『 レトロ語 』 ま行(ま)〜ま行(も)
 
          レ ト ロ 語
2015. 8.23 【マジソン・バッグ】から【間 男/蜜 男】まで
2015. 9. 6 【耳の穴に100円玉を入れているおじさん】から【ミスター・レディ】まで
2015. 9.20 【無責任時代】から【ムキムキマン】まで
2015.10. 4 【メンコ/メンコ遊び】から【めくら判】まで
2015.10.18 【モク拾い】から【目標、1327店】まで
 
      『 レ ト ロ 語 』 ま行
2015. 8.23 三橋 レトロ語 ま行(ま)
 
 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・
   レトロ語 ま行(ま)以下、順不同       (文責/三橋春夫)
 
◇掲載語◇【マジソン・バッグ】【マネービル】【真知子巻き】【マッチポンプ】
     【マドロス】【マンボ・スタイル】【マント】【マグネシウムのフラッ
      シュ】【窓際族】【マル金・マルビ】【マスオさん現象】【真冬に半袖
      と短パン姿の小学生】【マンマンデー】【町中の半鐘やぐら】【豆炭あ
      んか】【まぶい】【○○ごっこ】【前掛け】【まきば】【毬つき遊び】
     【まぶだち】【マイトガイ】【丸文字】【丸い郵便ポスト】【間男/蜜男】
 
【マジソン・バッグ】 1968年(昭和43年)〜1978年 マジソン・バッグ
マジソン・バッグ
 (昭和53年)にかけて、当時の中高生を中心に大流行
 した紺の絹目ナイロン製で白い英文字をプリントした 
 スポーツ・バッグ「マジソン・バッグ」です。表面に
 はMADISON SQUARE SPORTMAN CLUB boxing wrestling
 footballと書かれていますが、これはれっきとした日
 本製で兵庫県のエースという会社が製作・販売したも
 ので、ある資料によると、大小合わせて2000万個以上
 販売されたとありました。
 
 《1968年(昭和43年)の会社の記述は、か行「か-2」の「紙芝居屋」の項を参照。》
 
【マネービル】 銀行・証券業界が宣伝用に「ボディビル」をもじって「マネービル」 
 という和製カタカナ語を作ったのですが、最近聞かなくなった言葉の一つでしょう
 か。バブル時に盛んに使われた「財テク」(ハイテクをもじった財務テクノロジー)
 も現状に合わないようです。今は普通の「資産運用」という表現でしょうか。
 
【真知子巻き】 1952年(昭和27年)に放送された菊田 真知子巻き(君の名は)
真知子巻き(君の名は)
 一夫原作のラジオドラマ「君の名は」が放送される時
 間帯は、銭湯の女湯がガラガラにすいてしまうと言わ
 れたほどの人気番組でした。
 その後、「君の名は」は映画化されましたが、主人公・
 岸 恵子演じる真知子のショールを頭にかぶり、端を
 首に巻くスタイルが「真知子巻き」と言われて、当時
 の女性の間で大流行しました。
 
 《1952年(昭和27年)の会社に関する記述は、あ行「お-1」の「踊る宗教」の項
  を参照。》
 
【マッチポンプ】 久しぶりにお目にかかった用語です。自らマッチを擦って火をつ 
 けておきながら、自らポンプで火を消すという意味から、自ら問題や騒動を起こし
 て、解決や収拾を買って出て、その立役者と成りすまし、周りから利益や称賛を得
 ようとする自作自演の行為を言います。
 元々は1966年(昭和41年)、自民党のT代議士が国会である問題を取り上げ、裏で 
 その問題を該当者に金品を要求し、相手が要求に応じると問題を自らもみ消すとい
 う事件がありました。「マッチポンプ」は、このT代議士のあだ名として、また、
 そういうやり方を比喩する意味で使われたものだそうです。
 
【マドロス】 オランダ語の「船乗り」、「水夫」の意で 美空ひばりとマドロスさん
美空ひばりとマドロスさん
 ある「マタロス」が訛ったのか、聞き違えたのでしょ
 うか、「マドロス」となっています。昭和時代の歌謡
 曲や映画には「マドロス」物が数多く残されています。 
 その「マドロス」から連想されるものは、海、港、霧
 笛、霧、波止場、酒場と女、そして、縞のシャツにマ
 ドロスパイプとマドロス帽に刺青でした。近年、「マ
 ドロス」はほとんど使われておらず、一般的な「船員」、
 「船乗り」とか、専門語で「航海士」他が使われています。 
 
【マンボ・スタイル】 我が国では1951年(昭和26年)以降に大流行した音楽「マン
 ボ」のミュージシャンやバンドマンの服装をアレンジしたスタイルで、細目のマン 
 ボズボンにアロハシャツの組み合わせや、派手なシャツの裾を結んだスタイルは当
 時の若者のファッションでした。
 さらに、マンボの王様・ペレス・プラードが来日してからマンボ・ブームに一層火
 をつけた感じでした。「マンボNo.5」、「マンボNo.8」、「闘牛士のマンボ」、
 「セレソ・ローサ」など、ラジオで聞かない日がないほど知名度が高かったように
 記憶しています。この影響でしょうか、和製マンボが出現しました。高島忠夫の
 「パパはマンボがお好き」、雪村いづみの「マンボ・イタリアーノ」、「マンボ・
 バカン」、大津美子の「東京アンナ」他でした。
 マンボは時代と共に衰退して行きましたが、今でもときどき街中でマンボズボンを
 愛用されている方を見ることがあります。
 
 《1951年(昭和26年)の会社に関する記述は、あ行「あ-1」の「アジャパー」の
  項を参照。》
 
【マント】 フランス語のmanteauは、主に屋外で着用す  マント
マント
 る袖なしの肩から体を覆う外套の一種です。国内では
 子ども服の他、たまに、婦人服として着用されますが、
 我が国の戦前から戦後にかけて旧制中学校、同高等学
 校、大学の学生が防寒用に着用していた時期がありま
 した。特に、白線入りの帽子に、高下駄に黒マントで
 10年前まで続いていた恒例の旧制高等学校の寮歌祭で
 元気なお年寄りを拝見しました。       
 マントは人間が狩猟を始めて以来、防寒用途として着用されてきましたが、防寒用
 以外にヨーロッパの国王、貴族、騎士など身分の高い人が着用したり、映画や漫画
 に登場する怪盗ルパン、怪人二十面相、魔法使い、スーパーマン、バットマン、ア
 ンパンマンなどのキャラクターやヒーローが身に纏う例が多いことに興味を覚えま
 す。強さのシンボルなのでしょうか。 
 
【マグネシウムのフラッシュ】 昔、室内での集合写真はマグネシウムのフラッシュ
 を焚いて写真を撮りました。写真屋のおじさんが黒い布で覆ったカメラに顔を突っ
 込んで、片手にフラッシュを持ち、ボン!という鈍い音とともに真っ白な煙が部屋
 中に充満しました。マグネシウム・フラッシュの後は折り畳み式の反射板にアルミ
 ニウムの細線と酸素を封入した電球型のフラッシュ、その後がキセノンランプでしょ
 うか。
 我が家の古いアルバムにもマグネシウムを焚いた当時の写真が残っています。
 
