も放し飼いされている一方、失業率が極めて高いため、
いたるところで家を売却する「For Sale」の張り紙、看板が目につく。白人層の中に
は、他国へ移住する人が増加しており減少傾向とも聞いた。
 昼食時、プレトリアの途中にある「TONG LOK」レストランにて、久しぶりの
中華ランチを楽しんだ。本格的な中華料理で量、味ともに素晴らしかった。
 16時少し前、17世紀にケープ・タウンにやって来た開 モニュメントからプレトリア市内を一望
モニュメントからプレトリア市内を一望
拓者(オランダ人でアフリカーナや、ボーア人とも呼ば
れる)の栄誉をたたえるために小高い丘の上に建設され
た博物館、フォート・トレッカー・モニュメントを見物。
そこからはプレトリア市内が一望できた。
 16時40分、プレトリア市内に到着。気温は26度である
が爽快である。ジャカランダの花がちょうど満開で美し
く咲く街の中心部で写真ストップ。見渡すと街の街路樹
はすべてジャカランダである。
シェラトン
シェラトン ホテル前のジャカランダ並木
 毎年滞在するマウイ島で、ゴルフ場の中に数本咲いて
いるのを見ているが、街路樹として植えられているジャ
カランダがこんな綺麗な花とは想像もしていなかった。
 ジャカランダは薄紫色の提灯形の花が、平均高さ10m
(最高20mくらい)の木々に咲き誇っていた。花・葉と
も全く異なるが、季節の花、南アフリカを代表する花と
して、日本の桜のようだ。ただ、植物学的には、桜と全
く異質で、種が格納されている貝形の種袋の存在や、地
面から1.5〜2mで、ほとんど木の幹が二つに分かれて、どの木を見てもバランスよく
成長している。
 その後、南アフリカ共和国の前身の一つ、トランス 満開のジャカランダの花
満開のジャカランダの花
バール共和国大統領ポール・クーガー氏が住んでいたと
いう質素な一階建ての家などをバス車内から説明を受け
て見物しながら、行政庁ユニオン・ビルを見物し、宿泊
先の5つ星ホテル、シェラトン ホテルへ到着。
 ホテルの部屋は、行政庁ユニオン・ビル、しかも当時
マンデラ大統領が就任時、演説したタワーの真正面。部
屋とユニオン・ビルの間は、芝生と歌壇の美しい公園で
ある。そして、ホテル前の街路樹もまた、ジャカランダの花が満開であった。
ホテル前の道路で思わず万歳の家内
ホテル前の道路で思わず万歳の家内
珍しい白いジャカランダ(先方の木)
珍しい白いジャカランダ(先方の木)
 翌日、午前中、ヨハネス
ブルグ空港へ行くまでの時
間を、各国大使、大統領、
副大統領などの私邸がある
ガバメント アベニューと呼
ばれる市内の高級住宅街を
見物した。ここだけは歩道
の片側2列にジャカランダ
が植えられており、満開で咲き誇るジャカランダの花を存分に満喫した。また、プレ
トリアの中でここだけにしかない白いジャカランダを参加者一同しばらく興味深く眺
めていた。
 すべての日程をこなした我々は、SA286便で、またもや強烈な香水スプレーの歓迎
後、また、客室乗務員の不機嫌そうな顔と機内サービスの悪さに何時間も付き合いな
がら帰途についた。
  二度あることは三度ある!
 成田空港へ着陸したとき、家内が「キャあ!地震〜!」と大声で叫んで、私の首に
しがみついてきた。寝ぼけて、ランディングのショックを地震と勘違いしたようだ。
しばらくして、回りの人の冷ややかな視線を感じた。家内は、しがみつきながら「何
でウインドブレーカーなんかを着て寝ているのだろう」と不思議に思ったそうだ。寝
ぼけるほど機内で寝られる人は何と幸せなのだろうと思った。
 機内でのお騒がせは以前にもあった。たまたま、帰国休暇と思われる若い米兵7〜
8名と隣合わせとなったが、一番近くの者が余りにも凄い咳をしていたので、家内は
客室乗務員と交渉して席を替えてもらった。
 それでも気になるようで、濃いウイスキーのオンザロックをもらってきて飲んで就
眠したが、夜中、トイレに行くため私の横を通過したところで転倒してしまい大騒ぎ
となってしまった。我々夫婦は空港に着くまで周りの乗客の冷たい視線を感じたもの
である。
 こんなこともあった。会社OB会会員ご夫妻らと中国桂林地方へ旅行したとき、帰
国する日の朝、ホテルロビーで精算を終えた家内がパスポート等を入れた赤いバック
がないと大騒ぎした。部屋に戻ったり、カウンターへ確認している中で、友人の一人
が、「もう一度自分の荷物を調べたら・・」の一言で、荷物を調べたらちゃんとある
でなないか。赤いバックと自分は思っていたが、実はピンクのバックであった。先入
観というのは恐ろしいものである。
 泣きべそをかいた家内は、一同に平謝りして一件落着であったが、こんなことを繰
り返しても、相変わらず、「他人(私)には厳しく、自分には優しく、地球は自分の
ために回っている・・」をモットーに生活をしている。こんなアクシデントは、いい
加減ご免を被りたいものである。でも、二人の旅はこれからも続くようだ。
 長い間、私の駄文を読んでいただきありがとうございます。いろいろな所に旅行を
した中で今回のツアーは私のお薦めの一つです。
 2010年開催のサッカー・ワールド・カップ南アフリカ大会に向けて、当地はカウン
ト・ダウン中ですが、今回の旅行の3つ目のキーワード、今なお随所に残るアパルト
ヘイトの傷跡に苦しむ「人々」が、肌の色に関係なく、すばらしい社会に発展してい
くことを願っています。そのときは、この目でもう一度見てみたいと思います。人生
の1ページを飾るために、皆様も、ぜひ体験されることをお薦めいたします。
 
