『 は 』 で 始 ま る レ ト ロ 語  
 
【バタンキュー】 「昨夜は遅くまで飲んでしまい、帰宅したらバタンキューで、今
 朝は遅刻しそうだった・・」などと、私たちも普通の会話で使っていました。1985
 年(昭和60年)ごろまでは使われていた言葉のようですが、平成の時代に入り理解
 できる世代が減少しており、現在は高齢者の会話に使われる程度になっているよう
 です。そろそろレトロ語入りでしょうか。
 
 《1985年(昭和60年)の会社に関する記述は、「い」行の「いちご世代」の項を
  参照。》
昭和60年の会社
【バンド】 英語の「帯」の意からゴムバンド、ブックバンド、ヘアバンドのような
 ものから、ジャズバンドのようにジャズを演奏する者の集団や電磁波の周波数など
 にも使われますが、ここのバンドはズボン用のバンドのことです。今ではズボンは
 パンツ、バンドはベルト、昔、おじいさんが言っていた乳バンドはブラジャーと呼
 び方が時代と共に変わりますね。若い人たちに笑われないように今風の呼び方を身
 につけましょう。
【番 傘】 和傘には番傘、蛇の目傘などいろいろありますが、時代劇の中か歌舞伎
 や日本舞踊などでしかお目にかかれません。番傘は江戸時代に誕生したようですが、
番傘
番傘
庶民の間で安価で、かつ、がっしりと丈夫な傘として定
着しました。素材の竹と白紙に荏油(エゴマ油)で防水
した独特な臭いが懐かしいですね。少々重いのが玉に傷
でしょうか。昔は、我が家にもありましたし、突然の雨
降りで困るだろうと、多くのお店には客に貸すための番
傘が数本置かれていました。古くなった番傘は田圃で案
山子として一役買っていました。今は使い捨てのビニー
ル傘です。案山子には使えませんし、ゴミの量を増やし
 ています。
 
【バックシャン】 後姿が美しい女性のことで、大正〜昭和初期に流行した和製カタ
 カナ語(英語+独語の合成語)です。この意味の裏は、後姿は美人だが前に回ると
 期待したほどの顔ではないというニュアンスがありますので、褒め言葉ではありま
 せん。今どきシャン(美人)などと言う御仁はおられないでしょう。
 
【ハバハバ】 終戦後、日本に駐留した米軍兵士が持ち込んだ隠語で「早く早く」「急
 げ」という意味だそうですが、パプア土人の語という説もあります。1946年(昭和
 21年)、読売新聞に連載開始された織田作之助の「土曜夫人」の中にも「ハバハバ
 行きましょう」というフレーズが見られるほか、当時の日本人も日常の会話に「ハ
 バハバ」をよく使っていたように思います。
 
 《1946年(昭和21年)の会社に関する記述は、「え」行の「駅弁大学」の項を参照。》
昭和21年の会社
【パンタロン】 パンツ(ズボン)のデザインの一種で、 パンタロン
パンタロン
 膝から裾に向かって広がっているのが特徴で「ベルボ
 トム」とも言います。もともと「ベルボトム」は米国
 海軍の制服ですが、1960年(昭和35年)代〜1970年
 (昭和45年)代後半まで若者の間で大流行したファッ
 ションですので、ご記憶におありと思います。日本で
 は「パンタロン」(仏語のパンツの意)と呼ばれてい
 ましたが、現在は「フレアパンツ」だそうです。スリ
 ムジーンズだの、スキニージーンズだのと流行は目まぐるしく変化しますね。
 
 《1970年(昭和45年)の会社に関する記述は、「う」行の「ウハウハ」の項を参照。》
昭和45年の会社
【白墨が飛んできた】 中学生時代、授業中に生徒が居眠り、私語や、いたずらをし
 ていると白墨(チョーク)をその生徒目がけて投げつける、普段は大人しい、物静
 かな国語の先生がおられました。また、ときには黒板消しも飛びました。昔は、こ
 んなことは当たり前でしたが、今はどうなのでしょうか。
【八頭身美人】 身長が頭部の長さの約8倍の均整のとれた女性が最も美しいと言わ
 れるスタイルですが、1953年(昭和28年)のミスユニ 八頭身美人
八頭身美人
 バースコンテストで、身長167cmの日本代表の伊東絹子
 さんが第3位に入賞したことで八頭身美人は一躍有名
 となり、当時から流行語となりました。当時の日本女
 性は平均身長が160cm以下でしたので八頭身美人は女性
 の憧れでした。しかし、この半世紀、日本女性の平均
 身長は目覚ましく伸び、さらに、ルックスやプロポー
 ションも本当に美しくなりました。こんなご時世です
 ので八頭身美人という言葉はほとんど聞きません。男性として、これからも、女性
 はもっといろいろな意味で美しくあり続けて欲しいものです。
 
 《1953年(昭和28年)の会社に関する記述は、「あ」行の「赤電話」の項を参照。》
昭和28年の会社
【ハイ ティーン】 過去にはよく使われた和製英語で、10代の後半、16歳〜19歳ぐ
 らいの中学生・高校生世代の少年・少女のことですが、一般的には、13、14歳の年
 代を「ロー ティーン」(英語のearly teen(s))、15、16歳の年代を「ミドル・
 ティーン」(英語のmiddle teen(s))、17〜19歳の年代を「ハイ ティーン」(英語
 のlate teen(s))としているようですが、明確な区分や定義はないとのことです。
 概念的に「ハイ ティーン」は、大人の特徴が強くなった年代と言えるでしょう。
 しかし、概念的だけで定義すると問題が生じます。所謂、「ロー ティーン」の大人
 化があります。この世代の子どもが一児の親になったというニュースを聞き、大変
 びっくりしたものです。反対に「ハイ ティーン」でも子どもの特徴が強い人もいま
 すし、もっと問題なのは、よい歳をした大人にも「ハイ ティーン」同様、それ以下の
 人の言動をする人もいます。困ったものですね。
 普段は「ハイ ティーン」など、ほとんど使いませんが、インターネットで調べると、
 地方自治体で中高生の会議体名に「ハイ ティーン会議」なる名称を使っているのが
 数件見られました。
 
【バタ屋/バタ屋集落】 資料によると、1690年(元禄3年)には、大きな布袋を肩に
 かけ、竿秤を携えた職業人がいたとあります。昭和時代にもありました。いわゆる
 「屑屋」の前身で、今の廃品回収業者・資源交換業者でしょうか。昔は、今のよう
 に自治体で回収する制度ではなかったので、想像ですが、生活するためのビジネス
 になったのではないでしょうか。戦後、隅田川や荒川周辺に住居していた旧朝鮮人
 ほかが、このビジネスに専念するようになり、次第に大きな集落を形成して行きま
 した。一説によると、集落に集められたダンボールやガラクタが、川風に吹かれて
 バタバタという音を出すことから、世間から「バタ屋」と呼ばれるようになったと
 いうことですが、真実でしょうか。今は全然耳にしない言葉ですし、「バタ屋」、
 「バタ屋集落」は「放送禁止用語」の一つです。
【パンパン/パン助】 終戦後、生きるために止む無く身体を売った女性の多くは、主
 として、当時の進駐軍将兵を相手にした街頭の私娼・娼婦となったようですが、語
 源は多くの諸説があり定かではないようです。「パンパン」と呼ばれたのが一般的
 ですが、「三助」に掛けて侮辱的な意味が強い呼び方が「パン助」のようです。同
 じ娼婦でも「パンパン・ガール」と「ガール」が付くと衣食住に足る私娼たちを羨
 望の対象として呼んだ言葉とされていたようです。一方、これらの女性と対象的な
 存在だったのが、主に上級将校と愛人契約を結んだ「オンリーさん」と呼ばれた高
 級娼婦でした。いずれにせよ、日本の戦後混乱期が生んだ悲劇でした。
 
