『 え 』 で 始 ま る レ ト ロ 語  
 
【えんま帳】 閻魔帳とは本来、閻魔様が亡者の生前の 閻魔様
閻魔様
 行いや罪悪などを書き留めておくための帳面のことで
 すが、ここから学校の先生が生徒の日ごろの行いや成
 績などを書き留めておく帳面の俗称となりました。
 そういう意味では、いろいろなところで閻魔帳らしき
 ものは存在するのかも知れませんが、古典的な名称で
 すね。
 
【駅弁大学】 戦後の1946年(昭和21年)の学区制改革に基づいて新設され、急増さ
 れた新制大学を評論家・大宅壮一が風刺した語と言われています。
 当時、急行列車が停車する駅では駅弁が売られていましたが、それらの駅には必ず
 新しい大学があるというような意味でしょう。その駅弁大学もごく稀な例を除いて
 何とか存続していますが、肝心な駅弁売りの姿は消えてしまいました。
 
 《1946年(昭和21年)この年、富井 格社長が辞任、和田鎭雄副社長が第3代社長
  に就任し、創立50周年記念式典を挙行した年でした。三鷹工場(千代田精工)が
  三鷹分工場として合併登記、呑川工場を蒲田本社に吸収し閉鎖、長野支部(小諸、
  丸子、中込)工場の全従業員を小諸に集結、本社機構と蒲田工場に分離など会社
  再建の一歩が始まった年でした。
  人事・制度面では、業務員労働組合、職員労働組合、長野支部、三鷹工場労働組合、
  さらに東京計器労働組合連合会が結成され、更に業務員組合と職員組合を統合し、
  東京計器本社労働組合となりました。そして、経営組織の分離に伴い、「本社労
  働組合」と「蒲田工場労働組合」に分離し、両労働組合は総同盟関東金属に加盟
  することになりました。
  一方、業界・一般は、金融緊急措置令、公職追放令、労働組合法、物価統制令、
  会社経理応急措置法、戦時補償特別措置法、企業再建整備法などが公布・施行・
  制定され、さらに日本国憲法が公布・施行された年でした。その他、輸出が再開
  され、メーデーが復活し、経済団体連合会(経団連)/日本商工会議所が設立さ
  れた年でした。そして、第一次吉田内閣が成立した年でした。》
【煙突タクシー】 「煙突」とは、タクシーの運転手が料金メーターを空車の状態で
 客を乗せて走行させ、あたかも客がなかったように走行距離を稼ぎ、会社に乗車料
 金を申告し料金の一部を着服するものです。
 昔のタクシーの料金メーターは、「空車」「実車」の表示は手動で行っていました。
 「空車」レバーを倒すと「実車」、空車時はこのレバーを立てたまま走行するので
 街中の客からは「空車」である案内になっています。しかし、すでに客が乗ってい
 ますので停車しません。この立った状態の「空車」レバーを煙突とみたて、上記の
 行為を「煙突」と呼んだそうです。
 
【駅弁と一緒に売っていたプラスチックの入れ物に入ったお茶】 昔の旅はのんびり
 していました。客車の窓も自由に開け閉め出来ました。 プラスチックの入れ物に入ったお茶
プラスチックの入れ物に入ったお茶
 汽車が走りだしても駅弁売りのおじさんも走って駅弁
 を渡してくれました。 
 その駅弁と一緒に売られていたのが、小さな四角いプ
 ラスチック容器のお茶でした。
 今は、お茶は自販機で、列車の窓は開かない、駅弁売
 りのおじさんもいない新幹線時代。昔のようなのんび
 りした旅ができる路線も必要ではないでしょうか。 
 
【Mボタン】 「社会の窓」「男のズボンの前ボタン」「ズボンの前チャック」のこ
 とです。Mの語源は諸説がありますが、「隠語」などが入る例がありますので、ここ
 では省略します。
 1905年(明治38年)ごろ、アメリカで発明された「スライド・ファースナー」
 (=ジッパー)により、ボタンからジッパーへと変遷されました。日本では1957年
 (昭和32年)にYKK社がズボン専用“チャック”を開発して以来、1975年(昭和50年)
 ごろには完全に「Mボタン」は姿を消したと言われています。
 
 《1905年(明治38年)は、和田嘉衛が1896年(明治29年)に和田計器製作所を創設
  し、同1901年に海軍の指定工場となり、1902年には合名会社東京計器製作所を設
  立、同1904年は軍需工場に指定された次の年でした。
  業界・一般では実用新案法公布、日露講和条約調印された年でした。》
 
 《同1957年(昭和32年)の会社に関する記述は「い」−1の「一億総白痴化」の項
  を参照。》
昭和32年の会社
 《同じく1975年(昭和50年)は、年初に栃木3社への移籍問題が協議された年でし
  た。この年は不況で東京ビッカース・新東京計器で一時帰休が実施されました。
  一方、東計エンジニアリング梶A潟gーテックが設立され情報機器事業へ参入し
  た年であり、東京計器ランディスギア土浦営業所を開設した年でした。更に、不
  況を乗り切るため、全社的な不要・不急なもの、経費制限はコスト低減を目的と
  したCAL運営委員会を発足した年でした。
  人事・制度面では、雇用保険制度、自覚報告書制度、週休2日制度、勤労者財産
  形成貯蓄制度、給与・一時金の銀行振込実施、出退勤管理方法を改訂実施しタイ
  ムカードが廃止されました。
  業界・一般では、雇用調整給付制度が実施され、3月には山陽新幹線が博多まで
  開通しました。この年、日本女子登山隊が女性として初めてのエベレスト
  (8,848m)の登頂に成功や沖縄海洋博覧会も開幕されました。海外では、第1回
  先進国首脳会議がフランスのランブイエ城で開催された年でした。》
【エトランゼ】 エトランゼはフランス語のエトランジェ(外国人、見知らぬ人)
 から来ているそうです。英語でいうstrangerとかforeignerなどの外国人の意味の
 ようですが、「外国からの旅行者」「どこかから来た見知らぬ人」などの印象が強
 いようです。
 エトランゼのタイトルでは1971年(昭和46年)のフランス映画「雨のエトランゼ」
 とか、松田聖子の「エトランゼ」、中森明菜の「NEW AKINA エトランゼ」他、多く
 の歌手が「エトランゼ」を歌っていますが、どうも歌以外には使われていないよう
 です。
 それも歌に出てくるエトランゼは、上記の意味とはかけ離れているものがほとんど
 でした。
 
 《1971年(昭和46年)この年1月に岡崎眞一取締役が逝去され、5月に岡崎 忠代
  表取締役が取締役相談役に就任されました。9月には橋井 眞社長、河野俊助・
  吾郷喜重両専務がスペリー社首脳との会談のため渡米された年でした。
  事業面では東京計器計算センターが設立され、今治営業所(舶用)、東京計器エ
  ンジニアリング竃シ古屋営業所が開設され、組織面では品質保証部、艦艇営業部
  (航空)、社長室、事業部長の新設の他、関東サービスステーション、関西サー
  ビスステーションへの改称、さらに東京計器エンジニアリング鰍フ広尾ビル移転
  などがあった年でした。
  人事・制度面では、食堂が再開され、当日の利用者は924名と言う盛況でした。
  その他、労務委員会規定、自家用車使用許可基準の制定、新入社員指導員制度の
  発足の他、夏には第1回東京計器躍進納涼大会を本社前庭で開催しました。
  業界・一般面では、勤労者財産形成促進法公布、環境庁の発足、米国、ドル防衛
  緊急対策発表と円の変動相場制に移行、スミソニアン協定による固定相場実施
  (1ドル=308円の新レート)など社内外ともの厳しい年でした。》
 
