話 題 『 旅 行 記 』−10 2018年4月〜
 
          話  題  一  覧
2020. 1.10 奄美四島への旅                投稿:清水有道
2018. 4.15 台南ぶらぶら旅                投稿:村田秀行
 
          話  題  『 旅 行 記 』  
2020. 1.10 清水 奄美四島への旅
 
 奄美四島への旅 横浜市  清水 有道
 
1.はじめに
 2019年は筆者にとっては今までの人生の中で一番具合の悪い、気の乗らない年であ
り、最悪の一年と呼んでもあながち間違いではなかろう。前年に見つかった心臓の異
常は慢性化し、正式な治療が必要になったことに加えて、未経験の動悸の激しさ、呼
吸の苦しさを味わうことになり、もう金輪際無理の利かない身体になってしまったの
かと、先の人生を悲観する気持ちが強くなったことだった。そんな訳で遠出もできず、
好きな飲酒も外食も極力控えなければならず、生活のリズムが大きく狂ってしまった
からである。このような陰鬱な環境から意識的に脱却するために、やや禁を犯すこと
になっても気分的な打開の道を見付けようと、11月の最終日から4泊5日の奄美四島
(喜界島、奄美大島、加計呂麻島に与論島)を巡るツアーに強引に参加した。
 この旅を選んだ理由は、他でもない奄美群島国立公園の大部分が向こう1〜2年の
間にユネスコの世界自然遺産に登録される見通しとなり、現に奄美大島の30mを超す
原始時代の植物を思わせるシダ植物のお化けにも似たヒカゲヘゴの原生林で有名な
金作原(キンサクバル)原生林への乗り入れは、観光バスも自家用車もタクシーもレ
ンタカーも一切の二輪車も地元の自治体により禁止され、事前の見学希望の申し入れ
に対して順番に制約の枠内で、少人数のグループごとに監視員が付いてのガイドツア
ーが認められているような状況に変わってしまっていることを伝え聞いたからであっ
た。その意味では、一応自分の足で踏み込め、自分の目で見極められたのは幸運であ
ったと思っている。
 
2.喜界島を訪ねて
 喜界島を訪ねたのは初めてだった。奄美群島の中でも奄美大島や徳之島には何回か
訪れる機会があったが、喜界島は筆者には全くの処女地であった。訪ねることが出来
て良かったという気持ちには勿論なったが、しかし、いま一つ何故か知らないが後味
の悪さが残った。どうやらこれといったこの島の取り柄が見つけられなかったことや、
印象に残る風景や記憶に留めたい事象に出会えなかったことが原因しているようであ
る。勿論全くないわけではない。事実、見渡す限りのサトウキビ畑に、おりしもスス
キに似た穂が出そろい、取入れ時期が到来したことを告げている光景も珍しいものだ
った。全部同じものに思えたサトウキビにも5種類くらいあると説明を受けても理解
できなかったことや発見されてからやっと10年にしかならないというガジュマルの大
木も確かに大きいものだったが、かといって地元民が奄美一だと自慢する気持ちに素
直に同調する気にもなれなかった。この大木の保護育成にもっと予算を掛けたいのだ
が、毎年の台風による被害が大きく、その方に予算の大半を持って行かれてしまうた
め思うに任せぬと嘆かれても返事のしようもなく、もう一つ血の通わない空しい会話
に聞こえてしようがなかった。
 着いた日の観光は午後の半日だけであった。サンゴ礁の岩片を上手に組み合わせて
積み重ねた石垣に囲まれた家々を眺め、どういう訳で名付けられたかは知らぬがハワ
イ海岸と呼ばれる美しい海 サンゴの石垣
サンゴの石垣
保護蝶オオゴマダラ
保護蝶オオゴマダラ
岸を散策して、本州は冬な
がら同地では南国の温かさ
を感じたことだった。
 いろいろな南国の草花が
咲いている中を保護蝶のオ
オゴマダラがふわりふわり
悠然と舞っているさまはま
さに南の島を感じさせて興を添えていた。
 続いて訪れたのは俊寛僧都の墓であった。著名な歌舞伎の出し物の主人公も流島の
罪人となれば、その墓もどぼーんとした丸棒状の墓石があるのみで、そばに座像があ
るのでそれと分かる簡易なものであった。地元では墓の近くを「坊主の前」と呼び習
わしているようである。
 俊寛僧都は京都鹿ケ谷(シシガタニ)にて平清盛の討伐謀議を働いたかどで捕らわ
れ、この島に遠島された。時に1177(治承元)年で、4年後には放免されることなく
この島に没している。島の南西端には手久津久(テクツク)という妙な名前の集落が
あり、この辺りは縄文・弥生の時代から人々が住み着いていたようである。川尻
(カワジリ)、中増(ナカマシ)、川寺(カワデラ)、および崩(クズリ)と呼ばれ
る風変わりな名前の4遺跡が確認されている。これら四つの遺跡の総面積は25万平方
メートルを超える大規模なものらしいが、ただ発掘調査は平成の23年から行われ、今
迄に縄文の竪穴住宅や大形の円形土坑、珍しいものとして南西諸島で唯一の12世紀の
製鉄関連遣跡も発見されている。
俊寛僧都座像
俊寛僧都座像
俊寛僧都墓石
俊寛僧都墓石
遺跡群の説明看板
遺跡群の説明看板
 旧海軍の空港跡をそのまま使用している喜界空港付近は海岸に沿って臨海公園にな
っており、そこでは2009年にわが国で最も見事な今世紀最大の天体ショー、皆既日食
が見られ、多くの来島者を迎えて賑わったとのことである。
 旧海軍の飛行場周辺には、掩体壕(エンタイゴウ)と呼ばれる戦闘機を敵の攻撃か
ら守るための格納庫が掘られている。全部で50の穴が作られている由であるが、有蓋
コンクリート製のものは1ケ所のみで、この穴は戦闘機の整備場として使用され、残
りの穴は全て三方を土盛りをした上で、木の枝などでカモフラージュした簡易なもの
で、一時期の格納庫として使用されたものである。
 喜界島の宿泊は喜界島ホテルで、宿の主人が島でできた黒糖焼酎を2種類、4合瓶
で3本提供してくれたので、当日のパーティの飲み人口8名で結構楽しめた。因みに
このツアーは5組の夫婦に個人参加の男女3名ずつの計16名で、多分筆者が最年長だ
ったと思われる。
百之台看板
百之台看板
 翌日の午前中は、まず国立公園指定地域の荒木海岸の
荒木中道遊歩道(地元では有斐の散歩道として名所にな
っているとか)、天然の入り江を利用した海水浴場とな
るスギラビーチ、島の最高地点211.962mにあるポイント
211の別称のある七島鼻(シチトウバナ)、島中央部の
百之台(ヒャクノダイ)公園を訪れた。七島鼻は東に太
平洋、西に東シナ海が一望できて、さすが最高地点の趣
満点であった。
 百之台公園は奄美群島の中にある奄美十景の一つに掲げられているだけあって、絶
景であった。この公園からニューヨークは12,550km、ロンドンはちょうど10,000km、
東京は因みに1,300kmの距離になるようである。
 昼食を済ませて喜界空港から奄美大島まで飛んだが飛行時間は短く、わずか15〜20
分だった。飛び上がったと思ったらすぐの着陸だった。多分筆者が乗った過去のフラ
イトで最短だっただろう。
 奄美大島では奄美市住用町のマングローブ原生林に向かい、原生林の中でカヌーを
漕ぐ遊びをすることになっていたが、筆者は以前に経験済みでありこの体験はパスし
た。
 2日目の宿泊は、奄美大島の港町の古仁屋(コニヤ)港に近い“ライベストイン奄
美”だった。この夜の食事は各自が自由に摂ることになっていたので、千葉から参加
されていたご夫婦と島料理を出してくれるという触れ込みの赤暖簾の一軒で盃を重ね
た。生憎当日は恒例の奄美のマラソン大会の日で、奄美大島が今年の当番島となった
ため、幾つもない飲み屋はどこも、撥ねの会や反省会、ご苦労さん会などの宴会で賑
わっていた。訪ねた店も20名くらいのメンバーで盛会を極めていた。
 
