私の写真暦“70年” 渡辺 清
 
渡辺 清様
渡辺 清様
 私が始めてカメラを手にしたのは15〜6才の頃でした。
コツカカメラと言うブロニー判の乾板(ガラス板)がネガ
で、現在のフィルムネガととは異なり箱型の単レンズ、ジ
ャラバ付のカメラや富士フィルムのセミライラ等が国産カ 
メラの代表であり、あとはドイツ製ライカやアメリカのコ
ダック製のものであった。
私が東京計器に入社したのは18才の時で、その頃はセミラ
イラが愛機で、ドイツツアィスイコンセミコンタックスを
真似た格好の良いカメラであった。
 その後ドイツのライカを真似たニッカと言う映画用フィルムを使うカメラを手に入れ 
会社の写真部や蒲田駅前の植田写真機店の光影会で 活躍したのが当時の私であった。
 東京計器を定年退職後、現住所の横浜市鶴見区の駅ビル4階にある、写真機活動の
クラブに入会し撮影活動を再開したが、そのクラブが横浜市読売写真クラブと合流す
ることになり、「読売」や「神奈川新聞」の神報連のクラブ員となり新聞紙上でも
活躍する事となった。