| 『 レトロ語 』 や行(や)〜や行(よ) | ||
| レ ト ロ 語 |
| 2015.11. 2 | や | 【宿六】から【闇米】まで | ![]() |
| 2015.11.15 | ゆ | 【許してチョンマゲ】から【百合族】まで | ![]() |
| 2015.11.29 | よ | 【夜鳴きそば】から【世迷言】まで | ![]() |
| 『 レ ト ロ 語 』 や行 |
| 2015.11. 2 | 三橋 | レトロ語 や行(や) | ![]() |
| 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・ | |||
| レトロ語 や行(や)以下、順不同 (文責/三橋春夫) | |||
| ◇掲載語◇【宿六】【やったぜベイビー】【闇市/ヤミ市】 | |||
| 【ヤンキー・ゴー・ホーム】【ヤッケ】【焼き場】【藪入り】 | |||
| 【焼きが回る】【ヤッピー】【闇米】 | |||
| 【宿六】 ご存知のとおり、「宿のろくでなし」の略です。調べてみましたが「宿六」 | |||
うちの宿六 福島慶子 著 |
の語源は諸説があり、どれが妥当なのか分かりませんが、 | ||
| 納得のいく二説を紹介いたします。 | |||
| 「宿六」とは、「自宅に六つのものが備えられている者」 | |||
| の意で、門、玄関、うだつ、欄干、床の間、倉の六つだ | |||
| そうです。これらを備えている家は江戸時代なら上級武 | |||
| 士ということになり、転じて「世間的に認められた立派 | |||
| な人物」ということになります。これらの六つを持たな | |||
| い家の亭主は世間的に認められない、駄目な人物という | |||
| ことになるのでしょうか。 |
宿六・色川武大 色川孝子 著 |
||
| もう一つは「宿の禄(ろく:俸禄:収入)でなし」の | |||
| ことで、「酒ばかり呑んで仕事をせず、金を稼がない | |||
| 甲斐性のない亭主」の意味で妻が亭主を罵る際に使う | |||
| 言葉ですが、落語に出てくるセリフはなぜか親しみと、 | |||
| ちょっぴり愛情を感じます。今なら、せいぜい「うち | |||
| の亭主」くらいでしょうか。 | |||
| 【やったぜベイビー】 この言葉を最初に使ったのはタレントの加藤 茶氏とか、大 | |||
| 橋巨泉氏と言われています。これが流行語となったのは1969年(昭和44年)です。 | |||
| 当時、テレビ番組の司会者として人気絶頂の大橋巨泉氏は「はっぱふみふみ」とか | |||
若かりし、加藤 茶 氏 |
「ボイン」などの言葉を流行らせていますので、同氏が | ||
| 最初に使った言葉という説が有力です。 | |||
| 「ベイビー/ベビー」は、赤ちゃんの意味ですが、「可 | |||
| 愛い女の子/恋人/愛人」、「君/あなた」、「男/少年/ | |||
| やつ/野郎」の意味もあるようです。 | |||
| 当時、流行したころ、何かをしていて、よい結果が出る | |||
| と「やった!」と同じ意味で、親しい仲間に対して「や | |||
| ったぞ、お前(君/あなた)」的に、皆さん使っていたよ | |||
| うに思います。同じような言葉に「やったぜ セニョール」もあります。 | |||
やったぜベイビー 45歳差 |
日常の会話で「うまいぜベイビー」とか「恰好いいぜベ | ||
| イビー」などなんにでも使えるようですが、このフレー | |||
| ズはレトロ語となっています。 | |||
| 《1969年(昭和44年)の会社に関する記述は、「あ」 | |||
| 行の「アンタもすきねえ」の項を参照。》 | |||
| 【闇市/ヤミ市】 戦前は1923年(大正12年)の関東大震災後、戦後は終戦の混乱期、 | |||
| 配給以外に何もない品物不足の時代、空襲で焼けた商店主や焼け跡を不法占拠した | |||
| 外国人やヤクザ/的屋などがバラック建ての店や露店で、戦時経済統制を無視して、 | |||
| 横流し品、盗品、密造品、鍋釜などの日用品、水団(すいとん)や進駐軍の残飯シ | |||
| チューなど簡単な飲食店などの露店市場で、物資不足に付け込んで高い値段で商売 | |||
| をしていました。 |
闇市 |
||
| 光がささない様を「闇」、類語に「暗」があります。 | |||
| 共通するのは「音」という字があることですが、「闇 | |||
| 市」の表記は、我が国の当時のすべてを物語っている | |||
| 言葉のように思えます。 | |||
| 我が国の各地には伝統的な「朝市」、「骨董品市」な | |||