【はばかり】 便所は不潔、不浄なイメージが強いため多くの国でいろいろな表現が
はばかり
はばかり
あるようです。日本も同様で、「はばかり」は「人目を
憚る」所から来ているのでしょう。その他、「厠(かわ
や)」「手水(ちょうず)」「雪隠(せっちん)」「御
東司(おとう)」「東司(とうす)」「隠所(いんじょ)」
「後架(こうか)」「用場(ようば)」「ご不浄」「花
を摘みに行く=女性専用語」を経て、戦後は「お手洗い」
「化粧室」「トイレ」「WC」「LAVATORY」などでしょ
うが、「トイレ」「お手洗い」が一般に定着しているの
 ではないでしょうか。
 
【花売り娘】 戦後間もないころ、都会には靴磨きの少年たち、花売りをする少女た
 ち、同じ花売りでも進駐軍の兵士に寄り添う街娼たち・・、悲しい時代でした。そ
 んな悲しい花売り娘ばかりではありません。花売り娘は映画に、歌になっています。
 1931年(昭和6年)公開のチャップリン主演のサイレ 花売り娘
花売り娘
 ント映画「街の灯」に出てくる盲目の花売り娘との物
 語。1964年(昭和39年)公開のオードリー・ヘップバ
 ーン主演で花売り娘イライザを演じた「マイ・フェア・
 レディ」など、きっと、世界中の花売り娘は様になる
 のでしょう。
 歌謡曲では、1951年(昭和26年)に美空ひばりの「ひ
 ばりの花売娘」の他、作曲家・上原げんと氏が岡 晴
 夫のために戦前に「上海の花売娘」「広東の花売娘」「南京の花売娘」、戦後には
 「東京の花売娘」を発表しています。
 
 《1931年(昭和6年)の会社に関する記述は、「え」行の「エア・ガール」の項を参照。》
昭和6年の会社
【ハイ、それまでヨ】 「あなただけが生きがいなの お願い お願い 捨てないでテ
 ナコト言われてソノ気になって 三日とあけずにキャバレーへ金のなる木があるじゃ
 なし 質屋通いは序の口で退職金まで前借し 貢いだあげくが ハイ それまでヨ・・・」
 1962年(昭和37年)、作詞:青島幸男、植木 等が歌う、映画「ニッポン無責任時
 代」の主題歌の一番の歌詞です。当時、日常会話の中にも取り入れて流行りました
 が、ご本人も他界された今、使っている人もいないでしょう。
【原宿族】 原宿は1966年(昭和41年)に地名が変更されました。現在の住居表示の
 神宮町一丁目〜四丁目が旧町名の原宿一丁目〜三丁目、その他竹下町、代々木外輪
 町、穏田一丁目、三丁目、千駄ヶ谷二丁目の範囲でしょうか。1964年(昭和39年)
 の東京オリンピックの後、1966年(昭和41年)から翌年にかけて明治通りと表参道
 の交差点付近に店開きしたドライブイン・レストラン「ルート5」に裕福な家庭の
 子女が車で集まるようになり、これらの若者らを「原宿族」と呼ぶようになったよ
 うです。また、1980年(昭和55年)代前半には、代々木公園横の歩行者天国などで
 は「竹の子族」や「原宿ローラー(ロックンロール)族」も話題となりました。原
 宿は若者の街、いつもイベント、ファッション、ブティック、アクセサリー店、お
 洒落な飲食店など話題性の多い街ですね。
 
 《1966年(昭和41年)から翌年の会社に関する記述は、「う」行の「ウーマンリブ」
  の項を参照。》
昭和41年の会社
【ハイミス】 以前は「オールドミス」とか「行かず後家」など、蔭口で男性の側か
 ら勝手な言い方をしていましたが、いずれもレトロ語です。「ハイミス」は年齢が
 高いという英語のhighと、未婚女性のmissを意味する和製カタカナ語です。ところ
 で、2012年の女性の平均初婚年齢は29.2歳とありました。年々、高齢化の傾向にあ
 るようです。女性の社会進出が目覚ましい今日、女性だけを年齢で区分するのはい
 かがなものでしょうか。独身男性が一般的なら独身女性でよいのではないでしょう
 か。
 
【ハイカラ】 久しぶりに耳にする言葉です。「ハイカラ」は丈の高い襟という意味
ハイカラさん
ハイカラさん
のhigh collarに由来する、1899年(明治32年)から1900
年(同33年)にかけて生まれた和製カタカナ語と言われ
ています。一般には「西洋風な」、「目新しく洒落た」、
「お洒落な」の意ですが、当時は「西洋かぶれ」を意味
する俗語のようでした。こういう風潮を「ハイカる」と
か「ハイかった人」という動詞も生まれています。現在
はドラマや映画の中で人物や生活様式を懐古調に紹介す
るときに使いますが、日常生活の中で使う人はほとんど
 おられないでしょう。
 
 《この時代の1897年(明治30年)の会社は回転計、同1898年(同31年)には動力計
  (和田式指圧計等)の製造、同1900年(同33年)には水銀/液体式寒暖計が完成し
  た時代でした。》
【はっぱふみふみ】 1965年(昭和40年)代に「5秒スポット」と呼ばれるTVコマー
 シャルが流行りました。人を食ったような、何を言いたいのか分からないCMです
 が、人気タレントが出場するので流行語となったケースがありました。その代表的
 なものが、1969年(昭和44年)、パイロット万年筆の「パイロット・エリートS」の
 CMです。「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらのはっぱふ
 みふみ」「わかるね!」という大橋巨泉のフレーズです。その他、植木 等の「なん
 である アイデアル」、伴 淳三郎の「かあちゃん一杯やっか」などもありました。
 
 《1969年(昭和44年)の会社に関する記述は、「あ」行の「アンタも好きねえ」
  の項を参照。》
昭和44年の会社
【配 給】 暗い、いやな言葉ですね。私たちの祖父母、両親をはじめ、その子ども
 たちも経験した配給制度です。戦争や大きな災害などが発生すると、物資が不足す
 るので節約しつつ、それらの物資を国民に公平に分配するための目的で国の法律や
 制度・規定が制定されます。戦争では第一次世界大戦から第二次世界大戦で各種配
 給制度を実施した国は、イギリス、オーストリア、ハンガリー、旧ソ連、ドイツ、
 日本、アメリカなど多くありました。主に食料品、衣料品、ゴム製品、酒類などの
 嗜好品などのようですが、1973年(昭和48年)の第一次オイルショックでは、オラ
 ンダがガソリンの配給制度を実施したと記録されていました。子どものころですの
 で、実際の仕組みや庶民のやりくりなど分かるはずがありませんが、母や諸先輩な
 どから聞かされてきた配給制度の対象となったものには、米などの主食購入用に、
 命の次に大切なものと言われた「米穀通帳/米穀類購入通帳」、野菜類の購入用に
 「蔬菜(そさい)購入通帳」、「酒類購入切符」「燃料通帳」の他、「薪購入切符」、
 調味料などの購入用に「鹽購入票」、その他「産業戦士用焼酎購入券」、「衣料切
 符」などが存在したようですが、残念ながら「米穀通帳/米穀類購入通帳」以外、実
 物を見たことがありません。平和な日本、二度と配給を経験したくないですね。
 