【窓際族】 1978年(昭和53年)ごろ、いろいろな事情により第一線を退き閑職に甘
 んじる中高年サラリーマンが話題となりました。テレビや映画でも、ある日、人事
 異動で実質的な仕事を与えられず、毎日、自宅と会社を定時に往復する主人公の姿
 を幾度も見せられました。「族」というからには多くの企業で、しかも多くの嫌な
 経験をされたサラリーマンが存在したということでしょうか。
 今考えると、彼らが話題となったのは日本企業が終身雇用を謳っていた時代の現象
 としか言えません。バブル崩壊後、企業を取り巻く環境は年々厳しさを増してきた
 時代、各企業は人員削減を中心に、コストダウン他で企業の存続を図ってきたでしょ
 うから、「窓際族」のような従業員を存続させている企業は、よほど悪いことをし
 ている企業ではないでしょうか。更に「窓際族」から「窓から放り出された、外気
 にさらされている」という意味で「ベランダ族」という言い方もあったようです。
 
 《1978年(昭和53年)の会社に関する記述は、あ行「お-2」の「おセンチ」の項
  を参照。》
 
【マル金・マルビ】 「マル金」とは金持ちのこと。 金魂巻
金魂巻
 「金」を○で囲んで表示します。「マルビ」は貧乏の
 ことで「ビ」を○で囲んで表示します。 
 1984年(昭和59年)に、漫画家、エッセイスト、イラ
 ストレーターであった故・渡辺和博という人が「金魂
 巻」という本を出版した中に出てくる言葉です。1980
 年代の代表的な職業であるコピーライター、イラスト
 レーター、ミュージシャンなどの横文字職業にある人々
 から、小金持ちと小貧乏人との違いを、持ち物、服装、生活スタイルや人間関係な
 どを比較・観察し、行動がすべてプラス報告に行く人(マル金の人)と、その逆の
 人(マルビの人)を分かりやすく図解した本で、同年のベスト・セラーとなるとと
 もに、同年の流行語大賞に輝きました。 
 
 《1984年(昭和59年)の会社に関する記述は、か行「く」の「くれない族」の項
  を参照。》
 
【マスオさん現象】 「マスオさん」は長谷川町子の人 マスオさん(サザエさん一家)
マスオさん(サザエさん一家)
 気漫画「サザエさん」でサザエさんのご主人のフグ田
 マスオのことです。このマスオさんがサザエさんの両
 親とサザエさんの実家で同居生活を送っていることか
 ら、妻の実家で婿養子ではなく、同居する男性を「マ
 スオさん」と呼んでいます。
 1989年(昭和64年/平成元年)ごろから、こうした男性
 が増加したことで、マスコミは「マスオさん現象」と
 呼び流行語となりました。近所の家の表札を見ると多くの「マスオさん」がおられ
 ます。今では当たり前の現象ではないでしょうか。
 
 《1989年(昭和64年/平成元年)の会社に関する記述は、あ行「あ-2」の「アッシー
  くん/メッシーくん/ミツグくん」の項を参照。》
 
【真冬に半袖と短パン姿の小学生】 「子どもは風の子、 真冬に半袖と短パン姿の小学生
真冬に半袖と短パン姿の小学生
 大人は火の子」と言われるように子どもは風の吹く寒
 い冬の日でも元気に遊んできました。最近、ほとんど
 見かけなくなったものに、真冬に半袖、時にはランニ
 ングに半ズボンの小学生の姿です。以前はよく見かけ
 たので、「僕、元気だね。寒くないの?」と声をかけ 
 たものでした。
 「大人は火の子」、大人に「火の子」というのは矛盾
 しているように思いますが、私は暑い夏より、寒い冬の方が耐えられる体だと思っ
 ていたのに、歳は取りたくないものです。寒さに震えている最近です。
 
【マンマンデー】 中国での生活経験がある家内の父が使っていたのを思い出しまし
 た。慢慢的、中国語の「ゆっくりしている様」、「あくせくしない様」の意味ですが、
 昔から日本では「遅い」、「のろま」、「鈍い」、「ぐず」、「のろい」など、良い意
 味では使われていなかったように思います。
 
【町中の半鐘やぐら】 「櫓」というと、芝居櫓、大相 半鐘やぐら
半鐘やぐら
 撲の興行用に太鼓櫓、祭りや盆踊り用の祭り櫓、水害
 や火災などの発生を知らせる火の見櫓などがあります 
 が、戦後しばらくはどこの町にもあった火の見櫓が、
 だんだん無くなっているように思います。
 中には町民、村民の高齢化で有事のときに火の見櫓に
 上がり半鐘をたたいて災害を知らせることが難しく
 なったケースでは、撤去されるか、櫓を防災行政無線
 のスピーカーの設置塔になっている例が多いように思います。
 一方、首都圏近郊でも、今もって昔懐かしいいろいろな形状をした櫓が存在してい
 ます。ドライブ中、そんな半鐘櫓を見つけると、ホッとします。
 
【豆炭あんか】 終戦後、現在のように空調、床暖房、 豆炭あんか
豆炭あんか
 ファンヒーターやパネルヒーターのない時代、密閉性
 のよくない日本の住宅での暖房器具は、「炭炬燵」、
 「湯たんぽ」、「豆炭あんか」、そして「火鉢」など
 でした。
 1959年(昭和34年)、品川燃料梶i現:シナネン)が
 発売した「品川あんか」は、「豆炭1個で24時間保温」
 のキャッチフレーズで全国に浸透し、初年度に47万個、
 最盛期には年間300万個以上生産されたという記録があります。
 現在はシナネンの子会社でシーズン前に、細々と生産されているようですが、現在
 の価格は、本体が2,250円、マッチ1本で火がつくという豆炭が1,300円/30個との
 ことです。
 安価、安心・安全はどちらでしょうか。アウトドア用にはよいですが、炭をおこす
 手間、豆炭で手を汚すことが嫌われたり、残り灰の処置などを考慮すると徐々に家
 庭から遠のいて行くように思われます。
 
 《1959年(昭和34年)の会社に関する記述は、あ行「あ-4」の「足のサイズ(文)」
  の項を参照。》
 
【まぶい】 「まぶい」は「目が眩む」というところからきた語で、「あの女の子、
 まぶいね」のように「美しい」の意味です。
 「まぶい」は何か戦後の若者語のように感じますが、江戸時代には既に盗賊仲間の
 間で隠語として使われていたそうです。それが、明治・大正以降、盗賊から的屋、
 そして不良少年へと広まり、1970年(昭和45年)代に入り、一般に知られるように
 なりました。しかし、一般の人は使わず、相変わらず不良少年が使う言葉でした。
 平成以降は、ほとんど使われず、レトロ語入りとなりました。
 