| どの「○○市」がたくさん開催されていますが、「闇 | |||
| 市/ヤミ市」だけはレトロ語です。 | |||
| 《1923年(大正12年)の会社に関する記述は、「お」行の「オートバイ」の項を | |||
| 参照。》 | |||
| 【ヤンキー・ゴー・ホーム】 1968年(昭和43年)、米原子力空母「エンタープライ | |||
| ズ」の佐世保港寄港阻止闘争で、政治団体や市民団体が「ヤンキー・ゴー・ホーム」 | |||
| とシュプレヒコールをしていました。 | |||
| 戦時中、アメリカ人が日本人を「ジャップ」という軽 |
ヤンキー・ゴーホーム (原子力空母) |
||
| 蔑語を使ったように、日本ではアメリカ人を「ヤンキ | |||
| ー」とか「鬼畜米英」という軽蔑語を使っていまた。 | |||
| 「ヤンキー」という言葉は、元々、南北戦争当時、南 | |||
| 軍が北軍に対して使った蔑称とされており、それが、 | |||
| そのままアメリカ人全体に対する蔑称に転化されたの | |||
| も興味のあることです。 | |||
| 《1968年(昭和43年)の会社に関する記述は、「あ」行の「赤チン」の項を参照。》 | |||
| 【ヤッケ】 「ヤッケ」の語源はドイツ語のjackeで、これが英語のjacket(ジャケ | |||
| ット)の語源なのでしょうか。昔は登山用上着を「ヤッケ」と呼んでいたと思いま | |||
ヤッケ |
すが、今風に言うと「ウンドブレーカー」でしょうか。 | ||
| 同じくスキーウエアに「アノラック」がありましたが、 | |||
| これもレトロ語でしょう。その他、アウトドア用ウエア | |||
| には「パーカー」、「アウター」、「ブルゾン」などと、 | |||
| いろいろなウエアがあり高齢者には区別がつきません。 | |||
| 【焼き場】 昔、火葬場のことを「焼き場」と言っていました。昔の火葬場は小さく、 | |||
| 陰気くさい雰囲気でしたが、最近の火葬場は大きく、施設も整って明るい雰囲気の | |||
| ところが多いようです。 | |||
| ところが、この「焼き場」を平成時代の若者は肌を焼く場所ということで「日焼け | |||
| サロン」の意にしていることを知り、驚いています。日焼けマシンで横たわって肌 | |||
| を焼いている姿からでしょうが、これはいかがなものでしょうか。 | |||
| 余談ですが、2011年度の財団法人・日本消費者協会で纏めた葬儀費用一式の全国平 | |||
| 均額は、1件当たりほぼ200万円とありました。なんだかもったいない気がします。 | |||
| 家族葬のように身内だけの葬儀が、これから増えるでしょうね。 | |||
| 【藪入り】 江戸時代から商家などに住み込みで奉公し |
藪入り |
||
| ていた丁稚や女中などの奉公人が実家に帰ることがで | |||
| きた休日で、1月15日(小正月)と7月15日(盆)の | |||
| 祭日を利用した1月16日と7月16日だったようです。 | |||
| 元々の由来は、奉公人ではなく嫁が実家に帰る日だっ | |||
| たようですが、商家の習慣へと転じたようです。 | |||
| 藪入りの日には、主人は奉公人たちに、小ざっぱりし | |||
| た着物、履物、そして、何がしかの小遣いを与え、更 | |||
| に手土産を持たせて実家へ帰したようです。実家が遠い奉公人は帰らず、芝居見物 | |||
| や買い物で休日を楽しんだそうです。 | |||
| 明治、大正、昭和と時代は移り、藪入りの日は浅草などの繁華街では活動写真など | |||
| で大いに賑わったようです。終戦後は労働基準法の強化などにより、日曜日は休日 | |||
| となったため、藪入りの習慣は徐々に衰退して行きましたが、正月や盆の帰省は、 | |||
| その名残でしょうね。 | |||
| それにしても、年2回の休みとは過酷な労働条件ですね。今では週休2日が当たり | |||
| 前、更に有給休暇まで与えられ、国民祝日は時代々々で増加していることは、あり | |||
| がたいことですね。感謝しないと罰が当たります。 | |||
| 【焼きが回る】 以前は熟練の職人がよく使っていましたが、最近はほとんど耳にしま | |||
耄碌寸前 森 於莵 著 |
せん。「焼きが回る」は、加齢で頭の働きや腕前などの | ||
| 能力が若いころに比べて低下したり、鈍く感じたときに | |||
| 自嘲気味に、あるときは自慢気味に使う言葉です。 | |||
| 「焼き」は元々刃物を製作する際に行う「焼入れ」のこ | |||
