『 へ 』 で 始 ま る レ ト ロ 語  
 
【兵隊の位で言うと】 昔、知的障害がありながら才能を開花させた「裸の大将」、
裸の大将
裸の大将
「放浪画家」などと親しまれた山下 清画伯は、物事を
比較するとき、よく「兵隊のくらいで言うとどちらが上
か下か」と聞いているのをテレビで見てい ました。
一般的な「ちょっと」、「もう少し」、「まあまあ」な
どの曖昧な表現や言葉で相対的価値を判断することがで
きないのでしょうか。すべて「兵隊の位」で物事を判断・
評価されておられたようです。
花火見物が大好きで各地の花火大会の風景を実に細やか
 に、美しく描写していました。その画伯も1971年(昭和46年)に49歳の若さで他界
 された。今日、「兵隊の位でどっちの方が上なの?」などと聞く人はいないでしょ
 う。
【ペチャパイ】 昔に比べて、若い女性の体格・体型は格段と向上しているのが分か
 ります。特に豊かな胸やヒップの形状は見事です。「ペチャパイ」は「貧乳」、
 「まな板」、「洗濯板」、「ちっぱい」、「ナインちゃん」などの俗語・同義語の
 方がよく使われるため、「ボイン」と共にやや陰が薄くなってきたように思われま
 す。
 
【べっぴん】 江戸時代は、当初「別品」と書かれ、「普通の品物と違う、特別によ
 い品物」の意味として、「品物」だけに使われていた言葉ですが、その後、「人」
 に対しても用いられるようになりました。更にその後、「別品」は「別嬪」と表記
 され、女性の容姿のみを指すようになったようです。今では、「美人」、「美女」        
 で十分でしょう。
 
【ベ平連】 懐かしい言葉です。他国の平和のための反戦運動ですが、最近は、自分
 の頭の蠅も追えない状況下では、他国の問題にまで手 反戦運動
反戦運動
 が回らないでしょう。市民運動のリーダーシップをと
 る人が居ないのでしょうか。「ベ平連」の正式な名称
 は「ベトナムに平和を!市民連合」です。1965年(昭
 和40年)から活動したベトナム反戦の市民運動組織で
 した。
 この組織の代表は作家の小田 実氏であった関係でし
 ょうか、開高 健氏、哲学者の鶴見俊輔氏ら多くの文
 化人が参加されたのが特徴でしたでしょうか。そして、解散したのが1974年(昭和
 49年)でした。ベトナム戦争の傷跡が未だ消えていない人が大勢おられるでしょう
 が、同国は真面目な国民性故、アジアの新興国の一つとして立派に発展しているこ
 とは嬉しいことです。
 
 HP担当注:鶴見俊輔氏は、死去されたことが、2015年(平成27年)7月23日、明ら
      かになりました。 享年93歳でした。 ご冥福をお祈りします。
 
【ベトナム特需】 ベトナム戦争に参戦した4年間、韓国は派兵によりアメリカから
 莫大な報酬を受け、その結果、兵士たちが本国へ送金した金や、後方支援で得た報
 酬は、「漢江の奇跡」と言われている同国の高度経済成長の基礎となったと言われ
 ています。この点、我が国の朝鮮戦争特需と類似しています。
 一方、我が国もベトナム戦争当事国のアメリカは沖縄を最前線基地として多勢の兵
 士を往復させていましたので、基地付近の歓楽街を中心に落した金も特需の恩恵で
 あったと思われます。今、韓国から慰安婦問題で攻勢を受けていますが、どこの世
 界でも戦争で兵士が派兵されると、民間人の虐殺事件、婦女暴行、売春婦、そして、
 終戦後は私生児問題がいつも話題となります。
【米穀通帳】 「か」行の「買い出し/買い出し列車」、「は」行の「配給」の項を
 参照。
買い出し
【ペンシルロケット】 1955年(昭和30年)、戦後、我が国初の実験ロケットは東京
 大学生産技術研究所の糸川英夫博士の下、国分寺市の半地下壕で実験された水平発
ペンシルロケット
ペンシルロケット
射実験からスタートしました。
それから、「ベビーロケット」「カッパロケット」へと
進み、1958年(昭和33年)に2段ロケット「カッパ6型」
の開発に成功しました。その後、1970年(昭和45年)に
は、我が国初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功
しました。
失敗、成功を重ねた我が国のロケットは、「N-1」、
「M-4S」、「M3シリーズ」、「N-T/U」、「M-
 X」、「H-T」、「H-U」、そして、「H-Uシリーズ」と開発が進んでいます。
 我が国の宇宙開発は、60年前の糸川博士のペンシルロケットからスタートして、今
 やロケット打ち上げと衛星製造は海外からの商業受注に他国と競争できるレベルに
 達しています。技術レベルと成功率の高さは世界のトップレベルです。あとは、打
 上げ費用の低コスト化のようです。当時のニュース映画で「ペンシルロケット」実
 験の成功を紹介した画面を思い出し、今でも胸が弾みます。
 
 《1955年(昭和30年)の会社に関する記述は、「う」行の「歌声喫茶」の項を
  参照。》
昭和30年の会社
【ベークライト食器】 ベークライトは1909年(明治42年)にアメリカ人のLH.ベー
 クランドにより発明され商品化された商品名ですが、 ベークライト食器
ベークライト食器
 絶縁材料や耐熱材料として使用されているフェノール
 樹脂のことです。
 子どものころ、汁もの用お椀に正月用に漆を塗ったも
 のと、普段用にベークライトのお椀がありましたが、
 ベークライトの独特な臭いがたまらなく嫌いでした。
 そう言えば、1927年(昭和2年)、当社でもベークラ
 イト製のお椀やお盆を製品化しましたが、やはり薬品
 の臭みと原価高のためほとんど売れず製造を中止しています。今でも薬品臭いお椀
 を思い出します。
 