 《1973年(昭和48年)の会社に関する記述は、「あ」行の「赤チン」の項を参照。》
昭和48年の会社
【パチンコ台のチューリップ】 私は今までにパチンコ パチンコ台
パチンコ台
 に夢中になったことは一度もありませんが、出先で電
 車の時間待ちに駅前のパチンコ屋はよく利用しました。
 その当時のパチンコは手動でした。オール10とかオー
 ル15の懐かしい時代でした。1954年(昭和29年)に連
 発式の禁止令によりパチンコ産業は大きな打撃を受け
 ていましたが、そのピンチを救ったのが1960年(昭和
 35年)に登場した「チューリップ」だったと言われて
 います。パチンコ屋で思い出すのは勇ましい大音響の軍艦マーチですが、最近は耳
 にしません。
 
 《1960年(昭和35年)の会社に関する記述は、「あ」行の「赤ヘル」の項を参照。》
昭和35年の会社
【パンマ】 1958年(昭和33年)の売春防止法の施行と赤線の廃止により、温泉地や
 ホテル街で女性マッサージ師を装った売春婦が話題となりました。俗語の「パンパ
 ン」と「マッサージ(師)」を意味する「あんま」との合成語なのでしょう。つい
 でに、参考までに「按摩」は放送禁止用語扱いです。
 
 《1958年(昭和33年)の会社に関する記述は、「あ」行の「赤線/青線」の項を参照。》
昭和33年の会社
【半どん/半ドン】 午前中に業務・授業が終了し、午後以降は休みとする早期終業
 ことで、日本での俗称として「半どん/半ドン」が定着していました。1980年(昭和
 55年)代ごろまでは多くの官公庁・企業・学校で土曜日は「半どん/半ドン」でし
 たが、その後、週休二日制が導入され、定着されたことからレトロ語入りに近くな
 っています。語源を調べてみると、江戸時代末期、オランダ語で日曜・休日を意味す
 るzondagが訛って「ドンタク」となり、半分のドンタクから「半どん/半ドン」とな
 ったとか、明治時代以降、正午に午砲(空砲)を「ドン」と撃つことからとか、半
 分休みの土曜日ということで「半土」という言葉を生み、これが転じて「半どん/半
 ドン」となったなどがありました。どの説が正解でしょうか。私ごとで恐縮ですが、
 土曜の午後になると、六郷の川縁にあったゴルフ場へよく通ったものです。1951年
 (昭和26年)に会社は土曜日半日制を実施し、1975年(昭和50年)に週休2日制が
 実施されました。
 
 《1951年(昭和26年)の会社に関する記述は、「あ」行の「アジャパー」の項を参照。》
昭和26年の会社
【白亜の恋】 《「け」行の「厳粛な事実」の項を参照。》
厳粛な事実
 
【パンスト】 米語はPantyhose、英語はTightsで、パンティストッキングは和製カ
 タカナ語で略称がパンストです。かつて、「戦後、強くなったのは女性とパンティ
 ストッキング」と言われてきたほど有名な流行語となっていました。一時、「生脚
 ブーム」の到来で関心がそちらの方へ移行した時期がありましたが、近年はタイツ
 ブームに乗ってファッション性に優れたパンストが世の男性の目を楽しませていま
 す。一方、パンストの名称を嫌う女性も多く、近年は「タイツ」「透けタイツ」
 「シアータイツ」の名称で呼ばれているようです。
【ハタキでバタバタする古本屋さん】 学生時代、本代を出来るだけ節約するため近
 くの商店街にある古本屋を利用していました。そこで、 古本屋
古本屋
 いつも不思議に思っていたことがありました。それは
 古本屋のおじさんがいつもハタキを持っていることで
 した。それほど大きな店ではないのに、1日中埃を払
 う必要もないだろうに、しかも毎日ハタキをかけるこ
 ともないだろうに・・と思っていました。私は、古本
 屋だから暇なのだろうと思っていたのですが、考えて
 みると本屋共通のこととして、立ち読みを防ぐために、
 わざとバタバタさせたり、本の入れ替えや整頓をしているのでは?と思ったのです
 が、いかがでしょうか。コンビニでも30分〜1時間、立ち読みする若者が結構いま
 すが、ハタキを持った店員さんを見たことはありません。
 
【蠅取りリボン】 昔は今のように空調設備がありませんでしたので、夏は風通しを
 よくするために戸や窓を開け放しにしていました。当然、蠅や虫が部屋に入ってき
 ますので、これを捕獲するために、どの家庭でも夏になると天井から蠅取りリボン
 を吊るしてありました。家庭もそうですから、生ものを扱う魚屋さんなどはたくさ
 んのリボンが所狭しと吊るされていました。こんな俳句がありました。「あきなひや
 蠅取りリボン 蠅を待つ」(ねじめ正也)、「蠅取紙 飴色古き 知恵に似て」(百
 合山羽公)地形や場所にもよりますが、下水道などの改善により昔に比べて蠅も少
 なくなったように思います。一般家庭からは消えた製品ではないでしょうか。
 
【洟(鼻)垂れ小僧】 鼻水を垂らしている子どもの他、洟垂れ小僧に何が分かるか!
 などのように、若く経験の浅い者を下に見ていう語として使われます。今でも鼻を
 垂らしている子どもはいますが、私の子どものころの洟垂れ小僧は、丸坊主であか
 ぎれで頬っぺたは赤く、青っ洟を垂らしている子どもが大勢いました。遊びながら
 服の袖で鼻を拭くので袖は汚れていますが、当時の子どもはみな元気でした。栄養
 もよく、衛生状態もよい最近は、そんな子どもをとんと見ません。また、年寄りの
 元気さを示すものに、「四十、五十は洟たれ小僧、六十、七十は働き盛り、九十に
 なって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」とか、「四十、五十は洟垂れ小僧、男
 盛りは真八十」などがあります。年寄りは、岸 信介元総理の言われた長生きするた
 めの日常生活訓ではありませんが、「転ぶな、風邪を引くな、義理を欠け」を心が
 けて、ここは現役に大いに頑張ってもらいましょう。
 
【花 金】 花の金曜日の略、週休二日制が導入されて以来、休日前の金曜日の晩は
 一週間の勤務が終わり、「御苦労さん」「来週も頑張ろう」の意図で職場の友人と
 一杯を楽しむ人たちの合言葉です。私も花金を楽しみました。家内が勤めていたア
 メリカ企業でも、金曜日の終業近くになると、ボスほかが、お互いにTGIF(Thank
  God,It’s Friday)と会話し、楽しい雰囲気になるようです。しかし、バブルが
 崩壊し会社も厳しさを増すと、ゆとりもなくなって行きました。巷では、職場での
 ノミニケーションに参加しない若手社員があると聞きますが、企業間の厳しい競争
 下では、こういう機会を有効に利用して職場が結束して苦難を乗り切る必要がある
 のではないでしょうか。一方、厳しい環境を卒業した私は、サンデー毎日・いつも
 花金です!喜んでよいことでしょうか。
【半 鐘】 昔、地方に行くと消防団建屋や町・村役場、学校など公共施設があると
 ころには必ず火の見櫓に半鐘が吊るされていました。この半鐘は江戸時代から火事
 や洪水発生時に危険を知らせてきました。地域によっては、村民の集会召集や時報、
 慶弔など、いろいろな目的・情報伝達に使われたようです。その半鐘が外国人によ
半鐘
半鐘
り盗難にあっているというニュースを見てびっくりしま
した。地方では今でも有効に利用されているところがた
くさんありますが、以前より相当減っているようです。
防災・警報システムにより不要となっていること、地域
住民の高齢化で火の見櫓に安直に登れなくなっているこ
ともあるのではないでしょうか。「半鐘」と「火の見櫓」
が、防災・警報用のスピーカーの設置場所や消防団の消
防ホースを干す場所としての機能しか残されていないよ
 うでしたら、そろそろレトロ語入りでしょうか。
 