【縁台将棋】 昔、夏の夕暮れどき、庭先や露地で縁台 縁台将棋
縁台将棋
 に将棋盤を乗せて将棋をしている人をよく見ました。
 最近は全然見ませんがどうなってしまったのでしょう
 か。
 時にはビールを飲みながら、時には通行人が観戦し、
 余りのヘボ将棋に通行人が口を出したため口喧嘩が起っ
 たのを見たことがありました。また銭湯で湯涼みを兼
 ねて楽しんでいる人もいました。その縁台が使用され
 なくなると共に徐々に姿を消しました。町内会での老人同士の付き合いには、もっ
 てこいの縁台将棋ではないでしょうか。
【越中褌】 越中褌は長さ1m程度、幅34cm程度の布の端 越中褌
越中褌
 に紐をつけた下着ですが、禊(水行)のときや一部裸
 祭りにも使用されています。医療用に使われるT字帯
 は越中褌の応用例ではないでしょうか。
 越中褌の由来は諸説あるようですが、江戸時代から存
 在し、本格的に普及したのは 1873年(明治6年)の
 徴兵令が制定されてから軍隊の官給品として支給され
 て以来、軽くて清潔、使用上の容易さ、価格の安さ、
 高温多湿の日本にマッチなどで若者中心に普及し、それまでの六尺褌に代わり、日
 本人成人男性の主要下着となったようです。  
 しかし、戦後の洋式化により、猿股、パンツ、ブリーフ、トランクスなど時代ごと
 に新しい名称と新しいデザインの下着が出現し今日に至っていますが、レトロを愛
 する高齢者の他、最近ではクラシックパンツとかサムライパンツと呼ばれ、若い世
 代にも愛好者が増えているとのことです。
 ついでに、越中褌以外の我が国の代表的な褌を調べて見ました。・六尺褌、・もっ
 こ褌、・割褌、・黒猫褌、・廻し、・締め込み、・晒一反、・九尺褌、・サイジ、
 ・下がり、・半タコ、六越褌など、いろいろありました。興味のある方はインター
 ネットで調べてみてください。
 
【エコノミック・アニマル】 経済的な利潤の追求を第一として活動する人を批判し
 たとされる語です。1965年(昭和40年)、パキスタンの当時のブット外相がアジア・
 アフリカ会議で、日本の経済進出のあり方を褒める意味で用いた用語が、あるとき
 は誤解される語となったと言われています。
 アベノミクスではありませんが、国の経済活性化はどこかの発展途上国の勢いを借
 りて、先進国がサポートし、自国を中心とした経済の活性化を進める必要が痛感さ
 れます。現在は軍事大国の某国に名称を返還すべきと思い、死語としました。
 
 《1965年(昭和40年)の会社に関する記述は「い」−1の「いざなぎ景気」の項
  を参照。》
昭和40年の会社
【えっちら おっちら】 昔、信州に疎開していたころ、 えっちら
えっちら おっちら
 近くの山に背負い篭に薪を背負っている老人をみまし
 た。隠居しても何かで役に立ちたいということでしょ
 うか。「えっちら、おっちら」と坂を下りていました。
 方言か、その由来は知りませんが、とんと、会話にな
 い語です。
 
 
【えらいことになりにけり】 ご存知、花菱アチャコのフレーズが流行語となりまし
 た。1954年(昭和29年)のことです。「大変なことになった」という意味のことで
 すが、いくらレトロ愛好者でも言う人はおられないでしょう。
 
 《1954年(昭和29年)の会社に関する記述は「い」−2の「糸偏景気/糸姫」の項
  を参照。》
昭和29年の会社
【駅の「告知板」】 昔、駅の改札口の出口付近に伝言 伝言板
伝言板
 板がありました。調べてみますと歴史的には1904年
 (明治37年)、東海道線の新橋駅をはじめとする8駅
 に「告知板」という名称で設置されたのが発祥という
 説があります。
 利用の目的は待ち合わせの連絡用に利用されてきまし
 たが、1996年ごろに撤去する駅が相次いだそうです。
 その理由は携帯電話の普及により伝言が減少した半面、 
 悪戯書きの多発と言われています。
 2010年のある調査では、JR東日本東京支社管轄の78駅の内、「伝言板」として残さ
 れていたのは、阿佐ケ谷駅、北柏駅の2駅だったそうです。果たして、現在はどう
 でしょうか。
 
 《1904年(明治37年)この年の2月に当社は、1901年(明治34年)の海軍の指定工
  場に引き続き軍需工場に指定されました。業界・一般では、軍需工場に指定され
  た日が日露戦争の宣戦布告日でした。その他、通勤にお世話になった、品川―川
  崎間で京浜急行電鉄が開業された年です。》
 
【M資金】 「隠匿物資」の項にも出ていますが、連合国軍最高司令官総司令部 
 (GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると
 噂されている秘密資金のことと言われています。
 別名、マーカット資金とも言い、マッカサー元帥の側近・マーカット少将が管理し
 ていたとのことで頭文字を取って呼称されています。
 また、旧日本軍が占領地で獲得したという貴金属やダイヤモンド、その他の物資を
 戦後に売却し得た資金、財閥解体に絡んだ株式売却益、更に占領地救済政府基金や
 占領地経済復興基金の売却益などが戦後、日本の産業復興のための原資として用い
 られたと言われていますが実情は謎のようです。
 
【円タク】 一円タクシーの略です。1924年(大正13年) 円タク
円タク
 に大阪で始まり、2年後の東京でも営業がはじまりま
 した。料金制度が変わってからも「流しのタクシー」
 の通称として使われていました。
 今ではこの時代に生まれた方以外は「円タク」という
 人はおられないのではないでしょうか。
 
 
 《1924年(大正13年)この年、鞄結梃v器製作所は、現在の本社所在の東京府荏原
 郡蒲田町の土地47,430uを購入、メーデー歌作詞者・大場 勇氏が池貝鉄工より当
 社へ入社された年でした。このメーデー歌は大正11年の第3回メーデーで初登場し
 ました。一方、業界・一般では皇太子裕仁殿下(昭和天皇)がご成婚、メートル法
 実施、甲子園野球場が竣工し、第10回全国中等学校野球大会を開催した年でした。》
 
【駅のホームで新婚旅行や転勤する先輩・同輩を見送る人】 昔、東京駅で新婚旅行
 に出発するカップルや転勤する先輩・同輩を見送る風景をよく見ました。最近は地
 方に住んでいますので見かけたことがありません。懐かしい夜行列車もなくなり、
 結婚披露宴のやり方も変わり、新婚旅行も国内から海外へ、国内でもマイ・カーで
 の旅行などに変わっています。でも、稀なケースとして、身内で前途を祝って見送
 っている人もおられることでしょう。
【8トラック】 8トラック(8トラック・カートリッジテープ)は、1965年(昭和
 40年)にアメリカで開発され、ステレオ音声を容易に再生できるテープとして販売
 されましたカートリッジ式の磁気テープ再生装置及び媒体の一種を指す名称です。
 2トラックのステレオチャンネルが4つあり、合計8トラックの信号が録音される
 ためこの名前がついたと言われています。略して「8トラ」(ハチトラ)とも呼ば
 れました。
 