 《1909年(明治42年)の会社に関する記述は、「は」行の「箱膳」の項を参照。》
明治42年の会社
【ペテン/ペテン師】 人を欺いて金品をだまし取ったり、損害を与えることを「詐
 欺」と言いますが、そういう人間を「詐欺師」と言います。一方、「ペテン/ペテ
 ン師」も全く同じように使われて来ました。「ペテン」は元々詐欺を意味する中国
 語<bengzi>が訛った語と言われています。ギャンブルなら「いかさま師」です。
 会話の中では「ペテンにかかる」などの表現を使いますが、最近はほとんどが「詐
 欺にかかる」の言葉を使っています。息子を名乗って年寄をだます「オレオレ詐欺」
 は悪人の最たる者です。
 そもそも、息子が親からお金を借りたいのなら電話ではなく、直接、親に会って事
 情を説明し、借用証を持参し頭を下げて借りるのが筋かと思います。息子とは言え、
 電話一本で簡単にお金を貸す、受け取りに来た知らない人にお金を渡すなど、親も
 親ではないでしょうか。世の中、間違っています。お互いに気をつけましょう。
【ベイゴマ遊び】 子どものころ、よくベイゴマ遊びをしました。負けると相手にベ
ベイゴマ遊び
ベイゴマ遊び
ーゴマを取られてしまうので真剣でした。資料を調べた
ら、「ベイゴマ遊び」は平安時代にバイ貝の殻に砂や粘
土を詰めて紐で回した遊びが京都周辺で始まり、やがて
関東に伝わったと記されていました。しかし、その折り
に、「貝(ばい)ゴマ」が訛って「ベイゴマ」となり、
徐々に材質、形状が変化し、鋳鉄製のものが主流となっ
たようです。
ここ何十年もベイゴマ遊びを見たことがありませんが、
 インターネットで検索すると、今でもベイゴマを製造販売している会社がありまし
 たので、どこかで愛好家が童心に帰り楽しんでおられるのでしょうか。
 
【ベルサッサ】 「ベルサッサ」とは「ベルが鳴ると、 ベルサッサ
ベルサッサ
 さっさと帰ってしまう」の略で、授業や就業が終わる
 合図のベルが鳴ると同時に帰宅する人、あるいは、ジ
 ョギングなどの運動をする人、囲碁、将棋などに興ず
 る人にも使われました。1987年(昭和62年)前後ごろ、
 若者の間で使われました。
 チャイムのない職場では「5時ピタ」、「5時ダッシ
 ュ」、「5時チン」の他、「ピンポンダッシュ」など
 の言い方もあったようです。
 
 《1987年(昭和62年)の会社に関する記述は、「あ」行の「朝シャン」の項
  を参照。》
昭和62年の会社
【へっぽこ】 演技や技術などが劣っていること、あるいは、そういう人のことを、
 「へっぽこ役者」、「へっぽこ医者」などのように、あざけって言う言葉ですが、
 最近は「へっぽこ」より江戸時代から使われている「へぼ」や「へぼい」の方が一
 般的ではないでしょうか。
 
【便所紙】 子どものころ、当時は今のようにロール式のトイレット・ペーパーはな
 く、20cm四方くらいの塵紙でした。終戦後、しばらくして市場に出たのは灰色のご
 わごわした便所紙(落とし紙)でした。子ども心にも戦前の紙質と比べて余りにも
 ひどいのに驚きました。戦前の塵紙より色が濃い灰色で、ごわごわでいろいろな不
 純物が混ざっており、紙をクシャクシャに揉まないと使えないほどのものでした。
 私は実物を見たことがありませんが、1664年(寛文4年)ごろ、東京・浅草で漉か
 れた悪紙(今でいう再生紙)と言われる「浅草紙」と比較してどうなのかと興味を
 持ちました。
 日本はトイレット・ペーパーに関しては正に先進国中トップクラスではないでしょ
 うか。どこのトイレにもトイレット・ペーパーは備え付けがあり、清潔、使用量も
 トイレット・ペーパーを開発したアメリカより3倍近くも消費していると聞いてい
 ます。
 
【ペレストロイカ】 旧ソ連のゴルバチョフ政権下で1986年(昭和61年)以降に進め
 られた経済のメカニズム、民主化、情報の公開、スターリン批判などの改革運動で
 すが、その結果は、ソ連社会主義体制そのものの批判となり、経済の混乱、民族紛
 争に火をつけて、1986年(平成3年)12月にソ連は崩壊しました。最近のウクライ
 ナとの紛争問題を見ていると、今一つ理解できない国の一つではないでしょうか。
【ベビー・ブーム】 ある地域で一時的に新生児誕生が急増・急上昇する社会現象と
 でも言うのでしょうか、過去には第二次世界大戦後、戦争終結に伴い、世界中の人
 々が平和を喜び、平和な家庭を目指しました。その結果、国や地域により多少異な
 りますが、1946年(昭和21年)〜1952年(昭和27年)ごろ、日本では1947年(昭和
ベビー・ブーム
ベビー・ブーム
22年)〜1949年(昭和24年)にベビー・ブームが起きま
した。
この期間は年間の出生数は250万人を超え、合計で約800
万人と言われています。特に1949年(昭和24年)の出生
数は269万6,638人という過去最多となりました。この期
間に生まれた世代が、いわゆる“団塊の世代”と呼ばれ
ている世代です。
その後、1971年(昭和46年)〜1974年(昭和49年)に第
 二次ベビー・ブームがありました。この期間に生まれた世代が“団塊ジュニア”と
 呼ばれる世代ですが、以来、毎年、出生数は減少の少子化現象が続いています。
 併せて、結婚年齢も年々高くなり、出生数の増加が期待できない昨今、ベビー・ブ
 ームという言葉は昔の事、このまま消えてしまうのでしょうか。あの世から静かに
 日本の将来を見守るしかないようですね。
 