【蜂の子を食べること】 信州に疎開していたころ、ある日、農家の友だち4〜5人
 で遊んでいたとき、その内の一人が蜂の巣を見つけて、巣の中から幼虫を取り出し
 て美味しそうに食べ始めたのを見て私はびっくりしました。お前も食え・・という
 ので、恐る恐る口に入れましたが、そのまま噛まずに飲み込んでしまいました。蛋
 白源の補充のために昔から食する習慣が残っているところがあるようです。炊き込
 みご飯、甘露煮、佃煮、蒸し焼きや炒めものなどが代表的でしょうか。信州で味わ
 った珍味にイナゴの佃煮、蚕のさなぎの炒めは絶品でしたが、都会ではなかなかお
 目にかかれませんね。
 
【針子さん】 衣服などを縫う女性のことで、近世、裁縫のことを「お針」とか、
 「針仕事」と呼ぶようになったせいでしょうか、「お針子」「お針子さん」とか、
 「縫い子さん」などと呼ばれています。不思議なのが、どうして「○○子さん」と
 呼ぶのでしょうか。辞書によると「雇われて衣服を縫う女子」とありました。「売
 り子さん」も同じですね。雇われている、いないは関係なく、「縫製技術者」また
 は「縫製者」でよいのではないでしょうか。
 
【バカヤロー解散】 ご存知、有名な1953年(昭和28年)の衆議院解散の俗称です。
 同年2月末の衆議院予算委員会での席上、当時の吉田 茂首相と社会党の西村栄一議
 員との質疑応答中に、答弁を終えて席に戻るときに小さな声で「バカヤロー」と呟
 いたものが、偶然にマイクが拾ってしまい大騒ぎとなったというものです。解散の
 結果、4月に第26回衆議院議員総選挙が実施されましたが、吉田首相率いる自由党は
 大敗、やっとのことで政権は維持されたものの少数与党に転落し、影響力も低下し、
 最終的に吉田退陣につながったとされています。よっぽどマイクの性能が良かった
 のでしょうね。
【バスガール】 バス内でドアの開閉、発車・停車などの案内、料金の精算などをす
 る女性車掌が日本で初めて登場したのは、1920年(大正9年)に東京市街自動車
 の乗合バスだそうです。資料によると19、20歳ほどの バスガール
バスガール
 彼女らの初任給は超破格の35円とありました。バスガ
 ールの人気上昇により「○○ガール」と呼ばれる族や
 職業がいろいろと登場しました。「モダンガール」
 (モガ)「ハロー・ガール」(電話交換手)「マネキ
 ン・ガール」(モデル兼売り子)「マニキュア・ガー
 ル」(理髪店での爪の手入れ)の他、「ステッキ・
 ガール」「レビューガール」「マリンガール」(汽船
 内の案内嬢)「エアー・ガール」(客室乗務員)など、何でも「ガール」を付けた
 職業が人気を博しました。1960年(昭和35年)〜1970年(昭和45年)ごろに、バス
 のワンマン化が進んだ結果、バッグを前に、タイトスカート姿のバスガールは徐々
 に姿を消して行きました。
 
 《1920年(大正9年)の会社に関する記述は、「し」行の「省線」の項を参照。》
大正9年の会社
【ハンサム】 美男子、顔立ちの良い男子で、昔なら「色男」、「二枚目」、「男前
 」、今なら「イケメン」、外国なら「ナイスガイ」でしょうか。英語のHandsomeか
 らの外来語です。「Hand(手)+Some(何々し易い)」から成る言葉で「手で扱い
 易い」ということで、美男子だと女性を口説くのは易しいという意味に取れます。
 「イケメン」が幅を利かせている昨今、大分陰が薄くなってきたのではないでしょ
 うか。
 
【花嫁行列】 神社で結婚式を挙げる場合、神職、新郎新婦、仲人、親・親族、友人
 らが行列を作って神殿へ進む「参進の儀」という花嫁行列は普通でしょうが、昔、
 よく見かけた、新婦が新郎宅へ行くため長持ちを担いだ参列者の長持唄に乗せて進
 む艶やかな花嫁行列、ときには、新郎が引く馬に乗って式場に向かう花嫁行列を見
 る機会が少なくなりました。地方によっては、この種のよい習慣、伝統が残されて
 おり、地域ぐるみで祝うところもあるようですが、段々と懐かしい風物詩が消えて
 行くのは淋しい限りです。
 
【バキュームカー】 カタカナ英語で日本固有の名称です。子どものころは「おわい
バキュームカー
バキュームカー
車」と言っていたようですが、衛生車、糞尿収集車、汲
み取り車、し尿収集車など、いろいろと呼ばれています。
し尿汲み取り用のバキュームカーは1951年(昭和26年)、
川崎市が全国に先駆けて開発・導入し、全国へ普及して
行ったそうです。その後、1980年(昭和55年)代以降に、
下水道の整備・普及が進んだことにより、急速に姿を消
して行きましたが、下水道が完備されていない地域や山
間部、仮説トイレでは、いまだになくてはならない存在
 です。その他、工場からの廃油運搬、ドブの清掃、家畜の糞尿運搬などもあります。
 とくに大規模な災害が発生すると普段は嫌われもののバキュームカーに頼らざるを
 得ません。
【売 血(バイケツ)】 現在、我が国は2002年(平成14年)、「安全な血液製剤の
 安全供給の確保等に関する法律」の施行により売血は禁止され、献血により輸血用
 の血は確保されています。1950年(昭和25年)代から同39年ごろまでは、輸血用血
 液の大部分は民間血液銀行が供給していましたが、そのほとんどが売血によるもの
 でした。貧困層の中には金銭を得るため過度の売血を繰り返す人も多く、いわゆる
 「黄色い血」が医学的にも問題となり、売血は禁止されました。
 
 《1964年(昭和39年)の会社に関する記述は、「あ」行の「アイビールック/アイ
  ビー族」の項を参照。》
昭和39年の会社
【はがま】 底が丸く胴の中間に広いつばが付いたかまど用に作られた釜で、羽釜/歯
 釜と呼ばれています。特徴は噴き上がって蓋が外れたりしないように厚く重い木製
はがま
はがま
でした。我が家は大家族ではなく、かまどでもないのに、
母は一升炊きの羽釜でご飯を炊いていました。何でこん
な大きな釜を・・と思っていましたが、信州に疎開して
かまどを使うようになって大いに助かりました。近くの
山から取ってきた薪や稲藁の煙でいつも目が赤くなって
いたのを思い出します。「初めチョロチョロ 中パッパ
赤子泣いても蓋とるな」と母に言われてよく手伝ってい
ました。おかげで、今でも電気釜がなくても手の平をつ
 けての水加減で硬め、柔らかめのご飯を自由に炊くことができ、マウイ島滞在時は
 家内から喜ばれています。今は主婦でもできる人は少ないでしょう。
 