 《1965年(昭和40年)の会社に関する記述は「い」−1の「いざなぎ景気」の項を
  参照。》
昭和40年の会社
【エレックする(レンジでチーンする)】電子レンジを レンジでチーン
レンジでチーン
 使うことを一般には「チンする」と言いますが、この
 言い方もいろいろあるようです。みなさんはなんと言
 いますか。我が家の電子レンジは古いタイプですので
 タイマーが切れると「チン」と言います。今は電子音
 で「ピー」でしょうか。
 1977年(昭和52年)ごろ、松下電工(現パナソニック)
 の電子レンジに「エレックさん」という商品名から電
 子レンジで加熱することを「エレックする」とも言われていました。電子レンジで
 温めることを「チンする」「エレックする」「温める」「レンジする」「レンジに
 かける」などいろいろです。
 
 《1977年(昭和52年)、11月1日に橋井 眞元社長(従三位勲二等重光章追叙)が
  ご逝去され、河野俊助社長が藍綬褒章を受章、財部毅取締役がISO/TC-8/SC-6
  部会の議長に就任された年でした。
  釧路出張所(舶用)、欧州駐在員事務所、東京計器ランディスギア北陸営業所を
  開設、情報機器推進室を新設、トーテックが五反田CSビルへ移転などの他、「価
  値の創造」運動の具体化手法に「目標による管理」を決定、生産体制整備構想を
  経営会議で提案、ME機器の事業化に関する基本姿勢を確認、省力機械装置事業
  (ロボット)を中止するに当たり、産業システム事業部を産業事業部に改称など
  変革への第一歩となる年でした。
  人事・制度面では職場懇談会を全社的に制度化、業務開発室を開設、適格退職年
  金制度の導入などがありました。また第一東京計器の社内報「那須」が発刊され
  た年でした。
  一方、業界・一般では有価証券報告書に連結財務諸表添付の義務付け、中小造船
  所40社、55%操業短縮に入る/中小造船所倒産増加、領海法、漁業水域暫定措置法
  (200カイリ)公布、第一回マイクロコンピューター・ショーが開催・・などの
  他、王 貞治選手が本塁打世界記録756本を達成した年でした。》
 
【えびガニ】 正式には和名「ザリガニ」でアメリカが原産地です。昔、子どものこ
 ろ捕っていたのは「アメリカザリガニ」のようですが、日本固有種もあり「ニホン
 ザリガニ」「ヤマトザリガニ」と言われているようです。
 近所の川や沼・池でのザリガニ釣りは子どもの遊びでしたが、最近はとんと見ませ
 ん。釣り竿は木の枝でも棒でもよく、先に凧糸を付けて餌にはスルメ、煮干し、タ
 ニシ、蛙、ときにはザリガニを網ですくい尾っぽの甲羅をむいて付けました。捕獲
 したザリガニは水槽で飼育し、脱皮するのをよく観察し楽しんだものです。また、
 捕獲した余り大きくないザリガニの尾っぽの部分をから揚げにして食べたことがあ
 りますが淡白で美味でした。
 戦後、農薬使用による水質汚染の影響でザリガニをはじめ、タニシ、カエル、メダ
 カ、ホタルなどが姿を消してしまいましたが、再度生息する環境に戻って欲しいも
 のです。
【えもんかけ】 ご存知、「衣紋掛」のことです。よく 衣紋掛
衣紋掛
 娘さんが、「母はハンガーのことを衣紋掛とよく言う
 のですよ」と言われます。そして「衣紋掛」も死語に
 入れている意見が多いようですが、ハンガーと統一的
 に表現するのは気になります。
 和服を吊るすものが「衣紋掛」で、洋装用が「ハン
 ガー」でよいのではないでしょうか。
 
【襟巻き】襟巻き、首巻き、マフラー(英語:muffler)ですが、現代英語ではscarf
 とあります。日本語のスカーフはご婦人用に限って使用しているようで、その意味
 では、ちょっとイメージと違うように思えますが、インターネットで調べましたら、
 かつてTVコマーシャルで話題となった「襟巻きトカゲ」以外は死語とする意見が多
 いようです。高齢者にはマフラーくらいで勘弁していただきましょう。
 
【エア・ガール】 今、エア・ガールとおっしゃる人は皆無と思いますが、所謂スチ
 ュワーデス、客室乗務員、アテンダントのことです。
 1931年(昭和6年)8月25日に羽田に東京飛行場が完成し、民間機はそれまで間借
 りをしていた立川飛行場から羽田へ移りましたが、そのころ「エア・ガールを求む。
 東京−下田間の定期航空旅客水上機に搭乗し、風景の説明やコーヒなどのサービス
 をする仕事で容姿端麗なる方を求む。希望の方は・・・」という新聞広告が東京航
 空輸送社による我が国初の客室乗務員の募集でした。
 JALでは1996年秋に「スチュワーデス」という呼称を廃止し、単に「アテンダント」
 と呼称、同じくANAは「スカイサービスアテンダント」と呼称しているようです。
 男性乗務員は「スチュワード」「パーサー」、女性乗務員は最近まで「スチュワー
 デス」と呼ばれていましたが1980年代以降「フライトアテンダント」と言い換えら
 れました。その他「キャビンクルー」とも呼びます。
 
 《1931年(昭和6年)この年、創立35周年記念大祝賀会を蒲田工場の新築祝いを兼
  ねて鶴見花月園で盛大に開催しました。人事・制度面では職員有志によ親睦会
  「火曜会」を結成(後の社員会)、同間接工による組合「計友会」の結成、従業
  員食堂の使用が開始された年でした。
  一方、業界・一般では上記、東京飛行場の開設、世界最長の清水トンネルが開通、
  満州事変が起きた年でした。
  また、JALが「スチュワーデス」という呼称を廃止した1996年(平成8年)は、
  「新改革」スタートの年、従来の部門を廃止し、制御システム事業部、電子シス
  テム事業部、生活環境システム事業推進室、MRDセンター、生産技術センター、
  社長スタッフに改組されました。
  これに伴い、高松営業所(制御システム)、同潟gキメック環境機器販売の設立、
  東北営業所(石巻)を仙台営業所へ吸収(制御システム)、北陸営業所を金沢へ
  移転(制御システム)、潟gキメック自動建機を設立の他、創立100周年行事の他、
  100年史が発刊された年でした。》 
 
【映写幕】 映写幕、銀幕とも言われていました。辞書 映写幕
映写幕
 にはありますが「スクリーン」が一般的でしょう。特
 に銀幕は「銀幕の女王」などと大スターに対する称号
 がありましたが、映写幕はもう死語ですね。
 
 
 