 《1949年(昭和24年)の会社に関する記述は、「あ」行の「暁に祈る/暁に祈る事
  件」の項を参照。》
昭和24年の会社
【ペンパル文通】 今のように電子メールでのやり取りができなかったころ、未知の
 人と文通をしたいときは、「文通しませんか」など雑誌欄に記載されている国内外
 の相手の住所・氏名から文通をすることが学生や若者の間で流行っていました。
 私の記憶では1955年(昭和30年)代まで雑誌に出ていたように思います。
 いわゆる「ペンフレンド」のことですが、「パル」はジプシー語の兄弟、友だちを
 意味する「Phral」から来ているとの説があります。今は「ペンパル」とは言わない
 でしょうが、匿名ではなく、個人名で海外の人と英語の勉強や意思伝達方法の手段
 として利用している方がおられるようです。今は「メル友」の時代、レトロ語入り
 ではないでしょうか。
 
       『 ほ 』 で 始 ま る レ ト ロ 語  
 
【ホンコンシャツ】 男子用半袖ワイシャツですが、1961年(昭和36年)ごろ、石津
石津謙介氏
石津謙介氏
謙介氏が制作し、テトロン素材のものは速乾性があり、
大変便利で大いに流行しましたが、なぜホンコンなので
しょうか。 男子用シャツの名称もいろいろあります。
「ワイシャツ」、「カッターシャツ」、「ドレスシャツ」
、「ホンコンシャツ」、「カジュアルシャツ」、「アロ
ハシャツ」、「パイロットシャツ」、「ワークシャツ」
等々です。
「ワイシャツ」は英語のwhite shirtから生まれたもので
 すが、「ホワイト」より「ワイ」とカタカナで発音す ホンコンシャツ
ホンコンシャツ
 る方がより近いことから我が国では「ワイシャツ」が
 定着したと言われています。このことからwhite shirt
 またはdress Shirtのことを「ワイシャツ」と言っても
 外国では通用しません。国内でも「Yシャツ」と表記
 したり、「カラーのワイシャツ」という表現は誤りで
 しょう。
 
 《1961年(昭和36年)の会社に関する記述は、「あ」行の「アンネナプキン/アンネ
  の日」の項を参照。》
昭和36年の会社
【防火用水】 小金井市「小金井公園」内にある「江戸東京たてもの園」の一軒の玄
防火用水
防火用水
関前に戦時中、各家に常備されていた防火用水がありま
す。幅1m、高さ80cm、奥行70cmほどのコンクリート製
です。それと数個の砂袋とバケツ、モップ風のはたきな
どもありました。終戦後はしばらくの間、メダカやザリ
ガニや金魚などを飼っていましたが、いつの間にか姿を
消しました。
 
 
 
【ポリ公】 どこの国でも、いつの時代でも特定の人または人物に対して軽蔑あるい
町のおまわりさん
町のおまわりさん
は蔑称としての言葉があるものです。その代表的なもの
が、「ポリ公」ですし、「先公」(教師)、「ズベ公」、
「ヤー公」だし、アメリカ人に対しては「アメ公」でし
た。
本来、「公」は身分の高い人や大臣の他、尊敬されてい
る年配の人に使われました。
その後、人物や動物に対して愛称としても使われてきま
した。例えば、落語や同僚で「熊公」、「八公」、動物
 に対して「エテ公」、「ワン公」、「忠犬ハチ公」などです。
 いずれにせよ、この種の語は対立関係や憎しみから派生したものでしょう。
 そうでなかったら治安維持、犯罪防止に日夜活躍してくれている「おまわりさん」
 に対して失礼極まりないことです。
 
【忘却とは忘れ去ることなり】 1952年(昭和27年)4月から1954年(昭和29年)4
 月の2年間、NHKで菊田一夫原作のラジオ・ドラマ「君 君の名は
君の名は
 の名は」が放送されました。この時間帯になると、当
 時は全国的に銭湯が空になったと言われるほど、国民
 のほとんどがラジオに聞き入っていたようです。
 このフレーズは、この放送の冒頭に朗読されたもので、
 正式には「忘却とは忘れ去ることなり。忘れずして忘
 却を誓う心の悲しさよ」でした。来宮良子さんのナレ
 ーションが特に印象に残っています。
 今から63年前のこと、「君の名は」も、そろそろレトロ語いりでしょうか。高齢者
 社会になり、「忘却とは忘れ去ることなり」の言葉が痴呆症の代名詞に復活しない
 ことを願っています。
 
 《1952年(昭和27年)の会社に関する記述は、「お」行の「踊る宗教」の項を参
  照。》
昭和27年の会社
【ホの字】 “私は彼女に「ホの字」です”“彼は○○ ホの字
ホの字
 嬢に「ホの字」らしい”などのように使われています
 が、「惚れた」という直接的な表現を避けて言う庶民
 の隠語・俗語です。
 「○の字」で表すものには「ホの字」の他に、「御」
 の字を付けるほどありがたいことの「御の字」をはじ
 め、意味は省略しますが、「伽羅(きゃら)の字」、
 「五の字」、「権の字」、「への字」、「大の字」、
 「きの字」などが辞書にあります。
 考えると、「惚れた」、「好きだ」、「愛している」の直接的な表現は当たり前で
 すが、「ホの字」も控えめで、可愛くていいですね。
【ボイン】 女性の豊かなバストを表現する俗語ですが、「ボイン」の由来は1965年
大橋巨泉氏と朝丘雪路女史
大橋巨泉氏と朝丘雪路女史
(昭和40年)から始まった日本テレビの深夜番組に大橋
巨泉が司会の人気番組「11PM」で、出演のバスト豊かな
朝丘雪路に対して、「ボインちゃん」と表現したのが始
まりと言われています。以後、大きなバストのことを
「ボイン」という語が使われてきました。最近の週刊誌
には「巨乳」、「爆乳」などの表現がありますが、大き
いのもほどほどがよいのではないでしょうか。
 