2008.12.21 三橋  南部アフリカ10日間の旅(9)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(9) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
 <その9>   南アフリカ・ワインを味わう!
カーステレンボッシュ植物園の園内
カーステレンボッシュ植物園の園内
 10月14日(日)、第7日目、9時、昨日急遽テーブル
・マウンテン観光のスケジュールを変更したので、今日
は近場の観光である。
 はじめに、テーブル・マウンテンの麓に広がる敷地面
積560ヘクタールにおよぶ世界でも有数のカーステンボッ
シュ植物園の見物に出かけた。22,000種類ある南アフリ
カの植物の内、9,000種類、その本数20万本が、ここで栽
培、研究されているという。
 すべての草花、樹木に学名、通称名、産地などが記されており、国の木に指定され
ている「黄色の木」や国花「キング・プロテア」などを鑑賞した。
 我々夫婦は、20数年前から毎年ハワイ・マウイ島に滞 国花「キング・プロテア」の花
国花「キング・プロテア」の花
在しているが、ハレアカラ火山の麓、プカラニ地区には
プロテアの栽培が盛んである。宿泊先のコンドミニアム
の部屋には、メイドさんがいつも新しいプロテアの花を
飾ってくれる。今まで、プロテアはハワイの花と思って
いたが、マウイ島でも人気の花、プロテアのルーツが分
かったのも今回の収穫の一つである。
 昼過ぎ、ケープ地方に13あるといわれるワイン産地の
一つ、ステレンボッシュのワイナリー(Zevenwacht)を見学した。イヤホーン・ガイ
ドで酒蔵ツアーの後、5種類のワインの試飲を楽しんだ。
 ケープ・タウンの西方は、地中海性気候で肥沃な土地のため、17世紀ごろより移住
してきたヨーロッパ人によりワインの生産が始められ、現在では世界第6位の生産量
を誇っている。ヨーロッパ地方のワインに比べて、米国カルフォルニア、オーストラ
リア、チリらと並んで比較的安く、美味しいのでワイン党には何よりもありがたい。
 我が家は、試飲した中で、夫婦で意見が一致した白、赤、ロゼワインを一本ずつ購
入したが、今でも南アフリカをはじめ、上記各国のワインは食卓に欠かせない存在で
ある。ワインのことが先行してしまったが、途中ステレンボシュ大学の広い敷地を車
窓より見物し、グラークと言われる芝生の広場の前で下車した。僅かな時間での散策
であったが、いかにも古い町という印象であった。周囲には、たくさんの教会や火薬
庫など歴史的建造物が目立った。それもその筈、この町はサイモン・ヴァン・デ・ス
テルによって1679年に創設されたケープ・タウンに次ぐ、南アフリカで2番目に古い
町とのこと。さらに、興味があったのは町中の看板は、すべて、英語とオランダ語を
母体に、英語を取り入れてできた言語でオランダ系市民の間で使用されている南アフ
リカの公用語の一つ「アフリカーンス」が併記されていることであった。
英語とアフリカーンスが併記されている案内板
英語とアフリカーンスが併記されている案内板
ステレンボッシュの町中風景
ステレンボッシュの町中風景
 その夜のディナーは、ビ
クトリア&アルフレッド入
江、テーブル湾からなる旧
港を中心とする再開発域、
「ウオーター・フロント」
で、潮の匂いのする洒落た
シーフード・レストラン
「BAIA」で、美味しい
魚料理と白ワインを楽しんだ。ディナー前の自由時間を利用してウインドー・ショッ
ピングをしていたら、家内が最後に外国系企業の秘書として勤めた「リーバイス」の
店があったので、家内に誘われて店内に入った。さすがに世界の「Levis」、世界ど
この国へ行っても店の構え、室内装飾は変わらず、企業倫理がしっかりしている企業
だなと感心してウインドー・ショッピングを楽しんだ。
 ウオーター・フロントは、今、街を挙げて取り組んで ウオーター・フロントからケーブル・マウンテンを眺める
ウオーター・フロントからケーブル・マウンテンを眺める
いる開発地区である。エリア内には巨大なショッピング・
センター、映画館、劇場、水族館、各種レストラン、近
くには豪華なホテル、職人の実演が見られるクラフト・
センター、野外ではミュージシャンによるライブがいつ
も催され、終日賑わっていた。
 ヨハネスブルグ空港には、サッカーのワールド・カッ
プ開催まで970数日の垂れ幕が、あちこちにかかって、国
中、ビル建設ラッシュであるが、このウオーター・フロントはそれ以上に開発のピッ
チが上がっていた。
 
2008.12. 5 三橋  南部アフリカ10日間の旅(8)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(8) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
 <その8> ケープ・タウンのシンボル「テーブル・マウンテン」を観光
ケープ・タウンのシンボル的存在でもあるテーブル・マウンテン(JTBグランドツアー&サービスの提供)
ケープ・タウンのシンボル的存在でもあるテーブル・マウンテン(JTBグランドツアー&サービスの提供)
 ケープ・タウンに戻る途中、ガイドのスゼットさんが、
バス車中からテーブル・マウンテンにかかる雲(テーブ
ル・クロスと呼ばれている)を見て、明日予定されてい
るテーブル・マウンテン観光を繰り上げて、帰りに実施
する提案があり、17時過ぎに、ロープウエー乗り場に到
着した。
 ケープ・タウンのシンボル的存在で、街の観光ハイラ
イトでもある岩盤でできた海抜1,087mの山頂は、街から
眺めると平らなテーブルの ロープウエーで一挙に頂上へ(JTBグランドツアー&サービスの提供)
ロープウエーで一挙に頂上へ(JTBグランドツアー&サービスの提供)
展望台よりケープ・タウンの一部とケープ湾を見下ろす。
展望台よりケープ・タウンの一部とケープ湾を見下ろす。
ように見えることから名付
けられたようだ。とにかく、
不思議な魅力のある山であ
る。
 ロープウエーは、ケープ
・タウンの街並みとケープ
湾など周囲の景色が見られ
るように、車体が回転しながら上昇し、3分少々で頂上に到着した。頂上には観光案
内所、レストラン、みやげ物店、展望台などがあり、整備された遊歩道に従って散策
ができる。
頂上からのライオンズ・ヘッドと夕日
頂上からのライオンズ・ヘッドと夕日
21階の回転レストランからの夜景
21階の回転レストランからの夜景
 頂上から眺めるケープ・
タウン市街、テーブル湾、
ライオンズ・ヘッド、デビ
ルス・ピークなどが一望で
き、実に素晴らしい眺望で
あった。特に、ライオンズ・
ヘッドの頂上に霧が滝のよ
うに、地形に沿って流れて
おり、日本画や中国・桂林の風景のように幻想的あった。
 その夜のディナーは、ケープ・タウンの夜景を見渡せるRitzホテルの最上階、
21階の回転レストランで、今日一日の素晴らしい観光の話題が中心に、スモーク・
サーモンのマリネ、スープ、メインディッシュの魚またはビーフ、そして女性が大喜
びした黒くて余りにも大きいので、またビーフが出てきたかと思ったというビッグな
デザートを楽しみ、大いに盛り上がった。
 