 
【鉛筆を耳に挟んだご用聴きのおじさん】 昔、東京に住んでいた子どものころ、毎
 日、前掛け姿で耳には短い鉛筆を挟んだご用聴きのおじさんが来ました。「ちは!
 三河屋でござい!何か御用は・・・」現在の我が家の近くでは、灯油と廃品回収業
 と豆腐屋さんが車で巡回販売していますが、高齢化社会で外出が困難な年寄りには
 ご用聴きは必要な商売だと思います。
 
【えへらえへら】 インターネットで意味を調べましたら「気分が高揚した状態を表
 すために用いられる言葉で、サザエさんの4コマ漫画の一場面が出典とありました。
 この漫画を見ていませんので広辞苑で調べましたら「おかしくもない事にしまりな
 く笑うさま」、「人を馬鹿にしたようにエへラエヘラと笑う」とありました。こち
 らの方が正しい解釈と思います。そう言えば若いころ会話で使った記憶があります。
 
【エレジー】 エレジー(英語:elegy)悲しみを歌った詩などの文学や樂曲のことで、
 日本語では悲歌、哀歌、挽歌などと訳されています。音楽にみられるエレジーは世
 界共通のようですが、日本も琵琶湖哀歌、湯の町エレジー、江の島悲歌、石狩川悲
 歌、挽歌、石狩挽歌など国民性でしょうか、多く歌われています。でも文学や音楽
 の世界にのみ存在する語のようですね。
 
【衛生サック】 ご存知、コンドームのことですが、旧日本軍の兵員に対する支給品
 の一つに陸軍では「突撃一番」と書かれた紙製の袋に収められた軍専用のサックが
 ありました。一方、海軍では「ゴムかぶと」とか言ったと言われています。
 
【エンガチョ】 子どもが汚いものに触れたとき、周りにいる友だちに触れることで
 汚れを移すというもので、「エンガチョ、エンガチョ」と囃したてる子どもの口遊
 びの一つです。「エン」は「縁」を表し、「チョ」は擬音語の「チョン」が省略さ
 れたもので「縁を(チョン)切る」という語源説が有力のようですが、子どものこ
 ろは意味も分からず、近所の友だちとよく遊んだものです。最近は聞いたことがあ
 りません。
 
       『 お 』 で 始 ま る レ ト ロ 語  
 
【おしくらまんじゅう】 押し競饅頭とは4人〜10人くらいの人数で互いに背中や肩
 を押し合う子どもの遊びです。「おしくらまんじゅう、押されて泣くな」という掛
 け声により、お互いに勢いをつけて自分の体を円陣の中心に向けて押し込んでもみ
 合いますので、冬などの寒い日には体が温まりよい運動となります。今の子どもさ
 んも元気でやっているのでしょうか。
 
【おわい屋】 汚穢屋とは、昔、便所の汲み取りを職業とする人のことで子どものこ
 ろから使っていた言葉です。子どもですから差別用語だということは知りませんで
 した。そう言えば、昔から差別用語として挙げられていたものに、どん百姓/水飲
 み百姓、土方、隠亡屋、汚穢屋、屠殺屋、・・木っ端役人、ぽっぽや、坊主、ポン 
 コツ屋・・、など数えきれません。でも今は殆ど死語です。
【桶屋/桶風呂】 桶屋は桶や樽を作ったり、修繕する職 桶風呂
桶風呂
 人または職業ですが、昔は近くの商店街には一軒は桶
 屋があり、ガラス越しに仕事着を着て鉢巻をしたご主
 人が床に座り、木槌で箍(たが)をしめているのが見
 えました。家庭の風呂の主流派はもちろん桶風呂です。
 子どもが風呂に入るには桶の高さがあるので、踏み台 
 を置いて入ったものです。今はユニットバスの時代、
 清潔感がありますが桶風呂のヒノキや杉の匂いはまた
 格別でした。
 
【踊る宗教】 俗称「踊る宗教」と言われた1945年(昭和20年)、立教の天照皇大神
 宮教が戦後の新興宗教ブームの中で大きな話題となっていました。当時、教祖の
 「無我の舞い」や型破りの説法がニュース映画でもよく報道されていたように思い
 ます。
 1952年(昭和27年)には、ハワイを中心にアメリカ本土への布教を開始、1964年
 (昭和39年)からはアジア諸国へ、さらに、その翌年からは欧州へと布教活動を拡
 大させて行きました。教祖の北村サヨ氏の死後、現在は孫娘が後継者となっている
 ようですが、活動状況は話題にもならず世間から忘れられてしまったようです。
 
 《1952年(昭和27年)にはスペリー社より2,000万円の外資導入により、資本金を
  8,000万円に増資、銀座営業所を京橋・セントラルビルへ移転し、東京営業所と改
  称、関東・関西にサービス支部、航空計器研究室、航空計器工場などが新設され
  た年でした。また、岡崎忠雄監査役が取締役会長に就任されました。
  人事・制度面では常務制の廃止、工場脇に子どものための公園を設置、東京計器
  同好会の発足、購買会の再開などがありました。
  一方、業界・一般ではGHQが日本の兵器、航空機、艦艇の生産禁止措置を解除、
  対日講和条約、日米安全保障条約の発効と同時にGHQ が廃止となった年でした。
  更に破壊活動防止法の成立、保安庁、自治庁、日本電信電話公社などが発足、警
  察予備隊を再編成し保安隊が発足しました。その他、民間放送が開始され、第15
  回ヘルシンキ・オリンピックに日本は16年ぶりに参加をした年でした。
  また、1945年(昭和20年)については「い」−1の「一億総懺悔」、
  1964年(昭和39年)については「あ」−1の「アイビールック/アイビー族」
  の項を参照。》
昭和20年の会社
昭和39年の会社
【おけら/おけらになる】 「おけら」は昆虫で愛嬌のある「ケラ」の俗称ですが、
 「ケラ」を前から見ると前脚でいつも万歳をしているように見えるため、一文無し
 でお手上げ状態になった様子を見立てたという説、また賭博などで無一文になった
 者を「裸虫」と言ったことから、「おけら」に見立てたなどの諸説があるようです。
 そう言えば、昔、新橋で飲んで無一文に近い状態で終電に乗ったのですが、途中で
 寝てしまい終点まで行ってしまいました。乗り越し運賃は払えましたが、タクシー
 代はなく、トラックに乗せてもらい近くの駅まで送ってもらったことがありました。
 世の中、親切な運転手さんがおりました。
【親指族】 親指族はパチンコばかりしている人を風刺した語です。1951年(昭和26
 年)、名古屋で流行したパチンコは全国に広がりましたが、当時のパチンコはご存
 知のとおり、玉を一個づつ入れて親指でレバーを弾いて打つというものでした。
 今の電動式と異なり、出張時や時間待ち合わせによく利用したものです。
 この親指族は2000年代(平成12年代)からは、携帯電話の機能を使いこなし、頻繁
 に利用する人のことを言うそうです。これからどんな「親指族」が現われるのでしょ
 うか。
 