3.加計呂麻島へ
 3日目は、宿から5,6分の古仁屋の港まで歩き、そこから漁船を改良した海上タ
クシーと称する渡し船で大島海峡を挟んで対岸の瀬相(セソウ)港に渡り、海岸に沿
って瀬戸内町を諸鈍(ショドン)まで中型の観光バスで巡った。瀬戸内町は奄美大島
と加計呂麻島の大島海峡を挟む両島に跨った町である。
 於斉(オサイ)の海岸通りに面した街路樹のようなガジュマルの並木を見学し、
呑之浦(ノミノウラ)の鳥尾敏雄の文学碑を訪ね、同氏の作品の一部を石碑に刻んだ
ものを読み回った。「島の果て」、「はまべのうた」、「出孤島記」、「国破れて」
などが並んでいた。すぐ隣の旧海軍の特攻艇「震洋艇」の同じ大きさのプラスチック
モデルを見せている艇庫を見た。一人で乗り込み、船首に弾薬を装備して敵艦に突っ
込み玉砕するシステムで、筆者も話には聞いていたが、実物に近いものを見るのは初
めてであった。嫌な物を見てしまったという思いがいっぱいだった。
 砂浜の海水浴場スリ浜は「男はつらいよ」のロケ地として有名で、渥美清ふんする
満男を空腹で文無しのため泊るところがないので浅丘ル 「リリーの家」の説明看板
「リリーの家」の説明看板
リ子ふんするリリーが自宅に招いてカレーを供する場面
の「リリーの家」が残っており、今でも民泊の宿として
シーズンになると全国からシーズンになると全国から旅
人が押し寄せて来るとのことだ。その先の諸鈍が寅さん
シリーズ最終作の舞台で、今でも寅さんはリリーをここ
で待っていると山田洋次監督も自ら書き記しているとい
うことであった。
 生間(イケンマ)港近くの漁師が経営する海鮮料理の小さな食堂で昼食をいただき、
その港から再び海上タクシーで奄美大島の古仁屋港に戻った。
 
4.奄美大島で3日目の午後と4日目の午前のそれぞれの半日コース
 3日目の午後は奄美大島の中央部にある金作原原生林 金作原原生林のヒカゲヘゴ
金作原原生林のヒカゲヘゴ
に監視員ガイドと共に林道に分け入り、珍しい30mを超
すヒカゲヘゴの原生林のあるところまで約2kmを往復し
た。ここは奄美群島国立公園に2017(平成29)年に指定
され、現在ユネスコの世界自然遺産に登録申請していて
早ければ2020年にも指定を受けそうな状況になっている
とのことである。この原生林は去る2019年2月27日から
奄美市の利用ルールが制定され保護されている。このあ
と、宵の迫った大浜(オハマ)海浜公園に寄り今宵の宿泊先に向かった。この日の宿
泊は、奄美大島の北端に近い龍郷湾に面した“ネイテイーブシー奄美”だった。
 4日目の午前は最初に大島の北端に近い奄美十景の一つに制定されている“あやま
る岬”に行った。以前に2度も来たところだった。半島のように飛び出した高台を広
く公園にしてあり、遊戯施設もあり、野営もできる設備が整っている由であった。高
台からの展望も良く、十景の一つに選ばれていることも頷ける。そのあと土盛海岸に
寄り、空港近くの「浜千鳥館」で黒糖焼酎の工場を見学と試飲をした。この館の主は
骨董収集の趣味があり、特に昔の日本の武将が身に着けていた兜や甲冑の良いものを
持っている由で、某テレビ局のお宝鑑定番組にも登場したことのある有名人だそうで  
ある。
 昼食の後は奄美空港から与論島に向かった。
 
5.初めての与論島の観光
 約30分くらいのフライトで与論島に着いた。与論島では初日は午後約半日で与論民
俗村と赤崎鍾乳洞を見学した。
 民族村は個人の篤志家が 与論民俗村
与論民俗村
赤崎鍾乳洞
赤崎鍾乳洞
島の昔からの生活に使われ
てきた道具や建物などが失
われて行くのを残念に思い
自宅の敷地に伝統的な民家
を移築し、その中に生活用
品、什器を展示して見せる
施設を自ら村長を名乗って
個人的に始め、今ではすっかり客を集める立派な施設になっている。ここの主人公は
物を造ることが何よりも好きで、趣味が実益にまでも繋がり物になったものらしい。
土産品の食品も食事も家族で作り提供している。
 鍾乳洞は規模は小さいが、比較的最近見付けられたものらしく、具体的な見世物と
してはこれからのようだ。
 宿泊は空港近くのプリシア・リゾート・ヨロンだった。全国展開のリゾート・チェー
ンが経営するもので、関東でも例えば横浜の桜木町に宿泊ホテルを持っていることが
分かった。広い海岸をプライベート化して敷地内にコンクリート2階建ての建物がず
らーと並んで建っていて、1階と2階とを別々に利用するようになっているが、広い
敷地内に孤立しているのは何となく寂しく、夏場なら兎も角、南国とはいえ冬場には
やはり殺風景な雰囲気だった。
 最終日の5日目は午前中半日与論島の百合ヶ浜でグラスボートに乗り、珊瑚礁に潮
流がかぶせた砂の出来立ての島に渡って自分の足で立った感じは不思議だった。
海浜の最後の景色を眺めたところで、現皇太后陛下が皇后陛下の時にこの浜を眺めら
れて読まれた御歌が刻まれた歌碑が建てられている。
 
    南の島々に
      遠く来て
        島人と共に
          過ごしたる
            三日ありしを
              君と愛しむ
 
プリシア・リゾート入口風景
プリシア・リゾート入口風景
出来たばかりの新しい島に渡って
出来たばかりの新しい島に渡って
皇后陛下が詠まれた歌碑
皇后陛下が詠まれた歌碑
 そのあと、与論城址に回り、高台になっているところにある社2社に参り、眺めの
良い尾根筋を歩いて360度の展望を楽しんだ。いろいろの花の咲き乱れる草花には本州
の北から飛んできた渡りをする蝶アサギマダラや南国の蝶ツマベニチョウやリュウキ
ュウムラサキなどが飛び交っていて、虫好きな筆者の目を楽しませてくれた。散策見
学の後、ホテルに戻って昼食を摂った後空港に向かい、鹿児島空港経由で羽田空港に  
戻るスケジュール通りの旅程を終えた。     
                                     了
                         2020年1月3日(金)  記
 
2018. 4.15 村田 台南ぶらぶら旅
 
      台南ぶらぶら旅 白河市  村田 秀行
 
まえがき(村田追記)      
 平成30年1月の台南旅行の記録です。出発の翌日は大雪で羽田空港閉鎖でした。
帰国後まもなく5年前に行った花連で大地震がおきました。お見舞い申し上げます。
 9年ほどまえから毎年クループで台湾旅行に行っています。今回も馬目氏が旅行記
をまとめてくださいました。台湾ならではのエピソード満載ですのでご紹介いたしま
す。LCC利用のツアー2泊5日の旅、なんと2泊は羽田空港で野宿?寝袋も検討しまし
た(笑)。馬目氏は中国語OKなのです。「高鐵」とは台湾の新幹線です。
 「悠遊カード」とはバス・地下鉄・鉄道(高鐵以外)・コンビニ・スーパーで使え
るパスモ。シニア用を使うと65歳以上の料金が適用される。今は外国人には発行され
ない。前にもらっていた人は継続できる。以前は新幹線もパスポートを見せると半額
でした。
 