【破防法】 久しぶりにお目にかかりました。破壊活動防止法の略語で、1952年(昭
 和27年)、暴力主義的破壊活動を行った団体に対する規制措置や刑罰規定を定めた
 法律です。破防法が過去にどれだけ適用されているのかを調べていましたら、意外
 と少ないのに驚きました。1961年(昭和36年)、旧日本軍の元将校らが画策したク
 ーデターの未遂事件、1971年(昭和46年)、沖縄返還協定批准阻止闘争に関わる渋
 谷暴動事件の二例だけでした。1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件をはじめ一
 連の事件についても適用されていないのにも、更にびっくりです。無ければ無いに
 こしたことはありませんが曖昧な法律であってはならないと思います。
 
 《1995年(平成7年)の会社に関する記述は、「ち」行の「チョベリバ」の項を参照。》
平成7年の会社
【鼻 紙】 昔は「ふところ紙」とか「ちり紙」と言っていましたが、今どき、「鼻
 紙」とか「ちり紙」と言ったら子どもに笑われるのではないでしょうか。 英語で
 はfacial tissueですが、代表的な商標を用いてKleenexと呼ぶことが多いです。一
 般的に、日本式のtissue paperというと、包装やトレーシングに使用する半透明の
 薄い紙(薄葉紙)を指すようです。
【鼻血ブー】 1970年(昭和45年)、赤塚不二夫と並ぶ アサー
アサー
 日本のギャグ漫画界の巨匠と言われる谷岡ヤスジ(本
 名:谷岡泰次)の「週刊少年マガジン」に連載の「ヤ
 スジのメッタメタガキ道講座」作品中、主人公・ガキ
 夫のフレーズ「鼻血ブー」と共に登場し「アサーツ」
 という雄叫びをする鳥・ムジ鳥の流行語です。男性が
 精力剤か栄養のある食べ物を摂取して効果を期待する
 様や、「興奮する/興奮した」状態を表す意味でしょう
 か。そう言えば、若いころよく使っていました。
 
 《1970年(昭和45年)の会社に関する記述は、う」行の「ウハウハ」の項を参照。》
昭和45年の会社
【恥ずかしながら】 ご存知、元日本国陸軍伍長(官報では最終階級は軍曹)として
 グアム島へ配属され、1972年(昭和47年)、約28年間終戦を知らず、竹藪に自ら作
 った地下壕で生活していた横井庄一氏が救出され、満57歳での帰国時、羽田空港で
 発した第一声が「恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました・・」でした。
 この言葉をとらえて「恥ずかしながら帰って参りました」が、その年の流行語とな
 りました。帰国後、結婚された名古屋市の住居の一部を横井庄一記念館(館長・
 横井美保子夫人)として一般公開されています。ご本人は1997年(平成9年)に82
 歳でお亡くなりになりました。
 
 《1972年(昭和47年)の会社に関する記述は、「あ」行の「あっしには関わりのね
  えことでござんす」の項を参照。》
昭和47年の会社
【花の中三トリオ】 当時の日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生」とい
 う番組で歌謡界にデビューした同世代の森 晶子、桜田淳子、山口百恵の三人の中学
 三年生当時の呼び名ですが、進級ごとに花の高一トリオ、高二、高三トリオと呼び
 名を変えているのが珍しいです。若い女性のトリオには、「三人娘」の美空ひばり、
 雪村いづみ、江利チエミ、「スパーク三人娘」の中尾ミエ、伊東ゆかり、園 まり、
 「新三人娘」の小柳ルミ子、南 沙織、天地真理らが活 花の中三トリオ
花の中三トリオ
 躍されていました。そして、そのころ私たちも青春真
 っ只中、現役バリバリでした。「花の中三トリオ」の山
 口百恵は1980年(昭和55年)、森 晶子は1986年(昭和
 61年)、桜田淳子は1992年(平成4年)に、それぞれ
 結婚され芸能界を去りましたが、その後、森 晶子のみ
 が離婚を機に芸能界へ復帰し歌手活動をされているよ
 うです。
 
 《1992年(平成4年)の経営・組織面では、「緊急時における広報マニュアル」制
  定、事業部・事業所を対象に業績評価制度の実施、トキメックランディスギア横
  浜営業所が開設された年でした。また、ビッカース社とマネージメントミーティ
  ングをシカゴで開催した年でもありました。人事・制度面では、管理者適性検査
  (MAT)制度導入、独身寮「ステージ久が原貳番館」28室の賃貸契約、育児休
  業制度の新設の他、購買B票のTOA化実施、代理店、地方営業所のISN化実
  施がありましたが、役員報酬、部長職以上の手当一部削減(課長職は平成5年から)
  実施の他、業務員・パートの一部解雇を実施した年でした。一方、F−1チーム・
  ミナルディの那須事業所見学、サイン会の開催、厚生年金保険法施行50周年記念
  にあたり、優良事業所として厚生大臣賞を受賞がありました。業界・一般では、
  海上通信の新体制GMDSS制度施行、地球サミット開幕、PKO(国連平和維
  持活動)協力法案成立、東証平均株価の15,000円割れ、毛利 衛氏が日本人初の宇
  宙飛行士として「エンデバー」に搭乗、1ドル119円に・・などの他、海外では
  第25回バルセロナ・オリンピックが開催された年でした。》
【灰色高官】 1976年(昭和51年)、米上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会
 で、ロッキード社が航空機売り込みのため、日本や欧州諸国などの政治家や業界有
 力者に多額の工作資金がばらまかれたことが発覚された結果、同年7月、田中角栄
 元総理、橋本登美三郎元運輸相、佐藤孝行元運輸政務次官の他、丸紅、全日空のト
 ップも逮捕され、国会議員17名の他、「政財界の黒幕」「フィクサー」と呼ばれた
 児玉誉士夫の関係者、民間、官庁関係者など400数十名が取り調べを受けたとされて
 います。この他にも灰色高官と称される者約10数名の官職名も公表されましたが、
 立件は行われないまま事件は幕引きされました。このロッキード事件は、戦後最大
 の疑獄事件でしたが、この他に政治家や官僚が関わった事件に、東京佐川急便事件、
 リクルート事件などがありました。政治家と金に関する話題はつきません。だから、
 あの議員バッチに取りつかれるのでしょうね。しかし、国民の目は厳しく、甘くは
 ありません。そんな行為をしている議員は、必ずただの人になります。
 
【話がピーマン】 1980年(昭和55年)ごろでしょうか。「話がピーマン」とか「頭が
ピーマン
ピーマン
ピーマン」という言葉が流行りました。野菜のピーマン
に由来して、中身が無いという意味で使われました。ビ
タミンCが豊富であることで知られているピーマンです
が、今ではだれも使うことはないでしょう。
 
 
 
 
 
 《1980年(昭和55年)の会社に関する記述は、「あ」行の「あーうー」の項を参照。》
昭和55年の会社
【はみがき粉】 歯磨剤はチューブ入りのペーストが一般的でしたが、かつては缶や
 袋に入った粉状の磨き粉が使われていました。その名残で粉ではないのに歯磨剤全
 般を歯磨き粉と呼んでいるのも面白いですね。歯磨き粉で思い出すのが、集団疎開
 をしていたときに友だちの一人が、ひもじさの余り歯磨き粉を食べてしまいました。
 余程お腹がすいていたのでしょう。
 
【バイチャ】 「バイバーイ」「さようなら」の意味です。1980年(昭和55年)前後
 かと思いますが、少年ジャンプ連載の鳥山 明の漫画「Dr. スランプ」の主人公の則
 巻アラレが使う別れのあいさつです。1986年(昭和61年)〜1997年(平成9年)ま
 でアニメ化され、TV放送され、平均視聴率20%をキープした国民的アニメの一つ
 と言われています。
 