 《1951年(昭和26年)この年、創立55周年記念式典が挙行され、スペリー社申請の
  当社新株取得が外資委員会で許可となりました。一方、三鷹工場の土地建物が売
  却され、航空計器調査部が新設され、長崎出張所(舶用)が開設された年でした。
  人事・制度面では土曜半日制を実施した他、提案制度の制定、管理者訓練講座
  (MTP)導入、健保事業として伊東保養所の開設などでした。
  業界・一般では国電が火災を起こし106名の犠牲者がでた桜木町事件、計量法制
  定(同昭和27年3月1日施行)、ILOに加盟、GHQがレーダーの国産化許可、民間
  航空復活(東京・大阪・福岡間運行開始)、第6次計画造船の実施・・など当社
  にとって重要な年でした。》
 
【押し屋】 満員電車に乗客を車内に押し入れたり、場 押し屋
押し屋
 合によっては、入り切れない乗客を降ろすなど整理に
 当たる人。1955年(昭和30年)、当時国鉄・新宿駅に
 初めてアルバイト学生による押し屋が登場しました。
 正式の名称は「旅客整理係学生班」と言ったそうです。
 このラッシュ風景が海外に配信され「プッシュマン」
 という名前で紹介されました。 
 
 《1955年(昭和30年)この年の会社に関する記述は「う」項の「歌声喫茶」の項を
  参照。》
昭和30年の会社
【おはじき遊び/お手玉遊び】 お弾きもお手玉も、古く奈良時代に中国から伝わって
 以来、昭和の時代では女児の代表的な遊びでしたが、今の女児がこれで遊んでいる
 姿を見たことがありません。
 お弾きは明治時代の後半ころから美しい波模様の入ったガラス製になったようです。
 遊びの他に小学校低学年の算数で足し算や引き算の勉強にも使われました。
 お手玉は単なる女児の遊び道具だけでなく、昔、母が妹たちのために家事の合間に、
 奇麗な端切れ布を縫い合わせてお手玉を作っていました。妹たちは、それを大切に
 扱い遊んでいました。
 時代が違うので致し方ないかも知れませんが、玩具屋や和風雑貨店で出来上がりを
 買って与えるだけではなく、愛情の籠ったお手製のお手玉を与えることも大切なこ
 とではないでしょうか。
【オンリーさん】 1945年(昭和20年)の9月以降、米軍を主とした連合国軍による 
 占領統治下、米軍将兵を相手にした私娼で、ご存知、「パンパン・ガール」「パン
 助」「洋パン」(ただし、「フライパン」は話題にならなかったです)と言われて
 いたのに対して、米軍高級将校の愛人で比較的裕福な生活ができ、あるケースでは、
 日本での奥さんに当たるのが「オンリーさん」と呼ばれていたようです。今から68
 年前、しばらく続いた戦争秘話の一つです。  一方、愛が結実して戦争花嫁とし
 てアメリカへ渡った彼女らも悲喜交々であったようです。戦争に負け、生きること
 に必死だった国民でした。周りから白い目で見られながら家族のために生きた彼女
 らに幸せな余生をと言いたいです。
 
 《1945年(昭和20年)この年の会社に関する記述は「い」−1の「一億総懺悔」の
  項を参照。》
昭和20年の会社
【おつとめ品】 私自身知りませんでしたが、「賞味期限が近いもの」や「特別に安
 い値段で売る「値下げ品」、「本日のお買い得品」として店頭に出すもので、「値
 段を勉強(勉める)した品物」とのことだと知りました。今、スーパーでは「本日
 のお買い得品」などのラベルが貼られています。某国では、肉の偽造が大問題とな
 りましたが、我が国の安全な「お勉め品」は大いに結構です。
 
【おたんこなす】 「おたんこなす」は、昔使った「おたんちん」が変化したという 
 説、また、「おたんこなす」は「出来そこないの茄子」から来たという説がありま
 すが、諸説は省略します。興味のある方は、ぜひ調べてください。「おたんこなす」
 「おタンチン」は死語でしょうね。
 
【大晦日、「ざる」を何枚も重ねて自転車で出前のそば屋さん】 ご存知のとおり、
 昔、大晦日に年越し蕎麦を注文すると、お兄さんが自 自転車で出前のそば屋さん
自転車で出前のそば屋さん
 転車で何段もの「ざる」を片手にのせて配達してくれ
 ました。記憶では十段くらいだったように思います。
 ときには、新米の店員さんがひっくり返したのを見た
 ことがありましたが、最近は、とんと見かけません。
 あれは、日本の風物詩、職人芸です。ぜひ伝統を守っ
 て欲しいものです。
 
【お弁当つけて、どこ行くの?】 子どものころ、食事時に口元や頬にご飯粒がつい
 ていると母から「お弁当つけて、どこ行くの?」と言われました。こういう言い方
 をするお母さんと、普通に「ご飯粒がついていますよ」と言うお母さんの二通りで
 すが、段々、後者の表現になって行くようですね。
 
【黄変米】 戦後の食糧難の時代に外国から大量の米を輸入し配給されていましたが、
 1951年(昭和26年)に、当時のビルマ(現ミャンマー)から輸入された6,700トン
 の米の約1/3が黄変米であることが判明し処分された事件がありました。
 その後の輸入米にも続々と黄変米が発見され、当時の農林省は黄変米の混入基準
 1%を3%未満に緩和して配給を試みましたが、この試みが国民の知るところとな
 り世論の批判を浴びました。
 並行して農林省食料研究所の調査・研究で黄変米の強い毒性が解明された結果、最
 終的には再精米の上、家畜の飼料に供しながら処分に10年間要した事件でした。
 近くの某国では、信じられない、いろいろと食品事件が起きていますが、日本では
 もう死語です。
 《1951年(昭和26年)この年の会社に関する記述は「お」−1の「親指族」の項を
  参照。》
昭和26年の会社
【温泉マーク】 「温泉マーク」の元祖はドイツという説があります。明治12年当時
 の参謀本部陸軍測量局が仮製図した地図に記載し、同18年に正式に採用されたとあ
 ります。このため明治時代から温泉地または温泉付き旅館や赤線などを示す地図記
 号となっていましたが、赤線が廃止されたことにより、1960年(昭和35年)以降に
 旅館に使用することが禁止され、温泉地や浴場に限られて使用されています。
 一方、温泉マークはクラゲを上下逆さにした形状から「さかさくらげ」と呼ばれる
 連れ込み旅館やラブホテルを意味する語として使われています。成田空港への道路
 脇に多くのホテルが見えますが、少なくても「さかさくらげ」は死語ではないでし
 ょうか。
 
 《1960年(昭和35年)の会社に関する記述は「あ」−3の「赤ヘル」の項を参照。》
昭和35年の会社
【女跳び/男跳び】 最近見ない子ども遊びにゴム跳びがあります。女児は女跳び男児
 は男跳びでした。その他、ゴムの高さにより引っ掛け跳び、逆立ち跳び、側転跳び、
 ケンケン跳びなどがありました。お金はかからないし、健康的でよい遊びと思うの
 ですが・・。
 
【オート三輪】 1930年代から1950年代にかけてオート ミゼット
ミゼット
 三輪は、狭い道路事情と小回り性、四輪並みの積載性
 能で爆発的な広がりを見せました。中でもダイハツの
 ミゼット、マツダの「けさぶろう」ことK360、T1500・
 2000などが著名でした。しかし、四輪に比べて安定性の
 問題、その後の国内の道路事情が良くなり、速度、小回
 り性能の向上やコスト面で小型四輪トラックのメリッ
 トの方が評価されると、1974年にマツダがオート三輪
 の生産を中止したことにより、日本の大手メーカーのオート三輪生産の歴史は終わ
 りました。
 