2008.11.20 三橋  南部アフリカ10日間の旅(7)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(7) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
  <その7>   憧れの喜望峰に!
下の海で悠々とクジラが泳いでいた
下の海で悠々とクジラが泳いでいた
 10月13日(土)14時、途中、バス車中から海岸ぎりぎ
り近くで泳ぐクジラを見ながら、憧れの喜望峰に到着。
 ケープ・ポイントには、各国から訪れている観光客で
大変な賑わいであった。アフリカ大陸の実際の最南端は
喜望峰の南東150kmにあるアグラス岬であるが、喜望峰
が余りにも有名で、周辺は多くの動植物が生息し、自然
保護区となっていることもあり、南アフリカに来る観光
客のほとんどがここを訪れるといわれている。
 喜望峰とケープ・ポイントのある広大な自然保護区に ケープ・ポイントの看板の前で記念撮影
ケープ・ポイントの看板の前で記念撮影
は、フィンボスやプロテア、エリカと呼ばれる花や植物
が咲き、エランド、シカ、シマウマ、マングース、ダチ
ョウ、ヒヒの他、150種類以上の鳥類などが生息すると
言われている。海では牡蠣や海藻が生息し、イルカ、オ
ットセイの他、8〜11月の期間にはクジラも見られる。
 保護区内の道路の終点が駐車場となっており、展望台
(ルック・アウト・ポイント)に登るためトイレに立ち
ケープ・ポイントの荒々しい波
ケープ・ポイントの荒々しい波
寄り、歩いて20分ほどの距離であるが、行きはケーブル
カーに乗った方がよいとガイドが薦めるので、ケ−ブル
カーで展望台へ向かった。展望台から眼下に見えるのが
半島の最南端であるケープ・ポイントである。綺麗な海
が果てしなく広がっている。インド洋と大西洋の海流が
ぶつかり渦を巻く様子も見られる。この展望台は昔の灯
台跡である。理由は、海抜248mの地点にあった灯台は、
霧で見えないことが多く、このため、ここを展望台とし
て、ケープ・ポイントの海 世界の都市の方向標識がある展望台(Tさんと)
世界の都市の方向標識がある展望台(Tさんと)
眼下に見下ろす喜望峰と大西洋
眼下に見下ろす喜望峰と大西洋
抜87mの地点に、1919年、
アフリカの海岸で最も明る
い灯台が建てられている。
 展望台には、世界の都市
の方向を示す標識が建てら
れ、観光客は母国の都市の
方向を指す標識を入れての
記念写真でごった返していた。
 ガイドブックによると、当初、この岬は発見者のバルトロメウ・ディアスによって
「嵐の岬・Cape of Storms」と名付けられたが、15〜16世紀のポルトガル国王マヌエ
ル1世が、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念し、ポルトガルに希望を与え
南米大陸、豪州・ニュージランド、喜望峰の33°56′を示す緯度案内板
南米大陸、豪州・ニュージランド、喜望峰の33°56′を示す緯度案内板
喜望峰訪問記念証明書
喜望峰訪問記念証明書
るという意味で「喜望峰」
と命名したとある。
 話はそれるが、観光セン
ターを訪れた観光客が、自
国の家族や友人に記念ハガ
キを投函できることでも有
名だ。ちなみに、ここから
日本へ記念ハガキを出すと
約10日かかるという。我々夫婦は、ハガキは投函しなかったが、参加者全員に、ここ
を訪問した記念としてガイドのスゼットさんのサイン入り、ケープ・ポイントの写真
入り、各自ローマ字のネーム入り、A4サイズの立派な「ケープ・ポイント訪問記念
証明書」がプレゼントされた。
 
2008.11. 5 三橋  南部アフリカ10日間の旅(6)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(6) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
  <その6> 南アフリカへ再入国
 10月12日(金)、第5日目、9時半、宿泊先のキングダム ホテルを専用バスで出
発、ビクトリア・フォールズ空港へ向かった。11時50分のSA041便で恒例の香水の
スプレー歓迎を受けてヨハネスブルグへと離陸した。
13時10分、南アフリカ共和国の経済の中心都市・ヨハネスブルグに到着。両替を済ま
せた後、国内線ターミナルへ移動し、18時10分、約2時間のフライトでケープ・タウ
ンに到着した。
 ちなみに、我々夫婦は飲み代さえあればOKなので1万円を現地通貨のランド(R)
に交換したが、1Rは約18円であった。特に興味があったのが、R200、100、50、20、
10の単位の5種類の紙幣があるが、表のデザインは、ビッグ・ファイブと言われるサ
ファリで特に人気の高い、ゾウ、ライオン、サイ、ヒョウ、バファローの5種類が用
いられているのが、いかにも南アフリカらしい。
 電気製品持参の人は、丸型3ピンのB3タイプに似ているが大きさが違う特殊タイ
プのため、空港内で購入するよう添乗員の指示があった。
 ケープ・タウンに到着し、我々一行を迎えてくれたのは、現地の日本語ガイドで、
昔、今、話題の大分県に住んでいたという陽気で笑顔の素敵なMs.スゼットであっ
た。早速、専用バスに乗り込みシグナル・ヒルからの夜景観光へ出発した。
 ケープ・タウンの中心部は、テーブル湾に面した南をテーブル・マウンテンとシグ
ナル・ヒル、東をデビルス・ピーク、西をライオンズ・ヘッドといった山々に囲まれ
た比較的小さいエリアである。街の中心はもとより、ショッピング・センター、レス
トラン、ホテルなどが集まるケープ・タウンの新しい観光スポットとなっているウオ
ーター・フロントにかけて、きらびやかな夜景と美しい港がうまく融合して素晴らし
く、東京では見られない夜景、情景であった。この国の特産ダイヤモンドや金をちり
ばめたような100万ドルの夜景であった。
夕闇の中のライオンズ・ヘッド
夕闇の中のライオンズ・ヘッド
 前記の街の西側にある二つの丘は、ちょうどライオン
が横たわっているように見えるところからライオンズ・
ヘッド(標高669m)と、尻尾のライオンズ・ランプ(ラ
ンプ=尻、標高350m)と呼ばれているが、こちらの方は
平日の正午に号砲を発する大砲があるため、一般にはシ
グナル・ヒルと呼ばれているところである。
 同ヒルの斜面には、政府高官邸などの高級住宅地で有
名であるが、折角の名所も、夜の頂上展望台付近は、ひ
ったくり、強盗などの犯罪が多発しているため立ち入り シグナル・ヒルからの夜景
シグナル・ヒルからの夜景
時間が制限されており、近くの広場では警察が警戒に当
たっていた。夜の気温は10度くらいまで下がり冷え込ん
できたので、早目に切り上げ、20時に中心部で国会議事
堂や南アフリカ国立美術館の他、南アフリカ博物館、カ
ンパニーガーデンなどがあり、その一角にあるこじんま
りした4つ星ホテル、ケープ タウン ホロー ホテルに到
着し、そのまま同ホテル内のレストランで遅い夕食とな
った。料理も美味しかったが、南アフリカのワインが美味しく、家内とすっかり気に
いってしまった。呑み助にとって、ホテル内でのワインが大きいグラスで30Rという
のが嬉しかった。
   ケープ半島の観光
 10月13日(土)、8時にホテルを出発し、終日、見物が盛りたくさんのケープ半島
の観光に向かった。
● オットセイが生息するドイカー島クルーズ
クルーズがでる静かな漁港
クルーズがでる静かな漁港
 ケープ・タウンを少し南下したところに漁港の町があ
るハウト湾がある。そこから観光船で約10分、島という
より岩に近いところを船はゆっくり進んで行くと、水面
近くをオットセイが泳いでいるのが見えてきた。ここは
カモメとオトセイの聖域である。島には上陸できないが、
奥の岩の一角を見ると夥しいオットセイの群れが、長閑
に日向ぼっこをしていた。
 波止場に戻ると、小さな博物館とクラフト・ショップ
があったが、買物をする観 船に並行して泳ぐオットセイ
船に並行して泳ぐオットセイ
日向ぼっこをするオットセイ
日向ぼっこをするオットセイ
光客より店内の数少ないト
イレを利用する人たちでご
ったがえしていた。
 余談であるが、船には我
々の他、中国大陸からの30
名ほどの観光客が乗船して
おり、周りは中国語が飛び
交い大賑わい。その中に、一人日本語のできる男性がいて、中国大陸からの観光客と
分かった。香港からヨハネスブルグへ直行便が出ているので、中国でも人気のある観
光地なのだろう。皆さん、40歳前後と思われるが、男性は何故か一様に上下黒いスー
ツを着ている。中国男性のファッションなのだろうか。港に戻った彼らの3〜4人は、
店の宝石店でいかにも高価に見えるダイヤや金などのアクセサリーを買う交渉をして
いた。我々日本人は誰ひとり入らなかった宝石店である。中国人は貧富の差が大きく、
社会問題となっていると見聞しているが、海外旅行へ来られる人は余裕のある階層な
のだろう。それにしても、近い将来、中国が政治や軍需力、経済、社会のあらゆる面
で世界をリードする大国となったとき、世界は様変わりするのではないだろうか。観
光旅行も行くところ、行くところ中国人ばかり目立つのでは・・。
● ケープ・ペンギンが生息するボルダーズ・ビーチ
 バスは順調にハウト湾からケープ半島を横切り、サイモンズ・タウンを通過する。
 1687年、当時のオランダ総督サイモン・ファン・デル・ 車窓から遠くワイン畑を眺める
車窓から遠くワイン畑を眺める
ステルが、冬季の強い南風を避けるため、風の穏やかな
この地に港を造る提案をし、実現したことからサイモン
ズ・タウンと名付けられたと言う。その後、1814年、オ
ランダに代わってケープ半島を治めたイギリスが海軍基
地を建設し、1957年、現南アフリカ海軍が接収した。バ
スで通過した折りはフリゲート艦他が停泊していた。そ
のサイモンズ・タウンの近くに小さなビーチ、ボルダー
ズ・ビーチがある。ここに、ケープ・ペンギンが生息している。
 彼らが生息する住居地帯には、人が入り込み環境を荒らさないように、高さ50cm
から1m高さの木製の桟橋があり、その上から下の砂場や低い木の中にいるペンギン
を観察しながら、「かわいい、かわいい」と言いながら写真撮影をしていた。
木製の桟橋の下にいるペンギン
木製の桟橋の下にいるペンギン
観光客を眺めているようなペンギン
観光客を眺めているようなペンギン
木陰にいるペンギン
木陰にいるペンギン
 こんな、かわいいペンギンの生息地帯の近くに、地元の子どもたちが浜辺で水遊び
をしていた。よく見ると人種ごとに水遊びをする場所が違っているのである。白人の
子ども、カラードやインド系の子ども、アフリカ民族の子どもの3つのグループに見
えた。思わず頭の中で、アパルトヘイトの言葉を思い出してしまった。しかし、遊ん
でいるどの子どもたちも皆無邪気でかわいかった。
こどもたちの水遊び場・ボルダー・ビーチで
こどもたちの水遊び場・ボルダー・ビーチで
 ちょうど昼どきになったので、ボルダー・ビーチ入り
口のSEAFORTHレストランで美味しいロブスター
とサラダなどのランチを楽しんだ。もちろん、我々は、
いつでもワインまたはビール!である。
 