 《1970年(昭和45年)の会社に関する記述は、あ行「う」の「ウハウハ」の項を
  参照。》
 
【○○ごっこ】 「○○ごっこ」は、子どもたちが作ったいろいろな団体で行う遊び
 です。私が子どものころは戦時中でしたので、「戦争ごっこ」が盛んでしたが、そ
 の他「電車ごっこ」、「鬼ごっこ」、「チャンバラごっこ」、「お医者さんごっこ」、
 「お店屋さんごっこ」などでした。戦後は「忍者ごっこ」、「快傑ハリマオーごっ
 こ」、「七色仮面ごっこ」、「月光仮面ごっこ」などでしょうか。
 これらの「○○ごっこ」を見ると、「時代のヒーロー的なもの」、「家庭的なもの」、
 「社会的なもの」の3つに分類されるようですが、昔から「ごっこ」は、前記の3
 つの「まね」をして遊ぶものです。
 さて、今の子どもさんたちは、どんな「○○ごっこ」を楽しんでいるのでしょうか。
 
【前掛け】 「前掛け」に属するものには「よだれ掛け」、 エプロン
エプロン
 「腹掛け」、酒屋や魚屋さんなどが着用し、屋号や商標
 が描かれた「前垂れ」、「エプロン」などです。この
 うちの「エプロン」ですが、以前は家庭の主婦は家事、 
 洗濯、買い物時でも「エプロン」をいつも着ていまし
 たが、最近は余り見かけません。最近、見たのは STAP
 細胞で話題の小保方さんでした。真っ白なエプロン姿
 もよいものですね。一から出直し、一研究者として世
 のため尽力されることを願っています。 
 
【まきば】 「牧場」を「ぼくじょう」(音読み<漢語>)、「まきば」(訓読み
 <和語>)と呼びますが、古代から江戸時代には「まきば」と呼ばれていたようで
 すが、「OK牧場」のように会社や観光施設の名前を見ると圧倒的に「○○ぼくじょ
 う」を名乗っています。「まきば」と「ぼくじょう」の違いをイメージすると「小
 規模」、「大規模」の他、「まきば」は文学作品や歌の題名、歌詞に好んで使われ
 ています。(旧文部省唱歌「牧場(まきば)の朝」など)
 牧場で、あえて「まきば」を名乗る場合は平仮名で「まきば公園」(山梨県北杜市)
 のように表記しています。
 「牧場」のような例は、他にたくさんあります。「二重」、「工場」、「早急」、
 「金色」、「博士」、「重複」、「御宿」、「上手」などですが、日本語は難しい
 ですね。
 
【毬つき遊び】 ソフトボールよりやや大きく、ハンド 良寛さんと毬つき遊び
良寛さんと毬つき遊び
 ボールよりやや小さいゴムボールでしょうか、伝統的
 な女児の遊びです。国内には、いろいろな毬つき歌が
 あるようですが、妹たちがよく遊んでいたのが、「あん
 たがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ
 せんばさ せんば山には狸がおってさ それを猟師が鉄
 砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食べてさ それを木の
 葉でチョッと被せ」のように歌いながら、「さ」のつく
 ところで片足を毬の上に回し、最後は毬を股の下でバウンドさせて、スカートの中、
 お尻の方でボールをキャッチし終わりでした。誰かが途中で失敗すると交代してい
 ました。
 地方によっては、最後のフレーズが異なるようです。国内には「日本まりつきの会」
 がPRをしたり、イベントなどで出前をしているようですが、最近は、毬つきをして
 いる女児を見ることがありません。
 
【まぶだち】 「まぶい」同様、若者語かと思いました。ところが、これも的屋、露
 天商などで使われた隠語で、「まぶ」は「真のとか、本当の」を意味する言葉だそ
 うです。「だち」は「だち公」、「だちとも」の例のように「友だち」のことです。
 この業界隠語が1976年(昭和51年)ごろからヤクザや不良仲間の間に広く普及して
 行きましたが、今では「まぶい」とともにレトロ語となっています。
 
 《1976年(昭和51年)の会社に関する記述は、あ行「う」の「ウナ電」の項を参照。》
 
【マイトガイ】 「マイト」はダイナマイトの「マイト」、「ガイ」は英語の「男/奴」
 を意味し、これらを合成させた造語で「ダイナマイトのような豪快な男」とでも言
 うのでしょうか、和製カタカナ語です。ところが、映画化で「マイトガイ」を漢字
 化したのが「旋風児」という表現でした。この旋風児で売り出したのが、石原裕次
 郎とともに日活アクション黄金期をけん引した俳優・小林 旭でした。「銀座旋風
 児」、「ギターを持った渡り鳥」、「関東無宿」、「東京の暴れん坊」他、多くの
 シリーズ作品がありますが、今ではまったく通用しない言葉でしょう。
 
【丸文字】 手書き文字の内、角を丸くした書体で別名 丸文字
丸文字
 「まんが字(マンガ字)」、「丸字」、「ブリッ子文字
 (ぶりっ子文字)」、「ルンルン文字」とも呼ばれて
 います。
 漢字は角ばった箇所が多く、文字や文章が硬くなるこ
 とを避けるため、1970年(昭和45年)代から1980年
 (昭和55年)代に女子小中高生の間で広く用いられま
 した。広まった理由の一つに、当時、少女たちの間で
 流行していた交換日記や手紙交換の影響と言われています。
 丸文字が衰退し、その後「ヘタウマ文字」、そして「ギャル文字」へと移行してい
 るようですが、こんな変な流行に首を突っ込んでいると、履歴書も満足に書けない
 人間になってしまうのではと心配してしまう年寄りです。
 
 《上記時代中の1983年(昭和58年)の会社に関する記述は、か行「き-2」の「金
  妻」の項を参照。》
 
【丸い郵便ポスト】 我が国の郵便ポストは1871年(明治 丸い郵便ポスト
丸い郵便ポスト
 4年)、郵便制度がスタートと同時に取扱い地点に設
 置されたのが木製の小さな「書状集箱」でした。 
 以来、木製柱型、1908年(明治41年)、木製から鋳物
 製、戦争中は鉄材として供出されコンクリート製とな
 りましたが、戦後、あの懐かしい、赤色、丸型鉄製の
 郵便ポストが、1949年(昭和24年)に正式名称「郵便
 差出箱1号(丸型)」として設置されました。
 これが1959年(昭和34年)、後継の「郵便差出箱1号(角型)」となり登場しました。
 形、大きさはいろいろありますが四角い箱型のポストです。四角いポストですので
 内部に郵便物を貯める袋を吊るし、郵便物を収集するときは袋ごと交換すればよく、
 丸型のポストのように小さな取出し口から手を入れて、郵便物をかき出す手間が省
 けることが大きな理由です。
 その懐かしいポストの現状をインターネットで調べてみました。都内23区には、
 2013年(平成25年)現在で5個、しかし、小平市には30余個、更に兵庫県芦屋市内
 においては半分以上が丸型で人口比に対する割合では日本一だそうです。我が家の
 近くにも、少々色褪せていますが1個残っています。一方、観光地の例では、埼玉
 県川越市では蔵造りの町並みや寺社にあるポストは景観を配慮し丸型にしていると
 ころもあります。
 