 《1974年(昭和49年)は沼津営業所が駿河ビル(沼津)へ移転、東京計器ランディ
  スギアが広島営業所、同北海道営業所を開設した年でした。3月22日には、日本
  銀行政策委員に就任のため橋井 眞取締役会長が辞任されました。
  人事・制度面では東京ビッカースでは鉄筋5階建て独身寮が完成、第一東京計器
  へ第一陣40名が移籍された年でした。
  一方、業界・一般では、石油、電力節減の第2次規制措置の実施、監査制度の強
  化などを目的とした改正商法が公布の他、佐藤榮作元首相がノーベル平和賞を受
  賞された年でした。》
 
【恐れ入谷の鬼子母神】 「恐れ入りました」という意 恐れ入谷の鬼子母神
恐れ入谷の鬼子母神
 味で使う「しゃれ言葉」です。
 「恐れ入りやした」の「入りや」と都内台東区の「入
 谷」を掛け、入谷の真源寺に祀られている「鬼子母神」
 を掛けて言ったしゃれだそうです。
 こんな用例が出ていました。「彼は歌が得意だとは聞
 いていたが、カラオケで聞いてみたらプロ顔負けの上
 手さ。恐れ入谷の鬼子母神だよ」江戸っ子で落語通で
 ないと、こんなしゃれ言葉は出てきませんね。
【おじゃんになる】 「計画がおじゃんになる」のように物事が途中で駄目になるこ
 とですが、語源・由来は二説ありました。
 その一つは江戸時代、火事が発生すると火の見櫓で半鐘を連打し、鎮火したときは
 「ジャンジャン」と半鐘を二度鳴らして火事がおさまった合図であったことから、
 半鐘の「ジャン」という音と、「おわり/おしまい」の意味から「おじゃん」となっ
 たというものです。
 もう一説は、やはり江戸時代の言葉に「物事が途中で駄目になる」意味として「じゃ
 みる」という動詞が存在したそうです。
 その「じゃみる」の連用名詞形「じゃみ」に接頭語の「お」が付き、「おじゃみ」
 が「おじゃん」になったという説です。同じような意味で「ぽしゃる」というのも
 ありました。
 
【おかちめんこ】 目鼻立ちの整わない女性のことですが、不細工、ブス、オッペシャ
 ンなどと同じでしょう。今なら本人が望めば整形手術で眉目秀麗な女性に変身でき
 ます。好きになれば「痘痕も笑窪」ではありませんが、愛嬌のある顔でよいではな
 いですか。
 
【おさんどん】 台所で働く下女、台所仕事のことを言います。よく主婦が「毎日、
 おさんどんと掃除、洗濯で大変なの・・」というように台所仕事を指しています。
 しかし、台所で働く下女の意味は死語でしょう。
 
【おし(ろうあ者の差別用語)】 昔、唖(おし)と言われていましたが、差別用語
 のため使用が禁止されています。現在は聾唖/聾唖者です。その意味では完全な死語
 です。
 
【老いらくの恋】 年老いてからの恋愛のことですが、1948年(昭和23年)、68歳の
 川田 順が弟子と恋愛、家出し、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもな
 し」と詠んだことから生まれた流行語の一つです。老いらくの恋、大いに結構。
 きっと元気で長生きしますよ。
 
 《1948年(昭和23年)この年の会社に関する記述は「あ」−4「憧れのハワイ航路」
  の項を参照。》
昭和23年の会社
【オー・ミステーク/オー・ミステーク事件】 1950年(昭和25年)、日大の職員が給
 料を輸送中、運転手の少年(当時19歳)に襲われて金を奪われ、金を奪った少年は
 同大教授の娘である恋人(当時18歳)と逃走しましたが、2日後に潜伏先で逮捕さ
 れた「日大ギャング事件」です。
 逮捕の際、少年は恋人に向かって「オー・ミステーク」と叫んだことから、この事
 件は「オー・ミステーク事件」とも言われ、当時の若者の反社会的行動が問題視さ
 れていた中で「アプレゲール犯罪」の代表的な一つでもありましたが、同時に
 「オー・ミステーク」が流行語となりました。「アプレゲール犯罪」とともに
 「オー・ミステーク」も死語です。
 
 《1950年(昭和25年)この年の会社に関する記述は「あ」−4の「アナタハンの女
  王事件」の項を参照。》
昭和25年の会社
【お邪魔虫】 いつの時代でもこういう人は身近におります。そういう意味では死語
 ではないでしょうが、何と言っているのでしょうか。
 お邪魔虫とは、「その人がいることで、その場の空気・雰囲気が悪くなったり、皆
 が楽しんでいる中で、水を差すような言動をする人、皆が嫌っている人、存在が邪
 魔と感じられる人」のことです。また、恋人同士で話しているときに、用もないの
 に間に入ってくる無神経な人もお邪魔虫です。昨日、高校の仲間とゴルフを楽しみ
 ましたが、おばさんが「お邪魔虫」を使っていました。
 ところで、お邪魔虫の「虫」という字は良い意味、悪い意味の両方に使われていま
 すね。腹の虫、癇(かん)の虫、弱虫、泣き虫、秋の虫、虫めがね、虫くだし、
 (和服などが)虫に喰われる、浮気の虫、虫ずが走る、虫の知らせ、虫の息、虫干
 し、虫の音、虫がよすぎる、玉虫、南京虫、虫歯、食虫花、仕事虫、寄生虫、水虫、
 みの虫、虫さされ、虫時雨、手塚治虫(?)などです。この中でも南京虫はもう死
 語に近いですね。
【お前の母ちゃん、出べそ!】 昔、子ども同士の些細な喧嘩で「お前の母ちゃん、
 出べそ!」と言い合ったことがあります。いろいろな説を拝見しましたが、今一つ
 ピンときません。言えることは小さな子どもが考えた言葉ではないことは確かです。
 大人のいろいろな風刺や意味が込められているように思いますがいかがでしょうか。
 一方、昔は、今と異なり医療技術も低く、殆どの出産は自宅で産婆さんの手で行わ
 れていましたので、処置の上手い、下手ということもあるのかな?とも考えたりも
 しましたが、「お前の母ちゃん、出べそ!」なんて死語もいいとこです。
 
【おじん/おばん】 「おじいさん」「おばあさん」を表す最終形態として、「じじい」 
 「ばばあ」→「じじ」「ばば」と言われていますが、「おじん/おばん」の年代は
 どの世代かと広辞苑で調べてみました。「おじん/おばん」は、若い世代が自分より
 年上の男性(女性)を年寄りくさいと感じて呼ぶ言葉とあります。例えば「××さ
 んは考えがおじんくさい」ということからみても、男性なら現役のサラリーマンで
 しょうね。もし、若い世代にまだ通用する言葉なら該当する人は、自分を活性化さ
 せ、大いに職場や家庭でのリーダーシップを発揮しましょう。「おばん」ならこれ
 から一花も、二花も咲かせて欲しいものです。
 