1. 概 要
 「フライト: ピーチ・エア(LCC)」
  1/22(月) 05:50羽田発、08:50台北桃園着 MM859
  1/24(水) 20:45台北桃園発、1/25(木)00:40羽田着 MM858
 「参加者(以下、敬称略)」
  村田秀行、X氏、馬目俊直 の3名
 「宿 泊」
  ツアーに含まれる台北のホテルには宿泊せず、台南ティエダオホテル(鐡道大飯
  店:台南市北区成功路2号)
 「旅 程」
  1/22(月)09:10 桃園空港着。両替、悠遊カードにチャージ、統聯客運バスの
           切符購入
        10:30 桃園空港発。中?転運站で台南行に乗り換え、車内で排骨飯
           弁当と缶ビールのブランチ
        14:30 台南バスターミナル着。タクシーでホテルへ。チェックイン
        15:15 タクシーで大天后宮へ。永楽市場、神農街、保安宮を散策
        16:45 「感性滷味」で宴会。海安路の海鮮料理屋で二次会
        20:00 タクシーでホテルに帰還。シャワータイム
        21:00 反省会
        22:00 お開き
  1/23(火)08:00 タクシーで「包成羊肉」へ。羊肉スープと白飯の朝食後、
           H31バスで高鐵台南経由、奇美博物館へ向かう
       10:30 奇美博物館参観
        12:30 台鉄保安駅まで歩き、台鉄で台南へ
        13:30 台南着。1/24の國光客運バスの切符(朝馬経由桃園空港行)
           購入後、ホテルに上着と荷物を置きに戻る
        14:45 88バスで安平へ向かい、延平街で下車。安平老街で棺材板と
           旗魚丸を立ち食いし、安平古堡、徳記洋行、安平樹屋を観光
        17:00 99バスで台南駅に行き、「上海華都小吃點心城」で宴会。
           「白腹浮水魚羹」で二次会。「赤嵌担仔麺」で夜食
        19:30 歩いてホテルに帰還。シャワータイム
        20:30 反省会
        21:30 お開き
  1/24(水)08:00 「阿?鹹粥」まで歩き、サバヒー粥と揚げパンの朝食後、成
           功路・忠義路交差点付近のスーパーで買い物、朝市を散策。
           ホテルで休憩
        11:00 ホテルチェックアウト後、タクシーで林百貨へ。「度小月」
           で担仔麺、おひたし、缶ビールの昼食
        12:30 ホテルに帰還。ロビーで缶ビールを飲みながらバスを待つ
        13:20 台南発。朝馬で乗り換え、桃園空港に向かう
        17:40 桃園空港着。フードコートでチキンカツ、ガバオライス、
           スープの夕食
        19:30 ピーチ・エアにチェックイン
        20:50 搭乗開始
 
2.旅行記
「1/21(日)」
 23:00、自宅出発。村田からメールがあり、羽田に着いた、ピーチのカウンタはA、
ベンチで寝ているとのこと。私はなるべく遅く羽田空港に着くために、浜松町からモ
ノレールに乗ることにした。モノレールを待っている時、中国人らしき女の子からこ
れは空港に行くかと聞かれた。昭和島止まりだったので、次(終電から1つ前)に乗
るよう教えた。
 0時過ぎ、羽田空港国際線ビル着。3階出発ロビーのベンチは仮眠する人で混雑し
ていた。村田を探していると、X氏がフラフラ歩いていた。早めに着いて空港内を探
検した、「吉野家」は混んでいた、少し待ったほうがいいと言って、タバコを吸いに
行った。村田がベンチを3人分使って、ザックを枕にして横になっていた。近づくと
起き上がって、よく寝た、昼間、町内会のご苦労さん会で飲んだと言う。「吉野家」
に行く雰囲気ではない。
 A付近のベンチに座っていたらX氏が来た。まだチェックインまで3時間ある。村
田はまだ寝ているので、二人で「吉野家」に行くことにした。カウンタに着いてビー
ルを頼もうとしたら、ネパール人らしき店員からアルコールは24時までですと言われ
た。現在1時近い。ガーン、最悪。外に出てX氏と善後策を検討した結果、1Fの
ローソンで飲み物を買ってきて、「吉野家」のツマミで飲むことにした。ローソンで
X氏は缶ビールと缶チューハイのロング缶を1本ずつ、私は缶チューハイのロング缶を
2本ゲットした。エレベータに乗り込んだら浜松町で質問された中国人らしき女の子
がいた。先ほどはと話しかけたら、日本語分かりませんと言われた。
 「吉野家」で牛皿と生野菜をテイクアウトし、テラスのテーブルで飲み始めた。チ
ェックインまで時間があるのでゆっくり飲む。しばらくすると村田が来た。ローソン
にアルコールがあると教えたら買いに行った。村田差し入れの青豆スナックをツマミ
に三人で飲む。桃園空港から台南への高速バスの話になった。村田は座席が3列のデ
ラックスバスにこだわっている。X氏はどこで悠遊カードのチャージができるか心配
している。X氏がアルコールの調達に行き、ツマミにミックスナッツを買ってきた。
私がトイレに立ったら、ピーチ・エアのチェックイン開始のアナウンスがあった。
 3:50、チェックインは並ばずにできた。セキュリティ、出国審査も順調。ピーチの
ゲートは一番端っこだとX氏が言う。LCCだからしようがないと思った。免税店でX氏
がタバコを購入、端っこのゲートに向かう。24時間営業の軽食屋があった。自販機で
ミネラルウォータを買った。ゲート近くのイスでウトウトしながら待つ。村田は熟睡
してグラウンドサービスに起こされたと言う。たいしたものである。
 5:20、搭乗開始。私にとって初めてのLCCである。機体はA320。通路をはさんで左
右に座席が3つずつ。私は窓際の席で隣は村田。X氏は前のほうの席。前の席とのス
ペースが狭いが、耐えられないほどではない。スクリーンやヘッドセットはない。
CAは皆、日本人。やや年増だが美人揃い。乗客対応や手荷物の扱いなど手際がいい。
機内食は有料。メニューを見ると、カニ飯弁当1,300円、タコ焼き750円、クロワッサ
ンサンド(飲み物付き)500円、缶ビール500円、ソフトドリンク200円等々。離陸後
25分間は揺れるのでトイレに行っておくようにと日本語、中国語、英語の順番でアナ
ウンスがあった。風が強いので台北到着が15分遅れるとのこと。腕時計を1時間遅ら
せて、台湾時間にセットした。窓から外を見ても、暗くてよく分からない。離陸する
と結構揺れた。シートベルトをしっかり締めるようアナウンスがあった。揺れがおさ
まると機内食と免税品の販売が開始された。買う人はほとんどおらず、カートが1回
1回通り過ぎて終了した。
 