 
 《1965年(昭和40年)の会社に関する記述は、「い」行の「いざなぎ景気」の項を
  参照。》
昭和40年の会社
【ポン友】 元々は中国語の友だちを意とする「朋友」ですが、これが日本語化して
 「親しい友人」という意味で大正、昭和の時代に盛んに使われていました。しかし、
 今では高齢者以外通じないレトロ語です。
 一般には、「親友」、「茶のみ友だち」、「昔なじみ」、「竹馬の友」、「幼友だ
 ち」、「年来の友人」、「旧知の仲」、「相棒」、「女房役」、「昵懇の仲」など、
 多くの語があります。
 
【ポンと音をさせてのビールの栓抜き】 以前、我が家は近くの酒屋さんから瓶ビー
 ルを大きいケースで納入してもらっていましたが、ご ビールの栓抜き
ビールの栓抜き
 主人が高齢化のため廃業してしまいました。
 これを機会に我が家の夕食には瓶ビールから缶ビール
 となりました。
 缶に比べて瓶ビールは美味しいです。しかも、左手で
 栓抜きを逆にかけて持ち、右手で栓抜きの柄を叩くと、
 「ポン」という音が出ます。このビールがまた美味し
 いのですが、缶ビールでは音が出ず物足りません。
 
【ポン菓子】 昔、信州に疎開していたとき、街頭で商売しているポン菓子屋のおじ
 さんに、おやつ用に、お米、とうもろこし、大豆などを持参し、ポン菓子を加工し
 てもらいました。回転式筒状の圧力釜に上記材料を入れ、蓋を密閉し、人力で圧力
 釜を回転させながら加熱 ポン菓子製造機
ポン菓子製造機
ポン菓子
ポン菓子
 し、ある圧力に達したら
 圧力釜の蓋を解放すると
 爆発音と共に、材料がは
 じけてポップコーンのよ
 うな駄菓子となります。
 爆発音から「バクダン」
 とも呼ばれていたようで
 す。 しばらく、祭りなどの夜店で見かけましたが、最近は見たことがありません。
 「ドカン」という爆発音、一瞬立ち上る白い煙と湯気、香ばしいポン菓子の匂いが
 懐かしいですね。
 過日、テレビでこの機械を開発した女性と、最近の動向を紹介していましたが、日
 常、私たちの目に入らないところで元気に活躍していることを知りました。
【ボンネットバス】 戦前・戦後のしばらくの期間、我々の足として利用されたバス
ボンネットバス
ボンネットバス
は、あの懐かしいボンネット型のバスでした。戦後、疎
開先の信州ではガソリン不足のため、ボンネット型の木
炭車バスが白い煙を吐きながら街中を走っていました。
そんな木炭車バスでも若い女性車掌さんが笑顔で迎えて
くれました。
そのボンネットバスは、諸事情により、我が国は1971年
(昭和46年)に量産タイプの製造は中止されたようです
が、その後は地方により、観光用や山間部の地理的条件
 などで現在も運用されています。観光目的は理解できますが、地方の山間部で許認
 可された狭い道路では、前輪が運転席より前に位置するため運転しやすいことがあ
 るようです。
 ボンネット型の構造のメリット・デメリットは、いろいろあるようです。ボンネッ
 ト部分は単なるエンジン関係機器のスペース部分となるため、それだけ全長が長く
 なり、狭いスペースを利用する国土には合わないこと、この結果、輸送効率が低下
 することが考えられます。
 一方、アメリカでは大型トラックはボンネット型、さらにスクールバスをはじめ軍
 関係の車両は今でもボンネット型です。ボンネト型の長所はボンット部分が衝突事
 故のクッションの働きがあること、騒音や振動の面でもプラス効果があります。
 皆さんはどのタイプのバスを望まれますか。
 
【欲しがりません、勝つまでは】 戦時中の1942年(昭 贅沢は敵だ
贅沢は敵だ
 和17年)、当時の大政翼賛会と朝日、毎日、讀賣(現
 在名)の新聞社が戦時に相応しい「国民決意の標語」
 を募集したときの入選作の一つと言われています。 
 「戦争に勝つために戦地で戦っている兵隊さんたちの
 ことを思い、内地にいる私たちは贅沢をせず、貯金を
 して物資を拠出し役に立ててください」と願ってのこ
 とでしょうか。不急不要な金属製品は国へ拠出し、普
 段の服装は、男性は国民服、女性はモンペ姿、食糧不足、そして、生活必需品も品
 薄など、子ども心でも大きな変化を感じたものでした。
 
 《1942年(昭和17年)の会社は、東京航空計器と共同出資で東京兵器梶i現不サ二
  ッシ工業)を設立した年でした。人事・制度面では、ラジオ体操を当社屋上より
  全国放送、青年学校新校舎が完成した年でもありました。一方、業界・一般では
  東京、名古屋、神戸などが初空襲を受け、戦局の転機となったミッドウエー海戦
  とは別に戦艦「武蔵」も竣工しました。一般では国鉄関門トンネルが開通した年
  でした。》
【箒を立てる】 ご存知、長居する客や、嫌な客を早く返す(家から掃き出す)とい
 う、おまじないとしてよく知られていますが、本当に効果があるのでしょうか。
 昔、こどものころ、母はいつも割烹着で洗濯、掃除、裁縫とアイロン掛け、買い物
 、食事の支度などフルに一日を過ごしていました。しかし、我が家では「箒を立て
 る」場面を見たことがありません。
箒を立てる
箒を立てる
箒は掃除をする道具ですが、一方、古くから箒には箒神
(ははきがみ)という神様が宿っていると言われており、
産神(うぶがみ=出産にかかわる神)で掃き出すという
行為が出産に関係し、新しい箒で妊婦のお腹をなでると
安産になると信じられて来たようです。
掃除機が普及し、洋式生活にすっかり慣れてしまった今
日、以前に比べると和室が減少しており室内箒の出番が
めっきり減ってしまいました。
 