【オバタリアン】 1988年(昭和63年)から1998年にかけて、「オバタリアン」漫画 
 家・堀田かつひこ作の「まんがライフ」に連載した4コマ漫画のタイトルですが、
 厚かましい中年の女性のことを「オバタリアン」と呼んでいました。おばさん特有
 の図々しい、羞恥心のない女性と言われています。
 1989年には当時の社会党・土井たか子も「オバタリアン」を引用し話題となり、同
 年、流行語大賞/同金賞を受賞しています。
 一方これに対抗し、「オジタリアン」という語もありました。最近、「オバタリア
 ン」を耳にしましたか。
 
 《1988年(昭和63年)この年は、本社ビル(Eセンター)、鶴見事業所、那須事業所
  厚生棟は竣工、潟eクノポート、潟eクノポート、同U.S.Aが設立され、「経営
  理念」「行動の基準」が制定され、CI委員会が発足、全社的CI運動が展開された年
  でした。その他、広島営業所が大和生命ビルへ移転、東京計器アビエーション入
  間連絡事務所が入間駅近くへ移転した他、トーテックのLA/NY事務所を閉鎖などの
  動きがありました。
  人事・制度面では「業革」が多くの成果を残して終了しました。Eセンターには
  日本初の企業内フィットネスルームが設置され、FM東京他でCMの放送が開始され
  ました。また、社内報の表紙をカラー化し「YAYOI」に改称、「TONET」による全
  国の営業所が内線電話化、TOAのサービスも開始され、ファイリング・システムも
  導入されオフィスの環境が一新された年でした。その他リフレッシュ休暇制度、
  人事開発室の新設、本社ビル防火管理委員会と自衛消防地区隊が発足、初の地震
  避難訓練が実施されました。
  一方、業界・一般では青函トンネルが開通し青函連絡船80余年の歴史に幕、東京
  ドーム竣工、瀬戸大橋開通、東証平均株価が3万円を突破した年でした。
  海外では第15回冬季オリンピックがカルガリーで、同第24回オリンピックがソウ
  ルで開催された年でもありました。》
 
 《1989年(昭和64年/平成元年)については、「あ」−2の「アッシーくん/メッシー
  くん/ミツグくん」の項を参照。》
平成元年の会社
【お呼びでない】 ご存知、当時の人気TVバラエティ番 お呼びでない
お呼びでない
 組「シャボン玉ホリデー」でコメディアン・俳優・歌手・
 ギタリスト・タレントであった植木 等のセリフが大
 ヒットし流行語となりました。一説では当時、植木の
 付き人だった小松政夫に呼ばれて、誤って出番以外の
 コーナーに登場してしまった際に、植木が「お呼びで
 ない?お呼びでないね。こりゃまた失礼いたしました」
 というアドリブと言われています。
 ご本人は2007年3月27日に80歳で他界されておられます。 
【トイレでお釣りがきた】 昔、キャンプ場トイレや公衆トイレは汲み取り式でした 
 ので大をすると、跳ねてよくお釣りがきました。このため予め紙を十分に落して用
 を足すのですが、深さや風によりなかなかよい位置に落ちず紙を使い果たして苦労
 したことがあります。死語と思いましたが、汲み取り式がある限り、まだ使われそ
 うですね。
 余談ですが、毎年通うマウイ島で、私のマップには島内のトイレ所在場所(トイレ
 情報)を細かく記載しています。使えると思っていたトイレがオフィスやお店の従
 業員専用で専用キーや専用暗証番号でしか使えない箇所があるからです。ビーチや
 公園などのトイレは簡易式のもので汲み取り式です。お釣りがくるのは同じかもし
 れませんが、いつも濃いブルーの消臭液で満たされており芳香剤の匂いががただよ
 い、悪臭がしないだけよいと思います。
 
【御勝手/御勝手口】 台所のことを「お勝手」と言っていましたが、何故なのか知り
 ませんでした。調べてみて驚きました。その語源は弓道からと書いてありました。
 弓道は弓を持つ左手を「押し手」、弦を引く右手を「勝手」と言い、固定されてい
 る左手に対して、右手は自由に効く手とされているようです。このことから、昔、
 女性が自由に使えるのは台所だけであったということで、台所を「お勝手」、その
 裏口を「お勝手口」と称したようです。その意味から言うと完全な死語です。
 
【御釈迦になる】 「お釈迦」とは、作り損じた不良品、使いものにならなくなった 
 物品ですが、「お釈迦」は鋳物職人の隠語で、阿弥陀像を鋳るはずが、間違って釈
 迦像を鋳てしまったことからと言うのが有力ですが諸説があるようです。でも、こ
 の言葉は製造業現場で日常的に使われています。ただ、一般家庭では使われません
 ね。
 
【おたんちん】 「おたんちん」は「間抜けな人間」「のろまな人間」などを罵る言 
 葉ですが、これも諸説がありますので興味のある方は調べてみてください。「馬鹿」
 「アホ」より少し柔らかい表現でしょうか。ところで、今、使われていますか。
 
【おちょぼ口】 小さくてかわいい口/小さくつぼめた口/ おちょぼ口
おちょぼ口
 おつぼぐち、のことですが古典的で日本人的美人像が
 想像されます。これは男性の好みからの表現でしょう。
 今はほとんど話題にならないのでは? 
 
 
 
 
【大年増】 年増の中でも、さらに年のいった女性のことです。年増女は娘の年ごろ
 を過ぎた女性ですが、女性を年齢によって「年増」(としま)、「中年増」(ちゅ
 うどしま)、大年増(おおどしま)などと区分していました。年増の内でも美しい
 時期を年増盛(としまさかり)と呼んだそうです。今は年齢で評価する時代ではな
 く、「心の年齢」となっていますので、女性は年に関係なく素敵な方が多いですね。
 でも、こういう表現は死語です。
 
【お ぶ】 お茶や白湯のことですが、幼児に対する言葉でしょう。子どものころ母
 が妹に「おぶー飲む?」と聞いていました。確かお風呂のことも「おぶ」と言って
 いたと思います。
【大蔵省】 ご存知、国家予算の編成、財務・通貨・金 大蔵省
大蔵省
 融・証券などに関する事務を担当した国の行政機関で
 1869年(明治2年)に設置されました。
 1998年(平成10年)から同12年の間に金融行政を分離
 し、金融庁を新設・移管し、同13年に財務省に改組さ
 れました。ところで、某社の会計ソフトは今もって
 「大蔵大臣」でCMを流しています。
 
【おぼこ(生娘)】 ボラの幼魚のことから転じて、若い娘、世間ずれしていないう
 ぶな娘、垢ぬけていないなどのニューアンスを含む語ですが、私は老人語となって
 いるものと思っていましたが、地方によっては「おぼこ」「おぼこい」は日常語と
 して使われているようですね。
 
【おひつ】 ご存知、飯櫃(めしびつ)は炊きあがったご飯を美味しく保存する器で
 「お櫃」「お鉢」と言われて、以前は家族の人数に合わせて大小がありました。母
 はいつもお櫃を洗って干していました。銅のタガはいつもピカピカに光っていまし
 た。ところがいつの間にか、我が家から姿が消えていました。冷蔵庫、電子レンジ
 が普及し、いろいろな機能が加わった炊飯器が各家庭に常備されたことにより、ご
 飯は美味しくいただけますが、手入れの大変な「お櫃」が敬遠されてきたのでしょ
 うか。
 