「1/22(月)」
 いつの間にか眠ってしまった。目を覚まして外を見ると、明るくなっていた。海の
上を飛んでいるようだが、島らしきものは見えない。ウェットティッシュで顔を拭い
て、少しさっぱりした。もう一度、窓から外を見たが、やはり雲の間に海が見えるぐ
らいだった。
 8:00、機内食と免税品の販売を始めた。村田と相談し、朝飯は中?転運站で弁当を
買うことにしようと言った。しかし、乗り換え時間がどのぐらいあるか分からないの
で、桃園空港で買うのが無難ということになった。8:40、あと30分で台北着、台北の
天気は曇、気温は17℃というアナウンスがあった。外を見ると雲の上を飛んでおり、
地上は見えない。高度を下げたので、耳が詰まる。あくびをしたら耳詰まりが治った。
 9:10、20分遅れで桃園国際空港着。着陸する直前まで地上は見えなかった。視界ゼ
ロなのに上手に着陸するものだと感心した。LCCでも安全性は問題ないようである。機
外に出て空港内を延々と歩く。途中、私はトイレに寄った。出遅れたせいか、入国審
査は長蛇の列だった。手続きを終えてバッゲージクレームに着くと、すでに私の荷物
が出されていた。
 表に出て、先ずは両替。台湾銀行で3人まとめて両替した。私は2万円両替して
5,119元、レートは1元=3.91円だった。途中、コンビニの場所を聞いて、セブンイレ
ブンで悠遊カードに1,000元チャージ、弁当と台湾ビール・クラシックのロング缶を1
本買った。統聯客運(U-bus)で「我們想去台南(台南に行きたい)」と言ったら、新
幹線に乗り換えるか、台南までバスか、中歴転運站乗り換えでいいかと聞かれた。中
歴転運站乗り換えで430元、悠遊カードは使えない、現金かクレジットカード払いとの
こと。X氏が1,000元もチャージして損したと言う。コンビニでも使えるから大丈夫と
なだめた。(事務局注:中歴の歴は原文では土偏が付く)
 U-busの小姐が乗り場まで案内してくれた。外は暑くも寒くもなくちょうどいい気
候。東京で着ていた分厚いコートが邪魔である。1627番のバスは10:30発。15分で中歴
転運站に着いた。係員に「我們想去台南(台南に行きたい)」と言ったら、座って待
てと言う。11:10発なので、中歴転運站の中を探検した。日本のサービスエリアと同じ
で、フードコート、土産屋、コンビニがあった。アルコール類は置いていない。土産
屋の小姐に「厠所在那里(トイレはどこ)?」と聞いてトイレに行った。
 台南行のバスは台北始発の1611番。乗客は2人しか乗っていなかった。村田がこだ
わった座席が3列のデラックスバスだった。座席は決まっていない。一番うしろの席
に座った。11:10、定刻出発。早速、弁当を開いて缶ビールを飲む。バスが揺れるので
缶ビールが飲みにくい。弁当は白飯の上に骨付き豚肉、干豆腐の煮物、メンマ、高菜
漬け等が載っている排骨飯弁当。肉の煮汁がご飯にしみて美味。私の好みである。道
中長いので、30分ほどかけてゆっくり食べた。ショートメールが使えるかどうか、弟
と家内にメールしてみた。両方から返事がきた。ショートメールは国内とまったく同
じように送ればいいので便利だ。ちなみに、バス内はWi-Fiが入るのでeメールやライ
ンも送れるかも知れない。
 14:10、バスは台南ICで高速道路を下りて、台南市内に向かう。途中、何箇所かの
バス停で降車の案内があった。14:40、終点の台南バスターミナルに到着。対面に台南
公園が見える。ホテルまで歩けば15分ぐらいらしいが、荷物があるのでタクシーで行
くことにした。タクシー運転手にホテル名と住所を書いたメモを見せたら、100元と言
って我々の荷物をトランクに入れてくれた。サービスがいいと思ったら、車内にトラ
ンク使用は10元という貼紙があった。
 14:50、台鉄台南駅がすぐそばに見えるティエダオホテルにチェックイン。ホテルの
ロビーがセブンイレブンに繋がっているせいかロビーのテーブルには宿泊客とは思え
ない人が何人か座っている。予約確認書とパスポートを見せたら、すぐに部屋のキー
をくれた。3人とも最上階14階のシングルルーム。14階だけで部屋が50室ぐらいあり、
大きなホテルである。部屋に入ると洗面所は明るいが、ベッドのある部屋は暗い。ベ
ッド脇にあるスイッチを見つけて、部屋全体を明るくした。部屋は広いが、ダブルベ
ッドが1つあるだけの殺風景なつくり。窓のカーテンを開けたが、外は見えない。調
度品はドレッサ、イス、小テーブル、冷蔵庫だけで、シンプルこの上ない。アメニテ
ィはドレッサの上にミネラルウォータ2本、歯磨きセット、ボディソープ、シャンプー
があるだけ(私はミネラルウォータしか使わなかった)。1泊2,300円では贅沢は言え
ない、眠れればいいと割り切った。
 15:30、タクシーで「大天后宮」に行った。本堂らしき建物の後ろにいくつか建物が
あり、いずれも立派な彫像や彫刻が満載。村田が感心して写真撮影している。近くに
いた小姐に記念 撮影を頼 大天后宮
大天后宮
道に迷う?
道に迷う?
んだ。小姐がシャッタを押
して「太亮(明るすぎる)」
と言う。見たら、3人の顔
がハレーションを起こして
いた。本堂の奥のほうに移
動して、もう一度、シャッ
タを押してもらった。
「謝謝」
 永楽市場を通って神農街に行くつもりだったが、道に迷ってしまった。村田がこっ
ちだと自信ありげに言うのでついていくと、えてしてこういうことになる。私も方向
音痴だが、彼もなかなかのものである。西門ロータリーまで戻って、ショートカット
せずに行く。永楽市場は道の両側に食べ物屋がずらりと並んでいる。肉や野菜、魚を
煮込んだものが美味しそうだった。夕方までには間があるのに、歩道のテーブルで食
べている人もいる。コンビニで缶ビールを買ってくれば、即、宴会ができそうである。
神農街は日本統治時代の建物だが、カフェやアクセサリーなど、小じゃれた物を売っ
ている店が多く、若者に人気がある通りである。我々年寄りは深入りしないことにし
た。
 ネット情報では海安路を南下すると飲み屋がたくさんあるとのことなので、そちら
に向かった。工事している箇所が多く、歩きにくい。ついに行き止まりになった。海
安路を横断して反対側の歩道を歩いた。飲み屋らしき店はない。中正路の辺りにスー
パーがあったので、私はパイナップルケーキを買った。さらに南下すると通りの反対
側に「感性滷味」があり、その先に「集品蝦仁飯」があった。ネット情報は間違いな
かったが、大規模工事のため休業している店が多いようである。「保安宮」は一見の
価値ありと村田が言うので中に入った。「大天后宮」よりはきれいにメンテされてい
た。天井の彫刻や絵がすばらしい。相当、金がかかっていると思われた。
 少し戻って、「感性滷味」に行った。まだ17時ちょっと前。客はいない。店員に
「可以馬(いいですか)?」と聞いたら、「可以、可以」と言ってメニューを見せて
(事務局注:馬は原文は口偏が付く)
くれた。村田が野菜をいっぱい食べたいと言う。滷味はザルに好きなネタを取ってち
ょ(何故か名古屋弁になった)と店員がジェスチャーで教えてくれた。瓶ビールは自
分で冷蔵庫から取る。青菜炒を注文し、X氏と私で好きなネタを取った。ネタは豆腐、
厚揚げ、豆干、つみれ等の練り物系、ホルモン、ソーセージ、肉団子、豚足、豚耳等
の肉系、しいたけ、アスパラ、ピーマン、大根などの野菜系、よく分からないものも
多い。先ずはビールで乾杯。歩いて喉が渇いたせいか、このビールがどえりゃ美味か
った。青菜炒と滷味が出てきた。滷味はおでんのようなものだが、あたためたネタを
食べやすく切って味付けし、大皿に盛ってある。日本のおでんとは味付けが違うが、
美味。これだけで十分飲める。これは日本でも流行るのではないかと言いながら食べ
た。名古屋の味噌串カツと土手焼きも捨てがたいが。ビールを飲み終えて、店員に
「有没有紹興酒(紹興酒ありますか)?」と聞いた。スマホで陳年と赤ラベルの写真
感性滷味
感性滷味
安くて美味
安くて美味
を見せて、どっちと聞く。
当然、安い赤ラベルを選択
した。しばらくすると紹興
酒の瓶を持ってきた。系列
店から持ってきたようだ。
レタス炒めを追加した。料
理を食べつくし、紹興酒も
なくなった。勘定したら飲
み物を含めて680元。1人当り900円だった。また来てみたい店である。
 さらに海安路を南下した。ビールは飲み飽きたので紹興酒が飲める店を探した。私
はトイレに行きたくなり、早めに店を見つけたい。よさそうな店はあるが紹興酒がな
い。コンビニで紹興酒を調達して持ち込むことにした。X氏と通りを渡るとセブンイ
レブンが見えたので、私が紹興酒の調達に行くことにした。X氏には村田をウォッチ
するよう頼んだ。紹興酒を買って、店員に「這里有没有厠所(ここにトイレある)?」
と聞いた。ない、対面の公園にあると言う。急いで信号を渡ったら、村田に出会った。
村田に買い物袋を持ってもらって、トイレに急行。何とか、間に合った。村田が新鮮
な魚がある店を見つけたと言う。X氏と三人でその店に向かった。村田がこの辺だと
思ったがないと言う。行ったり来たりして、村田がここだと、やっと見つけた。店の
前のネタケースにいろいろな魚が並んでいる。紹興酒はないが、持込みはOKと言う。  
村田は丸い模様のある海蛇のようなのが気に入ったようだ。「多少銭(いくら)?」
と聞いたら、1両(50g)50元と言う。100g100元=400円は結構いい値段である。
「這是怎麼做的(これどう料理するの)?」と小姐に聞いた。「三杯」と言うが、よ
く分からない。村田が食べたい一心なので、思い切って注文した。それと青菜炒と炒
麺を頼んだ。青菜炒と炒麺をツマミに紹興酒を飲む。鉄鍋で煮込んだ海蛇が出てきた。
「這是什麼名字(これは何というの)?」と聞いたら、メモに「三杯銭鰻」と書いて
くれた。海蛇ではなく、鰻だった。鰻の味はしないが、白身の魚で味は悪くない。し
かし、小骨が多くて食べにくい。小姐がサービスですと言って、台湾風ローストビー
フとソーセージの盛合せを出してくれた。台湾風の香辛料の味がするが、X氏は気に
入ったようで、結構、食べていた。飲み物持込みで勘定は740元、1人当り1,000円弱
だった。タクシーでホテルに戻った。セブンイレブンで水割り用の氷を買った。
 21:00、各自、シャワーを浴びてから私の部屋に集合。水割りと乾き物で反省会。
LCCの感想、明日の予定等について話し合った。村田は深夜時間をつぶすのは苦でなく、
機内の狭さも慣れるだろうと言う。X氏は機内では前後のスペースが狭く、眠れなか
ったと言う。私は機内の狭さは耐えられないほどではない、機内食がないのはいつで
も眠れるのでいい、問題は深夜の時間のつぶし方。各人各様である。明日は8時ロビー
集合。タクシーで「包成羊肉」に行き、朝食。バスで奇美博物館に行き、参観。午後、
安平観光。明後日、桃園空港へは台中乗り換えの國光客運のバスで行こうと村田が提
案した。22:00、お開きとした。台湾に来て、今日一日で20,005歩、よく歩いた。
 