 《1986年(昭和61年)の会社に関する記述は、「か」行の「唐草模様の風呂敷」
  の項を参照。》
昭和61年の会社
【蜂の一刺し】 勝負において勝敗を決するきっかけと 蜂
 なる打撃のことで、一般的には「止めの一撃」、「致
 命的な打撃」、「決定打」などの類語があります。例
 のロッキード事件で証言台に立った首相秘書官・榎本
 敏夫夫人の三恵子氏が「榎本が5億円の受領を認める
 発言をしていた・・」と法廷で証言したことで、金銭
 授受の決定的証言となったことから、この証言が「蜂
 の一刺し」と言われ、「ピーナッツ」、「記憶にござ
 いません」、「よっしゃ、よっしゃ」などと共に流行語となりました。
【花モク/花木】 木曜日の夜を有意義の過ごすことのようです。花金は承知していま
 したが、花木は知りませんでした。週休二日制になり、一週間の勤めを終えての御
 苦労さん会を職場の同僚と一杯やるのはサラリーマンの最高の楽しみの一つでした。
 ところが花木は、土日を有意義に過ごすため、金曜日の夜はゆっくり休んで、木曜
 日の晩に遊ぶという考えのようです。花木は1988年(昭和63年)の新語・流行語で
 したが、バブルが終わると完全なレトロ語となってしまいました。
 
 《1988年(昭和63年)の会社に関する記述は、「お」行の「オバタリアン」の項を参照。》
昭和63年の会社
【腹当て】 子どものころの腹当てはタオル地で作られた金太郎の絵柄のものでした。
 寝冷えをさせないようにでしょうか、母から「腹当てをしないと雷様におへそを取
 られるよ」と、よく言われていました。今の赤ちゃんも金太郎の腹当てなのでしょ
 うか。
 大人の腹巻きで思い出しました。そう言えば、ステテコ姿でラクダ色の腹巻きをし、
 首から紐で吊るした財布をその中に入れていたオジサンもいました。
 
【波止場】 外国船の出入りする港をメリケン波止場と言ったようですので古い言葉
 です。明治初期までは「波止」あるいは「波止場」と称していたとありますので、
波止場
波止場
このころでしょうか。その後、船の出入り、船の大型化に
より荷役、輸送の機能が重視されるようになり、明治22
年、横浜港築港以後、「埠頭/ふ頭」が広く用いられるよ
うになりました。「港」、「桟橋」、「突堤」、「埠頭」
などが類語でしょうか。波止場というと、映画や歌謡曲
によく登場しています。「霧の波止場」(フランス)、
1954年(昭和29年)のアカデミー賞作品でマーロン・ブ
ランド主演の「波止場」、邦画では「第三波止場の決闘」、
 「赤い波止場」など。歌謡曲では石原裕次郎の「霧の波止場町」、「霧にむせぶ夜」
 など、テーマとしては様になるのでしょうね。
 
 《1954年(昭和29年)の会社に関する記述は,「い」行の「糸偏景気/糸姫」の項を
  参照。》
昭和29年の会社
【バサロ恋愛】 バサロとは「バサロキック」の略です。アメリカの競泳選手・ジェシ
 ー・バサロ氏が考案した泳法と言われています。できるだけ抵抗を軽減しタイムを
 よくするため、スタート時に両手を伸ばし、足をバタフライのドルフィンキックを
 しながら水中を潜行する潜水泳法です。1988年(昭和63年)のソウル五輪で鈴木大
 地選手もバサロ泳法で金メダルを獲得しています。「バサロ恋愛」とは、この泳法
 のように水面下を潜行するので人に知られないように隠れてする恋愛のことを言い、
 1989年(昭和64年/平成元年)ごろに生まれた言葉です。しかし、1991年(平成3年)
 に国際水泳連盟は潜水距離を15m以内に制限する規則を制定したこともあり、以降は
 耳にしないレトロ語となっています。
 
 《1991年(平成3年)の会社に関する記述は、「そ」行の「ソノシート」の項を参照。》
平成3年の会社
【バタバタ音をたてるパネル式表示板(フラップ式ホーム発車標)】 一昔前、JR新
 幹線や空港にバタバタと音をたてて行き先や発着時刻を伝えるパネル式の表示板が
 ありました。JR新幹線の場合、1991年(平成3年)に東京駅に初めて導入し、名
 古屋、京都、新大阪など全16駅、99箇所に設置されたようです。最後まで残ってい
 た三河安城駅も1年前に撤去されました。
 2003年(平成15年)に品川駅が開通され、列車の走行速度のアップ、運行本数の大
 幅増加などでダイヤがより複雑になり、これらの膨大な情報を瞬時に表示する必要
 があるため、現行のLED式に移行されたようです。
 数字が表示される様子を見ていると飽きませんでした。暫し眺めていたものです。
 いざ姿を消してしまうと淋しさを感じますね。
【舶来品】 かつては字のとおり、船便で日本国外より運ばれて来た物品(輸入品)を
 指すもので、我が国で広く使われるようになったのは、主に明治、大正のころのよ
 うです。しかし、昭和に入っても戦後しばらくは、欧米の工業製品は高級品、一流
 品であり、一般庶民には高嶺の花であり、ずっと「舶来品」として珍重されて来ま
 した。
 その後、日本も世界に通じる工業国となり、高品質の製品を生み出す国となりまし
 たが、高級自動車、時計、バッグなどの皮製品、アパレルなどの海外ブランド品に
 対する輸入品信仰の傾向は衰えず、今も一部の舶来品愛好者に輸入品を特別扱いす
 る意識があります。ブランド品などには全く興味のない私には完全なレトロ語です。
 敢えて言うのでしたら、「輸入品」、「外国製」、「メイド・イン・○○」、「中国
 製」でよいのではないでしょうか。皆さんはいかがでしょうか。
【旗 日】 国旗を掲揚することから国が定めた祝日を 旗日
旗日
 旗日と言って来ました。昔は多くの家庭で祝日には門
 戸に国旗を掲揚していましたが、残念ながら時代の変
 化でしょうか、最近は、そういう家庭などめったに見
 られません。現在は1948年(昭和23年)に施行され、
 都度制定される「国民の祝日」(元日、成人の日、建国
 記念の日、春分の日、昭和の日、憲法記念日、みどり
 の日、こどもの日、海の日、敬老の日、秋分の日、体
 育の日、文化の日、勤労感謝の日、天皇誕生日)となっています。W杯サッカーの
 ときだけに、若い人たちが日の丸を掲げるのは寂しい限りです。
 
 《1948年(昭和23年)の会社に関する記述は、「あ」行の「憧れのハワイ航路」の
  項を参照。》
昭和23年の会社
【箱 膳】 昔、新婚当時、石川県出身の義父の実家に宿泊したおり、初めて実物を
 見ました。以前、料亭であった実家は兄弟姉妹や奉公人も多く住んでいましたので
 箱膳がたくさん残っていました。
 大きさは40cm四方くらいで、高さは20cmくらいでしょうか、ご飯茶碗、汁椀、中/
 小皿、湯呑茶碗、箸、布巾などが収納できるもので、江戸時代から商家の使用人、農
 家では囲炉裏を囲んでの食事に用いたのが始まりとされています。
箱膳
箱膳
当時、水は貴重なものでしたので食事が終わると、沢庵
などで茶碗、汁椀の中を綺麗に拭き取り、それらにお茶
を注ぎ、お茶でお椀を濯ぎ、そのお茶を飲んだ後に布巾
で食器、箸を拭き、箱膳へ収納して所定の棚に格納する
やり方が一般的のようでした。水が貴重なため、月に2
〜3回の食器洗いの他、大晦日にしか洗わなかったとい
うケースもあったようです。
明治の終わりごろから家族皆で食事ができる卓袱台(ち
 ゃぶだい)が普及したこと、水事情もよくなり、衛生面のこともあり、箱膳は姿を
 消して行きました。
 インターネットで検索すると、ワンルームで独り暮らしをする人を対象に、35cm×
 35cm×20cmのキャスター付き箱膳がPRされていましたが、飲兵衛としては、グラ
 スや酒のつまみがおけるかな?と心配する大きさです。
 《1908年(明治41年)の人事・制度面では職員従業員の俸給制度が制定されました。
  業界・一般では日本国有鉄道青函連絡航路の運航が始まりました。同42年は掖済
  会が設立され和田社長が会長に就任されました。また、同年に度量衡法が制定さ
  れました。そして、1911年(同44年)は資本金を20万円に増資し、和田計器研究
  所が竣工され、創立15周年記念の大祝賀会を神楽坂魚直庭園で盛大に開催された
  年でした。業界・一般では工場法が公布され、海外ではスペリー博士発明のジャ
  イロコンパスが戦艦デラウェアにて実用化実験が成功した年でした。》
 