【お 足】 もちろんお金のことですが、江戸時代にお金はあたかも足が生えている
 かのように人から店に、店から人に、物を売り買いすることで行ったり来たりする
 ことから、お金を「足」に例えたという説ですが日本語って面白いですね。
 
【お主/お主、やるな!】 室町時代以降に用いられた二人称に人代名詞で「おまえ」
 「そなた」のことですが古くは男女で用いられていたようです。「おまえ」は今も
 使われていますが、時代劇の中で以外は、さすが「お主」は使う人はいないでしょ
 う。一方、「ぬぬっ・・お主やるな!」はこんなときに使われていました。
 職場での昼休み時の将棋で、相手の指した一手に、「うっ・・お主やるな!」と感
 嘆する語がでました。
 
【親ガメの背中に子ガメを乗せて】 親ガメの背中に子ガメを乗せて、子ガメの背中
 に孫ガメ乗せて、孫ガメの背中にひい孫ガメ乗せて・・、親ガメこけたら皆こけた〜
 という昔のトリオ漫才のネタで、一時流行語となりました。
 一般に池などで親ガメの上に子ガメが乗っているところを偶にみることができます
 が、何匹も乗っている姿は見たことがありません。
 
【おセンチ】 感じやすく涙もろいさま、感傷的などの意味を表すセンチメンタルを
 略して「お」を付けた語で昭和初期の純情可憐な女学生が使ったのが始まりと言わ
 れています。一般に普及したのが1970年代後半からだそうです。
 
 《1970年代後半の1978年(昭和53年)は、4月に資本金を21億7,800万円に増資し、
  9月に同23億9,600万円に増資され、栃木3社対象に初の連結決算を発表しました。
 拠点としての新東京計器の第2期工事の工場増築が完成、東京ビッカースが創立10
 周年を迎え第4期工事が完成、韓国・台湾に駐在員事務所を設置(油圧)、清水サー
 ビスステーションを廃止し、新たに東海営業所を開設(舶用)、広島営業所、新潟
 営業所がそれぞれ東京海上火災ビル、北陸ビルへ移転しました。9月末には生産体
 制整備に関する全体構想が提示された年でした。その他、社長室が企画室に改称さ
 れました。》
【おしん/おしんする】 「おしん」は1983年(昭和58年) おしん
おしん
 春から始まった橋田壽賀子原作のNHKの人気連続ドラマ
 です。おしんは貧乏生活と次々に起こる苦難に耐え、
 やがて幸せを掴みますが、おしんの耐えるさまを動詞
 化し「おしんする」と表現し、「おしんブーム」を巻
 き起こしました。
 過日、どこかの国で「おしん」が放映されていて、や
 はり人気番組になっているそうですが、折角の「おし
 んする」は死語となっています。
 
 《1983年(昭和58年)この年、総合研究所を研究開発センターに、TQC推進室をHit
  推進室に、トーテック、ロスアンゼルス駐在員事務所を同支店に改称されました。
  同時に「経営改善臨時委員会」が発足、提携会社のスペリービッカース社をリビー・
  オーエンス・フォード社が買収、関連して、ビッカース社傘下のルシファー社を
  ハネウエル社へ売却するなどの大きな動きがありました。
  人事・制度面では、コストエンジニアリング部の新設、Hit提案推進委員会、Hit
  提案推進部会が発足、全社的に開発促進、コストダウンの推進に取り組みました。
  一方、業界・一般では上越新幹線・大宮―新潟間が開通、中曽根内閣が誕生、初
  のテレフォンカード使用の公衆電話が開設された年でした。》
 
【お山の大将】 盛られた砂山・土山や、土手の上に数人で先を争って登り、先頭の
 者はあとから来る者を登らせないようにし、「お山の大将われ一人」と言って誇る
 昔の子どもの遊びです。しかし、地方なら別ですが、都会の中に、そういう場所な
 どありません。それに「大将」という軍隊の階級がついていますので、今じゃ死語
 でしょう。
 もう一つの意味に、普段遊んでいる子どもの集団での「ガキ大将」、小さなグルー
 プの中で自分が一番だと得意になっている人のことも言いますが、後者は大人社会
 にも結構いそうですね。
 
【オートバイ】 「オートバイ」という呼び方は英語の オートバイ
オートバイ
 「autobike」に由来する和製語で、1923年(大正12年)
 に月刊誌「オートバイ」が発売されて以来、我が国で
 は「オートバイ」が認知されています。
 英語圏での「モーターサイクル」「モーターバイク」
 から「バイク」「モーターサイクル」が一般的な名称
 ですが、その他、自動二輪車や単車とも呼ばれます。
 私の運転免許証には大型自動二輪も含まれていますが、
 残念ながら運転する機会を逸しました。
 
 《1923年(大正12年)この年、9月1日に発生した関東大震災で本社および小名木
  川分工場の一部が破壊し、本社設計課、製作部より2名の殉職者を出しました。
  人事・制度面では親交会において購買組合が設立されました。
  業界・一般では関東大震災のあとに目蒲線が全線開通した年でした。》
 
【大寒小寒山から小僧がやってきた】 子どものころ、「大寒小寒、山から小僧が飛
 んできた(降りてきた/泣いてきたなどがあるようです)」とわらべ歌を歌いながら
 青っ鼻を垂らし、ほっぺたは真赤、薄汚れた洋服でも皆元気に遊んだものです。
 今は、「大寒小寒、シベリア・中国大陸から寒波がやってきた」でしょうか。
【おきゃん】 「おきゃん」を漢字で表わすと「御侠」だそうです。もともとは男性
 に対して使われた語ですが、活発であるが、やや軽はずみな若い女性、おてんば娘
 などとあります。逆によい意味では開放的、飾りけのない、こだわりのない、ハキ
 ハキした、などもあるようです。どうも、ちゃめっけのある可愛い女性でしょうか。
 死語だそうですが、こんな女性なら復活賛成ですね。
 
【お灸をすえる】 @灸で治療すること、A子どもが悪さをしたことで親が「お灸を
 据える」と言ってこらしめること、B大人社会でも何かの規律違反は失敗に対して
 上司がきつく注意したり罰を加えたりする処置ですが、Aの躾上の行為が近所でみ
 られません。私もそうでしたが、戸閉めを食わされ玄関で大泣きしたり、実際に線
 香で脅かされたことがありましたが、子どもには大変怖い「お仕置き」でした。
 近所では、そんな子どもの「お母さん、ご免なさい!」と言って泣いている子ども 
 を見たことがありません。虐待とみられるためでしょうか。
 
【おげれつ】 「御下劣」下品なこと、下品を丁寧にソフトに表現した語。下品なこ
 とを表す語の「卑猥」という語は、極めて度きつすぎるのでこう表現したのでしょ
 うか。そう言えば、昔は相当流行していました。
 
【おしゃま】 「おしゃま」とは少女が年齢の割に大人びた格好や感覚を身につけて 
 いること、また、その人。ませていることですが、出過ぎた女、おてんばなどの意
 味もあるようです。どうやら東京の方言のようですね。