【ボキャ貧】 「ボキャ貧」は語彙の少ないこと、また、そういう人のことです。会
 話の中で「ボキャブラリーが貧困」のことを略したも ボキャ貧
ボキャ貧
 のです。
 最近の若い人の会話を聞いていると、若者言葉だけが
 耳に入り、伝えたい詳細な言葉が後回しになっている
 例があります。
 日常、耳にする例は、「可愛い!」、「うっそー!」、
 「すっごーい!」などです。
 「可愛い!」は、何が可愛いのか。服装なのか、メー
 キャップなのか、持っているバッグなのかのコメントをして初めて「可愛い!」が
 生きると思います。
 一部の識者が、近年日本語の美しさが失われて行くと指摘しています。
 私は若者語を否定するつもりはありませんが、社会一般で通用しない、評価されな
 い言葉があります。よく聞く若者言葉に、「やっぱ」とか「やばい」がありますが、
 公の場などで出てしまいますので正しい日本語を使うよう心掛ける必要があります。
 ボキャ貧は性格にもよるでしょうか、OJTではありませんが、家庭や学校での指
 導が大切ではないでしょうか。
【ポケベル】 「ポケベル」は「ポケットベル」の略称でNTTが命令した愛称です
ポケベル
ポケベル
が、国際的にはページャ(Pager)、または無線呼び出し
(Wireless call)と呼ば れているものです。ポケット
ベルのサービス開始は1958年(昭和33年)、米国で開始
された「ベルボーイ」サービスと言われていますが、日
本でサービスが開始されたのは1968年(昭和43年)でし
た。これが1986年(昭和61年)ごろから急速に普及し、
1996年(平成7年)には国内の契約者数が1100万人弱ま
で延びましたが、その後は携帯電話やPHSの普及によ
 り減少に転じ、2007年(平成19年)にサービスが終了しました。今では防災分野他
 の特殊用途に限られているのではないでしょか。
 
 《1968年(昭和43年)の会社に関する記述は、「か」行の「紙芝居屋」の項を参
  照。》
昭和43年の会社
【ホタル族】 ベランダやテラス、庭などで喫煙する人のことですが、家族の健康の
 ためなどの理由で、夜間、これらの人たちが吸うタバコの火種が遠くから見るとホ
 タルのように見えることから、こう呼ばれてきました。 
 事の始まりは、1980年(昭和55年)の「嫌煙権訴訟」に始まり、航空会社、JR他
ホタル族
ホタル族
の全乗物をはじめ、レストランに至るまで禁煙が実施さ
れ、嫌煙権が認められつつあります。
喫煙による弊害は、家庭では壁や天井のヤニによる汚れ、
衣類、頭髪のタバコ臭の染み込み、火災の危険性、それ
以外に問題なのが、家族への受動喫煙の健康被害です。
喫煙者には気の毒ですが、日本の喫煙者への対応はまだ
甘く、欧米並みに強化する必要があります。
 
 
 《1980年(昭和55年)の会社に関する記述は、「か」行の「カラスの勝手でょ!」
  の項を参照。》
昭和55年の会社
       『 ま 』 で 始 ま る レ ト ロ 語  
 
【マジソン・バッグ】 1968年(昭和43年)〜1978年 マジソン・バッグ
マジソン・バッグ
 (昭和53年)にかけて、当時の中高生を中心に大流行
 した紺の絹目ナイロン製で白い英文字をプリントした 
 スポーツ・バッグ「マジソン・バッグ」です。表面に
 はMADISON SQUARE SPORTMAN CLUB boxing wrestling
 footballと書かれていますが、これはれっきとした日
 本製で兵庫県のエースという会社が製作・販売したも
 ので、ある資料によると、大小合わせて2000万個以上
 販売されたとありました。
 
 《1968年(昭和43年)の会社の記述は、か行「か-2」の「紙芝居屋」の項を参照。》
昭和43年の会社
【マネービル】 銀行・証券業界が宣伝用に「ボディビル」をもじって「マネービル」 
 という和製カタカナ語を作ったのですが、最近聞かなくなった言葉の一つでしょう
 か。バブル時に盛んに使われた「財テク」(ハイテクをもじった財務テクノロジー)
 も現状に合わないようです。今は普通の「資産運用」という表現でしょうか。
【真知子巻き】 1952年(昭和27年)に放送された菊田 真知子巻き(君の名は)
真知子巻き(君の名は)
 一夫原作のラジオドラマ「君の名は」が放送される時
 間帯は、銭湯の女湯がガラガラにすいてしまうと言わ
 れたほどの人気番組でした。
 その後、「君の名は」は映画化されましたが、主人公・
 岸 恵子演じる真知子のショールを頭にかぶり、端を
 首に巻くスタイルが「真知子巻き」と言われて、当時
 の女性の間で大流行しました。
 
 《1952年(昭和27年)の会社に関する記述は、あ行「お-1」の「踊る宗教」の項
  を参照。》
昭和27年の会社
【マッチポンプ】 久しぶりにお目にかかった用語です。自らマッチを擦って火をつ 
 けておきながら、自らポンプで火を消すという意味から、自ら問題や騒動を起こし
 て、解決や収拾を買って出て、その立役者と成りすまし、周りから利益や称賛を得
 ようとする自作自演の行為を言います。
 元々は1966年(昭和41年)、自民党のT代議士が国会である問題を取り上げ、裏で 
 その問題を該当者に金品を要求し、相手が要求に応じると問題を自らもみ消すとい
 う事件がありました。「マッチポンプ」は、このT代議士のあだ名として、また、
 そういうやり方を比喩する意味で使われたものだそうです。
 