 
 
 
 
2008.10.20 三橋  南部アフリカ10日間の旅(5)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(5) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
 <その5> ジンバブエ側からビクトリアの滝を散策
樹齢1500年以上といわれるバオバブの木
樹齢1500年以上といわれるバオバブの木
 10月11日(木)、第4日目、午前9時に宿泊先のキン
グダム ホテルを専用バスで出発し、途中、樹齢1500年以
上といわれる「バオバブの木」の前で写真休憩した。何
もない平原の中にあるこの木の大きさを確認するため傍
に立ってみたが、改めて、その大きさに驚いた。
 
 
 
 今日は、ジンバブエ側からのビクトリアの滝の観光である。ビクトリアの滝は、最
大幅およそ1,700m、最も深い滝壺は落差100m強であるが、1年の内、最も水量が多
いのは、3月下旬から8月にかけてと言われる。見物する公園内は、よく整備されて
おり迷うことはない。
 滝は、デビルズ・キャタ ビューポイントからの滝その1
ビューポイントからの滝その1
ビューポイントからの滝その2
ビューポイントからの滝その2
ラクト、メイン・フォール
ズ、ホースシュー・フォー
ルズ、レインボー・キャタ
ラクト、アームチェア・フ
ォールズ、イースタン・キ
ャタラクトの6つのパート
に別れており、それぞれに
ビューポイントが設けられて、写真を撮影する観光客で順番待ちである。
リビングストンの立像前で
リビングストンの立像前で
 途中、滝の発見者・リビングストンの立像、間近に世
界一のバンジー・ジャンプができきるビクトリア大橋も
見ることができる。先日のザンジア側の滝見物は、水量
が少なかったせいか今日のジンバブエ側からの方が迫力
を感じた。しかし、旅行ガイドブックによると、水量の
多い時期は、ザンビア側からみた方が素晴らしいとも書
いてある。両国から見た私としては、ジンバブエ側から
の滝は真正面から見るのに対して、ザンビア側は少し左
斜めからで、滝も、下の渓谷も見えるのが素晴らしいの 休む暇なく離発着するヘリコプター
休む暇なく離発着するヘリコプター
であろう。
 滝を見物後、町中のホテル内レストランで昼食後、14
時過ぎ、今回のツアーの目玉の一つ、ビクトリア・フォ
ールズのヘリコプターによる遊覧飛行へ出発した。
 平原の小高い丘にあるヘリポートに着くと、6人乗り
のヘリコプター2機が観光客を乗せて、絶え間なく離着
陸している。
 事務所に入ると、遊覧飛行の会社が数人の観光客を相手に、撮影したばかり遊覧飛
行のビデオを見せて買わせようとPRしていた。他には、外に男女兼用のトイレと大
きな計量秤と吹流しがあるだけのヘリポートである。見回したところ、きちんとした
整備工場もなく、予備機もないヘリコプターで、どうやって安全を確保しているのだ
ろうかと、急に心配になった。
 学生時代に日本学生航空連盟関西支部に所属し、当時の高松飛行場でグライダーの
練習に熱中したが、その後、学連の機関誌「方向舵」の編集委員になった役得で、八
尾飛行場から朝日新聞社のセスナ機に便乗させていただき、母校他へ訪問飛行した経
験はあるが、どうもヘリコプターは好きになれず、今までに乗ったことがなかった。
 大きな計量秤で体重を計測した後、搭乗の番が来たので気持ちを据えて後部座席の
左側に座る。係員のベルト着用状況、ドアの閉まり具合を簡単に点検した合図と同時
に、機体がふわりと浮き離陸した。
 その瞬間、前方に広々とした平原全体の景色が開け、滝が見えてきた。陸地で見る
滝とは全く違い、上空から見下ろす滝の景観はワンダフルの一言であった。
 ザンベジ川とビクトリア・フォールズの渓谷の様子と、そのスケールの大きさに改
めて驚き、何度もデジカメのシャッターを押した。
上空からのビクトリアの滝
上空からのビクトリアの滝
滝の全貌とビクトリア大橋(左下)
滝の全貌とビクトリア大橋(左下)
15分間のフライトを終えて万歳する家内
15分間のフライトを終えて万歳する家内
 滝を2周して無事ヘリポートに戻り、家内とほっとした。その間、約15分のフライ
トであった。早速、事務所内でビデオ映写を見せられたが、ヘリコプターに乗るとこ
ろと、降りてくるところのシーンが違うだけで、滝などの上空からの景色は同じもの
なので、我々の仲間は誰ひとり買わなかった。
 