| とですが、丈夫で切れ味をよくする「焼入れ」も、作業 | |||
| 次第では刃が脆くなり、切れ味も悪くなります。 | |||
| このように火が回り過ぎてしまうことを「焼きが回る」 | |||
| と言いますが、転じて「老いぼれ」の意味に使われるよ | |||
| うになりました。「加齢/馬齢」、「薹が立つ」、「耄碌」、「油が切れる」、「ガ | |||
| タが来る」、「タガが緩む」くらいの言葉はまだ普通です。最近は「大分、頭にき | |||
| ている」、「ボケが始まっている」、「認知症が始まっている」などの表現が多い | |||
| ですね。 | |||
| 【ヤッピー】 「ヤッピー」という言葉を初めて知りました。私自身、使ったことも | |||
| 聞いたこともありませんでした。1984年(昭和59年)、 |
ヤッピー M.ピーズマン+M.ハートリー 著 |
||
| アメリカで使われた言葉のようですが、「ヤッピー」 | |||
| (yuppie)とは「young urban professionals」の略 | |||
| で、何やら「ヒッピー」をもじったような言葉に思え | |||
| ます。意味はというと、若手の知的な職業に携わる裕 | |||
| 福なエリート・サラリーマンということだそうです。 | |||
| 反面、ある特定個人に対して使われたときは、幾分軽 | |||
| 蔑的な意味合いを持つと言われています。世の中には | |||
| 財・知に恵まれた若者は大勢おられるでしょうが、「○○のボンボン」のように、 | |||
| 余りよい評価はされそうにありませんね。 | |||
| 《1984年(昭和59年)の会社に関する記述は、「く」行の「くれない族」の項を参 | |||
| 照。》 | |||
| 【闇 米】 太平洋戦争から戦後にかけて、物資不足の |
闇米(闇物資を没収する警察官) |
||
| 中、米などの生活必需品は政府の統制下に置かれ「米 | |||
| 穀通帳」<「か」行の「買い出し/買い出し列車」、 | |||
| 「は」行の「配給」の項を参照>により、家族構成に | |||
| 応じて「配給米」を受けてきました。 | |||
| しかし、「配給米」だけでは質・量共に不足で、子ど | |||
| も多い家庭では郊外や地方の農家へ出向いて米を金や | |||
| 着物などと物々交換をして何とか生き延びてきました。 | |||
| この米を「配給米」に対して「闇米」と呼んでいました。(食糧管理制度下のおけ | |||
| る「自由米」に対し統制外の「闇米」もありますが、ここでは省略します) | |||
| その「闇米」も帰りに警察の取り締まりに引っ掛かり、経済統制法令違反で没収さ | |||
| れるシーンを当時のニュース映画でたびたび見て来ました。今は美味しいご飯が不 | |||
| 自由なく食べられるよい時代です。感謝、感謝ですね | |||
| 2015.11.15 | 三橋 | レトロ語 や行(ゆ) | ![]() |
| 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・ | |||
| レトロ語 や行(ゆ)以下、順不同 (文責/三橋春夫) | |||
| ◇掲載語◇【許してチョンマゲ】【ユリ・ゲラーの超能力】【夕暮れ族】 | |||
| 【湯たんぽ】【遊 郭】【夢の超特急】【有閑マダム】【百合族】 | |||
| 【許してチョンマゲ】 「許して頂戴」と「チョンマゲ」 |
許してチョンマゲ |
||
| をかけたオジサンギャグの代表的な言葉です。同じよ | |||
| うな言葉に「そんなバナナ」(そんな馬鹿な)、「余裕 | |||
| のヨッチャン」、「なんちゅうか、本中華」、「なるへ | |||
| そ」などたくさんあります。かつては流行で使われて | |||
| いましたが、今は完全なレトロ語です。 | |||
| 【ユリ・ゲラーの超能力】 ユリ・ゲラー氏はイスラエ |
ユリ・ゲラー |
||
| ル生まれの超能力者を名乗る人物で、1974年(昭和49年) | |||
| を皮切りに何度か来日し、「スプーン曲げ」や「時計 | |||
| 動かし」のパフォーマンスを披露し、我が国での超能 | |||
| 力ブームの火付け役となったことはご記憶にあること | |||
| でしょう。 | |||
| しかし、専門家やマジシャンのビデオの解析から「ス | |||
| プーン曲げ」などは超能力によるものではなく、巧妙 | |||
| な手品であることが指摘されました。当時、私もやってみました。スプーンは曲げ | |||
| ることができました。TVを見ていた多くの方が台所からスプーンを持参して一緒 | |||