【マドロス】 オランダ語の「船乗り」、「水夫」の意で 美空ひばりとマドロスさん
美空ひばりとマドロスさん
 ある「マタロス」が訛ったのか、聞き違えたのでしょ
 うか、「マドロス」となっています。昭和時代の歌謡
 曲や映画には「マドロス」物が数多く残されています。 
 その「マドロス」から連想されるものは、海、港、霧
 笛、霧、波止場、酒場と女、そして、縞のシャツにマ
 ドロスパイプとマドロス帽に刺青でした。近年、「マ
 ドロス」はほとんど使われておらず、一般的な「船員」、
 「船乗り」とか、専門語で「航海士」他が使われています。 
【マンボ・スタイル】 我が国では1951年(昭和26年)以降に大流行した音楽「マン
 ボ」のミュージシャンやバンドマンの服装をアレンジしたスタイルで、細目のマン 
 ボズボンにアロハシャツの組み合わせや、派手なシャツの裾を結んだスタイルは当
 時の若者のファッションでした。
 さらに、マンボの王様・ペレス・プラードが来日してからマンボ・ブームに一層火
 をつけた感じでした。「マンボNo.5」、「マンボNo.8」、「闘牛士のマンボ」、
 「セレソ・ローサ」など、ラジオで聞かない日がないほど知名度が高かったように
 記憶しています。この影響でしょうか、和製マンボが出現しました。高島忠夫の
 「パパはマンボがお好き」、雪村いづみの「マンボ・イタリアーノ」、「マンボ・
 バカン」、大津美子の「東京アンナ」他でした。
 マンボは時代と共に衰退して行きましたが、今でもときどき街中でマンボズボンを
 愛用されている方を見ることがあります。
 
 《1951年(昭和26年)の会社に関する記述は、あ行「あ-1」の「アジャパー」の
  項を参照。》
昭和26年の会社
【マント】 フランス語のmanteauは、主に屋外で着用す  マント
マント
 る袖なしの肩から体を覆う外套の一種です。国内では
 子ども服の他、たまに、婦人服として着用されますが、
 我が国の戦前から戦後にかけて旧制中学校、同高等学
 校、大学の学生が防寒用に着用していた時期がありま
 した。特に、白線入りの帽子に、高下駄に黒マントで
 10年前まで続いていた恒例の旧制高等学校の寮歌祭で
 元気なお年寄りを拝見しました。       
 マントは人間が狩猟を始めて以来、防寒用途として着用されてきましたが、防寒用
 以外にヨーロッパの国王、貴族、騎士など身分の高い人が着用したり、映画や漫画
 に登場する怪盗ルパン、怪人二十面相、魔法使い、スーパーマン、バットマン、ア
 ンパンマンなどのキャラクターやヒーローが身に纏う例が多いことに興味を覚えま
 す。強さのシンボルなのでしょうか。 
 
【マグネシウムのフラッシュ】 昔、室内での集合写真はマグネシウムのフラッシュ
 を焚いて写真を撮りました。写真屋のおじさんが黒い布で覆ったカメラに顔を突っ
 込んで、片手にフラッシュを持ち、ボン!という鈍い音とともに真っ白な煙が部屋
 中に充満しました。マグネシウム・フラッシュの後は折り畳み式の反射板にアルミ
 ニウムの細線と酸素を封入した電球型のフラッシュ、その後がキセノンランプでしょ
 うか。
 我が家の古いアルバムにもマグネシウムを焚いた当時の写真が残っています。
【窓際族】 1978年(昭和53年)ごろ、いろいろな事情により第一線を退き閑職に甘
 んじる中高年サラリーマンが話題となりました。テレビや映画でも、ある日、人事
 異動で実質的な仕事を与えられず、毎日、自宅と会社を定時に往復する主人公の姿
 を幾度も見せられました。「族」というからには多くの企業で、しかも多くの嫌な
 経験をされたサラリーマンが存在したということでしょうか。
 今考えると、彼らが話題となったのは日本企業が終身雇用を謳っていた時代の現象
 としか言えません。バブル崩壊後、企業を取り巻く環境は年々厳しさを増してきた
 時代、各企業は人員削減を中心に、コストダウン他で企業の存続を図ってきたでしょ
 うから、「窓際族」のような従業員を存続させている企業は、よほど悪いことをし
 ている企業ではないでしょうか。更に「窓際族」から「窓から放り出された、外気
 にさらされている」という意味で「ベランダ族」という言い方もあったようです。
 
 《1978年(昭和53年)の会社に関する記述は、あ行「お-2」の「おセンチ」の項
  を参照。》
昭和53年の会社
【マル金・マルビ】 「マル金」とは金持ちのこと。 金魂巻
金魂巻
 「金」を○で囲んで表示します。「マルビ」は貧乏の
 ことで「ビ」を○で囲んで表示します。 
 1984年(昭和59年)に、漫画家、エッセイスト、イラ
 ストレーターであった故・渡辺和博という人が「金魂
 巻」という本を出版した中に出てくる言葉です。1980
 年代の代表的な職業であるコピーライター、イラスト
 レーター、ミュージシャンなどの横文字職業にある人々
 から、小金持ちと小貧乏人との違いを、持ち物、服装、生活スタイルや人間関係な
 どを比較・観察し、行動がすべてプラス報告に行く人(マル金の人)と、その逆の
 人(マルビの人)を分かりやすく図解した本で、同年のベスト・セラーとなるとと
 もに、同年の流行語大賞に輝きました。 
 
 《1984年(昭和59年)の会社に関する記述は、か行「く」の「くれない族」の項
  を参照。》
昭和59年の会社
【マスオさん現象】 「マスオさん」は長谷川町子の人 マスオさん(サザエさん一家)
マスオさん(サザエさん一家)
 気漫画「サザエさん」でサザエさんのご主人のフグ田
 マスオのことです。このマスオさんがサザエさんの両
 親とサザエさんの実家で同居生活を送っていることか
 ら、妻の実家で婿養子ではなく、同居する男性を「マ
 スオさん」と呼んでいます。
 1989年(昭和64年/平成元年)ごろから、こうした男性
 が増加したことで、マスコミは「マスオさん現象」と
 呼び流行語となりました。近所の家の表札を見ると多くの「マスオさん」がおられ
 ます。今では当たり前の現象ではないでしょうか。
 