2008.10. 5 三橋  南部アフリカ10日間の旅(4)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(4) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
  <その4> ザンビア側からビクトリアの滝散策
 チョベのドライブ・サファリを終え、専用バスで再び国境を越えて、世界四大瀑布
(ナイアガラ、ビクトリア、イグアス、エンゼルの滝)の一つ、世界遺産でもあるビ
クトリアの滝をザンビア共和国側からの観光は、国境で査証代10ドルを払って入国し
た。移動するたびに、ボツワナ、ジンバブエ、ザンビアの入出国を繰り返すので頭の
中が混乱する。
 アフリカ南部を緩やかに流れるザンベジ川は、ナイル川、ザイール川、ニジェール
川に次ぐ、アフリカ大陸で4番目の長い川である。ザンベジ川は、アンゴラの奥地か
ら始まり、ザンビア西部を縦断して、ジンバブエとザンビアの国境線となり、その後、
モザーンビーク海峡、インド洋へと流れて行く。
 ビクトリアの滝は、そのザンビア川の中流に位置する。ビクトリアの滝は、1855年
イギリス人探検家のデビッド・リビングストンにより発見され、当時のイギリス女王
の名をとり、「ビクトリア・フォールズ(ビクトリアの滝)」と命名された。
ビクトリアの滝観光案内の看板
ビクトリアの滝観光案内の看板
 ガイドのMr.ボンドーによると、現地名は「モシ・
オア・トウンヤ」で、「雷鳴の轟く水煙」という意味だ
そうだが、時期的に乾期のためか、その意味の表現とは
別に、余り迫力を感じなかった。二十数年前に見たナイ
アガラの滝の方が「モシ・オア・トウンヤ」のように思
えた。しかし、水量の多い時期は、本当にすごい迫力が
あるのだろう。また機会があったら、家内が行きたいと
いう中央アフリカのケニア地区、南アフリカのナミビア
砂漠行きのついでに、水量の多いビクトリアの滝を見た ザンビア側から見た滝
ザンビア側から見た滝
いと思った。
 散策を終えてバスに戻る途中、ジンバブエとザンビア
を繋ぐビクトリア大橋を通るが、この中央にザンベジ川
の峡谷めがけて一気にジャンプするバンジー・ジャンプ
台がある。橋からの降下距離は111メートルで世界一とガ
イドブックには書かれているが、最近、テレビで見たス
イスにあるダムの特設台から降下する220メートルの「根
バンジー・ジャンプの名所・ビクトリア大橋をバックに
バンジー・ジャンプの名所・ビクトリア大橋をバックに
性試し・007ジェームス・ボンド・バンジー・スイス」
がどうも本当の世界一のようだ。それでも中央から下を
見ると目が回るような感じがする。
 ジャンプ台の係員に聞いたら、一日20名くらいジャン
プを楽しむ人がいるというが、しかし、滝を見物してい
た時間帯、ジャンプをしたような様子は見られなかった。
ちなみに1回のジャンプ代は90ドルとのことであった。
たまたま、その日の周りには、欧米からの観光客も大勢
いたが、スリルを味わうような元気な若者は余り見かけなかったので、ジャンプをす
る人は一桁少ない人数ではないかと思った。
   こちらのホテル事情
 午後4時少し前、宿泊ホテルのキングダムホテルヘ到着。一見タイ王国のホテルを
思わせる外観である。チェックインの後、先のモワナ サファリ ロッジで経験してい
るので先ず部屋のエアコンを点検したら、案の定、作動しないのでフロントへ問い合
わせると、自動的にときどきOFFになるように設定しているという。次に冷蔵庫がない
のでフロントへ冷蔵庫のある部屋に替えてもらった。そのことを夕食時、話題にした
ら何と半数以上の部屋に冷蔵庫がないことが判明した。話題にしたのがまずかったか
なと瞬間思ったが、それぞれのホテル事情があるにせよ、高い費用を払って来ている
ので、思ったことは言ってみるべきなのである。
 チェックイン後、夕方、添乗員に連れられて初めて徒歩でビクトリア・フォールズ
の町中を散策した。観光地として世界中から注目されているこの地には、素晴らしい
リゾートホテルが結構あるようだ。
 町の中心は、東西に走るメーン・ストリートのリビングストン・ウエイが
パーク・ウエイに交差するファースト・フード店「ウインピー」がある辺りが中心で、
観光案内所、両替所、レンターカー会社、スーパー、旅行会社、各種みやげ店の他、
レストランが集中していた。
 先ず始めに、クラフト・マーケットを散策した。リビ 後ろには1$、2$と売り子が纏わり付く
後ろには1$、2$と売り子が纏わり付く
ングストン・ウエイから右に入り奥まった広場には各種
手作りの民芸品、彫刻装飾品などが道端にまで溢れるよ
うに並べられ、現地人の売り子の呼び込みが凄い。両手
に持った小さな商品を見せながら、「ワンダラー、ツー
ダラー」と連呼しながら、しつこく付いて来る。中には、
町中の散策まで30分以上も付き纏われ閉口した。彼らに
すれば、1ドル、2ドルを稼ぐのは大変なことだと想像
できる。
 町の散策を無事終えてホテルに戻り、ホテルの庭園から外を見ると、厳重な鉄条網
付きのフェンスの外から、ガードマンや従業員の目を盗みながらフェンスに近づき、
我々観光客を見つけては売りつけようと声をかけてくる。
 こんな現地人には厳しい生活環境とは逆に、ホテル内の庭園には野生のイボイノシ
シやヒヒが我がもの顔で暮らしている。野外のレストランでは、従業員とヒヒの鬼ご
っこである。従業員のすきを狙って、宿泊客が食べ残したパンや果物をヒヒが盗んで
は自分の棲み家に逃げて行く。
太鼓の速いリズムに合わせて踊る民族ダンス
太鼓の速いリズムに合わせて踊る民族ダンス
 このヒヒの一匹が、ツアー参加の日野市・Tさん(女
性・薬剤師)のベランダから部屋に入り、食べ物を物色
しようとしていたときたまたま、ディナーへ出掛けるた
め、鏡に向かって仕度をしていた彼女が後ろにヒヒがい
るのを見て、腰が抜けるほどの驚きだったそうだ。しか
し、彼女も立派!大声で、「何しに来たの!早く出て行
きなさい!」
 ヒヒは日本語が分かったかは知らないが、あわてて出
て行ったとのこと。ヒヒは人に危害を与えるという先入観があるが、どうも、ここに
いるヒヒは危害を与えないようだ。
 その後のディナーでは、この話で大笑いの楽しいひとときとなった。その夜、我々
は特に厳重にドアロックの上、椅子などをドアに寄せて就眠した。
 