| に曲げの研究をされたのではないでしょうか。 | |||
| 《1974年(昭和49年)の会社に関する記述は、あ行「お-1」の「オート三輪」の項 | |||
| を参照。》 | |||
| 【夕暮れ族】 「夕暮れ族」は、先に亡くなられた吉行 |
吉行淳之介の小説「夕暮れまで」 |
||
| 淳之介の小説「夕暮れまで」(1978年/昭和53年・新潮 | |||
| 社)に描かれたカップルを取り上げてできた言葉で、 | |||
| 中年男性と若い女性のカップルのことと言われていま | |||
| す。ややこしいことに、「暮れ」と「ぐれ」の表記が | |||
| 異なります。1982年(昭和57年)ごろ実在した会員制 | |||
| の愛人バンク「夕ぐれ族」とは関係ありませんが、19 | |||
| 84年(昭和59年)に「夕ぐれ族」が映画化され、世間 | |||
| 的には金持ちの愛人になる若い女性を意味する「夕暮れ族」で通っているようです。 | |||
| この逆が「逆夕暮れ族」というそうですが、最近は耳に入りませんので、何か新し | |||
| い言葉が出ているのでしょうか。 | |||
| 《1978年(昭和53年)の会社に関する記述は、あ行「お-2」の「おセンチ」の項を | |||
| 参照。》 | |||
| 【湯たんぽ】 子どものころ、冬になると母が毎日、寝 |
湯たんぽ |
||
| 床に「湯たんぽ」を入れてくれました。当時の「湯た | |||
| んぽ」は昔からの金属製湯たんぽでした。火傷をしな | |||
| いように「湯たんぽカバー」の代わりに厚手のタオル | |||
| を巻いてくれました。頭寒足熱でよく眠れた記憶があ | |||
| ります。 | |||
| 昔は、今と違って、典型的な木造家屋で密閉性も悪く、 | |||
| 空調設備の時代ではありませんので、一般家庭では | |||
| 「炬燵」の周りに布団を敷き、家族皆で足を炬燵の中に入れて寝るか、湯たんぽを | |||
| 使用していました。 | |||
| 資料によると、「湯たんぽ」は、中国語の「湯婆」(tangpo)が語源で、「婆」は | |||
| 「妻」、「母親」の意味で、妻や母親の体温の温もりを感じながら安眠できるよう | |||
| に、お湯を入れた容器を代わりに抱いて寝たことが由来とされています。 | |||
| 日本に伝わったのは古く、室町時代とされていますが、「たんぽ」では意味が不明 | |||
| のため、温めて使用する容器ということで「湯たんぽ」となったとありました。 | |||
| 今は「電気毛布」、「電気あんか」の時代、空調が整っていれば何も要りません。 | |||
| お湯を準備する必要はありますが、火災の心配がないのは年寄りにはよいことでは | |||
| ないでしょうか。お湯は、翌朝の洗顔にも使用できます。 | |||
| 【遊 廓】 資料によると、「遊廓」の歴史は安土桃山時 |
吉原遊廓の大門 |
||
| 代にさかのぼるようです。別称として、花街、廓(く | |||
| るわ)、色里(いろさと)、遊離(ゆうり)、色町 | |||
| (いろまち)などがあります。江戸時代の岡場所もそ | |||
| うでしょうか。 | |||
| 我が国の三大遊廓は、大坂の新町遊廓、京都の島原遊 | |||
| 廓、江戸の吉原遊廓ですが、各々の名妓として、夕霧 | |||
| 太夫、吉野太夫、高尾太夫は有名ですね。 | |||
| 戦後の1946年(昭和21年)にGHQの指令により公娼制度が廃止されましたが、看板 | |||
| を替えただけで中身は同じ。通称「赤線」、「青線」として存続したものの、翌年 | |||
| の4月、同法の施行と共に「遊廓」の歴史は幕を閉じました。 | |||
| しかし、法の目をくぐり、手を替え、品を替えての風俗街は今でも存在しています | |||
| が、「遊廓」がレトロ語入りしたことは間違いありません。 | |||
| 近年は無店舗型のファッションヘルスとか、デリバリーヘルスというのが増加して | |||
| いるとか。地球上に男と女が存在する限り、いたちごっこは永遠に続くことでしょ | |||
| う。 | |||
| 《1946年(昭和21年)の会社に関する記述は、あ行「え-1」の「駅弁大学」の項 | |||
| を参照。》 | |||
| 【夢の超特急】 新幹線が運行される前の1960年(昭和 |
夢の超特急_0系新幹線 |
||
| 35年)、東京―大阪間は電車特急「こだま」で所要時 | |||
| 間は、6時間30分でした。それが新幹線の開通により、 | |||