 《1989年(昭和64年/平成元年)の会社に関する記述は、あ行「あ-2」の「アッシー
  くん/メッシーくん/ミツグくん」の項を参照。》
平成元年の会社
【真冬に半袖と短パン姿の小学生】 「子どもは風の子、 真冬に半袖と短パン姿の小学生
真冬に半袖と短パン姿の小学生
 大人は火の子」と言われるように子どもは風の吹く寒
 い冬の日でも元気に遊んできました。最近、ほとんど
 見かけなくなったものに、真冬に半袖、時にはランニ
 ングに半ズボンの小学生の姿です。以前はよく見かけ
 たので、「僕、元気だね。寒くないの?」と声をかけ 
 たものでした。
 「大人は火の子」、大人に「火の子」というのは矛盾
 しているように思いますが、私は暑い夏より、寒い冬の方が耐えられる体だと思っ
 ていたのに、歳は取りたくないものです。寒さに震えている最近です。
【マンマンデー】 中国での生活経験がある家内の父が使っていたのを思い出しまし
 た。慢慢的、中国語の「ゆっくりしている様」、「あくせくしない様」の意味ですが、
 昔から日本では「遅い」、「のろま」、「鈍い」、「ぐず」、「のろい」など、良い意
 味では使われていなかったように思います。
 
【町中の半鐘やぐら】 「櫓」というと、芝居櫓、大相 半鐘やぐら
半鐘やぐら
 撲の興行用に太鼓櫓、祭りや盆踊り用の祭り櫓、水害
 や火災などの発生を知らせる火の見櫓などがあります 
 が、戦後しばらくはどこの町にもあった火の見櫓が、
 だんだん無くなっているように思います。
 中には町民、村民の高齢化で有事のときに火の見櫓に
 上がり半鐘をたたいて災害を知らせることが難しく
 なったケースでは、撤去されるか、櫓を防災行政無線
 のスピーカーの設置塔になっている例が多いように思います。
 一方、首都圏近郊でも、今もって昔懐かしいいろいろな形状をした櫓が存在してい
 ます。ドライブ中、そんな半鐘櫓を見つけると、ホッとします。
 
【豆炭あんか】 終戦後、現在のように空調、床暖房、 豆炭あんか
豆炭あんか
 ファンヒーターやパネルヒーターのない時代、密閉性
 のよくない日本の住宅での暖房器具は、「炭炬燵」、
 「湯たんぽ」、「豆炭あんか」、そして「火鉢」など
 でした。
 1959年(昭和34年)、品川燃料梶i現:シナネン)が
 発売した「品川あんか」は、「豆炭1個で24時間保温」
 のキャッチフレーズで全国に浸透し、初年度に47万個、
 最盛期には年間300万個以上生産されたという記録があります。
 現在はシナネンの子会社でシーズン前に、細々と生産されているようですが、現在
 の価格は、本体が2,250円、マッチ1本で火がつくという豆炭が1,300円/30個との
 ことです。
 安価、安心・安全はどちらでしょうか。アウトドア用にはよいですが、炭をおこす
 手間、豆炭で手を汚すことが嫌われたり、残り灰の処置などを考慮すると徐々に家
 庭から遠のいて行くように思われます。
 
 《1959年(昭和34年)の会社に関する記述は、あ行「あ-4」の「足のサイズ(文)」
  の項を参照。》
昭和34年の会社
【まぶい】 「まぶい」は「目が眩む」というところからきた語で、「あの女の子、
 まぶいね」のように「美しい」の意味です。
 「まぶい」は何か戦後の若者語のように感じますが、江戸時代には既に盗賊仲間の
 間で隠語として使われていたそうです。それが、明治・大正以降、盗賊から的屋、
 そして不良少年へと広まり、1970年(昭和45年)代に入り、一般に知られるように
 なりました。しかし、一般の人は使わず、相変わらず不良少年が使う言葉でした。
 平成以降は、ほとんど使われず、レトロ語入りとなりました。
 《1970年(昭和45年)の会社に関する記述は、あ行「う」の「ウハウハ」の項を
  参照。》
昭和45年の会社
【○○ごっこ】 「○○ごっこ」は、子どもたちが作ったいろいろな団体で行う遊び
 です。私が子どものころは戦時中でしたので、「戦争ごっこ」が盛んでしたが、そ
 の他「電車ごっこ」、「鬼ごっこ」、「チャンバラごっこ」、「お医者さんごっこ」、
 「お店屋さんごっこ」などでした。戦後は「忍者ごっこ」、「快傑ハリマオーごっ
 こ」、「七色仮面ごっこ」、「月光仮面ごっこ」などでしょうか。
 これらの「○○ごっこ」を見ると、「時代のヒーロー的なもの」、「家庭的なもの」、
 「社会的なもの」の3つに分類されるようですが、昔から「ごっこ」は、前記の3
 つの「まね」をして遊ぶものです。
 さて、今の子どもさんたちは、どんな「○○ごっこ」を楽しんでいるのでしょうか。
 
【前掛け】 「前掛け」に属するものには「よだれ掛け」、 エプロン
エプロン
 「腹掛け」、酒屋や魚屋さんなどが着用し、屋号や商標
 が描かれた「前垂れ」、「エプロン」などです。この
 うちの「エプロン」ですが、以前は家庭の主婦は家事、 
 洗濯、買い物時でも「エプロン」をいつも着ていまし
 たが、最近は余り見かけません。最近、見たのは STAP
 細胞で話題の小保方さんでした。真っ白なエプロン姿
 もよいものですね。一から出直し、一研究者として世
 のため尽力されることを願っています。 
 