 《1908年(明治41年)の会社に関する記述は、は行「は-4」の「箱繕」の項を
  参照。》
 
【間 男/蜜 男】 「夫のある女性が他の男性と関係をもつこと、または、その男 
 性のこと」あるいは、「男女が密かに持つ関係」ということでしょうか。古く江戸
 時代から使われていた言葉です。 
 言葉の由来は「夫婦の間に入ってくる男」から来ているという説が一般的なようで
 す。今で言う「不倫」、「浮気」でしょうが、「間男/蜜男」を使う人はおられない
 のではないでしょうか。
 
2015. 9. 6 三橋 レトロ語 ま行(み)
 
 
 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・
   レトロ語 ま行(み)以下、順不同       (文責/三橋春夫)
 
◇掲載語◇【耳の穴に100円玉を入れているおじさん】【みゆき族】
     【道端の万年筆売り】【三越にはストもございます】【ミツグくん】
     【ミリバール】【耳年増】
     【蓑着て、笠着て、鍬持って、お百姓さん、ご苦労さん】【耳飾り】       
     【味噌汁で顔を洗って出直して来い】【磨き砂】         
     【列車の窓を開けて見送りに挨拶】【水も滴るいい男(?)女(?)】         
     【耳をダンボにする】【ミーハー】【三行半】【ミスター・レディ】         
 
【耳の穴に100円玉を入れているおじさん】 子どもころ、八百屋さん、魚屋さんな
 ど、何か商売されておられる方に多いようですが、耳の穴に100円玉を入れている
 おじさんを見かけました。友人に確認したら、やはり見たことがあると言いました。
 あれは、何のためなのでしょうか。
 一説には、昔、ホープ、しんせい、ピース、ゴールデンバッド等が50円、100円で
 買える時代の名残で、亭主が売り上げから、ちょろまかしていたというのです。
 ちょろまかしても、奥さんか店員が耳を見れば分かります。それとも、奥さんから
 認められた一日の小遣いの意味でしょうか。噂では500円コインを耳の穴に入れてい
 る方もおられると聞きました。理由がわかりません。お分かりの方、是非、ご教授
 下さい。
 
【みゆき族】 既成の考え方にとらわれず、自由気ままな行動を目指す若者たちで、
 1964年(相和39年)の夏ごろ、銀座御幸通り周辺にたむろし、何の目的もなく、通
みゆき族
みゆき族
りをぶらぶら動き回ることで、「みゆき族」と命名され
ました。当時、同年4月に創刊された週刊誌「平凡パン
チ」に紹介されたことにより、一躍話題をさらいました
が、地元商店主や一般都民などから「商売の邪魔になる」、
「目障り」などの苦情が殺到したようです。さらに、10
月の東京オリンピック開催に向けて風紀向上の面からの
取締りが行われた結果、「みゆき族」は完全に姿を消し
てしまいました。
 
 《1964年(相和39年)の会社に関する記述は、「あ」行の「アイビールック/アイ
  ビー族」の項を参照下さい。》
 
【道端の万年筆売り】 昭和の大道芸というのでしょうか、人が大勢行きかう道路や
 公園などで、バナナの叩き売り、がまの油売りは有名でした。私も学校の帰り道
 で大道芸を見かけると、人だかりに紛れ込んで見物していました。    
 これとは別に、意外に思っていたのが万年筆売りです。それも、汚れた万年筆を売
 っているのです。おじさんの講釈を聞いていると、会社が火事になり、焼け跡から
 使えるものを集めて従業員の給料の足しに販売をしているとか、彼らを支援するた
 めとか・・・、当時、中学生だった私には理解できない内容でした。驚いたことに、
 万年筆は火災現場から集められたように、火災の燃えかすと消火のための水で濡れ
 ている生々しい物でした。
 今、考えると、火災に遭った万年筆が濡れた状態で売られることなど、あり得ませ
 んが、サクラもいたのでしょう。同情して買う方がおりました。騙すおじさん、同
 情して買うお客、昭和のよい時代の思い出です。
 
【三越にはストもございます】 1951年(昭和26年)の暮れの大売出し中の三越の日
 本橋、新宿、銀座の三店で百貨店業界初のストライキが行われました。争議は組合
 幹部の解雇に抗議する48時間ストでした。損をしたのは三越ですが、このストで喜
 んだのはもちろん同業者の伊勢丹、白木屋、高島屋でした。当時、百貨店は「なん
 でもございます」がキャッチフレーズでしたので、「三越はストもございます」の
 流行語を生みました。  
 
 《1951年(昭和26年)の会社に関する記述は、「あ」行の「アジャパー」の項を
  参照。》
 
【ミツグくん】 「あ」行の「アッシーくん/メッシーくん/ミツグくん」の項を参照。 
 
【ミリバール】 ミリバールは、かつて気象分野でよく 気圧計
気圧計
 使われてきましたので、人によっては親しみを感じる
 のではないでしょうか。日本では、古くは水銀柱ミリ
 メートル(mmHg)が使われていましたが、1945年(昭
 和20年)からミリバール(mbar)に切り替わりました。
 その後、1992年(平成4年)に国際単位系(SI)のヘ
 クトパスカル(hpa)に切り替わりました。
 
 
 《1992年(平成4年)の会社に関する記述は、「は」行の「花の中三トリオ」の項
  を参照。》
 
【耳年増】 元々は「若い割に耳が肥えている、知識が豊富な女性」という意味だそ
 うですが、どうも「セックスに関する知識に詳しい女性」とありました。初めて知
 りました。女性週刊誌の読み過ぎの結果でしょうか。
 男性の場合はなんと言うのでしょうか。
 
【蓑着て、笠着て、鍬持って、お百姓さん、ご苦労さん】 「蓑着て 笠着て 鍬持っ
 て お百姓さん ご苦労さん 今年も豊年満作で お米が沢山取れるよう 朝から晩ま
 で お働き」ご存知、終戦後、食糧増産のためNHKのラジオ番組「農村に送る夕」の
 テーマソングでした。
 昔は確かに、農家の方はこういう格好でしたが、今は機械化の時代、田植え、稲刈
 り、そして畑仕事も変わり、蓑も笠も姿を消してしまいました。
 