2008. 9.20 三橋  南部アフリカ10日間の旅(3)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(3) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
 <その3> ゲーム・サファリ・ツアーへ参加
 10月10日(水)、第3日目早朝、チョベ国立公園内で自然のままの環境で生息して
いる動物を観察するゲーム・サファリ・ツアーに参加した。
 午前6時、ロビーにてコーヒー、紅茶、クロワッサン、フルーツ、ジュースのサー
ビス後、サファリ・カー(大型ジープ)に分乗してチョベ国立公園へ出発。
 この地方、朝晩は日中の温度差が大きく、早朝は少し 国立公園に入る前、コーラで一杯!
国立公園に入る前、コーラで一杯!
肌寒いため、自分に合った服装で参加するようにとの添
乗員の指示であったので、我々もウインドブレーカーを
着て参加した。
 出発前に、添乗員から英語・日本語名で書かれた67種
類の南部アフリカ野生動物リストを渡された。そこには
名前の知らない動物名もたくさんあったが、添乗員から、
10種類の動物に会えたらディナーのとき、好きな飲み物
を一杯サービス、15種類のときは、名産のルイボス紅茶パックと飲み物がプレゼント
されるというので参加者は懸命に観察していた。
インパラを食べているライオン一家
インパラを食べているライオン一家
良い場所を求めて移動するジープ
良い場所を求めて移動するジープ
 出発して早くもインパラ
を仕留め、食事中のライオ
ン一家を見物。インパラの
骨を砕く音が間じかに聞こ
える場所に、ドライバーた
ちは少しでも近く、よい場
所を確保しようと必死に場
所取りをしてくれる。
 欧米人のツアー客には、動物の生態を撮影する目的の観光客も多く、そのほとんど
は、大きな望遠レンズと予備カメラ、備品を携帯し撮影していた。
 車で移動中、川の中に岩のような黒いものが見え、一 お腹いっぱい!昼寝中のライオン・ファミリー
お腹いっぱい!昼寝中のライオン・ファミリー
帯に死臭が漂っていた。ガイドに聞いたら、岩のように
見えるのはゾウの死骸であるという。ゾウは自分の死期
が近づくと入水して死ぬという。そのゾウの死骸にカバ
やワニが群がり、食べているのだろうか、自然界の掟と
は言え、いささかショックであった。
 
 
水を飲んでいるワイルド・ドッグの群れ
水を飲んでいるワイルド・ドッグの群れ
 最終的に、我々夫婦は、15種類の動物を確認すること
ができたが、南アフリカ・ツアー中に見たのは、そのリ
スト外に15種類、計30種類におよんだのは大変ラッキー
であった。時間によって、その表情を変える草原と動物
たちの織りなすハーモニーが、実に感動的であった。
 
 
 
 
2008. 9. 5 三橋  南部アフリカ10日間の旅(2)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(2) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
  <その2> リバー・クルーズを楽しむ!
 
 10月9日(火)、16時から参加者全員でロッジの横を流れるチョベ川、約80kmに
およぶリバー・クルーズ・サファリへ出発した。
 強力なヤマハ発動機を付 強力なヤマハ発動機付きのリバーボートで
強力なヤマハ発動機付きのリバーボートで
水浴びをするゾウの群れ
水浴びをするゾウの群れ
けた底の平らな高速ボート
に乗り、およそ2時間、感
動のリバー・クルーズを体
験した。アフリカの大自然
の中で、ゾウ、バッファロ
ー、イボイノシシ、ワニ、
インパラ、ヒヒ、リッチの
 
水浴びを終えて帰るゾウ
水浴びを終えて帰るゾウ
木の葉を食べているゾウ夫婦
木の葉を食べているゾウ夫婦
他、アフリカワシなどの珍
しい鳥類も見ることができ、
参加者一同、大満足であっ
た。
 
 
 
 
 
草原で草を食べているバファローの群れ
草原で草を食べているバファローの群れ
水面に顔をだして辺りの様子を伺うカバ
水面に顔をだして辺りの様子を伺うカバ
草原で見た何と白いワニ!
草原で見た何と白いワニ!
 
ライオンの餌食になるインパラの群れ
ライオンの餌食になるインパラの群れ
枯れ木に見える昼寝中のワニ(中央)
枯れ木に見える昼寝中のワニ(中央)
ねぐらに帰るゾウ
ねぐらに帰るゾウ
 
 帰路、広大な草原の中で夕日を背景にしながら、我々 サンセットとゾウ
サンセットとゾウ
が遠来の客であることを知っているかのごとく、二頭の
ゾウが夕日の沈むまで写真撮影のため付き合ってくれて
いた。そして、夕日が地平線の彼方に沈むのを確認する
かのように現場を離れて行った。アフリカの大自然の中、
夕日とゾウの構図は、一生の思い出となるシーンであっ
た。
 ディナーでは、我々日本人ツアー客のために、「上を
向いて歩こう」など日本の歌をライブ演奏してくれる中で、リバー・クルーズの話題
で盛り上がっていた。メニューに出されたイボイノシシなど野生動物のバーベキュー
も結構美味であった。 
 その夜は、長旅とリバー・クルーズの疲れから、蚊帳の息苦しさも感ぜず熟睡した。
 
2008. 8.23 三橋  南部アフリカ10日間の旅(1)
 
 遊覧飛行と2連泊で満喫するビクトリアの滝と
悠久の南部アフリカ10日間の旅(1) 茅ヶ崎市 三橋春夫
 
 旅の目的は各人さまざまである。今回の旅は、「自然」・「動物」・今なお随所に
残るアパルトヘイトの傷跡をもつ「人々」がキーワードであったが、想像以上の感動
とドラマがあった。お薦めのコースの一つでもある。
 家内のHP用に旅行記をまとめたが、HP用に書き直して、その一部を数回に分け
てご紹介する。
 