「1/23(火)」
 トイレに一度起きただけで7:00までぐっすり眠れた。LCCのお蔭か。シャワーを浴び
て、出かける支度をした。テレビはチャンネルが多いが、日本語放送は1つしかなか
った。ニュースを見たかったが、やっていない。ロビーに行くと、村田がスマホでニ
ュースを見ていた。このホテルは1階ロビーだけWi-Fiが入るらしい。東京は大雪で、
あの後、羽田空港は閉鎖されたと村田が言う。我々はラッキーだった。一日ずれたら
予約した便に乗れなかった、そういう場合、どうなるのか?あまり考えたくない。台
南はいい天気、昼間は上着を着ていると暑いぐらいである。
 村田がホテル前のバス停で奇美博物館行のバスがあると言う。紅4番の時刻表をス
マホで撮影した。近所の人らしいお兄さんがこれに乗れば奇美博物館に行くと言って
いるようだ。「こんにちわー」と年配のタクシー運転手が割り込んできてタクシーに
乗れと言う。「我們要吃早飯、然后、去奇美博物館(朝食を食べてから奇美博物館に
行く)。」と言ったが、「こんにちわー」だけで通じない。「包成羊肉」の住所を書
いたメモを見せたら、「こんにちわー」、タクシーに乗れと言う。タクシーは遠まわ
りして「包成羊肉」に着いた。とんだ雲助運転手である。「包成羊肉」はネットで見
つけたが、屋台に毛がはえたような店構えだった。焼きプリン売りの小姐が「May I
help you?」と言う。「我們想吃羊肉湯(羊肉スープを食べたい)。」と言ったら
「請座(座ってちょ)。」と言う。羊肉スープは塩味(清湯)と醤油味(當帰)があ
り、大と小があることを村田とX氏に説明した。村田が醤油大と大ライス、X氏が醤
油小と小ライス、私が塩小と小ライスを選んだ。メモに書いて店のおばさんに見せた。
熱々のスープとご飯が出て 「包成羊肉」の店内
「包成羊肉」の店内
羊肉スープと白飯
羊肉スープと白飯
きた。スープが何ともいい
味、羊肉が信じられないほ
ど柔らかくて美味、新鮮な
のか羊臭くない、白飯によ
く合う。村田がコンビニ弁
当なんか食っている場合で
ないと言う。X氏も満足そ
う。タクシーで来たかいがあった。
 府前路を東の方角に行くと、奇美博物館行のH31バス停があるはずである。しかし
ながら、我々は今どこにいるのかよく分からない。焼きプリン売りに地図を見せて、
「我們在?里(どこにいるの)?」と聞いた。小姐は「Oh, my God」と言い、とんで
もない所を指さした。地図が読めない女だった。「這是府前路馬(これ府前路)?」
と聞いたらそうだと言う。磁針で確認して、その道を東の方角に歩いた。太陽を見れ
ば分かるだろうとX氏が言う。最初と二番目のバス停はH31(奇美博物館経由高鐵台
南行)でなかった。三番目のバス停の直前で我々を追い越したバスがあり、X氏があ
のバスだと言う。バス停で待っていた人がスーツケースをバスのトランクに入れて乗
り込んだ。彼は悠遊カードをタッチしなかった。我々も見習ってタッチせずに乗り込
んだ。乗り込んだのはいいが、運賃はいくらか、悠遊カードは使えるのか気になった。
「下一站、奇美博物館(次は奇美博物館です)。」というアナウンスがあり、降車ボ
タンを押したが、何の反応もない。村田も自分の近くの降車ボタンを押したが反応が
ない。運転手のところには通じていると、村田が楽観的なことを言う。奇美博物館の
手前で運転手に「下車(降ります)」と言ったら、「没有車站(バス停はないよ)。」
と言われた。さらに「下一站、高鐵台南(次は新幹線台南駅です)。」というアナウ
ンスがあった。 
 高鐵台南から奇美博物館までタクシーで行くしかないと思った。奇美博物館から高
鐵台南まで結構あった。タクシー代が心配。高鐵台南で下車する時、運転手があのバ
スに乗れと言う。H31である。奇美博物館で降車できるのか疑心暗鬼。X氏はタバコ、
村田と私で駅構内の服務中心(サービスセンタ)に行って聞いた。H31に乗れと言う。
村田が英語で聞いたが、やはりH31に乗れと言う。ちなみに、今回、バスを降りる時
に運賃を払わなかった。高鐵台南から台南市内を結ぶ連絡バスだからかと思った。以
前も無料だった記憶がある。ということは台南市内からは乗車できるが高鐵台南でし
か降車できない。逆に、高鐵台南では乗車できるが台南市内は降車しかできないとい
うことかと推論した。H31バスがすぐ出るとX氏が言う。乗り込んだ。果たして、首
尾よく、奇美博物館で降車できた。もちろん、無料(免費)である。
 連絡バスの理屈からすると、奇美博物館からは台南市内方面のH31には乗れないこ
とになる。別のバス停に行って時刻表を確認した。台南市内方面は20〜30分毎にある
が、発車時刻は書いていない。奇美博物館は広大な敷地で、バス停から駐車場を通っ
て彫像のある噴水を迂回し、橋を渡って広場を通り抜け、正面玄関まで500mほどある。
広場の手前で記念撮影をした。
 建物は西洋風の立派な様式である。日本は台湾に負けているなと村田が言う。確か
に、台北の故宮博物院といい、高雄の水族館といい、日本に比べてスケールが大きい。
奇美博物館
奇美博物館
正面玄関から館内に入り、予約票とパスポートを提示し
て入館手続きをした。「我們都是六十五歳(皆、65歳だ
からね)。」と言ったら、入館料200元のところ150元に
してくれた。X氏が館内案内を見て、建物の反対側の駐
車場に紅4番のバス停があると言う。ホテルまで直行で
きる。帰りはこれにしようと思った。予約した10:30まで
時間があったので、ギフトショップに入った。欲しいと
思っていた大きさのトレイ(お盆)があったので、私は
帰りに買うことにした。
 10:30、博物館に入場。12:30に1階に集合することにして、自由に参観することに
した。兵器ホールに入った。先ず、ウイリアムテルが使ったようなボウガンが大小た
くさん展示されていた。弓を引き絞るメカまであり、十分殺傷力があると思えた。最
近、ツマヨージを飛ばすボウガンがネットで販売されているという話をした。困った
ものである。展示品はサーベルや槍、西洋風の鎧や兜、クラシックなピストル等、数
が数十、数百と半端でない。個人の所有とのことだが、とんでもない財産である。村
田が言うとおり、日本は台湾に負けていると思った。動物ホールは等身大の剥製がや
はり100体前後あった。私はあまり興味がないので、ざっと見て、ロダンホールに行っ
た。有名な「考える人」のレプリカほか、たくさんの彫像があった。質感があって迫
力がある。階段を上ると3階に芸術ホールがあった。宗教画、肖像画、静物画、風景
画等が写実的なものから抽象的なものまでたくさん展示されていた。私はトレイの原
画を探した。20世紀初頭、スペインのホセ=ナバロー・ロレンスが描いた油絵 “Pull-
ing the boat ashore” が展示されていた。これのトレイを買うことに決めた。音楽
ホールはいろいろな楽器が展示されていた。単に展示されているだけでなく、弦楽器、
管楽器、打楽器がオーケストラの形に配置され、各楽器の脇のディスプレイに演奏中
のビデオが映し出され、交響楽が奏でられた。迫力があって面白かった。バイオリン
の工房があり、材料や部品、工具、治具等が展示されていた。バイオリンを作ってい
るビデオを見た。1台ずつ手作りで大変そう。ストラディバリを見つけたので、X氏
に教えてやったら、偽物だろうと言う。
 12:30、参観終了。私は目をつけておいたトレイを買った。紅4のバス停があるとX
氏が言う東口に向かった。広大な駐車場にバス停があった。しかし、次のバスまで1
時間以上ある。来るときに見た西口のバス停に行こうと村田が言う。あそこまで歩い