【耳飾り】 お年寄りは「耳輪」とも言っていました。今では「イヤリング」、「ピ
 アス」ですが、古い時代の耳飾りは、日本はもとより世界の各地でも残されていま
 す。
 国内では縄文時代の魔除けや呪術的な意味合いや、結婚や成人時などでの儀式用に
真珠の耳飾りの少女
真珠の耳飾りの少女
使われたと思われる出土品が、また、海外ではオリエン
ト文明、ローマ時代1〜2世紀の金製の耳飾り、ビクト
リア朝時代の数々の貴重な耳飾りが知られています。
耳飾りと言えば、オランダの画家ヨハネス・フェルメー
ルの「真珠の耳飾りの少女」は有名ですね。少女の耳た
ぶの大きな白い真珠が印象的です。同じように年寄り言
葉で「首飾り」は「ネックレス」、「手首、腕輪」は
「ブレスレット」。カタカナ語の方がスマートに聞こえ
ますね。
 
【味噌汁で顔を洗って出直して来い】 随分、きつい言い方ですね。落語の中のセリ
 フでしょうか。上司にコテンパンに叱られているフレーズでしょうか。「普通の水
 では覚めないほど寝ぼけた、トンチンカンなことを言っている。味噌汁で顔を洗え
 ば眼も覚めるだろう」という意味でしょう。普通なら「外の風(空気)で頭を冷や
 して出直して来い」くらいになるのでしょうか。 
 
【磨き砂】 懐かしい言葉です。子どものころ、今のようにいろいろな家庭用洗剤が
 なかった時代、各家庭で鍋釜、食器類の洗いに活躍していたのが「磨き砂」でした。
 母はいつも薄暗い台所で「亀の子タワシ」を使って黙々と磨いていたのを思い出し
 ます。お蔭で釜は黒光り、お櫃の銅の輪っかはいつもピカピカでした。
 磨き砂の歴史を調べてみると、かつては家庭用洗剤の他、精米機がなかった時代に
 は良質の磨き砂を混ぜて利用したり、上質紙の目つぶしの原料として利用されたよ
 うですが、これも時代と共に衰退し、現在は化学洗剤が使用できないケースや、義
 歯制作、金属研磨加工、仏具の灰の代用として目立たないところで活躍しています。
 
【列車の窓を開けて見送りに挨拶】 私が社会人になってしばらくは、東京駅他で新
 婚旅行や転勤の見送り風景をよく見かけました。昔は列車の乗降口や窓を開けて見
 送りの家族や友人、同僚に手を振りながら出発したものでした。微笑ましく、情緒
 がありました。それが、新幹線時代に入り、この風景 上下に開閉できた車窓
上下に開閉できた車窓
 が見られなくなりました。見送りだけではありません。
 窓が開けられたから駅弁を楽しめました。今は車内販
 売です。楽しみがなくなりました。
 国内には、まだ一部に窓が開けられる列車が運行され
 ていると聞きましたが、事故防止、車内の気密、断熱、
 防音、空調などの関係で消えて行くのは致し方ないで
 すね。近い将来、リニア・カーが運行されたら、どう
 いう変化が起きるのでしょうか。何とか頑張って見届けたいですね。
 
【水も滴るいい男(?)女(?)】 一般的には「水も滴るいい男」で、「男も惚れ
 惚れするような男」に対する表現でしょうか。しかし、広辞苑他では「美男、美女
 の形容」、「生気ある男や女の/つやつやとした/またみずみずしさの形容」などと
 解説されていますので女性にも適用されているのですね。
 私には俳優でしたらどなたが対象となるのか知りたいところです。上原 謙や長谷
 川一夫のような男性のことでしょうか。私には普通のお世辞の類にしか感じられま
 せん。時代劇を見ていると、女郎が「あら旦那、水も滴るいい男だねえ。あたいと
 遊んでいきなよ・・・」というセリフをよく耳にしますが、今では時代劇か落語の
 世界のレトロ語ではないでしょうか。
 
【耳をダンボにする】 「聞き耳を立てる」、「耳を大きくしてよく聞く」ことです
 が、ご存知、「ダンボ」は小象をモチーフにしたディズニーの大きな耳が特徴の人
ダンボ
ダンボ
気キャラクターです。
漫画で聞き耳を立てる様子を表現するときは主人公の耳
を大きく描くか、耳に大きな手を当てるように描きます。
このことから「耳をダンボにする」という言葉が生まれ
たのでしょう。  
日本で「空飛ぶゾウ ダンボ」の題名で封切られたのが
1954年(昭和29年)ですから、今ではほとんどレトロ語
でしょうが、ひょうきんで可愛らしい表現ですので、子
どもさん用に残したい言葉ですね。
 
 《1954年(昭和29年)の会社に関する記述は、「い」行の「糸偏景気/糸姫」の項
  を参照。》
 
【ミーハー】 いろいろな説があるのでインターネットで調べてみたら、1927年(昭
 和2年)、当時、颯爽とデビューした二枚目スター・林 長二郎(後の長谷川一夫)
 は、瞬く間に若い女性の間で大人気となり、彼女らが好きな「みつ豆」と「はやし
 長二郎大好き人間」を加味したキャッチフレーズが「ミーハー」であったとありま
 したが、ちょっとこじ付け過ぎていませんか。
 元々は、世の中の流行やタレント、芸能人の動静に夢中になり、影響を受けやすい
 者に対する呼称で「みいちゃん、はあちゃん」の略とされています。そして、彼ら
 を総称して「みいはあ族/ミーハー族」とも呼んでいます。
 いずれにせよ、低俗な趣味や流行に夢中となる軽い人を軽蔑した言葉ですが、日本
 人には何かが話題となると殺到する性格がありませんか。おばさん方に叱られます
 が、韓流ブームに悪乗りして当地へ押しかけたミーハーおばさん。テレビで、この
 野菜が体によいというと、スーパーで直ぐ売り切れとなる現象。長続きしないのが
 玉に瑕ですね。
 
 《1927年(昭和2年)の会社に関する記述は、「な」行の「縄ない機」の項を
  参照。》
 
【三行半】 江戸時代に庶民が離縁する際、夫が妻の家 三行半 
三行半 
 族に出した「離縁状」のことで、離婚を決めたこと、
 妻の再婚許可が3行半に纏められていることから「三
 行半/三くだり半/三下り半」と呼ばれているものです。
 夫婦連名による離婚届の今、若い人たちには通じない
 のではないでしょうか。でも、妻の再婚許可を入れる
 のは人情味がありますね。
 
【ミスター・レディ】 夜の世界、風俗の世界に身を置いている職業男性のことでし
 ょうか。昔からいろいろな呼称がありました。定義は別として、「ゲイボーイ」、
 「シスターボーイ」、「ブルーボーイ」、「おかま」、「ミスター・レディ」、
 「ニューハーフ」、「おねえ」などでしょうか。今では一般的な呼称は「ニューハ
 ーフ」という和製カタカナ語でしょうか。
 昔、タイへ観光に行ったときニューハーフ・ショーを見ましたが、舞台の彼らは照
 明の関係で綺麗でした。しかし、ショーが終了し、帰りがけに彼らを見たらやはり
 女性にはほど遠いという感じでした。ご覧になられた方のご感想はいかがでしたか。
 
2015. 9.20 三橋 レトロ語 ま行(む)
 
 
 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・
   レトロ語 ま行(む)以下、順不同       (文責/三橋春夫)
 
