| お蔭様で書道の個展は大成功でした | 横山 謙三 | |
| 初めに書道と私について述べますと、私の時代には小 |
![]() 横山_謙三さん |
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| 学校と中学2年まで書道は学校の正課でした。結構器用 | |||
| でいつも学年で1〜2位を争っていました。書道塾にも | |||
| 通いました。特に書初めのような大きな字が得意で手紙 | |||
| のような小さな字はへたくそでした。中学3年以後は学 | |||
| 校での授業が無くなってそれっきり筆を持たなくなりま | |||
| した。 | |||
| 東京計器では書道部があり、活発に活動していたよう | |||
| ですが、全然興味が湧きませんでした。再び書道とかかわったのは、定年になってか | |||
| ら、「3年で師範の免許が取れる」という広告に釣られて、それなら書道でもやって | |||
| 書道塾を開くのもいいかな、と軽い気持ちで学校の門を叩いたのがきっかけでした。 | |||
| 3年で師範の免許が取れると言うのは嘘ではなく、確かに免許は呉れましたがそん | |||
| な免許は何の役にも立ちませんでした。そんな即席先生の所へ来る生徒はいないし、 | |||
| もしいても、こちらに力がなくて教えることができません。でも乗りかかった船で、 | |||
| もう少しもう少しと習っているうちに、何時の間にかもう20年以上経ちました。 | |||
| それでも継続は力なりで、平成11年からはグループで展覧会を開くようにもなりま | |||
| した。書道は「どう書くか」ではなく「何を書くか」が大切だとも言われます。私も | |||
| 他人の詩・句・文を書くだけでなく、自分が作った漢詩を自分で書きたいと一念発起、 | |||
| 漢詩を学びました。一応自詠自書の作品をグループ展で発表するまでにはなりました。 | |||
| 二、三年前から、間もなく米寿を迎えることでもあるし、この辺で一つの区切りを | |||
| つける意味で個展を開きたいなと思い始めました。個展を開くことを思い立ってから | |||
![]() 代表作品と筆者 |
も、具体化するに当たっては越えるべき壁が高く、今年 | ||
| こそ今年こそと思いつつなかなか実現しませんでした。 | |||
| そんな時たまたま杜甫の絶句に出会って、杜甫の今年 | |||
| こそ今年こそという望郷の思いが胸に響いて、個展の名 | |||
| 前を、詩の一節をとって「是帰年(コレキネン)展」と | |||
| 名付けました。杜甫はこんなことでは一体何時になった | |||
| ら故郷に帰ることができるだろうかと詠じたのですが、 | |||
| 私は先生・友人・家族の前引き後押しのお蔭でとうとう | |||
| 本当に個展が開けました。なので是帰年には今こそ本当に帰ってきたぞという万感の | |||
| 思いが、てんこ盛りに籠められています。 | |||
![]() くつろぎながら鑑賞する |
![]() 解説に熱気が入る |
![]() 賑わう会場風景 |
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| お蔭様で個展は大勢の方が見に来てくださり好評でした。大成功でした。感謝です。 | |||
| 感激です。舞い上がっています。 | |||
| 個展開催に当たっては「受付」という、どうしてもご協力をいただかなければなら | |||
| ない大仕事があります。書道やボーイスカウトの友人が日割りの分担表を作って奉仕 | |||
| を考えてくださいましたが、東京計器ジャイロOBの小池芳光さんが全会期中受付を | |||
| 引き受けてくださることになり難問が一気に解決しました。これには皆がびっくりし | |||
| て、定年後25年も経って直接部下でもないのに未だそんな人間関係があるなんて信じ | |||
| られない。東京計器って良い会社ですね、とすっかり感心されました。 | |||
| いちいち書き切れませんが、他にも大勢の方にお世話になりました。この場を借り | |||
| て厚く厚くお礼申し上げます。 − 完 − | |||