【ハンカチ落し遊び】 屋外・屋内どちらでもできる子どもの遊びです。鬼を一人決
 め、鬼以外は内側向きで輪を作り座ります。鬼は輪の外側をハンカチを持って走り
 ながら、だれかの後ろに、そっとハンカチを落とします。ハンカチを落とされた人
 は気付いたら、鬼が一周してくるまでに鬼に追いつきタッチしなければ、ハンカチ
 を落とされた人の負け・・・。幼稚園や小学校低学年対象の遊びですが、今はどう
 なっているのでしょうか。同じハンカチ遊びですが、学生時代、前から可愛い女学
 生が近づくと、すれ違い際にわざとハンカチを落とし、女学生に声をかけ、喫茶店
 へ誘うすごい度胸の友人がいました。成功する確率はどうだったのでしょうか。
 
【ハイソ】 上流社会、上流階級の意のhigh societyの ウイーン舞踏会
ウイーン舞踏会
 略語ですが、「この部屋のインテリアが素敵!ハイソ
 な気分・・」というように用いるのでしょうか。一時、
 上流階級的なイメージの車、高価な高級車を指す俗語
 として、「ハイソ・カー」という語が流行りましたが
 今ではほとんど使われていません。
 「ハイソ」にはもう一つ「膝下丈の長靴下」=「ハイ
 ソックス」の略で使う例があるようです。このように
 同じ略語で二つの意味があるのは感心しません。そのためでしょうか、ハイソック
 スの別名を「ニーソ」(ニーソックス)と説明している記事がありました。
 
【八時半の男】 野球好きで巨人ファンの方ならご記憶にあると思いますが、日本野
 球界でリリーフ専門投手の草分け的な存在で「8時半の男」と呼ばれた宮田征典投
 手のことです。
 彼がリリーフで登板する時間帯が午後8時30分前後であることが多かったことから
 ネーミングされました。
 現役引退後は、巨人をはじめ数球団のピッチングコーチを経て野球解説者として活
 躍した他、出身地の群馬県で少年野球の指導・育成に尽力していましたが、2006年
 (平成17年)に66歳で他界されました。
 
【八卦見】 私自身、占い師に見てもらったことは一度もありません。占いには興味
 がありません。調べてみると、占い師は江戸時代後期に入ると「算置」(さんおき)
 という職能から「八卦見」、「八卦置き」と呼ばれるようになったとあります。
 よく「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われています。調べてみると、悪い結果が
 出たときに言う言葉で「占いは当たることもあれば、外れることもある。占いで凶
 が出ても気にするな。深刻に受け取ってはいけない」ということだそうです。
 占いを鑑定する人を、「占い師」、「占い鑑定師」、「卜者(ぼくしゃ)」、「易
 者」、ときには「手相家」、「気学家」、「人相家」などと言われ、客からは「先
 生」と呼ばれることが多く、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」をよいことに、にわ
 か勉強で占いをする人も結構おられると聞きました。それにしても八卦見はレトロ
 語でよいのではないでしょうか。
【バリカンとトラ刈り頭】 小学校の2年くらいまでは バリカン
バリカン
 坊っちゃん刈りでしたが、戦時色が濃くなってからは
 坊主頭でした。兄と私の散髪は父母のどちらかが手動
 式のバリカンでやってくれましたが、両親が忙しいと
 きは兄弟で散髪をし合いました。バリカンの速度を急
 ぐ余り頭髪が刃に食い込み何度も悲鳴を上げていまし
 た。結果は見事なトラ刈り頭でしたが、余り気にせず
 通学していました。今は電気バリカンがあるから楽で
 しょうね。でも、いろいろな髪型があるので理髪店に行くのでしょうか。
 
【パチンコ屋の軍艦マーチ】 パチンコ台のチューリップの項を参照。
パチンコ台のチューリップ
【パッチグー】 「ばつぐん」とか「見事な出来栄え」、「万事良好で完璧なさま」
 を表す「ばっちり/バッチリ」と、英語のgoodから成る合成語です。1991年(平成3
 年)前後から若者を中心に広い世代に使われましたが、現在は使われていません。
 同じような用語に、最高の意を表す「チョベリグ」などもありました。
 
【パーべキ】 「完全な/申し分ない」といった意味の英語perfectと完璧(かんぺき)
 の合成語です。この種の用語は芸能人とか若者の間で流行りますが、前記の「バッ
 チグー」同様に、深い意味がないので直ぐ姿を消してしまうのが特徴でしょうね。
 
【バイビー】 初めて知りました。バイビーは「さようなら」のことで「バイバイ」
 が変化したもののようですが、「ビー」の意味が理解できません。若い女性が特に
 親しい友人に対して使うようです。ご存知でしたか。
 
【恥かきっ子】 今は余り使われない言葉でしょうが、昔は高齢者夫婦の間に子ども
 ができると、周りがやっかみで、当事者は照れくささで言う人がいました。「40過
 ぎの恥かきっ子」という言い方も耳にしたことがあります。昔は女性の結婚年齢が
 低く、ある年齢までに子だくさんの家庭を築いていましたので、ある年齢を過ぎて
 から授かった子どもに対しては複雑な意味を含めた表現だったのではないでしょう
 か。
 近年、女性の結婚年齢は年々上昇しており、更に生活のための安定した収入などを
 考えると周りが思うように子どもを産むわけには行かないでしょう。年齢に関係な
 く新しい命が誕生することは恥ずかしいことではなく、健康的で夫婦円満の証では
 ないでしょうか。
【はげちゃびん】 子どものころ、禿げているオジサンのことを「どびん、ちゃびん、
 はげちゃびん」と陰でカラかっていました。その罰が当たって私も立派な「はげち
磯野波平さん
磯野波平さん
ゃびん」となりました。
「禿げ」は禿げで、なるべく傷をつけないスマートな言
い方はないものでしょうか。生前の母は「御髪(おぐし)
の薄い方」と言っていました。脱毛症、スキンヘッド
(全禿げ)、スキンメッシュ(部分禿げ、または地が見
える状態)がありますが、ある奥さんがご主人に対して
「ハンサム」(半寒)と言っているケースもあるようで
す。これは傑作ですね。
 念のため、私はいつも「これはカツラです。カツラを取ると人も羨む黒髪があるの
 で、それを隠しているのです」と申し上げています。
 