◇掲載語◇【無責任時代】【ムラサキ】【向こう三軒両隣】【胸キュン】
     【ムキムキマン】
 
【無責任時代】 どこかの国ではありませんが、沈没して行く船の乗客を置いて自分
 だけ逃げてしまうような無責任船長と船員が存在したことに驚いています。と共に、
 不幸にして亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。こんな不幸な話
 題とは関係ありませんが、1962年(昭和37年)、「ニッポン無責任時代」という映
 画が上映されました。主な出演者はクレージーキャッツのハナ 肇、谷 啓、犬塚
植木
植木 等
弘、石橋エータロー、桜井センリと植木 等の皆さんでし
た。これが大ヒットするや、急遽制作されたのが続編
「ニッポン無責任野郎」です。正体不明の謎の男(植木
等)が口八丁手八丁でサラリーマンを演じますが、傍若
無人、無責任の言動の末、すべてハッピー・エンドとなる
ワン・パターンのコメディ映画でした。私のもっとも嫌い
な言葉の一つが「無責任」ですが、企業をはじめ社会を
取り巻く環境がより厳しくなったこと、日本人全体のモ
 ラルが向上したこと、等で最近はほとんど使われない言葉でしょう。歓迎すべき現
 象です。
 
 《1962年(昭和37年)の会社に関する記述は、「あ」行の「青田買い」の項を参照。》
 
【ムラサキ】 花柳界をはじめ業界言葉として、「おとも」(ハイヤー/タクシー)、
 「おてもと」(箸)、「くろもじ」(楊枝)、「なみのはな」(塩)、「めいし」
 (つけ)の他、寿司屋さんでは「あがり」(お茶)、「シャリ」(ご飯)、「ツメ」
 (たれ)、「がり」(生姜)、「なみだ」(山葵)に、醤油のことを「ムラサキ/
 むらさき」などと言います。
 「ムラサキ/むらさき」の語源を調べると、江戸時代からのようですが、醤油は高価
 なものであったため高貴な色である「紫」を当てた・・とか、醤油の色が紫であっ
 たとか、いろいろ説があるようです。どの分野でも業界用語や俗語はあると思いま
 すが、一般の人は使わない方がよいでしょう。
 
【向こう三軒両隣】 自分の家の向かい側の3軒と左右の2軒の家で、日常的に親し
 く付き合っている家と定義されていますが、軒数にはこだわらずご近所の家という
 ことでしょうか。これが隣組の単位となっています。戦時中、「隣組の歌」があり
 ました。よく皆さん歌っていました。この歌の3番は、 向こう三軒両隣
向こう三軒両隣
  「とんとん とんからりと 隣組 地震かみなり
   火事泥棒 互いに役立つ 用心棒
              助けられたり 助けたり」
  今の日本の社会に無くなってしまった地域の温もり
 を思い出させます。老人社会、孤独死が問題となって
 いる今日、いつも声を掛け合う、助け合う社会に戻し 
 たいものです。
 
【胸キュン】 胸が締め付けられて「キュン」とする感情のことです。1982年(昭和
 57年)〜1983年(昭和58年)にかけて、松本 隆が作詞した2つの曲「赤道小町ドキ
 ツ」、「君に、胸キュン」がヒットしていました。そこに、1983年(昭和58年)、カ
 ネボウ化粧品の「レディ80サンケーキ」のCMに「胸キュン」が使用されて流行語
 となりました。「胸のときめき」を表す言葉は、時代により新しく現れては、消え
 て行くものです。個人的には「胸キュン」ではなく、「胸がキュンとなる」の表現
 の方が、若い女性らしく、これからも通用する言葉ではないでしょうか。
 
 《1983年(昭和58年)の会社に関する記述は、「お」行の「おしん/おしんする」の項
  を参照。》
 
【ムキムキマン】 ボディビルで鍛えられた素晴らしい筋肉美の男性のことですが、
 自分にない腹筋割れのムキムキマンは男が見ても素晴らしいと思います。個人的な
 ことで恐縮ですが、ドライバーの飛距離が年々落ちてきたので体重を2sほど増や
 そうと勝手に考え実施しました。
ムキムキマン
ムキムキマン
結果は、飛距離は少し伸びてきましたが、お腹が出てき
てしまい、修復をどうしようか、思案中でしたが、スポ
ーツクラブへ入会し、水泳を再開しました。お蔭で少し
ずつ戻り、好調です。 
でも女性のこの種の肉体美は人にもよるでしょうが、特
別なアスリート以外は、私は好みません。女性はふっく
らした美しさがよいのではないでしょうか。皆様はいか
がですか。
 
2015.10. 4 三橋 レトロ語 ま行(め)
 
 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・
   レトロ語 ま行(め)以下、順不同       (文責/三橋春夫)
 
◇掲載語◇【メンコ/メンコ遊び】【メリケン粉】【メートルが上がる】
     【メスタルジア】【めくら判】
 
【メンコ/メンコ遊び】 「面子」は昔から日本の男児の遊びの一つですが、文献に
 よると、江戸時代は大人のバクチ遊びの一種で規制対 メンコ
メンコ
 象とされていたものと知り驚いています。
 私の子どものころは主に丸面子と力士の写真面子で遊
 びました。丸面子には、蝋や油を塗って硬さや重みを
 出し、相手の面子を「裏返し」、「外にはじき出し」
 などで勝つ工夫をしたものです。 
 関西では「ぺったん」と呼ぶようですが、地方によっ
 て「パッチ」、「びだ」、「パッタ」、「ペッタ」、
 「ペッタイ」、「ペッチ」、「ペッチョ」、「ショーヤ」、「ぱっちん」、「カッ
 タ」、「パッチー」他の名称で呼ばれているようです。皆さんはどの名称で遊んで
 おられましたか。
 現在も時代々々の人気キャラクターが登場する角面子、丸面子、そして「昭和レト
 ロ面子」が結構な値段で販売されているのを見ると、子どもの遊びとしては衰退し
 ている現在、大人のコレクション対象でしょうか。
 
【メリケン粉】 明治の初期、アメリカから輸入の精製された良質で白色の製パン用
 小麦粉です。英語のAmericanが、当時の人々には「メ うどん
うどん
 リケン」と聞こえたことから、我が国在来の「うどん
 粉」と区別し、「メリケン粉」と称されてきました。
 現在は「小麦粉」が一般的ですが、英語のwheat flour
 から単に「フラワー」とも言われています。この「小
 麦粉」も「強力粉」、「中力粉」、「薄力粉」、「浮
 き粉」、「全粒粉」、「グラハム粉」、「セモリナ粉」
 など、精製法と成分により分類されていますが、これ
 を更に作る料理によって添加物を加味し、天ぷら、から揚げ、お好み焼き、食パン、
 ホットケーキ、蒸しパン、スポンジケーキ、ドーナツ用に商品が多数市販されてい
 ます。たかが「小麦粉」ではないのですね。
 