たら20分はかかる。しかも、すぐバスが来るとは限らない。ここまで来たら台鉄保安
駅まで歩こうと私が提案した。村田がガイドブックの地図を見て、保安駅は西口だと
言う。私が調べたネット情報では東口から15分と記載されていた。ガードマンに聞い
たら、東口を出て右に行くと、2つ目の信号から見えると教えてくれた。村田が最後
まで西口のバスにこだわったが、歩いたら10分足らずで保安駅に着いた。すぐに台鉄
が来たので、13:30には台南に着いた。台鉄経由が正解だった。(保安駅舎は1920年代
に日本占領時に建てた現存する駅のひとつ)
 台南駅からすぐ近くの國光客運に行って、明日の桃園空港行の高速バスの切符を買
いに行った。13:20発の台中行に乗って、途中、朝馬で乗り換え、18:00に桃園空港に
着く便の切符を買った。65歳以上かと聞かれて、皆そうだと答えたら430元のところ、
半額の210元にしてくれた。日本円で800円である。台南に来る時も65歳以上と申告す
れば半額になったはず、残念。ホテルに戻り、上着と土産のトレイを置いて、安平観
光に行く。1月でも台南は、朝夕はともかく、日中は上着を着ていると暑い。
 安平にどうやって行ったらいいかホテルで聞いたら、タクシーかバスかと聞く。バ
スで行きたいと言ったら、定食屋の前から出る88番か99番のバスと日本語で教えてく
れた。最初、この「定食」が「電飾」に聞こえて分からなかった。88番に乗ったら、
バスは延平郡王祠、孔子廟、神農街、市政中心等を経由して、遠まわりして安平に向
かった。延平街で下車。少し歩いて安平老街を見つけた。食べ物屋、雑貨屋、屋台が
並んだ昔ながらの通り。屋台でミニ棺材板@25元と旗魚丸@20元を買って立ち食いし、
昼食とした。棺材板は厚切りトーストをくりぬいて、中にシチューを詰めた台南の名
物。旗魚丸は魚のすり身を串にさして揚げた薩摩揚げのようなもの。村田はエビ巻と
か、いろいろ食べたい様子だった。しかし、15:00近い時間、これ以上食べたら酒がま
ずくなるので我慢した。
 安平古堡に行った。入場料50元を払って中に入る。鄭成功の銅像があったので、記
念撮影をした。鄭成功がオランダと戦った大砲が何門か残っていた。安平古堡の裏門
を出て、徳記洋行・安平樹屋に向かった。途中のバス停で台南駅行のバス時刻を確認
した。ここでも入場料50元 鄭成功の銅像
鄭成功の銅像
徳記洋行
徳記洋行
を払って中に入る。ドイツ
ビールが飲めると村田がい
うので期待したが、ドイツ
ビールはなかった。安平樹
屋はガジュマルに侵略され
たような建物だった。徳記
洋行は外壁をしっくいで固
めた西洋風の建物だった。土産屋でもドイツビールを探したが、なかった。
 村田がトイレに行くというので、入口で村田を待っていたが、来ない。X氏は外に
出てタバコ。私はトイレのほうに戻ったが、村田はいなかった。出口があり、ここか
ら出たに違いないと思い、私もそこから出た。X氏が石垣に座ってタバコを吸ってい
た。私はセブンイレブンで紹興酒を調達しようとしたら、村田がセブンイレブンから
出てきた。紹興酒を買ったとのこと。バス停で16:43発の99番バスを待つ。村田が台湾
の学生に話しかけ、女学生が笑い始めた。台湾で初めて日本語が通じたと村田が言う。
(村田補足、安平のバス停でバスを待っていたら高校生の男女5・6人のグループが
きて「彼氏・彼女」とか言っていたので「日本語の勉強してるの?がんばってね」と
言ったのです。日本人のジジイが突然ひやかしたので大爆笑でした。)
 バスを呉園で降りて「上海華都小吃點心城」に行くつもりだったが、水仙宮の次は
台南駅とのアナウンスがあり、呉園には停まらなかった。台南駅から「上海華都小吃
點心城」まで歩いた。中山路と民権路の交差点を右折してすぐのはずだったが、見当
たらない。公園路まで行ってしまった。行き過ぎである。角の美容院で聞いたら、す
ぐそことのこと。やはり行き過ぎたらしい。逆方向から行くと、大きな看板が見えた。
「上海華都小吃點心城」でビール3本、看板メニューの松針小籠包2蒸籠、空芯菜炒
と蒜泥白肉を1皿ずつ注文した。店員がX氏の前にあったビール瓶を誤って倒し、X
氏のグラスがテーブルから落ちて、村田のズボンにビールがかかった。店員はすぐ
ビールで濡れた箇所を拭いて、グラスの破片を片付けたが、「申し訳ありません」と
いう言葉はなかった。日本人なら自分が悪くなくても取りあえず「ごめんなさい」と
言うと思う。日本人と台湾人(中国人)の違いだと思った。
 松針小籠包はレンゲの上に載せて生姜千切りと醤油で食べた。台北の「鼎泰豊」や
「京鼎楼」と比べて遜色がないほど美味かった。X氏もこれは美味いと絶賛している。
しかも1蒸籠7個で70元と安い。蒸籠の下には松葉が敷き詰められていた。「松針」
の由縁である。蒜泥白肉は茹でた豚バラ肉の上に甘辛いタレがかかっている。日本の
中華料理屋で「雲白肉」と呼ばれているものと同じだった。ビールによく合う。ビー
ルがなくなったので紹興酒、麻婆豆腐、開陽白菜を追加した。麻婆豆腐はいろいろな
香辛料(ケチャップの味もした)が効いていて辛過ぎず美味。開陽白菜は干蝦で出汁
を取った白菜の塩味の炒め物。片栗粉でとろみがついていた。前回、台湾で買った干
蝦があるので、家で作ってみたいと思った。勘定は飲み物を含めて1,060元、1人当り
1,400円だった。ちなみに、かつて「京鼎楼」ではビール2本、小籠包2蒸籠、チャー
ハン1皿だけで800元だった。えらい違いである。
 ガイドブックの地図を見て、民族路の「白腹浮水魚羹」まで歩いて行った。村田が
反対方角だと言っていたが、無視する。10分ほど歩いて、赤嵌楼の対面に「白腹浮水
魚羹」があった。店のおじさんに「有没有紹興酒(紹興酒ある)?」と聞いた。隣の
コンビニで買ってこいと言う。持込みOKである。すでに村田は安平でゲットした紹
興酒を持っている。メニューを見て、看板料理の魚団子スープ、焼きビーフン、コロ
ッケ、薩摩揚げ風を注文した。紹興酒を飲もうとしたら、村田もX氏もマイカップを
持っていないと言う。私がセブンイレブンで紙コップを買ってきた。紹興酒は村田が
差し入れだと言う。魚団子は意外に硬く、ボリウムがあった。スープはいい味である。
3個あったコロッケが美味かったので、もう1皿頼んだ。勘定は260元、1人当り340
円だった。何という安さ。19時過ぎ、二次会終了。日本と1時間の時差があるといっ
ても健全である。帰りに「赤嵌担仔麺」で担仔麺を食べた。私はこんなものだろうと
思ったが、X氏はまずいと言う。村田も二番煎じはよくない、担仔麺は「度小月」に
限ると言う。明日の昼食は「度小月」の担仔麺にすることにした。
 19:30、ホテルに帰還。シャワータイムの後、私の部屋で反省会をすることにした。
私は湯船にお湯をはって、ゆっくり風呂に入った。羽田空港での深夜時間つぶし、LC
C、高速バス、台南市内散策、奇美博物館参観、安平観光とあわただしかった。明日は
ゆっくりしたいと思った。
 20:30、残っていたバランタインと乾き物で反省会。村田はLCCは悪くない、1日出
発が遅かったら大雪で乗れなかった、ついている、「感性滷味」の滷味が美味かった
と言う。X氏はLCCは狭くて眠れなかった、「赤嵌担仔麺」の担仔麺は最悪、担仔麺は
「明弘飯店」(蒲田にあった店、閉店)が一番と言う。私は、LCCは耐えられないほど
ではなかった、「感性滷味」にはまた行ってみたい、エビ飯やちまき等も食べてみた
いと言った。明日は台南名物のサバヒー粥を朝食に、「度小月」の担仔麺を昼食にす
ることにした。21:30、お開き。21,781歩。
 