【ハントする】 「か」行の「ガールハント」の項を参照。
ガールハント
【バラドル】 「バラエティ・アイドル」の略だそうです。近年、どこのTVのバラ
 エティ番組、クイズ番組を見ても同じような顔ぶれのタレントが出て賑やかに騒い
 でいます。本来「バラドル」は面白い語り口を武器として番組を盛りたてられるキ
 ャラクターの持ち主が望まれたようで、その例として、山瀬まみ、森口博子などの
 名前が挙げられます。最近は、特別なキャラクターの持ち主ではない出演者が多く
 なったため、「バラドル」という言葉は使われなくなりました。
 逆に、「○○ドラ」という、いろいろなアイドルが出ています。「アジドル」(ア
 ジアン・アイドル、アジア出身の日本語で活躍しているアイドル)、「アスドル」
 (アスリート・アイドル、スポーツ界でアイドル的な女性)、「アナドル」(アナ
 ウンサー・アイドル、各局の女子アナ・アイドル)、「グラドル」(グラビア・ア
 イドル)、「チャイドル」(チャイルド・アイドル、子役アイドル)、「ママドル」
 (母親になっても活動している元アイドルやタレンド)などなど、切りがありません。
 
【ハウスマヌカン】 1983年(昭和58年)前後でしょうか、DCブランド(デザイナ
 ーズ&キャラクターブランド)ブーム時、ブティックでその店の商品である服を着
 て客に応対する当時のアパレル界の最先端職業と言われた販売員のことです。「ハ
 ウス」は英語の専属の、「マヌカン」は仏語の販売員という意味のカタカナ英仏語
 でしょうか。しかし、DCブランドブームの退潮とともに「ハウスマヌカン」の言
 葉も消えて行きました。参考までに男性販売員は「ハウスマヌカン・オム」という
 ようです。今はショップ店員が一般的でしょうか。
 
 《1983年(昭和58年)の会社に関する記述は、「き」行の「金妻」の項を参照。》
昭和58年の会社
【花も恥じらう乙女】 近年、こんなレトロ調の表現を見たり聞いたりしたことはあ
 りません。美しい花さえ、引け目を感じるほどの17〜18歳くらいのうら若い、美し
 い女性ということでしょうか。うら若い美しい女性を表現する言葉には、「初々し
 い」、「清純な」、「純真な」、「愛らしい」、「みずみずしい」、「輝くような」、
 「うら若い」、「花もつぼみのような」、などがありますが、乙女の皆さんは皆活発
 で、恥じらう様子はなかなかお目にかかれません。
 
【パーマ屋】 昔は「髪結いさん」、「パーマ屋さん」 パーマ屋
パーマ屋
 と呼んでいました。年配の方は今でも「パーマ屋さん」
 は使っていると思いますが、「パーマ屋」→「美容院」
 →「美容室」→「ヘアサロン」→「ビューティ・サロン」
 の順に変遷されているのではないでしょうか。同じよ
 うに「床屋」→「散髪屋」→「理容室(店/院)」→
 「バーバーショップ」と洒落た名前になってきました。
 
【パッパラパー】 昔、何かで聞いたことがありましたが、何かのイベント開幕で奏
 でる音楽の音階を表現する言葉かなと思いました。全然違っていました。語源はド
 イツ語のpapperlapappとする説があるようで「くだらない話はするな」、「べちゃ
 べちゃ話すな」という意味に、馬鹿・阿呆という意味で使われる「パー」を付けた
 もので、これが転じて「全然分からない」、「全く理解できない」という意味で使
 われるようになったそうです。さらに、自嘲の気持ちを入れて「私は英語がパッパ
 ラパーだから・・」というように使われました。これを聞いた相手の反応は「??」
 ではないでしょうか。1982年(昭和57年)ごろ使われた言葉でした。
 
 《1982年(昭和57年)の会社に関する記述は、「か」行の「カアチャンヤスメ・
  ハハキトク」の項を参照。》
昭和57年の会社
【ハチャメチャ】 当て字は「破茶滅茶」となるようですが、「はちゃめちゃなドタ
 バタ騒ぎ」、「はちゃめちゃな男」などのように「めちゃくちゃ」、「常軌を逸し
 ているさま」などの意です。最近は全然聞かない言葉ですね。
 ところで、面白いことに「茶番」、「お茶を濁す」、「茶々を入れる」、「滅茶苦
 茶」、「無茶苦茶」などお茶に何か関係するのでしょうか。
 
【バカップル】 1985年(昭和60年)版「現代用語の基礎知識」に掲載されて以来、
 テレビ番組でも取り上げられて普及した日本独特の表現と概念に基づく俗語です。
 同じカップルでも「ラブラブ カップル」は傍から見て微笑ましいカップルなのに比
 べて、「バカップル」の方は、公共の場で非常識な行動をとるカップル、二人だけ
 が良ければよいという自己中心的な言動をとるカップル、モラルの欠如したカップ
 たちの世界に入ってしまい、お互い以外は目に入らない状態のカップルとでも言う
 のでしょうか。最近、街中でよく見かけますが、親はそんなことは知らないでしょ
 うね。
 
 《1985年(昭和60年)の会社に関する記述は、「い」行の「いちご世代」の項を参照。》
昭和60年の会社
【八紘一宇】 久しぶりに見る四字熟語でした。「日本書紀」巻再三神武天皇即位前
 紀己末年三月丁印条の「令」にある「掩八紘為宇」の文言が語源とあります。
 「天の下では全ての民族は平等である。天下を一つの家のようにしよう」という意
 味のようで、戦前、日本の海外侵攻を正当化するスローガンの下に、先の大東亜戦
 争が進められたとされています。
 「悪」の見本のような言語ですが、一方、「正」の見本のように、外交官であった
 杉原千畝氏はナチスドイツから迫害を受けていた多くのユダヤ人をビザ発給で救っ
 た有名な話があります。
 また、結果として日本は戦争に負けましたが、欧米列強に支配されていたアジア各
 国の独立を早めたと言えないでしょうか。
 今、国内外では「集団的自衛権」の問題で揺れていますが、隣の大国は、「アジア
 の問題はアジア人の手で・・」と、アメリカの影響力を無くし、国際法を無視して
 我が物顔で振る舞っているのが気になります。
 終戦時、連合国最高司令官総司令部より、「八紘一宇」の言語がすべての公文書に
 使用を禁止されていますが、日本は将来共に、このスローガンを復活させることは
 ないでしょう。
【排 球】 高校の古い記録を見ていたら、クラブ活動の一つに「排球部」(バレー
 ボール部)他の懐かしい漢字がありました。戦争中、英語はある時期から敵国語で
 あることから禁止され、日本語に切り替えられました。よく聞く話ですが、野球用
排球
排球
語の「アウト」、「セーフ」などの用語に関することで
す。ここでは、野球用語は割愛し、「排球」同様に他の
スポーツはどう呼ばれていたのでしょうか。野球、水球
などは今でも当たり前に使われていますが、順不同で羅
列しますと、「テニス」=庭球、「サッカー」=蹴球、
「ベースボール」=野球、バスケットボール」=籠球、
テーブル・テニス/ピンポン」=卓球、「ゴルフ」=打球、
「アメリカン・フットボール」=鎧球、「ウオーター・
 ポロ」=水球、「ラグビー」=闘球/ラ式蹴球、「アイス・ホッケイ」=氷球、
 「ホッケー」=杖球、「ハンドボール」=送球、「ビリヤード」=撞球、「バトミ
 ントン」=羽球、「ドッジ・ボール」=避球、「ボウリング」=投球などがありま
 した。競技の特徴をよくとらえて漢字化されていますが、若い人たちには通用しな
 いでしょう。