【メートルが上がる】 昔、お酒を飲んで酔うと「今日は少し、メートルが上がり過
 ぎた・・」などのように、酒量の表現として使っていました。「メートル」はフラ
 ンス語読み、「メーター」は英語読みですが、距離や長さの単位ではなく電気や水
 道などの「計器」のメーターの方です。
 語源を調べると、飲み過ぎて、しゃっくりが出る状態を「尺があがる」という言葉
 があります。昔は尺貫法でしたが、メートル法が導入されてから、「尺」と「メー
 トル」に置き換えたという説がありますが本当でしょうか。
 昔、ウイスキーのCMで「トリスのおじさん」の顔が、飲むほどに下から赤らんで
 いく様子が大人気でしたが、あれが「メートルが上がる」ことを表したものでしょ
 う。今の若い人たちには通用しない言葉の一つではないでしょうか。そう言えば、
 去る8月17日、「アンクルトリス」のイラストレーター・柳原良平氏の訃報を知り
 ました。私たちの青春時代に素晴らしいCMを世に送り出していただきました。
 ウイスキーを口にすると、あのCMが懐かしく思い出されます。同氏のご冥福を心
 からお祈りいたします。
 
【メスタルジア】 私自身、初めて知りました。1951年(昭和26年)ごろに出た「昭
 和の造語」の一つでした。「メスタルジア」は、女性を意味する「雌(メス)」と、
 故郷や過去のことを懐かしむといった意味の「ノスタルジア」をもじった語のよう
 で、男性が女性を恋しがる意味だそうです。また、ガールフレンドを募集中という
 意味もあるようです。同様に「オスタルジア」という語もあるようです。
 
 《1951年(昭和26年)の会社に関する記述は、「あ」行の「アジャパー」の項
  を参照。》
 
【めくら判】 現役時代によく耳にしました。「めくら判」は目が見えない人を意味
 する盲(めくら)と、「はんこ/主に承認印」との合 めくら判
めくら判
 成語で、提出された書類の内容をしっかり確認しない
 で承認印を押すことですが、あとで、その中味が問題
 となるケースがよくありました。
 「盲」(めくら)は視覚障害者に対する差別用語とな
 っていますので使ってはいけない言葉です。同様に
 「めくら判」も放送禁止語となっています。これを言
 い換えると「ろくに見ないで/いい加減に判を押す」、
 「適当に判を押す」、「確認もせず/確認を怠り判を押す」などとなりますが、世の
 中には差別語として意識せずに使っている言葉や代替えのない言葉もあるようです。
 代替えのない言葉の一つが「めくら蓋」ですが、「めくら」を使った言葉は決して
 少なくありません。「盲蜘」、「盲鰻」、「あきめくら」、「めくら蛇に怖れず」、
 「盲の垣覗き」、「盲将棋」「盲縞」、「盲地」、「盲千人目明き千人」、「盲長
 屋」、「盲長屋梅加賀鳶」、「盲探し」、「盲壁」、「盲御前」、「盲暦」、「盲打
 ち/撃ち」などです。失礼のないように代替え言葉を自分なりに考えておきましょう。
 
2015.10.18 三橋 レトロ語 ま行(も)
 
 若い世代に通じなくなりつつある言葉・生活習慣・遊びなど・・・
   レトロ語 ま行(も) 以下順不同     (文責/三橋春夫)
 
◇掲載語◇【モク拾い】【モチのローン】【もはや戦後ではない】 
     【猛烈社員/モーレツ社員】【モンペ】
     【モヒカン/モヒカン族/モヒカン刈り】【もらい風呂】【モボ・モガ】 
     【もやしっ子】【目標、1327店】       
 
【モク拾い】 戦後間もないころ、煙草が統制品と品不足であったこと、生計を立て
 るために道端や駅のプラットホームの線路上に捨てられている煙草の吸殻を拾って、
 まき直して闇市などで販売している人たちがいました。駅のホームでは長い竹棒の
煙草の吸殻
煙草の吸殻
先に針を付けて、吸殻を刺して拾いあげ、背中の竹籠な
どに入れているのをよく見かけました。
私も40数年前経験しましたが、喫煙者は卑しいものです。
煙草を切らすと灰皿や火鉢の中から吸殻を拾い出し、吸
っていましたが、美味しいものではありませんでした。
当時は、まだフィルター付きの煙草がなかった時代か、
出だした時代だったのでしょう。
今は駅前、商店街などで、地域ぐるみ、あるいは個人で
 街の美化のために、昔とは異なり火挟みを使ってモクモクとボランティ活動されて
 いる姿を見かけます。ご苦労様です。インターネットを閲覧すると、海外からの観
 光客の声として、街中はゴミがなく清潔だと称賛の声が聞かれます。しかし、裏道
 に入ると、吸殻やペットボトル等の投げ捨てが、まだ目立ちます。来る2020年の東
 京オリンピックに向けて、本当に世界の人々が感じてくれるような清潔で美しい、
 安全な日本に育て、世界からの人々を迎えたいものですね。これらは将来にわたり
 日本の宝となるでしょう。
 
【モチのローン】 「もちろん/当たり前」のことを意味する俗語で、昭和時代の言
 葉ですので、今ではレトロ語です。同じような俗語で同じようにレトロ語入りして
 いる言葉には、「だいじょうブイ」(大丈夫)、「バッチグー」(バッチリ・グッ
 ド)、「許してチョンマゲ」(許して頂戴)、「ナウイ」(今風の)、「やって味
 噌」(〜してみなさい)、「ちかれたビー」(疲れた)、「チョベリグ」(最良/
 最高)、「チョベリバ」(最悪/最低)などがあります。
 
【もはや戦後ではない】 1956年(昭和31年)に発表された「年次経済財政報告」
 (正式名称)、「経済財政白書」(通称)、「経済白書」(従来の通称)の副題
 「日本経済の成長と近代化」の結語として、第二次世界大戦後の我が国の復興が終
 了したことを指して「もはや戦後ではない」と記述さ 経済白書
経済白書
 れ、流行語にもなりました。
 10月には「日ソ共同宣言」に調印し、日ソの戦争状態
 が終了、12月には国連への加盟が認められた年でした。
 冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビの「三種の神器」と呼ば
 れた家電を中心とする消費財ブームがスタート、前年
 下期以来の神武景気が加担した結果でしょうか。
 しかし、庶民の生活はまだまだ貧しい時代でした。こ
 の年でもモロタイ島やインドネシア、ミンドロ島で生き残った日本兵が帰国してい
 た時代でした。
 