 <その1> ビクトリア・フォールズ空港での出来事
 
 平成19年10月9日(火)、香港から約13時間45分のフ ビクトリア・フォールズ空港ターミナル前での筆者
ビクトリア・フォールズ空港ターミナル前での筆者
ライトであった。途中、結構気流の関係で機体の揺れが
多かったが、南アフリカ最大の経済都市・ヨハネスブル
グ国際空港に到着した。時差は日本より7時間遅れであ
る。長い列に並び、入国審査を受け、やっとロビーへ出
られた。多くの観光客が並んでいても係官を増やさずマ
イペース、これが当地流のサービスなのだ。
 9時15分、ここから飛行機を乗り継ぎ、11時に、高い
失業率とインフレ経済で苦悩しているジンバブエ共和国(人口約1290万/ジンバブエと
は現地語で「石の家」を意味するという)の小さなローカル空港並みのビクトリア・
フォールズ空港へ到着した。
 エアコンもない到着ロビーで、またまた長蛇の列に並び、お釣りがもらえないので
事前にきっちり45ドルを用意してビザを取得した。
 南アフリカ地域全体に言えるようであるが、旅行ガイドブックには、高い失業率、
物価の急騰、停電、断水などのインフラの悪化、加えて、窃盗、置き引き、スリなど
の犯罪が頻発しているので要注意と書かれている。
 さらに、飛行機に乗る際、貴重品の一部をスーツケースに入れていたため、開けら
れて貴重品を抜かれるという被害が日本人ツアー客に多く、特にヨハネスブルグ⇔ビ
クトリア・フォールズの便で多発しているという。その手口は係官を装い、手荷物チ
ェックをしているふりをして貴重品を抜くというものである。
 そのまさかが起きた。私のスーツケースの鍵が壊され、掛けてあったベルトがなく
なっていた。貴重品は何も入れていなかったが、念のため調べてみるとスーツケース
の中を物色した形跡はあるが盗られたものはなかった。鍵は壊され、ベルトがなくな
っているので、リックより、何かのためにいつも持参しているロープを取り出し、ス
ーツケースのベルト代わりにして目的地まで移動した。
 海外旅行をしていて、いつも感じることは、日本人のスーツケースは、ほぼ100%
ベルトで締められて、さらに、施錠されているものが多いが、欧米人のスーツケース
は、こういうやり方は日本人に比べて少ない。ベルト、施錠をしているスーツケース
は、はたから見ると貴重品が入っていると言わんばかりである。こういうことも、日
本人の被害率が欧米人に比べて高い要因の一つなのだろう。
 ボツワナ共和国への入国
 到着ロビーを出たところで、若者による民族ダンスが我々観光客を迎えてくれた。
そこで、現地ガイドのMr.ボンドーの出迎えを受け、添乗員とツアー参加者一行15
名は専用バスでチョベ国立公園へ向かった。
観光客を迎える民族ダンス
観光客を迎える民族ダンス
 13時過ぎ、国境に到着。事前に添乗員から言われてい
たボツワナ入国前に、意味不明な小さなボロボロのスポ
ンジ製消毒マット(?)を踏まされた。靴底に付着して
いる雑菌を消毒するには、余りにもお粗末なマットであ
る。
 ホテルへ来る途中、延々と小さな潅木の広大な平原が
続き、信号もない。集落があるらしいところには人がの
んびり歩いている。こんな不便なところを何故自転車か
バイクを使わないのだろうかとガイドに聞いたら、ガソリンはリッター1ドルとのこ
とであるので日本より安いが、ガソリンスタンドは街の中心部にしかなく、車、バイ
ク、自転車などは一部の人でないと持てないとのこと。移動はすべてヒッチハイクだ
そうだ。
 ヒッチハイクの先進国アメリカでも、あちこちで親指を立てて車を待つ男女をよく
見かけるが、そう簡単には乗せてもらえない。それが、ここでは当たり前のように乗
せてくれるという、そんな社会に一同感心させられた。
 13時30分、ゴルフ場が併設されている宿泊先の4つ星 ちょっと王様気分の蚊帳風ベッド
ちょっと王様気分の蚊帳風ベッド
ホテル、モアナ サファリ ロッジに到着した。すぐ全員
でビュッフェ・ランチを楽しんだ後、家を出てから久し
ぶりの部屋で小休止した。ベッドには、マラリアの原因
となる蚊よけに蚊帳が天井からベッドをすっぽりと覆っ
ており、ちょっとした王様気分である。
 シャワーを浴びようと湯を出したが、なかなか熱くな
らず、部屋を冷房にしたら停電になってしまった。フロ
ントに理由を聞いたら、ロッジに到着した宿泊者が一斉に電気を使用したための停電
であるという。これがアフリカのホテル事情のようだ。
 
2008. 8.12 田村  オーストラリア旅行記
 
オーストラリア旅行記 茅ヶ崎市 田村 實
 
田村さん
田村さん
 トキメック旅行会(会報62号参照)の「オーストラリ
ア世界遺産6日間の旅」に参加した。夫婦参加が6組、
尻を逃れた単身が7名、添乗ミセス良江、合計20名の一
行。
 7月3日(木)の夜成田を出て約7時間半、翌朝6時
頃に豪のケアンズに着いた。ここは熱帯の常夏で世界最
古の熱帯雨林キュランダと世界最大級の珊瑚の海グレー
トバリアリーフの2つの世界自然遺産に抱かれた観光都
市でカジノも営業している。時差は+1時間。
 7月4日(金)今日は快晴、ホテルに荷を置きカフェ ケアンズ海岸の遊歩道を行く長田さん、丸茂さん
ケアンズ海岸の遊歩道を行く長田さん、丸茂さん
テラスで朝食したが、急に大勢の日本人が押し掛けたの
で慌てたのかパンは黒焦げだった。浜辺を散策した。海
岸沿いには4m巾位の木敷の遊歩道が果てなく続き、平
日の早朝なのに大勢の老若男女がジョギングをしていた。
干潟にはペリカンや鷺の仲間が佇んでいた。
  ここで一句『朝凪や干潟はさぎの漁り塾』
 キュランダ観光へ出発。バスはサトウキビ畑の中を走
熱帯雨林の上を行くゴンドラ
熱帯雨林の上を行くゴンドラ
りカラボニカ駅でスカイレールに乗る。6人乗りのゴン
ドラで全長7.5km熱帯雨林を上から眺める空中遊覧道で
ある。
 上昇すればケアンズを一望し遠くには明日の訪問地の
グリーン島も望める大パノラマである。レッドピ−クで
途中下車して整備された木道から間近に見る木々は太陽
を求めて真っ直ぐに延びる大樹や、木に寄生する草木や
絡みつくツタ類等々熱帯の大植物群である。又ゴンドラ
に揺られ樹海や渓谷美を上空から満喫してキュランダ駅に着く。ネーチャーパークに
移動し小動物園の「コアラを抱いてにっこり写真」を撮る人や動かないカンガルーや
ワニを見る人それぞれに過ごし、水陸両用挺アーミーダックに乗る。
 運転のキャプテンと現地ガイドYさんで生息する動植 水陸両用挺アーミーダックの皆さん
水陸両用挺アーミーダックの皆さん
物の生態を面白おかしく説明するのを聞きながらも、崖
を下り沼地を横切る乱暴運転に耐えねばならなかった。
バイキング昼食の後キュランダ村を散策。昆虫類の宝庫
でバタフライ館に放育されている蝶では特にメタリック
ブルーの幸福の蝶「ユリシス」は一際目に鮮やかな存在
であった。
 帰路はレトロな車両のキュランダ鉄道です。十数両連
キュランダ鉄道のヘアピンカーブ
キュランダ鉄道のヘアピンカーブ
結された山間鉄道で岩を分け渓谷を遙か眼下にして進み
ます。バロン滝や景勝地点では停車や徐行のサービス運
転です。半径100mのヘアピンカーブはテレビ「世界の車
窓から」の映像地とのこと。
 居眠りが出る頃列車はケアンズに到着。土産店を経由
してホテルイン、身軽になって夕食会場へ。バイキング
料理は勿論ビール・ワイン付である。幹事さんに感謝!
カジノはチョット覗いただけ。
  ここでも一句 『億万年木下闇の続く森』
 メンバーは健康・健脚・健啖である。昨日の歩きの疲れも知らず、モーニングコー
ルに敏感に反応し、朝飯を二皿三皿ときれいに平らげ、決められた時間前に集合する。
 7月5日(土)今日は珊瑚礁の海に浮かぶ島グリーン島観光である。バスでターミ
ナルに集結し高速船に乗船する。外洋では少し揺れが大きくなったが約45分で浮き
桟橋に着く。 
 砂浜が島の周囲を巡り全体が緑の樹木に覆われて、砂浜も寄せては返す波もきれい
だ。水は少し冷たくて高齢者は泳ぐには至らなかった。
 ガラス底の船で見る海中は グリーン島の魚たち
グリーン島の魚たち
世界遺産のオブジェとメンバー
世界遺産のオブジェとメンバー
大小の魚が群れてまるで竜宮 
城の入り口のようである。
島の周は1.6キロであるので
みんなで歩いた。所々に波風
の創る流木倒木の芸術オブ
ジェがある。
 長田さん夫妻と野村さん
 