「1/24(水)」
 7時起床。LCCの後遺症か、台湾に来てよく眠れる。シャワーを浴びて荷物を整理し
た。分厚いコートをキャリーケースに押し込んだが、まだ若干の余裕がある。どこか
で土産にウーロン茶とパイナップルケーキを買ってきたい。1階に下りると村田がス
マホでニュースを見ていた。私を見ると、「度小月」の近くには観光スポットがたく
さんあると言う。延平郡王祠や孔子廟のことらしい。前に台南に来たときに歩いて見
てまわったところである。私はパスするが、待っているからどうぞと言った。X氏が
来たので、國光客運の前を通って、「阿鹹粥」に向かって歩いた。台南でも朝のこの
時間は涼しく、上着を着ないと肌寒い。村田が寝る前にビールで濡れたズボンを洗っ
た、窓からぶら下げて乾かした、まだ生乾きだと言う。真夏ならともかく、1月では
涼しすぎると思う。
 「阿鹹粥」は大きな看板が出ており、すぐ分かった。店内に入って「三箇人(3人
です)」と言ったら、空いているテーブルを指した。座るとお兄さんがメニューを持
ってきて、「何にしますか?」と日本語で聞いた。日本語で「サバヒー粥(虱目魚肚
粥)と揚げパン(油条)」と注文した。すぐにサバヒー粥が入った丼とその上に細長
い揚げパンを載せて持ってきた。揚げパンはそのまま食べても美味いが、スープに浸
して食べても美味い。村田は揚げパンをもう1つもらった。サバヒー粥はスープの中
にサバヒー(鯖ではない)という白身の魚が入ており、下のほうにご飯が沈殿してい
た。サバヒーは三枚おろしにした両側の身が入っている。上手に骨が取られており、
1本の骨も残っていなかった。最初、美味いと思ったが、ボリウムがある。結構、魚
に脂が載っており飽きてくる。豆板醤を入れて味に変化をつけて完食した。X氏は半
分以上残した。昨日の羊肉スープのほうが美味いと言う。私も同感である。
 忠義路から成功路を左折して帰ることにした。忠義路と成功路の交差点付近にスー
パーがあったので、私は阿里山烏龍茶とパイナップルケーキを買った。これでキャリー
バッグに荷物を全部詰めて預けられる。スーパーの近くの路上にたくさんの屋台が出
ていて、果物や野菜を売っていた。朝市である。珍しい果物や変わったトマトがあっ
たので買ってみたいが、検疫にひっかかるので持って帰れない。以前は牛肉干(台湾
風ビーフジャーキー)等を土産に買ったことがあるが、あれも申告が必要らしい。
 9:30、ホテルに戻った。チェックアウト時間を聞いたら12時とのことだった。林百
貨は11時オープン。11時にチェックアウトして荷物を預かってもらい、タクシーで林
百貨に行くことにした。林百貨は日本統治時代に建てられた5階建てのビルだった。
1階は食料品売り場で、蜂蜜、ドライフルーツ、クッキー、調味料等が並んでいた。
台湾にしては値段が高い。エレベータで5階に上がり、階段で屋上に出た。屋上に小
さい祠があった。記念撮影した。眼下に「度小月が見えた。5階から1階まで各フロ
アを見て回った。文具、雑貨、衣類、アクセサリー等がうやうやしく陳列されて、ク
ラシック音楽のBGMが流れ、高級な雰囲気だった。鑑賞したが、3人とも何も買わな
かった。
 11:40、「度小月」に行った。店の前で店員が10名ぐらいでミーティングをしてい
たが、すでに開店しているようだった。店内に入ると、お兄さんがメニューを見せて
999元のセットメニューがお奨めと言う。そんなに食べるつもりがないので、単品で
林百貨屋上の祠の前で
林百貨屋上の祠の前で
担仔麺
担仔麺
担仔麺3椀、おひたし1皿、
缶ビール3個注文した。台
湾でおひたしを食べたのは
初めてだが、龍髭菜のおひ
たしだった。担仔麺は美味
かったが、X氏は期待した
ほどでないと言う。所詮、
小ラーメンである期待する
ほうが間違っていると思う。隣のテーブルにいた客2名から日本語が聞こえてきた。
村田が福島県人かも知れないと言う。担仔麺を食べ終えて、村田が話に行った。水戸
から来たとのこと。村田が高速バスや台南の観光スポット、グルメ等を先輩らしく説
明した。歩いてホテルまで戻った。バスの出発まで時間があるので、セブンイレブン
で缶ビールを買うことにした。村田が4缶買うと安くなって82元になると言う。3缶
でいいのだが、4缶買った。115元だった。話が違うが、それでも1缶120円ぐらいで
ある。もちろん発泡酒でなく、正真正銘のビールである。ホテルのロビーで缶ビール
を飲んだ。13:05ホテルに預けていた荷物をピックアップして、國光客運に向かった。
 13:20発の台中行きバスに乗った。途中、朝馬で桃園空港行きバスに乗り換える。乗
車する時に村田が係員から何か言われた。理解できないので、何か言っていると私に
言う。係員が「幾位(何人)?」と聞くので「三箇人(3人)」と答えた。我々3人
の切符を運転手に見せて何か言い、切符の半券を取ってしまった。私が推測するに、
切符は乗るときに半券の端を切り取り、降りる時に半券を渡すのだが、それが通じな
かったので予め半券を回収したよと運転手に伝えたのだろう。ちなみに、半券の残り
は領収書である。缶ビールを飲んだせいか、2時間ほど眠った。このところ、LCCの後
遺症かよく眠れる。15:30、朝馬に着いた。朝馬で係員に切符を見せた。「従台南来的
?(台南から来たのか)?」と聞くので、「対(そうです)」と答えた。係員はさら
に早口で何か言ったが、私は聞き取れない。桃園空港からの出発便のリストを見せら
れたので、我々の便名を書いたメモを見せた。我々の預け荷物にラベルを貼り、サイ
ンペンで「1」と書いた。ターミナル1で降りろと言うのは理解できた。朝馬も中?
転運站と同じようなサービスエリアで土産や食べ物を売っていた。弁当が美味そうだ
った。
 15:50、朝馬出発。村田が車内はWi-Fiが入ると言っていたので、私は弟とカミさん
にeメールしてみた。すぐに返信があり、1/17に初孫を生んだ娘は、明日、産科を
退院するとのこと。Wi-Fiが入ればeメールも通じることが分かった。17:35、桃園空
港ターミナル1に到着。X氏がタバコと言うので、村田と一緒に空港ビルに入り、ト
イレの後、X氏を待っていたが来ない。いずれピーチのチェックインでは一緒になる
と思って、桃園空港のフードコートに行った。フードコートで村田は食べ物に目移り
して、あれも食いたいこれも食いたいという状態。昼食が担仔麺1杯だけだったので、
私も腹がぐうぐうなっている。私がチキンカツ、ガバオライス、スープのセットメニ
ュー@188元にしたいと言ったら、村田もそれにすると言う。注文して金を払った。子
機をもらって空いていたテーブルに座っていると、子機がモールス信号を発信した。
SOSだと村田が言う。無事、注文品をゲットして、夕食を食べる。私が昼に余った
缶ビールを出したら、村田も取っておきのロング缶を出してきた。缶ビールを飲みな
がら、夕食を楽しんでいると、X氏が来た。我々が食べているチキンカツを見て顔を
しかめ、我々の便は30分遅れと言って、どこかに行った。夕食後、村田はさらにパン
屋でチーズ入りのパンとミニフランスを1 個ずつ買った。1個は機内で、1個は羽田
空港で食べると言う。
 18:45、ピーチ・エアのチェックイン・カウンタに行くと長蛇の列。50人は並んで
いる。X氏がいた。夕食はコンビニ食とアサヒビールで済ませたと言う。台湾に来て
まで息子さんの勤め先のビールを飲むというのは義理がたい。並んでも意味がないと
X氏が言うので、イスに座って待つことにした。ピーチのカウンタは2つしか開いて
おらず、なかなか進まない。19:30、列が数人になったところで並んだ。すぐチェック
インできて、イスで待ったのは正解だった。ゲートはA1。また端っこだとX氏が言
う。パンが手荷物に入らないと村田が言うので、私が預かった。セキュリティと出国
手続きは順調。
 私は免税店でお土産のチョコレートを買い、自販機でミネラルウォータ@20元を買っ
た。ゲートで待っている間、村田はスマホでニュースを見て白根山が噴火した、北海
道で震度4の地震があったと言う。預かっていたパンを返した。折り返し便の遅れに
より、搭乗開始が20:50に変更になったとのアナウンスがあった。さらに、機内に持ち
込める荷物は2個まで、大きさの制限までアナウンスしていた。LCCは預ける荷物が有
料なので、機内に持ち込む荷物が多くなるからだと、村田解説員が説明してくれた。
 20:50、搭乗開始。帰りは強い偏西風の影響で、飛行時間は2時間30分というアナウ
ンスがあった。少しウトウトしただけで、01:00に羽田空港に着いた。結局、村田はパ
ンを食べなかったとのこと。機外に出ると寒かった。入国手続きは顔認証でやってみ
た。パスポートにスタンプが押されないが、速くていい。バッゲージクレームまでの
距離も短かった。10分ほど待ったら、荷物が出てきた。外に出て解散。お疲れ様でし
た。(村田補足:馬目氏は空港近くのホテル、X氏と村田は羽田国際線待合室でモノ
レールの始発を待ちました。X氏はビールを飲んでいたようです。村田はベンチ寝て
いました。白河までは鈍行で帰りました。いまさら1時間節約しても意味ないし鈍行
のグリーン車は極めて快適です。)
 
