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 作品一つひとつに想い出を込めて話される川岸さん |
絵画は幼少の頃から一応好きであった。小学校の低学 |
| 年の時はよく選ばれて展覧会等に出展させられた。 |
| その頃は主にクレパス画であったが、何時の間にか水彩 |
| 画になりスケッチブックを手放さなくなった。油絵は |
| 中学高学年からである。 |
| 先生について特に教わった事はなく、学校の絵画クラ |
| ブに所属して皆と一緒にデッサンをしたり外へ写生に出 |
| 掛けたり、展覧会に観賞に行ったりして、先生や上級生 |
| から批評され、教えて貰ったりしていた程度であった。 |
| まぁーこの様な徹頭徹尾下手の横好きというところか。 |
| 昭和17年東京計器に入り、戦後サービス部に所属していた頃は出張が多かったので、 |
| 必然的にスケッチブックも作品が多くなって、港や造船所のある街の風景などを |
| スケッチした。その中で特に印象深いものは神戸の風景であろう。六甲山や摩耶山が |
| 神戸の街のビル群に迫って落着いた飽きる事のない景色である。また、瀬戸内海に浮 |
| かぶ島々も良い絵になった。東京本社に移ってからは北関東の山々を油絵にするのも |
| 興味深く、キャンバスにとどめようと努めて来たが満足の出来る作品が出来ず、何時 |
| もいらいらし、時に投げ出したくなるような気持ちにさせられるのが常であった。 |
| 晩年になってNHKの絵画教室に加入し添削を受けたり、また、街の絵画教室に参 |
| 加してやっと正式に教えて貰ったりしたのは少しは進歩に役立ったかと思うが、絵に |
| ついては我流が抜けきれず、また、見る人に感心してもらえるようになろうとも思は |
| ず、ひたすら自分の趣味に満足する私の絵画であります。 |