| 所要時間は半分となりましたので、まさに「夢の超特 | |||
| 急」の呼称は期待を表すものでした。 | |||
| 1964年(昭和39年)、東京オリンピックに合わせるよ | |||
| うに開業した東海道新幹線は、開業当初、東京―新大 | |||
| 阪は4時間でしたが、その後、新しい車両を投入し、 | |||
| 3時間10分になると、「夢」という前置詞は使われなくなりました。 | |||
| その後、2008年(平成20年)には開業時からの車両であった0系の現役引退が迫る | |||
| と、マスコミやJRが、挙って、“さよなら「夢の超特急」0系新幹線”“ありがとう、 | |||
| 夢の超特急”など「夢の超特急」のフレーズを使い、引退する車両のPRをしました。 | |||
| 車両は0、100、300、500、700、800、N700系と次々に新型車両が登場し、最終は | |||
| 2045年、リニア中央新幹線です。品川―新大阪間を1時間7分で結ぶと言われてい | |||
| ます。再度「夢」の前置詞が付くのでしょうか。 | |||
| 《1964年(昭和39年)の会社に関する記述は、あ行「あ-1」の「アイビールック/ | |||
| アイビー族」の項を参照。》 | |||
| 【有閑マダム】 戦後、俄かにクローズアップされた言 |
有閑マダム |
||
| 葉で、時間とお金に余裕があり、高級品の買い物や浮 | |||
| 気などの遊びに時間を費やす優雅な暮らしをする奥様 | |||
| でしょうか。「有閑」と「貴婦人/奥様」の意味の英語 | |||
| (madam)とを合成させた言葉です。「ざあます語」と | |||
| 共に、最近はとんと耳にしません。今風には「セレブ」 | |||
| でしょうか。 | |||
| 【百合族】 大分昔、話題となったようですが、そちらにはまったく興味がなかった | |||
| ので知りませんでした。ゲイ(ホモ/ボーイズラブ)の人たちを「薔薇族」と言う | |||
| のに対して、レズの人たちを「百合族」と呼んだようです。「薔薇族」は1971年 | |||
| (昭和46年)創刊のゲイ雑誌「薔薇族」が語源のようですが、女性同性愛者の場合 | |||
| は美しい隠語として呼ばれたのではないでしょうか。同年以降、「百合族」の言葉 | |||
| が出始めていましたが、日活ポルノで制作された「制服百合族」、「セーラー服・ | |||
| 百合族」、「OL百合族19歳」、「女教師百合族」などの「百合」シリーズにより | |||
| 1980年(昭和55年)代には流行語となっていたようです。皆様はご存知でしたか。 | |||
| 《1971年(昭和46年)の会社に関する記述は、あ行「えー1」の「エトランゼ」の | |||
| 項を参照。》 | |||
| 2015.11.29 | 三橋 | レトロ語 や行(よ) | ![]() |
| 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・ | |||
| レトロ語 や行(よ)以下、順不同 (文責/三橋春夫) | |||
| ◇掲載語◇【夜鳴きそば】【夜汽車】【夜なべ】【夜這い】【余裕のよっちゃん】 | |||
| 【洋モク】【余所行き(よそいき/よそゆき】【四等国】 | |||
| 【四十八歳の抵抗】【よろめき】【夜の蝶】【洋 行/洋行帰り】 | |||
| 【よっしゃ、よっしゃ】【ヨイトマケ エンヤコラ】【ヨーチン】 | |||
| 【世迷言】 | |||
| 【夜鳴きそば】 以前、夜になると哀愁に満ちた独特のチャルメラを鳴らし、「蕎麦」 | |||
| ならぬ「ラーメン」を売るオジサンがいました。 | |||
| 「夜鳴きそば」の歴史を調べましたら、1736年(元文元年)〜1741年(元文6年/ | |||
| 寛保元年)ごろからの商売で、夜間に屋台を担いで「蕎麦」を売っていたので「夜 | |||
| 鷹蕎麦」とも言われていたようです。夜鷹の由来は、夜の街で客を引く娼婦説と、 | |||
夜鳴きそば |
鷹の仲間ではありませんが、夜鷹という夜行性の鳥から | ||
| という説があるようです。さらに、当時は風鈴を鳴らし | |||
| ていたこともあり、「夜鳴き蕎麦」となったとのことで | |||
| す。 | |||
| 今は風鈴からチャルメラ、蕎麦からラーメンになってい | |||
| ますが、コンビニやインスタント・ラーメンの普及のせ | |||
| いでしょうか、チャルメラの音を聞きません。お酒を飲 | |||
| んだ後のラーメンの味は格別おいしいで すね。 | |||