の奥様の3人が、落下傘での海上遊泳に果敢に挑戦!東 長田夫妻のパラセービング
長田夫妻のパラセービング
京計器OGの逞しさに、か弱OBども、ビックリ!
 島での食事は盛り切り一回のバイキングだ。ビールが
旨い。食事後、波音を聞きながら夏目さん・寺岡さんと
3人で松の根を枕に昼寝した。虫も居なく寝心地は最高
であった。若い観光客はシュノーケルなどで観光島を楽
しんでいた。双胴船で帰るホテルは連泊である。
 今晩の夕食は和食である。刺身・天ぷらの外ワニ・カ
ンガルー・エミューの肉も出たが言われるまで分からない味に思った。日本酒を味わ
った。銘柄は「豪州誉れ」とか言っていた。徒歩で帰館し、明日の早朝移動に備える。
 豪勢な昼寝に一句 『みんなみの小島の磯の昼寝かな』
 ツアーは後半に入る。シドニーへの移動日です。4時過ぎに起きて準備である。
7月6日(日)今日も快晴で観光日和だ。ケアンズから3時間の飛行でシドニーに到
着。市内観光はバス。オペラハウスとハーバーブリッヂが重なって見える絶好の観光
オペラハウスとハーバーブリッジ
オペラハウスとハーバーブリッジ
ポイント、マッコーリー夫人岬へ出た。夫人の望郷の念
を慰めたという石を彫り刻んだ座所が晴雨用2席残され
ていた。集合写真屋さんが待っていた。ハイドパークや
博物館は車窓観覧である。
 ローマ法王も来たというセントメアリーズ大聖堂も国
の行事が有るとかで慌ただしく正面を拝観しただけだっ
た。この日は日曜日、各所でイベントが多くバスが通れ
ない道もあった。昼食は飲茶ランチで、かなり込み合う
中華店である。シドニーの人口400万人の内40万人が中国人だそうです。午後はオペラ
ハウスの内部見学である。この建物は世界で設計競合して1973年の完成まで14年の紆
余曲折の末完成した奇想天外の若い世界遺産です。この館のテラスからの眺めは船か
らの眺めの如き景の設計である。外側のシェルはコンクリートで内部部材は木材であ
る。このオペラハウス直属の日本人説明員が懇切丁寧に説明してくれた。五木ひろし
もコンサートを開いたそうだ。
 夕食はロブスター伊勢エビ・刺身・汁物で髭の先から 見事なロブスター
見事なロブスター
尻尾までおいしく戴きました。夜の外出は遠慮すべしと
お達しが有りホテルで明日の準備をしながらテレビを点
けたらラグビーを放映していた。さすが本場と見ればニ
ュージーランド対豪州の太平洋カップ戦である。それを
観終わったら、JAPANと聞こえてきた。何事ならん
と見れば日本対サモアの一戦である。この地で桜のジャ
ジーを応援できるとは思っても居ない幸運である。結果
は惜敗でしたが、小田さんから差し入れして貰った、日本酒で選手達の健闘を讃えた。
おやすみ!
  オペラハウスを詠んで一句 『水無月のオペラハウスの白さかな』
 クルーズ・ディナーなんと耳障りのいい言葉であろう。今夜の夕食はこれである。
7月7日(月)楽しみな夕食前の腹ごなしとして山登りだ。勿論全行程ともバスで有
料だがETCが90%の普及の高速道路で向かう山はブルーマウンテンズ、ユウカリの
発する油分が陽光の加減で緑が青に見えるのでこの名が付いたとの説明。1000m級の
山々で雪も滅多に降らないようである。
 途中の景色はレンガ色の屋根で統一された平屋の町並 スリーシスターズの景観
スリーシスターズの景観
みがあったり、オリンピック会場跡が点在したりガイド
のナオミさん(通称増田明美)が留まることを知らない
口捌きでの説明である。
 三姉妹という伝説の岩の一帯の展望地で激写会である。
やや寒だがそれを忘れさせる絶景の山並渓谷美である。
 シーニックワールドという乗物遊び地では、幸運の虹
が出て、80人乗り大型ロープウェイ、最大斜度52度の元
石炭用トロッコ、何故か走ると床のガラスが透明に変わるスカイウェイとこの3走行
を三橋幹事さんのご尽力で飲み代を削ること無く完走できた。感謝!感謝!
 猪頭の岩を見る。日本や中国なら竜頭と名付けたろうと誰かが言ったが合点した。
昼食は客席全体が回転するレストランでのバイキングで料理を取ってる間に席が彼方
に回って大慌て?した。
リカショップの夏目さん、田村さん
リカショップの夏目さん、田村さん
 散歩の途中に酒屋さんがあったので夏目さん、野村さ
んとで立ち飲みをした。何処へ行っても癒(卑)しの性
格は変わらず。
 いよいよ待望の最終章、シドニー湾のクルーズ・ディ
ナーである。船室に入る。整然としたテーブルにはワイ
ン・クーラー、中で冷えているのはオーストラリアン・
ワインでしょう。座を占めれば日本女性乗員(Yoshiko
海の女とサイン)が注文を聞きに来る。先ずはこの旅の
成功を祝し乾杯!。程良く冷えたコハクの喉ごしは海の色・空の色そのままの紺碧で
ある。やがて景観は夜景に変わる。波静かなシドニー湾に酔ってると添乗員さんから
ビッグプレゼント。デッキに出て見上げれば、そこには南半球の四つ星の南十字星座
が燦然と輝いていた。
 こんな興奮を抱えながら豪州さらばの機上の人になる。旅を締めくくる最後の忍耐
10時間の飛行を終えて平野幹事さん提供の目印ハンカチを結んだ荷を受けて三々五々
の解散となった。
  南半球ディナー・クルーズ一句 『船料理南十字の味キラリ』
 皆様本当に御世話になりました。駆け足の拙文にて御免