 《1956年(昭和31年)の会社に関する記述は、「か」行の「火炎ビン」の項
  を参照。》
 
【猛烈社員/モーレツ社員】 企業のために本人はもちろん、家庭をも犠牲にして一
生懸命に働いたサラリーマンを「企業戦士」と言ってたたえてきました。彼らこそ
が高度経済成長以降、日本を「世界の日本」に成長させた担い手でした。そして、
モーレツ社員
モーレツ社員
彼らを「猛烈社員/モーレツ社員」と呼んできました。
1991年(平成3年)〜2002年(平成14年)のバブル崩壊
後、年功序列、終身雇用などの日本的経営に変化が起こ
り、収入は伸びず、場合によっては減収となり、最悪、
リストラの対象となるなどサラリーマンにとって大変厳
しい時代となりました。
一方、企業側は、各種の合理化を促進しつつ、従来の
「戦士」型人材だけを求めることはせず、従来以上に有
能な人材確保に目を向けてきています。更に企業イメージを損なう「過労死」問題も
あるため、労働条件の見直しも必要でしょうし、個人々々の力を如何に大きな組織
力に持って行けるかが、リーダーに問われるところでしょう。
 
 《1991年(平成3年)の会社に関する記述は、「そ」行の「ソノシート」の項を
  参照。》
 
【モンペ】 「モンペ」で思い出すのは戦時中の女性です。戦時中、厚生省から「モ
 ンペ普及運動」として、当時の婦人会へ着用を推奨させました。その後、空襲時の
 防空用として女性に着用が義務付けられました。
 「モンペ」は労働用ズボンとして働きやすい作業衣装ですので、今でも立派に販売
 されています。我が家の近くにも、初老のご婦人がいつも愛用されているのを拝見
 しています。
 生前の母も、戦前、戦後と「モンペ」を愛用した一人でした。昔の女性は、普段も
 和服を着ているときが多く、「モンペ」を着用し、割烹着か、和服にたすき掛け、
 姉さんかぶりで、炊事、洗濯、掃除、さらに、買い物など忙しげによく働いていた
 という印象ですが、農業など、特殊な作業を除き、作業もしやすく、ファッショナ
 ブルな衣装が出回っていますので、年々、見る機会が少なくなるような気がします。
 いかがでしょうか。
 
【モヒカン/モヒカン族/モヒカン刈り】 文献によると、かつてアメリカのハドソン
 川上流に居住していたアメリカ・インデアンの一部族で、正式には「マヒカン/マヒ
 カン族/マヒカン刈り」のようですが、18世紀半ばに絶滅状態に追い込まれたとあり
 ました。
 「モヒカン」については、1992年(平成4年)に公開されたアメリカ映画「モヒカ
 ン族の最後」で知られています。
 ところで、「モヒカン刈り」をインターネットで閲覧して思い出しました。1980年
 (昭和55年)以降、漫画や映画でよく見るニワトリの モヒカン刈り
モヒカン刈り
 トサカのように刈る男子のヘアスタイルが流行りまし
 た。日本では「棟髪刈り」とも言われていたそうです。
 頭部の左右を丸刈り、あるいは、剃髪して、頭部上部
 の髪だけを残すので、ニワトリのトサカのように見え
 るのです。
 最近は、ややおとなしい髪型の若者が多く見られます。
 英国の超人気のサッカー選手であったベッカム選手の
 ように、「ソフト・モヒカン」スタイルと言われている髪型です。私もと思うので
 すが、残念ながら上部の髪の毛が不足でした!
 
 《1992年(平成4年)の会社に関する記述は、「は」行の「花の三中トリオ」の項
  を参照。》
 
【もらい風呂】 昔は、今のように各家庭に風呂・シャワーがありませんでしたので、
 風呂がある家の親切に甘えて、「もらい風呂」をしていました。私も信州へ疎開し
 た当初、農家の離れにお世話になり、「もらい風呂」を経験しました。しかし、風
 呂場は室内ではなく、台所と土蔵の間に屋根はあるものの、裸電球がついているだ
 けで薄暗いところでした。冬は壁がないので寒く、風呂から出て、しばらくすると
 手ぬぐいがカチカチに凍ってしまうほどでしたが、風呂桶から眺める星が実に綺麗
 でした。今思うと、照明は暗く、皆が入った風呂の湯は清潔ではなかったでしょう
 が、当時はなにも気にしませんでした。
 「もらい風呂」というと、四代目・桂 米丸の落語「もらい風呂」を思い出します。
 
【モボ・モガ】 「モダン・ボーイ」、「モダン・ガール」を略した「モボ」、「モ
 ガ」です。1920年代(大正9〜同15年)、更に昭和初期にかけて、西洋の文化の影
 響を受けて、風俗や服装などを取り入れた先端的な若い男女のことですが、一般庶
 民の視線は羨望の一方、西洋かぶれの風潮に対して嘲笑的表現の「モボ」、「モガ」
 が流行したとの説があります。
 当時の写真を見ると、「モボ」は山高帽子にロイド眼鏡、セーラーパンツにステッ
 キに代表されるスタイルは、喜劇俳優の榎本健一が歌った「洒落男」の歌詞にも出
モボ・モガ
モボ・モガ
てきますので、ご存知と思います。
「俺は村中で一番 モダンと言われた男・・・ そもそも
その時のスタイル 青シャツに真っ赤なネクタイ 山高シ
ャッポにロイド眼鏡 ダブダブなセーラーのズボン・・
・」とあります。一方、「モガ」の服装は、スカート丈
は膝下か、それ以下。絵やポスターにも描かれているシ
ョートカットの髪型、釣鐘型の帽子(クロッシェ)、引
眉、ルージュと頬紅が一般的のようでした。そして昭和
 に入ると、パーマネントやマニキュアが流行することになります。
 
 《1920年(大正9年)の会社に関する記述は、「し」行の「省線」の項を参照。》
 
【もやしっ子】 最近はほとんど耳に入らない言葉では もやしっ子
もやしっ子
 ないでしょうか。家の中にばかり閉じこもっている
 「もやし」のように細身で色の白い子どものことです。
 最近はスマホのゲームに夢中のオタク族に属する子ど
 もが話題となります。
 体型も昔と違い、恵まれた生活をする家庭が多いよう
 で「もやしっ子」のような子どもは見たことがありま
 せん。逆に、生活習慣病予備軍のような子どもを多く
 見かけます。こちらの方が大いに心配ですね。
 
【目標、1327店】 1970年(昭和45年)代から1980年(昭和55年)代にかけて、ヒグ
 チ産業鰍フ社長が真っ赤なスーツを着て象に乗り、「目標、1327店」とPRするテ
 レビCMをご記憶の方もおられると思います。
 大阪府東大阪市に本社を置くヒグチ産業鰍ヘ、ドラッグストア、調剤薬局の経営を
 行う企業で薬局のチェーン店他で国内各地に展開していました。このCMが放映さ
 れてから茶の間で話題となりました。
 当初の目標は427店だったそうですが、気になったので達成されたのか調べてみまし
 た。結果は同業他社との競争激化の影響で既存の小型店は統廃合し、2012年(平成
 24年)からファミリーマートとフランチャイズ契約を結んでコンビニとの融合店舗
 を展開中とありましたが、現在の店舗数は154店舗とありました。
 以前は、飲食業のチェーン店等で店舗数をPRするCMを見ましたが、最近はほと
 んど見ません。