| 【夜汽車】 正式には「夜行列車」でしょうか。「夜汽車」とも呼ばれて映画や音楽 | |||
| の題名にたくさん利用されてきました。映画では1987年(昭和62年)の邦画、十朱 | |||
| 幸代、秋吉久美子、萬田久子、津川雅彦、丹波哲郎、萩原健一などが出演した「夜 | |||
| 汽車」、特に、歌の世界では1972年(昭和47年)に発売の五木ひろしの「夜汽車の | |||
| 女」他に多く歌われています。 |
映画「夜汽車」 |
||
| 私は鉄道ファンではありませんので文献で調べてみま | |||
| した。2013年現在運行中の夜行列車は寝台車主体の寝 | |||
| 台列車が数本で、JRでは座席車を多く連結している | |||
| 定期急行夜行列車は、札幌−青森間の「はまなす」の | |||
| みのようです。 | |||
| 寝台列車は「北斗星」(上野−札幌)、「カシオペア」 | |||
| (同)、「トワイライト エクスプレス」(大阪−札幌)、 | |||
| 「サンライズ瀬戸・出雲」(東京−瀬戸、出雲)が定期運行されています。しかし、 | |||
| 年々廃止される列車がある中で、明るい話題となったのがJR西日本の「ななつ星 | |||
| in九州」(九州内クルーズ)という「クルージング トレイン」で、他のJR各社で | |||
| も検討されているようです。 | |||
| 昔、出張や旅行では夜行列車のお世話になりました。夜行列車の魅力は、夜間の移 | |||
| 動のため日中は目的地で有効な時間を増やせるし、ホテルの世話にならずに効率的、 | |||
| 経済的なメリットがあることです。新幹線、飛行機、バスとの競争も激しく、寝台 | |||
| 列車はどうなるのでしょうか。 | |||
| 《1987年(昭和62年)の会社に関する記述は、「あ」行の「朝シャン」の項を | |||
| 参照。》 | |||
| 【夜なべ】 今風なら、「夜業」、「夜勤」、「夜間作業」、「徹夜」でしょうか。 | |||
| 下記は唱歌でお馴染みの「夜なべ」の1番の歌詞です。 | |||
| かあさんが 夜なべして 手袋あんでくれた | |||
| 木枯らし吹いちゃ 冷たかろうと せっせとあんだだよ | |||
| ふるさとの 便りはとどく 囲炉裏のにおいがした | |||
| 母親の優しさと、素朴な生活が目に浮かぶようです。「夜なべ」の由来を調べたら、 | |||
| 以下の説がありました。 | |||
| 1.夜に鍋物を食べながら仕事をする「夜鍋」説 | |||
| 2.昼に夜を並べて、続けての仕事をする「夜並べ」説 | |||
| 3.夜遅くまで仕事をすることから夜を延ばす「夜延べ」説 | |||
| 他ですが、どの説が正しいか分かりません。いずれにせよ、若い方は使わない言葉 | |||
| でしょう。 | |||
| 【夜這い】 「夜這い」は夜間に男性が女性に呼びかけて求婚すること(呼ばう)が | |||
| 語源と言われていますが、昔から日本の各地に存在した風習です。 | |||
| 明治以降、都市部では「夜這い」の風習は廃れましたが、地方では、かなり最近ま | |||
| で残っていたと言われています。しかし、いろいろな方面から「夜這い」は「野蛮 | |||
| な風習」と批判されたこと、嫁入り婚が主流となったこと、ファッションホテル | |||
| (ラブホテル)が利用できることなどにより、今では完全にレトロ語ではないでし | |||
| ょうか。 | |||
| 【余裕のよっちゃん】 「余裕である」、「朝飯前だ」の意味ですが、「冗談はヨシ | |||
| コさん」、「平気のへっちゃん」、「当たり前田のクラッカー」、「アイムソーリー、 | |||
| ひげそーり」、「しまった、しまった島倉千代子」などと同様に単なる語呂合わせ、 | |||
| 駄洒落の昭和のレトロ語言葉です。囲碁、将棋、麻雀などの仲間同士の会話で出そ | |||
| うな言葉ですね。 | |||
| 【洋モク】 「マルボロ」、「ラーク」、「ケント」、「ラッキーストライク」など | |||
洋モク |
の外国製のタバコのことで、「モク」はタバコの煙を雲 | ||
| (くも)に見立てて逆さに言ったものとか、煙りの「も | |||
| くもく」から「モク」がタバコの俗語となったという説 | |||
| があります。「洋モク」以外に「モク拾い」、「シケモ | |||
| ク」(吸殻)などがあります。 | |||
| 戦後の一時、愛飲家の「洋酒」、愛煙家の「洋モク」は | |||
| 海外旅行のお土産の代表的な物でしたが、今ではレトロ | |||
| 語でしょう。 | |||
