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 ギャラリーびーたの展示場で |
定年間近になって、これからの日々をいかに充実させ |
ていこうかと、考えたとき絵を描くことに思いついた。 |
それまで絵を見るのは興味があったが、自分で描くこと |
など考えていなかった。早速同窓のグループや地域の自 |
主グループに参加し、一から油絵を描き始めた。 |
モチーフはひと月単位とすると、一年で12の作品が出 |
来上るわけである。年末に気に入らない作品は廃棄処分 |
するが、20年の歳月が経つと、200点以上にもなってしま |
う。子供が独立するにつれ、その空き室をアトリエとして使ってきたが、3年前妻を |
亡くしてから子供と同居することになると、また整理しなければならなくなってきた。 |
改めて整理にかかると、一つ一つ思い出や思い入れがあり、このまま処分するのでは |
絵が可哀そうに思い、せっかくの成果であるからみんなに鑑賞してもらおうと考えた。 |
これが個展を開こうと決めた経緯である。 |
さて、個展を開くとして、いったい自分の絵は人に見てもらう価値があるのか、展 |
示する作品はどれにするか、画廊は、額縁は、搬出入は、などなど色々な問題がある |
ことに直面した。指導していただいている楢崎重視先生(東光会名誉会員・日展会員) |
に相談したところ、十分鑑賞に値するとの言葉に従い、どうせやるなら銀座か日本橋 |
ということで写生旅行などで縁のあった、“ギャラリーびーた”を会場に決めた。 |
出品作品は画廊のスペースの関係で30点前後。鑑賞していただくのを主眼にし、テー |
マは、人物、風景,静物などバラエティに配慮し、画風も粗いタッチのもの、しっか |
り塗りこんだものなど、いろいろの面を見ていただくよう考慮した。号数も10号が中 |
心になり、最大20号が3点、4号、6号の小品は各1点のみ、また裸婦、自画像など |
も展示作品のリストに載せることにした。個展の案内状の絵に、犬吠崎を選んだが、 |
これが好評であったため、ほかの作品が見劣りしないかと懸念したが、32点の展示を |
終え全体を見渡した時、自分ながら、これならご来場いただいた方にご満足頂けるの |
ではないかと思い、ほっとした。 |
案内状を会社関係、同窓関係、絵画関係ほかゴルフや碁の仲間など250名くらいの人 |
に発送したが,東京計器のOBの方が森田元社長、黒石元会長、八木会長、をはじめ、 |
事務局から、野村さん、大谷さん、小田さんが取材に来られるなど一番多く来場いた |
だいた。やはり長い間の絆のありがたさを痛感した。フリーの来場者を含め約300名、 |
何点かの絵も所望され手放すことにしたが、そういう絵は自分でも特に気に入ってい |
たものなので寂寞とした気がしてならない。 しかし、自分の絵が客観的に評価され |
たことに安堵するとともに、気に入った人の手に渡って絵もきっと幸せになるだろう、 |
と自ら慰めている。 |
この20年の成果を眺めながら色々な思い出に触れるとともに、よくもこのような作 |
品を描き上げたものだと自賛する一方、制作過程での偶然性の効果を改めて認識し、 |
これからも同じ様な作品を描けるかどうか、不安な気持ちになっている。もともと終 |
活の一つとして始めたことであり、気張らずに続けていければと思っている。
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OB会の皆さん、有難うございました。 2014.8.18 |