『私と写真の歩み』 横浜市 森内 秀樹
 
森内秀樹さん
森内秀樹さん
昭和62年鞄結梃v器で定年を迎える4ヶ月前に、永い
間お世話になりましたが退職し、鰍ゥもめプロペラに再
就職し平成14年に退職いたしました。何分にもサラリー
マンの生活が長く、すっかり身に染み付いた生活から、
これからの生活にどう対応するのが良いのか自問自答し
ました。写真ならばと思いこむ浅はかさに、天罰を受け
この道の深さに苦しんでいるところです。「ローマは一
日にしてならず」の例えでどの道でもその道の深さを実
感しました。幸い家内が油絵に凝り、20年近く息子の高校の先生に師事しそれなりに
構図とか、フレーミングとかに一日の長があり、頭をさげることにし写真を本格的に
始めることになったわけです。
 思い出せば最初に買ったカメラは、2眼レフのリコーフレクッスで、入社間もない
時期だったと記憶しています。当時の月給1ヶ月分に相当し、私にとっては高価なカ
メラで、10ヶ月の月賦支払で購入した記憶が残っています。この当時は、旅行等に持
参しシャッターを押す等でしたが、この2眼レフでは携帯性が悪く、しかもフィルム
は白黒、感度が低い等で、目で感じた風景とは異なり飽きてしまいました。自分の技
術が低いのに他人に責任を転換するという汚さに自己嫌悪に落ちてしまいました。こ
んなことでカメラと別れてしまいました。家内と知り合うことになり、奥多摩や丹沢
にハイキングに出かけるようになり、再びカメラが欲しくなる雰囲気で、当時、はや
りの1眼レフを購入し、しかもカラーフィルム(コダック)が市場に流通し始めまし
た。こんなことで、2代目は旭ペンタックスを購入し、フィルムはカラーを使用し、
二人でアルプス表銀座、南アルプスまで足を延ばしていましたが、結婚後もこの遊び
癖は治らず大事な時期を無為に過ごすことになりました。山の朝焼け、夕日をフィル            
ムに収めるたびに、眼で感じた残影とフィルムで再現された色が違うことになり、ど             
うしたらあの感動した色彩を表現できるだろうかと思うようになり、また、カメラが             
悪いという癖が出て3代目のカメラを購入することになりました。はやりのデジタル             
カメラならばの思いがあって、ミノルタのDimage7iとなりました。雪の降る北九州の             
大宰府で、はじめてのシャッターを押しましたが、白い屋根は暗くイメージとは異な             
り情けない風景写真となりました。パソコンを使用して色補正をしましたが、カラー             
バランスを上手に調整できず、色の再現性は自分の思っているイメージとは異なりま
した。その後、秋の八甲田の紅葉をトライしましたが、あの紅葉には程遠く、技術の
低さを痛感しました。            
 その頃、横浜市の市民講座「写真公開講座」に応募し、野毛山の市立図書館の隣の
「老松会館」へ週1回、3ヶ月通いました。私にとって写真なるものを系統だって講              
義を聴くのは初めてで、眼から鱗でした。この講座の同期生が中心となり、横浜写友  
クラブを結成することになりました。先生はこの時の講師にお願いし今日にいたって             
います。再び悪い癖が出て、また、カメラを購入することになり、ニコンのF5を購             
入しました。ニコンブランドはさすがで、少し重い欠点がありますが、機能的には満            
足するものであり、もうカメラに責任を取らせることは出来ません。浅草、鎌倉、横             
浜の夜景と満足する色の再現をさせることができることになりました。横浜写友クラ            
ブの第3回写真展にも出品できる程上達しましたが、周囲の方に比べるとまだまだ月            
とスッポンの差です。今後も精進を重ねてゆく覚悟です。