| 【余所行き(よそいき/よそゆき)】 「余所行き」は「余所行きの支度をする」、 | |||
| 「余所行きの着物」、「余所行きに着替える」の他、ふだんと違った改まった言葉 | |||
| や態度に対して、「余所行きの言葉を使う」とか、「余所行きの顔をつくる」など | |||
| 結構使っていました。 | |||
| 「余所行き」というと先ず「余所行きの着物」をイメージします。子どものころ、 | |||
| 母が定期的に行う和服の日陰干し、シミ抜き、虫食い防止の作業を見ていました。 | |||
| 「余所行きの着物」を着た母は、いつもナフタリン(ナフタレン)や樟脳の清潔な | |||
| 匂いがしていました。「一張羅」と共に懐かしい言葉になっています。皆様はいか | |||
| がでしょうか。 | |||
| 【四等国】 我が国は戦前、米、英、独、仏に並んで世界の列強国の一員となり、一 | |||
| 等国、一等国民を自負していました。しかし、終戦後、マッカーサー元帥が1945年 | |||
| (昭和20年)9月の記者会見で「日本は世界の四等国に転落した」と発言しました。 | |||
| 特に9月29日の朝日、毎日、讀賣に掲載された昭和天皇が同元帥を表敬訪問された | |||
| ときの写真は、元帥は開襟シャツ風の軍服に襟元のボタンを外し、両手はズボンの | |||
| 後ろに回した格好、一方、昭和天皇はモーニング姿で直立不動の姿勢という対照的 | |||
| なものでした。日本国民の多くが敗戦の惨めさを実感させられた四等国に落ちた写 | |||
| 真でした。 | |||
| 《1945年(昭和20年)の会社に関する記述は、「い」行の「一億総ざんげ」の項 | |||
| を参照。》 | |||
| 【四十八歳の抵抗】 1956年(昭和31年)、石川達三のベストセラー小説が映画化さ | |||
| れました。50〜55歳定年制の時代、あと2年で初老の50歳を迎える火災保険会社に | |||
| 勤める男性が、バーで知り合った19歳の少女に情熱を |
小説「四十八歳の抵抗」 |
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| 燃やし、老いて行くことに対する抵抗を試みるという | |||
| ロマンスグレー男性の心理を描いた作品とでも言うの | |||
| でしょうか。山村 聰、杉村春子、若尾文子などの豪華 | |||
| キャストが出演していました。 | |||
| 当時の50歳と言えば、今はレトロ語である「初老」の | |||
| 年齢ですが、近年、我が国の男女の平均年齢は飛躍的 | |||
| に延び、定年の65歳から労働人口を確保するため、更 | |||
| に高齢まで働く時代。人ごとですが、該当する現役やシニア社員の皆さんの余生の | |||
| 過ごし方が心配になります。 | |||
| 《1956年(昭和31年)の会社に関する記述は、「か」行の「火炎ビン」の項を | |||
| 参照。》 | |||
| 【よろめき】 1957年(昭和32年)、文芸誌「群像」に連載、同年には単行本が刊行 | |||
| された三島由紀夫の人妻の「よろめき」を描いたベストセラー長編小説です。映画 | |||
| 化をはじめテレビやラジオでドラマ化され「よろめき」は流行語となり、併せて、 | |||
| 「よろめき夫人」とか「よろめきドラマ」という言葉が出現しました。 | |||
| 「48歳の抵抗」ではありませんが、「高齢者の抵抗」はいかがでしょうか。お酒を | |||
| 飲み過ぎて「よろめき」、骨折などの怪我だけはしませんように。 | |||
| 《1957年(昭和32年)の会社に関する記述は、「い」行の「一億総白痴化」の項を | |||
| 参照。》 | |||
| 【夜の蝶】 昔から水商売を営む女性の代名詞的に使われてきました。一見、彼女ら | |||
映画「夜の蝶」 |
の華やかさから蝶に例えたのでしょう。 | ||
| 1957年(昭和32年)、川口松太郎の小説「夜の蝶」の映 | |||
| 画化では、京 マチ子、山本富士子など豪勢なキャストが | |||
| 出演した映画が話題となりました。この小説と映画のヒ | |||
| ットにより、「夜の蝶」、「ホステス」、「ママ」など | |||
| の言葉が流行語となりましたが、今でも「夜の蝶」は使 | |||
| われているのでしょうか。 | |||
| 【洋 行/洋行帰り】 「洋行」は、明治以降、西洋へ行って西洋文化を学んだことで | |||
| できた言葉で、現在はほとんど使われていません。同じ言葉に「外遊」があります | |||