3.所 感
 昨年12月初めにHISから「初夢フェア」台湾4日間19,800円というメール案内が来
た。10月に台湾に行ったばかりだが、19,800円というのに魅かれた。定例会で話題に
したところ、X氏が満更でもないようだった。日程調整したところ、1/22出発の2泊
4日(機内1泊)がよさそうということになった。村田を誘ったら、参加したいと言
う。
 ネットでは不明な点があり、私はHIS高田馬場店に聞きに行った。キャリアはピー
チ・エアかタイガーエア台湾のLCCでいずれも羽田空港を深夜の発着、台湾は桃園空港、
ホテルは台北市内のエコノミークラス、3人で申し込んだ場合3ベッドの保証はなく、
ダブルベッド2ついうこともあるとのこと。花蓮の二の舞である。ちなみに、19,800
円はネット注文だけで、HIS窓口での最安値は24,800円、あと4席しかないと脅す。い
ずれの場合も空港使用料4,610円が加算されると言う。村田に電話して、ネットで3名
分予約するよう依頼した。台湾往復、台北ホテル2泊で24,410円(空港利用料込み)
という格安ツアーを申し込んだ。
 後日、村田から提案があり、桃園空港から高速バスで台南に行こうと言う。桃園空
港には朝早く到着する、ホテルへのチェックインは15時なので、どうやって時間をつ
ぶすか頭が痛い。高速バスで台南に向かえば、4時間半、バスで熟睡できる。しかも
ホテルにチェックインできる時間に台南に着く。名案である。早速、台南のホテルを
調べたら、安い。3,000円前後で泊まれる。これなら、台北のホテルを捨てても惜しく
ない。シングルルーム2,341円、台南駅のそばのティエダオホテルを2泊予約した。
 LCCは初めてだったので、若干、不安だった。何が不安かというと、@安全性、
A座席の狭さ、B深夜発着のため深夜時間のつぶし方、C機内食が有料、D預ける荷
物の制限という点である。最終的にピーチ・エアになったため、Dについては20kgま
で無料だった。Cについては機内食を頼まなければいつでも眠れるのでかえってよか
った。Aについては個人差があると思うが、私は耐えられないほどではなかった。ち
なみに、私は飛行機で座席をリクライニングにすることはない。@については今回だ
けでは何とも言えないが、桃園空港に視界ゼロで着陸したことやCAがベテラン揃い
だったので、特に問題があるとは思えなかった。私にとって最大の問題はBだった。
往きはコンビニで缶チューハイを買って、X氏と飲んで時間をつぶせたが、一人だっ
たらつらかったと思う。帰りは私だけ東横インに泊まったが、空港のロビーで始発電
車を待つのは結構つらいと思う。村田はどこでも眠れるらしいので、これも個人差が
あると思う。
 桃園空港から台南までのバスは、往きは統聯客運(U-bus)で中歴転運站乗り換え、
帰りは國光客運で朝馬乗り換えにした。いずれも座席が3列のデラックスバスである。
運賃は片道430元だが、65歳以上は210元になる。新幹線だと台北から台南まで1,350元
なので、バスを使わない手はない。車内はWi-Fiが入り、飲食も自由である。
 台南は2010年台湾行2回目に台北から新幹線で日帰り観光した。「度小月」で昼食
を食べ、「孔子廟」、「延平郡王祠」、「南門」、「赤嵌楼」を観光し、「花園夜市」
でパーソナル火鍋を食べた。オプションのトッピングがすべて私の鍋に入っていたと
いうハプニングもあった。あわただしかったので、もう一度、ゆっくり行ってみたい
と思っていた。今回は「奇美博物館」を参観し安平を観光した。宴会、二次会、朝食
はネットで下調べしておいたので、迷うこともなく、充実していた。台南は台北に比
べてホテルや食べ物が安い、飲み屋を探すのに苦労しない、台湾発祥の地なので伝統
的な文化や建物が残っている、日本人に対して台北以上に親切に接してくれ、いいこ
とずくめである。機会があればまた行ってみたい。ちなみに「奇美博館」と安平は、
一度は行ってみるべき観光スポットだと思う。
 今回のプチ台湾行は3人だったので、ほとんど一緒に行動した。ただし、X氏はタ
バコを吸いにどこかに行ってしまったり、村田はコンビニで買い物したり現地の学生
さんと話をしたりしていた。台湾人は親日的で、筆談をすれば通じるので、是非、現
地の人たちと触れ合う機会を持ってほしいと思う。今回も私のしゃべった中国語はで
きる限り漢字で記載した。筆談の参考になれば幸いである。
 
4.旅 費
 航空運賃とホテル代で3万円、滞在費が2万円弱、私の場合、土産代を含めて6万
円弱だった。通常8万円以上かかっているので、台南まで足を伸ばしてもLCCのお蔭で
安くすんだ。