【まきば】 「牧場」を「ぼくじょう」(音読み<漢語>)、「まきば」(訓読み
 <和語>)と呼びますが、古代から江戸時代には「まきば」と呼ばれていたようで
 すが、「OK牧場」のように会社や観光施設の名前を見ると圧倒的に「○○ぼくじょ
 う」を名乗っています。「まきば」と「ぼくじょう」の違いをイメージすると「小
 規模」、「大規模」の他、「まきば」は文学作品や歌の題名、歌詞に好んで使われ
 ています。(旧文部省唱歌「牧場(まきば)の朝」など)
 牧場で、あえて「まきば」を名乗る場合は平仮名で「まきば公園」(山梨県北杜市)
 のように表記しています。
 「牧場」のような例は、他にたくさんあります。「二重」、「工場」、「早急」、
 「金色」、「博士」、「重複」、「御宿」、「上手」などですが、日本語は難しい
 ですね。
【毬つき遊び】 ソフトボールよりやや大きく、ハンド 良寛さんと毬つき遊び
良寛さんと毬つき遊び
 ボールよりやや小さいゴムボールでしょうか、伝統的
 な女児の遊びです。国内には、いろいろな毬つき歌が
 あるようですが、妹たちがよく遊んでいたのが、「あん
 たがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ
 せんばさ せんば山には狸がおってさ それを猟師が鉄
 砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食べてさ それを木の
 葉でチョッと被せ」のように歌いながら、「さ」のつく
 ところで片足を毬の上に回し、最後は毬を股の下でバウンドさせて、スカートの中、
 お尻の方でボールをキャッチし終わりでした。誰かが途中で失敗すると交代してい
 ました。
 地方によっては、最後のフレーズが異なるようです。国内には「日本まりつきの会」
 がPRをしたり、イベントなどで出前をしているようですが、最近は、毬つきをして
 いる女児を見ることがありません。
 
【まぶだち】 「まぶい」同様、若者語かと思いました。ところが、これも的屋、露
 天商などで使われた隠語で、「まぶ」は「真のとか、本当の」を意味する言葉だそ
 うです。「だち」は「だち公」、「だちとも」の例のように「友だち」のことです。
 この業界隠語が1976年(昭和51年)ごろからヤクザや不良仲間の間に広く普及して
 行きましたが、今では「まぶい」とともにレトロ語となっています。
 
 《1976年(昭和51年)の会社に関する記述は、あ行「う」の「ウナ電」の項を参照。》
昭和51年の会社
【マイトガイ】 「マイト」はダイナマイトの「マイト」、「ガイ」は英語の「男/奴」
 を意味し、これらを合成させた造語で「ダイナマイトのような豪快な男」とでも言
 うのでしょうか、和製カタカナ語です。ところが、映画化で「マイトガイ」を漢字
 化したのが「旋風児」という表現でした。この旋風児で売り出したのが、石原裕次
 郎とともに日活アクション黄金期をけん引した俳優・小林 旭でした。「銀座旋風
 児」、「ギターを持った渡り鳥」、「関東無宿」、「東京の暴れん坊」他、多くの
 シリーズ作品がありますが、今ではまったく通用しない言葉でしょう。
 
【丸文字】 手書き文字の内、角を丸くした書体で別名 丸文字
丸文字
 「まんが字(マンガ字)」、「丸字」、「ブリッ子文字
 (ぶりっ子文字)」、「ルンルン文字」とも呼ばれて
 います。
 漢字は角ばった箇所が多く、文字や文章が硬くなるこ
 とを避けるため、1970年(昭和45年)代から1980年
 (昭和55年)代に女子小中高生の間で広く用いられま
 した。広まった理由の一つに、当時、少女たちの間で
 流行していた交換日記や手紙交換の影響と言われています。
 丸文字が衰退し、その後「ヘタウマ文字」、そして「ギャル文字」へと移行してい
 るようですが、こんな変な流行に首を突っ込んでいると、履歴書も満足に書けない
 人間になってしまうのではと心配してしまう年寄りです。
 《上記時代中の1983年(昭和58年)の会社に関する記述は、か行「き-2」の「金
  妻」の項を参照。》
昭和58年の会社
【丸い郵便ポスト】 我が国の郵便ポストは1871年(明治 丸い郵便ポスト
丸い郵便ポスト
 4年)、郵便制度がスタートと同時に取扱い地点に設
 置されたのが木製の小さな「書状集箱」でした。 
 以来、木製柱型、1908年(明治41年)、木製から鋳物
 製、戦争中は鉄材として供出されコンクリート製とな
 りましたが、戦後、あの懐かしい、赤色、丸型鉄製の
 郵便ポストが、1949年(昭和24年)に正式名称「郵便
 差出箱1号(丸型)」として設置されました。
 これが1959年(昭和34年)、後継の「郵便差出箱1号(角型)」となり登場しました。
 形、大きさはいろいろありますが四角い箱型のポストです。四角いポストですので
 内部に郵便物を貯める袋を吊るし、郵便物を収集するときは袋ごと交換すればよく、
 丸型のポストのように小さな取出し口から手を入れて、郵便物をかき出す手間が省
 けることが大きな理由です。
 その懐かしいポストの現状をインターネットで調べてみました。都内23区には、
 2013年(平成25年)現在で5個、しかし、小平市には30余個、更に兵庫県芦屋市内
 においては半分以上が丸型で人口比に対する割合では日本一だそうです。我が家の
 近くにも、少々色褪せていますが1個残っています。一方、観光地の例では、埼玉
 県川越市では蔵造りの町並みや寺社にあるポストは景観を配慮し丸型にしていると
 ころもあります。
 
 《1908年(明治41年)の会社に関する記述は、は行「は-4」の「箱繕」の項を
  参照。》
明治41年の会社
【間 男/蜜 男】 「夫のある女性が他の男性と関係をもつこと、または、その男 
 性のこと」あるいは、「男女が密かに持つ関係」ということでしょうか。古く江戸
 時代から使われていた言葉です。 
 言葉の由来は「夫婦の間に入ってくる男」から来ているという説が一般的なようで
 す。今で言う「不倫」、「浮気」でしょうが、「間男/蜜男」を使う人はおられない
 のではないでしょうか。