| が、首相など特別な人が外国を旅行したり、訪問する以外は一般には使えません。 | |||
| 一般的には「海外歴訪」、「海外留学」、「海外出張」、「海外旅行」などでしょ | |||
| うか。一方、戦後、単に箔をつけるため政治家や芸能人が外遊するケースを「アメ | |||
| ション」、「イギション」、「フラション」などと比喩しました。洋行帰りも肩書 | |||
| きのように思われました。 | |||
| 【よっしゃ、よっしゃ】 「三国峠をダイナマイトでぶっ飛ばせば越後に雪は降らな | |||
| い。そして、その土を日本海に運べば佐渡と陸続きになる」(初出馬時の演説)、 | |||
| 「政治は数であり、数は力、力は金だ」(数の理論)、「これからは東京から新潟 | |||
| へ出稼ぎに行く時代が来る」など、地元新潟に対する情熱は大変なものでした。 | |||
| また、残した語録もたくさんあります。 | |||
| 「よっしゃ、よっしゃ」は、田中角栄元総理の口癖で |
故_田中角栄氏 |
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| もありますが、ロッキード事件で政治献金やピーナツ | |||
| を受領した際にも発言したとされる言葉で、1970年 | |||
| (昭和45年)代の流行語となりました。年配の方の中 | |||
| には、スポーツ観戦中に味方チームの奮闘に「いいぞ、 | |||
| いいぞ」の意味で「よっしゃ、よっしゃ」と言ってお | |||
| られる方もいるでしょうが、ご本人が他界されておら | |||
| れる現在はレトロ語でしょう。 | |||
| 【ヨイトマケ エンヤコラ】 昔、今のように建設機械が普及していなかった時代、 | |||
| 土木や建築現場の地固め作業は、大勢の作業員が滑車とロープを利用して重たい鎚 | |||
| を上下させて行っていました。重たい鎚を上下させるためのロープを引く合図に | |||
| 「ヨイトマーケ! エンヤコラ〜」掛け声を出していました。そして、この作業をす | |||
| る人を「ヨイトマケ」と言っていました。その後、時代と共に、人夫、土方、作業 | |||
ヨイトマケの唄 |
員と呼称が変わりました。 | ||
| 子どものころ見ていた、これらの作業員の半数は女性で | |||
| した。きっと家計を助けるために、「ヨイトマケ」の重 | |||
| 労働に従事していたのでしょう。ご苦労様でした。 | |||
| ♪父ちゃんのためなら エンヤコラ | |||
| ♪母ちゃんのためなら エンヤコラ | |||
| ♪もひとつおまけに エンヤコラ | |||
| ♪今も聞こえる ヨイトマケの唄 | |||
| ♪今も聞こえる あの子守唄 | |||
| <中略> | |||
| ♪働く土方の あの唄が | |||
| ♪貧しい土方の あの唄が | |||
| これは、1966年(昭和41年)に美輪明宏が作詞、作曲した「ヨイトマケの唄」の一 | |||
| 番の歌詞です。ヒット曲となりましたが、歌詞の土方が差別用語と指摘され、放送 | |||
| 禁止となり話題となりました。 | |||
| 《1966年(昭和41年)の会社に関する記述は、「う」行の「ウーマンリブ」の項 | |||
| を参照。》 | |||
| 【ヨーチン】 老人語リストに「ヨーチン」が入っていました。「あ」行の「赤チン」 | |||
| と同じく、傷口の消毒・殺菌薬ですが、一般名称は「ヨードチンキ」ですね。以前 | |||
| は家庭の常備薬として「オキシフル」、「タコの吸出し」、「キンカン」、「マー | |||
| キュロクロム液」と共に、大変お世話になったものです。最近はポビドンヨード液 | |||
| (商品名イソジン)や、色が付かない、しみない「マキロン」が一般的のようです。 | |||
| 【世迷言】 勉強不足で、今まで別な言い方をしていました。「世迷言」はとるに足 | |||
| らない不平や愚痴、意味不明な繰り言ですね。「一体、何を言っているんだ!さっ | |||
| きから訳の分からないことを言って・・。世迷言など言っているんじゃないよ!」 | |||
| の会話では、普通、「ちんぷんかん/ちんぷんかんな」、「虚言」、「たわけたこと」、 | |||
| 「まともでない」の言葉に置き換えてきましたが、皆さんはいかがでしょう。 | |||
| 一方、訳の分からないことをブツブツと言う行為、人は街中や電車の中で結構見か | |||
| けます。ご本人は、理由があって何かを自問しているのかも知れませんが、傍から | |||
| 見ていると気になります。 | |||